女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。

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人として死す(終話)


  そのとき早苗はダフネと二人で食品プラントを視察していた。
  地下にひろがるその場所は、ファームというより、まさしく食の生産工場。食用ワーム、食用ウジ、食用ゴキブリ、カエルやネズミまで繁殖力旺盛な動物性蛋白源を育て、水耕栽培の野菜、茸の類までが整然と並ぶ最先端の育成施設。
  そしてそれらの餌や肥料に、処理された者たちの肉体が再利用されている。  今後ますますこうしたプラントは拡張されていくだろう。五百万人の命を支える食のため、そうしなければ維持できない。人一人が必要とする酸素や水も数百人数千人ともなれば膨大な量となる。ムーンシップの旅は地獄への旅立ち。そのほんの一部がいまこうして形となった。

  早苗は事実を公表し、そんな早苗を守ったのはダフネであった。イゾルデもそうだ。生殖実験で産まれた女児が十五歳になったとき、イゾルデにとっても残酷な実行のときが来る。片やグループにバージンのまま凍結精子を植えて妊娠させ、片やグループには、月で生まれた男児の精子を植えていく。凍結精子は原種の人類から採取したもの。月で生まれ育った男児の精子は第二世代のものであり、遺伝子の変異を監視していかなければならないからだ。
  早苗とイゾルデ、二人の女医を、ダフネは何としても守ろうとする。地球の意思であることよりも、人として、二人の苦悩はよくわかる。

 「隔世の感だわ」
  事故に備えて区画ごとに気密されるプラントを見渡して早苗が言うと、五十代となって建設現場をはずされ、軽労働に転用された女が笑う。
 「これでも三十万人規模なんですよ。まだまだこれから」
  月へと送られた最初の頃からしばらくは、食料といえば地球からの補充であって、レトルト食品、缶詰、乾燥食品、そして栄養剤しかなかったものだ。月面地下にこれほどの牧場と農場ができるなどとは想像すらしていない。
 「それから先生、一言いいですか?」
 「もちろんいいわよ、どうぞ」
 「みんなわかってますからね、ご自分を責めないで」
 「ありがとう。どうしても地球のモラルから離れられないのよ。私は死神、そう思ってしまうんです」
  そばにいてダフネが言う。
 「そうじゃない。そのために送られた私の責務を背負ってくださる。早苗さんを尊敬するわ、なんて強い人なのかって」
  表面上は平静でいられても心はもがき苦しんでいる。早苗やイゾルデの苦悩をわからない者はいない。消されていく同志に手を合わせながら、月面の皆は痛みを共有して生きていた。

  しかし早苗もイゾルデも独りのときには泣いてしまう。泣き腫らした眸はごまかせない。それだけに皆は情を寄せる。人体の再利用に造反する者などいなかったし、自分もやがてはそうなると覚悟ができて、むしろさばさば生きていける。
  地球のそれとは違うムーンシップに生きる人類の文明が、そうしてつくられていくのだろう。

  核廃棄船の帰還まで、残り四年と余月。廃棄船はすでに動力部の故障でUターン。太陽の引力に引き戻されて月への進路をたどっていた。そしてそれは地球上の観測施設でももちろん探知されていて、地球や月に近づくようなら迎撃せよと命じられていたのである。
  反旗を翻すのはそのときだ。地球の意思に逆らえば軍が送られ、デトレフ部隊は戦わなければならなくなる。送り込まれたスパイたちも動き出す。月面上で内乱となるのは明白かと思われた。
 「とりわけ残り一年をきってからの人員補充に気をつけなければならないだろう。輸送船を偽った軍船であることが考えられるからね」
  デトレフのそんな言葉にうなずきながら海老沢は言った。
 「そのとき民衆がどちらにつくかだ。それで決めてもいい気がする」
  月面車ムーンカーゴにデトレフと海老沢の二人きり。
  デトレフは言う。
 「民衆ね。月でその言葉を使おうとは思わなかった。月のことは月に任せろでどこまで押し通せるか。民衆と言うならそれも正しい選択さ。皆が存続を望むなら我々が消えるだけ。じきに六十五だぜ。もはや余生よ」
  六十二歳となった海老沢はちょっと苦笑してうなずいた。判断の基準は地球にはない。月面の皆の想い。最後の最後で二人には迷いがあった。実行すれば人類は宇宙の塵となって消えていく。


 「マリンバもすっかりお婆ちゃんね」
 「そうですね、タイパンのクイーンのままなら私は化け物になっていた。マリンバとなれた幸せな人生でした」
 「何を言ってるの、マリンバはまだまだよ」
 「ほんとにそう思います。じきに六十七なんですよ。この歳になって体を求められる幸せなんてあり得ない。バートも様もそうですし、ボスだって抱いてくださる。
とんだマゾ婆さんです」
  スキンヘッド。陰毛さえも生涯拒んだマリンバの人生。
  そのとき留美も五十歳となっていて、病の床に伏せっていた。
  留美は懐かしむように言う。
 「ふふふ、そうかも知れない。私もいい人生だったわよ。LOWER社会に堕とされて、レイプまたレイプの日々。だけどそんな中から新しい私が生まれ、よくよく考えてみるとそれは牝にとっての至上の幸福。仲間たちに囲まれて、可哀想なマリンバを楽しんで。それまでの私のままならつまらない人生だったと思うのよ。文明は人の前にレールを敷くわ。私は私のレールに生きてきた」
 「縁起でもないですボス、生きてもらわなければ困ります」
 「どうかな。そろそろいいわって思えちゃう。あなたが殺した亮のところへ行きたいなってね。月は月でひどいことになってるみたい」
 「そうなんですか?」
 「よくはわからないけど地球を相手に戦争みたいよ。これ以上の無理難題は受け付けない。月のことは月に任せろ。月の民衆は反旗を翻した」

  そしてそれから半年経った冬のある日。
  地球のジョエルからの無線に、デトレフは声も発せず聞いている。
  留美が逝った。五十一歳。子宮がん。葬ってしまいたいLOWERたちに定期検診などというものはなく、不調を訴えたときには手遅れだった。
  デトレフは言った。
 「こちらは多少のトラブルはあったものの、民衆は我らについた。地球の横暴が許せない。酷使するだけ酷使して期限が過ぎれば処理される。囚人の女たちには子を産ませ、さらに産ませ、さらに産ませ、その子らにも生殖実験。論理的正論などクソくらえ。ふざけるな。人は尊厳をもって死んでいくべき。皆の想いは共通していた」
  ジョエルは言う。
 「いよいよ決行?」
 「そういうことだ。月面上のクラックは径およそ四十キロ、深さ二百メートルまでボーリングし、あとは核を仕掛けるだけ。まずは宇宙ステーションを攻撃する。そのタイミングでおまえたち同志が決起する。混乱した地球は月にかまっていられない。その間に核を仕掛け、時限装置のスイッチをオンとするだけ」
 「了解しました。やってやろうじゃありませんか」
 「宇宙ステーションの破壊が合図だ」
 「幸運を。これまでありがとうございました。ご一緒できて光栄です」
 「こちらこそ。さようならジョエル」

  超大型輸送船よりも巨大な核兵器廃棄船が、そのグレーの船体をぐいぐい月面へと近づけていた。人類最大の汚点である核兵器。それも戦略核クラスの水爆と原子爆弾を満載している。
  月の意思を図りかねた地球からの大型軍船が向かっている。
  デトレフは号令した。
 「レーザー砲を準備せよ、最初のターゲットは軍船、続いて宇宙ステーション。さらに続いて地球上の軍本部を攻撃する」
 「了解しました」
  このときデトレフは齢七十になろうとした。老体に鞭打った最期の反抗。それは部下たちも同様で、六十代、若くても五十代となっている。
  大型軍船には二千名の兵が乗り、もちろん高エネルギーレーザー砲を搭載していたのだが、戦艦搭載型であるためにレーザー砲の有効射程は三十万キロ。対して地上配備型の月面砲のそれは五十万キロ。パワーが違う。
 「一号砲、放て!」
  オレンジ色というより七色に眩く輝く光束が天空に浮く地球めがけて放射された。ターゲットは軍船。二千名の悲鳴が闇の空間に吸われて消え、続いて宇宙ステーション。地球の静止軌道上に浮く宇宙ステーションは巨大であり、そこには三万人を超える者たちが駐留している。
  デトレフは感情のない鬼となる。
 「二号砲だ、放て!」
  光となった殺人者が天空へと射出された。宇宙ステーションはあまりに巨大で弾薬庫も兼ねているため、青い地球のすぐそばで赤く輝く光の球となって現れる。
  続いて攻撃。かつてのアメリカ大陸、水没をまぬがれるテキサスの丘陵地帯に設けられた国連正規軍本部は、すなわち国連機能の集束体。
 「一号二号、同時に放て!」

  核廃棄船は、その悪魔的な船体にオレンジ色の逆噴射をかけ、静かに月面裏へと降りて行く。地球を攻撃したデトレフ部隊は即座に軍船で向かい、核爆弾を回収しては起爆装置をセット。月面地上のクラックに沿って準備されたボーリングホールへと仕掛けていく。
  最期の手段として軍船に水爆三発を置いたまま、あるだけの核をすべて用いる。径四十キロ、深さ二百メートル以上をブロックとして吹き飛ばす。それだけでも時間のかかる爆破準備。完了するまで数か月はかかってしまう。デトレフは最期の力を振り絞り、爆薬セットを見届けて倒れていった。
  ホスピタルモジュールのベッドの上で愛した早苗に看取られて眸を閉じる。
  このときダフネそのほか内乱で敵対した者たちは、かつて埋められた輸送船の居住モジュールに監禁されていたのだった。その数、およそ千名。
  早苗は眠るデトレフにやさしく言った。
 「さようならデトレフ、先に行ってて、私も後を追うからね。愛してる。あなたの子供が欲しかった」

  ムーンカフェ。
  いまではジョゼットカフェの面影はなく、二人はムーンアイへと逃れるように手を取り合って、テーブル越しに見つめ合っていたのだった。
  海老沢六十六歳、ジョゼット六十六歳。知り合っておよそ三十年の人生は夢のようだと話していた。この段階でムーンシップの旅立ちまで、さらに三十年を残している。
  海老沢は言った。
 「ムーンシップは完成しない。リーダーとしては心残りではあるがね」
 「これでいいのよ。やるべきことはすべてやったわ。あのエイリアンも人類を認めてくれるでしょう。どこかで道を誤った生命種に幕を引く。どうなるかは神のみぞ知るだわよ」
  そのとき早苗が肩を落としてやってくる。早苗に涙はなかった。
 「デトレフが逝ったわ。最期まで手を握り、眠るように死んでいった」
 「そうか。彼こそ偉大な男だったよ」
  海老沢が肩を抱くと、そのとき早苗は涙を溜めた。
 「行くの?」
 「うむ。そろそろ出ようかと話してたところ。早苗もおいで」
 「ううん、私はいい。デトレフといる。イゾルデも可哀想だし、みんなといる」

  核爆発が起きても月には空気がないから衝撃波は伝わらない。月面都市そのものを破壊する訳ではないから、まだしばらく生きてはいける。総人口およそ三十万人。それが人類最期の大地となる。
  海老沢と早苗、そしてジョゼットと早苗。それぞれが抱き合ってキスをして、揃って泣いて、別れのとき。海老沢とジョゼットはムーンカーゴに二人で乗り込み、ムーンアイを後にした。中性子星に遭遇する確率99%に変化はなかった。
  そのとき月面都市は半月の昼の側。ムーンカーゴに二人で乗り込み、果てのないドライブへと旅立った。月面には道路がかなり整備され、ムーンカーゴのパワーダウンの一瞬まで二人は愛の時間を楽しむことになる。
  核爆発は、いまから十時間後に迫っていて、二人はそれを見届けたい。岩盤ごと吹き飛ばされるさまを見届けられる月の丘の上に車を停めた。

 「月で孤独だった俺を救ってくれたのは君だった。出会えたことに感謝するよ」
 「私だって、それはそう。セックスフリーなんて思ってもみなかったから戸惑ったけど、HIGHLYの鎧を捨てたとき私は淫婦だったと自覚した。デトレフにも抱かれたし、クリフを泣かせて楽しんだ。女に生まれたことに感謝する。愛してるわ」 ジョゼットはそっと男の肩に寄り添って、胸に頬をあずけたまま顔を上げてキスを交わす。
  心に届く声がしたのはそんなとき。ジョゼットにしか聞こえないエイリアンの言葉であった。

 『地球人は滅びない。我らのもとで今度こそ穏やかに生きていく』

  ジョゼットは、その声が聞こえたことを海老沢に告げようとはしなかった。
 「どうしてるかなぁ早苗」
  かすかにささやき、ふたたび男の胸に抱かれていく。

 「これで楽になれるわ」
 「そうとも言えるけど、何のための妊娠だったのか何のための人生だったのか、私は彼女たちに顔向けできない」
 「それを言うなら私だって。多くの者たちに何のための死を与えたのか。私たちはいずれにせよ悪魔です」
  早苗の部屋で二人は裸身をからめていた。残り数時間、残り数分。月では音は地中を伝わり地鳴りとなって襲ってくる。激震が襲うことも予想できた。
  そのとき二人は性の悦びの中にいた。人生最後の快楽の中にいて、無我夢中で死んでいきたいと考えていた。

  地球上ではジョエル以下わずかな反乱軍が正規軍に包囲され、最期の戦いを挑んでいた。ところがだ。絶体絶命であったにもかかわらず、敵兵が退いていく。月の異変を感知したということか。ジョエルは空を見上げたが、あいにく今日は夜の月。夕刻では月はなかった。
 「終わったのか、どうなのか」
  問いかけても答えはない。

  破滅への核爆発は思惑通りに岩盤を吹き飛ばし、巨大なブロックとして地球滅亡の使者を宇宙空間へと放っていた。宇宙空間へ出た岩盤は地球の引力に捉えられ、大小合わせた隕石群となって降り注ぐ。
  ムーンカーゴごと振り回されるような地震が起き、そのフロントウインドウに浮き上がる岩盤を目にしたとき、海老沢はジョゼットをしっかり抱いて眸を閉じた。
  
  激震は月面都市に恐ろしい地鳴りを伝え、早苗とイゾルデは全裸で抱き合ったままベッドから転がり落ちていた。
 「やったわ、ついにおしまいよ」
 「そうならいいけど。結末は神のみぞ知るだわ」
 「余生よね、ほんとに余生。月面都市の機能が失われるまでしっかり生きていたいもの」
 「地球はパニックですよね?」
 「当然の報いです。潔く終焉を受け入れることができていれば幸せな七十年となったはずなのに。私たちに残されたわずかな時間、私たちは最高に幸せよ」
  ベッドから転げ落ち、そのままフロアでもつれ合って、貪り合った。


  月面の凹凸をものともしないストロークの長いサスペンションを持つ
 ムーンカーゴが横倒しになるのではないかと思えるほどの激震。
  隣りのジョゼットを抱き締めながら、そのときの私は一瞬意識を失った
 ように感じていたのかも知れなかった。

  ほんのひととき断ち切られた意識が戻りかけたとき、ムーンカーゴの
 フロントウインドウに想像を超えた巨大な岩盤が浮遊していて、
  私は地球の最期を確信しながら、どういうわけか、突如として香る
 ジョゼットの女の匂いに、くらくらする性欲を覚えていたのだ。

  人生の最期に発する女の匂い。私はジョゼットを見つめ、涙に揺れる
 ジョゼットの二つの瞳が私を見つめる。
  この人に出会えた人生がいま終わる。そう思うと不思議な達成感に
 支配され、ジョゼットとともに逝ける至上の幸福に、ペニスは狂った
 ように勃起をはじめた。死が二人を分かつと言うが、私たちは分かつ
 ことなく死んでいく。愛しています女神様。女神の発する人生最後の
 牝の匂いに私は正常ではいられない。

  同時に私は父の面影をも追いかけた。地球外知的生命を探し続け、
  狂人と言われようが、どうだろうが、命をかけた父親が誇らしく思え、
  エイリアンは確かにいたよと墓前で言ってやりたい想いがこみ上げる。
  父は正しかった。さすが父だと唸るような気分になる。

  感情は失せていた。意識が白く、それなのにジョゼットの匂いと父の
 面影だけがリアルなものとして迫ってきている。
  月面でのカーセックス。まあそんなところだろうが、人生の最期を
 体をつなげて迎えていく、それはきっと私と女神の結婚式だったの
 だろう。総身震えて射精をし、総身震えてジョゼットは受け取って、
  それから二人で、黒い空に浮遊して去って行くいくつもの巨大な
 岩盤を見送った。
  月を揺るがす核爆発は、あるいは月の軌道を変えてしまい、月その
 ものが地球に落下するかも知れない。そうなれば月と地球は最期に
 寄り添い消えていける。

  しかし地球の最期をこの目で見たいとは思わなかった。青い星が
 死んでいくのは耐えられない。宇宙ステーションという中継点が壊さ
 れて、地球と月は長く寄り添った蜜月を脱して分断された。
  月面都市の余命も、おそらく数か月。地球の滅亡はさらに早くやって
 きて、人類は宇宙の塵となって消えていく。

  けれどそれでも私はこのとき、人類は心から悔い改め、一縷の望みに
 かけて欲しいという想いがなかったわけではない。中性子星をスルー
 できる確率は1%残されている。

  地球に言ってやりたくなった。月の怒りを受け取るがいい!

  私はジョゼットという女神と微笑みを交わしつつ、親友の形見となった
 軍用銃をムーンカーゴのフロントウインドウに向けておき、いよいよ
 最期のキスの途中で引き金を引いていた。

  六十六年の幸せな人生だった。


 TIMES UP 完

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 タイムリミット(二九話)


  人類のためにという使命感を胸に、ほとんどの者たちは志願して月へと送られてきている。そのとき若かった者たちはまだしも、当時すでに技術者クラスだった者たちは四十代であり、歳月は老いをつきつける。しかもそれは地球上での老いではない。それでなくても衰えていく肉体に重力が追い打ちをかけてくる。地球の六分の一という重力のもとで長く暮らせば、ほどほどトレーニングを重ねていても筋力は落ち骨からカルシウムが減って骨格が弱くなる。帰還のために船をつくり、その上さらに相当期間のリハビリを経ないと地球の大地で立つことすらできなくなる。コストに見合わないということだ。

  それよりさらに決定的なのはムーンシップ旅立ちまでのタイムリミット。なりふり構わず進めなければ人類は滅亡する。老いた者の処遇よりフレッシュな働き手を送り込むことが先決であり、地球上でのように余生を与えて生かしておく資源の余裕がないのである。食料、水の一滴、酸素そのほかすべての資源を次世代の働き手に集中させたい。事故などで失う資源の損失分を安全係数に加えたとき、順次老いていく数千数万の者たちを生かしておくだけのキャパがない。ムーンシップが旅立った後のことを考えても、おそらくそこは変わらないと思われた。

  海老沢は言った。
 「五年後十年後を考えるとやりきれない。プロジェクトに参加するとき人は老い先のことまで考えない。俺もそうだった。皆もとうに気づいているさ。人類の犠牲となって死んでいく。死んで資源として月に残るんだとね」
  デトレフは暗澹たる思い。唇を噛んで沈黙し、そして言った。
 「いたしかたないのはわかっている。やがてそのときが来るのもわかっている。皆もそうだ、わかっている。しかしそのとき人は健全な精神を保っていられるだろうか。過酷な月で手を携えてやってきた同志を死に追いやる。そんなことに耐えられるものだろうか」
  と、そういうことになるだろうと予測して地球はスパイを送り込んだに違いなかった。地球上でジョエルにできる範囲は限られている。ジョエルそのほかデトレフ配下の数名は、あくまでHIGHLY側の軍部であり、デトレフが月へと送られたとき地球上の動向を探らせる、いわばデトレフ派のスパイであったからだ。管轄外へ必要以上に深入りすればジョエルは殺されることになる。
  スパイが何名いて、男なのか女なのか、いまだに知れない。
  デトレフは言った。
 「人類の未来のために人類は尊厳をもって滅亡するべき。俺はずっと迷っていた。月の皆も地球上の人々も、俺たちの勝手な思想で葬っていいものかと。しかし考えるのはそこではなく、ムーンシップが旅立った後のこと。バージンのまま妊娠を強制される娘たち。不要となった者を葬っていく者たちもたまらない。ムーンシップが完成し拡張しながら旅するとしても、老人に余生を与えるほどの余裕はないに違いない。何人もの子を産んで育てた母たちが、いったいいくつで処理されるのかと考えたとき、そうまでして人は生きるべきではないと思い至る。宇宙の摂理に従って滅亡するのが人間らしい死に方なんだと」

  ムーンアイのコントロールルーム。海老沢、デトレフ、ジョゼットそして早苗が揃う中での密談だった。ジョゼットも早苗も女二人は黙って聞いて、うなずきもしなかった。沈黙の中で早苗が言った。
 「そのタイミングで人体を活用する試みがはじまるでしょうね。薬で安楽死は好ましくない。肉体を汚染できない。ますます残酷なことになる。そのとき人は牛か豚の扱いよ」
  この話はもうやめよう。そうは思ってもそのときのことを考えておかなければならなかった。人員はますます増える。超大型輸送船を連ねてやってくるのは時間の問題。タイムリミットから逆算するなら人員は多いに越したことはなく、新しい力を生かすためにも資源に余裕を持たせておきたいからだ。
  デトレフは言う。
 「スパイが動くのはそのときさ。我々に自浄作用がないと知れば軍が押し寄せて来るだろう。それだけは食い止めなければ」
  早苗は言った。
 「医師として殺す者を選べと言われても私は嫌。カルテはお見せするから勝手に選んでとしか言いようがないからね。どうかしてるわ人間は。文明の末路がこのザマなのよ。何だったのよ人類って」

 「それは俺の決定だ」
  海老沢の声。三人は眸を向けた。やりきれない面色でつぶやくプロジェクトリーダー。すべてを背負う立場にある。早苗もジョゼットもハッとした。責任者は海老沢なのだから。
 「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの」
  早苗は泣きたい思いをこらえて言った。医師である私がしっかりしないと誰かに背負わせることになる。
 「だけど・・」
  それきりうつむく早苗を責めることはできなかった。いまはまだいい。年長でも五十代半ば。しかし間もなくそのときはくるだろうし、実際に手を下すのは軍以外に考えられない。
  ジョゼットは、早苗そしてデトレフと順に肩に手を置いて、海老沢に向かってわずかに首を左右に振った。どうしようもない現実。

 「地球へは戻せないの?」
  留美の部屋の大きなベッド。ジョエルに抱かれて留美は問うた。
 「数からしても物理的に無理だね。フレッシュ優先、それが地球の意思なのさ」
 「デトレフさんは辛い」
 「大佐だけじゃない、皆がそうだ。誰が決めて誰が実行するのか、そしてそれを指をくわえて見ているだけか。月に地獄がやってくる」
 「それさえも資源なんでしょ?」
 「極限の環境で共食いが起こるのは生命の宿命さ」
  君たちは幸せだと言ったデトレフの声が心に響く。輝ける未来とエゴと地獄が同居するムーンシップ。そのとき私たちは死んでいると考えると、ジョエルの肉体がいとおしく思えてくる。
  腕枕に留美を抱いてジョエルは言った。
 「ずっと先の未来を想像する。そうして幾世代をかけて目指す場所へ行けたとする。仮に惑星プロキシマBだとする。そこがいかに楽園であったとしても地球よりも体重が重くなる星では降り立てない。幾世代の間に人体は月の環境に順応して弱くなる。大佐が言うのは、そのときこそ凍結精子、凍結卵子、もしくはクローン」
 「それでいまの地球人を再生するわけ?」
 「それしかないだろうと考えているらしい。原種の人類なら新しい星で生きていける。ムーンシップの人々は目的地に行き着くまでのオペレーターにすぎないわけだ」
 「虚しいわ」
  ジョエルはそれには応じず、乱れた息の落ち着いた女を抱いて眸を閉じた。
  留美には言えないことがある。地球上ですでに人体を資源とする実験がはじまっていることを。オーストラリア大陸ではなく別の土地のことではあったが、そのとき実験台となったのはLOWERたちであることも。

  十年後。

  五年後以降にやってきた最初の危機は乗り越えることができていた。年長者には食料の生産や諸施設の管理など老いてできる職務があったし、数も千人規模で転用の範囲内。月にいる人員の総数は十二万人。男性十万、女性が二万という割り合い。
  しかしそれからさらに五年が経って、人員総数二十万人。男性十六万人、女性が四万人。住居モジュールも加速度的に整備され、月に暮らす者たちの住居とは別に五十万人のキャパを持つまでになっていた。ムーンシップ計画がスタートしてから二十一年。計画当初ムーンシップの旅立ちまで六十年。五百万人の旅人の移送にかかるまでおよそ五十年。計画のスタートから二十一年経って、その先三十年を残すタイミング。
  三十六歳で月に送られた海老沢は五十七歳。デトレフは六十を超え、皆それぞれに老いが迫ってきている。その頃すでに四十代の半ばだった数千人の人員は六十代の半ばを過ぎていて、今後ますます老人は増えてくる。
  月へと送られたとき三十五歳だった早苗は四十九歳になっていて、下に若い女医が送られた。
  名をダフネ・メイヤーと言う。イギリス系の白人女性で、あの頃の早苗と同じ三十五歳。背が高く鍛えられた肉体を持つ女性。目配りの鋭さからも明らかに軍医であると思われた。ダフネの派遣は地球の意思。スパイというなら人員の中にも相当数が潜り込んでいると思われ、おそらくすべてが軍関係者。デトレフ部隊にできないなら取って代われということだ。

 「月へ送られて一年の間に私なりに精査しました。老いてなお意欲のある者たちがいる反面、明らかに余剰と言わざるを得ない者たちも多くいる。事故で活用できなくなった者も多い。必要施設も完成したことですし、そろそろ処理を考えないと」
  事務的に言うダフネ。必要施設とは人体を再利用するための実験施設ということだった。そのときホスピタルモジュールの早苗の持ち場に、デトレフと海老沢も同室した。
  ダフネは言う。
 「五百万人の希望をつないでいくために避けては通れない道。私だってもちろん辛い。しかし誰かがはじめないとならないことよ。リストアップは私のほうでやりますから」
  早苗はむしろ無表情な顔を上げてダフネを見つめる。
 「いいえ私がやります」
 「そうですか? 長くともに暮らした同志ですから辛すぎませんか」
 「辛いどころじゃないわ。死神になれというのよ。でもねダフネ」
 「はい?」
 「だからこそ若いあなたに背負わせたくない。そんなことをすれば心が歪む。あなたがあなた自身を愛せなくなってしまうでしょう。ともに生きた同志だからこそ最期は私が決めてあげたい」
  逆に思いやる早苗。ダフネはその真意を探るような眸を向けたが、うなずいて微笑んだ。
 「ありがとう。月の皆は家族のようです。でもだから、それが怖い。家族の中に取り込まれていくのが怖いんです。正しい判断ができなくなりそう」

  デトレフが言った。
 「いずれそうなる。先駆けることを避けたいだけだ。そんなことをすれば人心は乱れ造反が起こるだろう。軍として私はそれを封じる」
  海老沢が言った。
 「老いた者たちは覚悟してるさ。それでも生きようとすれば大勢をリスクに晒すことになる。仲間と未来のために再利用されるなら、それも受け入れることだろう。しかしね、ダフネに問いたい」
 「何でしょう?」
 「そうした先人たちは人類にとって何なのか?」
  ダフネはちょっとうなずいて即答した。
 「英雄です。わかってください、私だって人間なんです。私が老いたとき私もそうなる。覚悟して、いまを生きる。」
  このとき軍配下の警察とでも言うべき組織は百人規模となっていた。軍と併せて二百名。造反が起きたとき潜り込むスパイどもが味方となると思うと複雑な気分であった。
  早苗が言った。
 「よしましょうよ、こんな話。スパイだろうが何だろうが退路のない月に生きる同志です。すべては旅立ちの日のために」
  苦しい解釈。核兵器の廃棄船が戻るまでさらに十年。何としても地球の軍門にくだるわけにはいかなかった。そのとき月にはさらに多くの人員がいて、それらを巻き込み人類は滅亡する。時間差の問題だと言い聞かせておくしかなかった。
  
  ルッツの町は平穏だった。奇跡的とも言える平穏。地球のそこら中でレジスタンスが生まれては抹殺されていく中で、オーストラリア大陸のこのあたりだけが平穏を保っている。町が小さすぎて暴動の拠点になりえない。さらに山賊の棲み家であって、襲う者たちが処理されていく。理由はどうあれLOWERどもを減らしておきたいとする地球政府の思惑と合致した。それだけの幸運だった。
  その歳の夏は暑すぎず過ごしやすい夏となる。温暖化を食い止める施策が功を奏し、平均気温が下がったことでわずかではあったが海面も下降をはじめ、このままなら百年先には地球は元通りになっている。しかしもはやかつての平和な星には戻れない。地球上のいたるところに死体が転がるありさまでは。

  治安維持部隊のヒューゴは六十歳を超えていて、いまではこの地区を統括する立場。治安維持部隊は正規軍配下の組織であって警察と軍の間のような存在。そう度々訪れるものでもなかったし、ヒューゴが前線を離れてから数年ぶりの来訪だった。相変わらずの装甲ジープ。しかし当時のような制服ではなく、ジーンズにジャケットというラフなスタイル。いっとき肥えたヒューゴだったが加齢でむしろ痩せていた。
 「いくつになった?」
 「もう四十二よ、早いものだわ」
 「若い連中も増えてるようだが」
 「増えてるね。人買いどもから女をさらい、噂を聞いた若者が仲間になりたくてやってくる。だけど総勢三十ほど。来ては去るの繰り返し」
 「それでいいのさ、賢いぜ。まとまり過ぎると目にとまる。そうやってレジスタンスになっていく」
 「私たちには無関係だわ。私たちは山賊のまま」
  鉄箱が載った装甲ジープには旧式の武器が山積みされて、めっきり老いたヒューゴは帰っていった。これで最後。留美はそう感じて見送った。

  マリンバも五十七歳。ステンレスの首輪から自由に外せる犬の首輪に変わっていたが、マリンバ自身が首輪をしたがり、つまりは性奴隷でいたいという意思表示。ボディラインが崩れてくれば捨てられると思うのか、マリンバなりに奴隷のプロポーションを保とうとしている。
  皆が集まる円卓にも座りきれない数となってテーブルがさらに増やされ、広かった部屋も手狭になった。
 「今日はマリンバの誕生日。マリンバとなって十六年、十六歳の誕生日を祝ってやりましょう」
  天井のウインチで吊られたマリンバの裸身を皆で見つめ、いまはもう傷さえ消えた白い女体を鑑賞する。スキンヘッド。陰毛さえない奴隷の姿。しかしマリンバは輝いていると皆は感じた。
  マリンバを除いて総勢三十。まず最初に留美が立って黒い乗馬鞭を尻に入れた。パシィーッといい音がして、爪先立ちに吊られた奴隷が身をよじる。
 「痛いわね」
 「いいえボス、感じます、ありがとうございます」
  大きな乳房がさすがに垂れてたわんで揺れる。
  一人一打。二十打をすぎる頃にはマリンバは泣いてしまい、白かった裸身にくっきり痕が点在する。巨体のバート。バートももう四十五歳。それでも野獣であることに違いはなかった。髭と髪の毛の区別がつかない。バートは乗馬鞭を横振りにして、責められ続けて肥大した左右の乳首を狙い打つ。
 「ほうらいい、気持ちいいなマリンバ?」
 「むぅぅ、むぅぅ! はい感じますバート様」
  泣いて訴える奴隷が可愛い。バートは鞭を次の者に手渡すと、隆起するTシャツの胸に抱いてやってキスをする。
 「祝いは俺の部屋でたっぷりと。ふふふ」
 「はい、嬉しいです、あぁぁ感じる、イキそう」
  鞭でイケるマゾ牝。責めは愛撫。幸せな人生なんだろうと留美は思う。

  円卓のある広間の窓に三日月の月が浮いていた。マリンバを抱いてやり、尻をちょっと叩いて離れたバート。バートは窓辺に立って言った。
 「二十万人だとよ、いまだに信じらんねえぜ」
  留美はデトレフの姿を思い浮かべた。まだまだ若かったデトレフも六十歳を過ぎている。若かった私が四十を過ぎてしまったように。
  人生は短い。衰えていくマリンバを見ていてもそれは感じる。許された生存。謳歌して生きてやると思うと同時に、地球とは素晴らしい星だったとあらためて感じていた。
  吊りから許され、円卓の足下でしゃくりあげて泣くマリンバ。奥のキッチンからミーアが大きなケーキを運んでくる。マルグリットとコネッサでこしられた特製の丸いケーキ。蝋燭が十六本立てられた。
  マルグリットが笑って言った。
 「いいわねマリンバは。十六歳の女の子。さあマリンバ」
 「はい。私のために誕生日なんて」
  責めに泣いた眸に、嬉しくて流れる涙が重なった。ローソクの火を消してナイフを入れて、最初の一口をフォークで食べる。震えて泣くマリンバに皆の想いはやさしかった。

  増設されたムーンカフェは二百名規模の広さがあって、もはやジョゼットとターニャの二人が揃っても回せない。ジョゼットと同年代となった女たち数人で回しながら、飲み物程度はセルフ。人員が増えて交代制でフル稼働できるようになったとき、ひっそり話そうとすればムーンアイしか場所がなかった。
  ジョゼットが言った。
 「私たちはもう地球人じゃない。それがすべてよデトレフ」
  もはや懐かしくさえある四人だけの空間。そこへあえてダフネを加え、隠すものはないと見せつける。
  ジョゼットは言う。
 「ダフネが工作員だったとしても、そんなことはいいのよ。どれほどスパイがいたって、それもまたどうでもいい。分け合ってやっていかないと、この先まだ四十年あるんだもん」
  ダフネはちょっと眉を上げただけで応じない。見透かされていて認めないというスタンスが月の規律をつくっていくとダフネは確信しているようだ。
  しかしそこで問題なのは、それをいつまでも隠しておけないということだった。ほどなく知られ、そのとき月の皆はどう行動するのだろう。
  そしてどうすればデトレフに負担をかけずにおさめられるか。負担とはすなわち処刑。そんなことになってしまえばますます皆がおかしくなる。
 「公表するつもりよ。何人に対して私は何をしたのか。暗黙の了解では私の気持ちがおさまらない」
  物静かな早苗の声にダフネはうなずくと、ガラスエリアの同じ位置に青く輝く地球を見上げて、祈るように眸を閉じた。

  MC1-L18、早苗の部屋。訪ねてきたのはダフネ。そのとき早苗はダフネの女心を察していた。
  ダフネは言う。
 「そのとき乗り込む四百万の女たちはどうするかって考えるんです。地球の意思は男性本位で決まるもの。論理的かつ合理的。でもそのとききっとムーンシップでは女権社会となっている。科学に基づき男女を見事に産み分けて、当初こそ凍結精子でも、女は恋をし予定にない妊娠を望むようになる」
 「男たちはそのためのペットよね?」
 「おそらくそうなる。可愛がって飼っていく。老いたからという理由だけで女は男たちを手放せない。新しい文明が育っていく。ものの見事にひん曲がった、けれども人間の本質に回帰するような文明が」
 「それは私たちもそうなるだろうって話してる。男たちは女の価値を痛感し、やさしくなって平伏すようになるだろうって。ジャワ原人の昔、牡は牝に従えられて生きていた。きっとそう」
  うんうんと眉を上げながらうなずいてダフネは言った。
 「私はおっしゃる通りの存在です。そのために行けと命令されたとき、私が断れば誰かが背負わなければならなくなると考えて、いずれ私も同じように処理されると考えて、いっそ死にたい、私の命と引き替えに月の皆が守られるならそれでもいいと言い聞かせ」
 「もういい、やめよう。だけど辛いわ」
  ベッドに並んで腰掛けて、自分よりずっと小柄な早苗の肩をそっと抱き、そのとき早苗がふと見ると、ダフネの青い眸に涙が浮いて揺れていた。

 「抱いて早苗」
  ダフネが静かに倒れていって、早苗がそれにかぶさって、二人の裸身が絡み合う。

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 存続の掟(二八話)


  月面都市に、やがては冷酷で非人間的なルールができていくことは避けられない。いまはまだ地球からの補給もあって維持できているものも、ムーンシップが旅立ち補給が断たれると、より厳格なルールを適用しなければならなくなる。
  食料そのほか生命維持に欠かせないもののすべてに限りがあり、無駄が一切許されない。五百万人を乗せて旅立つムーンシップには、ほどなく無数の子孫が誕生し、新しい命を生かす一方で処理しなければならない者たちが生まれてくるだろう。
  都市を拡張しながら旅をするとしても、老いて働けなくなった者たちをどうするか。閉鎖的な環境の中で精神に異常をきたす者、犯罪者をどうするか。蛋白源の確保は食用ミミズや昆虫、せいぜい小動物に頼らざるを得なくなり、そこが不足すると健全な肉体の育成に支障をきたす。
  歳月は思うよりも早く、いま月にいる者たちだけでも、すでに現場作業が辛くなった熟年者が増えてきている。事故があって怪我でもすれば、ただ衣食住を浪費するだけの不要な存在と成り下がる。
  これからの命のために不要を間引く作業がいる。
  さらにそうした者たちは栄養源として再利用されていく。
  地球上ではあり得ない蛮行におよぶ日が近づいてきているのだ。

  生殖実験の副産物とも言える胎盤を栄養素として利用する試みは成功している。いまのところは栄養剤という形に生まれ変わるが、やがて、都市に不要となった人体が食肉となることは避けられない。ムーンシップがいかに整備されようと大型の家畜は存在しないし、太陽の恵みすらも失ってしまう。人類は宇宙空間の遭難者となる。そうした意味でも人類が営々と築き上げた文明は決定的な転換点を迎えることになるだろう。
  イゾルデは言った。
 「暗黙のうちに理解していて、だけど誰もそれを言わない。人生に有効期限をつくること。個人差を認めてしまうと不公平の元になり、そうなると暴動が起きることも考えられる。いったい何歳で不要とするのか。それを誰が決めて、どうやって実行するのか。想像するだけで悪寒がするわ」
  月の保育所が完成した。とりあえずはかつて月面地下に埋められた大型輸送船を改造したもの。ホスピタルモジュールのそばに新しい建物が完成すれば保育所も移転する予定であった。
  二十床のベビーベッドで愛らしく元気に育つ子供たちを見渡しながら、イゾルデは心の闇につつまれていた。

  ともに見守る早苗が言った。
 「この子らへの責任を誰がとるのか」
  イゾルデが言う。
 「それは母となる女たちへの責任もね。一人の女性に何人子を産ませ、母としてリタイアした後どうするか。産まれた子らに、いくつになって次の生殖を課していくのか。凍結精子というマストがあるなら、男たち、産まれた男の子の性処理をどうするのか。次世代また次世代同士の交配は、いつかミュータントを生むでしょう。原種の人類を保っていかないとムーンシップの意味がなくなる」
  早苗がため息混じりに言う。
 「そうなるとクローンよね」
 「そういうこと。だからこんな旅には意味がない。ムーンシップに地球の神を乗せられるなら話は別ですけれど」
 「産まれた女子に、次はいつ?」
 「初潮があって安定する歳。十四か十五。男性という意味でバージンのまま精子を植えていくことになる。その次もその次も、それはムーンシップが旅立った後も永久にそれが続くの」
  そしてイゾルデは、産まれた我が子に母乳を与えるグループの一組の母子を見つめた。
 「授乳さえも実験なのよ。母乳で育つ子、ミルクで育つ子、そしてそれは母親のぬくもりを知って育つ子、そうではない子、精神的な成長までも見極めていかなければならないわ。囚人だからという理由で生体実験が許されていいはずがない」

  地球上と何ら変わらない微笑ましい母子の姿を見つめながらイゾルデに笑顔はなかった。
  早苗は言う。
 「その時代の人生でなくてよかった。私たちには、せめて逃げ場があるけれど」
  イゾルデは苦笑した。
 「そう思うわ。もしも私がその時代の医師だったら、とても正常ではいられない。合理的即物的モラルの中で育ったとき人は無慈悲なものとなる」
  このイゾルデがもっとも悲劇的な使命を背負わされた女性かもしれないと早苗は思い、白衣の背をそっと撫でてやっていた。
  しかしイゾルデは、そんなやさしさを振り切るように早苗の手から逃れると、さらに言った。
 「悪魔の実験がはじまるわ。その指示はいずれ来る」
  人生を何歳でリタイアさせ、栄養源としてどう再利用していくのか。ムーンシップ旅立ちまでには答えを出しておかなければならなかった。
  イゾルデはさらに憂う。
 「間接利用もあるでしょうし」
  食用ワームや食用ウジ、昆虫や小動物の餌として、また野菜を育てるときの肥料としてという意味だ。暗黙のうちに理解はしても、それを言える者は少ないだろうと思われる。

 「警察ですか?」
 「我々の下部組織と思えばいいだろう。人員はますます増え、わずか百名の軍では統制できなくなってくる」
 「なるほど、それでスパイをおびき出す?」
 「それもある。募れば寄ってくるだろう。監視する権限を与え、その者たちを我々で監視する」
  軍船での会話であった。デトレフと部下たち。
  デトレフは言った。
 「閉鎖された世界の中の造反は壊滅を意味する。反動分子は処刑する。そのような者に与える資源はないからな」
  軍人と言えど人。部下たちも一様に嬉しそうにはしていない。
  居住モジュール一棟に千名。およそ八万人で八十棟。新設されるモジュールが次々にできていて、そのほかさらにムーンアイもあれば、原発そのほかいくつもの施設に分散している。かつて地下に埋めた輸送船のほとんどは倉庫として活用され、そこにも大量の食料、薬品、資材から下着までが保管される。
  百人足らずの軍では監視しきれない。デトレフは警察とも言える組織を立ち上げようとした。
 「まあそういうことだ。貼り紙でもつくっておけばいいだろう」
 「了解です、ではさっそく」
  軍船を出たデトレフは海老沢を探したが、遠い現場に出ているらしく見当たらない。早苗は保育所、ジョゼットだけがカフェにいた。いまムーンアイは昼の側で観測不能。こういうときジョゼットはターニャと二人でカフェで働く。

  ムーンカフェは非番の者たちで混んでいた。作業はもちろん交代制だ。カウンターを合わせて八十席程度。このカフェもさらなる増築が必要となるだろう。
 「さっきイゾルデがちょっと覗いて」
  と言いながらジョゼットは満席のカウンターを気にし、微妙な目配せでムーンアイへとデトレフを誘うのだった。ターニャが残ってカフェをみる。
  月面望遠鏡のコントロールルームは、部分的なブロンズガラスから太陽光線を染み込ませ、明かりがなくても充分だった。大きなモニタの置かれるデスクとは別の白いテーブルに二人で向き合う。
 「可哀想にイゾルデ」
  その一言でおおよそがうかがえた。デトレフは眸でうなずき、ジョゼットの白い手をそっと握った。
  デトレフが言う。
 「そのうち指示があるだろう」
 「まだ来ない?」
 「いまのところはないね。しかし時間の問題さ。科学的正論ではあっても許せなくなる」
 「ムーンシップは悪魔の船になるって言って落ち込んでたわ、イゾルデ」
 「どだい無理な話だよ。年齢で線引きできないことがわかっていて、それでもルールをつくらなければならない。未来の軍はそれを強制し、反抗すればこれ幸いと葬っていく。ふざけるなと言ってやりたいが論理的はしかたがないこと」
 「それはそうでも私たちって何様なのよ。ご都合で妊娠させ、古くなったという理由で殺して食料? 畜生にも劣る行いだわ」
 「海老沢も言っていたが、俺もさすがに無理がきかなくなった。五年後十年後ならましてそうだ。食料の確保が急務。いつまでも補充に頼っていては地球の家畜に成り下がると海老沢が言っている」
 「わかるけど、それにはまだ時間がかかる。ライフラインの整備が先決」

  と、そのとき、思いのほか早く海老沢が戻り、ムーンアイへとやってくる。その面色を一目見て二人は眸を見合わせた。海老沢の瞳が輝いていたからだ。
  ジョゼットが言った。
 「どうしたの? 笑いを噛み殺してるみたいよ?」
 「大地にクラックが見つかった。いま地盤調査をさせている」
  デトレフも眸を丸くする。
 「大規模なものか?」
 「ああ、かなりなものでね、亀裂は地平線までのびている」
  月にも地震はあり、月震と言う。昼夜で二百八十度にもなる寒暖差と、地球の潮汐力との両方で大地が歪み地震を引き起こすもの。
  月は楕円を描いて地球の周りを周回している。地球に近いときでおよそ三十五万キロ、遠いときでおよそ四十万キロ。すなわち地球から受ける引力の差が生まれ、それだけ大地が歪むということ。大地が歪めば裂け目ができても不思議ではない。
  海老沢は言った。
 「問題はクラックの深さなんだが、地表のそれは少なく見積もっても径百キロはありそうだった。クラックが深部にまで届いているなら・・ふふふ」
  岩盤の亀裂にありったけの核兵器を埋め込んで爆破させれば、球体から岩盤を巨大なブロックとして引き剥がし、地球に落下させることができる。
  恐竜そのほか生命の大多数を絶滅に追いやった隕石の大きさは、それでも直径十キロ~十五キロほどのサイズであったと言われている。
  海老沢は言った。
 「径二十キロは欲しいところ。海面の上昇具合からしても、それだけあれば地球はおしまい。それより小さなものでも雨あられと落下すればそれでもいい」
  人類滅亡のプランが決まった。

  MC5-L9、イゾルデの部屋は静かな涙に満ちていた。
  控え目なノックがしたのは寝入る前の時刻のこと。戸口に立ったイゾルデは淡いピンクの紙の下着。
 「はい?」
 「デトレフです、いいですか?」
 「あ、はい、しばらくお待ちを」
  月面に送られて一年半が過ぎていて、その間イゾルデは軍部の誰とも関係を持っていなかった。イゾルデにとって軍は恐怖。地球上で暴虐の限りをつくす軍政の怖さを知っていたからだ。ましてデトレフは月面軍の司令官。歳も離れている。
  イゾルデはシルバーメタリックのスペーススーツを着直して、寝乱れたベッドを折りたたみ、それからドアロックを解除した。
  デトレフは大きく逞しい。スペーススーツの胸板が恐ろしいほど。どきどきしていた。しかしデトレフは一目で泣き顔を見破って、やさしく微笑む。
  イゾルデは言った。
 「地球から指示でもありました?」
 「いや、そうじゃなく。それはまだない」
  ほっとする素振りでイゾルデの重圧がうかがえる。
 「男としてやってきた、それだけさ」
 「ぁ、はい」
  そうではあるまい。デトレフと早苗やジョゼットの仲は聞かされていたし、気づかってくれているのはわかっている。
  そしてまた今夜のデトレフにとって、この女がスパイであるのかどうなのか、そんなこともどうでもよかった。
 「子供たちに罪はない。母親たちにも罪はない。そしてイゾルデ」
 「はい?」
 「君にも罪はないんだよ。もっとも苦しい任務を志願した君を尊敬する」

  デトレフの眸を見つめるイゾルデの瞳が見る間に水没して涙に揺れる。そっと開かれた強い腕の引力にイゾルデは引きつけられて胸に飛び込み、精悍な顔を見つめて濡れる瞼をそっと閉じた。
  見え透いた言葉のないやさしいキス。深くなって舌がからみ、イゾルデは全身の力が抜けていくのを感じていた。
  イゾルデは脱がされるまま。デトレフもされるがまま。やさしく裸身が重なって静かにつながるセックス。イゾルデは溶けるように眠っていった。月へ送られてはじめて穏やかな気持ちで眠りにつけたイゾルデだった。

  翌日の昼過ぎになり、さっそく募集定員いっぱいの五十名がムーンカフェに集められた。男が三十九名、女が十一名。デトレフ以下五名の兵員たちと向き合った。
  デトレフが言う。
 「警察というより監視のためと理解してほしい。軍の下でということでなく人員すべてのガードマンとして見つめてくれたまえ。行動は二人一組。武器など不要としたいのだが警棒程度は必要となるかも知れない。何かあれば軍の誰かに真実を報告する。軍船への立ち入りも必要ならば許可するが、辛い立場になることもあると理解しておいてほしい。反動分子を生かしておく余裕は月にはない。そういう意味でなら警察よりも軍に近い存在だ」
  志願した者たちは、上は四十代から下は二十代の半ばまで。それぞれが真剣な面色で聞いている。
  若い女の一人が問うた。
 「質問はよろしいですか?」
 「うむ、何だね?」
 「もしも現場で何かがあって報告する余裕のないときはどうすればよろしいのでしょう? たとえば不審なシーンを目撃したとか?」
  デトレフはその若い女にちょっとうなずき、志願者全員を見渡した。
 「この計画の意味を考えて行動することだ。ムーシップ完成のため、そして旅立つときのため。取り除くべき者はいたしかたない。その場で取り押さえ、事後こちらで調査する。我々は人類の未来のために生きていると心に刻んで行動すればいいだろう」
  この中にスパイが紛れ込んでいる。月に送られて間のない者たちの中にいるとは言い切れない。すでに潜り込んでいる者もいるとみなければならなかった。それもこれもを含んだ上で、あえてデトレフは放任しようと考えた。
  腰に巻くベルトと電気ショックを与える警棒が支給されて散開した。

  その頃また海老沢は各セクションのリーダーたちに指示を出す。
 「言うまでもなく月でのライフラインとは命綱そのもの。居住モジュールに優先してそちらをさらに拡充したい。月で働く皆に安息をもたらす基本となる食料生産関連、オフタイムを過ごせる施設はムーンカフェの拡張からはじめたいし、子供らの保育所そのほかホスピタルモジュールの付帯施設も早急に整備したい。いま月にいる者たちが不幸では話にならない。地球のそれのように月には月で完結する人間らしい環境がいるからね」
  ハードを受け持つセクションからの質問。
 「製鉄それに樹脂生産、ムーンカーゴの増産そのほか、ハード部分も足りませんが?」
  海老沢は応じた。
 「居住モジュールも含め、それらと並行してということだが、いましばらくは人間周りの設備が優先さ。人員が疲弊しては結局のところ進まない」
  皆は一様にうなずいてそれぞれの持ち場へと散っていく。

  そのホスピタルモジュールで。
  早苗が受け持つ一般診療とイゾルデの産婦人科は基本的には別室であり、地下に埋められた輸送船を改造した新生児室とも言える区画は、その母親二十人の個室を含めてイゾルデが担当する区分に続くスペースだった。
  その接点となる部分に守衛室が設けられ、それまでは軍の管理下にあったのだが、今日から女性の警備員が二人常駐することとなっていた。女たちはどちらもが三十代のベテランで、早苗との付き合いも古く信頼できる相手。
  生殖実験に臨む母親たちは囚人であり、地球上でLOWER社会に落とされる者たちばかりが送られてきている。それぞれに与えられる個室も、部屋とは名ばかりの牢獄のようなもの。第一子を出産し体を休める時期のいまは、全裸に紙のネグリジェが与えられ、母乳で育てるグループでなくとも新生児室を覗けるようにされている。本来ならば施錠される牢獄なのだが、イゾルデがそれを解放した。
  月に送られた女たちのほとんどは地球の終焉を知らないまま連れて来られ、生体実験としての妊娠だと当初は思っていたのだが、それもイゾルデは隠さず真実を話し、納得させた上で精子を植えて妊娠させた。

  しかし、その先に問題があった。母乳で育てるグループとミルクで育てるグループに分けられたことで、論理的にどうであろうが納得できない母親たちが生まれてしまう。軍管轄であれば声も出せない。しかし警備役のしかも女性ということで不満が声となって出はじめる。
  回診に来たイゾルデは言う。
 「聞き役になってあげて。私だってそのつもりですけれど、実験の張本人ですから言いにくいはずよ」
  監視する二人も女性。イゾルデの苦悩も理解でき、しかし一方、母親たちの怒りもわかる。人類のための女神などという見え透いた慰めは通用しない。それが母の情というものだ。そのときも母乳を与えることを許されない一人の母親が看守二人を相手に話し込んでいた。険悪とは言えなかったが、二人が慰め、母親は憤懣やるかたないといった面色。
  担当医のイゾルデが回診でやってきた。悪魔の試験官のようでもあり、その母親はじろりと睨んで沈黙した。
 「回診の時間です、順に回りますからお部屋に戻っていなさい」
  ふんっ。声にせずとも、そんな気持ちは素振りに表れ、看守二人はイゾルデに向かって苦笑するしかなかった。

  ルーム1から順に回診。肉体の様子を観察し、次の妊娠のタイミングを見極めていくのだが、問題の女はルーム5。囚人ということで母親たちに名前はなく、マザー何号と呼ばれている。立場をわきまえさせておくためにも表向きはそれも必要。わかっていてもイゾルデは辛い。
  ルーム5のドアを開けると、跳ね上げ式のベッドを倒してマザー5号は座る。
 「次は母乳で育てる側よ。それだけは言っておきます。脱いで寝なさい」
 「私たちはモルモットじゃないんだよ」
 「いいえモルモットのようなもの。でも幸せ」
 「え?」
 「月にいる女のすべてに妊娠は許されない。私もそうだし、みんなもそう」
  不満はあっても5号はそれで口を閉ざし、全裸となって横たわる。ベッドのそばへ椅子を引いて、イゾルデは白人の白い肢体を見回した。母となる女たちは皆と同様にショートヘヤー。イゾルデは5号の髪をそっと撫でるが、5号はそっぽを向いて反抗的。
 「許してバーバラ、次にはきっと」
 「嘘じゃないね?」
 「ええ約束よ。やがてあなたのような母親が四百万人生まれることになる。愛もなく即物的に妊娠させられ、でも我が子は可愛い。それが女。あなたの気持ちはよくわかる。でもねバーバラ」
 「わかってる。逆らえないもん。地球にいたらもっとひどいことになる。それもわかってる。だけど先生、乳汁が垂れているのに捨てなければならない母の無念を考えて」

  イゾルデは、診察のためにひろげられた股間を覗き、穏やかに回復した女性器にちょっとキスをした。名はバーバラ。バーバラは驚いたように顔を上げ、そのとき涙を溜める女医の姿に癒やされた気分となれた。
 「泣いてくれるの?」
 「私だって女です。私はねバーバラ、二十人の母親たちとその子らを生涯かけて愛していくわ。だけどそれとこれとは次元が違う。反抗されると処刑しなければならなくなる。わかってバーバラ。私と一緒に家族として暮らしてほしいの」
 「家族? 囚人じゃなく?」
 「そんなふうには思っていません。月の皆は家族です。次にはきっと母乳で育てる幸せをあげるから」
  バーバラは涙ぐんでイゾルデの手を握った。まだ若い二十歳そこそこの母親。その人生に何があったのかイゾルデは知らなかったし、知りたいとも思わない。
  イゾルデが言った。
 「月そのものが牢獄なのよ。地球へ向かって飛び立てる船は軍船だけ。この意味わかるでしょ」
  バーバラは言った。
 「ほんとなのね、地球が終わるって?」
 「99%の確率だそうよ。中性子星の強大な引力で太陽系そのものが壊されてしまうんです。ねえバーバラ」

  言いながらイゾルデは、子を産んで張る乳房をそっと揉んでやる。色素の増えた乳首から白い乳汁がにじみ出す。
 「ムーンシップに四百万の女性を乗せるとして移送に何年かかると思う? 輸送船には物資もあるから一隻千人がリミットだわ。五隻ついなだとしても五千人」
 「十年とか?」
 「もっとかも知れないし、そのときになってみないとわからない。仮に十年として考えたって旅立ちのときに女たちのタイミングを合わせておきたい。この意味わかるかしら?」
 「いえ。どういうことですか?」
 「旅立ちのときに妊娠可能な初期の娘を揃えたい。旅立ちの十年前に十七歳では困るってことなのよ」
 「七つかそこら?」
 「そうなるでしょうね。まだ幼い娘らを十年後の妊娠に備えて積み込んでいく。旅立ち前の便ならば十七歳でもかまわない。それって牧場の発想よ。とても人間のやることとは思えない。まだあるわ。私はいま三十歳。旅立ちのときに老人は不要であり、それを地球へ送り返す無駄をしている余裕はない。あなたもそうだし、いま月にいる人々も皆そうだわ」
 「犠牲になる?」
 「だから私たちは月面人なの。荒廃する地球から離れていられる幸せを謳歌して死んでいきたい。いまちょっと考えてることがあるのよね」
 「それは?」
 「二人目の出産の後、期間を区切って避妊薬を与えるつもり。月に男は大勢いるわ。恋愛しましょ」

  バーバラは呆然として女医を見つめ、明るさの戻った眸で、やさしく乳房を揉んでくれる女医の手を笑って見ていた。

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ミュータント(二七話)


 「人類はいまとは違う姿になる。そんな気がしてならないの。目指す惑星がプロキシマBだとするなら地球よりもやや大きい。質量にもよるけれど重力も相応して大きいとみなければならないでしょう」
 「月を出られなくなるってことよね?」
 「おそらくそうなる。いまの科学力ではどうにもならない壁があるのよ」
  ホスピタルモジュール。
  生殖実験によって誕生した新生児たちをガラス越しに見守りながら、イゾルデと早苗、二人の女医は語り合っていたのだった。シルバーメタリックのスペーススーツに、それもまた紙でできた白衣の姿。
  イゾルデは言った。
 「いまはまだわからない。月面人とでも言うのなら、この子たちがその初代。この子たちが大きくなって二代三代とつなげていくうち環境の激変で遺伝子は変異するとみなければならないでしょうね。はるかな旅を成し遂げて、それでもし目指す惑星へ行けたとしても順応できるかどうなのか。この計画が無意味に終わる可能性もないとは言えない」
 「そうなると人は未来永劫、月の地底人ということも」
  早苗は、何も知らずにこれからの時代へ追いやられる新生児たちが哀れでならない。

  問題なのは重力だった。いま月面にいる人々は地球の重力のもとに生まれ、骨格も筋力も心肺能力も、身体機能のすべてが地球基準でできた生命体だ。
  それに対して月で生まれた新生児は、6分の1の重力しか知らず、肉体をつくる上でもっとも大切な誕生からの初期段階で体はそれに合わせてできていく。地球育ちの人間ならトレーニングで負荷をかけることはできるのだが、それを新生児に対してどうやって施していくのか。
  旅の目的地である惑星プロキシマBの重力は地球よりも大きいと思える。恒星プロキシマケンタウリのハビタブルゾーンに月を導くまではよくても、結局のところ月を出られず生きていかなければならなくなる。
 「次世代また次世代とつないでいくうちミュータント(変異体)が生まれる可能性が否定できない。光の速度で四年として、はるかに遅いムーンシップなら幾世代? あのエイリアンのような姿になってしまうかも知れないのよ。そこで私はこう考えた」
 「クローン?」
 「そうです。ムーンシップで生殖を重ねた人々とは別に、いまいる人類の遺伝子を持つ細胞を保存しておく。目指す惑星に着いたら、まず人類のコピーを放って、ムーンシップにいる新人類とは別にクローン同士で繁殖させる」
  ガラス越しに小さな手足をバタつかせて笑う子供たちを見つめるイゾルデの眸が、いまにも涙をこぼしそうだと早苗は感じた。

  イゾルデは言う。
 「凍結精子で生まれた子供が二十名、染色体検査で割り振って女の子は十五名、男の子が五名。女の子が生殖可能となったとき私は二つの実験をしなければならなくなるわ」
  いわば第二世代の女性に対して原代とも言える凍結精子で妊娠させるグループと、第二世代同士の男女の交配で妊娠させるグループである。そのために男の子が五人できるように計画した生殖。第三世代が誕生すれば同じことを繰り返す。
  早苗もまた女医であり学問優先の学者ではない。早苗は言った。
 「生命に対する冒涜だわ」
 「地球ではそうは思っていないのよ。知性こそ神だと錯覚してるし、その手先の私は悪魔に従う魔女でしかない」
  早苗はイゾルデの白衣の背をそっと押して新生児室から遠ざけた。ガラスの向こうでは、女たちの中から選ばれた若い二人が白衣を着た姿で子供たちの世話にあたる。二人の面色は母性に満ち、しかし一方、子供を産んだ母親たちは囚人として次の妊娠を義務づけられ、休息していなければならなかった。

  MC5-L9、イゾルデの部屋。
  ホスピタルモジュールで白衣を脱いで、早苗は部屋の前までともに歩き、ドアを開けたイゾルデの背をそっと押した。しかしイゾルデは早苗に背を向けたまま動かず、そして言った。
 「志願なんてしなけりゃよかった。五十年先のことなんて私には無関係だったのに」
  振り向いたイゾルデは大粒の涙を流して泣いていた。すがるように早苗に向かって歩み、早苗はそれを受け止めた。
 「助けて早苗、おかしくなりそう。私はもう人間じゃない、助けて、苦しいの」
 「・・イゾルデ」
 「可哀想で見ていられない、母親も産まれた子らも見ていられない。診察台で私と同じ性器を見つめ、実験台だと即物的に割り切れる私が許せない。私はもう医師じゃない」
  泣き崩れるイゾルデだった。地球人への怒りより、苦しみもがく一人の女が哀れでならない。
  戸口の開口。通路に向かって泣き崩れるイゾルデの体を押し込み、ドアを閉めて抱いてやる。月の皆は見た目に平然としていても精神的は限界ぎりぎり。それをケアする立場の医師が泣く姿を見られたくはなかった。
  早苗の胸で慟哭。早苗の胸中に叫びを吐き捨てるような慟哭だった。
  そしてそんなイゾルデに対し、もしやスパイではと考えてしまう自分が哀しい早苗でもあった。

  ノックした。MC1-L1、ジョゼットの部屋。こんなことの言える相手はジョゼットしかいなかった。
  時刻が遅く、今夜のジョゼットは一人で寝ていた。
 「どうしたの?」
 「イゾルデと一緒だった。めちゃめちゃにしてやったわ」
 「え? めちゃめちゃ?」
 「ビアンよ。気絶するまでイカせやった。ねえ、今夜いい?」
 「いいわよ」
  早苗は淡いピンクの紙のパンティだけの姿になると、ぬくもりを満たしたジョゼットのそばへと身を横たえる。
 「疲れたわ、抱いて」
 「ねえ、どうしたの?」
  早苗は一部始終を話して聞かせた。
  ジョゼットは言った。
 「入れ違いなのよ早苗と」
 「海老沢さん?」
 「そうそう。ちょっと前に帰って行った。独りで考えたいって。ムーンカーゴでデトレフと話したらしい。戦略核クラスの水爆が三発隠してあるでしょ」
 「うん?」
 「それだけあれば月の引力と相殺しても直径数キロの岩盤を落とすことができるだろうって」
 「地球に?」
 「廃棄された核を待たなくてもそれだけあれば地球を壊滅させられないかってことなのよ。彼も言ってた。これ以上生命を冒涜したくない、生殖実験なんて悪魔の所業だって。産まれた子らを見ていられない。もう地球が許せないって」
 「決行するって?」
 「いいえ、決定打とするなら核が足りないそうよ。直径十数キロの岩盤が必要だって結論になったらしい。水爆ミサイルを南極に落として氷を解かし一気に水没って方法もあるけれど、それだと迎撃されてしまうだろうって。軍船で攻めても勝ち目はないって」
 「そっか。この先まだ二十年こんなことが続くのね」
 「デトレフが地団駄踏んでいたそうよ。誰だって許せないよ、苦しいのはイゾルデだけじゃない。みんなだって、モルモットじゃないんだぞって怒ってる」
  それはそれとして早苗は言った。
 「イゾルデが危ういわ。揺れちゃってる」
  ジョゼットはうなずくと、疲れ切った早苗を抱いてやる。母の乳房に戻れたように早苗はそれきり動かず眠りについた。

  海老沢は言った。
 「クローンね」
 「そうしないと、いずれミュータントが生まれるだろうって。宇宙の中で遺伝子変異は避けられないってイゾルデは考えてる」
 「そういうこともあるだろうな。俺たちだってもはや地球には戻れない。十年以上も過ぎてしまえば地球では立つことさえできなくなる」
  そのとき月面都市は昼の側に位置していて、月面輸送車ムーンカーゴに海老沢とジョゼットが乗っていた。現場視察というよりもドライブだった。
 「ムーンシップでの幾世代の間に科学はクローンを生み出すでしょう。新しい惑星に降り立って原種とも言える人類を再生するならそれ以外にないだろうって。凍結卵子と精子を試験管で合わせるという手はあっても肝心の母体が変異していては難しいらしいのよ」
 「当然だろうね。だいたい愛というプロセスが欠落した生殖には意味がない」
 「廃棄船は戻せない? 信号を送るとか?」
 「それをすると察知される。最初からそう考えてプログラム以外では動かせないよう設計した。いまの我々にできることはイゾルデ、それに実験台にされた女たちと子供たちをケアしてやる以外にないだろう。あの二十人こそ女神だよ。生まれた子らは天使。月は月の民のもの。最後の一瞬まで幸せに満ちた世界にしてやりたい」
  眸の潤む海老沢にジョゼットはそっと寄り添った。
  月面都市の整備はさらに進み、生存と、その後の発展に欠かせないすべてのものが形になりはじめている。しかしミュータントが生まれるなどとは思っていない。そう考えるとムーンシップ建造は無意味なものだが、いま月に生きる者たちにとって幸福の拡張であることに違いはなかった。
 「そうなると保育所がいるな。母子が顔を合わせていられるところを造らないと」

 「HIGHLY社会ではますます少子化。なりふりかまわず子供たちを集めていて、WORKERやLOWERからの提供に対する対価も上がっている」
  ジョエル。久びさのあの円卓を、留美そのほかと囲んでいた。ジョエルは全くの私服。あのときと同じような三日間の休暇で訪れている。
  円卓には留美、コネッサ、マルグリット、バート、そしてテーブル下に首輪だけの裸のマリンバがつながれている。ジョエルの椅子の間際に全裸のマリンバ。ジョエルはマリンバのスキンヘッドを撫でてやって微笑んでいる。
  バートが言った。
 「実質的に子らを買い取る。HIGHLYどものモラルとは何か」
  ジョエルは哀しげにうなずいた。
 「ここらの人買いとやってることは変わらない。HIGHLYの中にもレジスタンスはいないわけじゃなく、いっそ上をつぶしてしまえという動きもあるのだが波は小さい。人権保護団体などは粛清された。もはや悪魔。HIGHLYなど名ばかりさ」
  そう言いながら可愛がるようにマリンバの眸を見てやさしいジョエル。留美は言った。
 「よろしければ責めてやって。マリンバは嬉しいわ」
  ジョエルは微笑み、しかし首を横に振る。
 「月ではさらに悪魔の所業」
  生殖実験のその後を告げると、皆は声さえなくしてしまう。
  ジョエルは言った。
 「保育所から整備すると言っていた。二十人の母こそ女神、子らは天使。月に送られたことを幸福としてやりたいと言ってね」
  留美は言う。
 「許せないでしょうね地球人が」
 「向こうは月面人。生きるのは地球のためじゃない。新しい文化をつくっていく。ただしかし補給なしでやっていけるほどできあがってはいないのでね」

 「まあ、そう言うな、所詮は囚人。君たちだってそうだ、補給なしにやっていけるほどでもあるまいに。我らの意思に従っていればいいのだよ」
 「それは当然です、私は軍人、月は地球の従者ですので。しかしそれとこれは少し話が違います。あまり非情に扱うと同情は規律を乱す元ともなるもの」
 「わかっておる。その上で、生殖実験は欠かせない犠牲だよ、ふっふっふ」
  犠牲と言い捨てて笑える奴ら。デトレフは怒りに震えながら交信していた。地球にいてぬくぬく暮らす軍上層部との無線。国連支配とは言え、国が崩壊したいま国連も何もなく、つまりは緊急事態を名目とする軍政下にあると言ってもよかっただろう。
 「まあよい、保育所そのほか教育施設もやがては必要。テストケースとしてやってみたまえ。ダメなら捨てろ、囚人の娘などいくらでもおるからな。君は規律を守らせることが任務。蟻の一穴とも言う。不穏は葬れ」
 「了解しました。いまのところは平穏ですのでご心配なく。都市の建造も順調ですし」
 「そうか、ならばよい。ときにレーザー砲はできたと思うが?」
 「二門が完成。小隕石でもあればと思っていますが、そちらもいまのところ平穏なもので」
 「そうか。発射実験はしておくべきだが、ゆめゆめ地球へ向けようなどと思わないことだな、はっはっは。ではまた」
 「了解しました、これで無線を終わります」
  軍船の司令室。スピーカーから流れる会話を部下の何人もが聞いていた。
  無線を終えたデトレフは沈黙して声を発しない。発しなくとも上司の怒りは見透かせるし、相手が牽制していることもうかがえる。レーザー砲が怖いのだ。

  今回ジョエルが訪ねて来たのは夕食時を過ぎた頃。それから円卓。話すうち、そろそろ落ち着いて体を休めたい時刻になる。
  留美は言った。
 「お休みになりますか? それとも誰かお好みは?」
  最初のときは軍服でデトレフと一緒。二度目は留美と過ごしたジョエル。
  その二度目のときからコネッサが気にしていることを見過ごす留美ではなかった。ジョエルはまさに人種が違い、精悍そのもの。それで留美はあえてそう問うたのだ。ここでは男女を独占しない。ボスの問いにコネッサはちょっと横を向く。黒人で身分の低い私を選ぶはずがない。同じ黒人のバートも、さて誰を選ぶのかと注目している。
  ジョエルが言った。
 「ベッドに来てくれると嬉しいのですが」
  まっすぐコネッサを見つめるジョエル。これには留美もバートも眉を上げて互いを見た。コネッサは留美の一つ歳上で三十三歳。ジョエルに対し、ルッツの兄に気に入られた留美を目当てに来ていると考えていたのだが。
  コネッサは挑戦的な眼光の黒豹のような女。
 「はあ? あたし?」
  と、とっさに言ったコネッサが戸惑っている。ジョエルは微笑んでうなずいた。
 「はい。じゃあ私のお部屋へ。散らかってますけれど」
  とたんに態度が変わって言葉までが女らしくなっている。
  手を取って歩み去る二人を見送ってバートは笑った。
 「HIGHLY扱いされたくないのとボスの立場を考えたとの両方さ。気に入ったぜ、あの野郎」

  コネッサの部屋は町外れにもともとあった家の隣にできた家の奥の間。円卓のある新しい家の隣であり、外廊下でつながっている。
  充分広い部屋に導き、コネッサは燃える想いに戸惑っていた。HIGHLYの中の、それもエリート。ドキドキしてたまらない。
  黒いブリーフだけとなったジョエルは白い彫像。そのとき、そうなるとは思っていないコネッサはベージュのつまらない下着でいた。脱いでしまったほうがましというもの。全身黒豹となったコネッサは頬が燃えてたまらない。大きなベッドの隣へそっと忍び込み、手がのびて触れられるとぴくりと震えた。
 「ねえ、どうして私なの?」
  ジョエルはちょっと首を傾げて微笑むと、眸を見つめて唇を重ねていく。やさしい抱擁。反応する男性器を肌に感じ、コネッサはそっと手にくるんでみる。
 「あぁ熱い」
  ジョエルは笑い、無駄口を言わせぬようにコネッサの唇を唇で塞いでいく。
  舌のからむ深いキス。小ぶりで張りのある乳房をくるまれ、キスが這って首筋をなぞり、唇は硬く締まる乳首をとらえ、そのとき片手が降りて開かれた腿の底へと差し込まれる。

  愛撫はそれだけではすまなかった。唇が肌を這いつつ片手で乳房を揉まれ、降りていく体に応じて腿を撫でられ、しなる女体が開かれて、ジョエルのキスが濡れる性器にたどり着き、クリトリスを舐められ吸われ、黒いバラのようなラビアを舌先で割られて膣へと届く。
 「あぅン、あぁジョエル素敵、感じちゃう。ねえ感じるの、ぁぁーっ」
  信じられない。やさしい愛撫と、そして・・。
 「あぅ! ジョエルジョエル、あっあっ!」
  逞しく燃える硬いジョエルがぬむぬむと押し入り、コネッサはデルタを突き上げてより深い侵入を求めていた。それだけでも意識がかすれる。歓喜する性器。愛液があふれ、ジュクジュク音を立ててペニスを迎え、コネッサは錯乱した。
  シーツをわしづかみ、どうしようもなくなってジョエルの背を抱き締めて、どうしようもなくなって尻をベッドに叩きつけ、どうしようもなくなって甘泣きするようなイキ声を発散させる。
 「嬉しいジョエル、あぁイクぅ、ねえねえ、あたしイクーっ!」
 「コネッサ、抱きやすいいい体、抱きやすい可愛い心」
 「うそ? ねえ、ほんと? 嬉しい、きゃぁーっイクぅーっ!」
  こんな気持ちになれたことがどれほどあったか。コネッサは瞼の裏に彗星が飛び交うような夢の空へと舞い上がる。意識が白くなっていく。あぅあぅと口がパクつき声にならず、息が吸えても吐けなくなって、全身にオイルのようなイキ汗が噴き出して、ジョエルの体を乳房で持ち上げ、ガタガタ震えた一瞬後に、薄闇の部屋を見渡す肉眼の明かりが失せて暗くなる。

  どれほどかの失神。おそらく数秒。気づいてそのときコネッサは、もがくように抱擁を引き剥がすと、萎えきっていなかった白いペニスにむしゃぶりついた。
  狂ったように舐め回し、太い亀頭を喉の奥へとねじ込んで、吐き気の涙と悦びの涙を置き換えようと試みる。女心が震えている。どうにでもして。素敵なペニスを食いちぎって食べてしまいたい。錯乱していた。こんなセックスをはじめて知った想いがする。
  のたうっているうちにジョエルをまたいだシックスナイン。アソコはもう汚れてしまった。ジョエルに失礼。逃がそうとするのだが、ものすごい力で腰を抱かれて引き戻されて、精液の流れ出る性器に舌をのばされ、唇をかぶせられ、コネッサは今度こそ天空へと舞い上がる。
  背を反らして超常的なアクメを一度吼えて訴えて、思考回路が遮断されてブラックアウト。二度目の射精を喉の奥に受け止めながらコネッサは気を失った。

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 苦悩する四人(二六話)


 「しかし、いったい誰が、何を探らせるのか」
  誰にとはなく言った海老沢の言葉に、確かにそうだと皆は思う。スパイを送り込んで探らせたとして、それをどうやって地球へ伝えるのか。いまのところ無線は軍船にしかなく、地球へ向かって飛び立てる船は軍船のみ。往路だけで復路のない月では逃げ道さえなく詳細を報告する手段がないからだ。
 「あるいはアジ(=扇動)ということも」
  早苗が言った。
  何らかの指示を受け、状況を見て皆を扇動してとも考えられるのだったが、いまそんなことをしてしまえば月面都市の完成が遅れるだけで意味があるとも思えない。
 「核の起爆部が行方不明。それとレーザー砲の完成が気にかかるといったところか」
  このときまでのデトレフは、おそらくそこだと考えていた。核兵器を廃棄したとき起爆装置の行方が定かでないこと。二門ある高エネルギーレーザー砲は地球を攻撃する決定的な武器になる。レーザー砲はピンポイントでターゲットを狙える精度を誇る。
 「それらの監視あるいは無力化ということも。地球への報告など信号弾でもあれば事足りる。望遠鏡で月面は監視できるからね。報告の手段はあるということさ」
 「正体が知れたとして扱いが難しい」
  海老沢が言ってデトレフはうなずいた。処理してしまえば反目の意思ありと受け止められ、そうなると軍が送り込まれることになる。
 「まあ勝てるがね。いずれにしろ月が命運を握っている」
  デトレフの微妙な笑みに、三人はかすかな怖さを感じていた。デトレフは軍人なのである。
 「アジであれば素行不良で処刑する。それだけだ」

  早苗が言った。
 「復路がないことを承知で送り込むからにはスパンは長いと思わなければ。日本の忍者には『草』という者たちがいて、敵地の人間として何食わぬ顔で暮らしているの。やがて来る仲間たちが揃うまでとも言えるもの。スパイというより工作員と言ったほうがいいでしょうね。あるいはすでに・・」
  あるいはすでにと考えておくべきだろう。皆が眸を合わせてちょっとうつむく。月面には七万人を超える人員がいて、すでに潜り込まれているかも知れない。TIMES UPを知っているのは、ここにいる四人だけ。これからは盗聴にも注意しなければならなかった。
 「フリーセックスが危ない」
  早苗が言った。ジョゼットを求めたクリフ、そして早苗を求めたターニャ。デトレフも海老沢も近づく女たちに注意しなければならなくなる。
 「考えたくはないけれど」
  ジョゼットもかすかな胸騒ぎを覚えていた。クリフもターニャも、どちらもM。君臨する側はつい気を許してしまうだろう。
  デトレフは言う。
 「監視するしかあるまい。信頼しきれる者は少ない。疑いだせばキリがない」
  海老沢は、ジョゼットそれに早苗の肩をちょっと叩いて、デトレフに言った。
 「それだけでも送り込む価値があるということさ。しかしデトレフ」
 「うむ?」
 「敵の本意がどこにあるかだ。完成した月面都市を明け渡す確約があるのなら、あえて引っかき回すこともないからな。俺は地球の意思をずっと考えているんだが、ムーンシップに乗り込む者と、それを造る者たちは別。この先まだ四十年ある。若いスタッフも年寄りということさ」
  早苗が言った。
 「不要となった者たちを帰還させる意味がない?」
 「そういことだ」
  海老沢は見通していた。居住モジュールと水や食料を生産する工場が整備されれば人員は数十万人規模になり、人員にとって月が墓場となるということだ。

 「そのときのためということもあるわよ」
  ジョゼットの言葉にデトレフは直感した。水を汚染させるわけにはいかない。とすれば残るは・・。
 「エアーか?」
  スパイもまたムーンシップ完成のタイミングには老人ということになる。
 「なるほどね、そういうこともありそうだ」
  このときデトレフはTIMES UPの覚悟を決めたと言ってもよかっただろう。
  引き渡しのタイミングで反乱されてはすべてがオシャカ。月にいる大多数を葬って人員を一気に交換しようという企みなのか。またそれ以前のタイミングであっても加齢で能率が落ちてくるならまとめて葬ってしまいたい。
  居住モジュールのエアー循環は事故に備えてモジュールごとに分断できるよう設計される。毒ガスなり酸素の遮断なり、老いた先人たちだけを集めておいて抹殺できるということだ。
 「居住区を見直しましょう」
  早苗の提案。月面都市の建造がはじまって十一年。そのとき三十代で送られた者たちは四十代となっていて、居住区は先着順に割り振られていたからだ。
 「明日からさっそく引っ越しだ」
  デトレフは早苗と、海老沢はジョゼットと、それぞれムーンカフェを去っていた。

 「ターニャを捨てろって言うの? 可哀想よ」
  早苗の部屋で早苗は言った。

 「クリフを疑えって? いい子なのに」
  海老沢の部屋でジョゼットが言った。

 「持ち込める物は限られているが毒でも持ち込まれればおしまいだ」
  早苗の部屋でデトレフは言った。
 「全裸検査でもする? いまさら遅いわよ。すでに持ち込まれているということもあるでしょうし、そんなことをすれば怪しまれるだけだわ」
  もう考えたくない。早苗はデトレフの下着を剥ぎ取って萎えたペニスにむしゃぶりついていく。

 「いや疑うまでのことはしなくていい。態度を変えては怪しまれるし、企みを実行するにしても猶予はあるさ」
  海老沢の部屋で海老沢が言い、やりきれない想いに肩を落とすジョゼットを抱いてやる。
 「これで決まりだ、終わらせよう」
 「そうね、おしまいだわ。抱いて」
  今夜のジョゼットは脱がされる前にすべてを脱ぎ去り、男の海老沢を押し倒して裸身をぶつけていくのだった。

  超大型輸送船はすべてが埋められるわけではなかった。地中に埋められたのは四十番艦あたりまでで、それ以降の船はムーンアイを中心にひろげられていった地下都市を囲むように地上に整然と並べられている。
  作業現場での事故やふいに遅う隕石、太陽風など、警報が発せられたときに非難する場所がいることと、現場が遠ければ宿泊施設ともなり、さらに船体そのものが月へと送られた物資となるからだ。
  金属部分、電気部分、コードの切れ端からボルト一本まで、すべてが転用されるパーツとなる。汚物タンクに溜まった糞尿さえも回収して再利用されるもの。すべてが合理。月で生きるとはそういうことであり、したがって帰還できない船とされているのである。

  78番79番艦は月の軌道に入ると切り離されて、予定された位置へ導かれて着陸する。両艦ともに今回は人員優先であったが、月では調達できない食料そのほか、とりわけ水を生成する水素は大量に積んでいる。それらはその都度、着陸予定地まで整備される月面道路を通って運ばれるのだが、まずは人員が先。二千名の新たなスタッフは、作業員なら二十代前半、技師クラスでも三十そこそこと皆が若い。
  今回は男性千二百名、女性が八百名。人種で言うなら白人がおよそ七割、残りが有色人種という構成なのだが、もちろんすべてがHIGHLY。地球上でボディチェックをパスし手荷物検査されている。皆が溌剌とした若者ばかり。数名のスパイのために使命感に燃えてやってきた者たちを相手に全裸検査というわけにはいかなかった。受け入れゲートが設けられ、プラズマ小銃で武装した百名の兵士によって、身元の照合と、再度手荷物検査が行われ、役職別に振り分けられていく。

  それから数日のうちに、ホスピタルモジュールに女性ばかりが次々にやってくる。性を解放した女医としてSANAE YUKIMURAの名は知れ渡っている。避妊薬をもらうのだったが、やはり診察は必要で、そのために八百人のほとんどすべてが集まって来るのである。早苗一人ではとても足りない。もう一人の女医イゾルデはもとよ産婦人科医。問診のみで体は診ない。デスクを並べて二人がかりで問診するのだったが、それでも長打の列となる。
 「次の方どうぞ」
 「はい、よろしくお願いします」
  早苗の前に座ったのはすらりとした黒髪の女性。目鼻立ちのくっきりした顔立ち。一見して若い。髪はショート。洗髪のとき水を多く使えない。それで女性は皆がショートに切ってやってくる。
 「キッカ・アウレッタと申します、二十四歳です」
 「イタリア系?」
 「そうです」
  コンピュータで照合。地球上での検査データが即座に出てくる。
 「えーと、アレルギーはなし、持病そのほか疾患なし、いたって健康」
 「はい。それに間違いありません」
 「わかったわ、じゃあお薬を」
 「それであのう、先生は雪村さんですよね?」
 「そうよ、何か?」
 「お名前は存じております」
 「私は有名? 女性蔑視の医師として?」
  早苗は微笑む。ときどき嫌味を言っていく女がいる。私はそんな女じゃありませんと一言言わないと気が済まない。

  しかしキッカという娘はそうではなかった。
 「いえお訊きしたいことが。そのときの心構えというのか」
 「心構え? 何に対して?」
 「ですから男性とその・・そうなるときの」
 「なるほど、いい子のようね。では言います、月で女性は皆が女神よ」
 「まさにルナ?」
 「そういうことです。女はおよそ八千名、なのに男性は七万人を超えている」
 「あ、はい」
  戸惑うような童顔が愛らしい。
 「こういうことがありました。可愛い女性がいて素敵な男性がいた」
 「はい?」
 「誘われた女の子は今夜は焦らして明日の夜にと考えた。ところが翌日の作業の事故で彼が逝った。ちょっと宇宙服を破いただけよ。そのときの彼女の気持ちを考えなさい」
 「はい・・それは辛い」
 「ここは地球ではありません。ポーズなど無意味。私はそう考えて接しているわ」
 「相手かまわず?」
  これには早苗は笑った。
 「それはないでしょ、インスピレーションよ。そのときの心の動きに素直になる。想われて嬉しくない女はいない。生きているいまがすべてなんだもん」
 「わかりました。つまらない質問でした、すみません」
 「いいえ。戸惑って当然です。素敵なベッドを」
 「ぁ・・ふふふ、はい!」
  シルバーメタリックの綺麗なボディライン。ヒップが眩しい。やさしい娘。そう思うとTIMES UPに後ろ髪が引かれてしまう。

  月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルーム。明らかに疲労困憊といった様子で早苗が入って来る。そのときジョゼット一人がそこにいて大きなモニタを見つめていた。新設されたムーンアイは行き来がずいぶんしやすくなった。
  ジョゼットがちょっと笑う。
 「疲れたみたいね?」
 「くたくたよ。イゾルデと二人で二百人よ。それでも残り六百いるんだから」
 「女の子たちウキウキじゃない?」
 「まあね。眸の色が違ってる。若いわよ誰もかれも。羨ましいわ」
  地球を終わらせることになる中性子星がモニタの中で美しいパルサーを放っていた。
 「悪魔め」 とつぶやいた早苗。ジョゼットは笑ってモニタを消した。
 「ところで早苗、ターニャとは?」
 「あの子は可愛い。もしスパイだったとしても突き放したりできないもん」
 「そうよね、私もそうだわ、クリフはいい子よ。言いつけた禁欲に耐えていて、ピンピンの先っちょをちょっと叩いてやるだけで涙を溜める。もうダメ、抱き締めてやりたくなってたまらない。スパイでもいい。どうでもいいって思えてきちゃう」
 「だから迷うのよ。論理的に正しくても、次の世代、その次の世代にもターニャみたいな子は大勢いるわ」
 「苦しいのはデトレフでしょう?」
 「そう。彼は強いから何も言わないけど、鉄槌は彼の手に握られる。彼のためなら娼婦になれる。マゾだって何だっていい、彼のためなら」
 「愛してる?」
 「禁句でしょ、それ。運命はともにあるとしか言えないわ」

  ジョゼットは、コントロールルームにもあるドリンクを二つのグラスに分けて差し出しながら言うのだった。
 「連絡ないって地球から」
 「それはそうでしょう、やすやすバレちゃう者を送り込むはずがない」
 「とにかくまずは生命維持にかかわる部分を軍が監視。それしかないって言ってたから。引っ越しも間に合ってよかったし。それだけでもジョエルって部下のお手柄だわ」
  輸送船が着くまでの数日の間に、居住モジュールの部屋割りを大幅に改変していた。ベテランと若手が混在するモジュールでは手が出せない。
  ジョゼットが言った。
 「ついさっきカフェを覗いた。ターニャはもてもて。笑顔も素直になったと思うし、とてもスパイだなんて思えない。なんなら貸し出しましょうか?」
  唐突と言われた早苗は意味が解せない。
 「早苗こそS、だったらクリフは嬉しいでしょ」
 「確かめてみろって?」
 「ううん、そうじゃない。遊んでやって欲しいのよ。私じゃ女王になれないもん」
 「いいわ、見透かせるとは思えないけど」
  そんなことを言いながら早苗は哀しげに笑って首を振る。ピュアに接することができなくなった。
 「地球の奴らが許せなくなる。獅子身中に虫を送るな馬鹿野郎。それにしても最先端にいて、医師の私がなぜどうして女王なの?」
 「ふっふっふ、それを言うなら私だって。笑っちゃう。地球上ならご立派な淫乱だもん」

  それからほどなく、早苗の部屋。消えそうなノックがした。居住モジュールの戸口にチャイムはない。四畳半相当の狭い部屋であることと、電力節約のため、むしろ先祖返りしたアナログルーム。
  ドアを開けてやると、若く逞しい白人男性。クリフがちょっと震えるように立っている。貸し出しを言い渡されてやってきた。すがるような透き通った眸が素敵だと早苗は感じた。
 「お入り」
 「はい早苗様、どうかよろしくお願いいたします」
 「言いつけられてやってきた?」
 「はい。早苗様を失望させたら拷問ですよと言われており」
 「あらま拷問? どうやって?」
 「もう射精は許さないって」
 「なるほど、それは拷問だわ、ふふふ」
  ジョゼットの想いを察すると可笑しくなる。彼女のSなど可愛さあまった苦し紛れの前戯。見え透いてる。
 「脱ぎなさい」
 「はい早苗様」
  シルバーメタリックのスペーススーツはフロントファスナー。脱げば淡いブルーの紙のブリーフ。男性は皆が同じ。このとき早苗はシルバーメタリックの女王であった。

 「もっとそばへ。立って脚を開く」
 「はい早苗様」
  全裸で立って脚を開き両手は頭。脱ぎ去ったクリフは胸板が隆起して逞しく、もちろん体に傷などなかった。
  ベッドに座る早苗の前に長身のクリフが立つと、すでに反応をはじめている男性の部分が突きつけられるようになる。そしてそれは見る間に成長。血管を浮き立たせて赤黒く屹立した。太く長いペニス。長く続く禁欲で実弾を溜め込んでいるようで、いまにも爆発しそうに亀頭を脈動させている。
  早苗はそっと手をやって睾丸をくるんで揉み上げてやり、限界まで血を飲んだペニスをくるんで握り込む。
 「硬いわ、それに熱い。触れられて嬉しい?」
 「はい出そうです、嬉しいです女王様」
  感極まって白い全身に鳥肌が立っている。かすかな加虐心が湧き上がって攻撃性を生んでいく。早苗は開いた手の甲で逆にリストを返して下から睾丸を叩き上げた。
 「ぅく! く、くぅ」
 「ジョゼットはこうしてくれる?」
 「はい、もっと強く打たれますし踏みつけてもくださいます」
 「こう?」
  次には握り込んだ拳の甲でボコと殴る。
 「ぐむぅ! むぅ!」
  一瞬内股に膝を締め、しかしすぐに膝をゆるめて性器を突き出す。亀頭の先から透き通った粘液がくっぷりあふれて流れ出す。
 「ジョゼットはしてくれるでしょ? 体に入れてくれて?」
 「はい。そのたび私は泣きながら射精します。抱いてくださり嬉しくて嬉しくて」

 「最後にこうして抱いていただけ、嬉しくて。ああボス、ミーア様、ありがとうござます、マリンバは幸せです」
  二人で責めた。マリンバの白い女体に一本鞭の血腫れが無数にあった。けれども悲鳴は糖度を増して、おびただしく濡らして果てるように崩れ去る。
  歳だから相手にされない。マリンバがそう感じていたことを知った男たちが群がって犯し尽くす。女たちが、あの頃とは意味の違う鞭を振るい可愛がる。肌の衰えはどうにもならない。垂れる乳房も尻肉もどうにもならない。それでもマリンバは牝の人生を謳歌していた。
  ボルト固定のステンレスの首輪は外されない。外してやったら、それは奴隷としての終焉を意味するもの。生涯スキンヘッド。生涯陰毛のないデルタ。常に濡らす奴隷の日々がマリンバの生きる支えになっていた。

  責め抜かれて力が抜けきりフロアに崩れて立てないマリンバ。ミーアの黒い裸身と留美の白い裸身が奴隷の肉塊にからみつき、マリンバはカッと眸を見開いて、けれども景色はぐるぐる回る。夢のごとき快楽。
  全身の毛穴という毛穴から愛液のようなイキ汗が噴き出して、のたうちもがき、至上の歓びを悲鳴に代えて表現する奴隷。ボスの舌先でクリトリスを舐められる快感はマリンバに失禁をもたらし、そしてボスの顔へと飛翔をふりまく。
 「ああ申し訳ございません、汚してしまいました」
 「いいのよ、私たちは獣、可愛いわよマリンバ」
  半ば失神から引き戻されたマリンバは、留美の顔にかけてしまった尿水をべろべろ舐めて吸い取っていく。

  女王となった早苗。健気なクリフが可愛くてならず、膣舐めを許したとき、べろべろと巧みに責めるクリフの愛撫に悲鳴を上げてのたうった。ジョゼットの言葉が頭の中で反射している。スパイだってかわまない、クリフが可愛い。
 「おぅぅクリフ、ダメ、もうダメ、いいわよおいで、来て、ねえ来て!」
  それまでに手技で一度果てていたクリフ。それでも漲るパワーに変化はなかった。
 「熱いわ、太いのね、あぅ! んっんっ! あぁぁーっクリフーっ!」
  早苗は錯乱していた。まさかM男を責めるなんて思ってもみなかった。睾丸を蹴ってやり、乳首に爪を立てて悲鳴を上げさせ、靴で亀頭をひっぱたく。暴風となって荒れ狂うサディズムを満たしたとき、残ったものは母性。
  我が子を抱けずに終わっていく自分自身の女体を想い、だからよけいにクリフが可愛い。

  人間は、なんて素敵な生き物だろう。

  ムーンアイで見せつけられた七色のパルサーを放つ美しい悪魔が憎くなる。
  TIMES UP。もういいわ。人類が醜悪な生き物となる前に終わらせよう。ムーンシップは生殖工場。女は家畜。そんなの違う、間違ってる!
  心の中で叫び、その叫びをイキ声に代えながら早苗は失禁して果てていく。

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スパイ(二五話)


  宇宙観測の新たな拠点、新しいムーンアイモジュールが完成した。
  それまでのムーンアイは、月に最初に送られた宇宙船の船体を改造して利用したものであり、月の地表に置かれた船体に地下都市からのスリーブをつないで行き来していた。
  新しいムーンアイは特殊樹脂製の半球形のドームを持ち、月面望遠鏡ムーンアイとそのコントロールルーム、さらにそれと同じドームの中に、はるかに広くなったムーンカフェが併設されるものだった。地表に出るドームと地下に重なる空間が一体とされていて、月面でただ一つのリラクゼーションルームともなっている。ムーンカフェも格段にひろげられてジョゼット一人ではまわせない。そこで選ばれたのがターニャだった。ジョゼットがムーンアイにこもるとき、主にターニャがカフェで働く。ターニャを推したのは早苗。ビアンでマゾというターニャにとって男性は遠慮したい存在。触れ合う場を持たせてやりたいと考えたからだった。

  大きなカウンターの一方にドリンクマシンが置かれてあって、コーヒーぐらいならセルフでこしらえ、広いホールに点在する七十席あるテーブルへ運んで楽しめる。オープンカウンターは十五席。そこは一人でやって来た者たちが集まるところ。カウンター席は人気があって、つまりはジョゼットと話したくてやってくる。ムーンアイが夜の側にあるとき天文学者は観測を主とすることを知っていて、そうなると話し相手は若いターニャ。男たちが群がって席につく。シルバーメタリックのスペーススーツはタイトフィット。女性らしいボディラインを隠せない。

  そのとき地球から見る月は三日月でありムーンアイは夜の側に位置していた。
カウンターには男が七人、女が三人、二席が空席。その空いた席に早苗がやってきて、カウンターの中にいてまだ不慣れで平静ではいられないターニャに微笑みかけた。
 「ターニャ、ダージリンがいいわ、アイスで」
 「はい」
 「あらそれだけ? いつも通りにちゃんとなさい」
 「ぁ、はい。かしこまりました・・女王様」
  女王様? そんな二人のやりとりに、そのときカウンターにいた男女すべてが二人を交互に見つめている。ターニャと女医の早苗がそういう関係であることを知る者は少なかった。月面都市も七万人規模にまで大きくなった。
  早苗は言う。
 「スペーススーツが似合ってるって思わない? ラインが綺麗。お尻もぷりぷり胸もいい。ふふふ」
  言葉責め。白人のターニャの白い頬が見る間に赤くなっていく。
 「それがこの子の愛なのよ。そうよねターニャ? 思うままを言ってごらん」
 「はい女王様。私はずっと男性が怖かったんです。女性が好き。それも女王様を求めていました。私だって何かがしたいと思い志願して月に来て、だけど怖くて怖くてならなかった。私の愛は極限の中にしかない。ずっとそう思ってましたけど月こそ違う意味でも極限の世界です。すがっていられるのはそこしかない。私なりの性。早苗女王様と出会うことができたとき、これで生きていけるとほっとして」

  早苗は黙って聞いていて、皆もまた黙って聞いていて、それぞれ共感し合っていた。夜の側の月面はマイナス170℃の死の世界。
  早苗は言った。
 「人は地球に生かされているものよ。苦しいとき迷ったとき寂しいとき、青空や海や山や、お花もそうだし小鳥の囀り、町で猫に出会ったり可愛い子犬に眸が輝いたり、地球にいれば感謝することもないすべてのものに癒やされて、だからバランスを保って生きていられる。月では唯一、ぬくもりだけ」
  皆はそれぞれにうなずいて、ターニャを見る眸もやさしかった。
  この日本人の女医がセックスを解放した。月にいる皆がそれを知り、賛同し、女たちは避妊薬を受け入れた。盲目的な愛は禁物。男女の愛で子を持つことはできなかったし、生殖実験で産まれた子だけが許される、まさに歪んだ性世界。愛よりも人間同士の情の絆。こうして性をあけっぴろげに語れるのも月だからこそだと早苗は思う。

  早苗は言った。
 「私はS女だった。気づかせてくれたのはターニャだわ。月に来た最初の頃、私だって怖くて寂しくて、ずいぶんオナニーしたものよ」
 「先生でも?」 と、若い女の一人が横目に見た。
 「その言い方やめてくれない。痒くなる。いまは都市らしくなってきたけど、その頃は未知の星よ。狭い船に監禁されて生きていた。事故もあったわ。宇宙服をちょっと破くだけで死は一瞬。可哀想な体を見ていて私は何もしてやれない。地球の死じゃないんだもん。一気圧を失った遺体は無惨に壊れる。私は震えた。誰か助けて誰か抱いて、お願いだから胸で泣かせて。そう思って震えていたしセックスの意味を思い知った気がしたわ。私でいいならあげるから誰か犯して。それは魂の叫びだったのよ」

  地球上のカフェでなら淫乱か変態の会話だったのかも知れないが、カウンターの誰一人、ターニャや早苗を侮蔑する者はいなかった。
  ターニャが言った。
 「まず愕然としたのは体重なんです」
  皆の目が一斉に寄せられた。
 「たった8.5kgなんですよ。地球にいたら50kgほどあるはずなのに。モジュールの中でぴょんと跳べば天井に頭をぶつけるんだもん」
  皆がちょっと笑う。
  ターニャは言った。
 「地球にいたらはばかられることも、ここでならできそうな気がした。そう思ったとたん私の中で何かが弾けたんです。生きているいまを生きていたいと考えて」
  早苗は言う。
 「いい言葉だわ。生きているのに死んでるみたい、そんな女は地球へ行けばたくさんいる。月では違う。女は女を謳歌して男は男を謳歌する。新しい文明をつくっていきたいと考えたのよ」
 「それって原始人ですよね」 と、若い男の一人が言った。
  早苗は眉を上げて微笑んだ。
 「ジャワ原人以前の人類へ戻りたい。人はどこかで道を踏み外してしまったの」

  そのとき、また別の若い男が早苗に言った。
 「貸し出しはなされない?」
  早苗は眸を丸くして声の先へと視線をなげた。逞しい青年。金より銀色に近いショートヘヤー。デトレフを若くしたイメージの精悍な男性だ。
 「ターニャを貸し出す? 奴隷として?」
 「そういうことってあるじゃないですか、調教の一貫として」
  早苗は横目にターニャを見つめた。ターニャはデトレフの肉体を知っている。
  ターニャは真っ赤な頬でうつむいて声も出せない。怖いのだ。
 「いいわよ、お望みならどうにでもしてやって」
  ターニャがすがるような眸を早苗に向けた。
 「ただし、たっぷり可愛がってやることね、失神するまで」
  にやりと笑って眸を向けると、ターニャは心が震えている。期待している。男を受け容れる牝になってほしかった。
 「Mとは、身を捧げて情を得ること。そうよねターニャ?」
 「はい女王様」

  ルッツの店の奥の間で、黒いマントを許されたマリンバと、ブルーに透けるネグリジェ姿のミーアが二人。ここにも困った女がいる。ビアンでマゾ。それがミーア。しかしミーアもまた男たちを許容する心を持つまでに成長していた。
  地下にある無線機のあるところから部屋へと戻った留美。女王と見定めたボスが戻ると、ミーアは待ってましたとばかりにフロアに平伏して迎えた。
  留美はちょっと鼻で笑う。
 「月の裏側ですって」
 「えっえっ?」
 「デトレフ大佐よ。部下を五十人連れてこれから軍船で月の裏側。エイリアンの痕跡も探してみたいっておっしゃってた」
  部下の半数は月面都市に残している。間もなく次の輸送船がやってくる。月面都市が拡充されて人員がさらに増える。監視の眸がいるということ。
 「今回は二千人らしいのよ」
 「そんなにたくさん、いっぺんに?
 「そうみたいね。今回からは大きな宇宙船を二隻連結して、まさに宇宙列車で向かうんだって。SFだわ、ちょっと信じられない話よね」
 「月ではもうそんなに暮らせるように?」
 「らしいわよ。地下住居が次々にできてるそうで、近いうちに二十万人規模の都市となる。彼らはSFに生きていて私たちは西部劇。その両方で同じことが起きてるなって思うのよ」
 「同じこと?」
 「セックス。男女のセックスフリー、ビアン、ホモ、SとかMとか、向こうではあらゆる性が市民権を得ているらしい。もはや月の文明だって笑っていらした。おまえたちは幸せだって言われたわ。青い空を見上げて深呼吸、それさえできない牢獄のようなものだからって」

  そして留美はマリンバを見つめる。ミーアはまだネグリジェを着ていたが、マリンバはマントを脱いだ全裸の姿。外されたことのないステンレスの首輪だけがキラキラ輝く。白く熟れたいいヌード。
  留美は言った。
 「そのときふと思ったのよ。マリンバはそうして生きてきたんだなって。それを強制したのは私。残念ですけど私は地球人のモラルに生きる女でね、それはすごく残酷なこと。恨まれてるだろうなって思っちゃう」
  マリンバは、そうではないとスキンヘッドを横に振る。留美はミーアに命じてやった。
 「責めてやりなミーア」
 「私がですか?」
 「バートが言ってた。このところマリンバに元気がなかったでしょ」
 「ああ・・それをバートさんが何て?」
 「歳だから相手にされなくなってきたって思ってたらしいのよ」
  ミーアはハッとするように、ちょっと笑ってマリンバを見つめる。
  留美は言った。
 「飼うと決めたそのときからマリンバは生涯マゾ牝。おまえは牝だと言って抱いてやったって。バートらしい言いざまだわ。やさしいもん。月では生殖実験がはじまって」
  これにはミーアとマリンバが眸を合わせる。
 「私たちのような囚人の娘らを送り込んで凍結精子で妊娠させる。子供たちが次々に産まれてるそうなんだけど、非人道の極みは、その胎盤さえも蛋白源とする試みがはじまっているそうで」
  呆然としてミーアが言った。
 「蛋白源て、それはつまり・・」
 「食料としてってことでしょう。宇宙へ旅立てば一切の補充はない。五百万人の人々をどうやって生かしていくのか。ミミズや昆虫、胎盤そのほか利用できるものはすべて食料。最先端プロジェクトは地球のモラルを否定するものでもあったって、大佐ったら笑い飛ばしていらしたわ。いっそ潔く滅亡すればいいものをっておっしゃってね」

 「私は幸せな女です」

  マリンバの小声は留美にもミーアにも聞こえていた。
 「殺されて当然なのに牝の悦びをこれでもかと与えられ、生涯牝のままでいいとバート様に言っていただき、嬉しくて嬉しくて泣いてしまいました。ですから恨むなんてとんでもありません。マゾの性を教え込まれてお役に立てることが嬉しいんです。HIGHLYの女たちは可哀想だわ、がんじがらめ」
 「そうね、そうかも知れない」
  留美はうなずく。留美の笑顔にも女の慈愛が満ちていた。
  マリンバは女体の奥底のすべてを留美に向けて晒しきり、責めへの期待に濡れはじめるマゾの性器へ、ミーアが手にした乗馬鞭が手加減なく入れられていくのだった。

  月の裏側。比較的小ぶりな軍船は、ロケット噴射で浮上しては着陸しを繰り返して一月をかけて探査を続けた。エイリアンが爆破したと思われる棲み家の痕跡は発見できない。月では大気がなく雨も降らずクレーターは風化せずにそのまま残る。爆破でおそらく円形に拡がった痕跡はちっぽけなクレーターの一つでしかなく、したがって見落としてしまうのだ。月面は広大だった。
 「およそ真裏か」
 「ええ真裏にあたります。殺伐とした光景です」
 「まったくだ、恐怖としか言いようがない。やがては開発されるんだろうが」
  デトレフと部下の大尉が軍船のガラスエリアに立っていた。そろそろ探査も終わる。食料も酸素も燃料も残りわずか。デトレフが引き上げを命じたすぐ後に無線が入る。暗号化された軍用無線であり、地球で傍受してもノイズとしか認識されない信号だった。
 「輸送船78番79番艦が地球を出ました」
  ややデジタルチックな声のトーン。
 「了解した。我々も帰路につく」
  黒い空に浮遊する黒い軍船がロケットに点火して音もなく推進した。

  超大型輸送船78番艦は、地球の静止軌道上に浮く宇宙ステーションで建造されたもので、推進のためのロケットを持たず着陸のときの逆噴射しかできない船体。それも海老沢の設計だったのだが、それまでの船体を79番艦として後ろに連結。そのメインロケットで推進する。やがてはそうした大型宇宙船を五隻十隻と連結して人員と物資を一気に運ぶ態勢がとられることになるだろう。五百万人を運ぼうとすれば一便一万人としても五百便。やがてはさらに大きな船を設計しなければならなくなる。

  新設されたムーンアイのガラスエリア。ジョゼットと海老沢が並んで黒い空を見上げていた。はるか遠くの同じ位置に青い地球は動かず浮いて美しかった。
  そしてその月の地平線の上空に、滑るように進む軍船の姿が見える。軍船は速い。船影が見る間に大きくなってきて、そのときムーンアイへの無線が飛び込む。
 「戻ったらコーヒーを頼む」
  デトレフの声。ジョゼットは海老沢に横目をやってちょっと笑った。
 「わかってますって。それで裏は?」
 「収穫らしきものはなし。荒涼たる景色だよ。彼らがいたのなら痕跡ぐらいはあっていいと思うんだが、どうやらすべては地下。あの廃墟のような空間が地下にあり、その開口部にUFOがドッキングしてモジュールが完成する。そう理解すればいいのだろうが地上に痕跡らしきものは一切なかった」
 「月は広いさ。一月程度で発見できなくてもしょうがない」
  海老沢が言い、それに対してデトレフが応じた。
 「しかし、どう考えてもこれほど巨大な星が宇宙船になるものか。人類とは凄いものだと驚嘆するよ」
  話す間にも軍船はぐいぐい近づいて来て、オレンジ色の逆噴射をかけてムーンアイそばの広大な大地に着陸した。軍船は、いまはまだ地下都市にドッキングできるようにはなっていない。宇宙服で降り立ってムーンアイまで月面車というプロセスを経なければならなかった。それは機密保持のため。地球への無線は唯一軍船でのみ発信できるもの。

  ムーンアイへの戸口、エアーチェンバーのドアの前にシルバーメタリックのスペーススーツを着た姿で早苗が出迎える。チェンバー内で宇宙服を脱ぎハッチを出たデトレフもまたスペーススーツ。一月ぶりのデトレフは少し痩せ、ますます精悍に感じられた。シルバーメタリックの男女は抱き合ってキスを交わす。
  ムーンアイに併設されたムーンカフェ。時間が遅くカフェは無人。いつもの四人でカウンター。カウンターの中にターニャさえもいなかった。
  デトレフは言う。
 「およそ目星はつけてきた」
  海老沢はうなずいた。
 「やはり隠すか?」
 「とりあえずは。しかしそれほど猶予はない。俺ももう五十を過ぎた」
  宇宙空間へ投棄した膨大な量の核兵器。廃棄船が月へと戻ったとき、まずは埋めて隠しておくという話。
  TIMES UP。地球を終わらせる手段には四つの候補があった。
  そしてそれ以上に、あまりにも悪魔的な行為を実行に移せるのか。顔を揃えた四人には、この段階ではまだ明確な答えは出せていない。

  地球終焉の四つのプラン。
  まずはプラン1。あのときジョゼットが発見した火星と木星の間の小惑星帯に核爆弾を送り込み、小惑星の軌道を変えて地球へ落下させようというアイデア。しかしこのプランでは確実性に乏しいことと、そのとき的を外してしまえば彗星のように次なる接近を待たなければならなくなる。利点は、それだと廃棄船の事故に見せかけることができるということのみ。

  次にプラン2。月面地下の岩盤下で膨大な量の核爆弾を一気に爆発させ、宇宙空間へ巨大な岩石群をまき散らしておいて地球の引力で落とそうというもの。板チョコのように岩盤に切れ込みを入れておけば、かなりなサイズを吹き飛ばすことができるだろう。巨大隕石の衝突ということだ。

  そして究極の選択はプラン3。核爆発で月そのものの軌道を変えてジャイアントインパクトへ持ち込むアイデア。月を爆弾として地球にぶつけようというものだった。
  デトレフは言った。
 「プラン1はギャンブル、プラン3なら、そのとき月に留まる皆を犠牲にしなければならなくなる。何のために苦労したのか。皆を裏切ることにならないか」
  ジョゼットは言った。
 「同じことよ。地球の人類が滅べば月も終わる。ムーンシップ完成前の段階では数十万の人を生かしておくキャパはない。皆を裏切ると言うのなら、どのみちすべてが裏切りよ」
  デトレフは言う。
 「そうだろうか。月は巨大だ。一部を爆破したところで月そのものを破壊できるものじゃない。食料、水、酸素やそのほか生存に必要なところから整備していき、生存のチャンスだけは・・ううむ、無意味か・・」
  その世代だけが生き残れても、ムーンシップ完成前に補給が断たれてしまってはどのみちおしまい。

 「可哀想なのは月の子らよ。生殖実験なんて子供たちには無関係。そのとき地球上でも子供たちはたくさんいる。滅亡するなら人類すべて。いいえ地球生命のすべてだわ。およそ六十年後に太陽系は崩壊する。非道の限りを尽くしておいて、そのときたった五百万人を生かすことに意味はあるのか、それも存続のための家畜としてよ」
  早苗の言葉に三人はただ黙ってうつむいた。
  沈黙の中に海老沢の声がした。
 「あのエイリアンだが、いかに科学が進んでいるとは言え、現実的にはプロキシマケンタウリあたりが距離的にも有力だろう。彼らはその惑星、プロキシマBの生命体。とすればだよ、蛮族たる人類がやってきて歓迎するとは思えない。我々は滅亡を選択した。ゆえに彼らはそれを見届け去って行った。もとより彼らはジャワ原人を連れ去って向こうで保護しているだろう」
  ジョゼットが言った。
 「そうであるなら末路は同じよ、どうあがいたっておしまいだわ」
  デトレフがつぶやいた。
 「思うに、心のどこかに俺たちはもういいという思いがあるのではないか。そのとき皆は老人どころか朽ち果てているだろう。すでに生きた。充分生きた。後のことはどうでもいい。あまりにも利己的な判断ではないか。太陽系の崩壊であれば神の意思として受け入れられる。そう思うとやりきれなくてね。いまの子供はまだいいさ。そのときすでに老人だから」
 「私たちさえ死ねばいいこと?」
  そう早苗が言って、デトレフは声も発せず、うなずきもしなかった。

  さらに選択肢はもう一つ。ムーンシップを旅立てなくしてしまう。中性子星に運命を委ね、地球と月は悲恋の男女のように寄り添って消えていく。これがもっとも簡単な方法なのだが、愚劣な人類を自滅させなければ許せない思いが整理できない。
  TIMES UPはドラマチックに幕を引きたい。
  暗澹たる想いでいると、そのとき軍船からの無線がデトレフが持ち歩く端末へと着信した。
 「たったいま地球のジョエル大尉からコールがあり」
 「ジョエルから? うむ、それで?」
 「数日後に二千人の人員が到着しますが、そのなかにスパイが紛れ込んでいるようだと」
 「スパイ?」
 「はい、信頼できるスジからの忠告だそうで、数は数名、性別その他は不明だそうで、こちらで手を尽くして探ってみるが、判明するまでは用心されたいと」
  デトレフは三人を見渡しながら言った。
 「了解した」
  デトレフの眸が鋭い。
 「地球の穢れがやってくる、最悪だわ」
  早苗が言って、デトレフはわずかなため息を漏らしていた。

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 爽やかな堕落(二四話)


 「使命感に衝き動かされて月へ送られ、早いもので十一年。もう四十七かと思うとね、いつのまにか回想する歳になってしまったなって思うのよ」
 「はい」
 「それまでの私の人生は清廉潔白、人として当然のモラルの中に生きていて、それを疑ったことなんてなかったわ。恋をして抱かれ、いつか母となって家族のために生きていく」
 「はい」
 「それまでの私はつまらない女だったなあって思っちゃうんだ。文明が育てたモラルは女に安心をもたらす代わりに本能を奪っていった。がんじがらめ。はしたないとか淫らとか、女はこうあるべきだとか、本心でどうだろうと社会がそれを許さない」
 「はい、それは男も同じです」
  ジョゼットの部屋。跳ね上げ式のベッドを上げて、椅子にジョゼット、その足下に裸のクリフが正座をする。ジョゼットは紙の下着のパンティだけ。形のいい乳房には魅力的な二つの吸い口が尖っていて、クリフはじっと見つめている。

  そんな女王の静かな美に、禁欲を命じられて苦しむクリフの若い性器は暴発寸前。正座をする腿の間から石筍のごとく突き勃っていて、ジョゼットはそれを見下ろして穏やかに笑っていた。
  ジョゼットは言った。
 「怖いのは男たちの評価よりも女の目よ。女同士で牽制し合い、ボーダーを超えて解放できた幸せな女たちを悪く言う。ねたましくてしかたがない。ひがみもあるし、女ってどうしてこうも面倒なのかと嫌になる」
 「はい」
 「嫌でたまらないのにイジメの標的になるのが怖くて結局多数の側についてしまう。それがそれまでのつまらない私。ジョゼットカフェなんて呼ばれてるけど、私と話したくてやってくる多くの男たちが可愛くて、多くの男に抱かれてきたし、なんなら取り囲まれて犯されたっていいと思えるようになっていた。逃げ場のない月なんだし、悪人がいないという安心感、妊娠しないという安心感、そんな中で皆が同じ目的のために命がけで働いている。極限の環境の中で地球のモラルとは違うモラルができていく」
 「はい」
 「おまえとのこともそうだわ。S女にはなりきれない。でもそれでおまえは幸せ。おまえが望むなら何でもしてやりたいと思うのよ。女心が騒ぎだし、その心に従うから女の幸せがやってくる。おまえが与えてくれる女の角度を楽しめる」
 「はい、そう言っていただけると幸せです女王様」
  ジョゼットは美しい。ブルーの瞳を見つめているとクリフの心は溶けていく。

 「奴隷におなり」
  それは奴隷のポーズの強制。大きく逞しい男の裸身で膝で立ち、両手は頭で胸を張る。月に送られる男たちは強い肉体を持つ者だけが選ばれて、クリフもまた胸板に大胸筋、腹には腹筋が浮き立っている。
 「射精はしてないでしょうね?」
 「はい誓って」
 「どれぐらい?」
 「一月ほどになります」
 「すごいわね、いまにも破裂しそうよ」
  穏やかに微笑みかけて、ジョゼットは脈動して頭を振るペニスに手をのばし、そっとくるんでやって、浅く爪を立てて静かにしごく。
  一心に女王を見つめながら唇をちょっと噛み、そのうちうっとり眸を閉じて、かすかな喘ぎを漏らすクリフ。血管を浮き立たせて勃起するペニスの先から透き通った粘液がとろとろと流れだし、女王の手を心地よく滑らせる。全身の白い肌に鳥肌が立っていて、総身ふるふる震わせる奴隷のクリフ。
  椅子に座るジョゼット。その足下に膝で立つ奴隷。裸足の膝下を振り子にすると、蹴りの高さが睾丸にちょうど合う。ほんの軽く蹴ってやる。

 「ンむぅ!」
 「ふふふ痛いわね、可哀想ね」
  クリフはもっと蹴ってと言うように股間を突き出し、一切の防御をしない。ベシと蹴る。腰を引いて飛び上がるようにするのだが、ちょっと呻き、ふたたび睾丸を突き出してくるのだった。衝撃と痛みで睾丸は生き物のように蠕動し、きゅーっと丸まって急所を体内に格納しようとするようだ。
 「ふふふ面白いものね、軟体動物そのものだわ」
  ボコと強く蹴り上げる。
 「ぐわぁ、あっあっ!」
  たまらず急所に両手をやって床に崩れ、尻をのたうたせてもがくクリフ。
 「可愛いわ、たまらない」

 「可愛いわね、たまらない」
  ムーンベビー第一号が誕生した。白人の娘が産んだ白人の男の子。取り上げたのは女医のイゾルデ。立ち会ったのは女医の早苗。母の名は囚人七号だったのだが、そんなものは最初の頃の呼び名であって、いまではナンシーと呼ばれている。罪状などは地球上でのこと。凍結精子による強制受胎を受け入れる娘らに、月にいるすべての者が情を寄せた。
  イゾルデは元気な産声を上げた新生児を母親の胸に抱かせてやる。誰の精子とも知れないもので妊娠させられ、産まれた子に女は母になれるのか?
  しかしナンシーは、子を乳房に抱き寄せて、眸を丸くして見守っている。
  ナンシーは言う。
 「可愛いわ、これが私の子なのね、たまらない」
  イゾルデは問うた。
 「母となれそう?」
  ナンシーは涙を溜めてうなずいた。
 「誰の子かではなく私の赤ちゃんなんですもの」
  よかったと早苗も感じて見守った。イゾルデは、あえて事務的に言う。
 「一年体を休ませて次にまた」
  人工授精。しかし体外受精ではない。ランダムに選んだ精子を子宮へ送る。

  分娩室を出てイゾルデは早苗に言った。
 「実験でなければどれほど嬉しいことかと思います」
  早苗はイゾルデの白衣の背をそっと撫でた。白衣さえもソフトな紙で仕立てたもの。
  早苗は言った。
 「こんなことがあたりまえのときがくる。ムーンシップが旅立てば人は最先端を生きる家畜よ。人類のために身を捧げることになる」
 「ええ、それはそうでも」
  論理的に理解できても、女としての感情では許せない。愛の欠落した生殖に意味はあるのか。ムーンシップに乗り込めるのは五百万人。うち八割が生殖のために準備される若い子宮。子供が育ちムーンシップの担い手となれるまでには時間がかかり、したがって旅立ち当初は特に、女たちは次々に妊娠させられ子供を産んでいかなければならなかった。

 「倫理って何だったんでしょうね」
  イゾルデはちょっと首を振りながら言うのだった。早苗はさばさば、笑って言った。
 「そんなものは地球の常識、考えない考えない。私たちは月面人よ、地球人じゃないんだから」
  このときイゾルデは、月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルームで眠るエイリアンの化石を思い浮かべた。
 「彼らもきっとそうやって?」
 「でしょうね。科学力でははるかに上よ。クローンということもあるかも知れない。絶滅を悟ったとき残るものはそれしかない。それより私は」
  と言いかけて、早苗は自室にイゾルデを誘った。
 「お部屋で話そ。私のルームで抱き合って」
  イゾルデは見据える眸色で早苗を見つめた。月に来てそろそろ一年。その間イゾルデもまた避妊薬を口にして解放された性に震えて生きてきた。しかしビアンははじめて。あっけらかんと言い放たれて戸惑う気持ちがないわけではなかった。イゾルデは白人だったが背丈では早苗の方が少し高い。歳を重ねて三十歳。早苗の方は四十歳になろうとした。
  部屋に入り、互いに見つめ合って紙のパンティだけの姿となってベッドで抱き合う。イゾルデは小柄でも女体は熟してしなやかだった。キスを交わしてそっと抱き合い、そのときイゾルデの眸に涙が溜まる。
  早苗がささやく。
 「考えないって言ったでしょ」
  イゾルデはちょっとうなずき、なのに静かに泣いてしまう。
 「やりきれません。私は神にはなれないもん」
 「そうよね。あっちもこっちもひどいことになっていて、あっちでもこっちでも人は苦しんで生きている。地球なんてもういいわ。人類なんてもういいの。人間らしく滅んでいったほうがいいんだもの」
 「そう思います。何もかもが狂ってる」

  早苗は、狭いベッドでイゾルデを横抱きにして、紙のパンティの上から温かな尻をそっと撫でて言う。
 「それでも人類は滅びない。ジャワ原人の時代に相当数が連れ去られ、私たちとは違う文明の中で進化しているはず」
 「家畜として?」
 「さあ、それはどうかな。ペットのようなものかもね。彼らの星がどこにあるのか知れないけれど、増えすぎず減らしすぎない管理された世界の中で生きてるでしょう」
 「動物園みたいに?」
 「だと思うわ。生殖を管理され、餌をもらい、だけどきっと平穏に暮らしているはず」
 「食料になっているとか?」
 「それもないとは言えないでしょうね。生きるとはそうしたもの。私たちだって牛や豚を育てている。人間だけが特別という発想そのものが地球をこんなにしてしまった。ムーンシップで人類はその愚かさに気づくでしょう。百万人の男性と四百万人の女性。女たちは蜂起して女性主導の社会をつくる。惑星プロキシマBまで四光年あまり。いったい幾世代を経て行かなければならないのか」
 「計画性を持たないと破綻する」
 「そういうこと。一人の女性に何人子を産ませ、その子らもまたどんなタイミングで妊娠させていくのか。それに伴って月面都市もひろがっていくでしょう。月全球が二重構造の宇宙船となっているかも知れないけれど、今度こそ人口をコントロールしないと生存が危うくなる。死体だって資源だわ。胎盤なんて格好の蛋白源よ」
 「恐ろしい」
 「ええ恐ろしい。でもそうしなければ生きていけない。太陽光線のないところで物資の補給も得られない。大量の酸素を消費する大型動物は積み込めない。何を食べ、どうやって命をつなぐのか。きわめて論理的に、でも一方では冷酷無比に、なりふりかまわず生きていくのよ」

  紙のパンティに早苗の手が忍び込み、イゾルデは腿をゆるめて早苗の乳房にすがりつく。いま早苗が言ったことは、もちろん論理としては理解していたし、そのときの自分には関わりのないこと。
 「旅立ちまでには死んでいたい」
  乳房の裏から響く声にイゾルデは顔を上げて早苗を見つめ、そして言った。
 「そのとき老いた者たちは排除される?」
 「ということになるでしょうね。命がけで造った都市に残れない。そればかりか用済みの老人たちを地球に戻す意味もない。帰還のための宇宙船と膨大な燃料をついやす意味がないってことよ」
 「ひどいわ、ひどすぎます」
 「TIMES UPよ。終わらせましょう。非人道の限りを尽くして生き残ったところで親は子らにそれをどう説明すればいいのかしら。私なら耐えられない。耐えられないと狂ってしまうと即座に処理される社会に生きてなんていたくない」
 「抱いて早苗、めちゃめちゃにしてほしい」
  紙のパンティを奪われたイゾルデ。もはや獣。早苗の指に嬲られ犯され、非人間的なイキ声をまき散らして果てていく。
 「私ダメ、もうダメ。もう一人の私を抑えられない」
  月面に十年以上を暮らした者たちの気持ちを想い、イゾルデの性器は激しく濡れてのたうち果てた。

  そのとき地球。ルッツの店からは離れた家にあるバートの部屋。
  呼びつけられたマリンバは、戸口を入るなり黒いマントのような冬のコートを脱ぎ捨てて全裸。体のそこらじゅうに鞭打ちの傷は残っていたが、どれもが古いものばかりで、一見して目立つ傷はなかった。嵌め殺しのステンレスの首輪。相変わらずのスキンヘッドと無毛のデルタ。金色の眉毛だけが許されて人の女らしい顔となっている。
  マリンバは恥ずかしかった。マゾ牝として調教され尽くし、羞恥など忘れたつもりでいたのだったが、恥ずかしさはそれとは質の違うもの。マリンバはさらに一つ歳を重ねて四十七歳。豊かな乳房が垂れてきて、プロポーションにもゆるみが目立つ。脂肪ではなく皮膚のたるみ。どうにもならない衰えだった。
  対してバートは男盛りの三十五歳。黒人ならではの均整の取れた野獣の体を誇っている。

  戸口で全裸となったマリンバはいつものようにベッド下の床に平伏し、ベッドを深く沈ませて座るバートに見据えられて厳しい声を待っていたのだが。
 「顔を上げろ」
 「はいバート様。お呼びいただき幸せでございます」
  羞恥に震える思いで顔を上げると、豊かな乳房がぶらんと揺れた。バートの髭もじゃの野獣の顔が眸に映る。座っていても大きい。トランクスだけの裸なのだが、恐怖に喉の奥が引き攣るような気がしてならない。
 「立って体を見せろ」
 「はいバート様。ああ恥ずかしい」
  まっすぐ立って両手は頭の後ろ。脚を少し開いて性器までも隠さない。
 「おまえいくつになった?」

  マリンバは凍る想い。もはや女ではないと捨てられることへの恐怖に心が震えた。バートはそれでも裸身を見回す。
 「四十七でございます」
  バートはうなずくと、ごろんと巨体を横たえてマリンバに命じた。
 「来い」
 「はい? えっ? 来いとは?」
 「来いと言ってる」
 「は、はい」
  責めもなくベッドへ誘われたマリンバ。そっと上がって添い寝をすると丸太のようなバートの腕に絡め取られて動けない。マリンバは目を見開いてバートの二つの眸を交互に見つめた。
  どちらかの眸に嘘はないか。疑うような視線であった。
  抱かれてキス。そのとき乳房を揉まれ、キスは肌を這って首筋から胸へと降りて乳首を含まれ、そのとき無骨な男の指先がすでに濡れる性器をまさぐる。
  恋人のようなセックス。それも相手は化け物バート。マリンバには信じられないことだった。
 「あぁン、バート様、感じます、ありがとうございます、嬉しいです」
 「ふふふ、いい女だぜ」

  マリンバは、その刹那、電流のような悦びに襲われてガタガタ震えた。震える想いをどうすることもできなかった。
 「ほんとのこと? 私はいまでもいい女?」
  バートは笑ってうなずくと、開かれていく腿の間に大きな腰を割り込ませ、野太い勃起を無造作に突き刺していく。
 「あぅ! あっあっ! ダメ、イク! 嬉しくて私、あぁイクぅ!」
 「このところ落ち込んでやがったな。衰えを気にしてやがる。馬鹿者め。飼うと決めたそのときからおまえは生涯マゾ牝なのさ、わかったか」
 「はいバート様、嬉しい」
  気が遠くなっていく。やさしいところなんてないと思った化け物が、じつは心を見ていてくれた。そう思うとマリンバは泣けてきて、錯乱する快楽がやってくる。

  やわらかなベッドでやさしいセックス。夢のようなひととき。マリンバの白い裸身がバートの黒い巨体をジャッキアップするように押し上げて、ほとんど悲鳴のピークを訴え、気を失ってふわりと崩れた。
  気絶してなお抱きすがる白い腕。一度の射精で穏やかに萎えていき、するりと抜けるバート。
 「ぁ、嫌ぁぁ、抜けちゃう」
 「ふふふ可愛い奴だぜ。このところ鞭も減った。だからおまえは自信をなくした。ババアになったと思ったからだ」
 「はい」
  消えそうな声でマリンバは言い、バートはそれきり黙ってちょっと笑い、ただ抱き締めてやっていた。

  ただ抱かれるだけで震える女がここにもいる。ターニャ。ビアンでありマゾでもある女にとって男の体は恐怖そのもの。けれどもデトレフだけには肌を許せる。早苗が間にいてくれると思うだけで安心できた。
  しかしそれでも、いざ一対一で向き合うと怖くなってたまらない。熱い茎に貫かれ、狂気としか言えない錯乱に襲われて、あれほど怖かった男臭さの満ちるベッドで抱かれている。
  デトレフ大佐は五十一歳。倍ほども歳が違い、だからこそターニャは落ち着けた。大きな器にすがるように強い心音を聞いている。幸せだった。
 「早苗に可愛がられているようだな」
 「はい、それはもう。早苗様は尊敬できるお方ですし、ほんとに素晴らしい女王様」
 「うむ。早苗は極限を見てきた人だ。月にいるすべての者は極限に中に生きていて、闇より怖い孤独に苛まれていたんだよ。早苗の母性が皆をつつんだ。俺にとってもルナなのでね」
 「女神様?」
 「まさに。他に言葉は見当たらない。しかしなターニャ」
 「はい?」
 「地球で出会っていたらと思うと、そうはいくまい。この極限こそが男も女も人に変える。人間らしい性のままでいられる」
 「そうかも知れませんね。何不自由なくわがままに生きていければ、どうしたって利己主義がつきまとう」
 「そういうことだが、それも少し意味が違うぞ。究極の利己主義は月にこそある。それは極限の中にこそあるものだ。ぬくもりを求めてもがく。生きている実感がほしくて淫らになる」
 「情を求めて?」
 「そうだ情だ。愛などというありきたりな麗句ではごまかせない、どうしようもない肉欲。獣の本能と言うべきなのか」
 「わかります、それ。いっそ獣でいたいかなって・・早苗女王様、そしてご主人様の奴隷でいたいかなって・・」

 「明日からしばらく裏へ行く」
 「調査ですよね?」
 「核爆弾エンジンの準備、それとエイリアンの痕跡も探してみたい」

  核爆弾エンジンとは、まず月面に巨大なパラボラアンテナのような衝撃を受ける受動部分を造っておき、その間際へ水爆級の核爆弾を次々に射出して、およそ五分おきに連続して爆発させる。月には大気がないから地表を襲う衝撃波のようなものは発生しないが、爆発の衝撃だけは受動部分に伝わって月を押す推進力となるものだ。
  月の公転速度を利用してスイングバイ=徐々に速度を上げていき、ついには地球の引力圏を脱出するという計画。
  しかしそれらは表向きの話であった。来たるべきそのときのために地球からは監視できない裏側で準備をしておかなければならない。
  TIMES UPのときのために、いよいよ破滅の支度にかかるということだ。

  核爆弾エンジン、エイリアン、宇宙への旅・・恐ろしげな言葉と想像が不安を掻き立てたのか、ターニャはふたたびデトレフの萎えたペニスを欲しがった。

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 生殖実験(二三話)


  ホスピタルモジュール。それは、それまでに月へ送られた超大型宇宙船を月面地下に埋めた居住モジュールの一画にあった診療所レベルの施設を、まさに月の病院として独立させたものであったのだが、その主たる目的は産婦人科と言えただろう。
  新設された月の病院に居場所を移した早苗のもとにデトレフがやってきたのはホスピタルモジュールが完成したその日のことだった。
 「生殖実験ですって?」
 「すでに宇宙ステーションを発ったそうだ」
  早苗は怒りに満ちていた。月そのものを宇宙船とするムーンシップ計画は、言い方を変えるなら人間牧場。凍結精子による強制受胎。そうやって代を重ねていかなければ人類を新たなる地球へは導けない。人類はいまだ宇宙環境の中での生殖を経験していない。欠かせない実験なのはわかっていても、女性として許せない気持ちになる。
  デトレフは言った。
 「女性の数は白人有色人種を合わせて二十名。HIGHLYかWORKERかのどちらか。それ専門の医師を伴ってやってくるということだ」
 「それはわかるけど女の子は皆が囚人なんでしょう?」
 「うむ、そういうことらしい」
  デトレフは怒りを抑えた即物的な対応でうなずくしかなかった。

  地球上で何らかの罪を犯し、留美のようにLOWER社会に堕とされる囚人たちに人権などはないに等しい。
 「それならせめて避妊せずに・・」 それきり早苗は絶句した。
  重罪を犯した女とは言え、強制されて月へ送られ、まさに家畜として管理される。形はどうあれ男女の悦びの先に出産があるならまだしも、誰のものとも知れない凍結精子を植えられて、牛か豚のように経過を観察されて出産する。産まれた子もまた観察されるということだ。
 「いずれそうなる。でも許せない」
  早苗は医師。医学的見地に立てば必要な実験であることはわかっている。しかし最初からHIGHLYの娘たちがやってくるならともかくも、囚人で試そうとする発想が許せない。
 「失敗してもいいってことよね。ダメなら捨てろってことでしょう」

 「そろそろ反乱を準備する」

  怒りに満ちたデトレフの眸を、とっさに早苗は見つめてしまう。
  デトレフは言った。
 「隕石迎撃用の高エネルギーレーザー砲二門が完成した。有効射程五十万キロ。地球を攻撃できる態勢がとれるということ。さらに核兵器を廃棄する際、水爆級の弾頭を三発、軍船に隠して持ち込んであるのでね」
  そこまで考えていたとは。
 「わかるけどでもそんなことをしたら相手だって」
 「いや地球は月を攻撃できない。ムーンシップは人類の命運そのものだからね。地球は我々の下につくしかないんだよ。月の女神ルナは怒った」
 「女の子たちは守る?」
 「無論だ。生殖観察そのものは、やがてやらなければならないこと。しかし家畜扱いは許せない。どんな医師がやってくるのか。無慈悲な者なら始末する」
  強固な意思が言わせた言葉。

  超大型輸送船の七十番船がその黒い巨体を静かに降ろし、何事もなく月面に着陸した。この船も当初のものに比べれば、さらに大きく、宇宙区間では空気がないため流線型である必要はなく、きわめて即物的な葉巻型につくられている。
  七十番船はほとんどが物資。人員は百名足らず。そしてそれとは別に二十名の若い女性と女医が一人乗り込んでいた。女性の構成は白人十名、有色人種が十名。月面に降りると同時に女たちはホスピタルモジュールに収容されて、派遣された若き女医と早苗そしてムーンシップ計画のリーダーである海老沢とデトレフが同席した会議が持たれた。
  その女医もシルバーメタリックのスペーススーツを着た姿。一見して理知的な顔立ちだった。

 「婦人科医のイゾルデ・ドーレと申します。歳は二十九、名前からご推察のように元はドイツです。雪村さんの名は存じております。どうぞよろしく」
  茶褐色のショートヘヤー。白人女性としては小柄で早苗と背丈は変わらない。
キリリと目の涼しい冷たい印象。先入観だったのか、早苗にはそう思えてならなかった。
  イゾルデは言う。
 「最初に申し上げておきますね。非人道的な試みですが、女性はすべて囚人でありLOWER社会に堕とされて当然の者たちばかり。はっきり申し上げて死刑囚ばかりなのです」
  じろりと睨むデトレフ。しかしイゾルデは言った。
 「この任を言い渡されたとき、その場ではとても言えないことでしたが、囚人というのは地球上での彼女らの立場です。立場をわきまえさせるため、それに暴動など起こさせないよう、当初はホスピタルモジュールの個室に監禁するようなこととなるでしょうが、それも彼女らのためなんです」
 「妊娠させて、それ以降は?」

  早苗の問いにイゾルデは微笑んだ。
 「もちろん経過は観察しますが妊婦として大切に扱います。私は医師であって悪魔ではありません。産まれる子らも月にいる人々みんなの子供たち。囚人とは言え母と子。ですから皆さんにもそのつもりで接していただきたいのです。宇宙での生殖に最初に挑む女性がいてくれなければ、このムーンシップにも意味がなくなる」
 「最初だけは囚人としてということですね?」
  海老沢の問いにイゾルデはうなずいた。
 「そうしなければ強制受胎など受け入れられない。女は家畜ではありません。凍結精子によって妊娠し出産したとき女は母でいられるものか。メンタル面でのテストケースでもあるわけです。彼女らは地球の終焉を知らずに連れて来られた。私は一人ずつに本当のことを話し、実験の意味を納得させた上で処置したいと思っています」
 「産まれた子は母が育てる?」
  と早苗が訊いて、イゾルデはふたたびうなずいた。
 「囚人の子にはしておけないので取り上げて皆に育てさせろということですが、それでは子らが可哀想。子を抱き母に抱かれる幸せまでをも奪いたくない。ただしかし」
  と言って絶句したイゾルデの面色に苦渋の色が滲んでいた。
 「囚人に名はありません。1号2号と呼ぶこととしたい。それも人であることを諦めさせるため。ホスピタルモジュールでは空調がゆき届き、裸の姿にしておける。体の変化もつぶさに観察しなければなりませんしね。そういう意味でも名がないほうが彼女らのためだと思うんです。人は情でつながるもの。そのうち皆が名を呼ぶようになるでしょう」

  イゾルデは辛い。同じ女医として痛いほど気持ちのわかる早苗だった。
  イゾルデは言った。
 「そうまでして人類は生きながらえなければならないのか。宇宙の摂理を受け入れて滅亡してもいいのではと思ってしまう」
  このときデトレフはルッツの町の山賊たちに思い至った。LOWER社会に堕とされて一度は人権を失った留美や女たちが、やがて情でつながって人間らしい暮らしをはじめている。
  デトレフは言った。
 「先々のために、あえて家畜として扱うということだね?」
 「そうです。全裸で監禁されて泣く女たちを、その上責める者はいないでしょう」
  デトレフはちょっとうなずき一人先に席を離れ、それを追うように海老沢もまた席を立った。
  女同士、医師同士、二人きりとなったテーブルでイゾルデは言う。

 「身勝手にもほどがあるのを承知で私も避妊しようと思っています。そうでもしなければやってられない」
  早苗はちょっと微笑んで言う。
 「私ももう三十九よ、イゾルデは若いよね」
 「それも先々のためです。もう地球へは戻れない。娘らを妊娠させ、子が産まれるとまたしても妊娠させ、その産まれた子にも女の子なら生殖可能年齢となったとたんに妊娠させる。そう命令されて来てますからね。ムーンシップは人間牧場そのものだわ。牝に無駄な時間を過ごさせない。論理的にどうであれ許せませんよそんなこと。私が断ればどこかの若い女医が同じ目に遭う。そう思うと拒めなかった」
  目つきの鋭いルックスとは違ってイゾルデはやさしい。
  留美は言う。
 「私たちだって散々話した。そうまでして生きるのか。非道の限りを尽くして宇宙を旅し、そのとき心が壊れていれば生存する意味がないんだもん」
 「まったくそうです。人としての心をなくして生きていたってしょうがない」

 「葬ることが正しい選択だと神に言われているんです」
  イゾルデは、思ってもみないことを言い出した早苗の面色をうかがった。苦笑するような早苗の微笑み。どういうことか?
 「月にはエイリアンが棲んでいた」
 「え?」
  眸の丸いイゾルデ。早苗は言った。
 「人類がジャワ原人だったはるか昔に地球を訪れ、知恵を授けて猿から人間へと進化させてくれた宇宙生命。その死体を私自身が解剖もしましたし地球上でも化石が見つかっているんです」
 「それが月に生きていたと?」
 「地球からは見えない月の裏に棲み着いていたようですけど、棲み家を爆破して去って行ったわ。類人猿の頃の地球人を別のところで育てていると言い残して」
 「別のところで育てている? では地球生命は滅びない?」
 「そういうことだわ。愚劣な種は滅ぼせという趣旨のことを言い残して彼らは去った。彼らにとって私たちは失敗作。そう思うと可笑しくなってね。生きているいまがすべて。だから月の皆は抱き合って本能のままに生きようとしているの」
 「そのことを地球には? はじめて聞きましたけど?」
 「報告なんてしてないもん。下手に言って干渉されたくないでしょう。セックスフリーを私が言い出し、女としては夢のような時間を過ごしてきたわ。地球の終焉なんて私たちには無関係。人類最後の人生を楽しんで死んでいきたいと思ってね」
  それでもまだイゾルデは怪訝な面色。
 「エイリアンの化石を見てみたいならムーンアイに寝かせてあるから。子供みたいな可愛い姿よ」

 「生殖実験ですか」
 「そういうことだよ。連れて来られた囚人は二十歳そこそこの娘らばかり。おなかがふくらみ母となる準備をしている。そのとき女医さんは一人一人に納得させて処置をした。いまでは月の皆が我が事のように見守っている。月にいる七千あまりの女性の中で妊娠を許されたたった二十名であるからね」
  イゾルデが月に派遣されてから半年ほどが過ぎていた。無線。デトレフの声は相変わらず穏やかで留美をほっとさせるものだった。
 「そのすべてが凍結精子で?」
 「もちろん。それでなければムーンシップ計画に役立たない。およそ七千名いる女性たちにてんでに妊娠されても月には育てる環境がないのでね。ほとんどが避妊薬を飲んでいる。連れて来られた娘らだけは別ということ」
 「そうですか。なんだかこっちとは違う意味で非道です。私たちも女はみんな妊娠しません。治安維持部隊に親しくしてくれる人がいて避妊薬を流してもらってますからね。こんな時代に子供はまっぴら」
 「うむ、哀しいことだ。さて話題を変えよう、ところでそちらは? ジョエルの奴は覗いてるのか?」
 「ときどきですね、ごくたまに。HIGHLYが恐れるのは同じHIGHLYの造反ということで、頻繁に出入りしていると町が危ないとおっしゃって」
 「なるほど、それはそうだろう。ジョエル一人ならいいのだろうが、それにしても目立ってしまっては勘ぐられる。山賊らしくいたほうが安心というものさ」
 「そう思ってます。ねえデトレフさん」
 「何だね?」
 「それでその二十名の娘らは、いまでも囚人?」
 「違う。命をつなぐ使命を背負った女たちだよ。いまでは皆が親身になって面倒をみているし牢獄のような暮らしでもなくなった。地球にいるより幸せだと言ってるよ」
 「そうですか、よかったわ」

  ふたたび冬。
  かつてルッツの部屋だった広い空間にマリンバはいたのだったが、いまでは人並みに古着の着衣が許されて、ステンレスの首輪こそそのままでも、つながれることはなくなっていた。スキンヘッドはそのまま。陰毛も許されない。それは留美が決めて譲らないことだった。
  あくまで性奴隷。しかしもはや誰もが情を向けて接している。すべてを許して女に戻せばどうなっていたかと思うと、月と地球で同じことをしていると思えてならない。これでよかったと留美は思い、ベッド下の足下に正座をさせるマリンバを見据えていた。かすかだったがマリンバの面色から微笑みが失せなかった。
 「私ももう三十一か。マリンバは?」
 「四十六になります」
 「でも綺麗。おまえは美人だし体も綺麗よ。皆に可愛がられているから衰え・・」
  と言いかけたときノック。カルロスだった。カルロスも一つ歳を重ねて三十歳。いまではすっかり溶け込んで信頼される存在になっている。
 「またマリンバ?」
 「いけませんかね? 今夜は向こうでたっぷりとと思ったもので」
 「いいわよ連れてお行き。すっかりお気に入りね」
  このカルロスがマリンバを気に入って、しょっちゅう連れ出しては遊んでいた。歳上の女が好み。マリンバも嬉しいらしく、カルロスの顔を見ると面色が明るくなる。

  ボスの部屋を出るときに首輪にチェーンがかけられて奴隷として引き立てられる。形だけそうであっても、マリンバにとって夢のような一夜になるのはわかっていた。
  マリンバがいなくなった一人の部屋。それを見計らったようにミーアが恥ずかしそうに顔を出す。ミーアは留美がお気に入り。しかしいまバートの部屋にいるのが普通のこと。
 「あらバートは? 行っていいって?」
 「はい。いいも何も、いけないとは一度も言われてませんから。マリンバが来て、そしたら私に行ってこいってお尻を叩かれ」
 「あらそ」
  留美はちょっとため息をつく。
 「おまえにも困ったものだわ、どうしてもマゾ。男には普通なのにどうして私の奴隷になりたいかしらね? いいわ、脱いで奴隷のポーズ。早くなさい」
 「はい! 嬉しいです女王様」
  留美は呆れて見つめている。冬のいまジーンズにセーター。立たされて脱ぐときは恥ずかしがり、けれど脱いでしまうと大胆な奴隷となるミーア。足下に膝で立って両手は頭。脚を開いて乳房を張る。

  留美はいつものように二つの小さな乳首をつまんでコネてやる。それだけでミーアは潤い、甘い吐息を漏らしだす。
  女王と見定めた同性の眸を見つめて視線を逃がさず、時折うっとりと眸を閉じて喘ぐ奴隷。黒人特有の引き締まった裸身が鳥肌を立てて震える様は可愛いもの。
  留美は一度立って、それもまたいつも通りに乗馬鞭を手にして座り直す。ミーアは乳首打ちを望むように乳房を張り、いじられて尖る乳首を突き出してくる。
  ヒュンヒュン横振りされる鞭先が寄せられて乳房の谷越えで乳首を打たれ、ミーアは感じ入った悲鳴を上げる。
 「ンっンっ、女王様痛い、あぁン痛いです」
 「でも濡れちゃう?」
 「はい。感じます、嬉しいです、もっとください、もっと」

  暗澹たる気分。それを癒やしてくれるのは性奴隷ターニャであった。
  早苗の部屋。無機質な空間に二人きり。奴隷のポーズで同じように膝で立ち、金色の陰毛の奥底を嬲られて腰を振って喘いでいる。どこまでも無抵抗。素直になすがまま。
  しかしこのときの早苗は苛立っていた。囚人として連れて来られた娘らに母となるチャンスがあって、どうして私にないのだろう。本能の苦悩とも言うべき孤独感に苛まれ、だからよけいに女王となって君臨したくなってくる。
  淹れたばかりのホットティ。早苗はスプーンを浸して先を熱し、それを見せつけるように鼻先に突きつけて、それから濡れる股間へ降ろしていった。
 「なんだか苛立ってるのよ」
 「はい」
 「悲鳴を聴かせて。熱いわよ」
 「はい女王様」
  脚をさらに開いてクリトリスを突き出すターニャ。金属のスプーンの背がクリトリスをつぶすように押しつけられた。
 「きゃぅ! うぐぐ!」
 「熱いわね。可哀想ね。でも耐えて」
 「はい、嬉しいです。はじめて本気で責めていただけました。ありがとうございます女王様」

  愕然とした。私はこれまで本気にはなりきれない。ターニャはそれでは満たされない。女の性の不可解を見せつけられた気分だった。
 「わかったわ、乳首をお出し、このマゾ牝」
 「はい!」
  微笑むターニャが可愛い。早苗はエスカレートを止められないと考えた。
 「どうなっても知らないから」
  早苗はささやき、両方の乳首に鋭い爪先を食い込ませていくのだった。

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進化の謎(二二話)


  ルッツが愛した小さな町は、背景となる岩山と間近に点在する岩の丘の狭間にひろがる荒野の中に家々の集まるところ。まさに開拓時代のアメリカを思わせる雄大な景色の中にある町だった。三年の間に増えた家はわずかに三軒。もともとあったルッツの店と裏のガレージ。その裏に最初の一軒が建ち、次に、そちらもまたもともとあった町外れの一軒の奥側にさらに一軒、またその横に一軒加えた全部で三軒。どれもがルッツの店を継いだ山賊たちが建てた家。
  その中でもっとも新しい一軒には、皆が集まれる大きな円卓のある広間があった。家の造りがログハウスで構造的に強いことと、ログハウスは壁が厚くて銃弾が通らないこと。平穏な町ではあったが、いつまた襲われるとも限らないし、道筋に面して町の両端に位置するルッツの店とそのログハウスとの両方で敵の侵入を防ごうということだった。

  その大きな円卓に、ティータイムを口実として、男では客人のジョエル、バートが呼ばれ、女たちからマルグリット、キャリー、コネッサ、ミーアとマリンバ、そしてボスたる留美が席につく。菓子づくりが得意なマルグリットが焼いたビスケットと珈琲紅茶、それだけが並ぶテーブルだ。時刻は遅めの昼下がり。夕食のタイミングではなかった。
  最後にバートが座って皆が揃うと留美は言った。
 「はじめてお迎えするちゃんとしたお客様と言えばいいのかしら。こちらはあのとき救ってくださった正規軍のジョエルさん。いまは大尉となられたそうですけど、ルッツさんのお兄さん、デトレフ中佐の部隊におられる方。今日から非番ということではるばる訪ねてくださったのよ」
  来客を取り次いだコネッサはともかく、皆がジョエルへ眸を流す。あのときは軍服。私服になるとイメージが一変し、三十一歳の若者でしかなかっただろう。ジョエルはとりわけ若く見え、しかし軍人らしい金髪の角刈りと鍛えられた肉体には兵士ならではの覇気が満ちる。バートも元は陸軍兵。ジョエルも長身だったがバートの体躯にはおよばない。
  ジョエルが言った。
 「一言訂正されてもらうならデトレフ大佐」
  バートがわずかに声を上げて笑う。正規軍は装備の点で勝てないというだけで丸腰ならば人対人。単身来るとはいい根性してやがるとバートは内心思っていた。HIGHLY野郎が気にくわない。

 「ということで歓迎のティータイム」
  留美は手をかざしてジョエルにカップを勧めると、自らもティーカップを取り上げた。ジョエルは珈琲。カップを手にして口に運ぶと、皆が席に揃う中で一人だけ全裸のまま留美の横の板床に控えるマリンバへと眸をやった。当然のことながらマリンバだけ飲み物などは用意されない。
  留美は言った。
 「私たちは山賊。人買いどもから女をさらい、共有される牝として犯し尽くし、そうしてずっとやってきた。それはいまも変わらない。まるで一族のようですけれど女は皆の共有物。HIGHLYのモラルなんて通用しない無法世界よ」
  留美はちょっと笑ってジョエルを見た。ジョエルはわずかに眉を上げる。あべこべに試されている。そう思うと可笑しくなって顔がほころぶジョエルだった。
  留美は言う。
 「そしていまジョエルさんも、そんな私たちの中にいる。私たちの流儀にしたがって休日を楽しんでもらおうと思ってね。マルグリットとキャリーは元はHIGHLY、ミーアはマゾ、マリンバは性奴隷、女は他にもいますから、どうぞお一人お選びくださいな。二人三人でもいいけれど。どうしようと思いのまま。ふふふ、さあジョエルさん、ご指名は?」
  バートは苦笑いしながら毛むくじゃらの顎を撫で、いまにも笑うその顔を横に向けてマリンバをチラと見た。他の女たちも皆が眸を伏せて笑っている。意地悪なボス。皆がそう思っていたに違いない。
  そしてジョエルは、そのときチラと円卓から少し離れた天井の太い梁から下がる鉄のフックへ眸をなげた。鉄のワイヤーが巻き取られるウインチになっている。ログハウスは音が通りにくいということで、つまりそういうことのための部屋でもあると察していた。調教室。

  そんな視線の動きに敏感なのはマリンバだった。責められるなら奴隷。しかしマリンバの眸はキラキラ輝いているようだ。
  バートは横目にちょっと睨む。さあ小僧、どうするつもりだ? それが内心。ほくそ笑む。
  と、そのジョエルが片眉だけを上げて言った。
 「その前に、マリンバにはお茶はないようですね。思いのまま自由にしろとボスは言う。ふふふ」
  留美は眸を細めて微笑みながらうなずいた。
 「どうぞ、ご自由に」
 「うむ。ではマリンバ、おいで」
 「はいマスター」
  一人だけ全裸で毛のないマリンバ。豊かな乳房を揺らして這ってジョエルの椅子の横に控える。ジョエルは大きなビスケットを手の中で割って口に含み、少し噛むと、合わせて珈琲を一口含んで口の中で混ぜ合わせ、マリンバの顎に手を先をやって顔を上げさせ、膝で立ったマリンバにキスするように吐き戻して与えていく。
  マリンバの眸が丸い。驚いて、そして嬉しくてならず眸が笑う。
  それからそっと一度抱いて、スキンヘッドを撫でながら座らせる。
 「ありがとうございますマスター、夢のようです」
 「よろしい、よく躾けられた奴隷だ。・・さて」
  次に顔を上げたとき、見つめるバートの視線とまともにかち合い、ジョエルはその視線にも微笑んで、それから留美の眸を見つめる。

  まさか私?

  ときめくような不思議な想いに支配された留美。ジョエルは言った。
 「でしたら望みはストリップダンスかな。ふふふ、ダンサーはボスということで。いますぐここで」
  これにはバートが声を上げて笑った。これは見物。試したはずの小僧に試されるボス。女たちも皆が双方を交互に見てひそかに笑う。
  留美はちょっと笑って、笑いが退いて真顔となって席を離れた。
  鉄のフックが巻き上げられた真下に立つ。音楽などはなかったが、バートがテーブルを軽く叩いてリズムをとる。サンバ。こういうときにはふさわしい。
  室内でもサンダルを履く文化。留美はリズムに合わせてステップを踏み、腰を振りながら肢体をしならせ脱いでいく。夏のいまミニスカートにTシャツレベル。ジーンズミニのボタンとファスナー、Tシャツ。そのとき留美は鮮やかなブルーのブラとブルーのパンティ。リズムに合わせて乳房が揺れて、ブラから解放されて尖り勃つ乳首までが露わとなる。大きくはないが形の整った綺麗な乳房。
  マリンバは見つめている。人生を奪った女の、女としての意地を見つめる。
  そしてパンティ。
  腰を振りながらセクシーに裸身をしならせて、尻から指先を滑り込ませて降ろしていく。踊る汗がにじみ出し、性的な上気を隠すように全身を桜色に染めていく。
  全裸。もはや忘れ去っていた洞穴での最初のときを思い出す。恥ずかしい。なのに濡れてたまらない。留美は熱を持つ据わった眸をジョエルただ一人に向けたまま、踊りながら黒い陰毛の奥底へ指を突っ込み、まさぐった。

 「ンふぅ、ぁぁ感じる、いい、あぁぁぁ」

  マリンバのスキンヘッドに手を置いて見つめるジョエル。まっすぐな視線。
  ジョエルは立った。立ち上がって踊る裸身に歩み寄り、抱こうとして両手をひろげたのだが、そこで留美はすとんと沈んで、ジョエルのジーンズのジッパーに手をかけた。ジッパーを開放し、手を入れて、すでに半ば勃起する若いジョエルを引きずり出して亀頭にキス。口に含む。ジョエルは仁王立ちで、足下にひざまづく留美の頭をそっと撫でてやっている。
  喉奥への突き込みが深くなって留美は吐き気をこらえて涙を溜め、それでも突き込み、ジョエルがかすかに呻いて射精へいたる。
  ンぐぅ・・飲み込む音が喉にくぐもり、吐き出した勃起に泡立つ唾液がからみついて糸を引く。自分よりはるかに小さな女の裸身を、ひょいと、あのときのバートのような腕力で立たせると、ジョエルは抱き締め、口の周りがヌラヌラ濡れる女の口に唇を重ねていく。
  バートが言った。
 「しまいだぜ、この勝負、五分と五分。ふっふっふ」
  全裸の留美と着衣のジョエル。一度キスを解いて見つめ合い、ふたたび抱き合いキスに溶ける。バートの声など聞こえていないというように。
  亮に似ている。あのときも思ったことだが、留美はジョエルのキスに亮の匂いを嗅いでいた。

  ふと気づくと、円卓はもぬけの殻。椅子の横に寄りそうように、マリンバが涙を溜めて控えていた。

  地球の青い空に半月の月が流れていた。その闇の半分にムーンアイは位置していて、そのときジョゼットだけがコントロールルームにいた。
  太陽の行き先を計算する。どれほどやってみたかわからない。しかし確率に変化はなかった。99パーセントの確率で太陽系は崩壊し、地球は引き裂かれて消滅する。ジョゼットはモニタに映し出される悪魔の星を見つめていた。やや傾いて七色のパルサーを放射する美しい姿ではあったのだが。
 「終わりね、どうしても・・」

 『いいや違う』

  ハッとした。確かに聞こえた不思議な声。それは鼓膜を通さず心に響いた天空の声のよう。
  ジョゼットはとっさに室内を見渡して、真っ先に背後のテーブルに置かれた木箱を見つめ、まさかと考え直して、窓という窓を見渡した。
  脚が震えた。大気がなく夜にはマイナス170℃、そんなところに生命は存在しない。やはり木箱か。ジョゼットは気を取り直してテーブルに歩み寄り、木箱の蓋を静かに開けた。
  デトレフがルッツの町から持ち帰ったエイリアンの化石。黒くツヤツヤ光る、まさに石の骨格だ。エイリアンは喋らず、ぴくりとも動かない。期待する私が馬鹿よ。そう思って蓋をしようとしたときだ。

 『我々が存続させる』
  ジョゼットは今度こそ慄然とした。テレパシー。それも化石となって朽ち果てたエイリアンの意思だというのか。神の声に思えてならないジョゼットだった。

 「人類は滅びないとおっしゃるのですか? お願いです応えて。私たちは必死なんです、どうか教えて」
  動かない化石を見つめてジョゼットは祈るような心持ち。
 『我々は飼育している。かつての原人。おまえたちがジャワと呼ぶ以前の猿どもを』
  進化の空白と言われるジャワ原人以前の時代。それは地球に人類らしい人類が登場した頃である。
 「ではいまから二百万年・・いいえそれ以前の地球人を?」
 『捕獲して連れ去った。知恵を授けて育てている』
 「人類が滅びても地球生命は生き残る、そういうことですね? 人類に知恵を授けたのもあなたがた? 遺伝子を操作して猿から人をつくってくれた?」
  それには声は応えなかった。
 『正しい選択を見届けて我らは去った』
 「人類を終わらせろと? それが正しい? お願い応えてください。地球はもうダメですか? 中性子星は避けられない? お願いですから、どうか応えて」

 『運命だ』

  それきり声はしなくなる。
  ジョゼットは木箱の中の小さな骨格の額にそっとキスをしてやった。
 「ありがとう」
  ジョゼットは泣いた。迷いを払う言葉をくれた。心が軽くなっていく。
  そしてそのとき海老沢がムーンアイへとやってきて、木箱に顔を突っ込むおかしなジョゼットを目撃する。
  振り向いたジョゼットは川のような涙を流して男の胸に飛び込んでいく。
  計算違いであってほしいと願う天文学者の想いが聞かせた、あるはずのない神の声。そう考えて海老沢は抱いてやるしかなかった。
  しかしこれで辻褄は合う。進化の空白としてなぜか化石の出ないジャワ原人の謎が解けた。海老沢はジョゼットが聞いた声を否定しない。
  海老沢は言う。
 「胸のつかえがおりた気分だ、楽になったよ」
 「そうね、ほんとにそうだわ。愚劣な種を解き放ってはいけない」
  二人で見つめるモニター画面にパルサーを放って輝く中性子星が映し出されたままだった。

  瞼の裏に星が舞う至上の快楽。マリンバだけが見守る中で、留美は円卓に両手をついて尻を上げ、ジョエルの強張りを子宮に感じて吼えていた。一度のピークでジョエルは萎えない。熱の勃起。下腹の奥底が焼かれるような女の夢に留美は狂い、白い尻を振り立てて吼えていた。
  ピークが来る。幾度となく追い詰められて、子宮口を洗うような射精が来る。
  ジョエルは放ったそのとき一刺し深く突き込んで、衝撃に波紋を伝える白い尻をパァンと叩くと一気に抜き去り、マリンバに命じた。
 「おまえの出番だ、よく舐めて後始末」
 「はいマスター」
  男の体と入れ替わったマリンバは、テーブルに両手をついていまにも崩れそうになる白い逆V脚の尻の底に顔をうずめ、下から手を回して腰を抱いて留美を支えた。
  白く泡立ってあさましい女の性器。マリンバはむしゃぶりついて舐めまわし、膣からとろける男の樹液を舐め取って嚥下した。
  おおぅマリンバおおぅと留美は吼え、背を反らして頭を上げて黒髪を振り乱し、そのまま力が抜けてマリンバの上にしなだれ崩れた。二つの女体がもつれあってフロアに崩れ、マリンバは留美を抱いてやって豊かな乳房にボスの顔を受け止めた。

  ドウンドウン。マリンバの心音は驚くほど強かった。遠くなって消えかけた意識がその心音で引き戻されて眸を開ける。女二人で見つめ合い、それからほぼ同時にジョエルという猛々しい牡を見上げる。
 「最高の休日だ、負けたよ留美、マリンバにも」
 「今日はどうされるおつもり? 一緒にいられる?」
  立とうとして腰が抜けて崩れる留美をジョエルは受け止め、床から抜くように立たせると、笑って言った。
 「できるなら」
 「泊まれる?」
  ジョエルはうなずき、留美が思ってもみなかったことを言う。
 「最後の楽園、そんな気がする」

 「最後の楽園は月にある。せめてもの救いは月の女神といられることだ」
  早苗の部屋。跳ね上げ式のベッドを上げて、できた空間に二脚の椅子を置いてテーブル越しに見つめ合う。二人揃ってたったいま部屋に入ったばかり。デトレフは座るなりそんなことを言い出した。
  早苗は笑う。
 「どうしたのよ詩人みたい? 地球へ行っておかしくなった? ふふふ」
 「地獄を見たさ」
 「遺体でしょ?」
 「南極に打ち捨てられた累々たる凍った死体を百体単位でプレスして積みやすいキューブを造り、積み込んでいく。写真を見せられて寒気がしたよ。こんな星は終わればいいとは思うのだが俺は神ではないのでね」
  早苗は浅くうなずいて、そのときちょうど弱いノック。ターニャであった。
  ビアンでマゾ。ターニャもまた心の闇に苦しむ一人の女。
  デトレフは笑わず見据えた。早苗がターニャとそういう関係であることは知っていても、こうして密室に顔を揃えたのははじめてだった。
  ターニャは性の予感に心が震える。戸口を入ったまではよかったものの、立ち竦んで声も出せない。
 「男の人がダメみたいよ。ビアンでマゾ。でも可愛い女の子」
  言いながら早苗は立って跳ね上げ式のベッドを倒しターニャ一人を座らせた。

  早苗は言った。
 「女王様を抱ける男性はマゾにとってどういう人?」
  ターニャは白い頬を赤くしてうつむいたまま、消えそうな声で言う。
 「ご主人様です」
  早苗はちょっと微笑んだ。
 「かどうかはともかくも、責めたくなって私は呼んだ。脱ぎなさい」
  ターニャは怯えに揺れる眸を早苗に向けて唇を噛んでベッドを立った。
  シルバーメタリックのスペーススーツの下は皆が同じ。ピンクの紙でこしらえたブラとパンティ。脱ぎ去った白い裸身の乳房を抱くようにしてターニャはふるふる震えている。ブロンドのショートヘヤーが男っぽくて逆に美しく化粧などしなくてもターニャは美人。金色の陰毛では隠しきれない裂溝が毛の中に透けている。
  デトレフは微笑みをたたえて見つめているだけ。女王は早苗なのだから。
 「ベッドに座って足を上げ、奴隷の欲情をお見せしなさい」
 「・・」
 「ターニャ!」
 「はいっ女王様」
  デトレフにとって、ターニャの体の底よりも、S女となって命じる早苗に心が揺れる。女が生まれ持つ情欲の魔女の横顔を見せつけられた気がしていた。

  留美の部屋の大きなベッドでジョエルと留美は溶け合って、そのまま静かな夜は訪れた。逞しい胸に頬を寄せて漲る心音を聞きながら、穏やかに眠った男の根源をそっと握る。
 「こうした暮らしを末端などと言うつもりもないが月は間違いなく最先端だ」
 「末端だわよ。そうなるよう仕組まれた末端ですけどね」
 「その両極で同じことが起きていると思ってね」
 「どういうこと?」
 「月にいる一割が女性。月では女たちのほとんどが避妊薬を口にし、性の自由を楽しんでいるそうだ。それを言い出したのは日本人の女医らしい。多くの男たちが疲弊している。男たちが苛立ってきて、このままではいつか壊れる。私は男たちを抱いてやりたいと言ったそうなんだ」
 「母性よね」
 「それもそうだが内なる声に素直なのさ。男は子供、女は母。この図式は本能的なものなのだろう。マリンバがそうだ。子供たちの暴虐に母は身を捧げて耐えている。タイパンへの恨みなどもはやあるまい。哀れで可愛い性奴隷。子供たちは自らの愚行に気づいていて母に対してすまないと思っている。マリンバや、もちろんルミも、女たちのすべてが野獣をつなぐ力となる」
 「それで月はやさしくなった?」
 「一割の女たちだけがHIGHLYさ」
 「なるほどね、わかる気がする」
  ピロートーク。
  あれからも責められ抜かれ、ベッドの脚にチェーンでつながれ疲れ切って眠るマリンバには聞こえない。

getsumen520

神の審判(二一話)


  五百万人の人々が生存できる月面都市とは、すなわち壮大な地下街を造ろうとするに等しかった。月の外殻を天井とする二重構造なのだが、構造的には地下街というよりも潜水艦の内部を思えばよかっただろう。居住部分を大空間としてしまうと事故や隕石の衝突などで一部がやられてしまうだけで全滅しかねない。そこで小さな空間をいくつもつないで気密ハッチで分断できる構造とするわけだ。
  大を救うために小を殺す。それは正しい判断なのかも知れなかった。
  しかしその発想が、地球上でHIGHLY、WORKER、LOWERという区画を生んで、HIGHLYだけが人という極端な正義が生まれてしまった。地球に終焉のときが訪れるのは避けられない。宇宙スケールのノアの箱船。なりふり構わず生きようとする本能が暴挙の本質となっている。
  太陽系の行き先に死をもたらす中性子星が待ち構えているなどとは、人々には一切知らされていなかった。あくまでオゾン層の減衰と海面上昇という地球環境の激変に対する対策であるはずが、行き過ぎもはなはだしい。HIGHLYの暴挙に対抗するレジスタンスが生まれると殲滅される。それはHIGHLY同士であっても同じこと。天文学者が真実を伝えようとすれば抹殺され、人道主義者が異議を唱えれば粛清される。
  人類は史上かつてない暴力の時代に生きていた。

 「着陸まで一時間です」
 「うむ。戻って来たな」
  光の三日月だった月が大地としてひろがって、懐かしくも思える景色となって目に映る。デトレフは苦しかった。軍船には核兵器の起爆部分が大量に積まれていて、地球の終焉を決定的なものにする。
  終焉までおよそ七十年。ムーシップの旅立ちまでなら五十年。そのどちらもが自分の人生には無関係。しかしその頃になって生まれる命もあれば若者たちも大勢いる。愚かな人類を宇宙へ解き放ってはいけない。そうは思っても、絶滅は神の審判に委ねるべきではないか。俺は神ではない。眼前に迫ってくる月面を見渡して、デトレフは自分がわからなくなっていた。

 「ふぅぅ、ルミか・・」
  つぶやくデトレフ。
 「はい?」
  部下が問う。
 「いやいや独り言さ、気にするな」
  ルッツよ、おまえならどうする?
  ルミというあの娘にも無関係なことなのだが、その子孫、そのまた子孫を処刑することになる。月面にいる者たちにも次々に若者が送られて来るだろう。人類のためと信じて人生を捧げた者たちを裏切ることになりはしないか。

 「戻って来たわね」
  月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルーム。黒い空に浮かぶ軍船を見上げてジョゼットは言ったのだったが、そばにいて海老沢に声はない。
  地球の周回軌道に浮く宇宙ステーションから、すでに核兵器廃棄のための超大型輸送船は旅立っている。
  ジョゼットが言う。
 「二十五年後か。ふふふ、私たちはお婆ちゃんとお爺ちゃん」
  灰色の船底を見せつけて迫り来る軍船を見上げながら苦笑するジョゼットの背を海老沢はそっと撫でてやる。
  デトレフ帰還。月を出てから十か月が過ぎようとしていた。
  いまから正確に二十五年後。宇宙ステーションから送り出された核兵器の廃棄船は、旅立って十年で動力部分が故障。その後宇宙を彷徨ってふたたび月へと戻って来る。そうなるようにプログラミングされていた。

  ムーンカフェ。

  軍船の帰還は予定した時刻よりも大幅に遅れ、ムーンカフェのクローズタイムを過ぎていた。カフェを閉じ、それでも二人は眠れなく、ムーンアイへとやってきた。そのとき月面都市は三日月の夜の側に入っていて、望遠鏡ははるか天空のベテルギウスを捉えている。こちらも死を目前にした巨星。海老沢とジョゼットだけの静かな空間。軍船が戻ったのはそんなとき。
  ジョゼットは、待ちわびる早苗にインターフォンを入れておき、海老沢と二人でふたたびムーンカフェに戻っていた。珈琲を支度する。
  ほどなくして、毅然とふるまう凜々しい軍人が入って来る。八か月ぶりに見るデトレフは、瞳の奥に強い意志の漲る男。少しも変わっていないと二人は思い、さらにそのときドアが開いて早苗が笑う。
 「やっほ」
 「ふふふ、うむ、元気そうだな」
 「元気だもん」
  ふざけて言って、早苗は涙を浮かべてデトレフの胸に飛び込んでいく。四人ともにシルバーメタリックのスペーススーツ。ジョゼットをカウンターの中に置いて三人並んで席につく。
 「降りてみたさ」
 「行って来たんでしょ弟さんのところ?」
  早苗が言ってデトレフはちょっと笑った。
 「体がこんなにも重いものとは思わなかった。動けるようになるまで十日ほどかかったものだ。月はやさしい、まさにルナ、女神様だよ、体が軽い」
  柄にもないことを言う。早苗はちょっと肘で小突く素振りをする。

  ジョゼットの珈琲。カップを口に運びながらデトレフは言った。
 「最悪だ」
  独り言のようにボソっと言う姿を三人揃って見つめている。
 「アフリカエリア、それにアジアエリアでも、またしても反乱があって百万人単位で殺されたそうなんだ。オーストラリア大陸は比較的平穏だったが、HIGHLYどもの締め付けはますます厳しくなるだろう」
  早苗は言う。
 「鬼畜の所業ね」
  デトレフは声もなくうなずいて、そして言った。
 「核廃棄は予定通り。起爆装置もくすねてきたさ」
  女医としてなのか早苗は問うた。
 「遺体のほうは?」
  死体とは言わない。
 「直接タッチはしてないが・・」
  そのときのデトレフの面色の曇り。それきり誰もその話題に触れようとはしなかった。
  早苗は言う。
 「ごめん、余計なこと訊いちゃった」
 「いや、かまわん。俺は軍人たる自分を呪うよ。嘔吐が出る連中の側にいると思うだけでやりきれん。しかしな、それはそうでも・・」
  それきり絶句したデトレフを察してジョゼットは言った。
 「私たちもそうなのよ。私たちは神にはなれない」
  デトレフは声を返さず眉を上げ、思いを切り替えるように顔を上げた。
 「正論を言うならそれでいい。時間はまだある。ところで」

  そうデトレフは言って横に座る海老沢へと目をやった。あのことはもちろん無線で告げてある。地球で傍受されても解読できない暗号化された軍用無線。
  海老沢が言った。
 「かなりな揺れから想像するに、彼らは地下都市を爆破して去って行った。新しいクレーターができたというだけのものだろう。行ってみたくても手段がないのでね」
  次にデトレフは早苗に向かった。
 「あ、そうそう、弟の町で出た化石を持って来た。ほぼ完全な骨格だ」
  早苗が言った。
 「姿は同じ?」
 「そのままさ。幼子のようでもあって哀れに思えてならなかったね。もはや石。医師の領域ではないだろう」
  早苗は、すっと背伸びを一度して語調を変えた。
 「はいはい、もういい、今夜はおしまい。さあ坊や、いらっしゃい。医師としてのボディチェックです」
 「ちぇっ」
  これには皆が笑い合う。自室へ呼んで甘えたい。早苗らしい言い方だった。

 「マリンバ、散歩よ、いらっしゃい」
 「はいボス、ありがとうございます」
  牝豚のことを最初にマリンバと呼んだのは、他ならぬバートであった。責められて歌うような悲鳴を上げ、打ちどころで音階が変化する。打楽器のようだというわけだ。マリンバの奏でる悲鳴は果てていく甘い吐息に変化して曲が終わる。
  留美は三十歳となっていた。ルッツの町は平穏そのもの。レジスタンスの台頭を警戒して軍じきじきに視察に来ても、ルッツの町はあまりに小さく、住民たちもほとんどが中年以降。野蛮きわまりない山賊の棲み家であり、よそからの目立った出入りもないということで黙認されていたからだし、そのときもマリンバの存在が決定的な蛮族のイメージを植え付けた。性奴隷を虐待する連中としか映らなかったに違いない。
  季節は初夏。留美は白いミニスカートにプリントTシャツの姿で、とても山賊のボスとは思えなかった。しかしステンレスの首輪につながるチェーンを手にし、ミニスカートほどの腰布を与えただけで白い乳房を弾ませて歩く髪の毛のない奴隷の姿を見るにつけ、彼らは山賊だったと思い知る。そうした姿を軍にも見せつけ、したがってルッツの町は平穏を保てている。

  三年の間に住人の二人ほどが召されて逝って、町の者たちも好ましく老いてくる。若くても四十代という人々にとって、タイパンのクイーンと呼ばれた女への憎しみは失せていた。
 「よおマリンバ、相変わらず綺麗だぜ」
 「ほんとよ、髪の毛だって許してやりたいぐらいだね」
 「はい、ありがとうございますマスター、それにマダム。可愛がっていただいておりますので」
  そうして逐一道ばたに膝を着いて挨拶させる。男はすべてマスターと呼ばせ女であればマダム。もしもそのとき欲情されれば誰の体にも奉仕する。それが性奴隷マリンバの存在だった。
  半裸の奴隷を足下に控えさせ、留美もまた明るく応じる。
 「そうなんですよ、そろそろいいかと思ってて」
 「髪の毛を?」
 「ええ。陰毛はダメ、許さない。ふふふ、これって道ばたで話すことじゃありませんよね」
  皆で笑う。
  マリンバが連れ出されると町の男たちが集まって来る。マリンバには、もはや人としての羞恥はなかった。牝になりきることでしか生きられない。そうした覚悟が町の者のたちには心からの謝罪と受け取られていたのである。
  留美は言った。
 「それもいいかと思ってますよ。髪を許して女に戻し、なのに裸で連れ回す。恥ずかしくて濡れるでしょ?」
 「なるほど、さすがボスだぜ、山賊らしいや」
  どれもこれもが軽いジョーク。皆がマリンバのスキンヘッドを撫でて去って行く。
 腰布のほか露わとなる素肌に傷らしきものがない。町の皆もそのことにほっとしている。

  狭い町中を散歩させて広い部屋へと戻った留美。そこはかつてのルッツの部屋でバートの一室。いまバートは町外れにさらに造った別の家に移っていて、留美の部屋となっていた。かつてのアニタの部屋にはマルグリットとパナラットが同棲するように棲んでいる。
  バートのベッドはキングサイズ。その脚にチェーンを回してマリンバをつないでおく。まさにペット。豚から犬に昇格したようなものだった。
  部屋に戻ってつながれるとマリンバは全裸にされる。犬のようにお座りして留美を見ている。邪念の消えたいい目をしている。留美はビスケットを食べようと手にしたものの、ふとマリンバを見て口の前へと突きつけてやる。
  キラキラ輝くマリンバの眸。手を使わず口を開けてほおばった。
 「まったくどうしてこうなるのやら」
  マリンバが可愛い存在となっている。飼育はミーアに任せていたが、ときどき責めて、そのときに泣いて果てる姿を見るうちに不思議な母性に衝き動かされ、いまではボスの部屋の番犬のようにそばに置く。
 「おいで」
 「はいボス」
  ベッドの下までほんの一歩を這ってきて、正座をして見上げるマリンバ。留美はその二つの乳首に手をのばし、そっとコネてやりながら眸を見つめる。
  切なげに眉間に皺を寄せるマリンバも、四十三歳になっていた。
 「いくつになっても綺麗よね、可愛いわよ」
 「はいボス。あぁぁ感じます、嬉しいです」
 「うん、いい子になってくれたもんだ。髪の毛ぐらいは許してあげようと思うんだけど、女に戻らないほうがおまえのため。眉毛だけで暮らしなさい」
 「はいボス、うぅン、濡れますボス」
  裸身がくねるマリンバ。
 「最初はね、体にピアスぐらいはしてやって鼻輪もいいかと思ってた。でもねマリンバ、あのバートがマリンバと名づけるぐらいおまえの姿は可愛いの。私よりもみんながとっくに・・」
  許していると言いかけたときドアが強くノックされた。

  入ってきたのはコネッサだった。黄色いショートパンツの弾けるような姿。
 「お客さんよ」
 「あら誰?」
 「ほら、あのときの兵隊さん」
 「ジョエル?」
 「そうそう。まるで私服、今日は非番なんですって」
  三年以上も会えていない。あのとき一度きりで、軍に頼らなければならないこともなかった町。留美はちょっと考えて、そのときもマリンバをちょっと見て、そしてコネッサに告げたのだった。
 「ここへお通しして」
 「ここへ? いいのそれで?」
  コネッサもまたマリンバを気にしている。
 「いいのよ、隠すことじゃないからね」
  コネッサはうなずくと、マリンバのスキンヘッドをそっと撫でて出て行った。
  わずかに緊張の眸色を浮かべたマリンバ。ベッドの下から少し離れた、毛布の敷かれた寝床へ戻って正座で控える。

 「こちらです、どうぞ」
  ドア向こうにコネッサの気配。そしてすぐにドアが開いた。
 「やあルミ」 と、ちょっと手を挙げて笑った刹那、素っ裸で毛のない女がつながれる景色に絶句するジョエル。ブルージーンにサマージャケットだったのだが、あの頃とは明らかに違う精悍さを身につけている。
 「驚かれました? かつてタイパンという凶賊がいて、これはそのボス。クイーンと呼ばれてた女なんです。いまではすっかり奴隷ですけど」
  タイパンに弟と殺されたことはデトレフから聞かされていたジョエル。なるほどとうなずいて歩み寄る。留美は椅子ではなくベッドに座ることを勧め、自分は立って椅子に座った。ベッドサイドに小さなテーブルが置かれてあって、それとセットの小さなウッドチェアである。
 「ここはルッツさんのお部屋でした。このベッドも」
  ジョエルはうなずき、留美と入れ替わってベッドに座る。
 「マリンバ、お客様よ、ご挨拶なさい」
 「はいボス」
  豊かな乳房をたわたわ揺らして犬のように歩み寄り、フロアに額を擦りつけて平伏す奴隷。上から見下ろせば背中からすぼまって張り出す女のラインが美しいはず。
 「ジョエル様よ。国連軍の軍人さんで、あなたが殺したルッツさんのお兄さんの部隊にいるの」
 「はい。はじめてお目にかかります、マリンバと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
  マリンバの面色が青ざめていた。ルッツの兄の部下。そう聞くだけで心が乱れるマリンバだった。
  ジョエルは言った。
 「わかった、もういい。傷のないその様子なら許されているようだ。とやかく言うこともないだろう。心して生きることだよ」
 「はいジョエル様、おやさしいお言葉をありがとうございます」
  留美は目を細めて様子をうかがう。さすがデトレフの右腕だけのことはある。
  留美は言った。
 「向こうを向いて四つん這いです。お尻を上げて恥ずかしいところをお見せしなさい」
 「はいボス、あぁぁ、はい!」

  マリンバの白い裸身が見る間に上気して染まっていく。背を向けて這い、尻を上げて脚を開く姿をジョエルは黙って見守って、しかし性器を見ようともしない。
  留美は言った。
 「それで今日はどのような?」
 「あ、はい、じつは大尉になったこと。いやまあ、そんなことはどうでもよくてルミさんに会ってみたくなりました。それだけです」
 「ほんとにそうなら嬉しいわ。デトレフさんはお元気?」
 「彼はもはや地球人ではありません」
 「まっ。ふふふ、それはそうかも」
  ジョエルは明るい。
 「ええ元気ですよ。無線でときどき話しますがルミさんのことも気にかけておいでです。あのときは時間がなくて、ほんとはゆっくりしたかったんだがって口惜しがってた」
 「弟さんのお店をぶんどるみたいになってしまって」
 「とんでもない、喜んでますよ、意思を継いでくれる女性だって言ってます」
  留美は心が揺れていた。私服のジョエルは若々しい。精悍そのもの。兵士としての角刈りの金髪もよく似合う。
 「私たちは山賊よ、意思を継ぐより何より生きること。このマリンバの姿もそうですが褒められた生き方なんてしていない」
  ジョエルは笑い、ちょっとうなずく素振りをする。
 「それを言うなら我々こそだ」
 「みたいですね。よしましょう、こんなお話。今日は非番だとか?」
 「しばらくぶりで三日ほど。今日がその初日というわけで」

  ふいに留美は問い質す。
 「ストレスは?」
  ジョエルは、その言葉の真意を探る眸色で苦笑する。
 「たまりませんね。一族みんながHIGHLYだからどうにもならない」
 「奥様は? 恋人とか?」
  ジョエルは今度こそ笑って、そんなものはいないと言った。軍にいて、とてもそんな気にはなれないと。
  留美は微笑む。
 「でしたらジョエル」
 「はい?」
 「私たちの流儀で過ごしませんか。LOWERでもない野蛮な流儀で」
 「ですね、そうできたら夢のようだ」
  留美はうなずいて微笑むと、ジョエルの右手を取って男の太い腿の上に置く。
 「は?」
 「こうするんです」
  握り拳をつくらせて太い親指だけを上向きに立たせておく。
 「マリンバおいで」
 「はいボス」
  尻を向けていたマリンバは振り向いてそんな様子を察すると、それだけで留美の意思をくみとって、ジョエルの腿にまたがってくる。
  眉毛のほか毛のない奴隷。白いデルタに裂溝は浮き立って、すでにそこは濡れていて、ジョエルの立てた親指に膣口をあてがうと一気に腰を沈めて貫いてくる。
 「自分でおっぱい揉みなさい。もっと腰を入れてよがり狂うんです」
  白い尻っぺたを叩いてやる。尻肉がブルルと波紋を伝えて震えていた。
 「はいボス。あぁぁいい、感じますマスター、あぁン! 嬉しい、あぁン!」
  指は静止。なのにヌチャヌチャ濡れ音をからませて抜き差しされる太い指。豊かな乳房を自ら揉んで乳首をツネり、腰を激しく使ってマリンバ自身を追い詰めていく。
  ジョエルは慈愛に満ちた眸の色で狂乱する奴隷を見上げ、留美はそんなジョエルの腿に手をやって横顔を見つめていた。
  亮の姿を思い出す。ジョエルは似ていると留美は思う。それはあのときからそうだった。眸の輝きがそっくりだと思っていた。

  このときジョエルは、上司デトレフが言った『なかなかの器だよ、ルミって子は』という言葉の意味を確かめてみようと考えていた。

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