女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。

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人として死す(終話)


  そのとき早苗はダフネと二人で食品プラントを視察していた。
  地下にひろがるその場所は、ファームというより、まさしく食の生産工場。食用ワーム、食用ウジ、食用ゴキブリ、カエルやネズミまで繁殖力旺盛な動物性蛋白源を育て、水耕栽培の野菜、茸の類までが整然と並ぶ最先端の育成施設。
  そしてそれらの餌や肥料に、処理された者たちの肉体が再利用されている。  今後ますますこうしたプラントは拡張されていくだろう。五百万人の命を支える食のため、そうしなければ維持できない。人一人が必要とする酸素や水も数百人数千人ともなれば膨大な量となる。ムーンシップの旅は地獄への旅立ち。そのほんの一部がいまこうして形となった。

  早苗は事実を公表し、そんな早苗を守ったのはダフネであった。イゾルデもそうだ。生殖実験で産まれた女児が十五歳になったとき、イゾルデにとっても残酷な実行のときが来る。片やグループにバージンのまま凍結精子を植えて妊娠させ、片やグループには、月で生まれた男児の精子を植えていく。凍結精子は原種の人類から採取したもの。月で生まれ育った男児の精子は第二世代のものであり、遺伝子の変異を監視していかなければならないからだ。
  早苗とイゾルデ、二人の女医を、ダフネは何としても守ろうとする。地球の意思であることよりも、人として、二人の苦悩はよくわかる。

 「隔世の感だわ」
  事故に備えて区画ごとに気密されるプラントを見渡して早苗が言うと、五十代となって建設現場をはずされ、軽労働に転用された女が笑う。
 「これでも三十万人規模なんですよ。まだまだこれから」
  月へと送られた最初の頃からしばらくは、食料といえば地球からの補充であって、レトルト食品、缶詰、乾燥食品、そして栄養剤しかなかったものだ。月面地下にこれほどの牧場と農場ができるなどとは想像すらしていない。
 「それから先生、一言いいですか?」
 「もちろんいいわよ、どうぞ」
 「みんなわかってますからね、ご自分を責めないで」
 「ありがとう。どうしても地球のモラルから離れられないのよ。私は死神、そう思ってしまうんです」
  そばにいてダフネが言う。
 「そうじゃない。そのために送られた私の責務を背負ってくださる。早苗さんを尊敬するわ、なんて強い人なのかって」
  表面上は平静でいられても心はもがき苦しんでいる。早苗やイゾルデの苦悩をわからない者はいない。消されていく同志に手を合わせながら、月面の皆は痛みを共有して生きていた。

  しかし早苗もイゾルデも独りのときには泣いてしまう。泣き腫らした眸はごまかせない。それだけに皆は情を寄せる。人体の再利用に造反する者などいなかったし、自分もやがてはそうなると覚悟ができて、むしろさばさば生きていける。
  地球のそれとは違うムーンシップに生きる人類の文明が、そうしてつくられていくのだろう。

  核廃棄船の帰還まで、残り四年と余月。廃棄船はすでに動力部の故障でUターン。太陽の引力に引き戻されて月への進路をたどっていた。そしてそれは地球上の観測施設でももちろん探知されていて、地球や月に近づくようなら迎撃せよと命じられていたのである。
  反旗を翻すのはそのときだ。地球の意思に逆らえば軍が送られ、デトレフ部隊は戦わなければならなくなる。送り込まれたスパイたちも動き出す。月面上で内乱となるのは明白かと思われた。
 「とりわけ残り一年をきってからの人員補充に気をつけなければならないだろう。輸送船を偽った軍船であることが考えられるからね」
  デトレフのそんな言葉にうなずきながら海老沢は言った。
 「そのとき民衆がどちらにつくかだ。それで決めてもいい気がする」
  月面車ムーンカーゴにデトレフと海老沢の二人きり。
  デトレフは言う。
 「民衆ね。月でその言葉を使おうとは思わなかった。月のことは月に任せろでどこまで押し通せるか。民衆と言うならそれも正しい選択さ。皆が存続を望むなら我々が消えるだけ。じきに六十五だぜ。もはや余生よ」
  六十二歳となった海老沢はちょっと苦笑してうなずいた。判断の基準は地球にはない。月面の皆の想い。最後の最後で二人には迷いがあった。実行すれば人類は宇宙の塵となって消えていく。


 「マリンバもすっかりお婆ちゃんね」
 「そうですね、タイパンのクイーンのままなら私は化け物になっていた。マリンバとなれた幸せな人生でした」
 「何を言ってるの、マリンバはまだまだよ」
 「ほんとにそう思います。じきに六十七なんですよ。この歳になって体を求められる幸せなんてあり得ない。バートも様もそうですし、ボスだって抱いてくださる。
とんだマゾ婆さんです」
  スキンヘッド。陰毛さえも生涯拒んだマリンバの人生。
  そのとき留美も五十歳となっていて、病の床に伏せっていた。
  留美は懐かしむように言う。
 「ふふふ、そうかも知れない。私もいい人生だったわよ。LOWER社会に堕とされて、レイプまたレイプの日々。だけどそんな中から新しい私が生まれ、よくよく考えてみるとそれは牝にとっての至上の幸福。仲間たちに囲まれて、可哀想なマリンバを楽しんで。それまでの私のままならつまらない人生だったと思うのよ。文明は人の前にレールを敷くわ。私は私のレールに生きてきた」
 「縁起でもないですボス、生きてもらわなければ困ります」
 「どうかな。そろそろいいわって思えちゃう。あなたが殺した亮のところへ行きたいなってね。月は月でひどいことになってるみたい」
 「そうなんですか?」
 「よくはわからないけど地球を相手に戦争みたいよ。これ以上の無理難題は受け付けない。月のことは月に任せろ。月の民衆は反旗を翻した」

  そしてそれから半年経った冬のある日。
  地球のジョエルからの無線に、デトレフは声も発せず聞いている。
  留美が逝った。五十一歳。子宮がん。葬ってしまいたいLOWERたちに定期検診などというものはなく、不調を訴えたときには手遅れだった。
  デトレフは言った。
 「こちらは多少のトラブルはあったものの、民衆は我らについた。地球の横暴が許せない。酷使するだけ酷使して期限が過ぎれば処理される。囚人の女たちには子を産ませ、さらに産ませ、さらに産ませ、その子らにも生殖実験。論理的正論などクソくらえ。ふざけるな。人は尊厳をもって死んでいくべき。皆の想いは共通していた」
  ジョエルは言う。
 「いよいよ決行?」
 「そういうことだ。月面上のクラックは径およそ四十キロ、深さ二百メートルまでボーリングし、あとは核を仕掛けるだけ。まずは宇宙ステーションを攻撃する。そのタイミングでおまえたち同志が決起する。混乱した地球は月にかまっていられない。その間に核を仕掛け、時限装置のスイッチをオンとするだけ」
 「了解しました。やってやろうじゃありませんか」
 「宇宙ステーションの破壊が合図だ」
 「幸運を。これまでありがとうございました。ご一緒できて光栄です」
 「こちらこそ。さようならジョエル」

  超大型輸送船よりも巨大な核兵器廃棄船が、そのグレーの船体をぐいぐい月面へと近づけていた。人類最大の汚点である核兵器。それも戦略核クラスの水爆と原子爆弾を満載している。
  月の意思を図りかねた地球からの大型軍船が向かっている。
  デトレフは号令した。
 「レーザー砲を準備せよ、最初のターゲットは軍船、続いて宇宙ステーション。さらに続いて地球上の軍本部を攻撃する」
 「了解しました」
  このときデトレフは齢七十になろうとした。老体に鞭打った最期の反抗。それは部下たちも同様で、六十代、若くても五十代となっている。
  大型軍船には二千名の兵が乗り、もちろん高エネルギーレーザー砲を搭載していたのだが、戦艦搭載型であるためにレーザー砲の有効射程は三十万キロ。対して地上配備型の月面砲のそれは五十万キロ。パワーが違う。
 「一号砲、放て!」
  オレンジ色というより七色に眩く輝く光束が天空に浮く地球めがけて放射された。ターゲットは軍船。二千名の悲鳴が闇の空間に吸われて消え、続いて宇宙ステーション。地球の静止軌道上に浮く宇宙ステーションは巨大であり、そこには三万人を超える者たちが駐留している。
  デトレフは感情のない鬼となる。
 「二号砲だ、放て!」
  光となった殺人者が天空へと射出された。宇宙ステーションはあまりに巨大で弾薬庫も兼ねているため、青い地球のすぐそばで赤く輝く光の球となって現れる。
  続いて攻撃。かつてのアメリカ大陸、水没をまぬがれるテキサスの丘陵地帯に設けられた国連正規軍本部は、すなわち国連機能の集束体。
 「一号二号、同時に放て!」

  核廃棄船は、その悪魔的な船体にオレンジ色の逆噴射をかけ、静かに月面裏へと降りて行く。地球を攻撃したデトレフ部隊は即座に軍船で向かい、核爆弾を回収しては起爆装置をセット。月面地上のクラックに沿って準備されたボーリングホールへと仕掛けていく。
  最期の手段として軍船に水爆三発を置いたまま、あるだけの核をすべて用いる。径四十キロ、深さ二百メートル以上をブロックとして吹き飛ばす。それだけでも時間のかかる爆破準備。完了するまで数か月はかかってしまう。デトレフは最期の力を振り絞り、爆薬セットを見届けて倒れていった。
  ホスピタルモジュールのベッドの上で愛した早苗に看取られて眸を閉じる。
  このときダフネそのほか内乱で敵対した者たちは、かつて埋められた輸送船の居住モジュールに監禁されていたのだった。その数、およそ千名。
  早苗は眠るデトレフにやさしく言った。
 「さようならデトレフ、先に行ってて、私も後を追うからね。愛してる。あなたの子供が欲しかった」

  ムーンカフェ。
  いまではジョゼットカフェの面影はなく、二人はムーンアイへと逃れるように手を取り合って、テーブル越しに見つめ合っていたのだった。
  海老沢六十六歳、ジョゼット六十六歳。知り合っておよそ三十年の人生は夢のようだと話していた。この段階でムーンシップの旅立ちまで、さらに三十年を残している。
  海老沢は言った。
 「ムーンシップは完成しない。リーダーとしては心残りではあるがね」
 「これでいいのよ。やるべきことはすべてやったわ。あのエイリアンも人類を認めてくれるでしょう。どこかで道を誤った生命種に幕を引く。どうなるかは神のみぞ知るだわよ」
  そのとき早苗が肩を落としてやってくる。早苗に涙はなかった。
 「デトレフが逝ったわ。最期まで手を握り、眠るように死んでいった」
 「そうか。彼こそ偉大な男だったよ」
  海老沢が肩を抱くと、そのとき早苗は涙を溜めた。
 「行くの?」
 「うむ。そろそろ出ようかと話してたところ。早苗もおいで」
 「ううん、私はいい。デトレフといる。イゾルデも可哀想だし、みんなといる」

  核爆発が起きても月には空気がないから衝撃波は伝わらない。月面都市そのものを破壊する訳ではないから、まだしばらく生きてはいける。総人口およそ三十万人。それが人類最期の大地となる。
  海老沢と早苗、そしてジョゼットと早苗。それぞれが抱き合ってキスをして、揃って泣いて、別れのとき。海老沢とジョゼットはムーンカーゴに二人で乗り込み、ムーンアイを後にした。中性子星に遭遇する確率99%に変化はなかった。
  そのとき月面都市は半月の昼の側。ムーンカーゴに二人で乗り込み、果てのないドライブへと旅立った。月面には道路がかなり整備され、ムーンカーゴのパワーダウンの一瞬まで二人は愛の時間を楽しむことになる。
  核爆発は、いまから十時間後に迫っていて、二人はそれを見届けたい。岩盤ごと吹き飛ばされるさまを見届けられる月の丘の上に車を停めた。

 「月で孤独だった俺を救ってくれたのは君だった。出会えたことに感謝するよ」
 「私だって、それはそう。セックスフリーなんて思ってもみなかったから戸惑ったけど、HIGHLYの鎧を捨てたとき私は淫婦だったと自覚した。デトレフにも抱かれたし、クリフを泣かせて楽しんだ。女に生まれたことに感謝する。愛してるわ」 ジョゼットはそっと男の肩に寄り添って、胸に頬をあずけたまま顔を上げてキスを交わす。
  心に届く声がしたのはそんなとき。ジョゼットにしか聞こえないエイリアンの言葉であった。

 『地球人は滅びない。我らのもとで今度こそ穏やかに生きていく』

  ジョゼットは、その声が聞こえたことを海老沢に告げようとはしなかった。
 「どうしてるかなぁ早苗」
  かすかにささやき、ふたたび男の胸に抱かれていく。

 「これで楽になれるわ」
 「そうとも言えるけど、何のための妊娠だったのか何のための人生だったのか、私は彼女たちに顔向けできない」
 「それを言うなら私だって。多くの者たちに何のための死を与えたのか。私たちはいずれにせよ悪魔です」
  早苗の部屋で二人は裸身をからめていた。残り数時間、残り数分。月では音は地中を伝わり地鳴りとなって襲ってくる。激震が襲うことも予想できた。
  そのとき二人は性の悦びの中にいた。人生最後の快楽の中にいて、無我夢中で死んでいきたいと考えていた。

  地球上ではジョエル以下わずかな反乱軍が正規軍に包囲され、最期の戦いを挑んでいた。ところがだ。絶体絶命であったにもかかわらず、敵兵が退いていく。月の異変を感知したということか。ジョエルは空を見上げたが、あいにく今日は夜の月。夕刻では月はなかった。
 「終わったのか、どうなのか」
  問いかけても答えはない。

  破滅への核爆発は思惑通りに岩盤を吹き飛ばし、巨大なブロックとして地球滅亡の使者を宇宙空間へと放っていた。宇宙空間へ出た岩盤は地球の引力に捉えられ、大小合わせた隕石群となって降り注ぐ。
  ムーンカーゴごと振り回されるような地震が起き、そのフロントウインドウに浮き上がる岩盤を目にしたとき、海老沢はジョゼットをしっかり抱いて眸を閉じた。
  
  激震は月面都市に恐ろしい地鳴りを伝え、早苗とイゾルデは全裸で抱き合ったままベッドから転がり落ちていた。
 「やったわ、ついにおしまいよ」
 「そうならいいけど。結末は神のみぞ知るだわ」
 「余生よね、ほんとに余生。月面都市の機能が失われるまでしっかり生きていたいもの」
 「地球はパニックですよね?」
 「当然の報いです。潔く終焉を受け入れることができていれば幸せな七十年となったはずなのに。私たちに残されたわずかな時間、私たちは最高に幸せよ」
  ベッドから転げ落ち、そのままフロアでもつれ合って、貪り合った。


  月面の凹凸をものともしないストロークの長いサスペンションを持つ
 ムーンカーゴが横倒しになるのではないかと思えるほどの激震。
  隣りのジョゼットを抱き締めながら、そのときの私は一瞬意識を失った
 ように感じていたのかも知れなかった。

  ほんのひととき断ち切られた意識が戻りかけたとき、ムーンカーゴの
 フロントウインドウに想像を超えた巨大な岩盤が浮遊していて、
  私は地球の最期を確信しながら、どういうわけか、突如として香る
 ジョゼットの女の匂いに、くらくらする性欲を覚えていたのだ。

  人生の最期に発する女の匂い。私はジョゼットを見つめ、涙に揺れる
 ジョゼットの二つの瞳が私を見つめる。
  この人に出会えた人生がいま終わる。そう思うと不思議な達成感に
 支配され、ジョゼットとともに逝ける至上の幸福に、ペニスは狂った
 ように勃起をはじめた。死が二人を分かつと言うが、私たちは分かつ
 ことなく死んでいく。愛しています女神様。女神の発する人生最後の
 牝の匂いに私は正常ではいられない。

  同時に私は父の面影をも追いかけた。地球外知的生命を探し続け、
  狂人と言われようが、どうだろうが、命をかけた父親が誇らしく思え、
  エイリアンは確かにいたよと墓前で言ってやりたい想いがこみ上げる。
  父は正しかった。さすが父だと唸るような気分になる。

  感情は失せていた。意識が白く、それなのにジョゼットの匂いと父の
 面影だけがリアルなものとして迫ってきている。
  月面でのカーセックス。まあそんなところだろうが、人生の最期を
 体をつなげて迎えていく、それはきっと私と女神の結婚式だったの
 だろう。総身震えて射精をし、総身震えてジョゼットは受け取って、
  それから二人で、黒い空に浮遊して去って行くいくつもの巨大な
 岩盤を見送った。
  月を揺るがす核爆発は、あるいは月の軌道を変えてしまい、月その
 ものが地球に落下するかも知れない。そうなれば月と地球は最期に
 寄り添い消えていける。

  しかし地球の最期をこの目で見たいとは思わなかった。青い星が
 死んでいくのは耐えられない。宇宙ステーションという中継点が壊さ
 れて、地球と月は長く寄り添った蜜月を脱して分断された。
  月面都市の余命も、おそらく数か月。地球の滅亡はさらに早くやって
 きて、人類は宇宙の塵となって消えていく。

  けれどそれでも私はこのとき、人類は心から悔い改め、一縷の望みに
 かけて欲しいという想いがなかったわけではない。中性子星をスルー
 できる確率は1%残されている。

  地球に言ってやりたくなった。月の怒りを受け取るがいい!

  私はジョゼットという女神と微笑みを交わしつつ、親友の形見となった
 軍用銃をムーンカーゴのフロントウインドウに向けておき、いよいよ
 最期のキスの途中で引き金を引いていた。

  六十六年の幸せな人生だった。


 TIMES UP 完

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 タイムリミット(二九話)


  人類のためにという使命感を胸に、ほとんどの者たちは志願して月へと送られてきている。そのとき若かった者たちはまだしも、当時すでに技術者クラスだった者たちは四十代であり、歳月は老いをつきつける。しかもそれは地球上での老いではない。それでなくても衰えていく肉体に重力が追い打ちをかけてくる。地球の六分の一という重力のもとで長く暮らせば、ほどほどトレーニングを重ねていても筋力は落ち骨からカルシウムが減って骨格が弱くなる。帰還のために船をつくり、その上さらに相当期間のリハビリを経ないと地球の大地で立つことすらできなくなる。コストに見合わないということだ。

  それよりさらに決定的なのはムーンシップ旅立ちまでのタイムリミット。なりふり構わず進めなければ人類は滅亡する。老いた者の処遇よりフレッシュな働き手を送り込むことが先決であり、地球上でのように余生を与えて生かしておく資源の余裕がないのである。食料、水の一滴、酸素そのほかすべての資源を次世代の働き手に集中させたい。事故などで失う資源の損失分を安全係数に加えたとき、順次老いていく数千数万の者たちを生かしておくだけのキャパがない。ムーンシップが旅立った後のことを考えても、おそらくそこは変わらないと思われた。

  海老沢は言った。
 「五年後十年後を考えるとやりきれない。プロジェクトに参加するとき人は老い先のことまで考えない。俺もそうだった。皆もとうに気づいているさ。人類の犠牲となって死んでいく。死んで資源として月に残るんだとね」
  デトレフは暗澹たる思い。唇を噛んで沈黙し、そして言った。
 「いたしかたないのはわかっている。やがてそのときが来るのもわかっている。皆もそうだ、わかっている。しかしそのとき人は健全な精神を保っていられるだろうか。過酷な月で手を携えてやってきた同志を死に追いやる。そんなことに耐えられるものだろうか」
  と、そういうことになるだろうと予測して地球はスパイを送り込んだに違いなかった。地球上でジョエルにできる範囲は限られている。ジョエルそのほかデトレフ配下の数名は、あくまでHIGHLY側の軍部であり、デトレフが月へと送られたとき地球上の動向を探らせる、いわばデトレフ派のスパイであったからだ。管轄外へ必要以上に深入りすればジョエルは殺されることになる。
  スパイが何名いて、男なのか女なのか、いまだに知れない。
  デトレフは言った。
 「人類の未来のために人類は尊厳をもって滅亡するべき。俺はずっと迷っていた。月の皆も地球上の人々も、俺たちの勝手な思想で葬っていいものかと。しかし考えるのはそこではなく、ムーンシップが旅立った後のこと。バージンのまま妊娠を強制される娘たち。不要となった者を葬っていく者たちもたまらない。ムーンシップが完成し拡張しながら旅するとしても、老人に余生を与えるほどの余裕はないに違いない。何人もの子を産んで育てた母たちが、いったいいくつで処理されるのかと考えたとき、そうまでして人は生きるべきではないと思い至る。宇宙の摂理に従って滅亡するのが人間らしい死に方なんだと」

  ムーンアイのコントロールルーム。海老沢、デトレフ、ジョゼットそして早苗が揃う中での密談だった。ジョゼットも早苗も女二人は黙って聞いて、うなずきもしなかった。沈黙の中で早苗が言った。
 「そのタイミングで人体を活用する試みがはじまるでしょうね。薬で安楽死は好ましくない。肉体を汚染できない。ますます残酷なことになる。そのとき人は牛か豚の扱いよ」
  この話はもうやめよう。そうは思ってもそのときのことを考えておかなければならなかった。人員はますます増える。超大型輸送船を連ねてやってくるのは時間の問題。タイムリミットから逆算するなら人員は多いに越したことはなく、新しい力を生かすためにも資源に余裕を持たせておきたいからだ。
  デトレフは言う。
 「スパイが動くのはそのときさ。我々に自浄作用がないと知れば軍が押し寄せて来るだろう。それだけは食い止めなければ」
  早苗は言った。
 「医師として殺す者を選べと言われても私は嫌。カルテはお見せするから勝手に選んでとしか言いようがないからね。どうかしてるわ人間は。文明の末路がこのザマなのよ。何だったのよ人類って」

 「それは俺の決定だ」
  海老沢の声。三人は眸を向けた。やりきれない面色でつぶやくプロジェクトリーダー。すべてを背負う立場にある。早苗もジョゼットもハッとした。責任者は海老沢なのだから。
 「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの」
  早苗は泣きたい思いをこらえて言った。医師である私がしっかりしないと誰かに背負わせることになる。
 「だけど・・」
  それきりうつむく早苗を責めることはできなかった。いまはまだいい。年長でも五十代半ば。しかし間もなくそのときはくるだろうし、実際に手を下すのは軍以外に考えられない。
  ジョゼットは、早苗そしてデトレフと順に肩に手を置いて、海老沢に向かってわずかに首を左右に振った。どうしようもない現実。

 「地球へは戻せないの?」
  留美の部屋の大きなベッド。ジョエルに抱かれて留美は問うた。
 「数からしても物理的に無理だね。フレッシュ優先、それが地球の意思なのさ」
 「デトレフさんは辛い」
 「大佐だけじゃない、皆がそうだ。誰が決めて誰が実行するのか、そしてそれを指をくわえて見ているだけか。月に地獄がやってくる」
 「それさえも資源なんでしょ?」
 「極限の環境で共食いが起こるのは生命の宿命さ」
  君たちは幸せだと言ったデトレフの声が心に響く。輝ける未来とエゴと地獄が同居するムーンシップ。そのとき私たちは死んでいると考えると、ジョエルの肉体がいとおしく思えてくる。
  腕枕に留美を抱いてジョエルは言った。
 「ずっと先の未来を想像する。そうして幾世代をかけて目指す場所へ行けたとする。仮に惑星プロキシマBだとする。そこがいかに楽園であったとしても地球よりも体重が重くなる星では降り立てない。幾世代の間に人体は月の環境に順応して弱くなる。大佐が言うのは、そのときこそ凍結精子、凍結卵子、もしくはクローン」
 「それでいまの地球人を再生するわけ?」
 「それしかないだろうと考えているらしい。原種の人類なら新しい星で生きていける。ムーンシップの人々は目的地に行き着くまでのオペレーターにすぎないわけだ」
 「虚しいわ」
  ジョエルはそれには応じず、乱れた息の落ち着いた女を抱いて眸を閉じた。
  留美には言えないことがある。地球上ですでに人体を資源とする実験がはじまっていることを。オーストラリア大陸ではなく別の土地のことではあったが、そのとき実験台となったのはLOWERたちであることも。

  十年後。

  五年後以降にやってきた最初の危機は乗り越えることができていた。年長者には食料の生産や諸施設の管理など老いてできる職務があったし、数も千人規模で転用の範囲内。月にいる人員の総数は十二万人。男性十万、女性が二万という割り合い。
  しかしそれからさらに五年が経って、人員総数二十万人。男性十六万人、女性が四万人。住居モジュールも加速度的に整備され、月に暮らす者たちの住居とは別に五十万人のキャパを持つまでになっていた。ムーンシップ計画がスタートしてから二十一年。計画当初ムーンシップの旅立ちまで六十年。五百万人の旅人の移送にかかるまでおよそ五十年。計画のスタートから二十一年経って、その先三十年を残すタイミング。
  三十六歳で月に送られた海老沢は五十七歳。デトレフは六十を超え、皆それぞれに老いが迫ってきている。その頃すでに四十代の半ばだった数千人の人員は六十代の半ばを過ぎていて、今後ますます老人は増えてくる。
  月へと送られたとき三十五歳だった早苗は四十九歳になっていて、下に若い女医が送られた。
  名をダフネ・メイヤーと言う。イギリス系の白人女性で、あの頃の早苗と同じ三十五歳。背が高く鍛えられた肉体を持つ女性。目配りの鋭さからも明らかに軍医であると思われた。ダフネの派遣は地球の意思。スパイというなら人員の中にも相当数が潜り込んでいると思われ、おそらくすべてが軍関係者。デトレフ部隊にできないなら取って代われということだ。

 「月へ送られて一年の間に私なりに精査しました。老いてなお意欲のある者たちがいる反面、明らかに余剰と言わざるを得ない者たちも多くいる。事故で活用できなくなった者も多い。必要施設も完成したことですし、そろそろ処理を考えないと」
  事務的に言うダフネ。必要施設とは人体を再利用するための実験施設ということだった。そのときホスピタルモジュールの早苗の持ち場に、デトレフと海老沢も同室した。
  ダフネは言う。
 「五百万人の希望をつないでいくために避けては通れない道。私だってもちろん辛い。しかし誰かがはじめないとならないことよ。リストアップは私のほうでやりますから」
  早苗はむしろ無表情な顔を上げてダフネを見つめる。
 「いいえ私がやります」
 「そうですか? 長くともに暮らした同志ですから辛すぎませんか」
 「辛いどころじゃないわ。死神になれというのよ。でもねダフネ」
 「はい?」
 「だからこそ若いあなたに背負わせたくない。そんなことをすれば心が歪む。あなたがあなた自身を愛せなくなってしまうでしょう。ともに生きた同志だからこそ最期は私が決めてあげたい」
  逆に思いやる早苗。ダフネはその真意を探るような眸を向けたが、うなずいて微笑んだ。
 「ありがとう。月の皆は家族のようです。でもだから、それが怖い。家族の中に取り込まれていくのが怖いんです。正しい判断ができなくなりそう」

  デトレフが言った。
 「いずれそうなる。先駆けることを避けたいだけだ。そんなことをすれば人心は乱れ造反が起こるだろう。軍として私はそれを封じる」
  海老沢が言った。
 「老いた者たちは覚悟してるさ。それでも生きようとすれば大勢をリスクに晒すことになる。仲間と未来のために再利用されるなら、それも受け入れることだろう。しかしね、ダフネに問いたい」
 「何でしょう?」
 「そうした先人たちは人類にとって何なのか?」
  ダフネはちょっとうなずいて即答した。
 「英雄です。わかってください、私だって人間なんです。私が老いたとき私もそうなる。覚悟して、いまを生きる。」
  このとき軍配下の警察とでも言うべき組織は百人規模となっていた。軍と併せて二百名。造反が起きたとき潜り込むスパイどもが味方となると思うと複雑な気分であった。
  早苗が言った。
 「よしましょうよ、こんな話。スパイだろうが何だろうが退路のない月に生きる同志です。すべては旅立ちの日のために」
  苦しい解釈。核兵器の廃棄船が戻るまでさらに十年。何としても地球の軍門にくだるわけにはいかなかった。そのとき月にはさらに多くの人員がいて、それらを巻き込み人類は滅亡する。時間差の問題だと言い聞かせておくしかなかった。
  
  ルッツの町は平穏だった。奇跡的とも言える平穏。地球のそこら中でレジスタンスが生まれては抹殺されていく中で、オーストラリア大陸のこのあたりだけが平穏を保っている。町が小さすぎて暴動の拠点になりえない。さらに山賊の棲み家であって、襲う者たちが処理されていく。理由はどうあれLOWERどもを減らしておきたいとする地球政府の思惑と合致した。それだけの幸運だった。
  その歳の夏は暑すぎず過ごしやすい夏となる。温暖化を食い止める施策が功を奏し、平均気温が下がったことでわずかではあったが海面も下降をはじめ、このままなら百年先には地球は元通りになっている。しかしもはやかつての平和な星には戻れない。地球上のいたるところに死体が転がるありさまでは。

  治安維持部隊のヒューゴは六十歳を超えていて、いまではこの地区を統括する立場。治安維持部隊は正規軍配下の組織であって警察と軍の間のような存在。そう度々訪れるものでもなかったし、ヒューゴが前線を離れてから数年ぶりの来訪だった。相変わらずの装甲ジープ。しかし当時のような制服ではなく、ジーンズにジャケットというラフなスタイル。いっとき肥えたヒューゴだったが加齢でむしろ痩せていた。
 「いくつになった?」
 「もう四十二よ、早いものだわ」
 「若い連中も増えてるようだが」
 「増えてるね。人買いどもから女をさらい、噂を聞いた若者が仲間になりたくてやってくる。だけど総勢三十ほど。来ては去るの繰り返し」
 「それでいいのさ、賢いぜ。まとまり過ぎると目にとまる。そうやってレジスタンスになっていく」
 「私たちには無関係だわ。私たちは山賊のまま」
  鉄箱が載った装甲ジープには旧式の武器が山積みされて、めっきり老いたヒューゴは帰っていった。これで最後。留美はそう感じて見送った。

  マリンバも五十七歳。ステンレスの首輪から自由に外せる犬の首輪に変わっていたが、マリンバ自身が首輪をしたがり、つまりは性奴隷でいたいという意思表示。ボディラインが崩れてくれば捨てられると思うのか、マリンバなりに奴隷のプロポーションを保とうとしている。
  皆が集まる円卓にも座りきれない数となってテーブルがさらに増やされ、広かった部屋も手狭になった。
 「今日はマリンバの誕生日。マリンバとなって十六年、十六歳の誕生日を祝ってやりましょう」
  天井のウインチで吊られたマリンバの裸身を皆で見つめ、いまはもう傷さえ消えた白い女体を鑑賞する。スキンヘッド。陰毛さえない奴隷の姿。しかしマリンバは輝いていると皆は感じた。
  マリンバを除いて総勢三十。まず最初に留美が立って黒い乗馬鞭を尻に入れた。パシィーッといい音がして、爪先立ちに吊られた奴隷が身をよじる。
 「痛いわね」
 「いいえボス、感じます、ありがとうございます」
  大きな乳房がさすがに垂れてたわんで揺れる。
  一人一打。二十打をすぎる頃にはマリンバは泣いてしまい、白かった裸身にくっきり痕が点在する。巨体のバート。バートももう四十五歳。それでも野獣であることに違いはなかった。髭と髪の毛の区別がつかない。バートは乗馬鞭を横振りにして、責められ続けて肥大した左右の乳首を狙い打つ。
 「ほうらいい、気持ちいいなマリンバ?」
 「むぅぅ、むぅぅ! はい感じますバート様」
  泣いて訴える奴隷が可愛い。バートは鞭を次の者に手渡すと、隆起するTシャツの胸に抱いてやってキスをする。
 「祝いは俺の部屋でたっぷりと。ふふふ」
 「はい、嬉しいです、あぁぁ感じる、イキそう」
  鞭でイケるマゾ牝。責めは愛撫。幸せな人生なんだろうと留美は思う。

  円卓のある広間の窓に三日月の月が浮いていた。マリンバを抱いてやり、尻をちょっと叩いて離れたバート。バートは窓辺に立って言った。
 「二十万人だとよ、いまだに信じらんねえぜ」
  留美はデトレフの姿を思い浮かべた。まだまだ若かったデトレフも六十歳を過ぎている。若かった私が四十を過ぎてしまったように。
  人生は短い。衰えていくマリンバを見ていてもそれは感じる。許された生存。謳歌して生きてやると思うと同時に、地球とは素晴らしい星だったとあらためて感じていた。
  吊りから許され、円卓の足下でしゃくりあげて泣くマリンバ。奥のキッチンからミーアが大きなケーキを運んでくる。マルグリットとコネッサでこしられた特製の丸いケーキ。蝋燭が十六本立てられた。
  マルグリットが笑って言った。
 「いいわねマリンバは。十六歳の女の子。さあマリンバ」
 「はい。私のために誕生日なんて」
  責めに泣いた眸に、嬉しくて流れる涙が重なった。ローソクの火を消してナイフを入れて、最初の一口をフォークで食べる。震えて泣くマリンバに皆の想いはやさしかった。

  増設されたムーンカフェは二百名規模の広さがあって、もはやジョゼットとターニャの二人が揃っても回せない。ジョゼットと同年代となった女たち数人で回しながら、飲み物程度はセルフ。人員が増えて交代制でフル稼働できるようになったとき、ひっそり話そうとすればムーンアイしか場所がなかった。
  ジョゼットが言った。
 「私たちはもう地球人じゃない。それがすべてよデトレフ」
  もはや懐かしくさえある四人だけの空間。そこへあえてダフネを加え、隠すものはないと見せつける。
  ジョゼットは言う。
 「ダフネが工作員だったとしても、そんなことはいいのよ。どれほどスパイがいたって、それもまたどうでもいい。分け合ってやっていかないと、この先まだ四十年あるんだもん」
  ダフネはちょっと眉を上げただけで応じない。見透かされていて認めないというスタンスが月の規律をつくっていくとダフネは確信しているようだ。
  しかしそこで問題なのは、それをいつまでも隠しておけないということだった。ほどなく知られ、そのとき月の皆はどう行動するのだろう。
  そしてどうすればデトレフに負担をかけずにおさめられるか。負担とはすなわち処刑。そんなことになってしまえばますます皆がおかしくなる。
 「公表するつもりよ。何人に対して私は何をしたのか。暗黙の了解では私の気持ちがおさまらない」
  物静かな早苗の声にダフネはうなずくと、ガラスエリアの同じ位置に青く輝く地球を見上げて、祈るように眸を閉じた。

  MC1-L18、早苗の部屋。訪ねてきたのはダフネ。そのとき早苗はダフネの女心を察していた。
  ダフネは言う。
 「そのとき乗り込む四百万の女たちはどうするかって考えるんです。地球の意思は男性本位で決まるもの。論理的かつ合理的。でもそのとききっとムーンシップでは女権社会となっている。科学に基づき男女を見事に産み分けて、当初こそ凍結精子でも、女は恋をし予定にない妊娠を望むようになる」
 「男たちはそのためのペットよね?」
 「おそらくそうなる。可愛がって飼っていく。老いたからという理由だけで女は男たちを手放せない。新しい文明が育っていく。ものの見事にひん曲がった、けれども人間の本質に回帰するような文明が」
 「それは私たちもそうなるだろうって話してる。男たちは女の価値を痛感し、やさしくなって平伏すようになるだろうって。ジャワ原人の昔、牡は牝に従えられて生きていた。きっとそう」
  うんうんと眉を上げながらうなずいてダフネは言った。
 「私はおっしゃる通りの存在です。そのために行けと命令されたとき、私が断れば誰かが背負わなければならなくなると考えて、いずれ私も同じように処理されると考えて、いっそ死にたい、私の命と引き替えに月の皆が守られるならそれでもいいと言い聞かせ」
 「もういい、やめよう。だけど辛いわ」
  ベッドに並んで腰掛けて、自分よりずっと小柄な早苗の肩をそっと抱き、そのとき早苗がふと見ると、ダフネの青い眸に涙が浮いて揺れていた。

 「抱いて早苗」
  ダフネが静かに倒れていって、早苗がそれにかぶさって、二人の裸身が絡み合う。

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 存続の掟(二八話)


  月面都市に、やがては冷酷で非人間的なルールができていくことは避けられない。いまはまだ地球からの補給もあって維持できているものも、ムーンシップが旅立ち補給が断たれると、より厳格なルールを適用しなければならなくなる。
  食料そのほか生命維持に欠かせないもののすべてに限りがあり、無駄が一切許されない。五百万人を乗せて旅立つムーンシップには、ほどなく無数の子孫が誕生し、新しい命を生かす一方で処理しなければならない者たちが生まれてくるだろう。
  都市を拡張しながら旅をするとしても、老いて働けなくなった者たちをどうするか。閉鎖的な環境の中で精神に異常をきたす者、犯罪者をどうするか。蛋白源の確保は食用ミミズや昆虫、せいぜい小動物に頼らざるを得なくなり、そこが不足すると健全な肉体の育成に支障をきたす。
  歳月は思うよりも早く、いま月にいる者たちだけでも、すでに現場作業が辛くなった熟年者が増えてきている。事故があって怪我でもすれば、ただ衣食住を浪費するだけの不要な存在と成り下がる。
  これからの命のために不要を間引く作業がいる。
  さらにそうした者たちは栄養源として再利用されていく。
  地球上ではあり得ない蛮行におよぶ日が近づいてきているのだ。

  生殖実験の副産物とも言える胎盤を栄養素として利用する試みは成功している。いまのところは栄養剤という形に生まれ変わるが、やがて、都市に不要となった人体が食肉となることは避けられない。ムーンシップがいかに整備されようと大型の家畜は存在しないし、太陽の恵みすらも失ってしまう。人類は宇宙空間の遭難者となる。そうした意味でも人類が営々と築き上げた文明は決定的な転換点を迎えることになるだろう。
  イゾルデは言った。
 「暗黙のうちに理解していて、だけど誰もそれを言わない。人生に有効期限をつくること。個人差を認めてしまうと不公平の元になり、そうなると暴動が起きることも考えられる。いったい何歳で不要とするのか。それを誰が決めて、どうやって実行するのか。想像するだけで悪寒がするわ」
  月の保育所が完成した。とりあえずはかつて月面地下に埋められた大型輸送船を改造したもの。ホスピタルモジュールのそばに新しい建物が完成すれば保育所も移転する予定であった。
  二十床のベビーベッドで愛らしく元気に育つ子供たちを見渡しながら、イゾルデは心の闇につつまれていた。

  ともに見守る早苗が言った。
 「この子らへの責任を誰がとるのか」
  イゾルデが言う。
 「それは母となる女たちへの責任もね。一人の女性に何人子を産ませ、母としてリタイアした後どうするか。産まれた子らに、いくつになって次の生殖を課していくのか。凍結精子というマストがあるなら、男たち、産まれた男の子の性処理をどうするのか。次世代また次世代同士の交配は、いつかミュータントを生むでしょう。原種の人類を保っていかないとムーンシップの意味がなくなる」
  早苗がため息混じりに言う。
 「そうなるとクローンよね」
 「そういうこと。だからこんな旅には意味がない。ムーンシップに地球の神を乗せられるなら話は別ですけれど」
 「産まれた女子に、次はいつ?」
 「初潮があって安定する歳。十四か十五。男性という意味でバージンのまま精子を植えていくことになる。その次もその次も、それはムーンシップが旅立った後も永久にそれが続くの」
  そしてイゾルデは、産まれた我が子に母乳を与えるグループの一組の母子を見つめた。
 「授乳さえも実験なのよ。母乳で育つ子、ミルクで育つ子、そしてそれは母親のぬくもりを知って育つ子、そうではない子、精神的な成長までも見極めていかなければならないわ。囚人だからという理由で生体実験が許されていいはずがない」

  地球上と何ら変わらない微笑ましい母子の姿を見つめながらイゾルデに笑顔はなかった。
  早苗は言う。
 「その時代の人生でなくてよかった。私たちには、せめて逃げ場があるけれど」
  イゾルデは苦笑した。
 「そう思うわ。もしも私がその時代の医師だったら、とても正常ではいられない。合理的即物的モラルの中で育ったとき人は無慈悲なものとなる」
  このイゾルデがもっとも悲劇的な使命を背負わされた女性かもしれないと早苗は思い、白衣の背をそっと撫でてやっていた。
  しかしイゾルデは、そんなやさしさを振り切るように早苗の手から逃れると、さらに言った。
 「悪魔の実験がはじまるわ。その指示はいずれ来る」
  人生を何歳でリタイアさせ、栄養源としてどう再利用していくのか。ムーンシップ旅立ちまでには答えを出しておかなければならなかった。
  イゾルデはさらに憂う。
 「間接利用もあるでしょうし」
  食用ワームや食用ウジ、昆虫や小動物の餌として、また野菜を育てるときの肥料としてという意味だ。暗黙のうちに理解はしても、それを言える者は少ないだろうと思われる。

 「警察ですか?」
 「我々の下部組織と思えばいいだろう。人員はますます増え、わずか百名の軍では統制できなくなってくる」
 「なるほど、それでスパイをおびき出す?」
 「それもある。募れば寄ってくるだろう。監視する権限を与え、その者たちを我々で監視する」
  軍船での会話であった。デトレフと部下たち。
  デトレフは言った。
 「閉鎖された世界の中の造反は壊滅を意味する。反動分子は処刑する。そのような者に与える資源はないからな」
  軍人と言えど人。部下たちも一様に嬉しそうにはしていない。
  居住モジュール一棟に千名。およそ八万人で八十棟。新設されるモジュールが次々にできていて、そのほかさらにムーンアイもあれば、原発そのほかいくつもの施設に分散している。かつて地下に埋めた輸送船のほとんどは倉庫として活用され、そこにも大量の食料、薬品、資材から下着までが保管される。
  百人足らずの軍では監視しきれない。デトレフは警察とも言える組織を立ち上げようとした。
 「まあそういうことだ。貼り紙でもつくっておけばいいだろう」
 「了解です、ではさっそく」
  軍船を出たデトレフは海老沢を探したが、遠い現場に出ているらしく見当たらない。早苗は保育所、ジョゼットだけがカフェにいた。いまムーンアイは昼の側で観測不能。こういうときジョゼットはターニャと二人でカフェで働く。

  ムーンカフェは非番の者たちで混んでいた。作業はもちろん交代制だ。カウンターを合わせて八十席程度。このカフェもさらなる増築が必要となるだろう。
 「さっきイゾルデがちょっと覗いて」
  と言いながらジョゼットは満席のカウンターを気にし、微妙な目配せでムーンアイへとデトレフを誘うのだった。ターニャが残ってカフェをみる。
  月面望遠鏡のコントロールルームは、部分的なブロンズガラスから太陽光線を染み込ませ、明かりがなくても充分だった。大きなモニタの置かれるデスクとは別の白いテーブルに二人で向き合う。
 「可哀想にイゾルデ」
  その一言でおおよそがうかがえた。デトレフは眸でうなずき、ジョゼットの白い手をそっと握った。
  デトレフが言う。
 「そのうち指示があるだろう」
 「まだ来ない?」
 「いまのところはないね。しかし時間の問題さ。科学的正論ではあっても許せなくなる」
 「ムーンシップは悪魔の船になるって言って落ち込んでたわ、イゾルデ」
 「どだい無理な話だよ。年齢で線引きできないことがわかっていて、それでもルールをつくらなければならない。未来の軍はそれを強制し、反抗すればこれ幸いと葬っていく。ふざけるなと言ってやりたいが論理的はしかたがないこと」
 「それはそうでも私たちって何様なのよ。ご都合で妊娠させ、古くなったという理由で殺して食料? 畜生にも劣る行いだわ」
 「海老沢も言っていたが、俺もさすがに無理がきかなくなった。五年後十年後ならましてそうだ。食料の確保が急務。いつまでも補充に頼っていては地球の家畜に成り下がると海老沢が言っている」
 「わかるけど、それにはまだ時間がかかる。ライフラインの整備が先決」

  と、そのとき、思いのほか早く海老沢が戻り、ムーンアイへとやってくる。その面色を一目見て二人は眸を見合わせた。海老沢の瞳が輝いていたからだ。
  ジョゼットが言った。
 「どうしたの? 笑いを噛み殺してるみたいよ?」
 「大地にクラックが見つかった。いま地盤調査をさせている」
  デトレフも眸を丸くする。
 「大規模なものか?」
 「ああ、かなりなものでね、亀裂は地平線までのびている」
  月にも地震はあり、月震と言う。昼夜で二百八十度にもなる寒暖差と、地球の潮汐力との両方で大地が歪み地震を引き起こすもの。
  月は楕円を描いて地球の周りを周回している。地球に近いときでおよそ三十五万キロ、遠いときでおよそ四十万キロ。すなわち地球から受ける引力の差が生まれ、それだけ大地が歪むということ。大地が歪めば裂け目ができても不思議ではない。
  海老沢は言った。
 「問題はクラックの深さなんだが、地表のそれは少なく見積もっても径百キロはありそうだった。クラックが深部にまで届いているなら・・ふふふ」
  岩盤の亀裂にありったけの核兵器を埋め込んで爆破させれば、球体から岩盤を巨大なブロックとして引き剥がし、地球に落下させることができる。
  恐竜そのほか生命の大多数を絶滅に追いやった隕石の大きさは、それでも直径十キロ~十五キロほどのサイズであったと言われている。
  海老沢は言った。
 「径二十キロは欲しいところ。海面の上昇具合からしても、それだけあれば地球はおしまい。それより小さなものでも雨あられと落下すればそれでもいい」
  人類滅亡のプランが決まった。

  MC5-L9、イゾルデの部屋は静かな涙に満ちていた。
  控え目なノックがしたのは寝入る前の時刻のこと。戸口に立ったイゾルデは淡いピンクの紙の下着。
 「はい?」
 「デトレフです、いいですか?」
 「あ、はい、しばらくお待ちを」
  月面に送られて一年半が過ぎていて、その間イゾルデは軍部の誰とも関係を持っていなかった。イゾルデにとって軍は恐怖。地球上で暴虐の限りをつくす軍政の怖さを知っていたからだ。ましてデトレフは月面軍の司令官。歳も離れている。
  イゾルデはシルバーメタリックのスペーススーツを着直して、寝乱れたベッドを折りたたみ、それからドアロックを解除した。
  デトレフは大きく逞しい。スペーススーツの胸板が恐ろしいほど。どきどきしていた。しかしデトレフは一目で泣き顔を見破って、やさしく微笑む。
  イゾルデは言った。
 「地球から指示でもありました?」
 「いや、そうじゃなく。それはまだない」
  ほっとする素振りでイゾルデの重圧がうかがえる。
 「男としてやってきた、それだけさ」
 「ぁ、はい」
  そうではあるまい。デトレフと早苗やジョゼットの仲は聞かされていたし、気づかってくれているのはわかっている。
  そしてまた今夜のデトレフにとって、この女がスパイであるのかどうなのか、そんなこともどうでもよかった。
 「子供たちに罪はない。母親たちにも罪はない。そしてイゾルデ」
 「はい?」
 「君にも罪はないんだよ。もっとも苦しい任務を志願した君を尊敬する」

  デトレフの眸を見つめるイゾルデの瞳が見る間に水没して涙に揺れる。そっと開かれた強い腕の引力にイゾルデは引きつけられて胸に飛び込み、精悍な顔を見つめて濡れる瞼をそっと閉じた。
  見え透いた言葉のないやさしいキス。深くなって舌がからみ、イゾルデは全身の力が抜けていくのを感じていた。
  イゾルデは脱がされるまま。デトレフもされるがまま。やさしく裸身が重なって静かにつながるセックス。イゾルデは溶けるように眠っていった。月へ送られてはじめて穏やかな気持ちで眠りにつけたイゾルデだった。

  翌日の昼過ぎになり、さっそく募集定員いっぱいの五十名がムーンカフェに集められた。男が三十九名、女が十一名。デトレフ以下五名の兵員たちと向き合った。
  デトレフが言う。
 「警察というより監視のためと理解してほしい。軍の下でということでなく人員すべてのガードマンとして見つめてくれたまえ。行動は二人一組。武器など不要としたいのだが警棒程度は必要となるかも知れない。何かあれば軍の誰かに真実を報告する。軍船への立ち入りも必要ならば許可するが、辛い立場になることもあると理解しておいてほしい。反動分子を生かしておく余裕は月にはない。そういう意味でなら警察よりも軍に近い存在だ」
  志願した者たちは、上は四十代から下は二十代の半ばまで。それぞれが真剣な面色で聞いている。
  若い女の一人が問うた。
 「質問はよろしいですか?」
 「うむ、何だね?」
 「もしも現場で何かがあって報告する余裕のないときはどうすればよろしいのでしょう? たとえば不審なシーンを目撃したとか?」
  デトレフはその若い女にちょっとうなずき、志願者全員を見渡した。
 「この計画の意味を考えて行動することだ。ムーシップ完成のため、そして旅立つときのため。取り除くべき者はいたしかたない。その場で取り押さえ、事後こちらで調査する。我々は人類の未来のために生きていると心に刻んで行動すればいいだろう」
  この中にスパイが紛れ込んでいる。月に送られて間のない者たちの中にいるとは言い切れない。すでに潜り込んでいる者もいるとみなければならなかった。それもこれもを含んだ上で、あえてデトレフは放任しようと考えた。
  腰に巻くベルトと電気ショックを与える警棒が支給されて散開した。

  その頃また海老沢は各セクションのリーダーたちに指示を出す。
 「言うまでもなく月でのライフラインとは命綱そのもの。居住モジュールに優先してそちらをさらに拡充したい。月で働く皆に安息をもたらす基本となる食料生産関連、オフタイムを過ごせる施設はムーンカフェの拡張からはじめたいし、子供らの保育所そのほかホスピタルモジュールの付帯施設も早急に整備したい。いま月にいる者たちが不幸では話にならない。地球のそれのように月には月で完結する人間らしい環境がいるからね」
  ハードを受け持つセクションからの質問。
 「製鉄それに樹脂生産、ムーンカーゴの増産そのほか、ハード部分も足りませんが?」
  海老沢は応じた。
 「居住モジュールも含め、それらと並行してということだが、いましばらくは人間周りの設備が優先さ。人員が疲弊しては結局のところ進まない」
  皆は一様にうなずいてそれぞれの持ち場へと散っていく。

  そのホスピタルモジュールで。
  早苗が受け持つ一般診療とイゾルデの産婦人科は基本的には別室であり、地下に埋められた輸送船を改造した新生児室とも言える区画は、その母親二十人の個室を含めてイゾルデが担当する区分に続くスペースだった。
  その接点となる部分に守衛室が設けられ、それまでは軍の管理下にあったのだが、今日から女性の警備員が二人常駐することとなっていた。女たちはどちらもが三十代のベテランで、早苗との付き合いも古く信頼できる相手。
  生殖実験に臨む母親たちは囚人であり、地球上でLOWER社会に落とされる者たちばかりが送られてきている。それぞれに与えられる個室も、部屋とは名ばかりの牢獄のようなもの。第一子を出産し体を休める時期のいまは、全裸に紙のネグリジェが与えられ、母乳で育てるグループでなくとも新生児室を覗けるようにされている。本来ならば施錠される牢獄なのだが、イゾルデがそれを解放した。
  月に送られた女たちのほとんどは地球の終焉を知らないまま連れて来られ、生体実験としての妊娠だと当初は思っていたのだが、それもイゾルデは隠さず真実を話し、納得させた上で精子を植えて妊娠させた。

  しかし、その先に問題があった。母乳で育てるグループとミルクで育てるグループに分けられたことで、論理的にどうであろうが納得できない母親たちが生まれてしまう。軍管轄であれば声も出せない。しかし警備役のしかも女性ということで不満が声となって出はじめる。
  回診に来たイゾルデは言う。
 「聞き役になってあげて。私だってそのつもりですけれど、実験の張本人ですから言いにくいはずよ」
  監視する二人も女性。イゾルデの苦悩も理解でき、しかし一方、母親たちの怒りもわかる。人類のための女神などという見え透いた慰めは通用しない。それが母の情というものだ。そのときも母乳を与えることを許されない一人の母親が看守二人を相手に話し込んでいた。険悪とは言えなかったが、二人が慰め、母親は憤懣やるかたないといった面色。
  担当医のイゾルデが回診でやってきた。悪魔の試験官のようでもあり、その母親はじろりと睨んで沈黙した。
 「回診の時間です、順に回りますからお部屋に戻っていなさい」
  ふんっ。声にせずとも、そんな気持ちは素振りに表れ、看守二人はイゾルデに向かって苦笑するしかなかった。

  ルーム1から順に回診。肉体の様子を観察し、次の妊娠のタイミングを見極めていくのだが、問題の女はルーム5。囚人ということで母親たちに名前はなく、マザー何号と呼ばれている。立場をわきまえさせておくためにも表向きはそれも必要。わかっていてもイゾルデは辛い。
  ルーム5のドアを開けると、跳ね上げ式のベッドを倒してマザー5号は座る。
 「次は母乳で育てる側よ。それだけは言っておきます。脱いで寝なさい」
 「私たちはモルモットじゃないんだよ」
 「いいえモルモットのようなもの。でも幸せ」
 「え?」
 「月にいる女のすべてに妊娠は許されない。私もそうだし、みんなもそう」
  不満はあっても5号はそれで口を閉ざし、全裸となって横たわる。ベッドのそばへ椅子を引いて、イゾルデは白人の白い肢体を見回した。母となる女たちは皆と同様にショートヘヤー。イゾルデは5号の髪をそっと撫でるが、5号はそっぽを向いて反抗的。
 「許してバーバラ、次にはきっと」
 「嘘じゃないね?」
 「ええ約束よ。やがてあなたのような母親が四百万人生まれることになる。愛もなく即物的に妊娠させられ、でも我が子は可愛い。それが女。あなたの気持ちはよくわかる。でもねバーバラ」
 「わかってる。逆らえないもん。地球にいたらもっとひどいことになる。それもわかってる。だけど先生、乳汁が垂れているのに捨てなければならない母の無念を考えて」

  イゾルデは、診察のためにひろげられた股間を覗き、穏やかに回復した女性器にちょっとキスをした。名はバーバラ。バーバラは驚いたように顔を上げ、そのとき涙を溜める女医の姿に癒やされた気分となれた。
 「泣いてくれるの?」
 「私だって女です。私はねバーバラ、二十人の母親たちとその子らを生涯かけて愛していくわ。だけどそれとこれとは次元が違う。反抗されると処刑しなければならなくなる。わかってバーバラ。私と一緒に家族として暮らしてほしいの」
 「家族? 囚人じゃなく?」
 「そんなふうには思っていません。月の皆は家族です。次にはきっと母乳で育てる幸せをあげるから」
  バーバラは涙ぐんでイゾルデの手を握った。まだ若い二十歳そこそこの母親。その人生に何があったのかイゾルデは知らなかったし、知りたいとも思わない。
  イゾルデが言った。
 「月そのものが牢獄なのよ。地球へ向かって飛び立てる船は軍船だけ。この意味わかるでしょ」
  バーバラは言った。
 「ほんとなのね、地球が終わるって?」
 「99%の確率だそうよ。中性子星の強大な引力で太陽系そのものが壊されてしまうんです。ねえバーバラ」

  言いながらイゾルデは、子を産んで張る乳房をそっと揉んでやる。色素の増えた乳首から白い乳汁がにじみ出す。
 「ムーンシップに四百万の女性を乗せるとして移送に何年かかると思う? 輸送船には物資もあるから一隻千人がリミットだわ。五隻ついなだとしても五千人」
 「十年とか?」
 「もっとかも知れないし、そのときになってみないとわからない。仮に十年として考えたって旅立ちのときに女たちのタイミングを合わせておきたい。この意味わかるかしら?」
 「いえ。どういうことですか?」
 「旅立ちのときに妊娠可能な初期の娘を揃えたい。旅立ちの十年前に十七歳では困るってことなのよ」
 「七つかそこら?」
 「そうなるでしょうね。まだ幼い娘らを十年後の妊娠に備えて積み込んでいく。旅立ち前の便ならば十七歳でもかまわない。それって牧場の発想よ。とても人間のやることとは思えない。まだあるわ。私はいま三十歳。旅立ちのときに老人は不要であり、それを地球へ送り返す無駄をしている余裕はない。あなたもそうだし、いま月にいる人々も皆そうだわ」
 「犠牲になる?」
 「だから私たちは月面人なの。荒廃する地球から離れていられる幸せを謳歌して死んでいきたい。いまちょっと考えてることがあるのよね」
 「それは?」
 「二人目の出産の後、期間を区切って避妊薬を与えるつもり。月に男は大勢いるわ。恋愛しましょ」

  バーバラは呆然として女医を見つめ、明るさの戻った眸で、やさしく乳房を揉んでくれる女医の手を笑って見ていた。

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ミュータント(二七話)


 「人類はいまとは違う姿になる。そんな気がしてならないの。目指す惑星がプロキシマBだとするなら地球よりもやや大きい。質量にもよるけれど重力も相応して大きいとみなければならないでしょう」
 「月を出られなくなるってことよね?」
 「おそらくそうなる。いまの科学力ではどうにもならない壁があるのよ」
  ホスピタルモジュール。
  生殖実験によって誕生した新生児たちをガラス越しに見守りながら、イゾルデと早苗、二人の女医は語り合っていたのだった。シルバーメタリックのスペーススーツに、それもまた紙でできた白衣の姿。
  イゾルデは言った。
 「いまはまだわからない。月面人とでも言うのなら、この子たちがその初代。この子たちが大きくなって二代三代とつなげていくうち環境の激変で遺伝子は変異するとみなければならないでしょうね。はるかな旅を成し遂げて、それでもし目指す惑星へ行けたとしても順応できるかどうなのか。この計画が無意味に終わる可能性もないとは言えない」
 「そうなると人は未来永劫、月の地底人ということも」
  早苗は、何も知らずにこれからの時代へ追いやられる新生児たちが哀れでならない。

  問題なのは重力だった。いま月面にいる人々は地球の重力のもとに生まれ、骨格も筋力も心肺能力も、身体機能のすべてが地球基準でできた生命体だ。
  それに対して月で生まれた新生児は、6分の1の重力しか知らず、肉体をつくる上でもっとも大切な誕生からの初期段階で体はそれに合わせてできていく。地球育ちの人間ならトレーニングで負荷をかけることはできるのだが、それを新生児に対してどうやって施していくのか。
  旅の目的地である惑星プロキシマBの重力は地球よりも大きいと思える。恒星プロキシマケンタウリのハビタブルゾーンに月を導くまではよくても、結局のところ月を出られず生きていかなければならなくなる。
 「次世代また次世代とつないでいくうちミュータント(変異体)が生まれる可能性が否定できない。光の速度で四年として、はるかに遅いムーンシップなら幾世代? あのエイリアンのような姿になってしまうかも知れないのよ。そこで私はこう考えた」
 「クローン?」
 「そうです。ムーンシップで生殖を重ねた人々とは別に、いまいる人類の遺伝子を持つ細胞を保存しておく。目指す惑星に着いたら、まず人類のコピーを放って、ムーンシップにいる新人類とは別にクローン同士で繁殖させる」
  ガラス越しに小さな手足をバタつかせて笑う子供たちを見つめるイゾルデの眸が、いまにも涙をこぼしそうだと早苗は感じた。

  イゾルデは言う。
 「凍結精子で生まれた子供が二十名、染色体検査で割り振って女の子は十五名、男の子が五名。女の子が生殖可能となったとき私は二つの実験をしなければならなくなるわ」
  いわば第二世代の女性に対して原代とも言える凍結精子で妊娠させるグループと、第二世代同士の男女の交配で妊娠させるグループである。そのために男の子が五人できるように計画した生殖。第三世代が誕生すれば同じことを繰り返す。
  早苗もまた女医であり学問優先の学者ではない。早苗は言った。
 「生命に対する冒涜だわ」
 「地球ではそうは思っていないのよ。知性こそ神だと錯覚してるし、その手先の私は悪魔に従う魔女でしかない」
  早苗はイゾルデの白衣の背をそっと押して新生児室から遠ざけた。ガラスの向こうでは、女たちの中から選ばれた若い二人が白衣を着た姿で子供たちの世話にあたる。二人の面色は母性に満ち、しかし一方、子供を産んだ母親たちは囚人として次の妊娠を義務づけられ、休息していなければならなかった。

  MC5-L9、イゾルデの部屋。
  ホスピタルモジュールで白衣を脱いで、早苗は部屋の前までともに歩き、ドアを開けたイゾルデの背をそっと押した。しかしイゾルデは早苗に背を向けたまま動かず、そして言った。
 「志願なんてしなけりゃよかった。五十年先のことなんて私には無関係だったのに」
  振り向いたイゾルデは大粒の涙を流して泣いていた。すがるように早苗に向かって歩み、早苗はそれを受け止めた。
 「助けて早苗、おかしくなりそう。私はもう人間じゃない、助けて、苦しいの」
 「・・イゾルデ」
 「可哀想で見ていられない、母親も産まれた子らも見ていられない。診察台で私と同じ性器を見つめ、実験台だと即物的に割り切れる私が許せない。私はもう医師じゃない」
  泣き崩れるイゾルデだった。地球人への怒りより、苦しみもがく一人の女が哀れでならない。
  戸口の開口。通路に向かって泣き崩れるイゾルデの体を押し込み、ドアを閉めて抱いてやる。月の皆は見た目に平然としていても精神的は限界ぎりぎり。それをケアする立場の医師が泣く姿を見られたくはなかった。
  早苗の胸で慟哭。早苗の胸中に叫びを吐き捨てるような慟哭だった。
  そしてそんなイゾルデに対し、もしやスパイではと考えてしまう自分が哀しい早苗でもあった。

  ノックした。MC1-L1、ジョゼットの部屋。こんなことの言える相手はジョゼットしかいなかった。
  時刻が遅く、今夜のジョゼットは一人で寝ていた。
 「どうしたの?」
 「イゾルデと一緒だった。めちゃめちゃにしてやったわ」
 「え? めちゃめちゃ?」
 「ビアンよ。気絶するまでイカせやった。ねえ、今夜いい?」
 「いいわよ」
  早苗は淡いピンクの紙のパンティだけの姿になると、ぬくもりを満たしたジョゼットのそばへと身を横たえる。
 「疲れたわ、抱いて」
 「ねえ、どうしたの?」
  早苗は一部始終を話して聞かせた。
  ジョゼットは言った。
 「入れ違いなのよ早苗と」
 「海老沢さん?」
 「そうそう。ちょっと前に帰って行った。独りで考えたいって。ムーンカーゴでデトレフと話したらしい。戦略核クラスの水爆が三発隠してあるでしょ」
 「うん?」
 「それだけあれば月の引力と相殺しても直径数キロの岩盤を落とすことができるだろうって」
 「地球に?」
 「廃棄された核を待たなくてもそれだけあれば地球を壊滅させられないかってことなのよ。彼も言ってた。これ以上生命を冒涜したくない、生殖実験なんて悪魔の所業だって。産まれた子らを見ていられない。もう地球が許せないって」
 「決行するって?」
 「いいえ、決定打とするなら核が足りないそうよ。直径十数キロの岩盤が必要だって結論になったらしい。水爆ミサイルを南極に落として氷を解かし一気に水没って方法もあるけれど、それだと迎撃されてしまうだろうって。軍船で攻めても勝ち目はないって」
 「そっか。この先まだ二十年こんなことが続くのね」
 「デトレフが地団駄踏んでいたそうよ。誰だって許せないよ、苦しいのはイゾルデだけじゃない。みんなだって、モルモットじゃないんだぞって怒ってる」
  それはそれとして早苗は言った。
 「イゾルデが危ういわ。揺れちゃってる」
  ジョゼットはうなずくと、疲れ切った早苗を抱いてやる。母の乳房に戻れたように早苗はそれきり動かず眠りについた。

  海老沢は言った。
 「クローンね」
 「そうしないと、いずれミュータントが生まれるだろうって。宇宙の中で遺伝子変異は避けられないってイゾルデは考えてる」
 「そういうこともあるだろうな。俺たちだってもはや地球には戻れない。十年以上も過ぎてしまえば地球では立つことさえできなくなる」
  そのとき月面都市は昼の側に位置していて、月面輸送車ムーンカーゴに海老沢とジョゼットが乗っていた。現場視察というよりもドライブだった。
 「ムーンシップでの幾世代の間に科学はクローンを生み出すでしょう。新しい惑星に降り立って原種とも言える人類を再生するならそれ以外にないだろうって。凍結卵子と精子を試験管で合わせるという手はあっても肝心の母体が変異していては難しいらしいのよ」
 「当然だろうね。だいたい愛というプロセスが欠落した生殖には意味がない」
 「廃棄船は戻せない? 信号を送るとか?」
 「それをすると察知される。最初からそう考えてプログラム以外では動かせないよう設計した。いまの我々にできることはイゾルデ、それに実験台にされた女たちと子供たちをケアしてやる以外にないだろう。あの二十人こそ女神だよ。生まれた子らは天使。月は月の民のもの。最後の一瞬まで幸せに満ちた世界にしてやりたい」
  眸の潤む海老沢にジョゼットはそっと寄り添った。
  月面都市の整備はさらに進み、生存と、その後の発展に欠かせないすべてのものが形になりはじめている。しかしミュータントが生まれるなどとは思っていない。そう考えるとムーンシップ建造は無意味なものだが、いま月に生きる者たちにとって幸福の拡張であることに違いはなかった。
 「そうなると保育所がいるな。母子が顔を合わせていられるところを造らないと」

 「HIGHLY社会ではますます少子化。なりふりかまわず子供たちを集めていて、WORKERやLOWERからの提供に対する対価も上がっている」
  ジョエル。久びさのあの円卓を、留美そのほかと囲んでいた。ジョエルは全くの私服。あのときと同じような三日間の休暇で訪れている。
  円卓には留美、コネッサ、マルグリット、バート、そしてテーブル下に首輪だけの裸のマリンバがつながれている。ジョエルの椅子の間際に全裸のマリンバ。ジョエルはマリンバのスキンヘッドを撫でてやって微笑んでいる。
  バートが言った。
 「実質的に子らを買い取る。HIGHLYどものモラルとは何か」
  ジョエルは哀しげにうなずいた。
 「ここらの人買いとやってることは変わらない。HIGHLYの中にもレジスタンスはいないわけじゃなく、いっそ上をつぶしてしまえという動きもあるのだが波は小さい。人権保護団体などは粛清された。もはや悪魔。HIGHLYなど名ばかりさ」
  そう言いながら可愛がるようにマリンバの眸を見てやさしいジョエル。留美は言った。
 「よろしければ責めてやって。マリンバは嬉しいわ」
  ジョエルは微笑み、しかし首を横に振る。
 「月ではさらに悪魔の所業」
  生殖実験のその後を告げると、皆は声さえなくしてしまう。
  ジョエルは言った。
 「保育所から整備すると言っていた。二十人の母こそ女神、子らは天使。月に送られたことを幸福としてやりたいと言ってね」
  留美は言う。
 「許せないでしょうね地球人が」
 「向こうは月面人。生きるのは地球のためじゃない。新しい文化をつくっていく。ただしかし補給なしでやっていけるほどできあがってはいないのでね」

 「まあ、そう言うな、所詮は囚人。君たちだってそうだ、補給なしにやっていけるほどでもあるまいに。我らの意思に従っていればいいのだよ」
 「それは当然です、私は軍人、月は地球の従者ですので。しかしそれとこれは少し話が違います。あまり非情に扱うと同情は規律を乱す元ともなるもの」
 「わかっておる。その上で、生殖実験は欠かせない犠牲だよ、ふっふっふ」
  犠牲と言い捨てて笑える奴ら。デトレフは怒りに震えながら交信していた。地球にいてぬくぬく暮らす軍上層部との無線。国連支配とは言え、国が崩壊したいま国連も何もなく、つまりは緊急事態を名目とする軍政下にあると言ってもよかっただろう。
 「まあよい、保育所そのほか教育施設もやがては必要。テストケースとしてやってみたまえ。ダメなら捨てろ、囚人の娘などいくらでもおるからな。君は規律を守らせることが任務。蟻の一穴とも言う。不穏は葬れ」
 「了解しました。いまのところは平穏ですのでご心配なく。都市の建造も順調ですし」
 「そうか、ならばよい。ときにレーザー砲はできたと思うが?」
 「二門が完成。小隕石でもあればと思っていますが、そちらもいまのところ平穏なもので」
 「そうか。発射実験はしておくべきだが、ゆめゆめ地球へ向けようなどと思わないことだな、はっはっは。ではまた」
 「了解しました、これで無線を終わります」
  軍船の司令室。スピーカーから流れる会話を部下の何人もが聞いていた。
  無線を終えたデトレフは沈黙して声を発しない。発しなくとも上司の怒りは見透かせるし、相手が牽制していることもうかがえる。レーザー砲が怖いのだ。

  今回ジョエルが訪ねて来たのは夕食時を過ぎた頃。それから円卓。話すうち、そろそろ落ち着いて体を休めたい時刻になる。
  留美は言った。
 「お休みになりますか? それとも誰かお好みは?」
  最初のときは軍服でデトレフと一緒。二度目は留美と過ごしたジョエル。
  その二度目のときからコネッサが気にしていることを見過ごす留美ではなかった。ジョエルはまさに人種が違い、精悍そのもの。それで留美はあえてそう問うたのだ。ここでは男女を独占しない。ボスの問いにコネッサはちょっと横を向く。黒人で身分の低い私を選ぶはずがない。同じ黒人のバートも、さて誰を選ぶのかと注目している。
  ジョエルが言った。
 「ベッドに来てくれると嬉しいのですが」
  まっすぐコネッサを見つめるジョエル。これには留美もバートも眉を上げて互いを見た。コネッサは留美の一つ歳上で三十三歳。ジョエルに対し、ルッツの兄に気に入られた留美を目当てに来ていると考えていたのだが。
  コネッサは挑戦的な眼光の黒豹のような女。
 「はあ? あたし?」
  と、とっさに言ったコネッサが戸惑っている。ジョエルは微笑んでうなずいた。
 「はい。じゃあ私のお部屋へ。散らかってますけれど」
  とたんに態度が変わって言葉までが女らしくなっている。
  手を取って歩み去る二人を見送ってバートは笑った。
 「HIGHLY扱いされたくないのとボスの立場を考えたとの両方さ。気に入ったぜ、あの野郎」

  コネッサの部屋は町外れにもともとあった家の隣にできた家の奥の間。円卓のある新しい家の隣であり、外廊下でつながっている。
  充分広い部屋に導き、コネッサは燃える想いに戸惑っていた。HIGHLYの中の、それもエリート。ドキドキしてたまらない。
  黒いブリーフだけとなったジョエルは白い彫像。そのとき、そうなるとは思っていないコネッサはベージュのつまらない下着でいた。脱いでしまったほうがましというもの。全身黒豹となったコネッサは頬が燃えてたまらない。大きなベッドの隣へそっと忍び込み、手がのびて触れられるとぴくりと震えた。
 「ねえ、どうして私なの?」
  ジョエルはちょっと首を傾げて微笑むと、眸を見つめて唇を重ねていく。やさしい抱擁。反応する男性器を肌に感じ、コネッサはそっと手にくるんでみる。
 「あぁ熱い」
  ジョエルは笑い、無駄口を言わせぬようにコネッサの唇を唇で塞いでいく。
  舌のからむ深いキス。小ぶりで張りのある乳房をくるまれ、キスが這って首筋をなぞり、唇は硬く締まる乳首をとらえ、そのとき片手が降りて開かれた腿の底へと差し込まれる。

  愛撫はそれだけではすまなかった。唇が肌を這いつつ片手で乳房を揉まれ、降りていく体に応じて腿を撫でられ、しなる女体が開かれて、ジョエルのキスが濡れる性器にたどり着き、クリトリスを舐められ吸われ、黒いバラのようなラビアを舌先で割られて膣へと届く。
 「あぅン、あぁジョエル素敵、感じちゃう。ねえ感じるの、ぁぁーっ」
  信じられない。やさしい愛撫と、そして・・。
 「あぅ! ジョエルジョエル、あっあっ!」
  逞しく燃える硬いジョエルがぬむぬむと押し入り、コネッサはデルタを突き上げてより深い侵入を求めていた。それだけでも意識がかすれる。歓喜する性器。愛液があふれ、ジュクジュク音を立ててペニスを迎え、コネッサは錯乱した。
  シーツをわしづかみ、どうしようもなくなってジョエルの背を抱き締めて、どうしようもなくなって尻をベッドに叩きつけ、どうしようもなくなって甘泣きするようなイキ声を発散させる。
 「嬉しいジョエル、あぁイクぅ、ねえねえ、あたしイクーっ!」
 「コネッサ、抱きやすいいい体、抱きやすい可愛い心」
 「うそ? ねえ、ほんと? 嬉しい、きゃぁーっイクぅーっ!」
  こんな気持ちになれたことがどれほどあったか。コネッサは瞼の裏に彗星が飛び交うような夢の空へと舞い上がる。意識が白くなっていく。あぅあぅと口がパクつき声にならず、息が吸えても吐けなくなって、全身にオイルのようなイキ汗が噴き出して、ジョエルの体を乳房で持ち上げ、ガタガタ震えた一瞬後に、薄闇の部屋を見渡す肉眼の明かりが失せて暗くなる。

  どれほどかの失神。おそらく数秒。気づいてそのときコネッサは、もがくように抱擁を引き剥がすと、萎えきっていなかった白いペニスにむしゃぶりついた。
  狂ったように舐め回し、太い亀頭を喉の奥へとねじ込んで、吐き気の涙と悦びの涙を置き換えようと試みる。女心が震えている。どうにでもして。素敵なペニスを食いちぎって食べてしまいたい。錯乱していた。こんなセックスをはじめて知った想いがする。
  のたうっているうちにジョエルをまたいだシックスナイン。アソコはもう汚れてしまった。ジョエルに失礼。逃がそうとするのだが、ものすごい力で腰を抱かれて引き戻されて、精液の流れ出る性器に舌をのばされ、唇をかぶせられ、コネッサは今度こそ天空へと舞い上がる。
  背を反らして超常的なアクメを一度吼えて訴えて、思考回路が遮断されてブラックアウト。二度目の射精を喉の奥に受け止めながらコネッサは気を失った。

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 苦悩する四人(二六話)


 「しかし、いったい誰が、何を探らせるのか」
  誰にとはなく言った海老沢の言葉に、確かにそうだと皆は思う。スパイを送り込んで探らせたとして、それをどうやって地球へ伝えるのか。いまのところ無線は軍船にしかなく、地球へ向かって飛び立てる船は軍船のみ。往路だけで復路のない月では逃げ道さえなく詳細を報告する手段がないからだ。
 「あるいはアジ(=扇動)ということも」
  早苗が言った。
  何らかの指示を受け、状況を見て皆を扇動してとも考えられるのだったが、いまそんなことをしてしまえば月面都市の完成が遅れるだけで意味があるとも思えない。
 「核の起爆部が行方不明。それとレーザー砲の完成が気にかかるといったところか」
  このときまでのデトレフは、おそらくそこだと考えていた。核兵器を廃棄したとき起爆装置の行方が定かでないこと。二門ある高エネルギーレーザー砲は地球を攻撃する決定的な武器になる。レーザー砲はピンポイントでターゲットを狙える精度を誇る。
 「それらの監視あるいは無力化ということも。地球への報告など信号弾でもあれば事足りる。望遠鏡で月面は監視できるからね。報告の手段はあるということさ」
 「正体が知れたとして扱いが難しい」
  海老沢が言ってデトレフはうなずいた。処理してしまえば反目の意思ありと受け止められ、そうなると軍が送り込まれることになる。
 「まあ勝てるがね。いずれにしろ月が命運を握っている」
  デトレフの微妙な笑みに、三人はかすかな怖さを感じていた。デトレフは軍人なのである。
 「アジであれば素行不良で処刑する。それだけだ」

  早苗が言った。
 「復路がないことを承知で送り込むからにはスパンは長いと思わなければ。日本の忍者には『草』という者たちがいて、敵地の人間として何食わぬ顔で暮らしているの。やがて来る仲間たちが揃うまでとも言えるもの。スパイというより工作員と言ったほうがいいでしょうね。あるいはすでに・・」
  あるいはすでにと考えておくべきだろう。皆が眸を合わせてちょっとうつむく。月面には七万人を超える人員がいて、すでに潜り込まれているかも知れない。TIMES UPを知っているのは、ここにいる四人だけ。これからは盗聴にも注意しなければならなかった。
 「フリーセックスが危ない」
  早苗が言った。ジョゼットを求めたクリフ、そして早苗を求めたターニャ。デトレフも海老沢も近づく女たちに注意しなければならなくなる。
 「考えたくはないけれど」
  ジョゼットもかすかな胸騒ぎを覚えていた。クリフもターニャも、どちらもM。君臨する側はつい気を許してしまうだろう。
  デトレフは言う。
 「監視するしかあるまい。信頼しきれる者は少ない。疑いだせばキリがない」
  海老沢は、ジョゼットそれに早苗の肩をちょっと叩いて、デトレフに言った。
 「それだけでも送り込む価値があるということさ。しかしデトレフ」
 「うむ?」
 「敵の本意がどこにあるかだ。完成した月面都市を明け渡す確約があるのなら、あえて引っかき回すこともないからな。俺は地球の意思をずっと考えているんだが、ムーンシップに乗り込む者と、それを造る者たちは別。この先まだ四十年ある。若いスタッフも年寄りということさ」
  早苗が言った。
 「不要となった者たちを帰還させる意味がない?」
 「そういことだ」
  海老沢は見通していた。居住モジュールと水や食料を生産する工場が整備されれば人員は数十万人規模になり、人員にとって月が墓場となるということだ。

 「そのときのためということもあるわよ」
  ジョゼットの言葉にデトレフは直感した。水を汚染させるわけにはいかない。とすれば残るは・・。
 「エアーか?」
  スパイもまたムーンシップ完成のタイミングには老人ということになる。
 「なるほどね、そういうこともありそうだ」
  このときデトレフはTIMES UPの覚悟を決めたと言ってもよかっただろう。
  引き渡しのタイミングで反乱されてはすべてがオシャカ。月にいる大多数を葬って人員を一気に交換しようという企みなのか。またそれ以前のタイミングであっても加齢で能率が落ちてくるならまとめて葬ってしまいたい。
  居住モジュールのエアー循環は事故に備えてモジュールごとに分断できるよう設計される。毒ガスなり酸素の遮断なり、老いた先人たちだけを集めておいて抹殺できるということだ。
 「居住区を見直しましょう」
  早苗の提案。月面都市の建造がはじまって十一年。そのとき三十代で送られた者たちは四十代となっていて、居住区は先着順に割り振られていたからだ。
 「明日からさっそく引っ越しだ」
  デトレフは早苗と、海老沢はジョゼットと、それぞれムーンカフェを去っていた。

 「ターニャを捨てろって言うの? 可哀想よ」
  早苗の部屋で早苗は言った。

 「クリフを疑えって? いい子なのに」
  海老沢の部屋でジョゼットが言った。

 「持ち込める物は限られているが毒でも持ち込まれればおしまいだ」
  早苗の部屋でデトレフは言った。
 「全裸検査でもする? いまさら遅いわよ。すでに持ち込まれているということもあるでしょうし、そんなことをすれば怪しまれるだけだわ」
  もう考えたくない。早苗はデトレフの下着を剥ぎ取って萎えたペニスにむしゃぶりついていく。

 「いや疑うまでのことはしなくていい。態度を変えては怪しまれるし、企みを実行するにしても猶予はあるさ」
  海老沢の部屋で海老沢が言い、やりきれない想いに肩を落とすジョゼットを抱いてやる。
 「これで決まりだ、終わらせよう」
 「そうね、おしまいだわ。抱いて」
  今夜のジョゼットは脱がされる前にすべてを脱ぎ去り、男の海老沢を押し倒して裸身をぶつけていくのだった。

  超大型輸送船はすべてが埋められるわけではなかった。地中に埋められたのは四十番艦あたりまでで、それ以降の船はムーンアイを中心にひろげられていった地下都市を囲むように地上に整然と並べられている。
  作業現場での事故やふいに遅う隕石、太陽風など、警報が発せられたときに非難する場所がいることと、現場が遠ければ宿泊施設ともなり、さらに船体そのものが月へと送られた物資となるからだ。
  金属部分、電気部分、コードの切れ端からボルト一本まで、すべてが転用されるパーツとなる。汚物タンクに溜まった糞尿さえも回収して再利用されるもの。すべてが合理。月で生きるとはそういうことであり、したがって帰還できない船とされているのである。

  78番79番艦は月の軌道に入ると切り離されて、予定された位置へ導かれて着陸する。両艦ともに今回は人員優先であったが、月では調達できない食料そのほか、とりわけ水を生成する水素は大量に積んでいる。それらはその都度、着陸予定地まで整備される月面道路を通って運ばれるのだが、まずは人員が先。二千名の新たなスタッフは、作業員なら二十代前半、技師クラスでも三十そこそこと皆が若い。
  今回は男性千二百名、女性が八百名。人種で言うなら白人がおよそ七割、残りが有色人種という構成なのだが、もちろんすべてがHIGHLY。地球上でボディチェックをパスし手荷物検査されている。皆が溌剌とした若者ばかり。数名のスパイのために使命感に燃えてやってきた者たちを相手に全裸検査というわけにはいかなかった。受け入れゲートが設けられ、プラズマ小銃で武装した百名の兵士によって、身元の照合と、再度手荷物検査が行われ、役職別に振り分けられていく。

  それから数日のうちに、ホスピタルモジュールに女性ばかりが次々にやってくる。性を解放した女医としてSANAE YUKIMURAの名は知れ渡っている。避妊薬をもらうのだったが、やはり診察は必要で、そのために八百人のほとんどすべてが集まって来るのである。早苗一人ではとても足りない。もう一人の女医イゾルデはもとよ産婦人科医。問診のみで体は診ない。デスクを並べて二人がかりで問診するのだったが、それでも長打の列となる。
 「次の方どうぞ」
 「はい、よろしくお願いします」
  早苗の前に座ったのはすらりとした黒髪の女性。目鼻立ちのくっきりした顔立ち。一見して若い。髪はショート。洗髪のとき水を多く使えない。それで女性は皆がショートに切ってやってくる。
 「キッカ・アウレッタと申します、二十四歳です」
 「イタリア系?」
 「そうです」
  コンピュータで照合。地球上での検査データが即座に出てくる。
 「えーと、アレルギーはなし、持病そのほか疾患なし、いたって健康」
 「はい。それに間違いありません」
 「わかったわ、じゃあお薬を」
 「それであのう、先生は雪村さんですよね?」
 「そうよ、何か?」
 「お名前は存じております」
 「私は有名? 女性蔑視の医師として?」
  早苗は微笑む。ときどき嫌味を言っていく女がいる。私はそんな女じゃありませんと一言言わないと気が済まない。

  しかしキッカという娘はそうではなかった。
 「いえお訊きしたいことが。そのときの心構えというのか」
 「心構え? 何に対して?」
 「ですから男性とその・・そうなるときの」
 「なるほど、いい子のようね。では言います、月で女性は皆が女神よ」
 「まさにルナ?」
 「そういうことです。女はおよそ八千名、なのに男性は七万人を超えている」
 「あ、はい」
  戸惑うような童顔が愛らしい。
 「こういうことがありました。可愛い女性がいて素敵な男性がいた」
 「はい?」
 「誘われた女の子は今夜は焦らして明日の夜にと考えた。ところが翌日の作業の事故で彼が逝った。ちょっと宇宙服を破いただけよ。そのときの彼女の気持ちを考えなさい」
 「はい・・それは辛い」
 「ここは地球ではありません。ポーズなど無意味。私はそう考えて接しているわ」
 「相手かまわず?」
  これには早苗は笑った。
 「それはないでしょ、インスピレーションよ。そのときの心の動きに素直になる。想われて嬉しくない女はいない。生きているいまがすべてなんだもん」
 「わかりました。つまらない質問でした、すみません」
 「いいえ。戸惑って当然です。素敵なベッドを」
 「ぁ・・ふふふ、はい!」
  シルバーメタリックの綺麗なボディライン。ヒップが眩しい。やさしい娘。そう思うとTIMES UPに後ろ髪が引かれてしまう。

  月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルーム。明らかに疲労困憊といった様子で早苗が入って来る。そのときジョゼット一人がそこにいて大きなモニタを見つめていた。新設されたムーンアイは行き来がずいぶんしやすくなった。
  ジョゼットがちょっと笑う。
 「疲れたみたいね?」
 「くたくたよ。イゾルデと二人で二百人よ。それでも残り六百いるんだから」
 「女の子たちウキウキじゃない?」
 「まあね。眸の色が違ってる。若いわよ誰もかれも。羨ましいわ」
  地球を終わらせることになる中性子星がモニタの中で美しいパルサーを放っていた。
 「悪魔め」 とつぶやいた早苗。ジョゼットは笑ってモニタを消した。
 「ところで早苗、ターニャとは?」
 「あの子は可愛い。もしスパイだったとしても突き放したりできないもん」
 「そうよね、私もそうだわ、クリフはいい子よ。言いつけた禁欲に耐えていて、ピンピンの先っちょをちょっと叩いてやるだけで涙を溜める。もうダメ、抱き締めてやりたくなってたまらない。スパイでもいい。どうでもいいって思えてきちゃう」
 「だから迷うのよ。論理的に正しくても、次の世代、その次の世代にもターニャみたいな子は大勢いるわ」
 「苦しいのはデトレフでしょう?」
 「そう。彼は強いから何も言わないけど、鉄槌は彼の手に握られる。彼のためなら娼婦になれる。マゾだって何だっていい、彼のためなら」
 「愛してる?」
 「禁句でしょ、それ。運命はともにあるとしか言えないわ」

  ジョゼットは、コントロールルームにもあるドリンクを二つのグラスに分けて差し出しながら言うのだった。
 「連絡ないって地球から」
 「それはそうでしょう、やすやすバレちゃう者を送り込むはずがない」
 「とにかくまずは生命維持にかかわる部分を軍が監視。それしかないって言ってたから。引っ越しも間に合ってよかったし。それだけでもジョエルって部下のお手柄だわ」
  輸送船が着くまでの数日の間に、居住モジュールの部屋割りを大幅に改変していた。ベテランと若手が混在するモジュールでは手が出せない。
  ジョゼットが言った。
 「ついさっきカフェを覗いた。ターニャはもてもて。笑顔も素直になったと思うし、とてもスパイだなんて思えない。なんなら貸し出しましょうか?」
  唐突と言われた早苗は意味が解せない。
 「早苗こそS、だったらクリフは嬉しいでしょ」
 「確かめてみろって?」
 「ううん、そうじゃない。遊んでやって欲しいのよ。私じゃ女王になれないもん」
 「いいわ、見透かせるとは思えないけど」
  そんなことを言いながら早苗は哀しげに笑って首を振る。ピュアに接することができなくなった。
 「地球の奴らが許せなくなる。獅子身中に虫を送るな馬鹿野郎。それにしても最先端にいて、医師の私がなぜどうして女王なの?」
 「ふっふっふ、それを言うなら私だって。笑っちゃう。地球上ならご立派な淫乱だもん」

  それからほどなく、早苗の部屋。消えそうなノックがした。居住モジュールの戸口にチャイムはない。四畳半相当の狭い部屋であることと、電力節約のため、むしろ先祖返りしたアナログルーム。
  ドアを開けてやると、若く逞しい白人男性。クリフがちょっと震えるように立っている。貸し出しを言い渡されてやってきた。すがるような透き通った眸が素敵だと早苗は感じた。
 「お入り」
 「はい早苗様、どうかよろしくお願いいたします」
 「言いつけられてやってきた?」
 「はい。早苗様を失望させたら拷問ですよと言われており」
 「あらま拷問? どうやって?」
 「もう射精は許さないって」
 「なるほど、それは拷問だわ、ふふふ」
  ジョゼットの想いを察すると可笑しくなる。彼女のSなど可愛さあまった苦し紛れの前戯。見え透いてる。
 「脱ぎなさい」
 「はい早苗様」
  シルバーメタリックのスペーススーツはフロントファスナー。脱げば淡いブルーの紙のブリーフ。男性は皆が同じ。このとき早苗はシルバーメタリックの女王であった。

 「もっとそばへ。立って脚を開く」
 「はい早苗様」
  全裸で立って脚を開き両手は頭。脱ぎ去ったクリフは胸板が隆起して逞しく、もちろん体に傷などなかった。
  ベッドに座る早苗の前に長身のクリフが立つと、すでに反応をはじめている男性の部分が突きつけられるようになる。そしてそれは見る間に成長。血管を浮き立たせて赤黒く屹立した。太く長いペニス。長く続く禁欲で実弾を溜め込んでいるようで、いまにも爆発しそうに亀頭を脈動させている。
  早苗はそっと手をやって睾丸をくるんで揉み上げてやり、限界まで血を飲んだペニスをくるんで握り込む。
 「硬いわ、それに熱い。触れられて嬉しい?」
 「はい出そうです、嬉しいです女王様」
  感極まって白い全身に鳥肌が立っている。かすかな加虐心が湧き上がって攻撃性を生んでいく。早苗は開いた手の甲で逆にリストを返して下から睾丸を叩き上げた。
 「ぅく! く、くぅ」
 「ジョゼットはこうしてくれる?」
 「はい、もっと強く打たれますし踏みつけてもくださいます」
 「こう?」
  次には握り込んだ拳の甲でボコと殴る。
 「ぐむぅ! むぅ!」
  一瞬内股に膝を締め、しかしすぐに膝をゆるめて性器を突き出す。亀頭の先から透き通った粘液がくっぷりあふれて流れ出す。
 「ジョゼットはしてくれるでしょ? 体に入れてくれて?」
 「はい。そのたび私は泣きながら射精します。抱いてくださり嬉しくて嬉しくて」

 「最後にこうして抱いていただけ、嬉しくて。ああボス、ミーア様、ありがとうござます、マリンバは幸せです」
  二人で責めた。マリンバの白い女体に一本鞭の血腫れが無数にあった。けれども悲鳴は糖度を増して、おびただしく濡らして果てるように崩れ去る。
  歳だから相手にされない。マリンバがそう感じていたことを知った男たちが群がって犯し尽くす。女たちが、あの頃とは意味の違う鞭を振るい可愛がる。肌の衰えはどうにもならない。垂れる乳房も尻肉もどうにもならない。それでもマリンバは牝の人生を謳歌していた。
  ボルト固定のステンレスの首輪は外されない。外してやったら、それは奴隷としての終焉を意味するもの。生涯スキンヘッド。生涯陰毛のないデルタ。常に濡らす奴隷の日々がマリンバの生きる支えになっていた。

  責め抜かれて力が抜けきりフロアに崩れて立てないマリンバ。ミーアの黒い裸身と留美の白い裸身が奴隷の肉塊にからみつき、マリンバはカッと眸を見開いて、けれども景色はぐるぐる回る。夢のごとき快楽。
  全身の毛穴という毛穴から愛液のようなイキ汗が噴き出して、のたうちもがき、至上の歓びを悲鳴に代えて表現する奴隷。ボスの舌先でクリトリスを舐められる快感はマリンバに失禁をもたらし、そしてボスの顔へと飛翔をふりまく。
 「ああ申し訳ございません、汚してしまいました」
 「いいのよ、私たちは獣、可愛いわよマリンバ」
  半ば失神から引き戻されたマリンバは、留美の顔にかけてしまった尿水をべろべろ舐めて吸い取っていく。

  女王となった早苗。健気なクリフが可愛くてならず、膣舐めを許したとき、べろべろと巧みに責めるクリフの愛撫に悲鳴を上げてのたうった。ジョゼットの言葉が頭の中で反射している。スパイだってかわまない、クリフが可愛い。
 「おぅぅクリフ、ダメ、もうダメ、いいわよおいで、来て、ねえ来て!」
  それまでに手技で一度果てていたクリフ。それでも漲るパワーに変化はなかった。
 「熱いわ、太いのね、あぅ! んっんっ! あぁぁーっクリフーっ!」
  早苗は錯乱していた。まさかM男を責めるなんて思ってもみなかった。睾丸を蹴ってやり、乳首に爪を立てて悲鳴を上げさせ、靴で亀頭をひっぱたく。暴風となって荒れ狂うサディズムを満たしたとき、残ったものは母性。
  我が子を抱けずに終わっていく自分自身の女体を想い、だからよけいにクリフが可愛い。

  人間は、なんて素敵な生き物だろう。

  ムーンアイで見せつけられた七色のパルサーを放つ美しい悪魔が憎くなる。
  TIMES UP。もういいわ。人類が醜悪な生き物となる前に終わらせよう。ムーンシップは生殖工場。女は家畜。そんなの違う、間違ってる!
  心の中で叫び、その叫びをイキ声に代えながら早苗は失禁して果てていく。

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スパイ(二五話)


  宇宙観測の新たな拠点、新しいムーンアイモジュールが完成した。
  それまでのムーンアイは、月に最初に送られた宇宙船の船体を改造して利用したものであり、月の地表に置かれた船体に地下都市からのスリーブをつないで行き来していた。
  新しいムーンアイは特殊樹脂製の半球形のドームを持ち、月面望遠鏡ムーンアイとそのコントロールルーム、さらにそれと同じドームの中に、はるかに広くなったムーンカフェが併設されるものだった。地表に出るドームと地下に重なる空間が一体とされていて、月面でただ一つのリラクゼーションルームともなっている。ムーンカフェも格段にひろげられてジョゼット一人ではまわせない。そこで選ばれたのがターニャだった。ジョゼットがムーンアイにこもるとき、主にターニャがカフェで働く。ターニャを推したのは早苗。ビアンでマゾというターニャにとって男性は遠慮したい存在。触れ合う場を持たせてやりたいと考えたからだった。

  大きなカウンターの一方にドリンクマシンが置かれてあって、コーヒーぐらいならセルフでこしらえ、広いホールに点在する七十席あるテーブルへ運んで楽しめる。オープンカウンターは十五席。そこは一人でやって来た者たちが集まるところ。カウンター席は人気があって、つまりはジョゼットと話したくてやってくる。ムーンアイが夜の側にあるとき天文学者は観測を主とすることを知っていて、そうなると話し相手は若いターニャ。男たちが群がって席につく。シルバーメタリックのスペーススーツはタイトフィット。女性らしいボディラインを隠せない。

  そのとき地球から見る月は三日月でありムーンアイは夜の側に位置していた。
カウンターには男が七人、女が三人、二席が空席。その空いた席に早苗がやってきて、カウンターの中にいてまだ不慣れで平静ではいられないターニャに微笑みかけた。
 「ターニャ、ダージリンがいいわ、アイスで」
 「はい」
 「あらそれだけ? いつも通りにちゃんとなさい」
 「ぁ、はい。かしこまりました・・女王様」
  女王様? そんな二人のやりとりに、そのときカウンターにいた男女すべてが二人を交互に見つめている。ターニャと女医の早苗がそういう関係であることを知る者は少なかった。月面都市も七万人規模にまで大きくなった。
  早苗は言う。
 「スペーススーツが似合ってるって思わない? ラインが綺麗。お尻もぷりぷり胸もいい。ふふふ」
  言葉責め。白人のターニャの白い頬が見る間に赤くなっていく。
 「それがこの子の愛なのよ。そうよねターニャ? 思うままを言ってごらん」
 「はい女王様。私はずっと男性が怖かったんです。女性が好き。それも女王様を求めていました。私だって何かがしたいと思い志願して月に来て、だけど怖くて怖くてならなかった。私の愛は極限の中にしかない。ずっとそう思ってましたけど月こそ違う意味でも極限の世界です。すがっていられるのはそこしかない。私なりの性。早苗女王様と出会うことができたとき、これで生きていけるとほっとして」

  早苗は黙って聞いていて、皆もまた黙って聞いていて、それぞれ共感し合っていた。夜の側の月面はマイナス170℃の死の世界。
  早苗は言った。
 「人は地球に生かされているものよ。苦しいとき迷ったとき寂しいとき、青空や海や山や、お花もそうだし小鳥の囀り、町で猫に出会ったり可愛い子犬に眸が輝いたり、地球にいれば感謝することもないすべてのものに癒やされて、だからバランスを保って生きていられる。月では唯一、ぬくもりだけ」
  皆はそれぞれにうなずいて、ターニャを見る眸もやさしかった。
  この日本人の女医がセックスを解放した。月にいる皆がそれを知り、賛同し、女たちは避妊薬を受け入れた。盲目的な愛は禁物。男女の愛で子を持つことはできなかったし、生殖実験で産まれた子だけが許される、まさに歪んだ性世界。愛よりも人間同士の情の絆。こうして性をあけっぴろげに語れるのも月だからこそだと早苗は思う。

  早苗は言った。
 「私はS女だった。気づかせてくれたのはターニャだわ。月に来た最初の頃、私だって怖くて寂しくて、ずいぶんオナニーしたものよ」
 「先生でも?」 と、若い女の一人が横目に見た。
 「その言い方やめてくれない。痒くなる。いまは都市らしくなってきたけど、その頃は未知の星よ。狭い船に監禁されて生きていた。事故もあったわ。宇宙服をちょっと破くだけで死は一瞬。可哀想な体を見ていて私は何もしてやれない。地球の死じゃないんだもん。一気圧を失った遺体は無惨に壊れる。私は震えた。誰か助けて誰か抱いて、お願いだから胸で泣かせて。そう思って震えていたしセックスの意味を思い知った気がしたわ。私でいいならあげるから誰か犯して。それは魂の叫びだったのよ」

  地球上のカフェでなら淫乱か変態の会話だったのかも知れないが、カウンターの誰一人、ターニャや早苗を侮蔑する者はいなかった。
  ターニャが言った。
 「まず愕然としたのは体重なんです」
  皆の目が一斉に寄せられた。
 「たった8.5kgなんですよ。地球にいたら50kgほどあるはずなのに。モジュールの中でぴょんと跳べば天井に頭をぶつけるんだもん」
  皆がちょっと笑う。
  ターニャは言った。
 「地球にいたらはばかられることも、ここでならできそうな気がした。そう思ったとたん私の中で何かが弾けたんです。生きているいまを生きていたいと考えて」
  早苗は言う。
 「いい言葉だわ。生きているのに死んでるみたい、そんな女は地球へ行けばたくさんいる。月では違う。女は女を謳歌して男は男を謳歌する。新しい文明をつくっていきたいと考えたのよ」
 「それって原始人ですよね」 と、若い男の一人が言った。
  早苗は眉を上げて微笑んだ。
 「ジャワ原人以前の人類へ戻りたい。人はどこかで道を踏み外してしまったの」

  そのとき、また別の若い男が早苗に言った。
 「貸し出しはなされない?」
  早苗は眸を丸くして声の先へと視線をなげた。逞しい青年。金より銀色に近いショートヘヤー。デトレフを若くしたイメージの精悍な男性だ。
 「ターニャを貸し出す? 奴隷として?」
 「そういうことってあるじゃないですか、調教の一貫として」
  早苗は横目にターニャを見つめた。ターニャはデトレフの肉体を知っている。
  ターニャは真っ赤な頬でうつむいて声も出せない。怖いのだ。
 「いいわよ、お望みならどうにでもしてやって」
  ターニャがすがるような眸を早苗に向けた。
 「ただし、たっぷり可愛がってやることね、失神するまで」
  にやりと笑って眸を向けると、ターニャは心が震えている。期待している。男を受け容れる牝になってほしかった。
 「Mとは、身を捧げて情を得ること。そうよねターニャ?」
 「はい女王様」

  ルッツの店の奥の間で、黒いマントを許されたマリンバと、ブルーに透けるネグリジェ姿のミーアが二人。ここにも困った女がいる。ビアンでマゾ。それがミーア。しかしミーアもまた男たちを許容する心を持つまでに成長していた。
  地下にある無線機のあるところから部屋へと戻った留美。女王と見定めたボスが戻ると、ミーアは待ってましたとばかりにフロアに平伏して迎えた。
  留美はちょっと鼻で笑う。
 「月の裏側ですって」
 「えっえっ?」
 「デトレフ大佐よ。部下を五十人連れてこれから軍船で月の裏側。エイリアンの痕跡も探してみたいっておっしゃってた」
  部下の半数は月面都市に残している。間もなく次の輸送船がやってくる。月面都市が拡充されて人員がさらに増える。監視の眸がいるということ。
 「今回は二千人らしいのよ」
 「そんなにたくさん、いっぺんに?
 「そうみたいね。今回からは大きな宇宙船を二隻連結して、まさに宇宙列車で向かうんだって。SFだわ、ちょっと信じられない話よね」
 「月ではもうそんなに暮らせるように?」
 「らしいわよ。地下住居が次々にできてるそうで、近いうちに二十万人規模の都市となる。彼らはSFに生きていて私たちは西部劇。その両方で同じことが起きてるなって思うのよ」
 「同じこと?」
 「セックス。男女のセックスフリー、ビアン、ホモ、SとかMとか、向こうではあらゆる性が市民権を得ているらしい。もはや月の文明だって笑っていらした。おまえたちは幸せだって言われたわ。青い空を見上げて深呼吸、それさえできない牢獄のようなものだからって」

  そして留美はマリンバを見つめる。ミーアはまだネグリジェを着ていたが、マリンバはマントを脱いだ全裸の姿。外されたことのないステンレスの首輪だけがキラキラ輝く。白く熟れたいいヌード。
  留美は言った。
 「そのときふと思ったのよ。マリンバはそうして生きてきたんだなって。それを強制したのは私。残念ですけど私は地球人のモラルに生きる女でね、それはすごく残酷なこと。恨まれてるだろうなって思っちゃう」
  マリンバは、そうではないとスキンヘッドを横に振る。留美はミーアに命じてやった。
 「責めてやりなミーア」
 「私がですか?」
 「バートが言ってた。このところマリンバに元気がなかったでしょ」
 「ああ・・それをバートさんが何て?」
 「歳だから相手にされなくなってきたって思ってたらしいのよ」
  ミーアはハッとするように、ちょっと笑ってマリンバを見つめる。
  留美は言った。
 「飼うと決めたそのときからマリンバは生涯マゾ牝。おまえは牝だと言って抱いてやったって。バートらしい言いざまだわ。やさしいもん。月では生殖実験がはじまって」
  これにはミーアとマリンバが眸を合わせる。
 「私たちのような囚人の娘らを送り込んで凍結精子で妊娠させる。子供たちが次々に産まれてるそうなんだけど、非人道の極みは、その胎盤さえも蛋白源とする試みがはじまっているそうで」
  呆然としてミーアが言った。
 「蛋白源て、それはつまり・・」
 「食料としてってことでしょう。宇宙へ旅立てば一切の補充はない。五百万人の人々をどうやって生かしていくのか。ミミズや昆虫、胎盤そのほか利用できるものはすべて食料。最先端プロジェクトは地球のモラルを否定するものでもあったって、大佐ったら笑い飛ばしていらしたわ。いっそ潔く滅亡すればいいものをっておっしゃってね」

 「私は幸せな女です」

  マリンバの小声は留美にもミーアにも聞こえていた。
 「殺されて当然なのに牝の悦びをこれでもかと与えられ、生涯牝のままでいいとバート様に言っていただき、嬉しくて嬉しくて泣いてしまいました。ですから恨むなんてとんでもありません。マゾの性を教え込まれてお役に立てることが嬉しいんです。HIGHLYの女たちは可哀想だわ、がんじがらめ」
 「そうね、そうかも知れない」
  留美はうなずく。留美の笑顔にも女の慈愛が満ちていた。
  マリンバは女体の奥底のすべてを留美に向けて晒しきり、責めへの期待に濡れはじめるマゾの性器へ、ミーアが手にした乗馬鞭が手加減なく入れられていくのだった。

  月の裏側。比較的小ぶりな軍船は、ロケット噴射で浮上しては着陸しを繰り返して一月をかけて探査を続けた。エイリアンが爆破したと思われる棲み家の痕跡は発見できない。月では大気がなく雨も降らずクレーターは風化せずにそのまま残る。爆破でおそらく円形に拡がった痕跡はちっぽけなクレーターの一つでしかなく、したがって見落としてしまうのだ。月面は広大だった。
 「およそ真裏か」
 「ええ真裏にあたります。殺伐とした光景です」
 「まったくだ、恐怖としか言いようがない。やがては開発されるんだろうが」
  デトレフと部下の大尉が軍船のガラスエリアに立っていた。そろそろ探査も終わる。食料も酸素も燃料も残りわずか。デトレフが引き上げを命じたすぐ後に無線が入る。暗号化された軍用無線であり、地球で傍受してもノイズとしか認識されない信号だった。
 「輸送船78番79番艦が地球を出ました」
  ややデジタルチックな声のトーン。
 「了解した。我々も帰路につく」
  黒い空に浮遊する黒い軍船がロケットに点火して音もなく推進した。

  超大型輸送船78番艦は、地球の静止軌道上に浮く宇宙ステーションで建造されたもので、推進のためのロケットを持たず着陸のときの逆噴射しかできない船体。それも海老沢の設計だったのだが、それまでの船体を79番艦として後ろに連結。そのメインロケットで推進する。やがてはそうした大型宇宙船を五隻十隻と連結して人員と物資を一気に運ぶ態勢がとられることになるだろう。五百万人を運ぼうとすれば一便一万人としても五百便。やがてはさらに大きな船を設計しなければならなくなる。

  新設されたムーンアイのガラスエリア。ジョゼットと海老沢が並んで黒い空を見上げていた。はるか遠くの同じ位置に青い地球は動かず浮いて美しかった。
  そしてその月の地平線の上空に、滑るように進む軍船の姿が見える。軍船は速い。船影が見る間に大きくなってきて、そのときムーンアイへの無線が飛び込む。
 「戻ったらコーヒーを頼む」
  デトレフの声。ジョゼットは海老沢に横目をやってちょっと笑った。
 「わかってますって。それで裏は?」
 「収穫らしきものはなし。荒涼たる景色だよ。彼らがいたのなら痕跡ぐらいはあっていいと思うんだが、どうやらすべては地下。あの廃墟のような空間が地下にあり、その開口部にUFOがドッキングしてモジュールが完成する。そう理解すればいいのだろうが地上に痕跡らしきものは一切なかった」
 「月は広いさ。一月程度で発見できなくてもしょうがない」
  海老沢が言い、それに対してデトレフが応じた。
 「しかし、どう考えてもこれほど巨大な星が宇宙船になるものか。人類とは凄いものだと驚嘆するよ」
  話す間にも軍船はぐいぐい近づいて来て、オレンジ色の逆噴射をかけてムーンアイそばの広大な大地に着陸した。軍船は、いまはまだ地下都市にドッキングできるようにはなっていない。宇宙服で降り立ってムーンアイまで月面車というプロセスを経なければならなかった。それは機密保持のため。地球への無線は唯一軍船でのみ発信できるもの。

  ムーンアイへの戸口、エアーチェンバーのドアの前にシルバーメタリックのスペーススーツを着た姿で早苗が出迎える。チェンバー内で宇宙服を脱ぎハッチを出たデトレフもまたスペーススーツ。一月ぶりのデトレフは少し痩せ、ますます精悍に感じられた。シルバーメタリックの男女は抱き合ってキスを交わす。
  ムーンアイに併設されたムーンカフェ。時間が遅くカフェは無人。いつもの四人でカウンター。カウンターの中にターニャさえもいなかった。
  デトレフは言う。
 「およそ目星はつけてきた」
  海老沢はうなずいた。
 「やはり隠すか?」
 「とりあえずは。しかしそれほど猶予はない。俺ももう五十を過ぎた」
  宇宙空間へ投棄した膨大な量の核兵器。廃棄船が月へと戻ったとき、まずは埋めて隠しておくという話。
  TIMES UP。地球を終わらせる手段には四つの候補があった。
  そしてそれ以上に、あまりにも悪魔的な行為を実行に移せるのか。顔を揃えた四人には、この段階ではまだ明確な答えは出せていない。

  地球終焉の四つのプラン。
  まずはプラン1。あのときジョゼットが発見した火星と木星の間の小惑星帯に核爆弾を送り込み、小惑星の軌道を変えて地球へ落下させようというアイデア。しかしこのプランでは確実性に乏しいことと、そのとき的を外してしまえば彗星のように次なる接近を待たなければならなくなる。利点は、それだと廃棄船の事故に見せかけることができるということのみ。

  次にプラン2。月面地下の岩盤下で膨大な量の核爆弾を一気に爆発させ、宇宙空間へ巨大な岩石群をまき散らしておいて地球の引力で落とそうというもの。板チョコのように岩盤に切れ込みを入れておけば、かなりなサイズを吹き飛ばすことができるだろう。巨大隕石の衝突ということだ。

  そして究極の選択はプラン3。核爆発で月そのものの軌道を変えてジャイアントインパクトへ持ち込むアイデア。月を爆弾として地球にぶつけようというものだった。
  デトレフは言った。
 「プラン1はギャンブル、プラン3なら、そのとき月に留まる皆を犠牲にしなければならなくなる。何のために苦労したのか。皆を裏切ることにならないか」
  ジョゼットは言った。
 「同じことよ。地球の人類が滅べば月も終わる。ムーンシップ完成前の段階では数十万の人を生かしておくキャパはない。皆を裏切ると言うのなら、どのみちすべてが裏切りよ」
  デトレフは言う。
 「そうだろうか。月は巨大だ。一部を爆破したところで月そのものを破壊できるものじゃない。食料、水、酸素やそのほか生存に必要なところから整備していき、生存のチャンスだけは・・ううむ、無意味か・・」
  その世代だけが生き残れても、ムーンシップ完成前に補給が断たれてしまってはどのみちおしまい。

 「可哀想なのは月の子らよ。生殖実験なんて子供たちには無関係。そのとき地球上でも子供たちはたくさんいる。滅亡するなら人類すべて。いいえ地球生命のすべてだわ。およそ六十年後に太陽系は崩壊する。非道の限りを尽くしておいて、そのときたった五百万人を生かすことに意味はあるのか、それも存続のための家畜としてよ」
  早苗の言葉に三人はただ黙ってうつむいた。
  沈黙の中に海老沢の声がした。
 「あのエイリアンだが、いかに科学が進んでいるとは言え、現実的にはプロキシマケンタウリあたりが距離的にも有力だろう。彼らはその惑星、プロキシマBの生命体。とすればだよ、蛮族たる人類がやってきて歓迎するとは思えない。我々は滅亡を選択した。ゆえに彼らはそれを見届け去って行った。もとより彼らはジャワ原人を連れ去って向こうで保護しているだろう」
  ジョゼットが言った。
 「そうであるなら末路は同じよ、どうあがいたっておしまいだわ」
  デトレフがつぶやいた。
 「思うに、心のどこかに俺たちはもういいという思いがあるのではないか。そのとき皆は老人どころか朽ち果てているだろう。すでに生きた。充分生きた。後のことはどうでもいい。あまりにも利己的な判断ではないか。太陽系の崩壊であれば神の意思として受け入れられる。そう思うとやりきれなくてね。いまの子供はまだいいさ。そのときすでに老人だから」
 「私たちさえ死ねばいいこと?」
  そう早苗が言って、デトレフは声も発せず、うなずきもしなかった。

  さらに選択肢はもう一つ。ムーンシップを旅立てなくしてしまう。中性子星に運命を委ね、地球と月は悲恋の男女のように寄り添って消えていく。これがもっとも簡単な方法なのだが、愚劣な人類を自滅させなければ許せない思いが整理できない。
  TIMES UPはドラマチックに幕を引きたい。
  暗澹たる想いでいると、そのとき軍船からの無線がデトレフが持ち歩く端末へと着信した。
 「たったいま地球のジョエル大尉からコールがあり」
 「ジョエルから? うむ、それで?」
 「数日後に二千人の人員が到着しますが、そのなかにスパイが紛れ込んでいるようだと」
 「スパイ?」
 「はい、信頼できるスジからの忠告だそうで、数は数名、性別その他は不明だそうで、こちらで手を尽くして探ってみるが、判明するまでは用心されたいと」
  デトレフは三人を見渡しながら言った。
 「了解した」
  デトレフの眸が鋭い。
 「地球の穢れがやってくる、最悪だわ」
  早苗が言って、デトレフはわずかなため息を漏らしていた。

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 爽やかな堕落(二四話)


 「使命感に衝き動かされて月へ送られ、早いもので十一年。もう四十七かと思うとね、いつのまにか回想する歳になってしまったなって思うのよ」
 「はい」
 「それまでの私の人生は清廉潔白、人として当然のモラルの中に生きていて、それを疑ったことなんてなかったわ。恋をして抱かれ、いつか母となって家族のために生きていく」
 「はい」
 「それまでの私はつまらない女だったなあって思っちゃうんだ。文明が育てたモラルは女に安心をもたらす代わりに本能を奪っていった。がんじがらめ。はしたないとか淫らとか、女はこうあるべきだとか、本心でどうだろうと社会がそれを許さない」
 「はい、それは男も同じです」
  ジョゼットの部屋。跳ね上げ式のベッドを上げて、椅子にジョゼット、その足下に裸のクリフが正座をする。ジョゼットは紙の下着のパンティだけ。形のいい乳房には魅力的な二つの吸い口が尖っていて、クリフはじっと見つめている。

  そんな女王の静かな美に、禁欲を命じられて苦しむクリフの若い性器は暴発寸前。正座をする腿の間から石筍のごとく突き勃っていて、ジョゼットはそれを見下ろして穏やかに笑っていた。
  ジョゼットは言った。
 「怖いのは男たちの評価よりも女の目よ。女同士で牽制し合い、ボーダーを超えて解放できた幸せな女たちを悪く言う。ねたましくてしかたがない。ひがみもあるし、女ってどうしてこうも面倒なのかと嫌になる」
 「はい」
 「嫌でたまらないのにイジメの標的になるのが怖くて結局多数の側についてしまう。それがそれまでのつまらない私。ジョゼットカフェなんて呼ばれてるけど、私と話したくてやってくる多くの男たちが可愛くて、多くの男に抱かれてきたし、なんなら取り囲まれて犯されたっていいと思えるようになっていた。逃げ場のない月なんだし、悪人がいないという安心感、妊娠しないという安心感、そんな中で皆が同じ目的のために命がけで働いている。極限の環境の中で地球のモラルとは違うモラルができていく」
 「はい」
 「おまえとのこともそうだわ。S女にはなりきれない。でもそれでおまえは幸せ。おまえが望むなら何でもしてやりたいと思うのよ。女心が騒ぎだし、その心に従うから女の幸せがやってくる。おまえが与えてくれる女の角度を楽しめる」
 「はい、そう言っていただけると幸せです女王様」
  ジョゼットは美しい。ブルーの瞳を見つめているとクリフの心は溶けていく。

 「奴隷におなり」
  それは奴隷のポーズの強制。大きく逞しい男の裸身で膝で立ち、両手は頭で胸を張る。月に送られる男たちは強い肉体を持つ者だけが選ばれて、クリフもまた胸板に大胸筋、腹には腹筋が浮き立っている。
 「射精はしてないでしょうね?」
 「はい誓って」
 「どれぐらい?」
 「一月ほどになります」
 「すごいわね、いまにも破裂しそうよ」
  穏やかに微笑みかけて、ジョゼットは脈動して頭を振るペニスに手をのばし、そっとくるんでやって、浅く爪を立てて静かにしごく。
  一心に女王を見つめながら唇をちょっと噛み、そのうちうっとり眸を閉じて、かすかな喘ぎを漏らすクリフ。血管を浮き立たせて勃起するペニスの先から透き通った粘液がとろとろと流れだし、女王の手を心地よく滑らせる。全身の白い肌に鳥肌が立っていて、総身ふるふる震わせる奴隷のクリフ。
  椅子に座るジョゼット。その足下に膝で立つ奴隷。裸足の膝下を振り子にすると、蹴りの高さが睾丸にちょうど合う。ほんの軽く蹴ってやる。

 「ンむぅ!」
 「ふふふ痛いわね、可哀想ね」
  クリフはもっと蹴ってと言うように股間を突き出し、一切の防御をしない。ベシと蹴る。腰を引いて飛び上がるようにするのだが、ちょっと呻き、ふたたび睾丸を突き出してくるのだった。衝撃と痛みで睾丸は生き物のように蠕動し、きゅーっと丸まって急所を体内に格納しようとするようだ。
 「ふふふ面白いものね、軟体動物そのものだわ」
  ボコと強く蹴り上げる。
 「ぐわぁ、あっあっ!」
  たまらず急所に両手をやって床に崩れ、尻をのたうたせてもがくクリフ。
 「可愛いわ、たまらない」

 「可愛いわね、たまらない」
  ムーンベビー第一号が誕生した。白人の娘が産んだ白人の男の子。取り上げたのは女医のイゾルデ。立ち会ったのは女医の早苗。母の名は囚人七号だったのだが、そんなものは最初の頃の呼び名であって、いまではナンシーと呼ばれている。罪状などは地球上でのこと。凍結精子による強制受胎を受け入れる娘らに、月にいるすべての者が情を寄せた。
  イゾルデは元気な産声を上げた新生児を母親の胸に抱かせてやる。誰の精子とも知れないもので妊娠させられ、産まれた子に女は母になれるのか?
  しかしナンシーは、子を乳房に抱き寄せて、眸を丸くして見守っている。
  ナンシーは言う。
 「可愛いわ、これが私の子なのね、たまらない」
  イゾルデは問うた。
 「母となれそう?」
  ナンシーは涙を溜めてうなずいた。
 「誰の子かではなく私の赤ちゃんなんですもの」
  よかったと早苗も感じて見守った。イゾルデは、あえて事務的に言う。
 「一年体を休ませて次にまた」
  人工授精。しかし体外受精ではない。ランダムに選んだ精子を子宮へ送る。

  分娩室を出てイゾルデは早苗に言った。
 「実験でなければどれほど嬉しいことかと思います」
  早苗はイゾルデの白衣の背をそっと撫でた。白衣さえもソフトな紙で仕立てたもの。
  早苗は言った。
 「こんなことがあたりまえのときがくる。ムーンシップが旅立てば人は最先端を生きる家畜よ。人類のために身を捧げることになる」
 「ええ、それはそうでも」
  論理的に理解できても、女としての感情では許せない。愛の欠落した生殖に意味はあるのか。ムーンシップに乗り込めるのは五百万人。うち八割が生殖のために準備される若い子宮。子供が育ちムーンシップの担い手となれるまでには時間がかかり、したがって旅立ち当初は特に、女たちは次々に妊娠させられ子供を産んでいかなければならなかった。

 「倫理って何だったんでしょうね」
  イゾルデはちょっと首を振りながら言うのだった。早苗はさばさば、笑って言った。
 「そんなものは地球の常識、考えない考えない。私たちは月面人よ、地球人じゃないんだから」
  このときイゾルデは、月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルームで眠るエイリアンの化石を思い浮かべた。
 「彼らもきっとそうやって?」
 「でしょうね。科学力でははるかに上よ。クローンということもあるかも知れない。絶滅を悟ったとき残るものはそれしかない。それより私は」
  と言いかけて、早苗は自室にイゾルデを誘った。
 「お部屋で話そ。私のルームで抱き合って」
  イゾルデは見据える眸色で早苗を見つめた。月に来てそろそろ一年。その間イゾルデもまた避妊薬を口にして解放された性に震えて生きてきた。しかしビアンははじめて。あっけらかんと言い放たれて戸惑う気持ちがないわけではなかった。イゾルデは白人だったが背丈では早苗の方が少し高い。歳を重ねて三十歳。早苗の方は四十歳になろうとした。
  部屋に入り、互いに見つめ合って紙のパンティだけの姿となってベッドで抱き合う。イゾルデは小柄でも女体は熟してしなやかだった。キスを交わしてそっと抱き合い、そのときイゾルデの眸に涙が溜まる。
  早苗がささやく。
 「考えないって言ったでしょ」
  イゾルデはちょっとうなずき、なのに静かに泣いてしまう。
 「やりきれません。私は神にはなれないもん」
 「そうよね。あっちもこっちもひどいことになっていて、あっちでもこっちでも人は苦しんで生きている。地球なんてもういいわ。人類なんてもういいの。人間らしく滅んでいったほうがいいんだもの」
 「そう思います。何もかもが狂ってる」

  早苗は、狭いベッドでイゾルデを横抱きにして、紙のパンティの上から温かな尻をそっと撫でて言う。
 「それでも人類は滅びない。ジャワ原人の時代に相当数が連れ去られ、私たちとは違う文明の中で進化しているはず」
 「家畜として?」
 「さあ、それはどうかな。ペットのようなものかもね。彼らの星がどこにあるのか知れないけれど、増えすぎず減らしすぎない管理された世界の中で生きてるでしょう」
 「動物園みたいに?」
 「だと思うわ。生殖を管理され、餌をもらい、だけどきっと平穏に暮らしているはず」
 「食料になっているとか?」
 「それもないとは言えないでしょうね。生きるとはそうしたもの。私たちだって牛や豚を育てている。人間だけが特別という発想そのものが地球をこんなにしてしまった。ムーンシップで人類はその愚かさに気づくでしょう。百万人の男性と四百万人の女性。女たちは蜂起して女性主導の社会をつくる。惑星プロキシマBまで四光年あまり。いったい幾世代を経て行かなければならないのか」
 「計画性を持たないと破綻する」
 「そういうこと。一人の女性に何人子を産ませ、その子らもまたどんなタイミングで妊娠させていくのか。それに伴って月面都市もひろがっていくでしょう。月全球が二重構造の宇宙船となっているかも知れないけれど、今度こそ人口をコントロールしないと生存が危うくなる。死体だって資源だわ。胎盤なんて格好の蛋白源よ」
 「恐ろしい」
 「ええ恐ろしい。でもそうしなければ生きていけない。太陽光線のないところで物資の補給も得られない。大量の酸素を消費する大型動物は積み込めない。何を食べ、どうやって命をつなぐのか。きわめて論理的に、でも一方では冷酷無比に、なりふりかまわず生きていくのよ」

  紙のパンティに早苗の手が忍び込み、イゾルデは腿をゆるめて早苗の乳房にすがりつく。いま早苗が言ったことは、もちろん論理としては理解していたし、そのときの自分には関わりのないこと。
 「旅立ちまでには死んでいたい」
  乳房の裏から響く声にイゾルデは顔を上げて早苗を見つめ、そして言った。
 「そのとき老いた者たちは排除される?」
 「ということになるでしょうね。命がけで造った都市に残れない。そればかりか用済みの老人たちを地球に戻す意味もない。帰還のための宇宙船と膨大な燃料をついやす意味がないってことよ」
 「ひどいわ、ひどすぎます」
 「TIMES UPよ。終わらせましょう。非人道の限りを尽くして生き残ったところで親は子らにそれをどう説明すればいいのかしら。私なら耐えられない。耐えられないと狂ってしまうと即座に処理される社会に生きてなんていたくない」
 「抱いて早苗、めちゃめちゃにしてほしい」
  紙のパンティを奪われたイゾルデ。もはや獣。早苗の指に嬲られ犯され、非人間的なイキ声をまき散らして果てていく。
 「私ダメ、もうダメ。もう一人の私を抑えられない」
  月面に十年以上を暮らした者たちの気持ちを想い、イゾルデの性器は激しく濡れてのたうち果てた。

  そのとき地球。ルッツの店からは離れた家にあるバートの部屋。
  呼びつけられたマリンバは、戸口を入るなり黒いマントのような冬のコートを脱ぎ捨てて全裸。体のそこらじゅうに鞭打ちの傷は残っていたが、どれもが古いものばかりで、一見して目立つ傷はなかった。嵌め殺しのステンレスの首輪。相変わらずのスキンヘッドと無毛のデルタ。金色の眉毛だけが許されて人の女らしい顔となっている。
  マリンバは恥ずかしかった。マゾ牝として調教され尽くし、羞恥など忘れたつもりでいたのだったが、恥ずかしさはそれとは質の違うもの。マリンバはさらに一つ歳を重ねて四十七歳。豊かな乳房が垂れてきて、プロポーションにもゆるみが目立つ。脂肪ではなく皮膚のたるみ。どうにもならない衰えだった。
  対してバートは男盛りの三十五歳。黒人ならではの均整の取れた野獣の体を誇っている。

  戸口で全裸となったマリンバはいつものようにベッド下の床に平伏し、ベッドを深く沈ませて座るバートに見据えられて厳しい声を待っていたのだが。
 「顔を上げろ」
 「はいバート様。お呼びいただき幸せでございます」
  羞恥に震える思いで顔を上げると、豊かな乳房がぶらんと揺れた。バートの髭もじゃの野獣の顔が眸に映る。座っていても大きい。トランクスだけの裸なのだが、恐怖に喉の奥が引き攣るような気がしてならない。
 「立って体を見せろ」
 「はいバート様。ああ恥ずかしい」
  まっすぐ立って両手は頭の後ろ。脚を少し開いて性器までも隠さない。
 「おまえいくつになった?」

  マリンバは凍る想い。もはや女ではないと捨てられることへの恐怖に心が震えた。バートはそれでも裸身を見回す。
 「四十七でございます」
  バートはうなずくと、ごろんと巨体を横たえてマリンバに命じた。
 「来い」
 「はい? えっ? 来いとは?」
 「来いと言ってる」
 「は、はい」
  責めもなくベッドへ誘われたマリンバ。そっと上がって添い寝をすると丸太のようなバートの腕に絡め取られて動けない。マリンバは目を見開いてバートの二つの眸を交互に見つめた。
  どちらかの眸に嘘はないか。疑うような視線であった。
  抱かれてキス。そのとき乳房を揉まれ、キスは肌を這って首筋から胸へと降りて乳首を含まれ、そのとき無骨な男の指先がすでに濡れる性器をまさぐる。
  恋人のようなセックス。それも相手は化け物バート。マリンバには信じられないことだった。
 「あぁン、バート様、感じます、ありがとうございます、嬉しいです」
 「ふふふ、いい女だぜ」

  マリンバは、その刹那、電流のような悦びに襲われてガタガタ震えた。震える想いをどうすることもできなかった。
 「ほんとのこと? 私はいまでもいい女?」
  バートは笑ってうなずくと、開かれていく腿の間に大きな腰を割り込ませ、野太い勃起を無造作に突き刺していく。
 「あぅ! あっあっ! ダメ、イク! 嬉しくて私、あぁイクぅ!」
 「このところ落ち込んでやがったな。衰えを気にしてやがる。馬鹿者め。飼うと決めたそのときからおまえは生涯マゾ牝なのさ、わかったか」
 「はいバート様、嬉しい」
  気が遠くなっていく。やさしいところなんてないと思った化け物が、じつは心を見ていてくれた。そう思うとマリンバは泣けてきて、錯乱する快楽がやってくる。

  やわらかなベッドでやさしいセックス。夢のようなひととき。マリンバの白い裸身がバートの黒い巨体をジャッキアップするように押し上げて、ほとんど悲鳴のピークを訴え、気を失ってふわりと崩れた。
  気絶してなお抱きすがる白い腕。一度の射精で穏やかに萎えていき、するりと抜けるバート。
 「ぁ、嫌ぁぁ、抜けちゃう」
 「ふふふ可愛い奴だぜ。このところ鞭も減った。だからおまえは自信をなくした。ババアになったと思ったからだ」
 「はい」
  消えそうな声でマリンバは言い、バートはそれきり黙ってちょっと笑い、ただ抱き締めてやっていた。

  ただ抱かれるだけで震える女がここにもいる。ターニャ。ビアンでありマゾでもある女にとって男の体は恐怖そのもの。けれどもデトレフだけには肌を許せる。早苗が間にいてくれると思うだけで安心できた。
  しかしそれでも、いざ一対一で向き合うと怖くなってたまらない。熱い茎に貫かれ、狂気としか言えない錯乱に襲われて、あれほど怖かった男臭さの満ちるベッドで抱かれている。
  デトレフ大佐は五十一歳。倍ほども歳が違い、だからこそターニャは落ち着けた。大きな器にすがるように強い心音を聞いている。幸せだった。
 「早苗に可愛がられているようだな」
 「はい、それはもう。早苗様は尊敬できるお方ですし、ほんとに素晴らしい女王様」
 「うむ。早苗は極限を見てきた人だ。月にいるすべての者は極限に中に生きていて、闇より怖い孤独に苛まれていたんだよ。早苗の母性が皆をつつんだ。俺にとってもルナなのでね」
 「女神様?」
 「まさに。他に言葉は見当たらない。しかしなターニャ」
 「はい?」
 「地球で出会っていたらと思うと、そうはいくまい。この極限こそが男も女も人に変える。人間らしい性のままでいられる」
 「そうかも知れませんね。何不自由なくわがままに生きていければ、どうしたって利己主義がつきまとう」
 「そういうことだが、それも少し意味が違うぞ。究極の利己主義は月にこそある。それは極限の中にこそあるものだ。ぬくもりを求めてもがく。生きている実感がほしくて淫らになる」
 「情を求めて?」
 「そうだ情だ。愛などというありきたりな麗句ではごまかせない、どうしようもない肉欲。獣の本能と言うべきなのか」
 「わかります、それ。いっそ獣でいたいかなって・・早苗女王様、そしてご主人様の奴隷でいたいかなって・・」

 「明日からしばらく裏へ行く」
 「調査ですよね?」
 「核爆弾エンジンの準備、それとエイリアンの痕跡も探してみたい」

  核爆弾エンジンとは、まず月面に巨大なパラボラアンテナのような衝撃を受ける受動部分を造っておき、その間際へ水爆級の核爆弾を次々に射出して、およそ五分おきに連続して爆発させる。月には大気がないから地表を襲う衝撃波のようなものは発生しないが、爆発の衝撃だけは受動部分に伝わって月を押す推進力となるものだ。
  月の公転速度を利用してスイングバイ=徐々に速度を上げていき、ついには地球の引力圏を脱出するという計画。
  しかしそれらは表向きの話であった。来たるべきそのときのために地球からは監視できない裏側で準備をしておかなければならない。
  TIMES UPのときのために、いよいよ破滅の支度にかかるということだ。

  核爆弾エンジン、エイリアン、宇宙への旅・・恐ろしげな言葉と想像が不安を掻き立てたのか、ターニャはふたたびデトレフの萎えたペニスを欲しがった。

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 生殖実験(二三話)


  ホスピタルモジュール。それは、それまでに月へ送られた超大型宇宙船を月面地下に埋めた居住モジュールの一画にあった診療所レベルの施設を、まさに月の病院として独立させたものであったのだが、その主たる目的は産婦人科と言えただろう。
  新設された月の病院に居場所を移した早苗のもとにデトレフがやってきたのはホスピタルモジュールが完成したその日のことだった。
 「生殖実験ですって?」
 「すでに宇宙ステーションを発ったそうだ」
  早苗は怒りに満ちていた。月そのものを宇宙船とするムーンシップ計画は、言い方を変えるなら人間牧場。凍結精子による強制受胎。そうやって代を重ねていかなければ人類を新たなる地球へは導けない。人類はいまだ宇宙環境の中での生殖を経験していない。欠かせない実験なのはわかっていても、女性として許せない気持ちになる。
  デトレフは言った。
 「女性の数は白人有色人種を合わせて二十名。HIGHLYかWORKERかのどちらか。それ専門の医師を伴ってやってくるということだ」
 「それはわかるけど女の子は皆が囚人なんでしょう?」
 「うむ、そういうことらしい」
  デトレフは怒りを抑えた即物的な対応でうなずくしかなかった。

  地球上で何らかの罪を犯し、留美のようにLOWER社会に堕とされる囚人たちに人権などはないに等しい。
 「それならせめて避妊せずに・・」 それきり早苗は絶句した。
  重罪を犯した女とは言え、強制されて月へ送られ、まさに家畜として管理される。形はどうあれ男女の悦びの先に出産があるならまだしも、誰のものとも知れない凍結精子を植えられて、牛か豚のように経過を観察されて出産する。産まれた子もまた観察されるということだ。
 「いずれそうなる。でも許せない」
  早苗は医師。医学的見地に立てば必要な実験であることはわかっている。しかし最初からHIGHLYの娘たちがやってくるならともかくも、囚人で試そうとする発想が許せない。
 「失敗してもいいってことよね。ダメなら捨てろってことでしょう」

 「そろそろ反乱を準備する」

  怒りに満ちたデトレフの眸を、とっさに早苗は見つめてしまう。
  デトレフは言った。
 「隕石迎撃用の高エネルギーレーザー砲二門が完成した。有効射程五十万キロ。地球を攻撃できる態勢がとれるということ。さらに核兵器を廃棄する際、水爆級の弾頭を三発、軍船に隠して持ち込んであるのでね」
  そこまで考えていたとは。
 「わかるけどでもそんなことをしたら相手だって」
 「いや地球は月を攻撃できない。ムーンシップは人類の命運そのものだからね。地球は我々の下につくしかないんだよ。月の女神ルナは怒った」
 「女の子たちは守る?」
 「無論だ。生殖観察そのものは、やがてやらなければならないこと。しかし家畜扱いは許せない。どんな医師がやってくるのか。無慈悲な者なら始末する」
  強固な意思が言わせた言葉。

  超大型輸送船の七十番船がその黒い巨体を静かに降ろし、何事もなく月面に着陸した。この船も当初のものに比べれば、さらに大きく、宇宙区間では空気がないため流線型である必要はなく、きわめて即物的な葉巻型につくられている。
  七十番船はほとんどが物資。人員は百名足らず。そしてそれとは別に二十名の若い女性と女医が一人乗り込んでいた。女性の構成は白人十名、有色人種が十名。月面に降りると同時に女たちはホスピタルモジュールに収容されて、派遣された若き女医と早苗そしてムーンシップ計画のリーダーである海老沢とデトレフが同席した会議が持たれた。
  その女医もシルバーメタリックのスペーススーツを着た姿。一見して理知的な顔立ちだった。

 「婦人科医のイゾルデ・ドーレと申します。歳は二十九、名前からご推察のように元はドイツです。雪村さんの名は存じております。どうぞよろしく」
  茶褐色のショートヘヤー。白人女性としては小柄で早苗と背丈は変わらない。
キリリと目の涼しい冷たい印象。先入観だったのか、早苗にはそう思えてならなかった。
  イゾルデは言う。
 「最初に申し上げておきますね。非人道的な試みですが、女性はすべて囚人でありLOWER社会に堕とされて当然の者たちばかり。はっきり申し上げて死刑囚ばかりなのです」
  じろりと睨むデトレフ。しかしイゾルデは言った。
 「この任を言い渡されたとき、その場ではとても言えないことでしたが、囚人というのは地球上での彼女らの立場です。立場をわきまえさせるため、それに暴動など起こさせないよう、当初はホスピタルモジュールの個室に監禁するようなこととなるでしょうが、それも彼女らのためなんです」
 「妊娠させて、それ以降は?」

  早苗の問いにイゾルデは微笑んだ。
 「もちろん経過は観察しますが妊婦として大切に扱います。私は医師であって悪魔ではありません。産まれる子らも月にいる人々みんなの子供たち。囚人とは言え母と子。ですから皆さんにもそのつもりで接していただきたいのです。宇宙での生殖に最初に挑む女性がいてくれなければ、このムーンシップにも意味がなくなる」
 「最初だけは囚人としてということですね?」
  海老沢の問いにイゾルデはうなずいた。
 「そうしなければ強制受胎など受け入れられない。女は家畜ではありません。凍結精子によって妊娠し出産したとき女は母でいられるものか。メンタル面でのテストケースでもあるわけです。彼女らは地球の終焉を知らずに連れて来られた。私は一人ずつに本当のことを話し、実験の意味を納得させた上で処置したいと思っています」
 「産まれた子は母が育てる?」
  と早苗が訊いて、イゾルデはふたたびうなずいた。
 「囚人の子にはしておけないので取り上げて皆に育てさせろということですが、それでは子らが可哀想。子を抱き母に抱かれる幸せまでをも奪いたくない。ただしかし」
  と言って絶句したイゾルデの面色に苦渋の色が滲んでいた。
 「囚人に名はありません。1号2号と呼ぶこととしたい。それも人であることを諦めさせるため。ホスピタルモジュールでは空調がゆき届き、裸の姿にしておける。体の変化もつぶさに観察しなければなりませんしね。そういう意味でも名がないほうが彼女らのためだと思うんです。人は情でつながるもの。そのうち皆が名を呼ぶようになるでしょう」

  イゾルデは辛い。同じ女医として痛いほど気持ちのわかる早苗だった。
  イゾルデは言った。
 「そうまでして人類は生きながらえなければならないのか。宇宙の摂理を受け入れて滅亡してもいいのではと思ってしまう」
  このときデトレフはルッツの町の山賊たちに思い至った。LOWER社会に堕とされて一度は人権を失った留美や女たちが、やがて情でつながって人間らしい暮らしをはじめている。
  デトレフは言った。
 「先々のために、あえて家畜として扱うということだね?」
 「そうです。全裸で監禁されて泣く女たちを、その上責める者はいないでしょう」
  デトレフはちょっとうなずき一人先に席を離れ、それを追うように海老沢もまた席を立った。
  女同士、医師同士、二人きりとなったテーブルでイゾルデは言う。

 「身勝手にもほどがあるのを承知で私も避妊しようと思っています。そうでもしなければやってられない」
  早苗はちょっと微笑んで言う。
 「私ももう三十九よ、イゾルデは若いよね」
 「それも先々のためです。もう地球へは戻れない。娘らを妊娠させ、子が産まれるとまたしても妊娠させ、その産まれた子にも女の子なら生殖可能年齢となったとたんに妊娠させる。そう命令されて来てますからね。ムーンシップは人間牧場そのものだわ。牝に無駄な時間を過ごさせない。論理的にどうであれ許せませんよそんなこと。私が断ればどこかの若い女医が同じ目に遭う。そう思うと拒めなかった」
  目つきの鋭いルックスとは違ってイゾルデはやさしい。
  留美は言う。
 「私たちだって散々話した。そうまでして生きるのか。非道の限りを尽くして宇宙を旅し、そのとき心が壊れていれば生存する意味がないんだもん」
 「まったくそうです。人としての心をなくして生きていたってしょうがない」

 「葬ることが正しい選択だと神に言われているんです」
  イゾルデは、思ってもみないことを言い出した早苗の面色をうかがった。苦笑するような早苗の微笑み。どういうことか?
 「月にはエイリアンが棲んでいた」
 「え?」
  眸の丸いイゾルデ。早苗は言った。
 「人類がジャワ原人だったはるか昔に地球を訪れ、知恵を授けて猿から人間へと進化させてくれた宇宙生命。その死体を私自身が解剖もしましたし地球上でも化石が見つかっているんです」
 「それが月に生きていたと?」
 「地球からは見えない月の裏に棲み着いていたようですけど、棲み家を爆破して去って行ったわ。類人猿の頃の地球人を別のところで育てていると言い残して」
 「別のところで育てている? では地球生命は滅びない?」
 「そういうことだわ。愚劣な種は滅ぼせという趣旨のことを言い残して彼らは去った。彼らにとって私たちは失敗作。そう思うと可笑しくなってね。生きているいまがすべて。だから月の皆は抱き合って本能のままに生きようとしているの」
 「そのことを地球には? はじめて聞きましたけど?」
 「報告なんてしてないもん。下手に言って干渉されたくないでしょう。セックスフリーを私が言い出し、女としては夢のような時間を過ごしてきたわ。地球の終焉なんて私たちには無関係。人類最後の人生を楽しんで死んでいきたいと思ってね」
  それでもまだイゾルデは怪訝な面色。
 「エイリアンの化石を見てみたいならムーンアイに寝かせてあるから。子供みたいな可愛い姿よ」

 「生殖実験ですか」
 「そういうことだよ。連れて来られた囚人は二十歳そこそこの娘らばかり。おなかがふくらみ母となる準備をしている。そのとき女医さんは一人一人に納得させて処置をした。いまでは月の皆が我が事のように見守っている。月にいる七千あまりの女性の中で妊娠を許されたたった二十名であるからね」
  イゾルデが月に派遣されてから半年ほどが過ぎていた。無線。デトレフの声は相変わらず穏やかで留美をほっとさせるものだった。
 「そのすべてが凍結精子で?」
 「もちろん。それでなければムーンシップ計画に役立たない。およそ七千名いる女性たちにてんでに妊娠されても月には育てる環境がないのでね。ほとんどが避妊薬を飲んでいる。連れて来られた娘らだけは別ということ」
 「そうですか。なんだかこっちとは違う意味で非道です。私たちも女はみんな妊娠しません。治安維持部隊に親しくしてくれる人がいて避妊薬を流してもらってますからね。こんな時代に子供はまっぴら」
 「うむ、哀しいことだ。さて話題を変えよう、ところでそちらは? ジョエルの奴は覗いてるのか?」
 「ときどきですね、ごくたまに。HIGHLYが恐れるのは同じHIGHLYの造反ということで、頻繁に出入りしていると町が危ないとおっしゃって」
 「なるほど、それはそうだろう。ジョエル一人ならいいのだろうが、それにしても目立ってしまっては勘ぐられる。山賊らしくいたほうが安心というものさ」
 「そう思ってます。ねえデトレフさん」
 「何だね?」
 「それでその二十名の娘らは、いまでも囚人?」
 「違う。命をつなぐ使命を背負った女たちだよ。いまでは皆が親身になって面倒をみているし牢獄のような暮らしでもなくなった。地球にいるより幸せだと言ってるよ」
 「そうですか、よかったわ」

  ふたたび冬。
  かつてルッツの部屋だった広い空間にマリンバはいたのだったが、いまでは人並みに古着の着衣が許されて、ステンレスの首輪こそそのままでも、つながれることはなくなっていた。スキンヘッドはそのまま。陰毛も許されない。それは留美が決めて譲らないことだった。
  あくまで性奴隷。しかしもはや誰もが情を向けて接している。すべてを許して女に戻せばどうなっていたかと思うと、月と地球で同じことをしていると思えてならない。これでよかったと留美は思い、ベッド下の足下に正座をさせるマリンバを見据えていた。かすかだったがマリンバの面色から微笑みが失せなかった。
 「私ももう三十一か。マリンバは?」
 「四十六になります」
 「でも綺麗。おまえは美人だし体も綺麗よ。皆に可愛がられているから衰え・・」
  と言いかけたときノック。カルロスだった。カルロスも一つ歳を重ねて三十歳。いまではすっかり溶け込んで信頼される存在になっている。
 「またマリンバ?」
 「いけませんかね? 今夜は向こうでたっぷりとと思ったもので」
 「いいわよ連れてお行き。すっかりお気に入りね」
  このカルロスがマリンバを気に入って、しょっちゅう連れ出しては遊んでいた。歳上の女が好み。マリンバも嬉しいらしく、カルロスの顔を見ると面色が明るくなる。

  ボスの部屋を出るときに首輪にチェーンがかけられて奴隷として引き立てられる。形だけそうであっても、マリンバにとって夢のような一夜になるのはわかっていた。
  マリンバがいなくなった一人の部屋。それを見計らったようにミーアが恥ずかしそうに顔を出す。ミーアは留美がお気に入り。しかしいまバートの部屋にいるのが普通のこと。
 「あらバートは? 行っていいって?」
 「はい。いいも何も、いけないとは一度も言われてませんから。マリンバが来て、そしたら私に行ってこいってお尻を叩かれ」
 「あらそ」
  留美はちょっとため息をつく。
 「おまえにも困ったものだわ、どうしてもマゾ。男には普通なのにどうして私の奴隷になりたいかしらね? いいわ、脱いで奴隷のポーズ。早くなさい」
 「はい! 嬉しいです女王様」
  留美は呆れて見つめている。冬のいまジーンズにセーター。立たされて脱ぐときは恥ずかしがり、けれど脱いでしまうと大胆な奴隷となるミーア。足下に膝で立って両手は頭。脚を開いて乳房を張る。

  留美はいつものように二つの小さな乳首をつまんでコネてやる。それだけでミーアは潤い、甘い吐息を漏らしだす。
  女王と見定めた同性の眸を見つめて視線を逃がさず、時折うっとりと眸を閉じて喘ぐ奴隷。黒人特有の引き締まった裸身が鳥肌を立てて震える様は可愛いもの。
  留美は一度立って、それもまたいつも通りに乗馬鞭を手にして座り直す。ミーアは乳首打ちを望むように乳房を張り、いじられて尖る乳首を突き出してくる。
  ヒュンヒュン横振りされる鞭先が寄せられて乳房の谷越えで乳首を打たれ、ミーアは感じ入った悲鳴を上げる。
 「ンっンっ、女王様痛い、あぁン痛いです」
 「でも濡れちゃう?」
 「はい。感じます、嬉しいです、もっとください、もっと」

  暗澹たる気分。それを癒やしてくれるのは性奴隷ターニャであった。
  早苗の部屋。無機質な空間に二人きり。奴隷のポーズで同じように膝で立ち、金色の陰毛の奥底を嬲られて腰を振って喘いでいる。どこまでも無抵抗。素直になすがまま。
  しかしこのときの早苗は苛立っていた。囚人として連れて来られた娘らに母となるチャンスがあって、どうして私にないのだろう。本能の苦悩とも言うべき孤独感に苛まれ、だからよけいに女王となって君臨したくなってくる。
  淹れたばかりのホットティ。早苗はスプーンを浸して先を熱し、それを見せつけるように鼻先に突きつけて、それから濡れる股間へ降ろしていった。
 「なんだか苛立ってるのよ」
 「はい」
 「悲鳴を聴かせて。熱いわよ」
 「はい女王様」
  脚をさらに開いてクリトリスを突き出すターニャ。金属のスプーンの背がクリトリスをつぶすように押しつけられた。
 「きゃぅ! うぐぐ!」
 「熱いわね。可哀想ね。でも耐えて」
 「はい、嬉しいです。はじめて本気で責めていただけました。ありがとうございます女王様」

  愕然とした。私はこれまで本気にはなりきれない。ターニャはそれでは満たされない。女の性の不可解を見せつけられた気分だった。
 「わかったわ、乳首をお出し、このマゾ牝」
 「はい!」
  微笑むターニャが可愛い。早苗はエスカレートを止められないと考えた。
 「どうなっても知らないから」
  早苗はささやき、両方の乳首に鋭い爪先を食い込ませていくのだった。

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進化の謎(二二話)


  ルッツが愛した小さな町は、背景となる岩山と間近に点在する岩の丘の狭間にひろがる荒野の中に家々の集まるところ。まさに開拓時代のアメリカを思わせる雄大な景色の中にある町だった。三年の間に増えた家はわずかに三軒。もともとあったルッツの店と裏のガレージ。その裏に最初の一軒が建ち、次に、そちらもまたもともとあった町外れの一軒の奥側にさらに一軒、またその横に一軒加えた全部で三軒。どれもがルッツの店を継いだ山賊たちが建てた家。
  その中でもっとも新しい一軒には、皆が集まれる大きな円卓のある広間があった。家の造りがログハウスで構造的に強いことと、ログハウスは壁が厚くて銃弾が通らないこと。平穏な町ではあったが、いつまた襲われるとも限らないし、道筋に面して町の両端に位置するルッツの店とそのログハウスとの両方で敵の侵入を防ごうということだった。

  その大きな円卓に、ティータイムを口実として、男では客人のジョエル、バートが呼ばれ、女たちからマルグリット、キャリー、コネッサ、ミーアとマリンバ、そしてボスたる留美が席につく。菓子づくりが得意なマルグリットが焼いたビスケットと珈琲紅茶、それだけが並ぶテーブルだ。時刻は遅めの昼下がり。夕食のタイミングではなかった。
  最後にバートが座って皆が揃うと留美は言った。
 「はじめてお迎えするちゃんとしたお客様と言えばいいのかしら。こちらはあのとき救ってくださった正規軍のジョエルさん。いまは大尉となられたそうですけど、ルッツさんのお兄さん、デトレフ中佐の部隊におられる方。今日から非番ということではるばる訪ねてくださったのよ」
  来客を取り次いだコネッサはともかく、皆がジョエルへ眸を流す。あのときは軍服。私服になるとイメージが一変し、三十一歳の若者でしかなかっただろう。ジョエルはとりわけ若く見え、しかし軍人らしい金髪の角刈りと鍛えられた肉体には兵士ならではの覇気が満ちる。バートも元は陸軍兵。ジョエルも長身だったがバートの体躯にはおよばない。
  ジョエルが言った。
 「一言訂正されてもらうならデトレフ大佐」
  バートがわずかに声を上げて笑う。正規軍は装備の点で勝てないというだけで丸腰ならば人対人。単身来るとはいい根性してやがるとバートは内心思っていた。HIGHLY野郎が気にくわない。

 「ということで歓迎のティータイム」
  留美は手をかざしてジョエルにカップを勧めると、自らもティーカップを取り上げた。ジョエルは珈琲。カップを手にして口に運ぶと、皆が席に揃う中で一人だけ全裸のまま留美の横の板床に控えるマリンバへと眸をやった。当然のことながらマリンバだけ飲み物などは用意されない。
  留美は言った。
 「私たちは山賊。人買いどもから女をさらい、共有される牝として犯し尽くし、そうしてずっとやってきた。それはいまも変わらない。まるで一族のようですけれど女は皆の共有物。HIGHLYのモラルなんて通用しない無法世界よ」
  留美はちょっと笑ってジョエルを見た。ジョエルはわずかに眉を上げる。あべこべに試されている。そう思うと可笑しくなって顔がほころぶジョエルだった。
  留美は言う。
 「そしていまジョエルさんも、そんな私たちの中にいる。私たちの流儀にしたがって休日を楽しんでもらおうと思ってね。マルグリットとキャリーは元はHIGHLY、ミーアはマゾ、マリンバは性奴隷、女は他にもいますから、どうぞお一人お選びくださいな。二人三人でもいいけれど。どうしようと思いのまま。ふふふ、さあジョエルさん、ご指名は?」
  バートは苦笑いしながら毛むくじゃらの顎を撫で、いまにも笑うその顔を横に向けてマリンバをチラと見た。他の女たちも皆が眸を伏せて笑っている。意地悪なボス。皆がそう思っていたに違いない。
  そしてジョエルは、そのときチラと円卓から少し離れた天井の太い梁から下がる鉄のフックへ眸をなげた。鉄のワイヤーが巻き取られるウインチになっている。ログハウスは音が通りにくいということで、つまりそういうことのための部屋でもあると察していた。調教室。

  そんな視線の動きに敏感なのはマリンバだった。責められるなら奴隷。しかしマリンバの眸はキラキラ輝いているようだ。
  バートは横目にちょっと睨む。さあ小僧、どうするつもりだ? それが内心。ほくそ笑む。
  と、そのジョエルが片眉だけを上げて言った。
 「その前に、マリンバにはお茶はないようですね。思いのまま自由にしろとボスは言う。ふふふ」
  留美は眸を細めて微笑みながらうなずいた。
 「どうぞ、ご自由に」
 「うむ。ではマリンバ、おいで」
 「はいマスター」
  一人だけ全裸で毛のないマリンバ。豊かな乳房を揺らして這ってジョエルの椅子の横に控える。ジョエルは大きなビスケットを手の中で割って口に含み、少し噛むと、合わせて珈琲を一口含んで口の中で混ぜ合わせ、マリンバの顎に手を先をやって顔を上げさせ、膝で立ったマリンバにキスするように吐き戻して与えていく。
  マリンバの眸が丸い。驚いて、そして嬉しくてならず眸が笑う。
  それからそっと一度抱いて、スキンヘッドを撫でながら座らせる。
 「ありがとうございますマスター、夢のようです」
 「よろしい、よく躾けられた奴隷だ。・・さて」
  次に顔を上げたとき、見つめるバートの視線とまともにかち合い、ジョエルはその視線にも微笑んで、それから留美の眸を見つめる。

  まさか私?

  ときめくような不思議な想いに支配された留美。ジョエルは言った。
 「でしたら望みはストリップダンスかな。ふふふ、ダンサーはボスということで。いますぐここで」
  これにはバートが声を上げて笑った。これは見物。試したはずの小僧に試されるボス。女たちも皆が双方を交互に見てひそかに笑う。
  留美はちょっと笑って、笑いが退いて真顔となって席を離れた。
  鉄のフックが巻き上げられた真下に立つ。音楽などはなかったが、バートがテーブルを軽く叩いてリズムをとる。サンバ。こういうときにはふさわしい。
  室内でもサンダルを履く文化。留美はリズムに合わせてステップを踏み、腰を振りながら肢体をしならせ脱いでいく。夏のいまミニスカートにTシャツレベル。ジーンズミニのボタンとファスナー、Tシャツ。そのとき留美は鮮やかなブルーのブラとブルーのパンティ。リズムに合わせて乳房が揺れて、ブラから解放されて尖り勃つ乳首までが露わとなる。大きくはないが形の整った綺麗な乳房。
  マリンバは見つめている。人生を奪った女の、女としての意地を見つめる。
  そしてパンティ。
  腰を振りながらセクシーに裸身をしならせて、尻から指先を滑り込ませて降ろしていく。踊る汗がにじみ出し、性的な上気を隠すように全身を桜色に染めていく。
  全裸。もはや忘れ去っていた洞穴での最初のときを思い出す。恥ずかしい。なのに濡れてたまらない。留美は熱を持つ据わった眸をジョエルただ一人に向けたまま、踊りながら黒い陰毛の奥底へ指を突っ込み、まさぐった。

 「ンふぅ、ぁぁ感じる、いい、あぁぁぁ」

  マリンバのスキンヘッドに手を置いて見つめるジョエル。まっすぐな視線。
  ジョエルは立った。立ち上がって踊る裸身に歩み寄り、抱こうとして両手をひろげたのだが、そこで留美はすとんと沈んで、ジョエルのジーンズのジッパーに手をかけた。ジッパーを開放し、手を入れて、すでに半ば勃起する若いジョエルを引きずり出して亀頭にキス。口に含む。ジョエルは仁王立ちで、足下にひざまづく留美の頭をそっと撫でてやっている。
  喉奥への突き込みが深くなって留美は吐き気をこらえて涙を溜め、それでも突き込み、ジョエルがかすかに呻いて射精へいたる。
  ンぐぅ・・飲み込む音が喉にくぐもり、吐き出した勃起に泡立つ唾液がからみついて糸を引く。自分よりはるかに小さな女の裸身を、ひょいと、あのときのバートのような腕力で立たせると、ジョエルは抱き締め、口の周りがヌラヌラ濡れる女の口に唇を重ねていく。
  バートが言った。
 「しまいだぜ、この勝負、五分と五分。ふっふっふ」
  全裸の留美と着衣のジョエル。一度キスを解いて見つめ合い、ふたたび抱き合いキスに溶ける。バートの声など聞こえていないというように。
  亮に似ている。あのときも思ったことだが、留美はジョエルのキスに亮の匂いを嗅いでいた。

  ふと気づくと、円卓はもぬけの殻。椅子の横に寄りそうように、マリンバが涙を溜めて控えていた。

  地球の青い空に半月の月が流れていた。その闇の半分にムーンアイは位置していて、そのときジョゼットだけがコントロールルームにいた。
  太陽の行き先を計算する。どれほどやってみたかわからない。しかし確率に変化はなかった。99パーセントの確率で太陽系は崩壊し、地球は引き裂かれて消滅する。ジョゼットはモニタに映し出される悪魔の星を見つめていた。やや傾いて七色のパルサーを放射する美しい姿ではあったのだが。
 「終わりね、どうしても・・」

 『いいや違う』

  ハッとした。確かに聞こえた不思議な声。それは鼓膜を通さず心に響いた天空の声のよう。
  ジョゼットはとっさに室内を見渡して、真っ先に背後のテーブルに置かれた木箱を見つめ、まさかと考え直して、窓という窓を見渡した。
  脚が震えた。大気がなく夜にはマイナス170℃、そんなところに生命は存在しない。やはり木箱か。ジョゼットは気を取り直してテーブルに歩み寄り、木箱の蓋を静かに開けた。
  デトレフがルッツの町から持ち帰ったエイリアンの化石。黒くツヤツヤ光る、まさに石の骨格だ。エイリアンは喋らず、ぴくりとも動かない。期待する私が馬鹿よ。そう思って蓋をしようとしたときだ。

 『我々が存続させる』
  ジョゼットは今度こそ慄然とした。テレパシー。それも化石となって朽ち果てたエイリアンの意思だというのか。神の声に思えてならないジョゼットだった。

 「人類は滅びないとおっしゃるのですか? お願いです応えて。私たちは必死なんです、どうか教えて」
  動かない化石を見つめてジョゼットは祈るような心持ち。
 『我々は飼育している。かつての原人。おまえたちがジャワと呼ぶ以前の猿どもを』
  進化の空白と言われるジャワ原人以前の時代。それは地球に人類らしい人類が登場した頃である。
 「ではいまから二百万年・・いいえそれ以前の地球人を?」
 『捕獲して連れ去った。知恵を授けて育てている』
 「人類が滅びても地球生命は生き残る、そういうことですね? 人類に知恵を授けたのもあなたがた? 遺伝子を操作して猿から人をつくってくれた?」
  それには声は応えなかった。
 『正しい選択を見届けて我らは去った』
 「人類を終わらせろと? それが正しい? お願い応えてください。地球はもうダメですか? 中性子星は避けられない? お願いですから、どうか応えて」

 『運命だ』

  それきり声はしなくなる。
  ジョゼットは木箱の中の小さな骨格の額にそっとキスをしてやった。
 「ありがとう」
  ジョゼットは泣いた。迷いを払う言葉をくれた。心が軽くなっていく。
  そしてそのとき海老沢がムーンアイへとやってきて、木箱に顔を突っ込むおかしなジョゼットを目撃する。
  振り向いたジョゼットは川のような涙を流して男の胸に飛び込んでいく。
  計算違いであってほしいと願う天文学者の想いが聞かせた、あるはずのない神の声。そう考えて海老沢は抱いてやるしかなかった。
  しかしこれで辻褄は合う。進化の空白としてなぜか化石の出ないジャワ原人の謎が解けた。海老沢はジョゼットが聞いた声を否定しない。
  海老沢は言う。
 「胸のつかえがおりた気分だ、楽になったよ」
 「そうね、ほんとにそうだわ。愚劣な種を解き放ってはいけない」
  二人で見つめるモニター画面にパルサーを放って輝く中性子星が映し出されたままだった。

  瞼の裏に星が舞う至上の快楽。マリンバだけが見守る中で、留美は円卓に両手をついて尻を上げ、ジョエルの強張りを子宮に感じて吼えていた。一度のピークでジョエルは萎えない。熱の勃起。下腹の奥底が焼かれるような女の夢に留美は狂い、白い尻を振り立てて吼えていた。
  ピークが来る。幾度となく追い詰められて、子宮口を洗うような射精が来る。
  ジョエルは放ったそのとき一刺し深く突き込んで、衝撃に波紋を伝える白い尻をパァンと叩くと一気に抜き去り、マリンバに命じた。
 「おまえの出番だ、よく舐めて後始末」
 「はいマスター」
  男の体と入れ替わったマリンバは、テーブルに両手をついていまにも崩れそうになる白い逆V脚の尻の底に顔をうずめ、下から手を回して腰を抱いて留美を支えた。
  白く泡立ってあさましい女の性器。マリンバはむしゃぶりついて舐めまわし、膣からとろける男の樹液を舐め取って嚥下した。
  おおぅマリンバおおぅと留美は吼え、背を反らして頭を上げて黒髪を振り乱し、そのまま力が抜けてマリンバの上にしなだれ崩れた。二つの女体がもつれあってフロアに崩れ、マリンバは留美を抱いてやって豊かな乳房にボスの顔を受け止めた。

  ドウンドウン。マリンバの心音は驚くほど強かった。遠くなって消えかけた意識がその心音で引き戻されて眸を開ける。女二人で見つめ合い、それからほぼ同時にジョエルという猛々しい牡を見上げる。
 「最高の休日だ、負けたよ留美、マリンバにも」
 「今日はどうされるおつもり? 一緒にいられる?」
  立とうとして腰が抜けて崩れる留美をジョエルは受け止め、床から抜くように立たせると、笑って言った。
 「できるなら」
 「泊まれる?」
  ジョエルはうなずき、留美が思ってもみなかったことを言う。
 「最後の楽園、そんな気がする」

 「最後の楽園は月にある。せめてもの救いは月の女神といられることだ」
  早苗の部屋。跳ね上げ式のベッドを上げて、できた空間に二脚の椅子を置いてテーブル越しに見つめ合う。二人揃ってたったいま部屋に入ったばかり。デトレフは座るなりそんなことを言い出した。
  早苗は笑う。
 「どうしたのよ詩人みたい? 地球へ行っておかしくなった? ふふふ」
 「地獄を見たさ」
 「遺体でしょ?」
 「南極に打ち捨てられた累々たる凍った死体を百体単位でプレスして積みやすいキューブを造り、積み込んでいく。写真を見せられて寒気がしたよ。こんな星は終わればいいとは思うのだが俺は神ではないのでね」
  早苗は浅くうなずいて、そのときちょうど弱いノック。ターニャであった。
  ビアンでマゾ。ターニャもまた心の闇に苦しむ一人の女。
  デトレフは笑わず見据えた。早苗がターニャとそういう関係であることは知っていても、こうして密室に顔を揃えたのははじめてだった。
  ターニャは性の予感に心が震える。戸口を入ったまではよかったものの、立ち竦んで声も出せない。
 「男の人がダメみたいよ。ビアンでマゾ。でも可愛い女の子」
  言いながら早苗は立って跳ね上げ式のベッドを倒しターニャ一人を座らせた。

  早苗は言った。
 「女王様を抱ける男性はマゾにとってどういう人?」
  ターニャは白い頬を赤くしてうつむいたまま、消えそうな声で言う。
 「ご主人様です」
  早苗はちょっと微笑んだ。
 「かどうかはともかくも、責めたくなって私は呼んだ。脱ぎなさい」
  ターニャは怯えに揺れる眸を早苗に向けて唇を噛んでベッドを立った。
  シルバーメタリックのスペーススーツの下は皆が同じ。ピンクの紙でこしらえたブラとパンティ。脱ぎ去った白い裸身の乳房を抱くようにしてターニャはふるふる震えている。ブロンドのショートヘヤーが男っぽくて逆に美しく化粧などしなくてもターニャは美人。金色の陰毛では隠しきれない裂溝が毛の中に透けている。
  デトレフは微笑みをたたえて見つめているだけ。女王は早苗なのだから。
 「ベッドに座って足を上げ、奴隷の欲情をお見せしなさい」
 「・・」
 「ターニャ!」
 「はいっ女王様」
  デトレフにとって、ターニャの体の底よりも、S女となって命じる早苗に心が揺れる。女が生まれ持つ情欲の魔女の横顔を見せつけられた気がしていた。

  留美の部屋の大きなベッドでジョエルと留美は溶け合って、そのまま静かな夜は訪れた。逞しい胸に頬を寄せて漲る心音を聞きながら、穏やかに眠った男の根源をそっと握る。
 「こうした暮らしを末端などと言うつもりもないが月は間違いなく最先端だ」
 「末端だわよ。そうなるよう仕組まれた末端ですけどね」
 「その両極で同じことが起きていると思ってね」
 「どういうこと?」
 「月にいる一割が女性。月では女たちのほとんどが避妊薬を口にし、性の自由を楽しんでいるそうだ。それを言い出したのは日本人の女医らしい。多くの男たちが疲弊している。男たちが苛立ってきて、このままではいつか壊れる。私は男たちを抱いてやりたいと言ったそうなんだ」
 「母性よね」
 「それもそうだが内なる声に素直なのさ。男は子供、女は母。この図式は本能的なものなのだろう。マリンバがそうだ。子供たちの暴虐に母は身を捧げて耐えている。タイパンへの恨みなどもはやあるまい。哀れで可愛い性奴隷。子供たちは自らの愚行に気づいていて母に対してすまないと思っている。マリンバや、もちろんルミも、女たちのすべてが野獣をつなぐ力となる」
 「それで月はやさしくなった?」
 「一割の女たちだけがHIGHLYさ」
 「なるほどね、わかる気がする」
  ピロートーク。
  あれからも責められ抜かれ、ベッドの脚にチェーンでつながれ疲れ切って眠るマリンバには聞こえない。

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神の審判(二一話)


  五百万人の人々が生存できる月面都市とは、すなわち壮大な地下街を造ろうとするに等しかった。月の外殻を天井とする二重構造なのだが、構造的には地下街というよりも潜水艦の内部を思えばよかっただろう。居住部分を大空間としてしまうと事故や隕石の衝突などで一部がやられてしまうだけで全滅しかねない。そこで小さな空間をいくつもつないで気密ハッチで分断できる構造とするわけだ。
  大を救うために小を殺す。それは正しい判断なのかも知れなかった。
  しかしその発想が、地球上でHIGHLY、WORKER、LOWERという区画を生んで、HIGHLYだけが人という極端な正義が生まれてしまった。地球に終焉のときが訪れるのは避けられない。宇宙スケールのノアの箱船。なりふり構わず生きようとする本能が暴挙の本質となっている。
  太陽系の行き先に死をもたらす中性子星が待ち構えているなどとは、人々には一切知らされていなかった。あくまでオゾン層の減衰と海面上昇という地球環境の激変に対する対策であるはずが、行き過ぎもはなはだしい。HIGHLYの暴挙に対抗するレジスタンスが生まれると殲滅される。それはHIGHLY同士であっても同じこと。天文学者が真実を伝えようとすれば抹殺され、人道主義者が異議を唱えれば粛清される。
  人類は史上かつてない暴力の時代に生きていた。

 「着陸まで一時間です」
 「うむ。戻って来たな」
  光の三日月だった月が大地としてひろがって、懐かしくも思える景色となって目に映る。デトレフは苦しかった。軍船には核兵器の起爆部分が大量に積まれていて、地球の終焉を決定的なものにする。
  終焉までおよそ七十年。ムーシップの旅立ちまでなら五十年。そのどちらもが自分の人生には無関係。しかしその頃になって生まれる命もあれば若者たちも大勢いる。愚かな人類を宇宙へ解き放ってはいけない。そうは思っても、絶滅は神の審判に委ねるべきではないか。俺は神ではない。眼前に迫ってくる月面を見渡して、デトレフは自分がわからなくなっていた。

 「ふぅぅ、ルミか・・」
  つぶやくデトレフ。
 「はい?」
  部下が問う。
 「いやいや独り言さ、気にするな」
  ルッツよ、おまえならどうする?
  ルミというあの娘にも無関係なことなのだが、その子孫、そのまた子孫を処刑することになる。月面にいる者たちにも次々に若者が送られて来るだろう。人類のためと信じて人生を捧げた者たちを裏切ることになりはしないか。

 「戻って来たわね」
  月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルーム。黒い空に浮かぶ軍船を見上げてジョゼットは言ったのだったが、そばにいて海老沢に声はない。
  地球の周回軌道に浮く宇宙ステーションから、すでに核兵器廃棄のための超大型輸送船は旅立っている。
  ジョゼットが言う。
 「二十五年後か。ふふふ、私たちはお婆ちゃんとお爺ちゃん」
  灰色の船底を見せつけて迫り来る軍船を見上げながら苦笑するジョゼットの背を海老沢はそっと撫でてやる。
  デトレフ帰還。月を出てから十か月が過ぎようとしていた。
  いまから正確に二十五年後。宇宙ステーションから送り出された核兵器の廃棄船は、旅立って十年で動力部分が故障。その後宇宙を彷徨ってふたたび月へと戻って来る。そうなるようにプログラミングされていた。

  ムーンカフェ。

  軍船の帰還は予定した時刻よりも大幅に遅れ、ムーンカフェのクローズタイムを過ぎていた。カフェを閉じ、それでも二人は眠れなく、ムーンアイへとやってきた。そのとき月面都市は三日月の夜の側に入っていて、望遠鏡ははるか天空のベテルギウスを捉えている。こちらも死を目前にした巨星。海老沢とジョゼットだけの静かな空間。軍船が戻ったのはそんなとき。
  ジョゼットは、待ちわびる早苗にインターフォンを入れておき、海老沢と二人でふたたびムーンカフェに戻っていた。珈琲を支度する。
  ほどなくして、毅然とふるまう凜々しい軍人が入って来る。八か月ぶりに見るデトレフは、瞳の奥に強い意志の漲る男。少しも変わっていないと二人は思い、さらにそのときドアが開いて早苗が笑う。
 「やっほ」
 「ふふふ、うむ、元気そうだな」
 「元気だもん」
  ふざけて言って、早苗は涙を浮かべてデトレフの胸に飛び込んでいく。四人ともにシルバーメタリックのスペーススーツ。ジョゼットをカウンターの中に置いて三人並んで席につく。
 「降りてみたさ」
 「行って来たんでしょ弟さんのところ?」
  早苗が言ってデトレフはちょっと笑った。
 「体がこんなにも重いものとは思わなかった。動けるようになるまで十日ほどかかったものだ。月はやさしい、まさにルナ、女神様だよ、体が軽い」
  柄にもないことを言う。早苗はちょっと肘で小突く素振りをする。

  ジョゼットの珈琲。カップを口に運びながらデトレフは言った。
 「最悪だ」
  独り言のようにボソっと言う姿を三人揃って見つめている。
 「アフリカエリア、それにアジアエリアでも、またしても反乱があって百万人単位で殺されたそうなんだ。オーストラリア大陸は比較的平穏だったが、HIGHLYどもの締め付けはますます厳しくなるだろう」
  早苗は言う。
 「鬼畜の所業ね」
  デトレフは声もなくうなずいて、そして言った。
 「核廃棄は予定通り。起爆装置もくすねてきたさ」
  女医としてなのか早苗は問うた。
 「遺体のほうは?」
  死体とは言わない。
 「直接タッチはしてないが・・」
  そのときのデトレフの面色の曇り。それきり誰もその話題に触れようとはしなかった。
  早苗は言う。
 「ごめん、余計なこと訊いちゃった」
 「いや、かまわん。俺は軍人たる自分を呪うよ。嘔吐が出る連中の側にいると思うだけでやりきれん。しかしな、それはそうでも・・」
  それきり絶句したデトレフを察してジョゼットは言った。
 「私たちもそうなのよ。私たちは神にはなれない」
  デトレフは声を返さず眉を上げ、思いを切り替えるように顔を上げた。
 「正論を言うならそれでいい。時間はまだある。ところで」

  そうデトレフは言って横に座る海老沢へと目をやった。あのことはもちろん無線で告げてある。地球で傍受されても解読できない暗号化された軍用無線。
  海老沢が言った。
 「かなりな揺れから想像するに、彼らは地下都市を爆破して去って行った。新しいクレーターができたというだけのものだろう。行ってみたくても手段がないのでね」
  次にデトレフは早苗に向かった。
 「あ、そうそう、弟の町で出た化石を持って来た。ほぼ完全な骨格だ」
  早苗が言った。
 「姿は同じ?」
 「そのままさ。幼子のようでもあって哀れに思えてならなかったね。もはや石。医師の領域ではないだろう」
  早苗は、すっと背伸びを一度して語調を変えた。
 「はいはい、もういい、今夜はおしまい。さあ坊や、いらっしゃい。医師としてのボディチェックです」
 「ちぇっ」
  これには皆が笑い合う。自室へ呼んで甘えたい。早苗らしい言い方だった。

 「マリンバ、散歩よ、いらっしゃい」
 「はいボス、ありがとうございます」
  牝豚のことを最初にマリンバと呼んだのは、他ならぬバートであった。責められて歌うような悲鳴を上げ、打ちどころで音階が変化する。打楽器のようだというわけだ。マリンバの奏でる悲鳴は果てていく甘い吐息に変化して曲が終わる。
  留美は三十歳となっていた。ルッツの町は平穏そのもの。レジスタンスの台頭を警戒して軍じきじきに視察に来ても、ルッツの町はあまりに小さく、住民たちもほとんどが中年以降。野蛮きわまりない山賊の棲み家であり、よそからの目立った出入りもないということで黙認されていたからだし、そのときもマリンバの存在が決定的な蛮族のイメージを植え付けた。性奴隷を虐待する連中としか映らなかったに違いない。
  季節は初夏。留美は白いミニスカートにプリントTシャツの姿で、とても山賊のボスとは思えなかった。しかしステンレスの首輪につながるチェーンを手にし、ミニスカートほどの腰布を与えただけで白い乳房を弾ませて歩く髪の毛のない奴隷の姿を見るにつけ、彼らは山賊だったと思い知る。そうした姿を軍にも見せつけ、したがってルッツの町は平穏を保てている。

  三年の間に住人の二人ほどが召されて逝って、町の者たちも好ましく老いてくる。若くても四十代という人々にとって、タイパンのクイーンと呼ばれた女への憎しみは失せていた。
 「よおマリンバ、相変わらず綺麗だぜ」
 「ほんとよ、髪の毛だって許してやりたいぐらいだね」
 「はい、ありがとうございますマスター、それにマダム。可愛がっていただいておりますので」
  そうして逐一道ばたに膝を着いて挨拶させる。男はすべてマスターと呼ばせ女であればマダム。もしもそのとき欲情されれば誰の体にも奉仕する。それが性奴隷マリンバの存在だった。
  半裸の奴隷を足下に控えさせ、留美もまた明るく応じる。
 「そうなんですよ、そろそろいいかと思ってて」
 「髪の毛を?」
 「ええ。陰毛はダメ、許さない。ふふふ、これって道ばたで話すことじゃありませんよね」
  皆で笑う。
  マリンバが連れ出されると町の男たちが集まって来る。マリンバには、もはや人としての羞恥はなかった。牝になりきることでしか生きられない。そうした覚悟が町の者のたちには心からの謝罪と受け取られていたのである。
  留美は言った。
 「それもいいかと思ってますよ。髪を許して女に戻し、なのに裸で連れ回す。恥ずかしくて濡れるでしょ?」
 「なるほど、さすがボスだぜ、山賊らしいや」
  どれもこれもが軽いジョーク。皆がマリンバのスキンヘッドを撫でて去って行く。
 腰布のほか露わとなる素肌に傷らしきものがない。町の皆もそのことにほっとしている。

  狭い町中を散歩させて広い部屋へと戻った留美。そこはかつてのルッツの部屋でバートの一室。いまバートは町外れにさらに造った別の家に移っていて、留美の部屋となっていた。かつてのアニタの部屋にはマルグリットとパナラットが同棲するように棲んでいる。
  バートのベッドはキングサイズ。その脚にチェーンを回してマリンバをつないでおく。まさにペット。豚から犬に昇格したようなものだった。
  部屋に戻ってつながれるとマリンバは全裸にされる。犬のようにお座りして留美を見ている。邪念の消えたいい目をしている。留美はビスケットを食べようと手にしたものの、ふとマリンバを見て口の前へと突きつけてやる。
  キラキラ輝くマリンバの眸。手を使わず口を開けてほおばった。
 「まったくどうしてこうなるのやら」
  マリンバが可愛い存在となっている。飼育はミーアに任せていたが、ときどき責めて、そのときに泣いて果てる姿を見るうちに不思議な母性に衝き動かされ、いまではボスの部屋の番犬のようにそばに置く。
 「おいで」
 「はいボス」
  ベッドの下までほんの一歩を這ってきて、正座をして見上げるマリンバ。留美はその二つの乳首に手をのばし、そっとコネてやりながら眸を見つめる。
  切なげに眉間に皺を寄せるマリンバも、四十三歳になっていた。
 「いくつになっても綺麗よね、可愛いわよ」
 「はいボス。あぁぁ感じます、嬉しいです」
 「うん、いい子になってくれたもんだ。髪の毛ぐらいは許してあげようと思うんだけど、女に戻らないほうがおまえのため。眉毛だけで暮らしなさい」
 「はいボス、うぅン、濡れますボス」
  裸身がくねるマリンバ。
 「最初はね、体にピアスぐらいはしてやって鼻輪もいいかと思ってた。でもねマリンバ、あのバートがマリンバと名づけるぐらいおまえの姿は可愛いの。私よりもみんながとっくに・・」
  許していると言いかけたときドアが強くノックされた。

  入ってきたのはコネッサだった。黄色いショートパンツの弾けるような姿。
 「お客さんよ」
 「あら誰?」
 「ほら、あのときの兵隊さん」
 「ジョエル?」
 「そうそう。まるで私服、今日は非番なんですって」
  三年以上も会えていない。あのとき一度きりで、軍に頼らなければならないこともなかった町。留美はちょっと考えて、そのときもマリンバをちょっと見て、そしてコネッサに告げたのだった。
 「ここへお通しして」
 「ここへ? いいのそれで?」
  コネッサもまたマリンバを気にしている。
 「いいのよ、隠すことじゃないからね」
  コネッサはうなずくと、マリンバのスキンヘッドをそっと撫でて出て行った。
  わずかに緊張の眸色を浮かべたマリンバ。ベッドの下から少し離れた、毛布の敷かれた寝床へ戻って正座で控える。

 「こちらです、どうぞ」
  ドア向こうにコネッサの気配。そしてすぐにドアが開いた。
 「やあルミ」 と、ちょっと手を挙げて笑った刹那、素っ裸で毛のない女がつながれる景色に絶句するジョエル。ブルージーンにサマージャケットだったのだが、あの頃とは明らかに違う精悍さを身につけている。
 「驚かれました? かつてタイパンという凶賊がいて、これはそのボス。クイーンと呼ばれてた女なんです。いまではすっかり奴隷ですけど」
  タイパンに弟と殺されたことはデトレフから聞かされていたジョエル。なるほどとうなずいて歩み寄る。留美は椅子ではなくベッドに座ることを勧め、自分は立って椅子に座った。ベッドサイドに小さなテーブルが置かれてあって、それとセットの小さなウッドチェアである。
 「ここはルッツさんのお部屋でした。このベッドも」
  ジョエルはうなずき、留美と入れ替わってベッドに座る。
 「マリンバ、お客様よ、ご挨拶なさい」
 「はいボス」
  豊かな乳房をたわたわ揺らして犬のように歩み寄り、フロアに額を擦りつけて平伏す奴隷。上から見下ろせば背中からすぼまって張り出す女のラインが美しいはず。
 「ジョエル様よ。国連軍の軍人さんで、あなたが殺したルッツさんのお兄さんの部隊にいるの」
 「はい。はじめてお目にかかります、マリンバと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
  マリンバの面色が青ざめていた。ルッツの兄の部下。そう聞くだけで心が乱れるマリンバだった。
  ジョエルは言った。
 「わかった、もういい。傷のないその様子なら許されているようだ。とやかく言うこともないだろう。心して生きることだよ」
 「はいジョエル様、おやさしいお言葉をありがとうございます」
  留美は目を細めて様子をうかがう。さすがデトレフの右腕だけのことはある。
  留美は言った。
 「向こうを向いて四つん這いです。お尻を上げて恥ずかしいところをお見せしなさい」
 「はいボス、あぁぁ、はい!」

  マリンバの白い裸身が見る間に上気して染まっていく。背を向けて這い、尻を上げて脚を開く姿をジョエルは黙って見守って、しかし性器を見ようともしない。
  留美は言った。
 「それで今日はどのような?」
 「あ、はい、じつは大尉になったこと。いやまあ、そんなことはどうでもよくてルミさんに会ってみたくなりました。それだけです」
 「ほんとにそうなら嬉しいわ。デトレフさんはお元気?」
 「彼はもはや地球人ではありません」
 「まっ。ふふふ、それはそうかも」
  ジョエルは明るい。
 「ええ元気ですよ。無線でときどき話しますがルミさんのことも気にかけておいでです。あのときは時間がなくて、ほんとはゆっくりしたかったんだがって口惜しがってた」
 「弟さんのお店をぶんどるみたいになってしまって」
 「とんでもない、喜んでますよ、意思を継いでくれる女性だって言ってます」
  留美は心が揺れていた。私服のジョエルは若々しい。精悍そのもの。兵士としての角刈りの金髪もよく似合う。
 「私たちは山賊よ、意思を継ぐより何より生きること。このマリンバの姿もそうですが褒められた生き方なんてしていない」
  ジョエルは笑い、ちょっとうなずく素振りをする。
 「それを言うなら我々こそだ」
 「みたいですね。よしましょう、こんなお話。今日は非番だとか?」
 「しばらくぶりで三日ほど。今日がその初日というわけで」

  ふいに留美は問い質す。
 「ストレスは?」
  ジョエルは、その言葉の真意を探る眸色で苦笑する。
 「たまりませんね。一族みんながHIGHLYだからどうにもならない」
 「奥様は? 恋人とか?」
  ジョエルは今度こそ笑って、そんなものはいないと言った。軍にいて、とてもそんな気にはなれないと。
  留美は微笑む。
 「でしたらジョエル」
 「はい?」
 「私たちの流儀で過ごしませんか。LOWERでもない野蛮な流儀で」
 「ですね、そうできたら夢のようだ」
  留美はうなずいて微笑むと、ジョエルの右手を取って男の太い腿の上に置く。
 「は?」
 「こうするんです」
  握り拳をつくらせて太い親指だけを上向きに立たせておく。
 「マリンバおいで」
 「はいボス」
  尻を向けていたマリンバは振り向いてそんな様子を察すると、それだけで留美の意思をくみとって、ジョエルの腿にまたがってくる。
  眉毛のほか毛のない奴隷。白いデルタに裂溝は浮き立って、すでにそこは濡れていて、ジョエルの立てた親指に膣口をあてがうと一気に腰を沈めて貫いてくる。
 「自分でおっぱい揉みなさい。もっと腰を入れてよがり狂うんです」
  白い尻っぺたを叩いてやる。尻肉がブルルと波紋を伝えて震えていた。
 「はいボス。あぁぁいい、感じますマスター、あぁン! 嬉しい、あぁン!」
  指は静止。なのにヌチャヌチャ濡れ音をからませて抜き差しされる太い指。豊かな乳房を自ら揉んで乳首をツネり、腰を激しく使ってマリンバ自身を追い詰めていく。
  ジョエルは慈愛に満ちた眸の色で狂乱する奴隷を見上げ、留美はそんなジョエルの腿に手をやって横顔を見つめていた。
  亮の姿を思い出す。ジョエルは似ていると留美は思う。それはあのときからそうだった。眸の輝きがそっくりだと思っていた。

  このときジョエルは、上司デトレフが言った『なかなかの器だよ、ルミって子は』という言葉の意味を確かめてみようと考えていた。

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月という母星(二十話)


  月面の地下に造られた農場とも言うべき食品プラントに、はじめての実りのときがやってきていた。水耕栽培によるホウレンソウやスプラウトなどの野菜類と、タンパク源としてのワーム、つまり食用ミミズやウジ虫、昆虫などの飼育。月面では人の排泄物はすべてがリサイクルされて生まれ変わる。尿は不純物を取り除いて水として再生され、便もまた乾燥過程で蒸散する水分を集めて水となり、乾燥された便そのものは廃棄される紙の下着などと混ぜ合わされて肥料となる。土の中にバクテリアさえが存在しない月面環境では、地球から持ち込んだ菌類を増殖させて分解させるしかないのである。
  そうして造られた肥料は動物性タンパク質を育てるときの飼料ともなる。かつて人の糞便を畑にまいた時代へ逆戻りするようなものだった。
  食料プラントは、人工太陽であるオレンジ色の電球がこうこうと灯る地下の温室と考えればよかっただろう。幾重にも並ぶ栽培ラックに人工肥料と月の土を混ぜた土壌のパレットが配置されて、月を母星として生まれた新しい生命が緑の葉をひろげていた。

 「いよいよ収穫ね。月に農場ができるなんて隔世の感だわよ。最初のあの頃、途方に暮れたものですけれど」
  女医である早苗は青々と葉の茂る広い空間を見渡した。地球のように平面上にひろがる畑地ではない、まさに食品工場。ワームなどもそうだが生命維持に必要なもののすべてを人工的につくらなければならなくなる。これまで食事は地球上でつくられたものをはるばる運んで食べていたし、それはレトルト食品がほとんどであって宇宙食の範疇だった。そうしたことさえ深刻なストレスにつながっていく。サラダ一品であっても人間らしい食が増えれば気持ちも楽になっていく。

  その食品プラントで働く中に、ターニャと言うロシア系カナダ人の女性がいた。長くすればウエーブがあって美しいはずのブロンドヘヤーを思い切りショートにしたアスリートのような髪型。背が高く、シルバーメタリックのスペーススーツが見事な肢体に張り付いている。
  ターニャは農業系の大学を出ていて、この食品プラントのために月に送られた一人であった。月で女性は素顔のまま。化粧品にいたるまでなくていいものは一切持ち込めない。そういう意味でも月面にこそ人類の原点があると言ってもよかっただろう。山賊が暮らす石器時代のような洞穴生活であっても、女たちは化粧ぐらいはできていた。月は人が生きる世界ではないのである。

 「食べてみます?」
  そう言ってターニャは穏やかに微笑むと、地球上で栽培されるホウレンソウより少し葉の小さな青々とした葉をむしって早苗に渡す。隔絶された地下空間は衛生管理が行き届き、洗わなくてもそのまま食べられる。
  鼻先で生命の匂いに触れ、そっと口に入れてみる。新鮮そのもの。
 「美味しいね。信じられない。外に出たら青空がひろがってる気がするわ」
 「そうですね、私もよく思います、地球上でもこうした施設はありますから錯覚しちゃうんですよ。大学でもプラント栽培は知ってますし」
 「頑張って。いつかあなたがたが五百万人を支えることになる。その頃にはチキンぐらいは食べられるようになってるでしょう」

  しかし早苗はそんな話をしに来たのではなかった。プラントのことなど、もののついで。広大とは言えない緑の園を見渡しながら、早苗はささやくように言うのだった。
 「考えたのよ。ターニャの気持ちは嬉しいなって。後でいらっしゃい、私の部屋でお話ししましょ」
  そのときターニャはキラキラ輝くブルーの目を、ちょっと眉をひそめるようにしてうなずいた。かすかな不安と期待の入り混じる面色で。
  ムーンシティ一号館、MC1-L18、早苗の部屋。区画の都合で割り振られた数字は離れていたが、そこはジョゼットのMC1-L1とは通路を隔ててほぼ向かい合う部屋だった。広さは同じ。対角線をものの数歩で歩ききれるスペースでしかない。そのとき早苗は跳ね上げ式のシングルベッドを降ろし、淡いピンクの紙の下着の上下の姿。夕食を終えて、いつもより早く部屋に戻った。
  弱いノック。
 「お入りなさい」
  L字のドアノブが音もなく傾いて、内開きのドアがそっと押し開けられ、シルバーメタリックのスペーススーツを着たターニャが入ってくる。白人の白い頬が火照って桜色。ブロンドのショートヘヤーもまだ少し濡れていた。シャワーをすませてきたようだ。

  下着姿でベッドに座る早苗。日本人の黒髪は切ったばかりで肩ほどまでのショートボブ。ストレートに梳き流し、いかにも女医という知性的なイメージがある。
  入ってきたターニャは恥ずかしそうな面色で早苗の前へと歩み寄り、立ったまま早苗を見つめた。
 「椅子を使って」
 「はいルナ様」
  早苗はちょっと苦笑する。クリニックにやってきたときターニャはすでにルナと呼んだ。月の女神ルナ。私はそんな女じゃありませんと、そのときも早苗は苦笑した。
  パイプ椅子を引いて、両腿をきっちり合わせて座るターニャ。椅子よりベッドが少し低く、同じように座っているのにターニャの目が少し高い。ターニャは長身で伸びやかな肢体をしていた。
  早苗は微笑んで見つめながら言った。
 「考えたのよずいぶん、あなたのことを。私への気持ちをもう一度聞かせてちょうだい。思うことを正直に」
 「はいルナ様」
 「ルナ様ね・・ふふふ、しょうがない子だわ」

  一途な視線が可愛いと早苗は感じた。ブルーの瞳が透けるようで美しい。
 「地球いるとき私はバイセクシャルでした。ビアンというほどでもない。ですけど月へ送られてルナ様をはじめて見たとき、この方だと心に決めて、以来ずっとお慕いしておりました」
 「五万人いて男は四万五千。優秀な人ばかり。それでも私なの?」
 「はいルナ様。毎夜毎夜、お姿を思い浮かべ、苦しくなってオナニーしてしまいます。私は女性に対してマゾ。それもどうしようもない想い。一歩出たら死。いつ死ぬか知れないと思うだけで、怖くて寂しくて。それはきっと皆が同じ。でしたら私はルナ様のおそばにいたいかなって」

  早苗は黙って聞いてうなずきもせず、ただちょっと、ふぅぅと息を細く吐く。
 「怖いのよターニャ。エスカレートしていくことが。男性に対してはほのかなMの心が動くけど、私は逆で女の子にはSっぽくなるところがある。ビアンの経験はないけれど、突き進んで来られると跳ね返せる自信がないの。地球でならともかくもここは違うわ。あなたの言う通り死とは隣り合わせ。何かにしがみついていないと怖くてならない。あなたの気持ちはわかるわよ、私だって女だもん。考えたわ、ターニャとのスタンスを。ダメよそんなことって思う反面、可愛いあなたを泣かせてみたいとも思う。私は私自身がわからない。怖いけどでも進んでみよう。あなたのためなんかじゃなく私のために」
 「はいルナ様、奴隷として心よりお仕えいたします」
 「ターニャを想って心ラプチャーか」
 「はい?」
 「心が張り裂けそうって意味よ、いいわ、脱いで私を気持ちよくして。シャワーしてないからアナルまで綺麗にね」
 「はい!」
  ちょうどそのとき月が揺れた。月震なのだが、突き上げる感じが少し違った。

 「アナルまでよ。シャワーしてないから丁寧に」
 「はいボス」
  板床にじかに仰向けに寝かせた牝豚の顔に留美はロングスカートをひろげてまたがった。パンティは最初から穿いていなかった。夕食を終えた早めの時刻、牝豚がつながれる部屋で、考えてみればはじめての二人きり。
  亮を殺した女。それよりもあのデトレフの兄を殺した女。二人きりになると加虐の心がざわめき立った。
  寝かせた牝豚の顔の上に逆さにまたがり、革の厚い房鞭を握っている。留美の下で牝豚はデルタに毛のない腿を割って脚をM字に立てている。
  パサと性器に鞭をかぶせてやると牝豚の裸身がぴくりと動き、奉仕する舌の動きが速くなる。懸命に尽くして少しでも打撃をやさしくされたい。きっとそうだと留美は思い、牝豚の気持ちもわかると考えた。
  括約筋をゆるめきり、むしろイキんでアナルを突出させておき、牝豚に舐めさせる。ゾクゾクとした性の痺れが骨盤の奥底に虫が這うような感覚をもたらした。

  パサ、パサ・・バシーッ!

 「おおぅ! いいです感じますぅーっ」
  したたかに性器を打たれ、牝豚は一瞬腿を内股ぎみにしたのだったが、すぐにまた、さらに腿をひろげきり、恥骨を上げて性器を突き出す。
  いい奴隷になってくれた。それは肌身に目立った傷がなくなったことでもうかがえる。皆の責めが愛撫の責めへと変化している。しかしやはり二人きりになると留美の心は怒りに支配されてしまうのだった。
 「あらそう感じるの? じゃあもっと欲しいわね」
  バシーッ!
 「きゃぅ! あぁぁ感じますボス、ありがとうございます」
  哀しい。何もかもが哀しい。
  牝豚の奉仕は少しずつ確実に留美の敵意を削いでいく。
 「ンぅ、はぁぁ感じるよ白豚、もっとよく舐めて」
 「はい、んぐぐ、むぐぐ」
  尖らせた舌先は弛めたアナルの内壁までにも入ってきて、甘い刺激を留美にもたらす。フルスイングの房鞭を浅く入れると、そこには剥き出しのクリトリス。
  バシーッ!
 「はぅ! あっ! あぁぁーっ!」
  恥骨を上げて腰を回すように暴れる白い下肢。毛のないデルタは見る間に真っ赤になってきて、黒い房鞭の革にヌラ濡れがからみついて光を放つ。牝豚は鞭でイケるようになっている。

 「もういい、四つん這いです」
  またいだ顔を離れた留美。ロングスカートを脱ぎ去って、上も脱いでピンクのブラだけ。鞭を乗馬鞭に持ち替えて、白い尻を上げて脚を開き腰を反らす牝豚の性器を覗き込む。ステンレスの首輪が冷たく光り、フックにつながれる太いチェーンがジャラジャラ音を響かせる。
 「肉ビラとクリトリス、覚悟なさい。尻を上げて」
 「はいボス」
  強打を恐れるのか白豚の白い尻肉がブルブル震え、それでも限界まで腰を反らせて性器を晒す。
 「いやらしい豚だわよ、ヌラヌラしてる。許せない」
  ピシーッ!
 「きゃぅーっ! あっあっ! ぎゃぅぅーっ!」
  クリトリス直撃。たまらず白豚は床に崩れ、股間を押さえてイモ虫のようにのたうった。
 「痛ければ舐めな。股ぐらに顔を突っ込んで」
 「はいボス」
  仁王立ちの留美の黒い陰毛の奥底へ、ボスの尻を抱いてすがりながら懸命に舌をのばす白豚。泣いてしまって涙が流れるその顔を留美は見下ろし、毛のないスキンヘッドに手をやって、もっと奥よと押しつけてやる。
 「ぅふ、あぁ濡れるわ、感じるわよ白豚、もっと舐めて」
 「はいボス」
  泣き声で応じる白豚。

 「いいわ、次は奴隷のポーズ。乳首打ちです」
 「はい、あぁぁボス、どうかお情けを」
  膝で立って脚を開き両手はスキンヘッドの後ろ。豊かな乳房の前でヒュンヒュン横に振られる鞭先が、乳房の先でツンと尖る二つの急所を捉えていく。
  ピシピシピシピシ!
  谷越えの打撃に両方の乳首をはたかれて、白豚はくぐもった悲鳴を上げて、それでも乳房を突き出し乳首を捧げる。
  泣きじゃくる白豚。見る間に乳首が腫れていき、声も断末魔の悲鳴のように獣の声へと変わっていった。
  ピシピシピシピシ!
  もうイヤもうイヤと言うように白豚はかぶりを振って涙を飛ばし、留美の腰にすがりつき、おんおん泣き声を上げながら女王の股間の奥へと舌をのばして舐め回す。
 「舐めさせてもらえて嬉しいだろ? おまえは人豚さ、それしか幸せがないんだもんね?」
 「はい嬉しいですボス、あぁぁ女王様、嬉しいです。痛みも生かされているからこそ。毎日犯されて幸せです」
  留美は何とも表現しがたい暗澹たる気分だったが、白豚の頭をちょっと抱いてやり、スキンヘッドにキスをして、驚くような面色で見上げた豚に言ってやる。
 「ミーアに私が言ったと言えばいい。眉だけは許してあげる」

  言い残して留美が出て、ほどなくしてミーアが覗く。飼育を任されたミーアにとって牝豚は可愛い。餌を与えて毎日散歩に連れ出して、町の者たちの目もずいぶんやさしくなってきた。
 「ボスが言ってたわよ、いい顔してるって。可愛がってもらったんだもね」
 「はいミーアさん、おでこにキスしていただけて」
 「うんうん、心は通じる、身に染みてわかったわね?」
  牝豚は泣き腫らした目で微笑んだ。

 「心は通じる。嬉しいのよクリフ、感じるわとっても」
 「はい女王様」
  そのときくしくも、フロアに寝かせた全裸のクリフの顔に逆さにまたがり、ジョゼットはわなわな震える性感に鳥肌を騒がせて酔っていた。そしてそのまま体を倒し、ビクンビクン頭を揺らす奴隷の怒張に口づけし、舌なめずりを一度して亀頭を舐めて、それから熱いクリフをほおばった。オナニー禁止を言い渡されて溜まりに溜まったものが暴発する。
  ジョゼットは口で受け取り、性臭を味わって、体をひねって向き直ると奴隷の口へと授けてやる。嚥下するクリフ。
 「もっとハードなほうが嬉しいんでしょうけど、可愛いのよクリフが。ベルトがお尻に爆ぜるとキュンとしちゃう。可哀想だし可愛いし」

  一度の射精で萎えるほど蓄積は少なくなかった。尻の後ろへ手をやって、それでも漲る力を感じると、ジョゼットは自ら手を添え、狙いを定め、濡れそぼる膣口へとあてがって、そっと腰を沈めていった。ぬむぬむと入り込む。
  よほど嬉しかったのだろう、クリフは涙ぐんで女王の中の熱を感じ、そっと抱かれて甘い声を漏らしていた。
  そんなとき、突き上げる感じがいつもとは違う月震が固いフロアに伝わった。
 「揺れたね」
 「そうですね、かなり強い。隕石の落下でしょう」
  かなり大きな隕石だとジョゼットは思ったが、いまはそれより体内で静かに動く男の熱感に喘いでしまう。

  地下空間に警報が響いたのはそんなとき。ジョゼットの甘く溶けた眸が輪郭を持って厳しくなった。枕元に置かれたインターフォンから声がした。
 「ジョゼットさん、いますぐムーンアイへ」
  相手は軍の若者らしい。クリフと肉体をつなげたままジョゼットは送話ボタンに手をやった。
 「何かの異変? いまの月震も?」
 「わかりかねます。ただ月面から何かが飛び立った」
 「えっ!」
 「そうとしか言えないんです。衝撃があって、その直後、レーダーが飛び去る飛行体を捉えたんです。おそらくは月の裏側から」

 「何だと月の裏? 確かなのか!」
 「間違いありません、いますぐムーンアイへ。飛翔体は・・あぁそんな!」
 「うん? おいどうした?」
 「消えました! 一瞬にしてレーダーから消えたんです!」
  月面に一隻しかない飛び立てる船、軍船は、デトレフを乗せて飛び立ったまま戻ってはいなかった。その間ムーンアイのあるモジュールが軍の居場所。電子施設が集中していて動きがあれば察知できる。
  ジョゼットへの通報とほぼ同じタイミングで海老沢の部屋にもコールが飛び込む。さらにまた女医のルームナンバーにも。そのとき海老沢は単身自室にこもっていて寝ようとしたところ。
  海老沢はベッドを幾度も拳で叩いた。この同じ月面にエイリアンはいた。人類の進出を知って息を潜めていたはずだ。
  そして月を見捨てて去って行った。もっと早く出会えていれば。海老沢は渾身の力でベッドを叩き、吼えるような声を上げた。
 「助けてくれ、頼むーっ!」
  これで終わったと海老沢は肩を落とした。

  ムーンカフェ。とっくにクローズしたカフェのカウンターに、海老沢、ジョゼット、そして早苗が居並んだ。静かな空気が沈滞している。明かりはカウンターを照らすライトだけ。
 「見捨てられたと思ったね」
  海老沢の声に力はなく、ジョゼットがそっと男の背中に手をやった。
 「彼らはずっと地球を見守り、人類の愚行を見ていたはずだ。救うべき生命種なのか。もしも彼らが知恵を授けたものであれば人類など失敗作」
 「そうかも知れない、見放したんだわ」
  早苗が言って、かすかなため息をついていた。
 「一瞬にしてレーダー波さえも振り切る宇宙船を持つ文明。我々とすればまさに神そのもの。光速を超えて飛ぶ船など人類には夢のまた夢。タイムリミットは確実に迫っている」

  いまごろデトレフはどうしているか。三人はそれを考えずにはおれなかった。  国連が押収した破滅的な量の核兵器は廃棄しない。そのためにデトレフは旅立った。しかしそれは最後の手段。宇宙の中で生存を許される生命種でありたい。けれどそれが水泡に帰したとき、人類の未来に幕を引く。
  天文学者のジョゼットは緻密な軌道を計算した。超大型廃棄船は太陽風を受けて飛ぶソーラーセイルを備えている。核兵器は宇宙ステーションに集められ、起爆装置を取り去って宇宙へ捨てられるはずだった。
  コントロールシステムの故障に見せかけ、海老沢がつくったプログラムに則って、核兵器は月をめがけて戻って来る。ソーラーセイルが壊れれば動力を失って太陽の引力に逆らえない。したがってその帰路は比較的容易なものとなるはずだ。そしてデトレフはその起爆装置を持って帰って来る。
  けれど問題はその先だった。人類を生かすのか、自滅の道を選ぶのか。
  いずれにしても終焉まで七十年。滅ぼすなら自滅の選択。ムーンシップで旅立つ前に決着をつけておきたい。

 「寝ようか」
  海老沢がつぶやいて三人揃って椅子を離れた。

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まばゆい月(十九話)


  デトレフに会えたというふわふわとした夢のような感覚が留美の中に残っていた。ルッツの兄。それよりずっと、月面にいるはずの彼が突然現れたことに不思議な感動さえも覚えてしまう。無線機を通して話す。相手が月にいると思うだけで導いてくれる神にも似た存在に思えてくる。実際に会えたデトレフは紳士であり、物腰が穏やかで、しかし恐ろしいほどの気迫に満ちた男だった。HIGHLYイコールひ弱という図式が成り立たない。そうしたギャップのどれもが女心を揺さぶるのだ。
  気もそぞろ。夕食を終えるときミーアは牝豚の餌を手にして立った。牝豚の餌は相変わらず残飯だったが、ミーアはそれらをうまく盛り付け、人の食事らしく仕立て直して運んでやる。そんな餌を見て意識が現実へと引き戻された留美。
  そのとき留美はともに立ち、牝豚の部屋を覗いてみようと考えた。留美は滅多に覗かない。どうしても情が生まれて甘くなる。野蛮な山賊のボスでいなければならないという思いが哀れな牝豚から遠ざける。
  ミーアがドアを開けると、ドアとはつまり監獄の扉。そのドアが開くことで苦痛と恥辱と幸せがやってくる。牝豚にとって生きるすべてがドア越しにやってくる。そんなものだったに違いない。

  壁を左右に分かつ柱に打ち込まれた鉄のフックにチェーンがかけられ、ボルト固定のステンレスの首輪につながれて、けれどもチェーンには長さがあってそれなりに動くこともできたし、ベッドに横たわることもできる。ミーアが先に入ったとき牝豚はベッドの傍らに脚を投げ出して座っていた。季節が熱を持ち込んで薄いロングTシャツのような服を着せてある。寒くはなかった。
  ミーアの顔を見た牝豚は一瞬ほっとしたような面色をしたのだったが、続いて留美が入り込むと正座に座り直して額を擦るほど平伏した。ボスは恐怖。一言で命を奪える女。牝豚にはそれしか思い浮かばない。留美はミーアから餌を載せたトレイを受け取ると、白いスキンヘッドを床に擦る奴隷の前に置いてやる。

 「いいわよ、お食べ」
 「はいボス、感謝いたします」
  それでも顔を上げようとはしない。
 「もういいから顔を見せてごらん」
 「はいボス」
  静かに顔が上がり、そのときロングTシャツのルーズな胸元から豊かな白い乳房の谷がくっきり覗いた。半袖のミニワンピースのような服から出るところに目立った傷はなくなった。牝豚らしい臭気もない。ミーアが面倒をみるようになり清潔に保たれているようだ。
  ブルーの瞳の奥底にかすかな怯えは残っていたが、見違えるように生気に満ちた眼差しを向けてくる。いい顔になったと留美は思う。

 「そろそろもう四か月。終身刑のおまえにすればはじまったばかりですけどね。牢獄より辛い奴隷の日々がまだまだ続く」
  留美は見据える。奴隷はまっすぐ見上げて「はい」とうなずく。
  留美は手をのばしてスキンヘッドを撫でてやり、頬をちょっと叩く素振り。
  そのとき牝豚はかすかに微笑み、それが囚人の哀れを物語るようでもあって、そしてまたそのときそばに立って見守るミーアの目が細くなって微笑んでいる。 マゾヒズムという境地はミーアにはよくわかり、ミーアに言わせるとこうした扱いは至上の喜びなのだと言う。留美はそうならいいがと願うだけ。
 「脱いで体を見せなさい」
 「はいボス」
  と、そのとき横からミーアが言った。
 「隠さず何もかもよ。体を見ていただけるなんて嬉しいよね」
 「はいミーアさん」
  牝豚が静かに笑った。ミーアさんと呼ぶ。様づけまで厳しくしていないことを物語る言いようだった。
  留美はそんな牝豚の笑顔とミーアの微笑みを交互に見て、わずかな混乱を覚えていた。君臨と服従、双方の幸せができあがっていると感じたからだ。

  前ボタンを上から外し、すとんと落とすと熟した全裸。鞭傷がいくつも残っていたがどれもが古いものばかり。あの頃の怠惰な暮らしで弛んでいたプロポーションも引き締まって本来のラインを描いている。そのことでもまた皆の扱いがうかがえる。
  ミーアが言った。
 「鞭打ちもやさしくなりました。毎日泣いて毎日イカされて、疲れ切って眠るんです。幸せよね?」
 「ふふふ、はいミーアさん」
  笑った。四十歳の牝豚。二十二歳のミーアと二十七歳になったばかりの留美。不思議な隔たりだと思わずにはいられない。
  留美は言った。
 「着ていいわよ、食べなさい」
 「はいボス、心していただきます、ありがとうございます」
  そのときミーアがふいに言った。
 「この子を見ていて思うんです。マダムのことは忘れようって」
  留美は思う。牝豚の存在がミーアの苦悩を消し去ったと。
  留美は言った。
 「すっかりペットね、可愛くてならないんでしょ? 食べさせたら散歩させてやりなさい。向こうの家へ連れていってみんなに遊ばせてやればいい」
  これにはミーアも牝豚も眸を向けた。
 「いいんですか連れ出して?」
 「いい子にしてるようだから。街中では服を着せて、ただしチェーンは外さない。犬だって散歩させないと可哀想なんだもん」
  留美はまた牝豚のスキンヘッドをちょっと撫で、背を向けて部屋を出た。

  そのときバートは町外れの家にいて男たち女たちとくつろいでいた。もう一軒の家のさらに横に真新しいもう一軒。宇宙人の化石が出たその上に建った家。今夜はそちらに集まっていたのである。
  チェーンのリードを手に四か月ぶりに牝豚を歩かせて、帰りはバートと二人になってルッツの店へと歩いて帰る。バートの丸太のような腕が腰にまわり、それだけでミーアは息が乱れていた。
 「決定的だな、これで町は安泰だぜ」
 「そうでしょうか?」
 「軍が来た。まったくタイミングの悪い連中だったがよ、正規軍が乗り込んで蹴散らした。そんなことがひろまってみろ、ここを襲おうなどとは思うまい」
  とは言え今夜も道筋に人の気配はなかった。暗くなると家にこもる。しかしそれも時間の問題で変わってくるとバートは思い、またその反面、胸くそ悪い。軍に守られる筋合いなどないのだから。
 「まあルッツの兄貴だ、それもいいってことにしておこう。ところでミーア」
  名を呼ばれて見つめられ、太い腕がからまって動けない感じがする。
  ミーアはドキドキしてしまい、すでに潤みはじめた女の深部に戸惑った。キスの距離では聞いた記憶のない野太い声でバートが言った。
 「おまえはマゾだな?」
 「はいバート様」
 「ゆえに牝豚をうまく躾けた。俺たちだけではうまくいかない。よくやったぜ」
 「そうですか? よくやった?」
  バートは応えず、ただガツンとミーアを横抱きにして、捕獲した女のようにともに歩む。目眩がしそう。はじめて出会う男の体。それも相手はこの町きっての化け物バート。

 「振り切れたかい、マダムとやらは?」
 「はい、やっと。振り切れたというのか、私の一ページとして胸の奥にしまっておこうと思います」
 「うむ、そうか」
  いつの間にかルッツの店先。表はシャッター。裏から入ったミーアは背を押されてバートの部屋へと連れ込まれる。ドンと閉ざされたドア。
 「ンぐ・・」
  恐怖と期待の交錯する思いにミーアは生唾を飲んでいた。
 「あの、あたし」
 「何だ?」
 「やさしくされると怖いんです」
 「ふんっ、知ったことか。俺はやさしい男だよ」
  ちゃかして言いながらベッドに座るバート。髭面の顎を手で支えるようにして上目に見据える野獣の眼差し。ミーアは部屋の真ん中で突っ立ったまま震えていた。
 「脱げ」
 「ぁ、ンふ・・」
  ミーアは膝を震えを止められない。
 「脱げと言ってる」
  静かな声だったがマゾヒズムを刺激するには充分すぎた。

  ミーアは背が高く細身で乳房も薄い。震える手でジーンズを脱ぎTシャツを脱ぎ、黒い肢体をかろうじてつつむピンクのブラとパンティを脱ぎ去った。黒い鹿を思わせる美しいプロポーション。
 「ここへ来て奴隷のポーズ」
 「はいバート様、はぁぁはぁぁ、んっ、ンぐ・・」
  震える喘ぎ。バートの目の前で、膝で立って膝を開き、両手を頭の後ろに組んで胸を張る。細切れとなる浅く速い呼吸に小鼻がひくひく動き、野獣の眼光を見つめたまま眸がそらせない。乳首がすぼまり勃って全身に鳥肌。
  バートの黒く大きな手が、頬を撫で、首筋へ降りて、胸の中央にそっと這い、乳房を撫でられ、太い指先で尖り勃つ乳首をはじかれて、手はさらに撫で下がり、陰毛のない黒いデルタを撫で回されて、指はついに奥底へと沈んでいく。
 「はぅ、うっうっ」
 「もう濡れてやがる、ふっふっふ」
 「はいバート様、感じます、とても。あぁぁ怖いんです」
  太い指が上向きに曲げられて無造作に突き刺さる。
 「むフぅ! あン! くぅぅ!」
 「いいか?」
 「はいバート様、ああ感じるぅ、いいです感じますバート様」
  屹立する黒い指は静止、ミーアが勝手に腰を振り立て擦りつけて、腰を沈めて奥へと導く。

  恐怖に竦む眸の色でバートの笑う眸を見つめ、ミーアは腰をクイクイ入れて快楽を求めていた。しかし指は抜き去られ、ベッドを立った巨木のような男を見上げた次の瞬間、切り株でも抜くような怪力で体が浮いて立たされて、衝突そのままの激しさで胸板に抱かれて唇を奪われる。
  ミーアはすがった。とても勝てない野獣の心にミーアはすがった。
  ひょいと持ち上げられて大きなベッドに投げ捨てられて、焦らすように脱いでいく男の姿を見上げている。大きなブリーフから鋼と化した黒いペニスがはじかれて勃ち上がる。
  怖い。とても正視できなくて向こう向きに横寝になると、恐ろしい力で肩をつかまれ、寝返りを強制されて、その刹那、匂い立つような野獣の男臭さが覆い被さってミーアを襲う。
  途切れ途切れの悲鳴は結果として喘ぎ声。舌を入れられる深いキスと、太い指の股間への陵辱が同時に襲い、ミーアの黒い肢体がのけぞった。
  二十二にもなって、いまさらながらのバージン。
  野獣の血流を集中させた肉の切っ先が膣口を捉え、そのときミーアはカッと眸を見開いて声にならない悲鳴を上げ、野獣の肩越しで目眩のように揺らぐ虚空を見ていた。

 「ああっ、きゃぁぁーっ!」

  愛液をあふれさせてまくれあがるラビアが膣の中へと押し込められる感覚。膣壁が怪力でひろげられ、ずぶずぶめり込む灼熱のバート。愛撫で開いた膣は空気を留め、ピストンヘッドの加圧が進むと子宮ごと内臓までが体の奥へと押しやられ、限界を超えたとき空気は出口を求めて逆流し、ブシュっと音を立てて膣液を噴射する。
  内臓ごと壊れそう。抜かれていくと、今度は逆に子宮ごと吸い出されてしまいそうな負圧がかかり、ミーアはかぶりを振り乱して涙をはじき飛ばして悲鳴を上げた。これが男。よりによって化け物バート。
  細く華奢なミーアの女体が化け物バートの巨体をジャッキアップするように反り返り、けれどそれは頭と足先をベッドに沈めるだけの虚しい反抗。
 「うあぁ、ああぁ死ぬぅ! ご主人様、ダメダメ、もう死ぬぅーっ!」
  錯乱する。眼球があらぬ方を向いてしまって焦点を結ばない。口が閉じない。パクパクさせて息を吸うが、吐けなくなってもがくもがく。
 「あぅわ、わむっ、はぅわっくっくっ!」
 「ふふふ、何を言ってやがる、可愛いヤツだぜ」
  眸は見開いているつもり。なのに景色が暗くなって消えていく。反り返った黒い女体が静かに崩れて力のすべてが消え失せた。

  ドウンドウン。 え? 何よこの音? 心音なの?
  気づいたときにはバートの恐ろしい胸板にセミが大木にとまるように抱かれていたミーア。生涯消えないはじめてのオトコの刻印。ミーアは眸を開け、こいつは誰? 正気に戻った意識の中で、私は誰に抱かれたのと懸命に考えていた。 どれほどの時間が過ぎたのか、バートは眠って動かない。滝となって子宮口にぶちまけられた精液の衝撃だけは覚えていた。
  体をからめとる太い腕。重い。かろうじて動かせる手をやって、眠って萎えたペニスをそっと手にくるむ。
 「大きいわ、すごい」

 「大きいのね、すごいすごい。おまえはすぐ大きくしちゃう」
  ジョゼットは、可愛いペットに成り下がったクリフを立たせ、後ろから抱いてやって手をまわし、男の小さな乳首をいじりながら脇越しに顔を覗かせて、ビクンビクン頭を振って律動する白いペニスを見つめていた。ペットは全裸、女王もまたフルヌード。
  オナニー禁止を言い渡されて溜まるものが一途に女王を想わせる。それが喜びであることは想像できたし、それはきっと会えない彼を心待ちにする女心にも似たものだろうと思うのだったが、それにしても、こうして焦らされるだけでとろとろと白い樹液を漏らしてしまう情けないクリフが可愛く思えてならなかった。
  両方の乳首に爪を立ててひねりつぶしてやったとき。
 「むぐぐ、うぎぎ」
 「ほら痛い、可哀想ねぇ、ほら痛い」
  クリフは暴発させてしまい、白い粘液の塊を二メートルほども飛ばしてしまう。

 「とまあ、そんな感じよ。どうしても女王にならなきゃダメみたい」
 「可愛いよね」
 「可愛い。たまらないわ。私のどこにSな私がいたのかしらって思っちゃう」
  ムーンカフェの閉店時刻。有料ではないから店ではない。クローズタイム。
  ジョゼットと早苗がカウンターに並んで座って話し込んでいたのだった。
  早苗が言った。
 「私のところにも報告に来るのよ」
 「それは、そうしなさいって命じてあるもん」
 「らしいね、それも聞いた。クリフったら嬉しそうに話すんだもん。もやもやしたものがなくなった。女王様といられるとき、このお方のためなら死ねるって思うんだって」
 「女冥利ね」
 「そう思う。あの子は優秀な技師よ。海老沢さんが太鼓判を捺すぐらいなんだもん。なのにマゾ。人っておかしなものだと思うわよ」
 「心理学とか勉強した?」
 「それはね医師ですから少しはしたわよ。性的倒錯。だけど倒錯なんて屁理屈に過ぎないわ。そこしか解放できる場がない。サディズムは愛情。マゾヒズムもまた愛情。ひん曲がっているけれど。ふふふ」
 「そうなのよ、曲がってるとは思うんだけど、あの子を見てると虐めてやりたくなってくる。焦らして焦らして舐めさせてやると泣いちゃうし。アナルまで舐めるんだから・・あはは」
 「すごい話ね、何てことを話してるのかしら。クリフのことがあってから女の子たちもカウンセリングに来るようになったんだ。レズかマゾがほとんどだけど、そんな中に私を見ている子がいてね」

  ジョゼットは眉を上げて微笑みながら早苗の横顔を見つめていた。やや眸を伏せて笑う早苗の中に、どうしようもない牝の性を見た気分。
  ジョゼットは言った。
 「ビアン?」
 「それとマゾの両方で。ジョゼットにクリフをあてがっておきながら私は逃げるのって思っちゃうんだ。相手は二十五歳よ」
 「若い」
 「うん若い。綺麗な子で体も素敵よ、ボンキュッボン。透き通るような心を持ってる女の子」
 「行くしかないでしょ?」
 「行くしかない。苦しいんです助けてって言われてる」
  ジョゼットはとっさにクリフを思い、とっさにデトレフの強さを考えた。デトレフのいない月面は寂しい。ジョゼットは夢見るように小声で言った。
 「便器にもする」
 「クリフ?」
 「そうそう。ときどきですけどね」
 「ま、月ではそれも同じこと。尿は処理されて飲料水になってるし、無菌ですから問題ない」
 「医者よね、そのへん。言うことが科学的だわ。最初にあの子が言い出したとき、まさかと思ったのよ。そんなひどいことはできないって思ったし、恥ずかしくて私の方が火を噴きそう」
 「でもしてやった?」
 「してやった。なんだか私が辱められているようで腹が立って、勢いで」
 「だけど感動したんでしょ? そこまで忠誠を誓ってくれるのかって?」
 「感動というのか、ただただ呆れて見てたけど、ますますたまらくなってきた。ご褒美に私が自ら体に迎えた。そしたらあの子、子供みたいに泣くんだもん」

 「ふんっ、ガキみたいに泣くんだね。ああ畜生っ、可愛いヤツだよ」
  町外れの家で責められて、男たちに寄ってたかって犯されて、新しくしかし浅い鞭痕に全身を真っ赤に染めて牝豚は泣きじゃくる。
  コネッサは、牝豚の両方の乳首を手荒くひねり上げておきながら、泣き顔を微笑んで見つめていた。
 「とっくに許してるんだよ! でもね、許せないんだよ、どうしても! わかるかこの気持ち! ええいクソっ、可愛いヤツめ」
  皆それぞれにうなずいている。もういい。古い心を抜き取って新しい心と入れ替えた。そんなことはわかりきってる。HIGHLYどもに命じられ、それがいつか君臨する錯覚となって暴挙が過ぎた。そんなことはわかっていた。
  コネッサは、泣きじゃくった白い同性の全裸の両肩に手を置いた。
 「答えろ。いっそ殺してやろうか?」
  牝豚はイヤイヤと首を振る。
 「うん、わかった、じゃあ生きよう」
  そしてコネッサは、眉さえない不気味な白豚を抱いてやる。
 「よく耐えたね、よく耐えて生きてきたさ」
 「はい、心からごめんなさい、ごめんなさい」
  消えそうな白豚の声。そのときその場にいた女たちは皆がちょっと視線をそらして涙をこらえた。もしもこの場に亮がいたら。亮なら許すと皆は思う。

  その同じ夜のこと。町外れに古くからある家。新しい家とは別棟とされていて、今夜は皆が新しい家に集まっている。
  そんな静かな家の一室にマルグリットとパナラットが一夜を明かす。ここはパナラットに与えられた部屋だったが、ほぼ毎夜マルグリットがともにいる。ここに連れて来られた当初はパナラットも共有される女だったのだが、マルグリットとのいい関係ができていくと男たちは遠慮した。マルグリットは美しい。男たちは一目置いて思うがままにさせている。
  パナラットは二十七歳。大柄ではなかったものの女らしい体をしていて、性格がやさしい。マルグリットもやさしい女。二人はなぜか溶け合って、そのせいでマルグリットもまた男からは距離を置く。
  ビアンとしてならネコ同士。むしろパナラットが快活だった。透けるように白いマルグリットを寝かせておいてパナラットが逆さにまたがり、よく濡れる性の花を見せつけながら乳白の股間に顔をうずめる。
  マルグリットは快楽の苦悶をごまかすようにパナラットの両腿にすがりつき、漏れだす甘い声をパナラットの膣口に埋め込むように性器を求めた。
 「うぅン、お姉様ぁ、震えちゃう」
 「私もよパナラット、あなたが大好き」
 「私も好き、あぁぁ舐めてもっと」

  マルグリットの脳裏に、あの化石の姿が浮き立っていた。同じことを人類はしようとしている。宇宙への旅。凍結精子による強制受胎という非道。そうしてまで生きようと願う生命体の本能。命は一度きり。ましてLOWER社会で生きなければならくなって、マルグリットは野生に生きようと決めていた。人がその時代の都合で生み出したモラルなどはどうでもいい。ミーアはマゾ、牝豚も性の錯乱に生きている。もしもあのとき人買いから売られていればどうなっていただろう。そう思うとこの世界は夢そのもの。
  あの化石。どうやって宇宙を超えてやってきたのか。宇宙船の中で生殖を重ね、新しい惑星を探していたとしたら? 地球へ降り立ち、役目を終えて死んでいったエイリアン。あれは女なのか、男だったのか、せつないまでに生きた命の証を見せられて、性の奥行きを思ったときに、私は淫婦、誇らしい生き方だと思えるのだった。

  パナラットの女体がしなり崩れて果てていく。うっすら眸を開け、同性のアクメに微笑んでマルグリットもまた果てていく。この瞬間が女の幸せ。あさましく濡れて膣穴までもぱっくり開くパナラットの性器を見つめ、私もそうだと素直に思える。
  クリトリスにそっと口づけ。ぴくり震えるパナラット。気怠そうに身をずらして乳房に甘えてくる可愛い子。パナラットはピークを過ぎて硬化のゆるんだマルグリットの乳首に吸いついて、ちょっと眸を上げ鼻筋にシワを寄せてくすっと笑う。
 「おかしくなっちゃいます私。セックスセックスなんだもん」
 「ほんとね、おかしくなっちゃう。向こうにいた私はもういない。化石の人と同じなのよ。ここは新しい世界だわ。生まれ育った地球じゃない」
 「そう思います。求められれば花は濡れる、それが女」

  もしも彼が求めてくれれば私は狂える。誇らしく胸を張って、ひぃひぃ喘いで果てていけると留美は思う。
  今夜はめずらしく独りのベッド。デトレフの姿が消えてくれず、留美は眠れず悶々としていた。
  ダメだわ眠れない。
  起き抜けた留美は窓際に立ってみる。
  半月よりも少しふくらむ月が浮く。あそこに行ったきり彼はもう戻らないと、なぜかしら考えてしまう自分がいることを否定できない。
  そのとき月の中で亮が笑った気がした留美。人格を否定されたレイプだったが彼がいてくれて幸せだった。熱い体の記憶があって、留美はネグリジェの上からブラをつけない乳房をそっと手につつみ、亮が笑ったまばゆい月を見上げていた。

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 ムーンロード(十八話)


  宇宙工学の権威である海老沢が設計を監修し、月面上で製作されたはじめての月面トラック、ムーンカーゴ。そのテストランを兼ねて、デトレフ、海老沢、そしてジョゼットの三人が乗り込んだ。
  月面都市では極点に近いところに原子力発電所が整備された都合上、東西よりもまずは北に延びてひろがりつつあった。原発の冷却システムに夜間マイナス170℃にもなる冷えを利用するため、発電所そのものをレールに載せて常に夜の側へと移動させなければならない。そのため移動距離が短くてすむ極点近くが都合がよく、そこからの送電であるために月面の横方向よりも極点を起点として縦につなげていったほうが効率がいいということだ。

  月の北極間際にある原発と月面都市を結ぶために同時に道が整備され、やがては月の裏側へとつなげようという計画。月の半周はおよそ五千五百キロ。これまでのような時速三十キロ程度しか出せない月面車ではおいそれと到達できる距離ではなかった。
  そこで考えられたのがムーンカーゴ。地球上の大型トラック程度のサイズがあるワンボックスカーと思えばいいが、道が整備されたこともあって時速四十キロほどまでスピードが上げられる。パワーユニットはソーラー発電による電力駆動であり、ボディが大きくなればその分ソーラーパネルの数が増やせて大型のバッテリーも搭載できる。月の昼の側にいる限りエンドレスに走り続けていられるものだし、夜の側に入っても二十四時間バッテリー駆動で動かせる。多くの資材の運搬ができれば都市の拡張もさらに進むことだろう。

  ムーンカーゴのコクピットは、ベンチシートで横に四人が乗れるように設計された。そのとき運転はデトレフ。間にジョゼットをはさんで海老沢が乗車した。整備された道筋はいま昼の側にあり、見渡す限りの土色の荒野がひろがる。道路ができたとは言え、月面都市から北へ向かう五分の一周分、およそ千数百キロにもおよぶ距離。地球上で言うなら砂利道に過ぎない道で行く。道を外れると岩石が転がって凹凸も激しく、やはり月面車に頼らなければならなくなる。
  しかしそれでも画期的な移動手段を手にできた。三人は嬉々としてフロントガラスに吸い込まれてくる月面の景色を見渡していたのだった。果てしなく続く死の世界がそこにはあった。
  デトレフが言う。
 「さっそく量産にかかりましょう。ドライブとまでは言えなくても、ないよりはずっといい。人員専用車でもあればバスツアーだ」
  もちろんジョーク。ジョークではあっても多少の解放にはなるだろうと海老沢もまた同感した。
  ジョゼットが言った。
 「見たって話が持ち込まれるわ。宇宙生命がいた。そのことに浮き立って錯覚を見てしまう。カフェに集まっては眸を輝かせて話してる」
  海老沢が応じた。
 「それもまた希望というものさ。皆がどれほど病んでいたかがよくわかる。精神力には限界があるからね。そういう意味でならムーンバスをつくってもいいかと思っているよ。道もさらに整備したいし、ともかくオフタイムが必要なんだ」

  小さな宇宙人の目撃証言。それは会ってみたいという思いが反射した幻覚。そんなものが実際にいるのなら監視カメラに写らないはずがないし、動くものが近づけばセンサーが感知する。いまのところそうした現実には出会えていない。
  ジョゼットは、昼間にもかかわらず黒い空に浮いている青い地球を見上げていた。球体の下半分が欠けた青い惑星。地球から見て月は動く。しかし月から見上げると地球は常に同じ位置に浮いていて、そういう意味でも変化がない。月が地球に対して同じ面を向けていて、地球を中心に公転しているからである。
 「いまでも同じ姿で存在するのか疑問だね。この百八十万年、人類は知性をもって進化した。同じ時間を彼らだって進化せずにはいられない。現存する生命なのか、それともすでに絶滅したのか。現存するなら会ってみたいものだよ」
  海老沢が言ったが、二人には声もなく、うなずきもしなかった。

  およそ百八十万年前のジャワ原人の時代。進化の空白として謎に満ちた時代を境に人類は知性をもって急速に進化した。ジャワ原人以前そして以後の化石は多く見つかり、なのになぜかその時代の化石だけが異常に少ない。エイリアンがやってきて知恵を授けたのがその時代だったとしたら。符合する何かがないとは言えなかったが、しかし・・。
 「地球に降り立ったエイリ・・」
  ジョゼットがエイリアンと言いかけたとき、運転席の無線のランプが青く点滅して着信を告げていた。
  軍船にいる部下からだった。
 「中佐、地球からです。周波数はかつてのルッツ氏のものですが、ルミという女性から急いでほしいと。いかがいたしましょう?」
  デトレフは留美という日本女性の存在を弟の意思を継ぐ女として二人に明かしていた。
 「わかった、つないでくれ」
 「了解しました、では」
  軍船で受けた無線をムーンカーゴに飛ばす。

 「お待たせしたね、デトレフです」
 「あ、はい。お仕事中ですか? いまお話しして大丈夫?」
 「かまわんよ、何があった?」
 「それが、どうにもわけがわからなくて」
 「うむ、それは?」
 「じつは今日、町外れにもう一軒ある私たちの仲間の家の奥側を開拓していて、不思議な化石を見つけたんです」
 「不思議な化石?」
  デトレフはとっさに二人へ視線を流した。
 「生き物の骨らしいんですが見たこともないものだから」
 「うんうん、それでどんな骨なんだね?」
 「身長で言うなら五十センチほど。全身骨格で小さな人間みたいな姿なんですが、手足の指というのか骨が二本ずつしかなくて体が細いの。頭蓋も骨盤も小さくて、そこからひょろりとした手足がのびていて。骨は黒くて石みたい」

  やはり出たと三人は思う。

 「それで皮膚などは? 着衣はどうなんだ?」
 「いいえ骨だけなの。ほぼ完全な姿で残ってる。目の穴が二つ、それに口みたいな小さな穴が縦に二つ並んでる。みんな宇宙人だって騒いでます。とにかく報告しておこうと思いまして。どうすればいいかもお訊きしたいし」
  デトレフは、目を見開いて聞いている二人にちょっとウインクしながら無線に向かった。
 「わかった、とりあえず内緒にしておいてくれないか。下手に言えばHIGHLYどもが押しかけてくるだろう。誰にも言わず厳重に保管しておいてくれたまえ。いずれ部下が訪ねて行くからそれまでは」
 「わかりました、じゃあそうします。お仕事中すみませんでした」
 「いやいや、かまわんよ。そちらはどう? 町は平和?」
 「ええ、それは。私たちがいるからか妙な動きはありませんね。相変わらずといったところでしょうか」
 「そうか、よかった。何かあればまた連絡してくれていいからね」
 「はい。お兄さんもお元気で」
  無線が切れ、デトレフは即座に軍船にいる部下へと無線を切り返す。

 「行くの?」
  相手が出るまでの間にジョゼットが問う言葉に、デトレフは黒い空に浮く地球をチラと見てうなずいた。
 「こちらデトレフ。帰還の件について宇宙ステーションをコールしてタイミングを質してくれないか」
 「では帰還するということですね?」
 「考えてみたがしかたがないだろう。我々の監視下で処理したい」
 「了解しました、ではさっそく」
  デトレフに一度地球に戻れないかという打診が来ていた。地球上の寒冷地に放置された累々たる死体の処理と、それよりも国連が没収した各国すべての核兵器の処理。死体のほうはともかくも核兵器についてはデトレフの部隊に専門家がいる。その打診をデトレフは行くまでもないだろうと断るつもりでいたのだったが、こうなると話は違う。
  ただそれは、いますぐ戻れということではなかった。海老沢が設計した超大型廃棄物運搬宇宙船がいままさに宇宙ステーションで建造中。帰還はそれからということであり、まだ三月ほど先のこととなる。月面の監視にあたらせる半数を残し、半数で帰還するということだ。

 「さて、せっかくのドライブだ。もう少し先まで行ってみよう」
  ハンドルを握って荒野を見渡すデトレフの横顔をうかがって、そうなればデトレフはそれきり戻らないのではないかとジョゼットは考えた。それは旅立っていく男に対して感じる共通した女心であっただろう。
 「やる気なんだね?」
  海老沢の観点はジョゼットとは違う。
 「かどうかはともかくとして、ただ捨ててしまうのはいかにも惜しい」
  核兵器を廃棄するための超大型宇宙船はもちろ無人でコンピュータによるフルオートコントロール。プログラムをいじってやれば行き先はどうにでもなるということで、それを密かに処理するためにはデトレフ自らが行かなければならなかった。

  LOWER社会の秩序はLOWER自らがつくる。もっともらしい理想だったが、留美はそれほど大それたことを考えてはいない。オーストラリア大陸の片隅で、しかもわずかな人数で、蠢いてみたところで何も変わらない。山賊というアイデンティティを貫き通す。ルッツのいた小さな町さえ平穏であればそれでよかった。
  治安維持部隊のヒューゴ。銃器それにガソリン、さまざまな情報と、ヒューゴのバックアップがなければ動きようがなく、山賊は山賊のままでいいと思っていた。
 「すでにルッツユニットと呼ぶ連中がいるそうだぜ」
  その日の午後、ルッツの店のカフェにヒューゴ。美しいマルグリットが気に入って、ちょくちょく顔を出しては油を売る。巡回中の時間つぶしといったところ。
  留美はちょっと苦笑した。
 「ルッツユニット(ルッツ部隊)ですか、笑っちゃうわよ」
  あのタイパンを葬った奴ら、それに人買いから女たちをかっさらう連中として口伝てにひろがっていたようだ。
 「私たちは山賊なのよ」
  苦笑しながら留美が言うと、ヒューゴは店に並んだカラフルな女物の服を見渡してほくそ笑む。
 「まっとうに働く山賊ねぇ・・ふふふ、まあいい、こんなちっぽけな町ひとつ平穏でもたいして変化はねえだろう。適当に暴れてくれたほうがHIGHLYとしては都合がいいからな」

  投獄された女たちがLOWER社会に堕とされて、しかしその先、人買いどもに下げ渡されていることなどHIGHLY社会では一切報じられてはいなかった。むしろそうした女たちが山賊どもにさらわれる。そっちを吹聴した方がLOWER社会を野蛮なものとしておけるということで。
 「今日のところは引き上げるぜ。おまえたちの働きで人買いどももよそへ行ってここらは平和だ」
 「治安維持部隊のお手柄ってわけ?」
 「まあそう嫌味を言うなって。治安維持など表向き。俺たちは暇なほうがいいってことよ」
  ヒューゴは美しいマルグリットに視線を流してちょっと笑う。マルグリットもちょっと微笑み、それだけのコミュニケーションでヒューゴは店を出て行った。
  そのとき時刻は夕刻前。春になって陽は長く、とりわけ今日は初夏のような陽気であった。
  治安維持部隊の迷彩ジープが店の前から消えて三十分ほどしたときだった。
  明らかに様子のよくない男が五人。どかどかとなだれ込んでくる。男たちは皆が黒人で、それぞれがバートにも並ぶ巨体。腰には拳銃を差していた。
  そのとき店にいたのは、キャリーとパナラット、カウンターの中に留美がいて、たまたま若いマットが裏から覗いた、そんなとき。
  男たちは一斉に拳銃を手にし、居合わせた皆に動くなと凄んでいる。

 「ルッツユニットもいいけどよ、それで困る奴らもいるってことよ。ボスは女だそうだが、どいつだ?」
  人買いども、それでもなければ盗賊どもに雇われた。そんなところだろうと留美は察した。
 「私だけど何の用?」
 「ほほう、黄色ちゃんの小娘かい? 笑えるぜ」
  ボス格の男が言って皆が嘲笑。男たちが銃を構えた。
 「なんなら嬲り殺してやってもいいんだぜ。治安維持部隊がお友だちのようだがよ、あんな連中にゃぁ何もできん。てめえらふざけるなよ、何様のつもりなんだ、山賊らしくしてりゃぁいいものを」
  まずい。バートそのほか男たちは、町外れの家の横に新しい家を建てている。
 銃声がすれば届く距離だが、走って戻っても間に合わない。
  屈強な男たちはにやりと笑った。
 「まあストリップで許してやらぁ。おいボス、てめえからだ、脱げ」
  マットが隙を見て動こうとしたのだが、拳銃の銃口が向けられる。
 「動くなと言ったはずだぜ。女どもがハチの巣にされてもいいのかい」
  暖かな店内にいた今日の留美はジーンズにレモンイエローのTシャツ姿。
 「わかったわ。その代わり手籠めにするなら私だけ」
 「ふんっ、上等な口をききやがる、ご立派なボスさんよ」
  留美はカウンターを出ながらTシャツに手をかけた。まくれ上がるシャツ。ピンクの花柄のブラが一際目立った。
  逆らえばさらにひどいことになる。マットはカウンターの裏に置かれたサブマシンガンを見ていたがどうすることもできないでいる。

  Tシャツを抜き取って、ブルージーンズのベルトに手をかけたときだった。

  オレンジ色のすさまじい閃光がガラス越しに店内に飛び込んで、男たちを次々に、絶叫さえさぜずに倒していく。
  はじめて見る、まさに光の弾丸。国連軍の最新装備であるプラズマガンの攻撃だった。プラズマとはつまり落雷。透き通ったガラスは光を通し、ガラスを割らずに中の標的だけを倒すことができるもの。倒れた男たちは感電して卒倒し一滴の血も流さない。
  愕然として、半裸のブラを両手に覆う留美。オートドアがするすると開いて、治安維持部隊とは明らかに装備の違う兵士たち四名が入ってくる。皆がそれぞれ茶色と灰色の迷彩バトルスーツを着込んでいる。
  兵士たちは皆が白人で逞しく、その先頭に五十歳前かと思われる長身で凜々しい軍人が立っていた。あの無線から三月半が過ぎていた。

 「間に合ってよかった。おいジョエル」
 「はい中佐?」
 「クズどもを引きずり出して処刑しろ」
 「はっ!」
  機敏に動く兵士たち。

  留美は、その男の精悍さに目を奪われた。背が高い。髭の剃り跡も男らしい。そしてルッツに似たやさしい面影。
 「デトレフです、留美ちゃんはいるのかな?」
 「はい私です、そんな、嘘みたい・・お兄さんなの?」
  デトレフは微笑んでうなずいた。
  若いマットも呆然としてしまい声もない。HIGHLY軍の装備の凄さを思い知る。古くさい銃器ではとても太刀打ちできないだろう。
  そしてルッツの店の前に横付けされた茶灰色の迷彩、飛行機を思わせる流線型の装甲車を見た男たちが、バートを先頭に何事かと駆け寄ってくるのだった。 国連正規軍などはじめて見る皆である。

  デトレフは、上半身半裸の留美に対してまっすぐ歩み寄り、恐ろしいほどの胸板にそっとくるむように抱き締めた。目眩がする。これがルッツのお兄さん?
  留美は言った。
 「みんなを集めて。ルッツのお兄さんよ、味方です」
  飛び込んで来たバート。ぞろぞろと男たち。皆が泥だらけ。正規軍の姿にバートでさえがのまれていた。デトレフチームはその中でも精鋭部隊。とてもおよばない兵士たち。
  そうしている間にも軍の処理は迅速で、賊の処刑を見届けた部下の一人が入って来る。
 「ジョエル君、こっちへ」
 「はっ」
  呼ばれた男がデトレフの横にまで踏み出して、その男もまた凜々しく若い。二十代の後半かと思われた。
  デトレフが言う。
 「ブリスベンに置く部下だよ、ジョエルと言って階級は少尉、フランス系だがイギリス人だった男でね、これから何かあれば彼に言いたまえ」
  留美はうなずく。あやうく涙になりそうだった。
 「それでお兄さん、今日はゆっくりできるのかしら?」
  デトレフは微笑んで首を横に振るのだった。
 「いや、せっかく会えたのにすまんが時間がないんだ。月に戻らなければならないのでね。そういう意味でもジョエルを頼ってほしい、私の右腕だ。さっそくで悪いんだが」
 「あ、はい、裏のガレージに」

  ガレージ。かつてそこには牝豚がつながれていたのだったが、いまでは片づけられてすっきりしている。太いH鋼の裏側に木箱が置かれ、留美が案内すると部下たちがしゃがみ込んで蓋を開ける。
  箱の中に毛布を織ってベッドをつくり、小さな化石は眠っていた。デトレフは一目見ると、ふぅぅとため息をついて言う。
 「間違いない。これと似たようなものが月面でも出たんだよ」
  皆が顔を見合わせて目を見開いた。デトレフが言う。
 「エイリアンだ、間違いない」
  おおっと男たちから声が上がり、女たちは手を取り合ってうなずき合った。
 「月のそれは解剖の最中ぼろぼろ崩れて砂になった。恐ろしく古いと思われる。おそらくは百八十万年以前のもの」
  皆は絶句。たいへんなものを見つけてしまった。
  コネッサが言った。
 「それからあたりを探しましたが、出たのはそれだけ」
 「うんうん、これだけで充分だよ、大変な発見だ。月へ運んで詳しく調べる」
  そしてそのとき、元は国連下部組織にいたマルグリットが口を開いた。
 「月面都市は順調なのですか?」
  デトレフは、場違いなイメージのある美しいマルグリットをチラと見て微笑んだ。
 「すでに数十万人が移住できる地下空間ができている。しかしまだはじまったばかりでね。スタッフ総勢およ五万、懸命にやってるよ。スペースができても付帯設備が追いつかないからね」
  この女は知っているとデトレフは察したのだが、突きつめようとはしなかった。
 「まあ何が起ころうと我々の世代には無関係なことだよ」
  七十年後の運命は事実であると言ったも同然。
  デトレフは部下に命じて木箱ごと化石を運び出し、裏にある弟の墓、それと最後に弟と話した地下の無線機をじっと見つめて去って行った。

  月への道は片道切符。この人は二度と地球には戻らない。直感として留美はそう感じていたのだった。

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カウンセリング(十七話)


  ムーンカフェ。
  そのとき月は、およそ半月続く夜の側に入っていて、天文学者であるジョゼットにとっては本来観測についやすタイミングだったのだが、もちろん望遠鏡につきっきりというわけではなかった。
  ジョゼットはできる限りカフェにいようと考えている。地球上のように思うままにリフレッシュできる環境は月面にはないと言ってよかっただろう。月面都市の建設は順調に進んでいたが、閉鎖的きわまりない地下の世界を劇的にひろげるまでにはいたっていないし、地球上とは違う一日のサイクルが、朝起きて夜に寝るというあたりまえの本能を狂わせてしまう。人間は月に生きるようにはできていないということだ。
  そうした中で精神的に追い詰められていく者は少なくなった。ときどきカフェを覗いてはカフェのママと語り合う。それだけのことで心のバランスを保とうとする者が多いということ。ジョゼットはできる限りカフェにいて話し相手になろうとした。解放できない本能、とりわけ性的なファクターで悩む者がたくさんいる。

  そのときはカウンターの中にジョゼットがいて、女医である早苗が紅茶を飲んでいた。早苗は言った。
 「最初から進言してたのよ、こういうことになるからねって。いかに壮大なミッションであってもそこにいるのは人そのものよ。どれほど科学が進んだって動物的本能と向き合わなければならなくなるし、人間のそれは生殖セックスだけじゃないからね」
 「それわかるなぁ。様子がおかしいから訊いてみると素直に話す子がいて、人ってどうしてこう複雑なのかと思ってしまう」
 「ビアン、ホモ、マゾヒズム、サディズム、ありとあらゆる欲求を隠していて、それに閉鎖性が加わって揺れてくるのよ」
  とそこへ、若い建築技師が入って来た。
  一足先に来ていた早苗とムーンカフェで待ち合わせ。男の名はクリフと言って二十八歳の若者だったのだが、きわめて優秀な頭脳の持ち主。志願して月面に送られて三月ほどが過ぎていた。背も高く、選ばれて送られてきただけの健康な肉体を持っている。
  しかしこのクリフ。早苗にすがるように性的な苦悩を打ち明けていたのだった。
  クリフは、とりわけ女性に対しては礼儀正しい。ただしそれは特異な性癖によるところが大きかった。

 「ここへ座って」
 「はい、お邪魔いたします。僕のためにありがとうございます」
  ジョゼットは初対面。好感の持てる若者だったが、その眸がひどく哀しそうに思えてならない。早苗の横に座ったクリフ。体は大きくても、どこかしら弱く思えたジョゼットだった。
 「ジョゼットよ。ムーンアイで宇宙を探る専門家ですけどね、いまではすっかりカフェのママ。何でも話せるいい人よ」
 「はい、存じ上げております。はじめまして、クリフと申します。歳は二十八になりますが」
  早苗に紹介されてクリフはちょっと笑って頭を下げた。童顔とまでは言えないものの若くて可愛いという印象。ジョゼットよりひとまわりほど歳下だったからかも知れない。
 「彼女なら聞いてくれるわ。お話ししてごらん、私に打ち明けたように素直にね」
 「はい」
  白人男性。見る間に白い頬が赤らんでいく。
 「私はどうしようもない性癖に苦しんでいます。地球を発つとき姉と別れ、姉と言っても義理の姉、つまり兄のワイフなんですけれど」
  そしてちょっと眸を上げてジョゼットを見つめる。白い顔が真っ赤になってしまっている。

 「お慕い申し上げた女王様だったんです」

  やっぱりね。そういうことだろうと察していたジョゼット。ピュアな想いが内向きに働いて、ナイフの切っ先のように心を突き刺してしまう。ジョゼットはチラと早苗と眸を合わせた。解放されない月面空間は牢獄のようなもの。痛々しいとジョゼットは思うのだったが。
  早苗が言った。
 「マゾヒズムに苦しむのは彼だけじゃないの。勇気ある子だわ。どうすればバランスを保てるだろうって打ち明けてくれたのよ。女の子にもMは何人かいるって話は聞くし」
  ジョゼットは微笑んでクリスに向かってうなずいて、そして言った。
 「いいんじゃないかしら、おかしいとは思わないわよ。いつでも話しにいらっしゃい。女が四千人もいればS女さんだっているでしょうし」
 「あ、いえ、どなたでもいいということではないんです」
  そしてクリフはまっすぐな眼差しをジョゼットに向けるのだった。

  もしや私・・。

 「月に来て間もない頃、私を見かけたそうなのよ。キュンとしちゃって、でもだからカフェには来られない。苦しんで苦しんで早苗に相談したってことらしいの」
  ジョゼットが思いもしなかったことを言い出した。海老沢はちょっと眉を上げて微笑んだ。ジョゼットは言う。
 「私じゃなきゃダメなんだって。あのとき私、いきなり胸が苦しくなって、想像しちゃった、あの子に君臨する私の姿を」
 「ふふふ、なるほどね。君がそうなってくれればクリフはさぞ幸せだろう」
  ジョゼットは困惑していた。すがるような眸を向けられて母性が騒ぎだしていたからだ。
 「笑い事じゃないのよ、逃げ場がないでしょう。SMクラブでもはじめて二人でミストレスやろうかって早苗が笑ってた。ほかにも体と心が一致しなくて苦しむ人もいるんだって。早苗が性を解放したって話を知って早苗なら聞いてくれると思ってカウンセリングにやってくる。クリフのことも早苗は言うわ、私を想ってくれてるなら躾けてやってもいいけれど、惚れてるのはジョゼットなんだもん、なんだよそれってカンジだわって」

  人類の科学力を結集したプロジェクトのはずでも、そこにいるのは日々苦悩する人々ばかり。考えてもみなかったことが次々起こると海老沢は思うのだった。
  大前提がある。そんなことでもし規律が乱れることがあれば、デトレフはそれを処理しなければならなくなる。
  ジョゼットは言う。
 「ここが地球なら、おととい来やがれ馬鹿野郎って言ってやるんだけど、クリフはとってもいい子なんだし」
 「ドキドキしてる?」
 「してるよ、もちろん。そんな話があったのは一週間ほど前ですけれど、それから毎日クリフは覗くわ。話したくてたまらない。せめて私のそばにいたい。そんな気持ちがわかるから嬉しくなっちゃう」
 「何を戸惑う?」
 「え・・」
  海老沢の言葉がジョゼットの背中を押すことになる。
 「であるなら、君の中にもきっといる魔女の自分と語り合うべきだろう」
  怖がっているのは私自身。そのことに気づかないジョゼットではなかった。

  新設された地下空間、ムーンシティ一号館、MC1-L1。ジョゼットの居室。
  いかにも洗練されたネーミングではあったがスペースとしては四畳半スケールの小さな部屋。消え入りそうなノックがあったのは、その日の夜。夜といっても毎日終日夜なのだが。人は太陽の恵みでリズムをつくる。リズムがなければ心が定まらなくなってしまうもの。
  ドアを少し開けてやるとクリフは恥ずかしそうに立っている。そのときジョゼットは地球上ではあり得ない紙の下着。薄いピンクのブラとパンティ。居室は空調が行き届き、寒くもなく熱くもない。
  クリフはシルバーメタリックのスペーススーツ。それもまた着用を強制される非人間的な無個性だった。
 「いいわよ、お入り」
 「はいジョゼット様、お招きいただき、ありがとうございます」
  そんなMっぽい対応だけでジョゼットは不整脈。
 「私の部屋も無機質そのもの。妙な物は何もない。まさかね、地球へメールしてボンデージファッションを送らせるわけにもいかないし、ふふふ可笑しい」
  ジョークで笑うと、クリフはすでに顔が真っ赤。
  ジョゼットは美しく熟れた女体の上下を紙の下着でつつんでいて、跳ね上げ式のベッドを跳ねてしまって、かろうじてできる狭い室内に小さなパイプ椅子を置いて座っていた。

  目の前に立つクリフ。
 「過去のことは忘れるように。私との新しい時間よ」
 「はいジョゼット様」
 「私なりの躾けをしていく。服従なさい」
 「はいジョゼット様、どうぞお心のままに」
 「ほんとね? 約束できる?」
 「はいジョゼット様、きっと」
 「よろしい、脱いでお座り。全裸です」
 「はい。はぁぁはぁぁ・・ああ女王様、嬉しいです」
  乱れる熱息。スペーススーツのジッパーを下げ、レオタードを脱ぐように取り去ると、男性用の淡いブルーのペーパーブリーフ。それさえ脱ぐ。そのときすでに若い男性は反応し、抑圧されたスプリングが跳ねるように直立した。クリフの白い裸身が真っ赤になって上気している。
  座面の少し高い椅子に座るジョゼット。クリフは膝で立って勃起するペニスを捧げるように尽き出して、両手を腰の後ろへ回して組んでいる。
 「ピンピンね。嬉しいの?」
 「はい女王様、嬉しくてたまりません」
  語尾にいくにしたがって消えていく声が綺麗な男の涙に変わっていった。

  可愛い。

  ジョゼットは少年を見守るような心持ちになれていて、真上を向いてビクビク揺れる亀頭が可笑しく、パシンと手先ではたいてやった。バネ仕掛けのオモチャ。そのとき唇を噛んで眸を閉じたクリフだったが、涙があふれて頬を伝う。
 「可愛いわよ、さあおいでクリフ」
  ペニスを強くつかんでやって裸身をたぐり寄せ、そのまま紙のパンティに覆われたデルタへと顔を押しつけ、腰を抱かせてやるのだった。
  クリフが震える。
 「震えてる。嬉しいわよ、そこまで感動してくれれば女冥利。 あれからね、」
 「はい?」
 「毎日おまえはカフェを覗く。熱い眸で見つめられて私は濡れたわ。それはいまもそうだから。どうしてなんだかわからない。私の中にも魔女はいる。罪な子よ、おまえって子は。魔女が目覚めた。どんな魔女なのか私にもわからない」
  椅子に座って少しだけ腿を弛めた白く柔らかな谷底へクリフは鼻先をこじ入れるようにして女王の匂いを吸っている。
  ジョゼットもまた羞恥。けれど濡れて濡れてたまらない。
 「テーブルをここへ。おまえはその下に潜り込む」
 「はい女王様」
  白い丸テーブルを椅子の前に置き、その下に大きな裸身を丸めるクリフ。ジョゼットはテーブルに両足を上げてしまい、腿を開いて股間を分断する紙のパンティを見せつける。

 「脱がせて。きっとひどく濡れてるわ。よく舐めて気持ちよくして」
 「はい女王様、夢のようです、ああそんな、嬉しいです」
  少し浮かせた尻の横へと手がまわり、するすると脱がされていく。紙の下着の底辺に蜜液が糸を引き、張力の限界でぷつりと切れて下着と性器に濡れが分かれ、愛液は分断されていくのだった。
  少しだけ茶色がかった金色の陰毛。抑圧する紙がなくなって絨毛はふわりと膨らみ、奥底のピンクのクレバスを露わにする。色素が薄い肉リップに蜜がからみ、さらに蜜は湧き出して、香りを放って奴隷を誘う。
  ジョゼットは目を閉じず、一心に性器を見つめて迫ってくる奴隷を見ていた。
  クレバスに触れるだけのキス。
 「ぅ、ぅン」
  舌先がのばされて花合わせをなぞるように蜜を舐め取る。
  感じる。狂っていく予感がそう思わせるのか、これまでこんな愛撫を知らないとジョゼットは思っていた。
  目を閉じたクリフの睫毛が金色に長く、それが涙をからめて濡れている。
 「いいことクリフ、約束なさい」
 「はい?」
 「女は私だけよ。いい子にしてないと捨てるからね」
 「はい女王様、お誓いいたします」
 「私のことだけで頭がいっぱい。オナニーなんて許しません。ちょっと触れられただけで精液をトロトロ漏らせるようになりなさい」
 「はい女王様、お捧げします。ああ女王様・・」

 「ふふふ可愛いわ。さあ、よく舐めて」
 「はい!」
 「あぅ! く、く、くぅ! あ、あっ! あぁぁー感じるぅーっ」
  小さな椅子も、脚を上げたテーブルも、そしてジョゼット自身の白い裸身もガタガタ震えた。信じがたいアクメがいきなり襲う。白く柔らかな腿の間にクリフの顔をこれでもかと挟みつけ、ジョゼットは、もがくように髪を振り乱して声を上げた。
  イクという感覚をはるかに超えた激震に襲われた女体。自ら紙のブラを跳ね上げて形のいい乳房を揉んだ。 しこり勃つ乳首を指先で捉え、痛いほどに揉みつぶす。座面に置いた尻が浮き、クリフに尻を抱かれ、その尻肉がきゅっきゅと締まってブルブル震える。
  カッと目を見開く。けれども景色がぐるぐる回る。錯乱する快楽。ジョゼットの中に隠れ棲んでいた魔女が目覚めた瞬間だった。
 「いいことクリフ、私だけの男におなり」
 「はい女王様、ああ美味しい蜜です、嬉しいです」

  これがサディズム?
  朦朧とする意識の中で、ジョゼットは、私なりの奴隷とはどういうものかを考えながら、クリフの口の中に失禁を放ってまで果てていく自分をどうすることもできなかった。
  狂う。こんなことがクセになったら私は愛の化け物になってしまう。

 「あぅ! く、く、くぅぅ! あ、あぁぁ! 感じますボスぅーっ!」
  男も女たちも皆で囲む牝豚。H鋼の柱からチェーンを外され、生涯外されることのないステンレスの首輪をされた全裸の奴隷。眉毛さえ奪われた一切毛のない白い人豚。膝で立って両手を頭の後ろに組んでいて、椅子に座った留美の前で留美だけを見つめていながら錯乱する姿。
  留美は毛のない股間に手をやって、淫乱に濡れる性器をいたぶった。
 「ミーア、鞭よ」
 「はいボス」
  バシーッ! 手加減のない乗馬鞭が、それでなくても感じてぶるぶる肉を揺らし震える尻を痛打した。
 「ぎゃ! ああボス、感じますぅーっ!」
  ビチャビチャといやらしい蜜鳴りが股間の底から聞こえてくる。
 「こうされて嬉しいんだね? 心から?」
 「はいボス、心から。あぁ、あ、あ! 果てます、ああイクぅーっ」
 「ミーア」
 「はいボス」
  バシーッ!
 「ぎゃう! むうぅ、ありがとうございます」
 「感謝するのは私じゃない、ミーアそれにジョアン、マットもそうだし、みんなもそうだよ。私らに守られていることを思い知るんだね。ミーア、もっと鞭」
  バシーッ、バシーッ、バシーッ!

  泣きじゃくっていながら鞭から逃げずに尻を突き出し、懸命にうなずく人豚。
  しかしいい顔になってくれたと留美は思う。眸に生気が感じられる。あれから本気で躾けてきたのはミーアだった。一度は消えかけた鞭痕が全身に浮き立っている。ミーアの厳しい調教が牝豚の死んだ眸を生き返らせた。
  留美は、愛液が泡立ってまつわりつく指を抜く。牝豚がそれを懸命に舐め取って綺麗にする。留美はそのときの泣き顔を見据えながら言った。
 「皆はどうか?」
  声はなかった。声がないことにちょっと笑ってバートが言う。
 「ま、そういうこったぜ、どうもこうもねえだろう」
  留美は牝豚に向かって眉を上げた。
 「ということだよ、許しはしないが飼ってくからね。もういいミーア、連れてお行き。犯したければ犯してやる責めたければ責めてやる、可愛がるならそれもいい」
  家の裏のガレージのさらに裏。男たちが拓いた土地に、粗末ながらも新しい小屋が建った。全裸の牝豚はガレージの鉄柱から、その新しい小屋の一画にある広さ三畳ほどの奴隷部屋へと移されて、鉄のフックにチェーンがかけられつながれる。そこにはシングルサイズのベッドが置かれて着衣も許され、暖房もストーブが置いてある。
  そのためのテスト。皆で囲んで奴隷の成長を確認する場であった。冬本番となって冷えてきていた。

  ボスの部屋ではあったが、そこはかつてのアニタの部屋。それより広く、かつてルッツがいた主の部屋にはバートがいて、女たちが入れ替わって眠っていた。
  ガレージから戻って横になると、新しい部屋に牝豚をつなぎ直したミーアが戻り、消え入りそうなノックをする。そのとき時刻は夜の十時を過ぎていた。
  同性の留美と二人になると、ミーアはためらわず裸になって平伏した。あれからミーアの女王は留美そして女たちのすべて。女の中で下級でいたいと願うからにはしかたがなかった。
 「おいで、ご褒美よ、よくやったわ」
 「はい女王様、感謝の想いに震えます」
  留美は下着。全裸のミーアを乳房に抱いてやって、ミーアが留美の背に手をまわす。
 「ほっとしたよ」
 「はい。嬉しいって泣いてました」
 「どのみち私らが最後の人類。そう思うとね、生かしてやりたいと思うんだよ」
  このときもちろんミーアもまた七十年後の地球の終焉を聞かされていた。
 「だからねミーア」
 「ふふふ、はい、わかってます。バート様がいつでも来いって笑ってました」

 「脱がせて」
 「はい女王様」
  ブラ、パンティ。それだけで留美は牝になれる。
  陰毛のない黒い肌へと指を這わせ、谷底に落ち込むと、そこはすでに熱を持ってトロトロに濡れている。ラビアのまくれ上がる感触、そしてヌルリと飲み込む細い膣。ミーアは震える。
 「そう言えばコネッサは責めてくれた?」
 「いいえ、やさしい人ですから、ほんの少し鞭を」
 「痛くて嬉しい?」
 「はい」
 「相変わらずわからない。私はねミーア、いつの間にか責められてみたいと思うようになっている私自身がわからないの。私の中には強烈なサディズムが潜んでいる。マットがそうだわ。あの子といると虐めてやりたくてたまらない。なのに可愛くなって抱いてしまう。よしよしって、まるで子供を抱くように」
  ミーアはわずかにうなずくと、腿を割ってすべてを晒し、留美の指を受け入れた。それからの激しい反応を留美は醒めた眸で見つめている。

  愛にピュアと、そんなありきたりではすまされない心の暗部。それでいてミーアはとろけるように果てていく。
  亮の体を思い出す。ちょっと触れられ、体の中に入ってくると、いまにも錯乱しだしそうなアクメが怒濤のごとくやってくる。相手が亮なら奴隷になれる。ふとそんなことを考えてしまう留美だった。
  そう言えばパナラット。HIGHLY中のHIGHLYと言える、あの知的なマルグリットがパナラットにぞっこんで、『私の野生はビアンだった』と笑っている。

  だったら私は何者なの? 狂おしく果てていくミーナのことが羨ましい。

getsumen520

 魂のさけび(十六話)


  留美はあえて意識して山賊のボスとしての言葉を吐いた。
 「わかった、おまえのマゾがどんなものか見せてもらう。口ほどにもなければそのときはわかってるね?」
 「はいボス、感謝いたします」
  留美はふたたび二人に脱ぐよう命じた。いつまでも囚人にはしておけないし逃れられない運命を突きつけておくべきだろう。
  愛称ミーアは自らマゾだと言うだけあって潔かった。監獄で支給される白いパンティが黒い肌に浮き立っていて、一言で言って細身。背丈は175はあっただろうか、手足が長く、乳房は小ぶりだったが若く張って形がいい。
  もう一人の東洋系の娘は、立ったはいいが手が震えて青ざめている。脱がなければ剥ぎ取られるのはわかっていたし、そのときもしナイフでも使われれば着るものがなくなってしまう。日本人よりは浅黒く、独特のエキゾチックな雰囲気。背丈はミーアよりも頭一つ低く、肉付きもまあまあだったし、乳房もまあ豊かな方だった。
  男たちがいやらしく値踏みしながら見つめる中で脱いでいくのは恥辱。平然としているミーアとは違い、それが本来の女の姿であっただろう。

 「よろしい。二人ともお座り」
 「はいボス」とミーアは即答したが、もう一人の女はちょっとうなずくだけだった。頬はおろか体中に血筋の編み目が浮くように上気している。
  留美はそちらへ眸をやった。
 「おまえの名は? いくつだい?」
 「日本語わかります、少しだけ」
 「あら、わかるの?」
  留美も日本語。女が言った。
 「やっぱり日本人。そうじゃないかと思ってました。あたしはパナラット、二十七歳になります。タイ人ですが日本生まれ」
  流暢な日本語だった。パナラットは日本人ではないが言葉の通じる者はここでは少ない。しかしまさかの歳上。留美はまだ二十六なのだから。
 「両親がタイ料理のお店を神戸でやっていて、そのうちタイに戻りましたが、もうめちゃめちゃ」
  二十二メートルにもおよぶ海面上昇で東南アジア一帯は壊滅的な被害を受けた。
 「何をして投獄されたんだ?」
 「略奪にあいました。家が襲われて家族で戦い、でも弟までも皆殺しにされて、あたしだけが拉致された。逃げるときに酒瓶で男の人の頭を殴って、あべこべに通報されたんです。襲った相手がHIGHLYでした。ウチはもともとLOWERみたいなものでしたから」
  留美はちょっと目を伏せてうなずいた。
 「ここらは若い女の死体が普通に転がるところ。生きたいなら心して臨むように」
 「覚悟はしてますが怖いんです」
  パナラットはそれきりうつむいて声も出さない。

  留美はそこでも山賊のボスの言葉を言い放つ。
 「もういいだろう、そっちのパナラットはどうにでもしてやりな。ミーアは私といらっしゃい」
  留美が洞穴の奥を顎でしゃくって、ミーアが立つと、新入りのカルロスまでを含めた男たち八人が一斉に立ち上がり、パナラットの腕をつかんで立たせると、無造作に白いパンティを剥ぎ取って連れ去っていく。
  そのときパナラットに悲鳴はなかった。恐怖で声さえ出せないようだ。
  洞穴の口まで十メートルほどを歩く間に、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
 「きゃぁぁーっ! ああどうかぁ、服従しますからどうかぁーっ」
 「だったら尻を突き出せ、ほらぁ!」
 「あっあっ、あぅ! あぁぁーっ、きゃぁぁーっ!」
  留美は背後についてくるミーアに背を向けて一瞬眸を閉じて唇を噛んだのだったが、すぐに平静を装った。

  懐かしい洞穴へと踏み込んで、亮のいた横穴へ迷うことなく入っていく。
  あのときのままの景色。シングルベッドから剥ぎ取ったクッションと、その前に申し訳程度のカーペットの切れっ端。しかしそこには毛布さえない。ここを出るときに持ち出してしまっていた。
  何かもが亮の姿に結びつく。匂いがすると留美は感じた。
  クッションに腰掛けて、突っ立つミーアを見上げてみる。
 「ミーアキャットか、なるほどね、似てるかも」
  ミーアはちょっと笑った。きょとんとして突っ立つ姿が可愛い気がする。
 「さあ、私がマダムだと思っていつも通りにやってごらん」
 「はいボス」
  白いパンティを躊躇なく脱ぎ捨てて、そしたらデルタに陰毛がない。
 「毛は?」
 「生まれつきなんです。私は産まれながらのマゾなようで」
  そしてミーアは新しい主の足下に膝を開いて立つと、両手を頭の後ろに組んで胸を張る。小ぶりの乳房だったが誇張されてなおのこと形がいい。ミーアは命令を待つようにまっすぐ見つめて動かない。黒い肌のデルタに女の亀裂が浮き立っている。
  留美は両手でそっと小さめな乳首をつまんでコネてやる。
  ミーアはうっとり目を閉じて鼻孔をひくつかせ、ん、ん、と甘い声を漏らしはじめた。
 「おまえは傷がないね?」
 「はいボス。マダムはやさしいお方でしたし、責められなくなってずいぶん日にちが経ちますから」
 「寂しいだろう?」
 「はいボス。たまりません寂しくて。あぁぁ感じます、ありがとうございますボス」
 「ふぅむ」
  なんてこったい。それが正直な留美の気持ちだった。そして同時に、ガレージの牝豚にもこうなってほしいものだと考える。極刑ではあっても虐待を性的趣向に置き換えることができれば、それはそれで幸せというもので。
 「気持ちよくて濡れてきたかい?」
 「はいボス。はぁぁ、はっ、あはぁぁ」
 「感じる体だ」
 「はいボス。マダムに躾けられてきましたから。乳首にちょっと触れられるだけで濡れてしまって笑われたものでした」

  黒く若い肌を爪先で掃くように撫で下ろし、カギ状に曲げた指先をデルタの奥の開かれた股間へと突きつけてやる。ミーアは自らさらに脚を開いて恥骨を突き上げ、愛撫をせがむ。花弁は薄くしかしクレバスから飛び出していて、クリトリスも大きい。こりこりとした感触であり、花弁は濡れをからめて閉じていられず、パッと咲いて留美の指を受け入れた。
 「ンぅ! ンふぅ、ああ感じます、嬉しいですボス、ああボス気持ちいい」
 「そのボスボスっての、やめてくれない。留美よ。二人のときはそう呼ぶように」
 「はい留美様、あぁぁ女王様、気持ちいい」
  息が熱い。まさぐるうちに洪水になってきて、腰が揺れ、尻肉がきゅっきゅと締まって前後に動く。黒い裸身が見る間に汗ばみヌラヌラとした輝きを放ってくる。
 「どうやら本物のマゾらしいね」
 「はい留美様、マゾでございます」
 「鞭打ちも嬉しい?」
 「はい、イケます私、鞭でイケます」
 「ふうむ・・あっそ」

  こういう女もいるんだと思うと、心の角度というものを考え直さなければならなくなる。ミーアは控え目なトーンで言った。
 「留美様、あの」
 「なんだい?」
 「夢はご褒美、それが悦び」
 「わからないよ。よくはわからないけど、そうよね、私が甘いと安住できない」
 「はい留美様」
 「人は深いわ。会う人会う人それぞれ違うし、でもそうよね、ハンパなことでは女なんてやってられない。女の性は命がけ。だけどよ」
 「はい留美様?」
 「だとしたらおまえはバージン?」
 「はい留美様。ペニスという意味でならバージンです。ディルドとかさんざん使われて可愛がってもらえましたが」

  そこまで言うなら気の済むようにしてやろうと留美は思った。
 「わかった、可愛がってあげるわよ。仲間に女はたくさんいるし、困り果てる牝豚も飼っている。ミーアと出会えたことが嬉しいわ。気が済むまでマダムを想い、振り切れたらそのときには男たちもたくさんいる」
  カギ状に曲げた指先を動かしてはいなかった。なのにミーアの腰がせがんで動き、ミーアは達していくのだった。
 「あぁぁ、お許しください、どうか・・あぁぁイクぅ、イクぅ・・」
  可愛いものだと留美は思った。
  私はボスには向かない。やさしすぎるとは思うのだったが、ゆらりと崩れるミーアの体を抱いてやりたくなってくる。
  燃えるような息を吐いて崩れたミーア。留美はそっと抱き寄せて、とろりと溶けた眸を見つめると、口づけをしてやった。
  そのときミーアの大きな目に見る間に涙が溜まっていって、あふれだして頬を伝う。
 「嬉しいのね?」
 「はい留美様、夢のようです。諦めていたのに嬉しいです女王様」
  留美はちょっと鼻で笑った。馬鹿馬鹿しいほどピュアな女。妙なヤツ。

  女王様か。もしかしたらあの牝豚もそう呼ばれていたのかしら。タイパンのクイーンではなく、SMという意味での女王として。ふとそんなことを考えてしまう。
  そろそろ時間。ルッツタウンまでは少し遠い。
 「もういいわ、出ましょう。おまえはずっと素っ裸のままですからね、奴隷らしくしてなさい」
 「はい留美様」
  嬉しそうなミーアの面色。
  そして外に出てみると、少し離れた岩陰からパナラットの喘ぎが響く。男たちは数が多い。広場に出て、しかし少し風が出て冷えてきていた。
 「ミーア、とりあえず服を着なさい」
 「え、でも」
 「いいから着なさい、ちょっと寒いわ」
 「はい留美様、心よりお仕えいたします、おやさしいボスでミーアは幸せです」
  呆れて顔を見てしまう。

  と、そのとき。『ああ狂っちゃうーっ! きゃぁぁーっ!』

  その声を最後に女の声が失せていた。いまは冬、緑も薄くなっていて、木はどれもが裸の景色。蛇もいまは冬眠だろうと考えた。
  大きなバートが、気を失った全裸の女を軽々かつぎ、尻をペシペシ叩きながら歩み寄る。肩の上でくるりと裸身を回してやって立たせると、軽く頬を叩いてやって気づかせる。
  白い尻の間からおびただしい精液が腿を伝い流れている。パナラットもまたとろんと溶けた面色だった。
  バートが言う。
 「服を着な、冷えるぜ」
 「え、着ていいんですか?」
 「嫌ならやめとけ」
 「もう冷たい・・なによっ」
  すでに甘えていると留美は感じた。女はタフだ。適応ではなく性への受動。運命を受け入れて生きる、それが女。私もそうだと言い聞かせる留美だった。
  歩き出す前に懐かしい景色を見回す留美。亮が町に出たがらなかった理由がわかる気がする。俺は山賊、野蛮な男・・そう言い聞かせていないと苦しくなる。亮は本質のやさしい人だった。
  ここがもしルッツタウンだったとしたら、保護したつもりの女たちを、その上さらに辱めることはできなったに違いない。

 「はぁぁ・・ふふふ」
 「何が可笑しい?」

  鉄箱に女二人とマットを乗せた大型軍用ジープの運転席と助手席。留美の妙な笑い声にバートが応じた。
 「こう次々に女が増えると男たちと釣り合ってくるなって思っただけよ。バートは誰が好みかしらね。マルグリットもキャリーも美人だわ。ウチは男は野獣でも女たちがみんな可愛い。パナラットはどうだった?」
 「腹が据わってら。人買いの先に何があるか考えないほど馬鹿じゃねえ。あんときカルロスの言葉も聞いてやがったしな」
 「私らが仲間だってこと?」
 「売り買いされたわけじゃねえんだよ。山賊に拉致されて、しかし仲間として生きていけそう。売られた身よりはましってもんよ。尻を振ってよがってやがった、可愛いもんだぜ。しかしたとえ数で逆転しようが女は男たち皆のもの」
 「わかってる、おのずと決まっていくまでは」
 「そういうこったが、まあ俺は、おまえだ」
 「え?」
 「好みはおまえだと言っている」
  留美は、前を見たまま言って前を見たまま運転するバートの横顔を見つめていた。

 「ねえバート」
 「今度はなんだい?」
 「私ね、正直言って私はダメだと思ってた。ボスに向かない。こんなのおかしい、女はオモチャじゃないんだよっていまでも思うし、あの牝豚のことにしたって可哀想で見ていられない。いっそ殺してやったほうがいい。だけどルッツやアニタのことを思うと許せなくなってくる。どうしていいかわからない。とそう思ってたんだけど、私は今日はじめて人を撃った。殺してしまった。魔女だわ私。あの牝豚とどこがどう違うのって思っちゃう」
  バートは声を出さずに笑っている。
 「でもよ、こんな私に折り合いをつけていくのは私自身だわ。その程度のことを決められなくてどうすると思う」
  バートはそれきり口を閉ざした。それは留美にとってやさしさでもあったのだが同時に厳しさでもあった。
 「だからねバート、ボスとして私が決める。ついてきて」
 「おぅ、わかったぜ。マットの野郎が言ってやがった」
 「マットが何をよ?」
 「女神だってよ」
 「ふふふ、ばーか、それはあの子がマゾっぽいだけ。どいつもこいつもケダモノかド変態。だから決めたの、私もケダモノになってやるって」
  バートはまたちょっと笑い、それきり前を見て口をつぐんだ。

  その日は夜になって雨になった。雨雲が空を覆うとむしろ暖かい。
  夕食を済ませ、男たち女たちが相手を選んで部屋にこもり、ルッツの店は穏やかに闇に凪ぐ。
  夜のガレージ。
  冬のいま牝豚は裸ではなかったし、ジョアンに面倒をみてもらい、それなりに清潔にされていた。ジョアンが張り付くようになってからマットもだいたいそばにいて、つまり他の者たちにとっては手が出しにくい。それでも牝豚の体から浅い鞭痕が消えたことはなかったし精液の匂いがまつわりつく。嵌め殺しのステンレスの首輪には常に太いチェーンがかけられていて柱のH鋼につながれている。
  牝豚に堕とされてから日々は過ぎていき、しかしなお牝豚の眼光に生気はなかった。
 「タイパンのボスだった女だよ。ルッツもアニタも、私の前のボスも殺された」
  留美が言い、一歩退いたところにジョアンがいて、連れて来られて着るものを与えられたミーアがいた。パナラットは男たちが連れ去っていたし、この場にマットの姿もなかった。同性ばかり。留美にとっては三日ぶりに見る牝豚の姿。
  ジョアンが言った。
 「素直にしてますよ。ほらボスよ、脱ぎなさい」
 「はい」
  男物の古い厚手のロングコート。脱げば全裸。体中に凄惨な責め痕は残っていたが消えかけている傷ばかり。肉付きのよかった裸身もずいぶん痩せて頬がげっそりコケている。
  裸になると牝豚は身を丸めて留美の足下に平伏した。

  そんな奴隷を見据えたまま留美が言う。横に立つミーアに向けた言葉だった。
 「どう思う、この姿?」
 「残酷ですけど、でも、もし私なら嬉しいでしょうね」
  信じられない言葉に、横にいるジョアンがミーアの横顔を覗いている。
 「ちょっといいですか?」
 「いいよ、どうなりとしておやり」
  留美はジョアンの手を引いて一歩二歩と後ずさる。この処遇にせめてもの光を与えられるのはミーアだけ。男たちはともかくも女たちのほうが扱いに頭を抱えている。ミーアならどうするか。
  真新しいブルージーンに赤いセーター。ミーアもまた見違えるほどすっきりした女に変身していた。ミーアは、正座をして見上げる牝豚の前にしゃがみ込む。
 「私もこうだったのよ、マダムを見上げてただ一心にお情けを求めていた」
  牝豚が眸をわずかに大きくして見つめている。
 「私はマゾ。二十二ですけどバージンなのよ。マダムというか女王様に躾けられていた奴隷です。白くて綺麗な乳房ね、羨ましい」

  そう言いながら両手をのばし、二つの豊かな乳首をつまむとそっとコネてやるミーア。
 「こうされると気持ちいいよね、嬉しいよね」
  牝豚がかすかだったがこくりとうなずく。
 「生涯おまえは囚人としての責めからは逃れられない。ほうら、こうして爪を立てていく」
 「むぅ!」
 「ふふふ痛い痛い。でもね牝豚、こう言いなさない、気持ちいい、もっとください。さあ言ってごらん」
  両方の乳首にギリギリと爪が食い込みコネられる。
 「むぐぐ、はい、気持ちいいです、もっとください」
 「あら、もっと? こうかしら?」
  さらに力が込められて、乳首がひねり潰されていく。
 「ぐぎぎ、むぐぐ、気持ちいいです、もっとください」
 「うんうん、いい子よ、よしよし、よく言ったわね」
  指先から力が抜けて、ふたたびそっとコネられる。
 「あ、あぁ、むぅン」
 「ほうら甘い声になってきた。頑張ったご褒美なのよ、わかるでしょ」
 「はい」
 「私はミーア」
 「はいミーア様」
 「それだけ? ありがとうございますは?」
 「はい、ありがとうございますミーア様」
 「よろしい、いい子ね牝豚。痛みも屈辱も与えられる何もかもがおまえを浄化していくものなの。耐えて耐えて泣いて泣いて、いつか抱いてもらえることだけを希望として頑張るの。わかった?」
 「はいミーア様、ありがとうございます」
 「ほら言える。感謝の言葉をいつも心に持っていないと責めは拷問でしかないものよ。主が男性ならば犯されることは最高のご褒美なんですものね」
  そう言って、ミーアは牝豚の裸身をそっと抱き、白い背中に両手の爪を立てて引っ掻くようにする。
 「あーっ! 痛いぃ、じゃなくて気持ちいいですミーア様」
 「よろしい、それでいいの。責めてもらえることがどれほどの幸せか。放置されて誰にもかまってもらえない孤独がどういうものか。これからはよく考えて、ただし媚びてはダメですよ、媚びはいやらしい。わかりましたね」
 「はいミーア様、ありがとうございます」
 「そうそう、いい子だわ、よしよし」

  そう言われて今度こそそっと抱かれ、ミーアの肩越しに留美やジョアンを見つめる牝豚の眸に見る間に涙が浮いてくる。
 「嬉しいみたい」
 「そうですね、いい顔してる。はじめて見た貌だわ」
 「うむ。甘いとは思うけどさ、でもダメだわ、わからなくなっちゃった」
  留美はジョアンの背をちょっと叩いて背を向けた。
  そして戸口へ歩いて行くと、アルミのドアが少しだけ開いていて、光の漏れる薄闇の中にコネッサの眸が見えた。
 「悪いけど覗き見させてもらったよ」
  留美はうなずいてコネッサの腰を押し、足を前へと踏み出した。
  留美は言った。
 「やさしいんだからコネッサも」
 「そうじゃねえよ、誰が・・ちぇっ。けど、あんなふうに悦びを見つけてくれるんだったら、あたしらの責め方も変わってくるさ。あたしだって人間なんだよ」
  内心辛くてならない。あしざまに言う者ほど、辛くて、その裏返しにひどい言葉を吐くものだろうと留美は思い、そのとたん、わけのわからない性欲に取り憑かれてしまうのだった。
 「このままお部屋へ。抱いてコネッサ」

  静かな邸内にかすかだったが女たちのイキ喘ぐ風が流れていた。

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人間らしさ(十五話)


  シャワーを浴びて服を着替える。それだけのことに時間をついやし、ジョアンが戻ったのは小一時間後だった。中途半端に長くバサバサだった黒髪がショートボブに整えられて、化粧まではともかくも見違える娘になっている。そのとき店にいたのはマルグリット、バート、そして留美の三人だった。
  ジョアンは気恥ずかしいのかマットに背を押されてはにかみながら現れた。真新しいブルージーンズに子犬がプリントされた厚手のトレーナーがよく似合う。
  際立って美しいマルグリットが大袈裟に眉を上げて言った。
 「あら可愛い、髪までちゃんとしてもらって」
  ジョアンは明るく笑った。あのときのアニタのように、ようやく見つけた安住の地で心がほどけていたようだ。
 「コネッサさんが切ってくれました」
  バートはチラと新入りへ眸をやると、ちょっと笑って留美を見た。
 「そういう女だよコネッサは。ルックスはともかくだが、やさしいさ」
  その小声に留美はうなずく。しかしバートが。
 「だがなボス、それだけじゃいけねえぜ。その昔の世の中ならよかったものも、いまでは違う。我らは山賊よ。町に暮らすもいいが調子が狂っちまう」
  そう言うバートの気持ちもよくわかる。適度の野生がないと人は心が弱くなる。
  留美は言う。
 「洞穴の暮らしもいいと思うよ、山賊らしくて。その昔、日本には武田信玄という武将がいた」

 「ほう、武将?」
 「知将として知られ、赤備えと恐れられた戦国時代最強の軍を率いていた」
  そういう話は皆にとって新鮮だった。LOWER社会では民族が入り乱れ、生きていくのに必死で懐古している余裕はない。
  留美は言った。
 「配下の武将どもを集めて言ったそうよ。わしが他国を侵略するは、わしのためであってそなたらのためではない。しかしわしが潤えば、すなわちそれはそなたらが潤うことでもあるだろうと」
  バートはうなずく。
 「うむ、なるほどね。俺たちは俺たちのために襲うが、結果として皆のためになっているというわけかい」
  留美は言った。
 「まさにそうだと思うのよ。亮もきっとそうしてやってきた。町に暮らすからといって牙を抜かれるわけじゃない」
  キラキラした眸でキラキラとした眸のジョアンに微笑み、留美は亮への回想を振り切るように意識を現実へと引き戻す。
 「おいでジョアン、紹介するわ、化け物バート」
 「おいおい、化け物だけ余計だぜ」
  日本女性の留美と並んで座るバートは大きい。腿など女のウエストほどもあり、冬だというのにワークシャツから袖を毟り取ったようなものを来て、大胸筋が固く張って隆起している。ジョアンはおそるおそるバートに近づき、そうするとバートは座っているのに背丈がほとんど違わない。
  ジョアンはちょっと膝を折って頭を下げた。

 「ジョアンです、十九歳、ボスに拾っていただきました」
 「おぅ、よろしくな。ここでは女はみんなのものよ、そのつもりでいるんだな。聞いたように我らは山賊」
  ジョアンは笑う。童顔で目の丸い少女。東洋系の娘は子供に見える。
 「おめえ、どうしてここに? 何があった?」
 「はい、ずっと西に小さな村がありまして盗賊に襲われました。そのとき母は私を逃がそうとして殺されて、私は隣の家にあったスクーターで逃げたんですがガソリンがつきてしまって。もう半年になりますけどね。それで彷徨っていたら治安維持部隊のヒューゴという人に保護されて」
 「どうやって生きてきた?」
  バートの強い視線。ジョアンは同性の留美にチラと眸をやり、そして言った。
 「体を売ったり盗みをしたり、いろいろです」
 「いろいろとは?」
 「裕福な家で掃除とかして。でもそれだと結局情婦にされてしまうから」
  バートはちょっと笑う。
 「ここにいたってそうじゃねえか。男はどいつも獣だぜ。そんなところにどういうつもりで留まるのか」

  しかしジョアンは言ってのけた。
 「それは違います。ヒューゴさんにも聞きましたが、みなさんはお仲間だということで、あたしみたいな小娘がお仲間に入れていただくからには捧げる覚悟はできてます。あたしはボスを裏切れない」
  これには背後に突っ立つマットとマルグリットが視線を合わせて目を丸くしていた。十九歳の娘の言葉ではなかったし、それだけ必死に生きてきた証のようなもの。そしてこのとき留美は、ガレージの人豚の世話をさせてみようと考えていた。凶賊に恨みのある娘。しかしそれは直接的なものではないだろう。
  バートは、ジョアンの背後に突っ立つマットへ眸をやった。
 「それで小僧が世話役かい? ふっふっふ、わかったぜジョアン、なかなか可愛い女じゃねえか。さて俺はもう一働き」
  ルッツの店の裏の裏の草っ原を男たちは拓いている。
  バートは立ち上がりざまに留美の肩に手をやって、まるで当然のように唇を重ねていく。
  バートが去っていく後ろ姿を留美はちょっと睨みつけた。
 「バートが実質のボスだよジョアン。私だってみんなの女のつもりだからね」
 「はい! どうかよろしくお願いします」

  と、そこへ、店に並べる男物の服を両手に抱えたキャリーと、雑貨物をボール箱ごと抱えたコネッサがやってくる。コネッサの姿を見るとジョアンは一際笑ってこくりと頭を下げるのだった。
  留美が言う。
 「コネッサは店長、キャリーとマルグリットでお店をみている」
  ジョアンはまた東洋式に頭を下げたが、留美はちょっと考えて、ジョアン、それに若いマットをガレージへと連れ出した。
  大陸仕様の大きなクルマが二台横に並ぶガレージには、正面のシャッターのほかに横にアルミのドアがついている。ドアを開けて踏み込むと、駐車スペースの奥側にあるH鋼の柱の下に太いチェーンをリード代わりに牝豚がつながれている。ボルト固定のステンレスの首輪。コンクリートのフロアに捨ててもいいような毛布が敷かれ、冬のいま厚手のロングワンピースを着せられて、さらに薄汚い毛布にくるまる。捕らえられてからの数日で牝豚の眸は死んだ。感情さえないどろんとした眸。疲れ切った体を投げ出していたのだが、ボスの気配に起き出して身を丸めて小さくなる。

  ジョアンは残酷な景色を見せつけられて呆然としていた。ちょっと間違えば私だってこうされていたはずだ。性奴隷が売り買いされていることぐらいは知っている。
  二人を引き連れて歩み寄った留美は、寒さと恐怖に震える牝豚を見下ろしてジョアンに告げた。
 「タイパンと名乗った凶賊のボスだよ。この店にはルッツという人がいて、おまえのように転がり込んだアニタと言う黒人女性と仲良くしていた。タイパンに襲われてルッツはハチの巣、アニタはなぶり殺し。私たちのボスだった人もこいつらとの戦いで殺されたんだ」
  マットが言った。
 「ぶっ殺してやってもいいんだが、ボスが生かすと決めたんだ」
  留美が言う。
 「死ぬのは一瞬。それではとても許せない。生涯をかけた極刑なんだよ。牝豚人豚、こんな女に名などいらない。徹底した性奴隷。もがき苦しませてそれでも生かす」
 「はい」と小声で応えたまま、ジョアンは、眉毛さえない、けれど美しい白人の女を見つめていた。
  留美が言う。
 「向こうから逃げ込む者が増えている。LOWER社会を野蛮なものにしておきたい。こいつはHIGHLY、じかに手を下して荒らし回ったというわけなんだ」
  牝豚はどろんと濁る視線を下に向けたまま声もない。
 「さてそこで。ジョアンとそれにマット」
 「あ、へい?」
  マットがとぼけた声で返事をする。
 「二人に牝豚の世話を任せようと思うんだ」
  ジョアンがとっさにマットを見つめた。
  留美は言う。
 「餌をやって、汚物の処理もあれば体を洗ってやったりもしなくちゃならない。病気にさせても面倒だからね。いいかいマット、ジョアンが飼育係だよ。マットはそれを手伝って」
 「へい、それはいいすけど」
  いきなり辛い役目ですぜ・・とでも言いたげな面色だった。
 「ジョアン」
 「はい、ボス?」
 「あくまで厳格に、情けはいらない。ちょっとでも抗ったら拷問してやっていいからね。くどいようだけど言っておく。これは極刑だということよ」
  それだけを言い残すと、留美はマットの尻をぽんと叩いてガレージを出ていった。

  マットがちょっとジョアンの背を突っついた。ジョアンはこの役目の意味を察した。凶賊への恨みはあっても私なら直接的な被害者ではない。
  ジョアンは、あまりにも残酷な姿をじっと見つめ、しばらく見据えながら考えて、そして牝豚の前にしゃがみ込む。
 「ボスのお心がわかるかい? この中であたしだけがタイパンとは無関係。さらにあたしだって拾われた女でね、餓死してもおかしくない身の上だったんだ。あたしたちが最後の希望なんだよ、わかったね?」
  しかし牝豚はうなずきもしなかった。心が壊れて感情が失せている。
  返事ぐらいしろとマットが声を荒らげたが、ジョアンは手で制して黙らせた。
  そしてジョアンは、髪の毛のない頭にまである打撲の傷をそっと撫でた。そのとき肌に触れられたことで恐怖が蘇ったのか、牝豚は身をさらに縮めて顔を振ってイヤイヤをする。すがるような眸の色が痛々しい。
 「餌は日に一度。そのほか水だけ」
  マットの声に顔を上げて微笑んでジョアンが言った。
 「だったら牝豚さん、あたしの情が動けばパンの切れ端ぐらいは喰えるだろうし、マットの情が動けば飲み残しのジュースぐらいは飲めるかも知れない。わかったら返事なさい」
 「はい」
  まっすぐ見つめる静かな返事。
 「うん、それでいい」
  このときマットは驚いてジョアンの横顔を覗いていた。若い自分よりもさらに若い小娘だと思っていたらそうではなかった。あのときの留美に似ている。とっさにマットはそう感じた。女は凄い。女の中にある母の心にはとても勝てないと感じていた。

 「甘いんだよボスは。ちぇっ、これであたしら手が出せなくなっちゃったじゃないか」
  店に戻った留美に向かってコネッサが嫌味を言う。嫌味なのだが内心ほっとしたというように微笑んでいる。
  キャリーが言った。
 「それだけじゃないでしょ。マットはあの子にホの字だわ。若者同士がくっつくように。そうよねボス?」
 「なるほどね、さすがだよ、お見それいたしやしたっと。ふふふ」
  そうコネッサが笑って言って、留美は応じた。
 「それもこれも二の次だと思うのよ。ジョアンなりの仕事をやらないと」
  コネッサは声を上げて笑った。笑いながら、とても勝てないというように首を振って、店に商品を並べていく。
  ルッツタウンとも言える町の噂は近隣にひろがって、よその町からも客が来るようになっている。いまどき美女ばかりでやっている雑貨屋などあり得ない。ものめずらしくてやってきて、口伝てにさらにひろがり人を呼ぶ。
  しかしHIGHLYは、LOWER社会での勝手な移動を禁じていた。レジスタンス化するのを警戒して可能な限り分散させておきたいからだ。
  だから町や村が襲われることとなる。

  数日が飛ぶように過ぎていき、曇天の空の下、バートを先頭とする男たちにボスの留美まで加わって、荒れ野の岩陰に身を隠して待ち受ける。今年は暖冬らしい。風がぬるく、枯れ果ててもいいはずの下草にわずかだったが緑が残る。
  亮たちと暮らした洞穴にも近い場所。男たちにとっては知り尽くした景色であった。
  人買いどもの車列が来る。先頭に軍からの下げ渡しのオープンタイプの迷彩ジープ。それに時代物の護送車。クルマ二台でやってくる相手。
  こちらはいまだ怪我の癒えない男二人を町に残す、男七名、ボスが一人。オープンタイプのジープが二台に鉄箱の載った大型の軍用ジープ。留美は自動小銃というものをはじめて手にした。
  双眼鏡を覗くバートが言う。
 「ジープに三人、護送車に三人、うち一人は後ろで女を見てやがる。女は二人のようだがな。まだだ引きつけろ」
  岩陰の男たちは銃を構え、バートの号令を待っていた。道筋から二十メートルほど離れた岩の丘のくぼみ。留美はバートのそばにいて、はじめて触れる軍の銃を見よう見まねで構えてみる。
 「ふふふ、まるでオモチャだな。銃じゃなくてボスがだよ、可愛いぜボスちゃん」
 「うるさい化け物。これで打てる?」
 「おぅ、トリガーを引くだけよ。まあしかし弾が無駄になるだけで。ふっふっふ」
 「亮もこうやって撃ったの?」
 「そうだ。軍人でもねえのに先頭に立って戦った男だよ。さて無駄口はいい、そろそろだ」

  男たちの銃口が一斉に向けられる。人買いを殺すことではなく女二人を奪うこと。人買いそのものは見て見ぬ振りで違法ではない。皆殺しというわけでもなかったし、何より下手に打って女に当たっては話にならない。
 「よしボス、いまだ。ジープの運転席を狙え」
  バートは一発でいいから留美には撃たせておきたかった。戦闘というものを体験させたい。山賊のボスへの登竜門のようなもの。
  留美は狙うが銃には照準器などついてはいない。岩の上に銃を置き、息を整えて運転席のガラスを狙う。周囲の男たちは皆にやにやして見守っていた。
  ターン!
  留美が放った一弾が見事に運転席に命中し、ガラスに蜘蛛の巣が走った次の瞬間、血しぶきが飛び散ってフロントガラスが赤くなる。
 「おおう! やったじゃねえか!」
  男たちが驚いて歓声を上げ、それからは一斉射撃で威嚇。雨のように襲う銃弾に相手はろくに反撃もできないまま手を上げた。ものの五分でカタがつく。
  岩陰から躍り出て斜面を駆け下りる男たち。
 「おい逃げるぞ!」
 「そりゃないぜ、ボス!」
  オープンタイプのジープから飛び降りて走り去る二人。一人は若く、一人は明らかに中年。後ろにつけた護送車の中に手下と女二人を残したまま。
  これに怒ったのは留美だった。仲間を見殺しにするなど許せない。走り去る右の中年男に向けて、仁王立ちで銃を構える留美。バートも皆も見守った。
  その距離三十メートル、三十五メートル、相手は見る間に離れていく。

  ターン!

  右の男は脚を撃たれて転がって、それでも脚を引きずり逃げていく。弾はかろうじてかすっただけ。
  バートそのほか、こちらの男たちは舌を出して笑っていた。当たっただけでも奇跡に近い。
  これが留美が正真正銘ボスとなった瞬間だった。
  護送車から降り立ったのは三十前の男が一人と、東洋系そして黒人の娘が二人。女はどちらも囚人服。東洋系の女は二十代で投獄されたときに黒髪を中途半端に切られている。黒人のほうは背が高く、さらに若いと思われた。黒人特有の縮れたショートヘヤー。
  降り立った男が銃口に囲まれて膝をつく。汚れたジーンズ、ワークシャツに毛皮のベストを着込んでいた。
  巨体のバートがギラつく眸で見据えて言った。
 「女はもらうぞ、失せやがれ」
  しかし男が首を横に振って応じた。黒い髪と褐色の肌。汚らしい無精髭。ホルヘに似ていると留美は感じた。
  男はバートに向かって言うのだった。
 「失せろと言われても行くあてもねえんです。あんたらもしや、あのタイパンを殺ったって連中なんで?」
  残虐さで知られるタイパン。バートがチラと留美を横目に言う。
 「だってよボス、どうする?」
  小銃の銃口を降ろして歩み出た留美。男は眸を丸くした。
 「へ? ボスは女で?」
 「女で悪かったねクソ野郎」
 「あ、いや、すんません、そんなつもりじゃ。俺はその、喰えなくなって」
 「たいがいそうだよ。そんな中でも選ぶ仕事はあるはずだ。殺されたくなかったらとっとと失せるんだね」
  それでも男は、ただじっと留美を見つめた。
 「俺はカルロスって言いやす。国はブラジルだがメキシコ人だ。歳は二十九になりやす。助けてくれてって言うより仲間になりてえ。あのタイパンを殺ってくれた。すげえ連中がいるって評判になってまさぁ。タイパンなどクソ野郎もいいとこで」

  クソ野郎が何を言うかと留美は鼻で笑ったのだが、男の眸の色が輝いていると感じていた。仲間を三人失って男手が足りない。
 「喰えるだけでいいんだね? 真面目にやるかい?」
 「へいボス、何でもします、どうかお仲間に」
 「どんな悪さをしてきたんだ?」
 「いや、悪さっつうか、その、盗みとかそんなもんで誓って人は殺しちゃいねえです。アマゾンで獣を狩って生きてきた家のもんですから」
  留美はため息をつきながらも、それもいいかと考えていたし、バートもうなずいて任せるよとそのゴツい顔に書いてある。
 「わかった、しばらくは下っ端だよ。女たちを連れてクルマに乗りな」
  カルロスという新入りと、東洋系そして黒人の娘二人をクルマに向けて追いやると、バートや他の二人が留美を囲む。
 「立派なボスだぜ、山賊が似合ってやがる」
 「まったくだ、銃の扱いも見事でしたぜ」
  留美はバートをちょっと睨みつけて、そっぽを向き、男たちが眉を上げてにやにや笑う。

  その帰路だった。
  ルッツの町へのルート上に亮と暮らした洞穴の棲み家があった。皆で立ち寄った懐かしい場所。ここで犯されたときのことを留美は思い起こして見回した。もはや住めたものではなかったが、女たちが食い物を作った掘っ立て小屋も、洞穴の中の部屋として使っていた横穴もそのままで残っている。
  岩と緑に囲まれた土床の広場。周囲の景色が風を遮り、どうしたことかぽかぽかと暖かい。連れて来られた女二人は男たちに囲まれて立たされる。居並ぶと黒人の女が頭一つ背が高い。
  岩に座り込んで留美が言う。
 「あたしらは山賊だよ、救われたと思わないことだね。おまえたち次第。面倒なら捨てるからね」
  女二人はどちらも若く、それぞれに二十代だろうと思えたのだが、どちらもが怖くて震えている。
  あのときの私もそうだった。しかしここで甘い顔は見せられない。
 「二人とも囚人服なんか脱いで女に戻りな、パンティだけは許してやる」
  亮を想う一方で、今日を境に亮のことは忘れようと留美は思った。

  ところがそのとき、ひょろりと背の高い黒人の女が思いもしないことを言い出した。
 「言わせていただけますかボス?」
  留美はとっさに小首を傾げた。
 「いいよ、言ってごらん」
 「はい、ありがとうございます。わたくしはバネッサと申し二十二歳でございます」
  妙だと感じる。見た目に反する礼儀正しい言葉を使う。躾がいい。
 「わたくしは虐げられるのは好きですので脱ぐのはかまいませんが、一つだけ、どうしてもお願いがあるのです」
  何を言うのか、留美は目を細めて聞いていた。
 「じつはわたくしはビアンでマゾヒスト。親はスペイン系のカナダ人でしたが、早くに死に別れ、さるマダムに躾けられて育ちました。愛称はミーアと申します」
 「ミーア?」
 「はいボス。ひょろりと立ってきょとんとしているところがミーアキャットそっくりだということでマダムにつけていただいたお名前で。そのマダムが四十六歳で亡くなられ、残されたご家族がマダムをあしざまに言うもので、カッとして突き飛ばしてしまったのです。たいしたこともなかったのに傷害罪で投獄されて、つまりはご家族に捨てられたということで」
  留美は言った。
 「ちょっとお待ち。おまえはビアンでマゾ。つまりそのマダムの奴隷だった?」
 「はい、そうでございます。けれどもわたくしはマダムを心より敬愛しており、マダムへの誓いを破りたくはないのです。わたくしは女の方にのみ仕える性奴隷。決して男の人とは交わらないと誓いました。いつまでもとは申しません。マダムへの想いに整理がつくまで」

  留美は言った。
 「死んだマダムに、それでも忠誠をつくしたいと言うんだね?」
 「はいボス。その代わり女の人には奴隷です。どんなことでもいたしますし、厳しく躾けていただければ幸せなのです」
  よく躾けられた奴隷だと感じる。普通に考えれば混乱するだけなのだが、そこまで人を想える女心には心が動く。
 「ですからどうか、いましばらくの猶予をください。男の方々には申し訳ない気持ちはありますが、どうか」
  横からバートが言った。
 「女というならボスだけじゃねえ。寄ってたかって可愛がってくれるだろうぜ」
 「はい、それならわたくしは幸せでございます」
  バートが片眉を上げて留美を見て、留美は言った。
 「そのマダムはHIGHLYか? どこに住んでた?」
 「いえ、それは申せません、ご迷惑がおよびますので。マダムとの思い出を壊したくないのです」
  感心する。いまどき見定めた主にそこまでつくせる者はいないだろう。

 「やれやれ、また妙なのを抱え込んじまったぜ」
  男の誰かが小声で言った。

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 処断の重圧(十四話)


  M-13、つまり十三番目に月面に降りて埋められた超大型貨物宇宙船をそのまま居住区として用いた13号モジュールでの爆発事故の検証と、そのとき死んだ七十名にもおよぶ死体の処理を終えたという部下からの報告を毅然とした面色で受け、軍船を出たデトレフは、宇宙服のヘルメットのスモークガラス越しに青い地球を見上げながら奥歯を噛み締めていたのだった。
  月面都市の建設は順調に進んでいたのだがペースとしては遅れていた。さらに増員が進んで、いま月面におよそ四万人、うち四千人ほどが女性。計画当初はともかく、そうした人員のほとんどが志願して送られて来ている。物資と人員の輸送に用いられる超大型貨物宇宙船は、月面に降りるとすぐさま埋められて地下施設となるものであり、地球へ向かって飛び立てるのは、たった一隻の軍船のみ。地球へ戻る船がない。

  月面では宇宙服が裂けるだけで即座に死。居住空間は地下であり、地球にいるときのようにすがすがしい景色の中で背伸びをすることもできない。生命維持装置に頼る閉鎖的な生活で精神に異常をきたす者もいれば、地球へ戻せと暴力的になる者もいる。これは虐待だ。人道に反する。この地獄から抜け出たい。人々を扇動する者までが現れる始末。
  デトレフ中佐以下、百名の国連軍は、そうした反動分子を粛清するために送られている部隊。M-13を月の牢獄とする。月面にあってなお人を閉じ込めておく獄が必要となり、監視する者がいる。それがデトレフ。心が引き裂かれる痛みを伴う職務であった。

  そのM-13で謎の爆発事故が起きてしまった。月面上に向けて何か所か覗く半球形のガラスエリアが破壊され、投獄されていた全員が死亡。このとき空間管理システムが異常を感知して気密ハッチを閉じたことで他のモジュールへの被害はなかった。事故原因は謎。謎でなければならなかった。
  扇動する者を生かしてはおけない。発狂し何をしでかすか知れない者は除かなければならない。四万人の人員を守るため。デトレフはそうした落伍者を粛清しろと命じられた男である。

 「ちょっといいかな?」
 「もちろんよ、どうぞ」

  宇宙船を埋めた生存空間ではない、新たに完成した居住モジュールはMC=ムーンシティと名づけられ、その一号館であるMC1-L1がジョゼットの居室。Lはレディを意味している。
  そのときは眠る時刻となっていて、ジョゼットはソフトな紙でできたネグリジェの姿。下着も寝間着もすべてが紙の使い捨て。洗濯水を無駄にはできない。
  新たに完成した居住空間といっても部屋の広さは四畳半程度のもの。跳ね上げ式のシングルベッドは地球上でのシングルサイズまでに幅がひろがり、小さな丸テーブルと椅子が二脚、テレビ電話のモニタを兼ねる小さなテレビ、それに幅五十センチほどの申し訳程度のクローゼットがついている。

  ジョゼットは今日髪を切ったらしく、男のようなブロンドのショートヘヤー。しかしそれがまたよく似合い、知的な美を見せつけるようだった。
  ネグリジェ姿のジョゼットがベッドに座り、デトレフは小さな丸テーブルとセットにされた樹脂パイプの椅子に座った。シルバーメタリックトーンのスペーススーツの胸板に大胸筋が浮き立って逞しい。
 「ジュースあるわよ?」
 「いや、いまはいい、ありがとう」
  デトレフは話題を変えた。
 「弟の仇をとってくれたそうなんだが、その戦闘で亮というボスが死んだ。敵はタイパンと名乗り、そのボスはクイーンと呼ばれるHIGHLYの女だったそうだ」
 「HIGHLYの女?」
  ジョゼットの眸が曇る。
 「LOWER社会が落ち着いてきている。そっちが人間らしく暮らせそうだということで逃げ込むHIGHLY、WORKERが増えている」
 「なるほどね、LOWER社会を野蛮な世界にしておきたいってことかしら?」
 「そういうことだろうな。もはやなりふり構わずだよ。五十年後から逆算した秩序など暴力でしかない。しかし俺はHIGHLYの側にいる。たまらんよ助けてくれ」

  ジョゼットは察していた。M-13の事故は事故ではない。軍が動いたということだし、それを処断したのはデトレフなんだと。
  ジョゼットは言った。
 「だいぶ進んだけどまだまだよね。五百万規模からすると十パーセントもできてない。その間に亡くなったのはおよそ二百人。それに加えて七十人。狂気のプロジェクトなんですもの、やむを得ない犠牲だわ。月で秩序が乱れれば私たちは全滅する」
  デトレフは浅くうなずきながらチッとかすかに声を漏らして、そして言った。
 「タイパンのクイーンとやらと同じことをやってるよ」
 「違うわ、そうじゃない」
  小さな椅子に背を丸めるように座るデトレフに、ジョゼットは両手をひろげてベッドへ誘った。あの頃のシングルとは幅が違ってもデトレフは大きい。
  寄り添って横になり、ジョゼットは丸太のような腕枕。
 「治安維持部隊といっても要はレジスタンスの発生を食い止めるのが職務でね、向こうは西部劇だと留美は笑った」
 「それがボスの女だったんでしょ?」
 「若干二十六歳、日本人の娘さんだが、じつに気丈だ。人買いに下げ渡されたところを亮たちグループに救われて、しかし当初は性奴隷の扱いだった」
 「西部劇か。なんだか原点て感じがするわね」
 「まったくだ、まさに人の原点だよ。ところがその性奴隷の潔さに皆が打ちのめされていく。いまではボスだそうだ。『ボスの女』と『女のボス』ではまるで違うと言っていたがね」
 「それで? 捕らえたクイーンは処刑?」
 「いいや、そこがまた留美らしい判断でね。四十歳ほどの美しい白人なんだそうだが、その髪も体毛も眉毛まですべてを奪って性奴隷。拷問とレイプ。泣き叫んでいるそうだよ」
 「それでも殺さないと?」
 「そうしたいと言っていた。極限の中で人間らしい心がきっと生まれると言っていた。生涯奴隷、しかし奴隷はいつか可愛いペットになれるはずだと」

  ジョゼットは言う。
 「似てる。早苗そっくり」
 「そうだね、俺もそう思うよ。日本人の特質なのか悲劇の中でも笑うことを諦めない。二十六歳の小娘に頭が下がる思いがする。弟の奴はいい連中と出会ったものだと思ってね」
  タイパンのクイーンを捕らえてから三日ほどが過ぎた、月の地下の密室で、ジョゼットはデトレフのスペーススーツを剥ぎ取って、強い裸身に口づけた。
  バランスのいい筋肉の束にまたがって勃起を自ら埋めていく。
 「あぁぁデトレフ、感じるわ、あぁぁン」
 「綺麗だよジョゼット」
 「ンふ・・おぉう、デトレフ・・」

 「むおおう! ひぃぃ! もう嫌ぁぁ、助けて、狂っちゃうーっ!」
  乳白の牝豚の肌には凄惨な傷跡が浮き立っていた。美しい金髪も、金色の陰毛も、眉毛さえない白い肉豚。豊かな乳房にも、白桃のような尻にも、肉付きがよくてぶるぶる震えていた白い腿も幾分痩せて引き締まり、板やベルトや小枝で打たれた血のスジが幾重にも重なって、体を洗ってももらえずに、高貴な女は異臭を放つ無様な人豚へと降格した。
  この三日、与えられたのは水だけ。極限の空腹、極限の拷問と極限の快楽。牝豚はもはや正常な思考など吹き飛んだ性奴隷となり果てていたのだった。
  性器から垂れ流す精液と愛液と血が股間から下にバリバリの膜となって剥がれ落ち、さらに濡れて廃液のようにまつわりつく。
  血の涙とはこのこと。留美は、女たちに鞭打たれ男たちに犯され抜いて狂い吼える牝豚を見つめていた。

  アニタはこうして殺されたんだ。そう思うと怒りは失せない。
  後ろ手に縛り上げ、その手を引き上げて吊すと体が前のめりになって尻を突き出す姿となる。バートの大きな尻が傷だらけの白い牝尻に衝突し、背抱きに回した黒く太い指が、豊かな乳房の先の二つの乳首をヒネリ上げる。
 「ぐあぁーっ、ちぎれますーっ! もう嫌ぁぁーっ! どうか許してどうかぁーっ!」
 「やかましい! もっと尻を振らんかぁ!」
  乳房を揉み潰すバートの手。乳首をさらにひねられて円錐に引き伸ばされる無惨な乳房。牝豚はシャシャと間欠して失禁し、白目を剥いて崩れていくが、バートの怪力がそれを許さない。
 「ほうら、まだまだ!」
 「ぎゃわぁぁーっ! ああ死ぬぅーっ!」
 「いいのか! 死ぬほどいいのか!」
 「はいぃ、ああイクぅーっ! またイクぅーっ! ぐわぁぁーっ!」

  よがり狂う牝豚。女たちが歓声をあげて笑う。男たちが罵り笑う。
  バートが果てて、梁からの吊り縄が解かれると、牝豚は後ろ手に縛られたままガレージのコンクリートフロアに崩れ落ちた。乳房を揺らして胸を開いて呼吸する。しかしそれは虫の息。断末魔の一瞬手前の生存だった。
  留美は傍らにいるコネッサに目配せし、コネッサは昼食の残飯を赤いプラのボウルに詰めたものをフロアに置いた。もはや生ゴミ。
  留美は言った。
 「餌だよ餌、喰わないなら捨てるだけ」
  瀕死の牝豚はどろんと溶けた眸を向けて、死に損ないのイモ虫のように這いずって、覗き込む顎でボウルを倒してしまい、砂だらけの床に流れ出した残飯に向かって死に物狂いで口を開けた。
  留美は言う。
 「死にたいのに喰うのか?」
  牝豚は毛のない頭を横に振って涙を流した。
 「どうかどうか助けてください、おなかが空いて・・どうかお願いします、助けてください」
 「生きるのか? 生きたところで奴隷なんだよ。それでも生きるか?」
  牝豚は泣きながら幾度もうなずき、散らかった残飯に食らいつく。
  留美は浅くため息をつくと、嘲笑して見つめているコネッサに言った。
 「今日はもういい、死んでしまう。体を洗ってやって何か着るものを。これじゃ凍えちゃうよ」
 「そうだね、冬じゃなければ裸なんだが、殺しちまっちゃ楽しめない。けど許したりはしないからね」
  留美は微笑んでコネッサの肩に手を置いて椅子を離れた。

  そしてルッツの店を覗いてみると、そのときキャリーがおばさん二人の相手をしていて、若いマットが棚に商品を並べていた。丸いテーブルを二つ並べたカフェスペースはマルグリットの担当だったが、そのテーブルの一つに茶色の迷彩服を着たヒューゴが来ていて、みすぼらしい姿の小柄な娘を連れている。
  店の奥から顔を覗かせた留美にマルグリットが言った。
 「ああボス、いま呼びに行こうかと思ったところなんですけど」
  それでテーブルを見るとヒューゴの席に飲み物が出ていない。ちょうどいま着いたばかり。ガラス越しの店の前に茶色の迷彩を施した装甲ジープが停められてあった。
  美しいマルグリットがボスと呼んだ。あえてそう言ったのだったが、ヒューゴは眸を丸くする。
 「君がボスか?」
 「留美です。そういうことにされちゃった」
 「そうか留美か。亮からちらっと聞かされたが、うむ君か」
  ヒューゴとは初対面。シロクマのような男だったが、さて一緒の娘は何者?
  東洋系の少女といった感じだった。
 「マルグリット、私にも珈琲を」
 「はい、ボス」
 「ちょっとやめてよ、それ。意地悪なんだから、どいつもこいつも」
  これには店にいた皆が笑う。町の者たちにも跡目を継いだ女として知られていたからだ。

  このとき留美はブルージーンズに薄手のモヘヤのセーターだった。ヒューゴの正面に座ると、ヒューゴが言った。
 「亮のこと残念だったぜ、いいダチだったんだが」
  無責任に何を言うかとは思ったもののヒューゴにも立場があってやむを得ず。ここで何かを言ってもしかたがないと留美は思った。
 「それで、その子は?」
  ヒューゴは大袈裟に両手をひろげて眉を上げ、首を傾げる素振りをする。
 「拾ったのさ。ここへの途中、ふらふら歩いてやがったんだ。呼び止めたら逃げようとしやがって、とっ捕まえて連れてきた。名はジョアン」
 「ジョアン?」
  と言って娘を見ると、娘はちょっとうなずいて小声で言う。
 「フィリピンでした」
  同じ東洋系の女に出会って安心したのかも知れなかった。
  ジョアンはジーンズに黒の革ジャン姿だったのだが、全身古着といったイメージで、まるですっぴん。眸の丸い童顔の娘であった。
  そのときマルグリットが珈琲を三つ置いて去る。

  さっそくカップに大きな手をのばしながら、ヒューゴが言った。
 「皆目わからんのだ、歳は十九と言うだけで何を訊いてもダンマリなのでね。まあ知れてら。行くあてもねえんだろうぜ。そいで俺が、レイプ三昧を覚悟するならいいところを知ってるぜって言うとよ」
  留美が苦笑してそっぽを向いた。
 「レイプ三昧はよかったわ、確かにそうだけど」
  ヒューゴはにやりと笑って言う。
 「それでもいいから、二日ほど喰ってねえって言うもんで」
  留美は即座にマルグリットを振り向いて何か食べるものをと言った。カフェは試しの開店で、まだ食べ物はメニューになく、トーストぐらいしかできないのだったが。
  ヒューゴが言った。
 「例によって自動小銃と弾、それにファイティングナイフを置いていくぜ。近々また人買いどもがやってくるから教えてやらあ」
  乳児との交換があるということだ。
  そしてヒューゴは席を立つ。座っていると真上を見上げるほどヒューゴは大きい。しかし笑顔が子供っぽい。
 「ルッツに続いて亮までも。やってらんねえ、ダチがどんどんいなくなる。じゃあなボスさんよ」
  留美はちょっと小首を傾げて見送った。

  厚切りトースト二枚に目玉焼き。ジョアンはガツガツ食らいつく。
 「置いてくれるんですか?」
 「何でもする?」
 「何でもします。ママが殺されて彷徨ってました」
 「いつ頃の話?」
 「もう半年。体でお金をつくって食いつないだ。盗みもしたし」
 「ここにいたって似たようなもんだけどね」
 「聞きました山賊だって。山賊だけどまともな連中だって。助けてボス、どんなことでもしますから」
  暗澹たる気分になってくる。山賊野盗のたぐいがそこらじゅうにいて、若い娘をかっさらっては売り飛ばす。

  それでそのとき、留美がふと眸をやると若いマットがチラチラ見ていて気にしている。助けてやってよボス、可愛いじゃん・・そう顔に書いてある。
 「マット、おいで」
 「はいボス。へへへ」
 「へへへじゃない、しゃんとなさい」
  歩み寄ったマットは横からジョアンを覗き込む。ジョアンは童顔で愛らしい娘だったのだが、いかんせん汚いし臭かった。あのときのアニタそっくり。
  留美は言う。
 「こいつはマットさ、いちばん若い子だよ」
  ジョアンはこくりと頭を下げて、ちょっとはにかむ。マットにちょうどいいと留美は思った。
 「わかったよ。店にあるものでいいから下着から何もかもを選ぶがいいわ」
  それからマットに言う。
 「面倒をみてやりな。シャワーさせてさっぱりね」
 「へい! なんなら洗ってやりますけれど」
 「勝手にせい。 ったくもう、どいつもこいつも・・」
  マルグリットもキャリーも、たまたまた居合わせたおばさんまでも、そしてそれよりジョアン本人が笑っている。

  とりあえず下着と服を選ばせて、ジョアンとマットが寄り添うように奥へと消え、たまたま居合わせたおばさんの一人、マリーと言う名の黒人の女だったのだが、
マリーが言った。
 「ここの連中がそこらを開拓しはじめて、あたしらみんなで言ってたんだ。これできっといい町になるよってね。近代的な原始人の暮らしだよ。でもそれにしたって歓迎なんだよ町の者は。よろしくねボス」
 「おばさんまでよしてください、もうっ」
  おばさん二人が顔を見合わせてケタケタ笑った。
 「どうしてどうして立派なボスだよ。これもみんなルッツのおかげさ。寂しいねぇ、これでルッツとアニタがいてくりゃぁさ」
  涙ぐむマリー。
  留美はこれでいいと思うしかなかった。
  おばさん二人が買い物をすませて出て行って、そんな姿を見送りながらキャリーが言った。
 「下げ渡しみたいだね。どうするつもり?」
 「亮ならどうするか。行くよ。人買いどもは許せない」
  マルグリットは言った。
 「クイーンはどうなった?」
  留美は振り向いてちょっと笑った。
 「残飯にむしゃぶりついた。助けてくださいって言ったわよ。だけどまだまだ。皆がもういいと思うまでは地獄でしょうね」

 「ちぇっ、やさしいんだよボスは」
  と苦笑しながらコネッサがやってくる。
 「バケツの湯で洗ってやって服を着せたらおんおん泣いてた。わかるんだ、ヤツだって命じられてやったこと。わかるんだけど許せない。あたしは自分が嫌になるよ、なんてひどい女だろうと、泣きたくなるのはこっちでね」
  留美は言った。
 「それでいいんじゃない。地獄はまだまだ。生きるなら服従あるのみ。奴隷として生きていく。それが悦びに変わるまでは私だって許せない」
  マルグリットもキャリーも、手元を見たまま視線を合わせず、小さくうなずいていたのだった。

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 逆転する言葉(十三話)


 「これで弟の奴もうかばれるだろう。亮という男には会ってみたいものだったが」

  デトレフからのコールは、その翌日の早朝のことだった。ルッツの声を思い出すように無線機から流れるそっくり同じ兄の声を聴いている。
 「じつは私、ボスの女だったんです。亮という人は山賊のボスだったの」
 「ほう山賊・・そうなのか?」
 「私は人買いに下げ渡された女なんです。面倒なことがあるとLOWER社会に堕として切り捨てる。若い女なら人買いに下げ渡されたり行き先なんて決まってます。亮はそういうことの許せない人だった。人買いや盗賊や悪い輩だけを襲うんです。人買いから解放されたといっても男たちに共有される女には違いない。だけどそのうちレイプはレイプでなくなって、奴隷ではない不思議な自分に変わっていくの。まるで獣ね、牡の群れに引き込まれて一族のようにされていく。亮とのことにしたって愛かと言われると違うと思うし」

  デトレフはすぐには応えず間を空けた。
 「弟の奴が言ってたものだよ、LOWERこそ人間らしいって。それとは形は違っても月だってそんなようなものだから。極限の中で人は本質に還っていくんだろうね」
  やさしい言葉を探してくれたと留美は感じた。
 「そうだと思います。デトレフさんとお話してると、なんか落ち着くな。どんなことでも話せそう。じつはいま戸惑ってることがあるんです」
 「どういうことだね?」
 「次のボスをどうするか。これまで通りにやっていくのか。ボスの女はすなわちボスさって言われてて、だけど『ボスの女』と『女のボス』は言葉が逆転しただけじゃすまないもん。タイパンのボスをつないであります。どうするかを決めなければならなくなるし」

  留美はデスクに置かれた黒い無線機を見つめていた。機械の中にルッツの兄がいてくれて導いてくれるかも。そんな気がしてならなかった。
 「継ぐ者がいないのかな?」
 「いいえ、それはいますけど、引き継ぐ前に私が決めようと思ってて。亮の意思それにルッツさんの意思を受け継がないと意味がないでしょ。タイパンのボスの処遇にしても、戦って傷を負った人たちになお背負わせたくないんです。人を裁くのは怖いわ」
 「ふうむ、いやいや、さすがだと思うね。君なら言葉を逆転するだけで充分やっていけるだろう。ボスというものは自分で決めることじゃない。仲間たちの意思で決まり、だから仲間たちは従うもの」
 「あ、すみません長々と。電話じゃないんだわコレ」
 「うむ。また連絡する」
 「はい、きっとよ」

  独りになれる地下を出ると、気怠い一日がはじまる予感。今朝は空がすぐれない。嫌な雲が覆っている。ほとんどの男たち、それにコネッサは疲れ切って眠っていた。
  昨夜遅くに皆が戻り、それから留美はほとんど眠れず夜をすごした。女たちは皆ほとんど眠れず夜をすごした。亮が死んだことを処理できない。
  キッチンへまわるとマルグリットとキャリーの二人が起き出していて、朝食の支度にかかる前にテーブルについて珈琲を飲んでいた。
  キャリーが言う。
 「珈琲あるよ」
 「うん、もらう。眠れなかった」
 「私たちもよ。辛いね留美も」
 「ちょっとね」
  マグカップの珈琲を持って椅子を引いて座ると、隣りにいたマルグリットが背中をそっと撫でてくれる。

  留美は言った。
 「あの女はおとなしくしてる?」
  それにはキャリーが応じた。
 「ガレージにつないである。おとなしいもなにも毛布に丸まって寝てるさ」
  ふと時計を見ると七時前。留美はちょっと笑うとマグカップを両手にくるんで目を伏せた。
 「そこまでが役目かなって思うのよ」
  二人は留美の姿へ眸をやった。
 「あの女をどうするか。こんなことになってなおバートやコネッサを苦しめたくはないからね。背負うのは私。怖いけど」
  キャリーが言う。
 「そうだね怖い。だからこそそれを背負えるのがボスというものなんじゃないかしら。バートは留美を試してるよ」
 「わかってる、意地悪な男だよ。バートだけじゃなく次をどうするって皆それぞれに探り合ってる。この状況はよくないわ。せっかくこうして落ち着けたのに揺れてしまう」
  ナンバーツーはバート。それが暗黙の了解だった。そのバートがボスは留美だとあえて言う。
  マルグリットは言った。
 「アイラブユーだわ。私にはそう聞こえた。俺もそうだが皆が愛するに値する女になれ。そういうことだと感じたもん」
 「期待してるのよバートは。亮の後を誰に任せればうまくいくか」
  キャリーの言うことも留美にはもちろん見通せていた。

  ルッツの店がふたたび開いた。ルッツの店という看板を掲げたまま。そのとき若いマットとキャリーで店番。男たちの二人は銃創がひどく寝かせたまま。
  そのほか皆がシャッターを閉ざしたガレージに集まった。男六人、女が六人。ガレージは天井の高い鉄骨造りでクルマ二台が横に並ぶ広さがあった。
  その中に亮がいない。皆はそれぞれ口を開こうとはしていない。
  タイパンのクイーンと呼ばれた女ボスは、下着さえも剥ぎ取られた乳白の裸身を晒して正座。首にはボルト固定のステンレスの首輪。後ろ手に手錠。若いとは言えなくても引き締まったいい体。乳房もふっくら張って垂れてはいない。長い金髪。陰毛も産毛までもが金色に輝いて白い肌に映えている。
  女の裸身を一目見て、四十ほどかと思われる歳になって、あってしかるべき妊娠線のないことを留美は見切っていた。
  男女が入り乱れて囲んで座る。男たち野獣の眸がギラギラしている。コネッサはじめ女たちの面色が違う意味でギラギラしている。そして裸にされたこの状況でギラギラしているクイーンの眼差し。
  取り囲む輪の頂点に、パイプ椅子に座る留美がいた。

 「地獄を見せてやってもいいんだよ。心して応えるように」
  女は声を発しない。
 「名も歳も、そんなことはどうでもいい。おまえはHIGHLYだね?」
  女はかすかなせせら笑いを浮かべて言った。
 「それを訊いてどうする。ここにいるたったこれだけの人数でHIGHLYを襲うか。皆殺しにされるだけ。そうなればおまえたちだけじゃない。刃向かえばこうなるぞと見せしめに徹底的に抹殺されることになる。LOWER社会がどうもよさそうだでは困る。逃げ出す者たちが増えているからね」
  マルグリットは、とりわけその意味を噛み締めていた。確かにそう聞く。システム化されすぎたがんじがらめのHIGHLY社会と、その奴隷のようなWORKERに背を向けてLOWER社会に飛び込む者たちが増えている。LOWERなどはクズ。粗野で乱暴な世界だぞと刷り込んでおきたいということだ。
  留美は言った。
 「それだけのことなのか。HIGHLYどもの薄汚い思惑で」
 「どうなりと言うがいいさ。そうやってレジスタンスでも生まれ、この上まだ殺戮が続けばどうなるか。人類の危機なんだ」
 「それだけのために無関係な人々を犠牲にしてまで・・もういい」
 「ふんっ、わかったなら殺せ。こんな時代に未練はないね」
  留美は話にならないと首を振った。

  そのときバートは横目に留美を見つめていた。
  留美は言った。
 「殺さない」
  皆が一斉に留美へと視線を流している。
 「嬲って嬲って嬲り尽くし、血の涙を流してどうか助けてとすがりつくまで許さない。飢えて飢えて草でもいいから喰わせてとすがるまで許さない。その綺麗な髪の毛も陰毛も眉毛もいらない。おまえなど蠢く肉豚だ。さあみんな、どうにでもしてやるんだねと言うのは簡単さ。誰か立たせな」
 「おぉぅ!」
  男たちが寄ってたかり、引っこ抜くように立たせると、肉豚は首輪にロープをかけられて鉄骨造りのH鋼の横の梁に首輪で吊られる。両手は後ろ手錠のまま。顔だけを傾けて裸身は伸びきり、豊かな乳房がたわたわ揺れた。その歳とは思えない見事なプロポーション。

  椅子を立って笑うわけでもなく、その手に細身で長い板切れを持って歩み寄る留美。そんな留美の姿をバートは眸を細めて見つめている。
 「綺麗な体もおしまいだね。死にたければ垂れ下がれば絞首刑。見事に死んでみることだ」
  バシーッ!
 「きゃぁーっ!」
  振り上げた板切れが白い尻に炸裂した。渾身の力。一撃で尻が赤くなり、見る間に青くなってくる。
  バシーッ!
 「ぎゃぅーっ! 殺せぇーっ! 殺せぇーっ!」
 「まだ言うか馬鹿女!」
  留美は右の拳で肉豚の頬をぶん殴る。ゴツと骨に響く音がした。
 「さあ、いいよ、どうにでもしてやるんだね」
 「ああ嫌ぁぁーっ! 嫌よぉぉーっ!」
  留美が退くと男たちより先にコネッサが大きなハサミを手にして踏み込んだ。
 「あきゃぁぁーっ!」
  ザクザクの断髪。そんな悲鳴に留美は背を向け、その場を去った。
  遅れてマルグリットが後を追い、さらに遅れてバートが背に歩み寄り、留美のヒップをぽんと叩く。
  振り向いてちょっと睨む留美。ちょっと笑うバートとマルグリット。
  留美は言った。
 「山賊は続けるし、ルッツの店って名前も変えない」
  バートは間際まで歩み寄ると留美の両肩に大きな手を置いて眸を見つめた。
 「よろしく頼むぜボス」
 「ちぇっ、意地悪な男だよ」
  消えてしまった亮の面影を追うように留美は涙ぐんでいた。

  男の数が減ったことで部屋に余裕ができている。
  その日の夜は留美は独りでいたくなり、元はアニタの部屋だったところにこもっていた。夕食を終えてシャワーも済ませ、ルッツの店で仕入れた薄いブルーのネグリジェ姿。シースルー。明かりをベッドサイドのライトスタンドに切り替えてベッドに寝そべり、ぼんやり虚空を見上げていた。
  コツコツと控え目なノックの音。
 「ノックなんていらない、入って」
  相手は女だと思っていた。ところが若いマットが顔を出す。透けるネグリジェでほとんど半裸の留美を見て、マットは背を向けてしまうのだった。
 「おい馬鹿野郎、どれだけ女を犯したんだよ、いまさらなんだい」
 「いや、その、店の相談をしようと思って」
 「お店の?」
 「仕入れとかもあるしシフトとか、なんとなくじゃなくちゃんとやったほうがいいかって姉さんたちと話してて、じゃあおまえが訊いて来いって」

  ははぁ、マットに対してまんざらでもないことを察していて、慰めようとしたんだわ・・留美はちょっと笑ってしまった。
 「仕入れについては、女周りのものは女たちに任せるとして、それ以外をマットがまとめな」
 「あ、ええ、それでいいなら」
 「おいマット、こっち向け。ふふふ、もう可愛いんだから」
  振り向いて、はにかむような上目使いで歩み寄るマット。留美は身をずらしてベッドに座るよう、クッションを叩く仕草で言う。
  留美はボスの女とされていて、バートやホルヘとの関係はあったものの、そう言えばマットとそうなったことがない。格上の男たちの女には手が出せない・・ということでもなさそうだった。

  マットが座ると留美は言う。
 「はっきりして、私が欲しい?」
 「ぶっ。バートにぶっ殺されますぜ、なんてのは冗談で、姉さんのことボスだと思ってますから」
 「いい迷惑だわよ、気にしないで脱いでおいで。今夜は一緒に寝てちょうだい」
  マットは向こうを向いてちょっとうなずき、一度立ってトランクスまでを脱ぎ去って、先にベッドに潜り込んだ留美の横へと寄り添った。
 「まったく、すでにピンコなんだもん。あーあ、私もどうかしちゃったなぁ。平気で触れるようになっちゃった」
 「姉さんのこと好きでした」
  思いもしない静かな声。留美は大袈裟に眉を上げてマットを見つめた。
 「嬉しいよマット。それで、どうするってお店?」
 「はい、店長はどうするってなったとき皆はボスだって言うんですが」
 「それはよくない。分配しないと」
 「そうなんですよ、俺もそう思うからみんなに言ったんです、順繰りにやったらどうかって。最初はコネッサがいいかと思うんで」
 「それでいいわ、考えてるんだね意外に」
 「まあそれなりに。服についちゃ男物でも姉さんたちに任せておいて、男はほら工具だとかそっちを見てればいいのかなって。それとカフェです」
 「カフェ? お店でカフェも?」
 「せっかくガラス張りなんだし、町の人たちも遊びに来られるかなってキャリーが言って」
 「いいわね、あのときもそうだった」
  キャリーもそう思って言ったことだろうと留美は感じた。

 「あのときって?」
 「アニタがお店に来たときよ。カフェでもあれば入りやすいでしょ。全権一任だわマット君、思うままにやってごらん」
 「わかりました。じゃあ店長はコネッサ、カフェはマルグリット、なんて言いながら結局寄ってたかってやるんでしょうけどね、へへへ。だったら男どもは畑でもやるかって言ったらバートが笑って言うんすよ、山賊はどうするって」
 「ふふふ、それ言える。でもね、昔の日本には忍者ってものがあり、忍びの里では田畑をやるのが普通だった。そう思うなら町の開拓。土地をひろげたり、道を直したり、できることはあるんじゃないかしら。ルッツのいた町はこんなに立派になりましたってデトレフに見せつけてやりたいよ」
 「あの無線の人ですよね?」
 「そうそう、月面都市をつくってるお兄さん」
 「すげーな、信じられねえ、マジだもんなぁ」
 「兄弟揃って男の中の男だわ。あなたとは違います。ふふふ、抱いてマット」
  石器時代を思わせる洞穴での暮らし。ここでは違う。ベッドに寄り添い抱かれていくというあたりまえの世界がここにはあると、やさしい愛撫に震えながら留美は思った。

  亮の肉体を忘れようとまでは思っていなかった留美だったが、若いマットの思いもしないやさしさに、まじまじと顔を見てしまう。
  そっと口づけを交わしながら、そっと髪を撫でつけてくれ、乳首の周りで騒ぎ立つ産毛までも、なだめるようにそっとそっと舐めてくれる。
  亮とも違う。荒々しいバートとも違う。マットは日頃はやんちゃな小僧。そのつもりでいたのだったが、さざ波のような心地よさが心を溶かしていくのだった。
 「やさしいねマット、感じるわよ、すごく」
 「ふふふ、はい姉さん」
  触れるか触れないかのキスが肌を這い降り、黒く密生する飾り毛を掃くように分けられて、やさしさの驚きに濡れて勃つクリトリスを舌先でつつかれる。
 「あぅ、うぅン、震えちゃう、嬉しいよマット、嬉しい」
  M字に立てひろげた女の体の中心を、股間に降りて尻を抱きながら、そっとそっと、毛の濡れさえも舐め取るように愛撫される。
 「マゾっぽいねマットって。アナルでも舐めてくれそう」
 「はい」
 「え・・うそ・・あン、そこダメ!」
  あのマットがまさか・・けれどもそんな思考を、しだいしだいに荒波となってくる快楽が押し流す。
 「はぁぁぁ来て、ねえ来て、可愛いよマット」
  亮の体の記憶が消えていくのを、このとき留美はどうしようもなく感じていた。

 「きゃぅ」
  かすかな悲鳴。痛みではなく、いきなり襲った頂点に腰が暴れ、逞しい若者の肉体をジャッキアップするように女体は反った。

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タイパンの女王(十二話)


  夏から秋へと季節は流れ、ルッツが殺されてから四月ほどが経とうとしていた。 タイパンと名乗る凶賊の行方は知れなかった。ルッツのいた町は旧オーストラリアの区分で言うならクイーンズランド中部のやや内陸側。亮たちが暮らす洞穴からもそう遠くはなかった。オーストラリア大陸の広さは日本のおよそ二十倍。赤道に近い北部には緑が多かったものだが二十メートルを超える海面上昇で臨海部のかなりのエリアが水没。内陸部にはまさに果てしない乾燥地帯がひろがっていた。そうした特殊な環境と四方が海で脱出しづらいという点でこの大陸そのものがLOWER居住区とされたのだった。
  果てしなくひろがる荒野。ルッツの町から北に向かったという情報だけではどうにもならない。ヒューゴが所属する治安維持部隊はあくまで旧クイーンズランドがテリトリーであり他の地域へ逃げ込まれれば追跡のしようがないのである。

  そのタイパンが動いたという情報がもたらされたのは、諦めムードになりかけたそんなとき。クイーンズランド北部と隣り合わるノーザンテリトリーとの境界に近い小さな町が襲われた。それぞれの治安維持部隊が管理する境界線あたりはテリトリーが重なる部分でどちらもが手を出しづらい。
  そこを突いた凶行だったのだが、そのとき治安維持部隊の網にかかったということだ。ルッツはヒューゴにとってもよく知る人物。しかしそのとき向かったのはノーザンテリトリーを管轄する部隊であった。
  ヒューゴは言う。
 「境界あたりを動いてやがる、賢いもんだぜ。どっちで処理するかでにらみ合ってる状態よ」
 「いかにも役人らしいぜ、面倒はごめんてことかい」
 「まあな、そういうことにしておこう。応戦するならともかくも、いちいち報告書を上げて過剰行動でないことを証明しなければならなくなる。したがってなすりつけ合うわけだよ。HIGHLYとのつきあいは面倒なのさ」
  本音としてLOWERなど処理しておきたいところでも、HIGHLY社会の中にも穏健派もいれば人道主義者も存在する。表向きは法治。それがHIGHLY社会というものなのだ。
  亮はせせら笑って言った。
 「綺麗事だぜ、わかっちゃいねえ」
  ヒューゴは苦笑してうなずきながら亮の肩をぽんとやった。
  このとき亮は、このヒューゴでさえが七十年先の地球の終焉については知らされていないだろうと感じていたし、亮自身いまだに信じられない気分でいた。

  ヒューゴは地図を兼ねた衛星写真を持ち出した。
 「ここだ。入り組んだ岩山の狭間、緑もちらほら、アジトへの道筋は行き止まりってことで、こいつはちょっと厄介だ」
 「確かなんだな?」
  クイーンズランド側との境界線上ややノーザンテリトリー側の山岳地帯に根城がある。
 「人買いどもからの情報よ。目こぼしが見返りっていうわけさ」
 「タイパンは女もやるのか?」
 「やるね、かっさらった娘を売り飛ばす。さてそのタイパンだが、敵の総勢およそ二十名。ボスはクイーンと呼ばれる白人女で白人はそいつだけ。手下に若い女が数人いて、そのほか男。おめえらと同じような陣容だが数では相手が上よ」
  人数が増えている。方々を流して襲うそのときに仲間の一定数をアジトに残しておくということか。
 「クイーンね・・その正体は?」
 「わからん。四十前の女らしいが、これがまたブロンドのいい女だって話だぜ。なぜどうして賊になったか皆目わからん。かなりな武器も持ってやがる。アジトには機関銃さえあるらしい。岩山に銃座までを構えてやがるそうなんだ」
 「ほう銃座とはものものしい。野戦だな」
  ヒューゴはうなずく。
 「敵の中に元は米兵だった野郎が二人いるということで、こいつらがクイーンにへばりついて守ってやがる。手下どもも訓練されていると見るべきだろう。ルッツほどの男が殺られてしまう連中さ、まさに野戦となるだろうな」

 「野戦ねえ、やってやろうじゃねえか、そっちは俺の専門よ」
  巨体のバートがにやりと笑う。バートもまた元は兵士だった男である。
  亮が言った。
 「クルマで乗り付けてこんにちはって訳にはいかねえし、こっからだといかにも遠い、千キロはあるだろうぜ。さらに敵は二十こっちは十」
 「十? いやしかし」
  と、ホルヘが仲間を見渡した。男の総勢十二名。
  亮が言う。
 「二人は残す。女たちを頼む」
 「そんじゃ、あたしが行くよ。それでこっちは十一さ」
  と、コネッサが言って皆が眸を集めた。
 「ルッツにはよくしてもらったさ。アニタって女のことだって愛してくれたそうじゃないか。あたしだって黒人なんだ、アニタの夢を壊した奴らは許せない」
  亮はちょっと視線を厳しくしたが、言い出したらきかないコネッサ。
 「それに数がちょうどいいや」
  亮はちょっと眉を上げた。どういうことか。
 「残る女が六、男が二で割りきれるじゃないか」
  にやりと笑うコネッサ。亮は可笑しくなってそっぽを向いてちょっと笑った。コネッサは女で唯一ガンが使える。

  亮は言った。
 「そういうことなら言うがヒューゴの野郎が言ってやがった、ルッツの町に来ないかってな。そうなりゃ無線も使えるからよって」
  キャリーと留美、そしてマルグリットが眸を見合わせた。
  亮が言う。
 「町の皆が怖がってる。俺たちにいてほしいと思ってる。ルッツの店もいつでも再開できるように片付けられてあるそうだ。これから冬だぞってヒューゴの野郎が笑ってやがった。女どもが川で尻出しゃあ凍るぞって」
  女たち皆がくすくす笑った。
 「まあよ、雑貨屋やって暮らす山賊ってえのが引っかかるが、みんなの意見に従うぜ、どうするか決めてくれ」
  それにキャリーが応じた。
 「彼の意思を継ぐということ」
  それにコネッサが応じた。
 「アニタみたいな女がきっと来る」
  それにマルグリットが応じた。
 「たまにはちゃんとしたベッドで抱かれたい」
  これには皆が声を上げて笑い、笑いながら亮は言った。
 「ただし山賊は続けるぞ、クソ野郎は許せねえ」
  皆がうなずき話は決まった。
  そしてこのことがルッツの兄、デトレフ中佐との接点になっていこうとは、このとき誰も考えてはいなかった。

  二十数軒の家々が並ぶ小さな町。その中のちっぽけなルッツの店。そこはタイパンの根城への中継点ともなる場所だった。男が十二名、女が七名で乗り付けると町の皆がぞろぞろ集まり歓迎した。店の裏の居住部分にルッツの箱型ジープが眠っている。これでクルマは四台。鉄箱がついた二台とオープンタイプのジープ一台でタイパンの根城へ向かう。その先まだ千キロ近い道のりだったが、残された者たちが気づいたときコネッサの姿がない。勝手に乗り込んでしまったようだった。

  ルッツタウン。キャリーが言い出した名を町の者たちは喝采した。
  さっそく女たち、そして残る男二人の手で、ルッツの店が店らしくなって蘇る。さらにまた町外れで空き家となっていた一軒の家にも手が入れられて、人間らしい暮らしのできる場へと変わっていった。
  夜ともなると冷えてくる。冬は近い。まともなキッチンであたたまるものでもつくろう。女たちが浮き立って料理に向かう、そんなとき、マットと言って男たちの中ではもっとも若い一人が、そのときたまたま地下に降りて声を上げた。
 「留美姉さん、無線! 鳴ってる!」
  留美姉さん、いつ頃からかマットはそう呼ぶようになっていた。男としては小柄で華奢。黒人とアジア系のハーフであった。

  留美は駆け下りて黒い無線機に向かうのだったが、一瞬手が出せずに戸惑った。受話器はつまり電話そのもの。迷いを振り切り取り上げた。
 「はい、こちらルッツさんのお店ですが」
 「ほう出たか」
 「え?」
 「いやいや、いまだに信じられなくてね、出ないとわかっていてもつい。兄貴だよルッツの奴の」
 「あ、じゃあデトレフさん?」
 「そうだ。月面からの無線だよ」
 「はい!」
  いざとなると信じられない。月はやはりそうなっているのかと留美ははじめて実感できた。宇宙にいる人々を。
 「それで君は? どうしてそこにいるのかな?」
  落ち着いた大人の男の声だった。
 「はい、私は留美です、日本人ですが、じつは亮さんの」
 「ああそうか彼の? 恋人かな? それとも奥さん?」

  恋人それに妻・・そうしたこれまでのあたりまえが壊されてしまった地球を感じずにはいられない。留美は言葉に戸惑った。
 「いえ、あの、友だちなんです。亮さんを中心とする仲間たちがいましてね、ルッツさんのお店を再建しようということで準備をはじめたところなんです」
 「そうなのか? 奴の店をまたはじめる?」
 「はい。だってこの町にお店はここだけ。ないと皆が悲しむでしょ。ルッツさんが命がけで守ったお店なんですもの。アニタさんのこともそうですし」
 「うむ、そうだね、うむ。まさか無線がつながるとは思っていない。嬉しいよ、ありがとう。奴の意思が受け継がれる。これほど嬉しいことはない」
  デトレフの声が震えている。留美まで胸が熱くなる。
  このとき留美はルッツの姿にデトレフを重ねていた。声が似ている。話し方も堂々として、いかにもルッツの兄らしいと感じていた。

  受話器が言う。
 「ところで亮君は?」
 「いえ、いまちょっと出かけていて。仕入れとかいろいろあるもので遠くまで」
  とっさに出た嘘。心配をかけたくなかった。
  デトレフは言った。
 「うむ、それはいいが君たちは武器は持つのか?」
 「それは、はい、少しですが備えはあります。こっちは無法地帯ですから」
 「ならばいいが、どうせ旧式なものばかりだろう。何かあれば言いなさい、私の部下たちが軍にいる。二度ともう弟の二の舞はごめんだ。チャンネルはそのままに送信ボタンを押しなさい、私につながる。そこであればブリスベンに部下がいるから蹴散らしてくれるだろう」
 「はい、ありがとうざいます、町の人たちも怖がっちゃって」
 「だろうね。いいかね、きっとだよ、何かあれば即刻無線を。戦闘ヘリで駆けつけるだろう」
  
  受話器を置いて留美は呆然としながらもルッツの姿を思い浮かべていた。そばにいるマットがうわずった声で言う。
 「ブリスベンて、ヘリならすぐそこだぜ」
  留美は毅然とした面色に変化していた。
 「だけどルッツはそれをしなかった。兄貴なんかにすがるものか。それが意地だったのよ彼の。誰がHIGHLYなんかにすがるものかって」
 「LOWER社会はLOWERで創る?」
 「そういうこと。私たちだって向こうに捨てられた身ですからね、気持ちはわかるわ。いまさらすがるつもりもない。意思を継ぐってそういうこともあるんじゃないかしら」
  マットはちょっと笑ってうなずいて、しかし言った。
 「だけどルッツは間違ってた」
 「あら、どうしてそう思う?」
 「アニタのことだって守れたかも知れないだろ。町の人たちも」
  留美は、ちょっと意外というように眉を上げてマットの眸を見つめた。日頃はやんちゃなマットである。
 「マットは私のことどう思ってるの? 私だけじゃなくキャリーやマルグリットのことも。私たちは性奴隷?」
 「違うよ」
 「じゃあ何?」
 「一族さ」
 「一族?」
 「ボスだって言ってるぜ、犯したからには守るんだって」
  留美は若いマットの手をとって抱き寄せた。
 「濡れる言葉だわマット、ありがとう」
  唇を重ねていき、今度はマットが留美を強く抱き締めた。

  その夜、店の裏にいくつかある部屋と、空き家だった一軒の家に散った八人。
  留美はマルグリットと二人の夜をすごしていた。そこはアニタの部屋だった。ドレッサーまでついたその部屋には、クローゼットにアニタの服が残されていたのだった。
  それほど広いとは言えないベッドに二人は肌を寄せ合って、キスを交わし愛撫を交わす。女同士の熱い夜がすぎていき、二人は抱き合って動かない。
  マルグリットが微笑んで言った。
 「何でもアリなんだもん」
 「ふふふ、そうよねセックス三昧。ちょっと信じられないわ。私は勝手にボスの女にされちゃって少しは穏やかだったけど」
 「バートが言ってた。留美には震えるって。惚れちまうって言ってたよ」
 「あら嬉しい、あのねマルグリット、さっきマットが言ってたんだよ」
 「マットが何を?」
 「あたしたちは一族ですって。犯したからには守るんだって。性奴隷なんかじゃないって本気で言ってた、可愛いんだから」
 「ほんとね、あの子って可愛いもん」

  留美はマルグリットの濡れる性器へ手をやった。
 「レディの仮面を奪われて残ったものは牝の私」
  マルグリットは留美の額をちょっとつついてくすくす笑った。
 「わたくしだって信じられませんわ、おほほ・・みたいな言葉を使ってた私はどこへ行ったのやら。まさか取り囲まれて排泄まで見られようとは思いもしない。恥辱に震えているのにどうしようもなく濡れてくる。恐怖に泣いてるくせに、そのうちどんどんよくなって、お尻を振ってる私がいる。何だったのモラルって。貞操って何なのよ。そう自分に問いかけても潮を噴いてイッちゃうんだからしょうがない」
 「私はねマルグリット」
 「うん?」
 「そういうことならいいかなって思うのよ。一族だって思ってくれてるなら捧げてもいいかなって」
 「どうせなら燃えて燃えて死んでいきたい。凍結精子で強制受胎なんて絶対に嫌だわ。そうまでして生存する意味がどこにあるのか・・馬鹿な人類」
  そしたまた抱擁を強くして性の波にもまれていく夜となる。

  タイパン狩りに出て行った者たちが戻ったのは四日後の深夜だった。男たち十人に女のコネッサを加えた十一人で出て行って、戻って来たとき、タイパンの女ボスが加わって十二人。
  しかし、ホルヘの他にロバートと言う若者が一人、そして亮が変わり果てた死体となって戻って来たのだ。
  生きて戻った何人もが脚を撃たれ腕をやられて血だらけの状況だった。巨体のバートは弾丸が頭をかすって血の滲む包帯をターバンのように巻いている。
 「亮が死んだ・・そんな」
  留美は放心、女たちの皆が呆然として血まみれの亮を見つめていた。
  バートは静かに言う。
 「すさまじい戦いだった。亮の奴は頭にくらって即死だった。もうどうにもしてやれねえ」
  バートは唇を真一文字に結んだまま、口惜しそうに眸を伏せた。
  そしてクルマから降ろされたタイパンの女ボスは、一人だけシルク地の赤いロングドレスを着たままで、後ろ手に乳縄がうたれ、縄をギャグ代わりに猿轡をされていて、歩み寄った巨体のバートに長い金髪をわしづかみにされて床に放り出されたのだった。
  透き通るようなブルーの眸に怒りの色が燃えている。四十少し前と思われる、それは美しい女であった。

  タイパンのクイーンを見下ろしながらコネッサが言った。
 「ぶっ殺してやろうと思ったさ。けど妙だ、この格好はなんだってんだい、どう見たってHIGHLYじゃないか。からくりを吐かせてやろうと思って連れてきた」
  留美はうなずいてちょっと笑った。
 「コネッサが無事でよかったよ」
  そして留美はバートに向かって言う。
 「この女のこと任せてくれない? ルッツやアニタや亮たちのお墓の前でひざまづかせてやらないと気が済まない」
 「ああいいぜ、ボスの思うままにすりゃあいい。亮の女はすなわちボスだよ、なあ留美よ」
  密かに想っていたはずの亮の変わり果てた姿を目の前に、留美には涙さえもなかった。この女は凄いとコネッサでさえがそう感じた。

  留美は言う。
 「女のことは後回しだよ、素っ裸にしてつないどきな。ステンの首輪、それと手錠も」
  皆が呆然として動かない。
 「マット、さっさとしな」
 「へ、へい姉さん」
  若いマットはとっさにバートを見つめたが、バートは留美だけを見つめている。
  そしてその留美は、場違いなドレスを着た高慢そうな女をまともに見据えた。
 「おとなしくしないとなぶり殺しにしてくれる。性奴隷とはおまえのことだよ、地獄を見せてやるからね」
  バートは声もなく留美を見つめて胸の内を察し、そしてかすかに笑みを浮かべるのだった。

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暴かれる生殖(十一話)


  それからほどなく異星人の死体を軍船の医務室に置いたまま女医である早苗の手によって死体の解剖がはじまっていた。過酷な月面の環境から人が生存できる温度と湿気と酸素のある世界へ持ち込まれ、異星人の女性の姿は崩壊をはじめていた。腐敗ではない、まさに崩壊。分子レベルの結びつきさえ壊れてしまう、いかに古いものであるかがそれでわかる。小さな体が砂のように崩れていくのだ。器具を持つ早苗の手が速くなる。

 「目が二つ、耳が二つ、鼻孔は一つしかありませんね。口は極端に小さくて歯というものがほとんどない。胸を開けると肺が一つ、心臓が一つ、それから胃がなくて、腸らしきものはあっても肛門もないようです。吐き戻して排泄していたと思われますが、どうなんでしょうね」
  皆が固唾を飲んで見守っている。聞いたこともない生命種の特徴が次々に暴かれていく。
 「骨格は人に似ていますが、手足の指は二本ずつ。生殖器は卵巣らしきものが一つあって子宮がありません。この生物は卵で子孫を残すようです」
  と、そう話している間にも肉体は崩れていった。
 「DNA採取は不可能かと思われます。恐ろしく古いものだわ。やってはみますがDNAは破壊されていると考えるべきでしょう。それからこれは、うーん、左右の手の指の一本だけが針のように鋭くなっていて。理由はわかりません。あるいは獲物をとるときの武器になるとか。毒腺なのかも知れませんが。ああダメだわ崩れていく。こんな死体は見たことない、まるで腐って乾いた紙みたい。ぼろぼろ崩れていくんです」
  デトレフと居合わせた数人の兵士たち、そして海老沢とジョゼットが手に汗握る思いで見つめていたが、解剖がはじまって一時間としないうちに異星人の女性は骨だけの姿となり、その骨さえも月の土に還るように崩れていく。

  医務室の処置台の上で砂と化し、人類がはじめて出会った異星人は姿を消した。白衣を着た早苗はへなへなと椅子に腰掛けて、変わり果てた死の砂を見つめていた。
 「まさに召されていったんだ」
  と海老沢が言い、デトレフとジョゼットが目を合わせて声もない。
  早苗が言った。
 「骨格はともかく、あえて地球上の生命とくらべるならトカゲに似ていると感じましたね」
 「トカゲ? つまり爬虫類?」
  デトレフに問われて早苗はなおも言う。
 「断定なんてできませんが、肺呼吸のできる生物であり、体のサイズからしてもかなり俊敏に動けるものと感じました。骨盤それに脚の骨がしっかりしていて相応の筋肉がついていたと思われるからです。口が小さく歯がほとんどない。これは推測ですが、針のように鋭い手の指から消化毒を打ち込んで獲物を溶かして体液を吸う。そう考えると辻褄が合いますからね。養分だけを吸い取って液体を吐き出して捨てると考えると肛門は必要ない。爬虫類、あるいはまた、そうですね、鳥のようなものかも知れない。様々な生き物の特性を備えていて、だからどうだとは言えないんです。わからないとしか言いようがありません」
 「古いものだろうね」
  海老沢に問われて早苗は言う。
 「数千年、数万年、もっとかも。分子レベルで分解する死体なんてはじめてですから。生きた姿を見てみたい。日本には河童という想像上の生き物がいますが、それにも似ていると思ってしまう。ダメだわ、私いま混乱しちゃってる」 
  深いため息とともに早苗は肩を落としていた。

 「なるほどね、言われてみれば河童のような気がしないでもない。まあ、茫然自失とはこのことだよ。宇宙人は確かにいた。事実はそれだけ」
  海老沢にぽんぽんと肩を叩かれて早苗はようやく顔を上げてちょっと笑った。
  椅子を立った早苗は軍船にもある半球形のガラスエリアから、漆黒の闇に浮く青い惑星を見上げていた。ジョゼットが歩み寄って肩を抱く。
 「考え方が変わるよね、人類を超えた英知を誇るトカゲがいる。それは鳥かも知れないなんて考えると」
 「ほんとよ、まさにそうだわ。人間なんて宇宙のすみっこで蠢くだけの下等な哺乳類、そんな気がする。宇宙は無限なんだって思っちゃった」
  デトレフは言う。
 「希望でもあるがね。人類と同じように旅をする生命体がいたということ」
 「報告するの地球に?」
 「いいや、やめておこう。それで何かがはじまるなら話は別だが、左脳を相手に面倒なことになるだけだ」
  そしてそのとき、ジョゼットが海老沢を手招きし、宇宙を眺める二人からは距離を置いて小声で言った。ルッツの死。
 「・・殺された?」
 「無線を入れたら偶然お友だちがいたんですって。町の人たちがお墓をつくってくれたって」
  海老沢は早苗を後ろ抱きにするデトレフへと眸をやったが、声をかけるにしのびなかった。

 「卵で産まれる知的生命か」
 「だけどそれってどうなのかしらね。そうできたらどれほどいいかと考える妊婦は多いでしょうけど、母性はそうして芽生えるものよ。私は思うの、あの生き物は冷酷で恐ろしいエイリアンじゃないかって。親のぬくもりを知らずに育つ」
 「そうかも知れないが、さて、ではなぜ月を捨てたのかだよ。目の前に地球というオアシスがあるというのに。おそらく地球へも降り立ったはずだろう。その頃の人類は猿同然。知恵を授けておきながら、なのにどうして去っていったか」
  ムーンカフェ。近頃ではジョゼットカフェと呼ぶ者たちもいる。軍船から一足先に引き上げた海老沢とジョゼットがカウンターに並んで座って語り合う。
  ジョゼットは言う。
 「あるいはよ、仮定の話ですけどね」
 「うむ?」
 「あの生き物はペットだった」
  海老沢はちょっとうなずき眉を上げた。
 「なるほどね、そう考えてもスジは通るが、そうなると遺跡のサイズが小さすぎる」
 「ペットたちを繁殖させるためのものだったとは考えられない? センターモジュールはそれなりのサイズがあるんだし」
  それほどの科学力があるなら地球との行き来は簡単だったはず。地球上では何らかの障害があって繁殖できない。トカゲの卵を隔離して育てるようなものだったとは考えられないかというものだが、仮定の話でいいならどうにでも組み立てられる。
 「刑務所だったりして。月面への島流しのようなものさ」
 「面白いわね、想像は無限だわ。他にも見つかるといいけれど」
  海老沢は笑って首を振る。
 「月面車以外に移動手段がないとすれば月は地球よりも大きいよ。生きた彼らと出会えるかも知れないしね。燃料の制約さえなければロケットカーでもつくってやるのに」

  ちょっとおどけて言った海老沢に対し、ジョゼットは「わぉ」と眉を上げて笑い、海老沢の腕に腕をからめた。
  と、そう話しているところへ、白衣を脱いでシルバーメタリックのスペーススーツの姿で女医の早苗が入って来る。すっかりカフェのママにされてしまったジョゼットは席を離れてカウンターの中へとまわりこんだ。
 「珈琲飲みたい」
 「はいはい、お疲れね」
  そのときの早苗の表情が妙に淡々としているとジョゼットは感じていた。
  ジョゼットは言う。
 「ねえ早苗、デトレフに聞いた?」
  早苗は眸でうなずいた。
 「ちょっとね。後で話そうって部下たちと出て行った。それもあって考えちゃうのよ」
  珈琲をつくりながらジョゼットはさりげなく早苗を見ている。海老沢はそんなジョゼットの視線を察して、なぜだか少し眸をそらせた。
  早苗は唐突と言いだした。
 「種の存続って何かしらね。それまで当然のように思い描いていたことが、さっきのルナ生命の・・あ、私が勝手にルナ生命と呼ぶことにしたんですけど、エイリアンの死体を見ていて考えちゃった。人の死は個人の死であって種の死ではない。生命は皆、種をつなぐために生まれてくるでしょ。女はたくさんいても皆が避妊薬を飲んでるなんて状態は間違ってる。私は医師なのになんてひどい女なのって思ってしまうし、じゃあ種の存続って何なのかしらって考えちゃうのよ」

  早苗はさらに言った。
 「つきつめるとそれは遺伝子を残すことよ。そしてそう考えたとき、ちょっと恐ろしい構図が浮かんじゃったの」
  横に座る海老沢が問うた。
 「どういうことだね?」
 「ルナ生命は月を捨てて去ったんじゃない。と言って地球で密かに生きてるわけでもないだろう。遺伝子さえ残せれば宇宙を旅した意味はある」
  どういうことか。海老沢もジョゼットも小首を傾げて眸を見合わせた。
 「ふふふ、面白いでしょう医者って。でも論理的にはそうなのよ。ルナ生命は人がまだ猿だった時代にやってきた。知っての通りで人の進化には疑問が残る。猿から類人猿に進化して、やがて文明が生まれるわけだけど、ルナ生命ほどの英知があるなら、猿もしくは類人猿を捕まえて自らのDNAを組み込むこともできるんじゃないかしらって。人類でさえ遺伝子操作ができるんだもん」
  ちょっと笑って眸を上げた早苗に、ジョゼットは言った。
 「彼らはすでに使命を果たした・・地球人の体に潜り込んで生きているってことよね?」
 「そういうこと。もちろんそれは受胎とかという意味ではなくて、もっとミクロな世界で人類に同化した。それによって人は進化し、自分たちの分身だからこそルナ生命は文明を授けたの」

  それはあると二人は感じた。種の存続よりもさらにミクロな世界で遺伝子をつないでいく。種として滅びても遺伝子さえ残るのならば絶滅とは言えないし、自分とは違う生命種を乗っ取ったと言えなくもないのである。
  早苗は言う。
 「そのときルナ生命は何らかの理由で絶滅は避けられないと考えた。個体数が減りすぎてしまったのかも知れないし、何らかの理由で地球にはなじめなかったのかも知れない。そこで地球という惑星にいた猿どもに自身のDNAを手渡して進化を劇的なものにした。つまりね、いまの人類の相当数がルナ生命の子孫であるってことなんです。DNAをコピーするだけではクローンが生まれるだけ。それでは地球環境に順応できない。そこでDNAから自身のもっとも自身らしいところを抽出して地球の猿どもに植えつけた」
 「知性よね?」
  ジョゼットの言葉に早苗は今度こそ深くうなずいた。

  このとき海老沢は、であるならおよそ百八十万年前のジャワ原人の時代から二十万年前にネアンデルタール人へと進化する過程のどこかと考えて、過去にもほどがあると感じたのだが、宇宙のその時間など一瞬にすぎないと思い直していた。
  早苗は言った。
 「途方もない過去の死体を解剖した。そのことに感動してるのよ。生きていれば体重およそ数キログラム。まさにリトルゴッドだわ」
  夢見るような早苗の眼差しは美しかった。確かに人類にとっては小さな神。ルナという女神の名がふさわしいと海老沢でさえがそう思う。
  カウンターに置いた早苗の珈琲。そのソーサの上でスプーンがカタカタ音を立てて震えたのはそのときだった。
  月震。月の地震である。月の地殻もまた動いている。昼と夜の280℃にもおよぶ温度差と、さらには地球と太陽の潮汐力によって地殻が歪む。小さな隕石が引き起こす地震もある。大気がないから燃え尽きずに地表に落下するからだ。
 「ルナたちがこの地底に生きていると思いたいね。親父はよく言っていた。異星人は地球を訪れ、どこかで密かに生きている。恥ずかしがって月の裏側に隠れてるかも知れないよって冗談混じりに言ってたものだ。夢ばかりを追いかけた人だった」
  海老沢のそんな言葉に早苗は微笑み、揺れが静まって動かない珈琲スプーンを見つめていた。

 「光り輝く裸身を晒して恥ずかしがって闇に隠れる。だけどすぐまた抑えきれなくなって裸身を晒す。月を見て、よくそんなことを考えたものだった、思春期の頃だったけどね。ルナは女神よ。せつないまでの女の姿なんだなぁって」
  留美と二人で岩に座り、肩の欠けた月を見上げて、そのときマルグリットは夢見るように言うのだった。
 「女にとってHIGHLYやLOWERや、そんなものは人生を決めるものじゃなかったって痛感したわ。こんな時代に子供なんてほしくない。できない体にしてしまったけど、だけどじつは寂しかった。何のためのセックスなのって思ったし、そう思うとますます意固地になっていく。男なんて何よ、ケダモノじゃない、そんなふうに言い聞かせていたんだもん」
 「オナニーしたでしょ?」
 「したわ。いまの月の話じゃないけれど、どれほど隠そうとしたって、すぐにまた体が悲鳴を上げてくる。どうして可愛がってくれないの、ねえマルグリット? 私はあなたのボディなのよってアソコが濡れるの。追い詰められて逃げ場をなくして、そしたらそこに野蛮な牡の群れがいて、アソコもアナルも壊れるかと思うほど犯され抜かれた。ああ私は死んだんだわって思う私がいる反面、これでやっと牝になれたと感じる私もいる。どうしてもっと早く・・ふふふ、私もじつは牝だったってことなのよ」
 「いまは不幸?」
 「ううん、不思議な幸せを感じてる。うまく言えないけどね」

 「あそこにも」
  とマルグリットは輝く月を白く細い指で指差した。
 「月にいるのはHIGHLYばかり。そんな中に仲がよかった友だちがいるんです。ビアンカと言って、それは綺麗な女の子ですけどね」
 「うん、それで?」
 「いま月にいるのは四万人弱なんですけれど」
 「そんなにいるの? いま月に?」
  早苗は眸を丸くする。
 「月面都市の建設が進んでて人が足りない。まだまだ増えていくでしょうけど、その九割ほどが男性なんです。作業するのは宇宙服だし戻れば地下で密室暮らし。地球へちょっと戻るわけにはいかない。皆が月で死ぬことを覚悟して、それでも志願して送られてる。それでね、ずいぶん前のことですけど皆の気が立ってきて危うくなる時期があったそうなのよ」
 「それはそうでしょ、狂っちゃうもんね」
 「苦しい、寂しい、ぬくもりがほしい。どれほどの大義があっても、それが人というものよ。それでそのとき雪村さんて日本人の女医が提案したそうなのよ。すべての女性に避妊薬を与えてセックスしようって。その女医さん言ったそうよ。私だって抱かれたい、せめて抱かれて夢を見たいって」
 「それで女の人たち賛同した?」
 「ほとんどがイエスだったって。求められれば拒まない。それっていまの私たちと同じこと。向こうではそうなんだと思ったものだし、ちょうどそんなとき私は逃げて捕まった」

  留美とマルグリットのシルエットが重なった。女同士の深いキス。互いに下着に手を入れあった。
  そしてちょうどそんなとき歩み寄る男たちの影がある。
 「来いマルグリット」
 「うん、可愛がってね」
 「たっぷりな。ひひひ」
  男たちの中にはバートもいて、マルグリットを連れ去ろうとしたのだったが、留美は手を引いてバートだけを引き留めた。
 「ボスだけの女でいたくない」
  それは亮が皆に言うことだった。留美もまた共有される女なんだと。
  黒い巨体のバートにもたれかかって留美は月を見ていた。いまごろきっと多くの女たちが喘いでいる。そう思うとなぜか心が浮き立ってくる留美だった。
  バートはぼそりと言った。
 「信じらんねえよ」
 「ほんとよね。だけど選ばれて誇りに思い、乗り込んでみたら凍結精子で強制受胎よ。誰の子とも知れない子孫をつないでいく。そうまでして人類は存在しなければならないものかって考えてしまうのよ。私は嫌だわ」
  バートは強い手で留美を抱き寄せ、ちょっと笑った。
 「関係ねえな俺にはよ」
 「私だってそうじゃない、知ったこっちゃありません。ふふふ抱いてバート」

  留美の羞恥を思いやるように、そのとき月は雲に隠れた。

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異星人(十話)


 「親父の奴が生きていたらと思うよ」
  月のカフェに海老沢が戻ったのは、ちょうどそんな話をしているとき。海老沢の父は地球外知的生命体を探すことに生涯をついやした男であった。
  そのときカフェには多くの耳があったので大きな声でそれを言うわけにはいかなかった。こそこそと小声で話す。
  その謎は、地盤調査のために月面車で月の裏側へ踏み込んで五百キロほどを走ったところにあった小さなクレーターのそばで発見された。月の外周はおよそ一万一千キロもあり、真裏ということなら五千キロ以上も離れている。人類はまだSF映画のような飛行する小型船を持てないでいる。最先端の月面車は時速30キロほどで走ることができたが、そのスピードで行ける距離は限られていて、月面都市の建設が進む一方で、いまだ月の真裏に到達できないでいたのである。

  打ち捨てられた廃墟とは言え、まず地表には一切の建造物はなく、直径一メートルの真円の穴が残っていただけ。丸い穴を中心に半径四メートルの地表におよそ四十センチ角の四角く凹む痕跡が円を描くように残っていた。UFOの脚の跡だろうと思われる。つまりUFOが着陸したとして、その裏側の中心にあたるところに直径一メートルの穴が空いているということだ。
  月面車のウインチを用いた昇降機で中へと入った。ライトが照らし出す銀色に鈍く輝く不思議な壁面。床は平らで直径五メートル、天井が半球形のドームとなっていた。その部分が言うならばセンターモジュールであり、三方に向かって直径八十センチの筒状のスリーブが伸びていて、スリーブの先には直径が二メートルジャストの完全な球体につながっている。
  もっか建設中の地下都市をスケールダウンしたようなもの。球体と球体をスリーブでつなぐ工法なのだが、半球形のセンターモジュールを中心に、正三角形を描いて頂点に一つずつ真球の空間がひろがっている。空間の壁面もそれをつなぐスリーブの壁面も、銀色に鈍く輝くある種の樹脂だと思われたのだが、ゴムのような弾性に富んだ感触であるくせに硬度が非常に高く、明らかに人類が持つ素材ではなかった。

  しかし、ただそれだけのものだったのだ。
  中には何一つ置いてなく、また生存するために必要な一切の設備もない。トイレのようなものもない。穴の真上に停船する宇宙船ですべてをコントロールしていたものと思われる。
  あのときの海老沢は興奮していた。父親は間違ってはいなかった。UFOは確かにいたんだと思うと、父を変人扱いした社会の無知さを非難したくなってくる。
 「スリーブのサイズからして五十センチか」
  と、海老沢が言った。異星人の身長の話。スリーブの径が八十センチなのだから、その程度の大きさしかないはずだ。
 「重力が強かったから?」
  ジョゼットが言って海老沢が応じた。
 「あるいはね、大きな体では損だろう。それにしてもあのとき俺は宇宙の中で存在する人類という観点にはじめて立てた気がするよ。論理的にはそうであっても実感なんてなかったからね」
  それには皆がうなずいた。
  有人探査計画であったアポロ以前から、人類は探査機によって月面を見てきたものだが、月には大小無数のクレーターがあり、また直径一メートル程度の穴では宇宙からだと点にしか見えないもの。したがって発見できなかった。

  早苗が言う。
 「古代文明以前の話かと思うと考えちゃうのよ。猿から原始人へと進化していき、あるとき突然文明が花開く。どうしてって思わない? 教授してくれた異星人がいたと考えるとすべてに辻褄が合ってくる」
  デトレフが言う。
 「いまはもう動きがあれば察知できる。ちょっと飛べる船でもあればいいのだが。探せば他にもあるかも知れない。裏側をくまなくあたってみたいものだよ」
  月面都市の建設がはじまって、月の周回軌道にいくつもの探査衛星が浮かんでいる。それでも発見できなかった小さな穴。月には大気がないから飛ぶとなるとロケット噴射に頼らなければならない。酸素がなくても大気さえあればホバークラフトのようなものもできそうだったが、いまのところは月面車。それにしたってソーラーパネルに頼るもので電力をふんだんに使えるほどの余裕はなかった。
 「UMAの情報ってあるじゃない」
  ジョゼットが言って海老沢はうなずいた。人間によく似た小さな生物の目撃情報は昔からあることだ。
 「こうなるとあながちガセとも思えなくなってくる。彼らはすでに地球上にいるのではないかってね、俺もそれを考えたさ。いてくれれば嬉しいし、このプロジェクトを助けてほしいものだよ。広大な宇宙のどこから来たのか。人類などいまだに太陽系を出られないというのに」

  そんな海老沢の言葉に、デトレフがちょっと鼻で笑った。
 「うむ? 何だよその笑いは?」
 「いやね、たったいま弟の話をしてたから」
 「ああ。オーストラリア大陸にいるんだったな」
 「そういうことだが、奴は言ってる、こちとら西部劇だっていうのに兄貴は月かよって」
 「西部劇か、なるほどね」
 「治安がよくないどころか、まさしく西部劇で、そこらじゅうに死体が転がってるらしいんだ。それもまた人間だよって奴は言う。だけど俺はこっちの方が気が楽だって言ってやがる」
  早苗が言う。
 「それはそうかもよ、私だってそう思うもん、人類の存続なんて私たちの世代には無関係なこと。どうせだったら地球上で最後の人生を楽しみたいなって。宇宙服より水着がいいかなって思っちゃうし」
  隣りに座るデトレフが早苗の背をそっと撫でた。

 「・・とまあ、そういうことだ」
  シロクマのようなヒューゴの大きな手が亮の背にそっと置かれた。マルグリットが加わって三日ほどが過ぎていた。その日、治安維持部隊のヒューゴがやってきたのは夕刻に近い時刻。斜陽に大平原が赤く染まる。
  亮は言った。静かな声だが声が震える。
 「苦しまずにか?」
 「ハチの巣だ、即死だぜ」
 「アニタは? 女がいたろ?」
  ヒューゴはちょっとうつむいて言葉が重い。
 「そっちはなぶり殺しだ。裸にされて逆さに吊られた」
  ルッツの店が襲われた。
  店だけでなく町の方々で略奪が行われ、多くの者が殺されたと言う。
 「ディスポじゃねえぜ、聞き込んだところ十人ほどのグループで、白人の女がボスだったと言うんだよ」
 「女がボス?」
 「よくはわからん。タイパンと名乗ったそうでマシンガンを持ってやがった。まったく新手の輩が次々に出てきやがる。この大陸はデカイからな。流してやがるに決まってら。北へ向かったってことだった」

  タイパン。コースタルタイパン。オーストラリア大陸を代表する猛毒を持つ蛇のことである。
 「クルマが三台。うち軍用ジープのボンネットに黄色のストライプのあるヤツが混じっていたらしい」
 「わかった、わざわざすまねえ」
 「なあに、ルッツの野郎はダチみたいなもんだった。俺としても目は光らせておくからよ」
 「こっちが先に見つけたら?」
 「かまわん、ぶっ殺せ」
  ヒューゴはまた銃器の入った木箱を持ち込んでくれている。
 「年代物だがサブマシンガンが入ってら。手榴弾もあるぜ。ディスポの件、万事おっけよ、すまなかったな」
  そしてヒューゴは亮の肩に手を置いて去って行った。

  木箱を運んで、亮は指笛で男たちを呼び集める。いつにない怒り狂ったボスの様子に女たちまでが顔を見合わせた。マルグリット一人だけが掘っ立て小屋の柱にチェーンのリードでつながれて全裸のまま。がっくりうなだれて長い金髪が顔を覆ってしまっている。
 「どうした? 何があった?」
  巨体のバートが亮の横顔を覗き込む。
 「ルッツの店が襲われた」
 「えっ!」
  声を上げたのはキャリーだった。留美と、それから女たちの皆が顔を見合わせている。女たちの服のほとんどがルッツの店で揃えたもの。その人柄も知っている。
 「ルッツはハチの巣、女の方はなぶり殺しにされたそうだ」
  つい先日飛び込んできたばかりのアニタ。あのときの姿が浮かぶキャリーと留美であった。声もない。
 「タイパンと名乗ったそうで白人の女がボスらしい」
 「女がかよ?」
  ホルヘが言って亮がちょっとそちらを見た。
 「流しだな?」
  バートが問うた。
 「そうらしい。数は十人ほどらしいんだがボンネットに黄色のストライプのある軍用ジープが混じってたそうだ。マシンガンを持ってやがる。町中かなり殺られたそうだぜ。北へ向かったってことだった」

  とそう言いながら、亮は木箱を開けて銃を手にした。二丁のウジーサブマシンガン。もはや骨董品だが手入れがよくて使えそうだ。
 「明日から手分けしてあたる。先にこっちで見つけたい。よくもやってくれたもんだぜ、皆殺しにしてくれる」
  淡々とした言葉だっただけに亮の怒りはすさまじいと皆は感じた。
  そして亮は遠目に裸の女へと目をやると、皆を見渡した。
 「マルグリットはどうだ?」
 「素直なもんだぜ、マジで気をやってイキやがる、可愛いもんよ」
  バートの言葉に留美がうなずく。
  亮は言う。
 「もういいだろ、首輪もいらねえ」
  いまそんなことは二の次だった。静かに立ち上がって歩み去るボスの背を追う者はいなかった。
  一人だけ全裸のままで犯し抜かれたマルグリットのもとへキャリーとコネッサが歩み寄る。コネッサの手にしたスパナがステンレスの首輪をはずし、キャリーが両脇へ手を入れて女を立たせる。マルグリットは支えがなければ歩けないほど消耗していた。白い肌が泥で汚され乾いている。川へ連れて行かれて体を洗わせ、体格のよく似たキャリーのワンピースを与えられる。

  コネッサが言った。
 「留美を悪く思っちゃダメだよ。男たちが情を寄せてる。可哀想だと思ってるんだ。ここでは皆にそう思われない限り仲間にはなれないんでね」
 「はい、そう思うことにします」
 「うん、辛かったね」
  体を洗って花柄の服を来たマルグリットは、むしろさばけた面色だった。
 「狂うかと思ったわ。はじめて私は牝になれた気がします。ケダモノめと思いながら、どうしてなんだかだんだんよくなっていく。感じて感じて錯乱しちゃって、欲しくてならなくなっていく。ああ私はこんな女だったんだと思いましたね」
  キャリーはちょっと微笑んで、マルグリットの肩を抱いてやる。
 「あたしだってそうだった。あたしもHIGHLY、ケダモノめ、野獣、ひどいわよと思いながら、よくてよくて狂ってしまうと感じたわ」
 「ふふふ、そうね、向こうの世界の女たちはいい気になりすぎ」
 「だと思う。本能から離れることを誇りのように錯覚している。愛がすべて。そんなのウソよ、ごまかしだわ」
  コネッサが言う。
 「一緒に生きよう」
 「はい、ずっと一緒に。死にたくない。せめて楽しんで終わりたい」
  歩きながら話し、皆のそばへと戻ってくると、一人だけ留美が目をそむけた。
  しかしマルグリットの方から歩み寄り、ちょっと微笑む。
  留美は言う。
 「振り切れた?」
 「ええ何もかも。私は性奴隷、それもいいかと思ってしまって」
 「奴隷じゃねえよ」 と、横からバートが野太い声で言う。マルグリットはちょっと笑ってうなずいた。

  翌日は小雨が続いた。亮とバート、それにキャリーの三人でやってきたルッツの店は、見る影もないほど穴だらけにされていた。ルッツはもちろん応戦した。しかし多勢に無勢はどうにもならない。店の中、それから住まいの側も血だらけだった。二人の遺体は町の者たちによって葬られ、家のすぐ裏に丸太で組んだ十字架が二つ並んでいる。
  亮の姿を見つけると町の者たちが集まって来る。
 「金目の物をごっそりやられたよ」 と、おばさんが言う。
 「ウチは娘が犯された。よってたかってなぶりものにされたんだ」 と、年老いた親爺が言う。
  亮はうなずくこともできなかった。町中の家々が銃弾を浴びて穴だらけ。二十数軒の家が並ぶ街並みがぼろぼろにされている。
 「女が二人、白人と東洋系で白人の女が指図していた。男どもは十二人、黒人と東洋系だったんだ。いきなり襲われてルッツとアニタが戦った。敵の四人を倒したんだぜ。町の者は武器を持たない。見ているしかなかったんだ」
  十四人いて四人が倒れた。残りは十人ということなのだが、流しているうち仲間は増えていくもので。

  許せない。店にあった商品がほとんど持ち去られてしまっている。住まいの側に倉庫のような地下があり、かろうじてそこには仕入れたばかりの品物がボール箱に詰められたまま残っていた。
  そしてそこに、錆びたスチールデスクの上に載った黒い無線機。ボール箱を開けてみて、そしたらそれは女の下着と服が少し。キャリーに見させて視線を外したときだった。
  ピィピィピィ
 無線が入った。亮はしばらく見つめていたがコールは鳴り止まない。
 「おいおい遅いぞ、早く出ろや」
  ドイツ語だった。
 「ルッツの店だが?」
  こちらは英語。とたんに相手が英語に変わった。
 「うむ? 君は? 弟を出してくれないか」
 「じゃあ兄貴か? デトレフって言ったっけ? 月からなのか?」
 「そうだ。君は誰だね、なぜそこにいる?」
 「俺は亮、日本人でルッツのダチさ」
 「ああ君か亮と言うのは。話だけは聞いてるよ」

 「冷静に聞いてくれ、ルッツが殺られた」
 「何だと・・」

 「一昨日のことだ。賊に襲われて殺された。一緒にいた女とともに戦ったそうだが」
 「アニタもか? アニタも死んだ?」
 「名まで知ってるとは」
 「聞いてるさ、もちろん」
 「そうか。揃ってさ、二人揃って殺された。店はハチの巣。知らせを聞いて駆けつけたんだが店の裏に十字架が二つできていた。町の者たちが葬ってくれたんだ」
  デトレフは絶句した。もしもいま地球にいたらと思うと、兄としてやりきれない。
  亮は言った。
 「仇は俺がとってやる。ルッツには世話になった。いい奴だったよ。許せねえ」
 「・・わかった、弟を頼む」
 「うむ、もちろんさ。兄貴のことを愛してた、これだけは言っとくぜ」

 「弟さんが・・」
 「仲がよかった友だちが駆けつけてくれていた。偶然話すことができたんだ」
  デトレフに涙はなかった。月へと送られたときすでに地球を諦めた男。けれども力ない言葉が兄の想いを物語る。
  ムーンアイ。そのときジョゼットが観測室にこもっていて、早苗にも海老沢にも知らせてはいなかった。オンタイムでそれぞれに仕事があり、とりわけ早苗は怪我をした者の手術中。
  そしてそのとき月面望遠鏡ムーンアイが捉えた悪魔の姿が大きなモニタに映し出されていた。軸が右斜めに傾いてパルサーを放射する中性子星の姿である。
  ジョゼットはモニタの電源を落とすと立ち上がり、放心して座り込むデトレフの横に座って大きな背中を撫でてやる。
 「いいんだ、それが弟の選んだ道だよ。可愛がった女と一緒に死ねて幸せだったと思う。仲のよかった友だちも仇はとると言ってくれた」
 「うん、そうなのね、うん」
 「ああそうだ。これでもう今度こそ未練はない。地球は終わる、いずれにしても」
 「そうね、うん、そうよね」
  涙を噛むデトレフの姿が心に刺さった。地球など終わればいい。くだらない。何もかもがどうでもいいとジョゼットは思うのだった。

  と、そんなとき、シルバーメタリックトーンのスペーススーツを着込んだ若い兵士が飛び込んで来る。
 「探しましたよ中佐、いますぐ船へ、ジョセットさんも」
 「私もですか?」
 「はい、海老沢さんもお待ちですので、とにかくすぐ」
  月へと送られたあのときのまま停泊する軍船のことである。
 「何があった?」
 「工事現場で大変なものが出たんです。このくらいの」 と言って、兵士は両手を横に開いた。
 「異星人と思われるものの死体が出たんです」
 「何だと、死体が?」
 「もはやミイラです。すごく小さい。そして細い。身長は五十センチほどかと。現場は大騒ぎになっています」
 「わかった行こう」
  ガツンと立ち上がったデトレフに、ジョゼットは軍人の強さを感じていた。

  軍船。兵士百名と武器を搭載する最先端の宇宙船だったのだが、あのとき着陸してから微動だにしていなかった。ダークグレーの船体がいかにも軍船というイメージであり、兵士以外を近づけないため、いまだに宇宙服で外に出て月面車に乗らなければならなかった。
  船に着き、呼吸できるチェンバーで宇宙服を脱ぎ去ると、気密ドアのすぐ外に海老沢が眸を輝かせて立っていた。
 「出たよ、信じられない」
  海老沢はデトレフそれにジョゼットを交互に見て興奮を隠せないといった面色でいる。父親が生涯をかけて探したものについに出会えた。
  狭い通路を行くと、医務室に出る。その硬いスチールベッドの上に、干からびたミイラ、まさにミイラとなった小さな体が横たわっているではないか。

  兵士が言った。
 「妙な樹脂でできた空間を発見したんです。そしたらそこに、この死体が」
  デトレフはうなずいた。
  異星人の死体は骨と皮。大人の手で握れてしまう体の細さ。全裸なのか、ザラザラした肌が剥き出しで着るものは一切身につけない。頭だけが少し大きく、頭蓋骨は額の部分が目立って大きい。小さな目が二つ、丸い耳も二つ、しかし鼻がまるでなく、小さな鼻孔だけが一つだけ穴となって空いている。
  胴体に比べて手足は長く、手も足も指は二本。蜘蛛のような細い指がのびていた。そして性器は、股間に小さな縦の亀裂。干からびた胸に乳房があったのかどうなのかまではわからなかったし、乳首のようなものはないようだ。

  しかしなぜ裸なのか?

  ジョゼットが言った。
 「これは女の子よ。処刑されたのではありませんか、裸なんておかしいし」
  海老沢も同じ見解だった。
 「ベースを放棄するとき裸にされて置き去りにされたんだ。処刑とみて間違いはないだろう。しかしジョゼット、デトレフ」
  デトレフがうなずいた。
 「やりましたね海老沢さん、ジョゼットも。ついに人類は異星人と出会ったんだ。それにしても小さい」
 「身長は四十七センチです。大人なのか子供なのか」
  と、若い兵士は興奮気味に言うのだった。

  裸の女を置き去りにして殺す。異星人は好戦的な種ではなかったかと、このときデトレフは考えていた。

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馬鹿げた真実(九話)


  五百万の人類を生かす? 留美が問うた。
 「それどういうこと? 教えてくれるわね?」
  マルグリットはうなずいた。
 「どうせおしまいなんです人類は。私たちの世代には無関係なことですけれど、人類は月そのものを宇宙船として太陽系から脱出しようとしています」
  いったい何を言いだすのか。こいつは馬鹿か。皆それぞれにぽかんとして顔を見合わせ、そのとき亮は、この女は質が違うと感じていた。
  マルグリットは留美を見つめて言う。
 「どうせ狂ってると思ってるでしょうね。でも違うの。いまからおよそ七十年後、私たちの太陽系は中性子星の引力圏に捕らえられてしまいます。太陽は毎秒およそ220キロの速度で銀河の中を回っている。その行き先に恐ろしい悪魔が待っているということなんです。ひとたびその引力圏に捕まれば惑星の軌道が乱されて地球もおしまい。大気が剥ぎ取られ、大地が引き裂かれ、やがてはバラバラに砕け散って地球そのものが宇宙のゴミになってしまう」
  その月面都市の建設にルッツの兄貴が携わっている。亮は思い直してまじまじとマルグリットを見つめるのだった。

  マルグリットはさらに言った。
 「ムーンシップ計画と言います。月を宇宙船として、乗り込めるのは五百万人。その八割が若い女性で、凍結精子を積み込んで世代交代を重ねながらプロキシマケンタウリへと向かうんです。およそ四光年離れた新しい太陽を求めてね。すべての人種を生かすと説明しておきながら実質は白人優先。しかもそこでは強制受胎よ。いやおうなく子宮に種を植えられて子孫をつなぐ。選ばれた娘たちであっても家畜同然の扱いとなるでしょう」
  亮はあらためて思い直した。だからHIGHLYどもはLOWERを減らそうとしているのだし、自分たちに危害が及ばなければ見ぬフリができるのだと。
  留美が問うた。
 「ひた隠しにしていると?」
 「そうです。知られたらパニックになってしまうでしょうし月だって攻撃されかねません。だから私たちでさえが監視下に置かれている。HIGHLY同士であっても危険であれば抹殺される。申し訳ありませんがWORKERやLOWERは人ではありません。HIGHLYであってもそのときには見殺しにされるんです。ムーンシップの旅立ちはおよそ五十年後とされていて、そのとき地球に残った人類は滅亡するしかないのです」

 「マジかよ、はじめて聞いたぜ、信じらんねえ」
  男たちから次々に言葉ともため息ともつかない声が漏れ、亮は眉を上げながら、裸で座る女を見つめていた。この状況で嘘を言う意味はない。
  亮は言った。
 「なるほどね、それで奴らはガキどもを集めてやがるってことか。五十年先の優秀な娘へつないでいくために」
 「ええ、それもそうです。子供たちといっても本音は白人それによほど優れた知能と肉体を持つ者のみ。男の子であれば優秀な精子を残すためだし、より完全な人間をつくっていくため。それ以外は結局のところ使い捨て。そんな世界が耐えられなくなりました。組織を辞めようとしただけで捕らえられそうになり、それで私は逃げたんです。みなさんもそうですが私たちの世代には無関係なこと。そのとき生きていたら私は百歳なんですよ、どのみちおしまいなんだし、せめて最後の地球人を自由に生きたいと思ったから。私は妊娠できません、自らそういう体にしてしまった」

  亮は言う。それは穏やかというよりも淡々とした言いようだった。
 「わかったぜ。誰か着るものをやりな、いまそんな気分にゃなれねえだろう」
  マルグリットを囲む輪が解けて、留美や女たちが歩み寄る。
  留美が言った。
 「逃がすわけにはいかないの。ボスはやさしい人だからああ言ったけど、しばらくは裸のままでいてもらう。嵌め殺しの首輪をさせる。許してねマルグリット、あなたは奴隷よ、性奴隷」
  思いもよらず残酷なことを言う留美。女たちだけでなく声の聞こえた男たちも振り向いて留美を見ていた。
  そのとき亮と並んで歩き出そうとしたコネッサが亮の背中をぽーんと叩いた。
 「さすがボスの女だよ。あえて辛く扱って向こうの世界を諦めさせようとしてるんだわ」
  亮はちょっと眉を上げて微笑んだ。
 「俺たちに同情させるためにもな」
 「そうね、それもあるわね。賢いよ留美って子は」
  コネッサは亮の頬にちょっとキスをして離れていった。
  亮は意識して消えるようにその場を離れ、トイレのある岩間の流れの少し上流へと歩み、透き通った流れを見下ろしながら岩に座った。

  ルッツはそれを知っていたと亮は思った。かつては一緒になって悪党どもと戦っていたのだが、あの町が静かになってから平穏に生きていたいというように穏やかな男になってしまった。人類には未来がない。未来があると思うから社会を良くしようとするのである。
 「亮」
  歩み寄る気配は察していた。キャリーだった。
 「知らなかったわ、私だってHIGHLYだったのに」
  亮はうんうんとうなずいてちょっと笑った。
 「途方もねえ話だが作り話じゃねえだろうぜ。これで狂ったこの世が説明できる。
いま子供じゃなくてよかったぜ。七十年後など知ったこっちゃねえからな」
  キャリーは傍らの岩に座りながら言った。
 「それもあるから公表できないのよ。五十年先の若い娘と言うなら、まだ二世代先のこと。事実を知ったら子供を持って苦労しようとする親はいなくなる」
 「そういうことだな。それでなくても向こうでは少子化だ」
 「皮肉なものよね、WORKERだって奴隷なんだし」
 「それを言うなら俺たちは犬畜生さ」
 「だからよ。その犬畜生の中で子供が増えてる。向こうが本来の人間だよなって言うHIGHLYだって多いんだもん」
  流れを見つめる亮の横顔がほくそ笑む。
 「てめえの人生だけが平穏ならそれでいい。そんなもんよ」

 「ここがそうなの。ああそんな・・」

  マルグリットの声がしたのはそんなとき。透き通るように白い裸身、長い金髪。ボルトで固定するステンレスの首輪をされて、太いチェーンをリード代わりにバートに持たれ、男たち五人がぞろぞろ後をついてくる。
  トイレはここだと言われたマルグリットの声だった。亮もキャリーも、すぐ傍らに現れた白い女にほくそ笑む。男たちはタフだった。地球の終焉など絵空事で実感がない。そんなことより目の前の裸の女を楽しんでいる。
  ひとまたぎの流れに渡され二枚の板に足を分けてマルグリットはしゃがみ込んだ。
 「どうしたほら、さっさとしねえか、あっはっは!」
 「嫌です嫌ぁぁ、お願い見ないで」
  ちぇっ、ったく元気な奴らだと亮が言うと、キャリーが笑って背中をぽんと叩いた。
 「おぉう糞しやがったぜ、あっはっは、たまらねえケツしてやがる」
 「腹にたまったもん、たっぷり出せや。綺麗に洗ってお楽しみはそれからよ、ひっひっひ」
  バートまでが声高に笑い、すぐそばにいた亮やキャリーに目を向けた。

  板をまたぐマルグリットの裸身が紅潮している。体の震えが豊かな乳房を揺らしているのが見てとれる。野獣のような男たちに前と後ろを囲まれての排泄は高貴な女を壊すのに充分だった。
 「すんだらそこの柄杓で水をくんで洗うのさ、わかったかい。出せ出せ、もっと垂れ流せ、あっはっは」
  男たちがゲラゲラ笑う。マルグリットの面色は青ざめていて、白い頬に涙が川のように流れていた。
  リードを引かれて泣きながら板を降りた白い女を、二メートル近い巨体のバートがリードで吊るように引き寄せて、そしてちょっと亮を見た。
 「いただくぜボス」
 「ああ勝手にしろ」
  男たちが一斉に獣の声をあげた。
  リードを引かれてバートの胸板にたぐり寄せられ、さらに吊られて両足が爪先立ち。バートの腕力には抗えない。
  バートの黒く太い指が金色の陰毛の奥底へと無造作に突っ込まれる。
 「あンっ、あぁーっ!」
  男たちが寄ってたかって、乳房を揉み潰し、尻肉をわしづかみ、バートの片腕で吊られながらバートに唇を奪われる。
 「むぐぐ、うわぁぁーっ! きゃぁぁーっ!」
  嵐のような陵辱。リードをバートから受け取った男の一人が、チェーンを腰に巻くようにして頭を下げさせ、尻を突き出させる。
 「そんな嫌ぁぁーっ」
 「やかましい! 尻を出して足を開かんかい!」
  パシーッとバートの大きな手で尻っぺたをひっぱたかれ、女はぎゃっと声を上げた。腿まで下げたズボン。バートの黒い凶器が屹立し、それは前触れもなく白い尻の谷底へと突き立てられた。

 「うわっ! あっあっ! 裂けます裂けるぅーっ! きゃぁぁーっ!」
  くびれた腰を黒い両手にわしづかまれ、ぶるんぶるん震える尻を引き寄せられて、腰を使われぶち込まれる。マルグリットはチェーンのリードを腰に巻く前に立つ男の腰にしがみつき、獣の声をまき散らし、総身をがたがた震わせて叫び続けた。
  あまりにも落差がありすぎる野獣のセックス。マルグリットはカッと眼を見開いたまま口を半開きに唾液を垂らし、達するなどという境地を超えた限りのないピークへと追いやられていく。
  マルグリットの思いはキャリーにはよくわかる。つい数日前に嫌というほど教え込まれたこと。尻が震え、乳房が暴れ、総身に鳥肌が消えなくて脂汗にぬめってくる。恥辱という快楽の沼へ嵌まり込む女体。
 「どうだ、いいか女!」
 「はいぃ、いい、感じるぅ、ああ狂っちゃうーっ! うわぁぁーっ!」
  注挿が速く深くなっていく。マルグリットは長い金髪を振り乱して錯乱した。
  バートが果てて、それでも萎えない凶器が抜かれると、マルグリットは気を失ってがっくりと薄い草に崩れ落ちる。
  仰向けに寝かされて両方の綺麗な乳首をひねり上げられ、痛みにもがいて目を開けると、Mの字に脚を開かされて次の陵辱。白目を剥いて気を失うと乳房を横殴りにひっぱたかれて目を開けて、頬を叩かれ目を開けて、次から次に犯される。
 「わぅなむはぁうーっ!」
 「はっはっは、イカレてやがるぜ」
  喃語のイキ声。取り囲む男たちがほくそ笑み、射精が一巡するとふたたびバート。白い腿を割り裂いて黒く大きな尻が躍動する。

  亮はちょっと鼻で笑い、傍らにいて見つめているキャリーへ目をやる。目と目が合ってキャリーは言った。
 「もうダメね、私もそうだったけど、見てるだけで濡れてくるわよ」
 「そうなのか?」
 「それが女。心のどこかに陵辱を求めるもう一人の自分が棲んでいる。それは魔女でね、あんなふうに犯されると女は魔女の自分に素直になれる」
 「あぁダメわぁ! イクぅうーン きゃわぁーっ!」
  壮絶な声を聞いてキャリーは亮を見つめて眉を上げた。
 「ほらね、よくてよくてたまらない、それが女の正体よ」
  亮は、ふむとため息をつきながら言う。
 「しかしな」
 「そうね、そうやって子を宿しても産む意味がなくなった」
  そうしている間にも、男たちの声とマルグリットのあられもない悲鳴を聞きつけて精液フルタンクの男たちがぞろぞろと集まって来る。
  その男たちに亮は言った。
 「おおい、こっちにもいるぜ、見てるだけで濡れるってよ」
 「おおぅ!」
  キャリーは半分笑った嫌味な横目を亮へと向けた。
 「ひどい人ね、ふふふ」
  微笑みながらキャリーは立ち上がり、群がってくる男たちに拉致された。

  戻って来た亮を女たちの皆で見て、歩み寄って留美は笑う。
 「ひどいことになってるでしょ?」
 「なってるね。キャリーまでが加わったさ」
 「亮はいいの参加しなくて?」
 「それどころじゃねえだろう、心ここにあらずだよ」
 「うん、そうも思うけど、なんだかね・・」
 「うむ? なんだかねとは?」
 「人権がどうの平等がどうの。そんな女って可愛いものかしら?」
 「だから向こうは少子化なんだろ」
  留美はうなずく。
 「いい時代に生まれたのかなって思うのよ。地球の最期を見なくていいでしょ」

 「いい時代に生まれたもんだぜって笑ってたさ」
 「弟さんが?」
 「うむ。なんでも女が居着いたそうだ」
 「女の人が? 恋人なのね?」
 「さあね、職を探して飛び込んできたらしい。アニタという黒人の女性だそうだ」
  月面ベース。
  そのとき地球からは三日月だったのだが、その夜の側に月面望遠鏡ムーンアイが据えられたモジュールは位置していた。
  そのコントロールルームと背中合わせにある月のカフェ。カウンターの中にはすっかり女マスターとなってしまったジョゼットがいて、カウンターを挟んだ席にデトレフと女医の早苗が並んで座る。このとき海老沢は地下の建設現場に出向いていた。広いとは言えないカフェにはカウンターの他にもボックス席が四つほどあり、その三席に男や女が座っている。天井横には丸いガラスエリアの窓が鳥の目のように飛び出していて、半月ならぬ地球の上半分が青く輝いていたのだった。
  早苗が言う。
 「弟さんは知ってるの?」
 「とっくに言ってある。笑い飛ばしてやがったさ、俺には関係ない話だってね」
  ジョゼットがちょっとうなずき微笑んだ。
 「そうなのよね、私たちには無関係。でも哀しい」
  デトレフは言う。
 「知らない方がいいことはあるものさ。ルッツの野郎も、そんなこと言ったって誰も信じやしねえよって笑ってら」

 「あのことは知らせてる?」
  そう言ったジョゼットにデトレフは首をちょっと横に振った。知らせてはいなかった。
  月面の開発が進むうちに当然のように地球からは見えない月の裏側へと人の手がのびていく。
 「愕然としたぜ、まさか先客がいようなんて、それこそ言ったところで信じる者はいないだろう」
  月の裏側に、かなり以前に打ち捨てられたと思われる地下空間を発見した。どれほど前のものなのかは見当もつかない。銀色の不思議な樹脂で固められた壁面を持ち、しかし中はがらんどうで何一つ置いてはなかった。それほど広いものではないし天井も低かった。モジュールとモジュールをつなぐパイプも人が這って通り抜けるほどのサイズしかない。宇宙からの来訪者は小さな生命体だったと思われる。

  そしてそれを知るのは、ここいるメンバーの他にほんの数人。そのとき月面車で探査に加わった軍の数人だけだった。極秘として地球には報告しない。そう決めていたのである。
  ジョゼットは言う。
 「地球上には理解に苦しむものがいろいろあるけど、それらの説明がついた気がする。人類ではとても勝てない文明を持つエイリアン。五十年後には私たちだってエイリアンになるのですからね」
  早苗は言った。
 「会ってみたい気がしない?」
  デトレフが応じた。
 「むしろ来てほしいぐらいだね。あれほどの技術があるなら分け与えてほしいもの。どんな動力を備えたどんな宇宙船でやってきたのか。どうして月を捨てて去ってしまったのか。いまいったいどこにいるのか。地球を救う手立てはないものか。訊きたいことはたくさんある」

  ジョゼットは言う。
 「弟さんには会いたくないの?」
  デトレフは両手をひろげて首を竦める仕草をした。
 「さあね、会ってあいつの人生を羨むのはまっぴらだし」
  ジョゼットと早苗がカウンター越しに目を合わせ、そうかもしれないと言うように互いに目配せで笑っていた。

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逃亡者(八話)


  ひとまたぎの流れに板を二枚渡した便所の向こう側は背丈ほどの低木が茂るグリーンベルト。見た目には美しいものだったが毒蛇の棲み家ともなっていた。コネッサがやられたのもそのへんだ。
  そんな緑の中からヒュイという指笛の音が響いたのは翌々日の昼過ぎだった。今日は朝から空が冴えない。雨雲ではなかったものの白い雲に灰色の斑が混じる汚れた色が流れている。
  いつもの音を聴いたホルヘが亮の姿を探したが、そのときちょうど亮はトイレのある川から戻ろうとしているとき。ホルヘに言われるまでもなく笛の音は聞き取っていた。亮の姿を見つけて歩み寄るホルヘに、亮はわかっているとちょっと手を挙げ、ひとまたぎの川を跳んで向こう岸へと消えて行く。
  緑の中には蛇がくねるような獣道ができていて、踏み込むとほどなく、そこだけ森が途切れたゴツゴツとした岩場へと出るのだった。

  グレー迷彩の装甲ジープが遠くに見える。治安維持部隊、つまり警察もどきのクルマであった。
 「よぉ、生きてたか」
  濃茶と薄茶が混じり合う迷彩服。軍傘下の部隊であったから警察と言うよりも軍そのもの。銃身の短かなサブマシンガンを岩に立てかけ、その男は亮に向かってちょっと笑う。
  この男はヒューゴ・ヤンソン。フィンランド系のアメリカ人だった男である。身分としては本来WORKERなのだが、ヒューゴの妻がイギリス人女性でHIGHLY。それでしぶしぶHIGHLY居住区に暮らしている。
  WORKERどもから押収した武器を流してくれるのもヒューゴであり、ルッツのこともよく知っている。今日もまた木箱に入った銃器らしきものを持って来てくれていた。
  亮は軽く手を挙げ、歩み寄って岩に座った。
 「今度は何をしろと言うんだ?」
  ヒューゴは、まあそう言うなと言いながら、足下に置いた大きな木箱を顎でしゃくった。
 「ライフルと弾、手榴弾もあるぜ」
 「うむ、いつもすまねえ」
  ヒューゴは軽くウインクするような面色で微笑んだ。
  ヒューゴは身の丈二メートルほどもある大男で、かつてはベビー級ボクサーだった過去を持つ。しかしすでに齢四十を過ぎていて、いまでは贅肉も目立っている。銀髪の髪を軍隊式の刈り上げにしたシロクマのような猛者である。

  ヒューゴが言う。
 「さて、スネークバレーの一本道と言えばわかるな?」
 「わかるが?」
  ここから数十キロ南へ行った危険地帯。悪い連中が根城としている山岳帯へと続く一本道で、その途中、蛇のようにのたくった浅い谷を越えるのだったが、そこをスネークバレーと言う。
  ヒューゴは言う。
 「三月ほど前の話になるが国連の下部組織にいた女が逃げた。何があったのかはわからんがHIGHLY社会の中枢にいた女だ。俺たちに手配がかかっていて、WORKERどもの中に紛れようとしたんだろうが、とっ捕まったさ。女の名はマルグリット・ブノワ、フランス女で三十歳であるそうだ。引き取って殺せと命じられているんだがよ」
 「なるほど、そいつをかっさらえと?」
 「と言うより、突き出してくる連中がディスポでね、おまえにとってもいい話だと思ったんだが」

  ディスポ。処理や処分を意味するdisposalから、自らディスポと名乗る連中で、まさに何でもアリの悪党ども。手配のかかった者を突き出せばかなりな報償が与えられる。賞金稼ぎのようなものだった。しかし相手の数は多くない。人数ではほぼ互角と言えただろう。
  つまりこういうことだった。引き取れば殺さなければならなくなる。女を殺るのは寝覚めが悪い。またディスポにはほとほと手を焼いているのだが、神出鬼没で追いかけるわけにもいかなかったし、自ら力を行使すれば上に対して面倒な報告をしなければならなくなる。女のことよりもディスポをつぶせと言っているのだ。
  亮は応じた。
 「ルッツにそのことは?」
 「いや、言うにしのびなくてね。どうしたことか店に女がいやがった」
 「女?」
 「黒人のな。店員を雇ったそうなんだが、ずいぶん可愛がってるふうだったぜ」
  アニタだと亮は思った。
 「それでいい、奴は平穏に暮らしたい男だよ」
 「わかってるさ」

  かつてルッツと一緒に戦った相手がディスポの前身。その戦いでこちらも仲間が殺られていて、気に入らない連中の筆頭格のようなものだった。件の人買い連中からも獲物が流れていると聞いている。
  ヒューゴは言った。
 「落ち合うのはスネークバレーのちょい向こう、正午ジャスト。つまりな亮、こういうことにしたいのだよ。受け取りに行ってみたら女も含めて皆殺しにされていた。敵だらけの連中だからスジは通るぜ。クルマごと吹っ飛ばせ。現場写真でも撮って帰れば済むことよ」
 「女はどうする?」
 「さあな。そんとき死ぬならそれもいい。面倒はまっぴらだ。ただし逃がすな」
 「なるほどね、いかにも都合のいい話だが、わかったぜ、やってやる」
  亮はちょっと頭を掻いて苦笑したが、敵が敵だけに見過ごせる話ではない。殺された仲間の仇をとってやる。

  木箱の中には、旧式ながらよく手入れされた軍用ライフル三丁と弾丸、それに手榴弾が九発入っていた。箱を開けて眺めながら皆を集めて亮は言う。
 「まずはどこぞでボロ車をくすねて来い。道幅のない一本道だ、スタックさせて足を止める。出てきたところを蜂の巣にしてやるんだ」
  コネッサが言った。
 「女は生かす?」
 「そのつもりだが成り行きってことになるだろう」
 「それはいいけど面倒なことになるよね?」
 「まあな。逃がすわけにはいかなくなる」
  男の一人が笑ってコネッサに言った。
 「そうなりゃおめえ、ひっひっひ、裸でつないでおくしかあるめえよ」
  キャリーが言った。
 「その昔の奴隷だよね」
  亮が言う。
 「さてね、決めつけるのは早いぜ、女次第よ」
  やっぱり亮はやさしいと、留美はそばで聞いていてちょっと笑った。
 「女はともかくディスポだ、生かしちゃおけねえ」
  ホルヘが言って皆がうなずき、亮が言う。
 「そう言やぁ、ルッツがよ、あんときの女を可愛がってるようだぜ」
  留美とキャリーが視線を交差させて眉を上げた。

 「来たぜ、奴らだ」
  二日後の、昼にはかなり前の時刻。軍との接点ということで敵も慎重になっている。様子を探ることもあって約束の時刻よりもかなり早い。年代物のオープンタイプの軍用ジープが先と後に一台ずつ。そしてそれらに前後を挟まれるようにして鉄箱が載った大型の軍用ランドビークル。こちらとほぼ同じ陣容だった。
  オープンタイプのジープに男どもがそれぞれ四人。挟まれて進む鉄箱の中は窓に金網が嵌まっていてはっきりしないが、数人は乗っていると思われた。
  スネークバレーは長さ数キロに渡って連なる地溝帯であり、谷としては浅い方だがそれでも深いところで数十メートルは落ち込んで、引き裂かれたような鋭利な岩が目立つ場所。その谷の北側にかろうじて通れる道筋があって、そこは舗装路なのだが、谷を渡って少し行くと土と砂の道になってしまい、その先に岩山が連なっていて悪党どもの隠れ家が点在していた。
  治安維持部隊として、その程度のことはわかっていても手は出さない。下手に踏み込んで散らしてしまうとなお面倒なことになるからだ。WOEKERに属する治安維持部隊は現代の装備を持っていたが、HIGHLYの目が厳しく、手出しをすれば詳細な報告をしなければならなくなる。
  それでそうしたときに手先となって動いてくれるのが、じつはディスポのような連中なのだ。代わって処理しますぜということで、その名もディスポ。治安維持部隊としては痛し痒しなのだが、そんな中でとりわけディスポは悪かった。被害を訴えられれば対応せざるを得なくなる。

  谷を渡った向こう側の道筋に年代物の大型セダンがフロントを脱輪させてスタックしている。間際まできた敵の車列は一旦止まり、前後のジープから男たちが降りて来て、スタックしたクルマにロープをかけて引きずり上げようとしている。
  亮たち十人は、現場が見下ろせる岩陰に陣取った。わずか十数メートル下に敵はいた。
  先頭のジープ一台で上げようとしたのだったがタイヤが空転するだけで動かせない。スタックしたセダンは大きく、いかにジープであっても一台では無理。そこで今度は中に挟まれた大型の軍用車で上げようとしてロープをつなぎ直している。鉄箱からさらに三人の男たちが降り立った。それぞれがライフルを持っていたのだが作業ためにそこらに置いてかかっている。
 「中に女と、後一人」
  双眼鏡を覗いてバートが言い、亮はうなずき、皆が持つ十丁の軍用ライフルが一斉に狙いをつけた。
 「よし撃て!」
  タッタッタッターン! 銃声が重なってさながらマシンガンのような交錯する音となる。敵がバタバタ倒れていき、それでも銃に飛びついた何人かの応戦弾がこちらの岩をバシバシ抉る。
  残った敵は先頭のジープの陰に三人、そして箱の中の一人。
  バートが手榴弾のピンを抜き、先頭のジープの向こう側へと投げつけた。
  ドーン!
 「うわぁぁーっ!」
  炸裂して四方に散らばる破片でやられた男たちがジープの陰から転がり出てきて、のたうちもがく。逃さずライフル弾の餌食。
  鉄箱の中にいる男の一人が叫んだ。
 「撃つなーっ! 降参だ、撃つなーっ!」
  それがボスだろうと亮は思った。

 「クルマを降りろ! 女もだ!」
  それぞれに銃を構え、岩陰から動き出す五人。他の五人を岩陰に残しておいて援護させる陣形だ。
  鉄箱のリアゲートが開いてライトブルーのパンツスタイルの金髪の女が降ろされた。後ろ手に手錠をうたれている。それに続いて明らかに格上の男が一人。でっぷり肥った黒人だった。歳は四十そこそこかと思われる。
  ライフルを構えた四人を援護として歩み寄る、亮。
 「てめえがボスか?」
 「違う、俺は違う、ボスはアジトだ、ここには来てねえ」
 「だろうな。てめえら、まだ仲間がいやがるのか?」
 「いる。五人ほどだ」
 「後ろを向いてクルマに手を置け。妙な真似はするんじゃねえぞ。手錠のキイはどこにある?」
  男はクルマの中へと顎をしゃくった。
  亮はバートに目配せして女を確保させておき、別の一人に手錠のキイを探させる。女の手錠を外してやって男たち二人に左右から腕をつかませ、それから亮は後ろを向いたままの男に言った。
 「すまねえな、生かしておいちゃこっちの面が割れるんでね、あばよ」
  ターン!
  至近距離からの一発で敵は全滅した。

  散らばる死体それぞれにとどめの一発をくらわせて、死体のいくつかを前後のジープに放り込み、亮はそれから女に言った。
 「マルグリットだな?」
  女は金髪のロングヘヤー。色が白く、いかにもHIGHLYといったパンツスタイルでジャケットを着込んでいた。センスがいい。男どもに乱暴された形跡はない。驚くほどの美人だった。
 「脱げ」
 「え・・助けてくれるんじゃないの?」
 「だからだよ、さっさと脱げ。爆破する。女の服ぐらい散らばってねえと話にならん」
  しかしマルグリットはイヤイヤと首を振るだけで応じない。亮は両側から腕をつかむ二人に言った。
 「脱がせろ、パンツ一丁だ」
 「おぅ! ひひひ!」
 「嫌ぁぁーっ、嫌です嫌ぁぁーっ!」
  しかし腕をひねられ、大男に羽交い締めにされながら、着ているものを剥がされていく。下着は目の覚めるレモンイエロー。ブラが剥がされ、パンティだけは許された。豊かに張り詰める若い乳房、綺麗なピンクの乳首も美しい。

  カップの大きなブラジャーを受け取った亮は、そこらの死体から血糊をブラになすりつけ、さらに男たちの中から小柄な一人を選ぶと女の服を無理矢理着させて鉄箱に放り込むと、小型のダイナマイトを荷台に仕掛け、ブラジャーを引きちぎって車外に捨ててその場を離れた。
  最後に残った二人が手榴弾のピンを抜いて前後のジープに座らせた死体の足下へ転がして、走って岩陰へと転がり込む。
  ドォォーン! ドーン! ドーン!
  ダイナマイトと二発の手榴弾。こうしておけば死体の損傷が激しくて女の姿をしていれば女だと写真には写るはず。ヒューゴがうまくやってくれるだろう。

  透けるように白く美しいマルグリット。鉄箱の軍用車の対面シートの片側に左右を男二人に挟まれて乗せられた。レモンイエローのパンティだけの姿。両手で豊かな乳房を覆って身を丸くして震えている。
  そしてその対面シートの真ん中に亮が乗る。亮はあのときと同じ言葉を裸の女に突きつけた。
 「救われたと思うなよ、おまえ次第だ。俺たちだって山賊よ。おまえには手配がかかっている。引き渡されればどのみち死刑さ。諦めて死ぬのか、喰らいついてでも生きるのかってことだな」
  マルグリットは恐怖に青ざめていて言葉はなかった。
 「ふふん、いい女だぜ、たっぷり可愛がってやるからよ」
  横に座るホルヘが笑う。マルグリットはますます身を丸めて小さくなった。

  HIGHLYの世界とは決定的に違う、あたかも石器時代のような洞穴と岩と緑の世界。根城に連れて来られたマルグリットは、土の上に裸足で立たされ、周囲をぐるりと男や女に囲まれていた。同じ白人のキャリーだけが一歩退いて声もなく見守っている。
  椅子代わりにしている切り株に座る亮、そのすぐ横に座る留美。留美はもうボスの女ということになっていて、女たちでさえが一歩退いて接するようになっていた。
  金色の糸のようなロングヘヤーが風に揺らぐ。マルグリットは美しい。いかにもHIGHLYといった気品がある。HIGHLYにも当然のように格というものがあるのだが、中枢部にいた女だけのことはあると皆が思った。
  留美が言った。
 「脱ぎなさいマルグリット。救われたいと思うのなら忠誠を誓うこと。どのみち同じよ、裸にされて犯される。女ですもの、少しでもやさしくして欲しいでしょ?」
  留美に対して一目置くのはこういうところ。本気で相手のことを思っている。
  男女合わせて二十人ほどに囲まれていて、マルグリットは子猫のように震えていた。金色にシルエットを描く産毛までもが美しい。スリムだが肉付きも女そのもの。乳房もDサイズアップはあって、くびれて張る腰へのラインも彫像のようだった。

  留美が言う。
 「奴隷として犯されたい? 女として抱かれたい?」
  マルグリットは涙を溜めて日本人の女に向かって言うのだった。
 「わかりました、死にたくはありません」
  レモンイエローのパンティはマチが浅く、少しずらすだけで金色の性毛が露わとなった。囲まれた輪の中で、下着は丸まった布となり果てて、足先から抜き取られて一糸まとわぬ白い裸身。亮はちょっとうなずいて見上げながら座れと言った。
  マルグリットは静かに膝をついて、そのまま正座をするようになる。
 「いい尻してやがるぜ、ひっひっひ」
  後ろを囲む男たちが野卑て笑う。マルグリットの目は宝石のようなブルー。金色の長い睫毛が涙に濡れた。
 「そうよね、どうせおしまい、最後の人類を生きるしかないんです」
  小声で言ったその言葉に留美はちょっと首を傾げた。
  亮が言う。
 「いくつだ?」
 「三十歳になります」
 「なぜ逃げた? おまえは向こうの中枢にいたと聞くが?」
 「たまらなかったんです何もかもが。人への扱い、人類への見極め方、誰を生かして誰を殺すか。結局白人ばかりを優先し五百万人を生かす。そのとき乗り込めるのは白人の娘だけ。そんな決定が許せなかったし、だいたいにおいて公表しようともしていない。人権がどうのともっともらしく言っておきながら、着ている服を見透かすような色目で見られ、誘われて断ると敵視される」

  亮が言う。
 「何を言ってるんだ? 五百万人を生かすとはどういうことだ?」
  マルグリットは泣きながらもちょっと笑った。
 「ほらね、誰も知らない。地球上のほんの一部しか知らないこと。だからあの人たちは私を葬ろうとしたんです。機密情報みたいなものですからね」
  それからマルグリットが想像さえできないことを言い出すとは、このとき誰一人思わなかった。

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ボスの女(七話)


  アニタがつくる料理はなかなかのものだった。貧しい家に育ったからか、いまある物をうまく使って見栄えのいい料理に仕立てていく。
  ルッツの店には裏側に住居となる別棟が建っていた。ここらの家はほぼ平屋。拓かれた土地にゆとりがあったから二階を造る必要もなかったということだし、とりわけここは、かつては裕福な家だった。大きなダイニングテーブルにこれまではルッツが独り。だいたいにおいてテーブルなどは物を置く台であり、鍋でつくったものなら鍋からじかに喰うのがあたりまえ。
  しかし今夜からは違う。キッチンも綺麗にされたし、テーブルもすっきり片付けられて差し向かいで食べる夕食。どれぐらいぶりのことだろうと妙な気がしてルッツは可笑しくなった。

 「おぅ、なかなかやるじゃねえか、美味いぜ」
 「ほんと? なら嬉しいけど」
  飛び込んで来たばかりの女。しかしずっと前から知っていたような気がしてならない。穏やかな気持ちになれているとルッツは思ったし、何よりアニタの面色が飛び込んで来たときとはまるで違う。痩せ細った犬のようにびくびくしていた眸の色もずいぶん穏やかになっていた。
  アニタが言う。
 「おなかいっぱい。こんなに食べたのどのくらいぶりだろう」
 「そうなのか?」
 「あたしなんか奴隷みたいなものでした。人間扱いされなかったし、でもいつかそれが普通になって逆に気が楽だったんです」
 「狙われなかったか?」
 「体?」
 「うむ」
 「それは当然。だけどそれだって普通のことになってしまう。苦しさをせめていっとき忘れたい。女はそんなものなんです。寂しくてどれだけ泣いたか」

  そういう社会になってしまった。弱みにつけこまれれば逃げ出すには勇気がいる。それなりに定まった暮らしを簡単に捨てるほどLOWERたちの社会は甘くない。生きることに挑まなければ死ぬしかない。
  ルッツは言う。
 「ここもずいぶん穏やかになったんだぜ。俺はもともと兵士だったし町の者たちもこれではいかんと思ってた。略奪、喧嘩、レイプなんざ普通のことでな。俺はガンを持っていた。そのうち亮たちとも知り合ってよ」
 「さっきのお客さんですよね?」
 「そうだ、あの日本人だよ。奴らは山賊だがクソ野郎どもしか狙わねえ。奴の仲間っつうのがどいつもこいつもハンパな野郎ばかりでよ、亮と出会って生き方が変わった奴らばかりなのさ。俺と奴らでクソ野郎どもを追っ払ったもんだぜ」
 「いいお友だちなんですね」
 「そういうこった」
  ルッツはちょっと眉を上げて首を傾げる素振りをした。
 「ま、しけた話なんぞしたってしゃあない、さっさと片付けて寝ちまえや。ありがとな、明日からも頼んだぜ」
 「はい、もちろんです、私のほうこそよろしくお願いします」

  やさしい言葉をかけてもらった記憶のほとんどなかったアニタ。部屋も用意されて、そこには新しくはなかったものの信じられないほど綺麗なベッドも置かれてある。ドレッサーまでがついている広い部屋。何もかもがシンデレラのようだった。この家には女の気配がまるでない。マスターはずっと独りだったんだと考えた。
  広いキッチンで片付けをすませ、それからまたシャワーを浴びてソープで体中を綺麗に洗う。
 「私じゃダメよね」 と、アニタはぼそりと呟いて部屋へと戻った。
  ルッツの寝室とは一つ間を空けた部屋。ドレッサーの鏡を覗き込む。美人じゃないし私は黒人。堂々とした白人のマスターには似つかわしくない。そう思うと寂しくなって一度は寝た。まっさらなブルーのネグリジェも店にあった商品。何もかもがそれまでの自分とは違う。
  アニタは奮い立った。眸が冴えて眠れない。代償を求められない幸せが怖くなる。

  大きなドアをノックした。怖くてノックが弱くなる。何しに来やがった、失せろと言われそうで怖かった。
 「もうお休みになられましたか?」
 「いんや、まだだ。どした、入れ」
 「あ、はい」
  そっとノブを回すとカチャっと音がしてドアが開く。そのときアニタはネグリジェ姿。真新しいピンクの下着が透けていた。
  ドアだけ開けてみたものの突っ立ったままのアニタ。
 「どした? 蛇でも出たか?」
  ちょっと笑うアニタ。
 「ううん、そうじゃない。ねえマスター」
  ルッツは大きなダブルベッドから上半身をひねって顔を上げた。窓越しに射し込む外の明かりが浮き立たせる恐ろしいほどの胸板。毛むくじゃら。
 「私じゃダメですよね?」
 「どういうことだ?」
 「ブスなんだし胸小さいし、でも一度くらい夢を見たくて」
  女声が詰まり、涙声に変わっていく。
  ルッツは「ふむ」とため息をついてアニタの真意を見極めた。
 「ったく馬鹿な女よ、てめえはよ。さあ来い」
 「はい、抱いてください、怖くて私・・」
  泣いてしまってベッドへ走るアニタ。布団をめくられて飛び込むように潜り込んで、恐ろしい野獣の肉体にすがりつく。
  ルッツは、比べるまでもなく小さな黒い体をそっと抱き、微笑んで眸を見つめた。アニタは眸を反らせない。吐息が熱くなっていく。

 「私じゃダメみたい、相手にしてくれない」
 「奴らがそう言ったのか?」
 「おまえはボスの女だ、そっちへ行けって」
  洞穴の奥の亮のねぐら。横穴。留美はちょっと笑いながら歩み寄ると、ルッツの店で選んだばかりの青い花柄の下着姿となって亮の寝床へ身を横たえた。
 「キャリーはどうしてる?」
 「男たちが連れてった」
  亮はうなずくと留美を胸板に抱き寄せて肩を抱く。留美とキャリー、二人の女を好きにしろと男たちに委ねて独りになったのだったが、留美だけが追いやられて戻ってきたということだ。
 「キャリーが少し変わったみたい。あそこでほら、無惨に捨てられた死体を見て運命を悟ったんじゃないかしら」
 「おまえもな」
  留美は声もなくうなずくとトランクスだけで横たわる亮の体に女の白い手を這わせていった。
 「私ならいいのにね。ボスの女にされちゃった」
 「ボスだなんて思ってねえよ」
 「だからよ。亮がそうだからみんなはボスだと感じてる」
 「おまえが日本人だからだよ。ここらで日本の女は見かけねえ。日本語で話せる相手がいいだろうと奴らはそう思ってる。母国語で話せる相手。生まれ育った国への想いはそれぞれにあるからな」
 「ひどい世の中」
 「そうかな。俺はちょっと違うふうに考えてるぜ。こっちで人は人のままでいられるんだって。生き方を制約されない。と言うか、もはやそれさえも考えない」

  亮の肉体に触れているうち、留美は何もされていなくても濡れていた。下着を取り去り、亮のトランクスも取り上げて、体にまたがり尻越しに手をやって、硬くなって熱を持ちだした亮を自ら膣口に導いていく。
 「ぅン・・」
  ヌルリと侵入するものを楽しむように留美は静かに腰を使った。
 「感じるの、怖いほど感じるわ。キャリーを見てても思う。取り繕ってなんていられない。人は獣。脂汗にぬめるようなセックス、もがいて吼えるようなセックスなんて向こうにはないものよ。あのときキャリーは陵辱に感じてしまう自分自身を呪っていたはず。殺せ殺せと叫びながら、お尻を振って快楽を甘受していた。こんなのおかしい、私はそんな女じゃない。ひどいわ、ひどい。だけど次から次に犯されて、体はそれを快楽と受け取って可哀想な私じゃないと思っていたい・・」

 「生きること。それしかなかったんです。LOWERなんて呼ばれる前から底辺でした。だから私にとっては何一つ変わらない。私はきっとマゾではないけど、心よりも体が快楽なんだと錯覚する。それが陵辱だとしても、せめてものセックス。蔑まれて犯されていても、そのとき感じることだけが悦びだったんです」
  激しい性波は去っていた。おぅおぅと雄叫びを上げて達していく。黒い肌から淫水のようなイキ汗を搾り出して果てていく。夢のようなセックスだったとアニタは思い、ルッツにまたがり強い胸に身を委ね、ささやくように話していた。
 「雇ってもらえた恩返しというわけでもあるまい?」
  ルッツの視線は直線的に女の心に刺さっていく。
 「違います。夢の記憶さえあれば生きていける。性奴隷でもかまいません。マスターのために生きていたいと思ったから。だからマスター」
 「何だ?」
 「お願いですからやさしくしないで。怖いんです」
  ルッツは眉を上げてアニタを見つめ、黒い裸身の両肩をわしづかむと軽々とひっくり返してベッドの上に組み伏せた。
  そして、わかったと言うようにうなずくと毛むくじゃらの顔を寄せて唇を奪っていく。アニタは震える。たったそれだけのことなのに心が感じてアクメへと追い立てていくようだった。

  幾度もそこへ追い立てられて、白目を剥いて気を失うまで犯され抜いたキャリーは、男の一人が裸身を担ぎ、もう一人の男が着ていたものを丸めて持って、コネッサがねぐらとしてる横穴の中へと捨てるように置いていった。
  そのときコネッサのねぐらにはリンという東洋系の女も一緒で、亮のねぐらにもあるようなシングルベッドから引っ剥がして持ち込んだクッションの上で抱き合っていた。
 「ふふふ、ちょっと可哀想かな」
  捨てられた白人の裸身を見て、リンは笑い、だらしなくひろげたままの腿の間に懐中電灯の明かりを浴びせる。
 「どれほどやられたんだか、精液が流れ出してる。綺麗なアソコだよ白人のアソコは」
  リンとコネッサで脂汗にまみれた体を拭いてやり、血の滲む性器の周りも綺麗にしてやる。そのときキャリーが眸を開けた。
 「壊れちゃう。こんなことが続いたら狂っちゃう」
  リンが言う。
 「感じたかい?」
  キャリーは苦笑してまっ白な裸身をくねらせて起き上がった。
 「口惜しいのよ。どうして感じちゃうのか。レイプどころじゃないんだよ、次から次から。なのに私はよくてよくて吼えている」
  リンとコネッサが顔を見合わせてほくそ笑んだ。
  キャリーの棲む穴は決まっていない。ルッツの店で揃えた服はコネッサのねぐらに置いてある。キャリーは綺麗にされた自分の体を見回して、二人にありがとうと言うと、ロングTシャツのような寝間着を着込む。体に鉛を埋められたように動きが重く、腰が抜けて平らな岩の上に敷いたカーペットに崩れて座る。

  リンは小柄だったが肉付きはよく、いかにも女といったように乳房も張っていい体をしていた。
 「あたしはリンだよ、コネッサは知ってるね?」
  キャリーはうなずく。
  リンが言う。
 「ルッツのところに女が飛び込んだそうじゃないか。あたしも似たようなものだったんだ。あたしは香港。元はWORKER。職場で嫌な野郎にセクハラされて上に訴えたら、面倒だからって捨てられた。職探ししてる女は腐るほどいるからね」
 「それで人買いに?」
 「そうだよ、あんたと一緒さ。若い女はだいたいそうだよ、連れて来られて違う道を歩かなければならなくなる。リッチな変態野郎のところへ連れて行かれ、ひどい仕打ちを受けたんだ。隙を見て逃げたまではよかったけどさ、外はもっとひどかった。金がないだろ。何かして稼ごうとすると体を売り物にしなければならなくなる。ちっとはまともな連中を相手にしててもそうなんだ。だからまた逃げ出して彷徨った。賊に襲われて嬲り殺しにされそうになったとき、ここの皆に救われた。
ここの連中だって野獣だよ。けどね、犯され抜いて気づいたときには守られていた。よそから舞い込んだ牝を牡どもは蹂躙するが、仲間と認めると牡たちは守ってくれる。まさに獣の群れなのさ」
  コネッサが笑って言った。
 「あたしも気づいた。泣きわめいているのに、どうして感じるんだろうってね。もういい、逆らうのはやめよう、逃げたってもっとひどいことになる」
  リンが言う。
 「干からびた裸の女の死体を見たんだ。平原の隅っこに忘れ去られるように捨てられて乾いていた。東洋系の肌の色。こうはなりたくないと思ったものだよ」

  キャリーは言う。
 「私はHIGHLYだったけど、いまは憎い。WORKERでさえHIGHLYたちの奴隷みたいなものだから。人権だとかどうだとかきれい事を並べておきながら、不要となったら捨て去って知らん顔」
  リンが言う。
 「つまりは何一つ変わらないってことじゃんか。上は上、下は下」
  コネッサはキャリーの面色を黙って見ていた。諦めの眸の色を見透かした。しかし見定めた者の覚悟が見えはじめている。
 「もう死にたいなんて言わないだろ?」
  キャリーはこくりとうなずいてから、かすかな笑顔に変わって顔を上げた。
 「生きてみる。留美が言ってた。どのみちそうなら私は男たちが欲しがる女でいたいんだって。あの子は強いわ、信じられない」
  それにはリンもコネッサも眸を合わせてうなずいていた。
 「じゃ行くわ」
  リンが立った。乳房の谷も見事な下着だけの姿。Tシャツを着てジーンズを穿き込んで、いつの間にか消えていた。

  入れ替わりに狭い寝床に横たわり、黒いコネッサに抱かれる白いキャリー。
 「ここではビアンはNG?」
  コネッサは笑う。
 「何でもアリさ。明日死ぬとも知れないからね。怖いのは人だけじゃない、あたしは毒蛇にやられたんだ。いまではずいぶん少なくなったけど、うっかり草葉に踏み込むとヤバイのさ。血清が用意してあったから助かったようなもの。そのときひどい熱が出てね、そしたら男どもが川で冷やした体で次々に抱いてくれた。ああそうなんだと思ったもんだよ」
 「そうなんだ?」
 「男の情さ。愛なんておチャラけたもんじゃない。冷たくて気持ちよくて涙が出てきた。好きよ愛してるで結婚して、どんだけの夫婦が仮面なんだよ向こうでは。こっちは違う」
  キャリーは何も言わずにコネッサの乳房に顔をうずめてすがりつく。跳ね返すような弾力のある黒い乳房。キャリーはその乳首を探して吸いついて、静かに涙を溜めて眸を閉じた。

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ルッツの店(六話)


  翌日も空は晴れ渡って暑かった。オーストラリア大陸の内陸部は、ほぼ乾いた土地であると言ってもよかっただろう。洞穴の棲み家から森を抜けて内陸部へと少し走ると、見渡す限りの土と岩、わずかに緑が散らばる大平原に出るのだったが、クルマはそちらには向かわずに森林地帯に沿ってのびる舗装された道を北上した。近くにも町らしきものはあるのだったが、そこはとりわけ物騒で若い女を積んでいると襲われかねないというのである。

  軍に捨てられたオープンタイプのジープに男が二人。そしてもう一台、こちらは屋根のある、これもまた軍用車であったのだが、スチールネットの嵌まった窓には黒いフィルムも貼られてあって中が見えなくされている。左ハンドルで運転するのは亮。右の助手席にバートが乗り、後席には留美とキャリー、それにホルヘが乗り込んでいた。暮らしに必要なものは不定期に買いに出る。山賊暮らしには自由があった。
 「ほらよ見えてきたぜ、ここらじゃまともな町なんだ」
  そうホルヘに言われ、キャリーは、ホルヘが握る軍用ライフルへとチラと目をやり、サングラス越しに見る景色のようなブラックトーンの外を見る。

  LOWERばかりが暮らす町。しかし決してスラムのようなものではない。もともとあった町であり十年ほど前に住人だけが入れ替わっただけなのだが、強制されて移住した者たちがほとんどだから土地への愛着なんてないに等しい。そこらじゅうにゴミがまき散らされて放置され散乱する生ゴミに野ネズミが群がっている。
 「おいキャリー、あれを見ろ」
  ホルヘの指差す先を見ると、粗末な服を着たまだ若いと思われる男が道ばたに倒れている。
 「死体だ。ネズミどもが群がってないからまだ新しい。ここはそれでもましな方でな、よそへ行きゃあ素っ裸の女の死体が転がってるぜ。襲われて犯されて殺される。若い女どもは決して一人じゃ出歩かねえ」
  キャリーは眉を寄せて目を反らした。
 「よっく見ておけ、逃げたらああなるってことよ。無法地帯だと思えばいい」
  キャリーは応えず、そのとき隣りにいた留美が手を握ってやっている。留美もキャリーも借り物のワンピース。二人が着るものを買うこともあってやってきた。
  
  ほどなく一軒の店の前でクルマは停まった。二台のクルマから男たちがそれぞれライフルを手にして降り立った。
  ルッツの店。
  四角い板にペンキで手書きした看板が軒先に釘で打ちつけられてある。
  女二人は男たちに守られながら店へと入る。オートドア。LOWER居住区であっても町にはもちろん電気が来ていて上下水道も完備する。あたりまえだった社会から住人だけが入れ替わった様相だ。
  ルッツの店は、もともとは洋装店であったらしく、それなりに綺麗で広い店だったのだが、男の服、女の服、野菜や缶詰などの食べ物から煙草までが無秩序に並ぶ乱雑な雰囲気だった。
  店の主は名をルッツと言って、バートよりは少し背が低かったものの、それでも190センチに近く、隆々としたヘラクレスのような男。銀髪のロングヘヤーも伸ばしっ放しといった感じ。髪の毛と顎髭の区別もつかない目つきの鋭い白人だった。

 「よぉよぉ亮じゃねえか。じきじきにとはめずらしいな」
  英語を話す。にやりと笑われ亮はちょっと苦笑した。
 「よせやい、俺なんぞ何様でもないんだよ、久しぶりだな」
 「おぅ」
  そう言いながら店主は見慣れない女二人に目をやった。
 「かっさらったか?」
 「まあな、人買いだ」
 「うむ、クソ野郎どもが。そいで? そいつらに服をってことかい?」
 「他にもあるさ、弾がねえ。で、ルッツよ」
 「お?」
 「こっちが留美、めずらしくも日本人だ。そっちがキャリー、元はHIGHLYでな、浮気した彼氏をぶっ殺してとっ捕まったらしい」
  それから亮は二人に言った。
 「ルッツだよ。見てくれは野獣だがいい奴だぜ」
  留美は微笑んで会釈したが、キャリーはにこりともせずにちょっと頭を動かした程度だった。人買いから救われたといっても若い女の扱いなどは知れている。キャリーはそれで怖いのだろうとルッツは察した。
  ルッツは女たちに言う。
 「そのへんにあるから選ぶんだな。下着もあるしよ」
  留美がキャリーの腕を取ってカラフルな服が提げられたポールハンガーの陰へと連れて行く。男たちもてんでに散って欲しいものを物色しだす。
  そのとき亮は女の服が掛けられるポールハンガーの前に置かれた来客用のテーブルについて座り込む。その気配を察した留美が小声でキャリーに言う。
 「ごらんよ、目隠しになってくれてる。フィッティングルームなんてないんだから。やさしいと思わない?」
 「うん、それはそうかも」
  獣のようにわめき散らして犯され抜いた記憶はあまりにも生々しく、それでキャリーはよそよそしい。

  亮は言う。
 「コーヒーあるかい?」
 「おぅ、あるぜ」
  インスタントコーヒー。ひとつだけつくってテーブルに歩み寄るルッツ。コーヒーを置くと、白いスチールチェアを引いてどっかと座った。
  亮が言う。
 「で、近頃どうよ?」
 「ふんっ、どうもこうも、物騒でいけえねや」
 「たまらんな」
 「ここで暮らすんなら頭ん中身をいっぺん捨てねえとやってられん。ぼろくそさ何もかも。これじゃおめえ西部劇だぜ」
 「西部劇か、懐かしい響きだ。荒野のガンマンかい」
 「言える。保安官がいるだけそっちがましさ」
 「うむ。ところで兄貴はどうしてる?」
  ルッツは人差し指を立てて天井を指差す仕草をした。

  ルッツはルッツ・フランツ、旧ドイツの出なのだが、歳の離れた兄がいた。
  それがデトレフ・フランツ。月面にいる兄である。
  亮はデトレフを知らなかったが、どうしても信じられない。
 「マジだもんなぁ」
 「マジだぜ、行ったきりさ。ごくたまに無線が入らぁ」
 「生きてるって?」
 「元気そうだ。月のベースとやらもかなり進んだってことだぜ。三万ほども住めるようになったって」
 「三万? どう考えても信じらんねぇ、月に都市をねぇ」
 「HIGHLYどもは未来に生きてら。俺っちなんざ西部劇だっつうのによ。あ、いけね、忘れてた」
  と言ってルッツは亮の肩越しに首だけ伸ばして女二人へ目をやった。
 「おい娘っ子ども、ブラジャーそっちのボール箱だ、出すの忘れてた。可愛いのが入ったからよ、ひっひっひ、パンティもたんまりあるぜ」
  大きな声で。留美とキャリーは目を合わせて互いに舌をちょっと出す。
 「けっ、クソ親爺が」 と亮が言って皆が笑った。

  この町は新興街と言えるほど新しくはなかったが、道筋も家々も見事に整備された綺麗な町だった。かつてはゴミひとつ落ちてなく、子供たちの明るい声もしたものだ。住人のほとんどがWORKERであり、その居住区へ強制的に移住させられた。そこからあぶれた者たちと、よそから流れて来た者たちが混じり合う町となる。ときどきパトロールの警察もどきはやってくるが何があろうと見て見ぬフリ。 このルッツや亮たちが出入りするようになってから、ちゃらけた犯罪が減っていた。ルッツは元はドイツ軍の軍人であり本来ならばHIGHLYなのだが、亮同様にふざけるなと言って飛び出したクチだった。
  ルッツは言う。
 「それも最初の頃だけよ。いまじゃもう他人事さ。いちいちかまってられねえし、てめえのことで精一杯。みんながそうだぜ。正義感なんぞ振り回したところでいいことなんざありゃしねえ」
  そしてまた女たちへと目をやるルッツ。
 「どうだい可愛いブラジャーだろ? 着けてみろや、見ててやる。いっひっひ」
  亮は呆れ、しかし人の好いルッツの横顔を見つめて言う。
 「相変わらず独り暮らしなんだな」
 「それが気楽さ、そんなもんよ」
  亮はちょっと眉を上げて首を傾げ、それ以上のことを言わなかった。
  ルッツには八つ上のデトレフとの間に姉もいたし、かつては妻や子も持っていた。しかし家族は皆HIGHLYに留まっていたいと言って離婚している。

  と、オートドアがするすると開いて、粗末であってもそれなりに普通な身なりをした黒人の女が入って来る。黒人特有の縮れたショートヘヤー。歳の頃なら三十代の半ばあたりだろうと思われる。女は黒い大きなザックを背負っていた。店の前にいつの間にか自転車が置かれてあった。
 「あの」
  女はそのとき店にいた大勢の客を見渡しておどおどとした眸の色だ。
 「おぅ、いらっしゃい、服かい?」
 「いえ、あの・・」
  女は来客を気にしている。ルッツは立ち上がると女のそばへとのしのし歩む。
その女は小柄なほうでルッツに歩み寄られると子供に見えた。
 「あたしアニタって言います、元はブラジル。しばらく働けないかなと思って」
  職探し。こうした者は多かった。家政婦など雇える家は少なかったし、働き口はあっても給料は安い、若ければ体を狙われる。飲み屋かセックスを売り物にする夜の商売でもない限りまともなところはほとんどなかった。
  ルッツは言った。
 「しばらくとはどういうこった? 金ができたらとんずらするってか?」
 「いえ、あの・・」
 「はっきりしろコラ、うじうじするな」

  野獣のようなルッツ。女は怖くなってうつむいてしまう。
 「何かやらかして来たな?」
 「逃げて来ました。あたしずっとホテルの下働きをやっていて、あるときお客さんの忘れ物がなくなって、おまえが盗んだなって言われて折檻されて」
  それも訊くまでもないことだった。折檻とはつまり性的な拷問である。
 「追われてるのか?」
 「いえ、それはありません。忘れ物はお客さんの勘違いで出てきました。だけどもう腹が立って飛び出して来たんです」
 「チャリでか? あれはおまえのチャリなんだな?」
 「はい、ずっと乗ってる私の自転車」
 「どのぐらいそうして流れてる?」
 「そろそろ二月になります。蓄えもなくなって喰えなくなって。あたしどんなことでもしますから、どうかお願いできませんか」

  留美もキャリーもやりきれない。亮たちに救われなければ、この身もどうなっていたかと思うと胸が痛い。
  ルッツは言う。
 「おめえ、いくつだ?」
 「三十五になります」
  ルッツはため息をついてちょっと左右に首を振ると、横目でポールハンガーの向こうから覗いているキャリーを見つめた。
 「ふむ、そうか。喰えるだけでいいか? コキ使ってやるが、それでもいいか?」
  にやりと笑うルッツ。
 「はい、もう充分です。いいんですかマスター?」
 「俺はルッツ。わかったわかった、奥にシャワーがある、さっぱりして着替えて出て来い。着替えがないならそこらの服を選べ。それは借金として働いて返してもらう。冷蔵庫に食い物があるはずだ、腹が減ってるならまずは喰え」
 「ありがとう、嬉しいですあたし、ありがとうございます」
  留美もそうだが涙腺がゆるんでくる。アニタという女は涙を溜めて震えるように奥へと消えた。
  ルッツが亮に向かって言う。
 「おめえとこんな話してなきゃ追っ払ったところだぜ。ちっとは真面目そうだしよ、まあいいかと思っちまった」
  亮はうなずき、そのときふとキャリーを見ると、キャリーは笑って亮にうなずく。

  帰りの道すがら。運転をホルヘに任せて亮は女たちと後ろに乗った。軍用だった鉄箱の中はビニルでできた対面シート。女二人が並んで座り、亮はロングシートに寝転んでいる。
  誰にとはなしに亮は言う
「いい奴だったろ、ルッツの野郎」
  留美が応じた。
 「はい、アニタって人、よかったなと思います」
 「そういう奴よ、人を見た目で決めつけない。元はドイツの軍人でな、HIGHLYなんだが、そういうことの嫌いな男。女房も子供もいたんだぜ。HIGHLYでいたいと言って離婚した。兄貴なんざ月にいるし」
  そこでキャリーがはじめて口を開いた。
 「さっきちょっと聞こえたけど、月にいるって月面都市の関係で?」
  キャリーはHIGHLYだった女。WORKERであった留美もまた月面に都市を造っていることぐらいは知っていた。
 「兄貴が国連軍の中佐でな、志願して月に派遣されたそうなんだが。ふんっ、どう考えたって信じらんねぇ、クソ店の親爺の兄貴がよ。ふっふっふ」
  キャリーは言う。
 「町で暮らそうとは思わないの?」
  亮は顔を傾けてキャリーを見た。キャリーが選んだ服は、下はブルージーンだったが上は胸元に花柄の刺繍のあるピンクのTシャツ。白人の白い肌にはよく似合う。留美もまた同じようなスタイルに着替えて乗っていた。

  そんな二人の変化に亮はちょっと眉を上げ、そして言う。
 「ルッツにも言われるさ、空き家はまだあるってな。けどあそこは天然の要塞よ。俺たちは山賊なんだぜ、いつ襲われるとも知れねえ。町のみんなに迷惑がかかるだろうし、俺たちの誰一人、町に出たいと思う者はいないのさ。俺たちがそうだからWORKERどもも目こぼししてくれるんだ」
 「LOWERでもないってこと?」
 「違う。俺たちがLOWERどもを扇動しないってことじゃねえか。俺たちが入り込んで武装して結束してみろ、それはつまりレジスタンス、潰さなければならなくなる。そんなことは世界中で散々あったさ。結果どうだ、皆殺しにされちまった」
  このとき留美は、四十歳そこそこのルッツをクソ親爺と言うこの亮はいくつぐらいだろうと考えていた。三十そこそこ? もう少し上のような気もしたが、逆にもっと若いのではとも思えてくる。

  明るいうちに棲み家に戻る。近いようでもルッツのいる町まではクルマで一時間以上もかかり、もたもたしていると暗くなる。いまは初夏だから陽が長いが、それでも夕刻に近づくと夜盗のたぐいが出没する。LOWER社会とは言え八割はまともな人間。そうでない輩を取り締まる者がいないのだった。LOWER同志の諍いには目をつむる。上級社会に災いしないならLOWERは減らしておきたいというのがHIGHLYたちの思惑だったからである。

  亮たちが棲み家に戻ってほどなく、その頃、ルッツの店では店じまいがはじまっていた。町に数少ない店はそれなりに忙しく、日々の仕入れもあるから翌日のために整理しておかなければならない。
  アニタは結局、店に吊された商品を借りて着込むことになる。客商売なのだがらあまりに貧相では困ってしまう。真新しいジーンズに襟のあるブラウス。下着まですべてが新しく、さっぱりとしたアニタは歳なりに可愛い女となっていた。
  男独りでやってきたルッツの店が見違えるほど綺麗になって生まれ変わったようだった。

 「これでいいですかマスター?」
 「おぅ、いいぜ、ありがとよ、ちゃんとしたじゃねえか。やっぱアレだな、女がいねえとうまくいかん。ところでおめえ」
 「はい?」
 「飯ぐらいはつくれるだろ?」
 「はい、それは。あたしやりますから」
  どうせ住み込み。家政婦を兼ねることはわかっていた。
 「マスターはずっとお独りでお店を?」
  ルッツはうなずく。
 「ここへ来てみりゃ店がねえ、そんではじめたまでのこと。最初のうちは缶詰とか雑貨だったんだ。そのうち畑でとれた野菜とかよ、古着もそうだが持ち込む客がいて、そんならと服を置いたってことなんだ」
 「あたしもずっと古着ばかりだったんです」
 「だろうな、移住させられた連中が置いてったものを売って暮らしの足しにした。ここは元は服屋でよ、倉庫の中に古くさい服が眠ってたんだが、そんならってことで服をはじめたみたわけさ。しかしいかん」
 「いかん?」
 「女の下着を並べるってえのは気恥ずかしくていけねえや」

  アニタは笑って言う。
 「そうじゃなくて、あたしの古着は子供のときから。スラムで育って・・え?」
  ルッツは指を立てて口を塞ぐ仕草をした。
 「いらんことは言うな。おめえの昔なんざ訊かねえ。人にはいまと明日しかねえんだよ。さあ、もういいぜ、今日はしまいだ、コーヒーでも淹れろ、おめえの分もな。リセットしろアニタ」
 「はい!」
  嬉しかった。これほどの幸運はないと思った。下着まですべてが新しい。夢のような出会いだったとアニタは嬉しい。

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 LOWER居住区(五話)


  自然のままの洞穴は奥へと踏み込むほど広くなり、ところどころに岩の亀裂から外の明かりが射し込んでいたのだった。洞穴の入り口あたりは岩盤が裂けたようなものだったが奥へと進めば白い石筍がそこらじゅうにはびこる鍾乳洞で、地底にかなり大きな池がある。そしてそのあたりから丸く抜けた横穴がいくつも連なっていて、それぞれが人の棲み家とされている。
  洞穴で暮らすといっても石器時代ではない。大きな池のあるあたりから分岐するそれぞれの横穴には、外界から持ち込んださまざまな道具が置かれ敷物も敷いてあり、それなりに暮らせそうな部屋となっている。横穴への入り口にはそこらの廃屋から毟り取ってきた扉が立てかけられてあって、言うならば質のいいホームレスの住まいのようにされている。

  山賊のボスらしき亮という日本人の逞しい背中を見つめて歩く留美は、恐怖よりも女としての運命を覚悟していた。話に聞くLOWERたちの最低限の法やモラルもここにはない。荒くれ男どもに連れ去られたキャリーはいまごろ、いやおうなく牝扱いされているだろう。私もそうなる。拒むなら死。そうした思いが覚悟となって、むしろ恐怖は去っていた。
  ボスの部屋に立てかけられた扉は白いドア。亮が両手で軽々と持ち上げて女を先に中へ入れると、どうしたことかドアを閉ざそうとはせずに岩壁に立てかけておき、亮は平らな岩の上に置かれたシングルサイズのベッドのクッションに腰掛けた。留美はその前に突っ立っている。どうしていいかわからない。

  と、そのとき、部屋の口に歩み寄る気配がして、外で飯の支度をしていた黒人の女が茶色のスチールカップを二つ用意して持ち込んだ。その女は背が高く、東洋人の中に入ると男の背丈とそうは違わない。大柄なのだが背が高いからスリムに見える。南半球ではいまは初夏。Tシャツの胸が張って腕が長い。ブルージーンの股下も細く長く、さながら黒豹を見るようだった。
 「コーヒー飲むだろ?」
  英語だった。
  亮はちょっと笑って言う。
 「ああ、もらうよ、ありがとな。おまえ体はどうだ?」
 「うん、もうすっかりいいよ、死ぬかと思ったけどね」
  女の笑みがやさしいと留美は感じた。
  灰色の囚人服で突っ立ったままの留美に目をやり、亮が言う。
 「こいつはコネッサ、元はスペインだ。毒蛇にやられちまってな。ここらにゃうじゃうじゃいるからよ」
  ああ、それで・・と留美は思い、同時にそのとき首を傾げる気分になる。
  ここで女は性奴隷と思っていたのに様子が違う。コネッサは、じきに飯だよと言い残して去って行った。

  二人になって、亮は、ベッドからクッションだけを剥がして置いた寝床のそばにコネッサが置いていったスチールカップを顎でしゃくって言う。
 「飲め。いつまで突っ立ってやがる、座らねえか」
 「はい、ありがとう」
  ゴツゴツとした岩の上に座ろうとすると、亮は寝床の端を顎でしゃくった。留美はうなずき、亮の横に静かに座ってスチールカップに手をのばす。
  亮は言う。
 「俺ん家もWORKERだった。親爺も妹もこの大陸のどっかにいる。俺に言わせりゃWORKERこそが奴隷だぜ。武器を許されないというだけでHIGHLYそのままの暮らしができる。逆らったり問題を起こしたりすれば即刻LOWERさ。それが怖くて何もできない何も言えない。ふざけるな。まっぴらだ。家をおん出て、それからずっとこんなもんよ」
  留美はちょっとうなずいて、スチールカップを両手にくるんで亮の横顔を見つめていた。日本人にしては彫りが深く、顎髭も少し濃い。ハンサムとは言えなかったが精悍なイメージだった。背丈はまあそこそこ高い。
  亮は言う。
 「さっきも言ったが逃げたきゃ勝手にするがいい。ここらの森は毒蛇だらけよ。歩いてりゃそのうち町に出るだろうが、行ったところでどうなることやら」

  それから亮はソフトなパッケージがくしゃくしゃに潰れた煙草の包みから、ひん曲がった一本を抜くとまっすぐになるよう整えて火をつけた。ふぅぅと一息を吐き捨てて、留美の顔を見て言った。
 「ところがどうよ、こっちに来てみりゃ、こっちはこっちでひでえことになってやがる。向こうでは現代、こっちでは昔のまんま。さっきの人買いもそうだがな、中世以前の世界になっちまってる。HIGHLYどもも見て見ぬフリ。LOWERを減らしておきたい。生態系がぼろぼろで食い物にも限りがある。イザとなったら人間なんてそんなもんよ。何がモラルだ何が法だ。そうして流れているうちにダチができて、いまではこの有様よ。おまえは日本のどこだった?」
 「東京です」
 「うむ。俺は神奈川。しかしもはや国なんぞ存在しねえ。HIGHLYどもの都合で生息地を割り振られる家畜みてえなものなのさ」
 「そうですね、そう思います」
 「温暖化も止められそうだと聞く。オゾン層だって復活させようと懸命だ。しかしな留美、いっぺん壊された何もかもは戻らねえ。支配者と奴隷、さらに下の底辺層。ゆえにLOWERなんぞは人じゃねえ。略奪、暴力、自分さえよけりゃいいのエゴ剥き出し。女が欲しけりゃかっさらう。これが人間てもんなんだと思ったね」
 「訊いていいですか?」
 「ああ、いいぜ」
 「ここの女の人たちもそうやって?」
  亮は鼻で笑って飲みかけのコーヒーを一気に喉に流し込み、カーンと音を立てて岩の上に置くのだった。扱いが荒いからかスチールカップはデコボコになっている。

 「そういうことだが、もっといたさ。人買いどもからかっさらい、けど逃げやがった。蛇にやられて死んだ馬鹿もいたしな。逃げたところで若い女の行く末なんぞは知れてるぜ。WORKERどもも知っていながら手出しはしねえ。HIGHLYに睨まれたらおしまいだからな。モラルの中で抑圧された本性が暴れだす。ここはそんな世界なんだよ。ふふん、ところがどうだ、向こうではガキが足りないって焦ってやがる」
  留美がすっかり冷えたコーヒーを飲みきる頃、ふたたびコネッサという女がやってきて、スープボウルに満たした昼飯を置いて行く。肉と豆を煮たもの、それに形のいびつな大きなパン。どれもが女たちの手作りだった。
 「喰え。おまえは運がいいぜ、昼飯どきでなかったら押し倒していたものを」
  言葉は怖くても目がやさしいと留美は思う。
 「はい、いただきます」
 「こんなところで日本の女に会えようとは思わなかった。日本人はだいたいにおいてWORKERかHIGHLYに分類される。勤勉な国民性からして白人どもには扱いやすい。臆病者ばっかりだから怖くて言いなりになってやがる」
 「日本の女は少ない?」
 「ほとんどいねえな。若い女は特にそうだ、ここらじゃとんと見かけねえ。東洋系は多くても言葉が違う。それも運というものさ、たまたま割り振られた土地で生きるしかねえんだよ」

 「それは・・」 と言ったきり留美は黙り込んで与えられたものを口へと運ぶ。肉などぶつ切りの塊。鳥の肉だ。ワイルドな料理だったが美味しいものだし、それは女たちの心を物語るようでもある。
  亮は言う。
 「それは何だ? 言ってみろ」
  留美は顔を上げて、はじめてまともに亮を見つめた。予感などという曖昧なものではなく、運命によって引き合わされたリアルに存在する野生。性の運命に向き合ったとき留美の肉体は熱を持って潤いだしていたのである。
  留美は弱く言う。
 「それは向こうにいたって同じです。女はそうなの。都会で出会っても荒野で出会っても、この人しかいないと思うもの。偶然出会った男の人を愛するようにできている」
  亮はうなずく。この女は少しはわかっているようだと感じていた。いかにも日本人らしい潔さを持っていると感じていた。

  亮は言う。
 「こんなところでなぜ生きていられるか不思議じゃねえか。それはな、どの階層も脅かさないからよ。LOWERにももちろんモラルはあって、さっきの人買いもそうだが略奪や盗賊には気分がよくない。俺たちはそこを狙う。LOWERを取り締まる奴らはつまりはWORKERどもさ。面倒を省いてくれる俺たちはむしろ好ましいというわけでね。LOWERたちもそういう目で見てくれるしよ」
 「武器はどうやって?」
 「ふふん、旧世代のガンぐらいはあるところにはあるものさ。それだって見つかれば処罰されるってことでWORKERどもが手放すのよ」
  LOWERには、狩猟のために届け出た散弾銃ぐらいしか許されてはいなかったし、武器といえば弓や刀や棒切れぐらい。まさに時代を逆行するものばかり。対してHIGHLYは高エネルギーレーザー銃そのほか最新の軍備を備えている。逆らえば死という恐怖が地球を支配していたのだった。

  食べ終わった器を重ねて留美は言う。
 「これ、どうすればいいんですか?」
 「置いとけ、コネッサが取りに来るさ」
 「いい、私が持ってく。おトイレもしたいし」
  そのときの留美はさっぱりさばけた面色だった。亮は一瞬まじまじと見つめたが、便所は外だと顎でしゃくった。
  部屋というのか穴ぐらというのか、外に出ると鍾乳洞にかすかに風が流れている。岩の亀裂から吹き込む風が洞穴の入り口に向かって吹き出しているのである。人の気配のない鍾乳洞は地球の胎内に入ったような錯覚を覚えさせ、さらに歩いて外に出ると、そこだけ森をくり抜いたように青い空が見渡せた。オーストラリア大陸は大きい。このあたりはよくても南端に行けばオゾン層が危うい。最後に残された楽園。そんな気がする。

  外に出てみると女たちが料理をする小屋の周りに何人かの男たちが集まっていて、楽しそうに声を上げながら食べ物を囲んでいる。男の数が少ないしキャリーの姿もそこにはなかった。多くの男たちに囲まれて森の奥へと連れ去られたまま戻っていない。男たちが白い女体に群がっているのだろうと留美は思った。
  洞穴から出てきた日本人の女を見つけると皆の目が一斉に寄せられた。囚人服を着込んだまま。
  留美は重ねた器とスチールカップをコネッサのもとへと運んでいく。
 「おや、持って来てくれたのかい」
 「はい、ごちそうさまでした、美味しかった」
  留美は片言よりも少しはましな英語で言う。コネッサは器を受け取りながら、それとなく皆に視線をやって、そして言った。
 「名は何て言ったっけ?」
 「留美です」
 「ルミ? ふうん、そうかいルミかい。おまえは運がいいんだよ。ここには亮に救われた者たちがたくさんいる」
 「救われた?」
  その問いに、すぐそばで食べていた褐色の肌の男が言った。

 「俺もそうさ。あの頃はまだガキみてえなもんだった。喰えなくて盗む。捕まれば拷問される。そんとき亮たちが現れて助けてくれた。亮は行く先々で仲間を増やす。いい奴なのさ、ボスって男は」
  留美はうなずく。感じた通り、男気のある亮。
  留美はちょっと笑ってコネッサに言う。
 「トイレはどこ?」
  皆がにやりとほくそ笑む。コネッサが言った。
 「あんなもんトイレとは言えないね。ここへの途中に川があったろ。その支流がすぐそこを流れてて板が渡してあるんだよ。その上流で体を洗い、またその上流で水をくむ。まったくいつの時代のことやら、あたしらまさに原始人さ」
  皆が声を上げて笑いだし、また別の若い男が言うのだった。
 「ただし気をつけろ、蛇がいる。そこらの棒切れでも持って行くんだな。何なら俺がついて行ってやってもいいがよ、あっはっは」

  留美は意地悪な皆の笑みに笑みを返し、ちょっとうつむいて息を整え、そして言った。
 「蛇なんてどうしていいかわからないし、それに体も洗いたい。臭くて嫌。タオル貸して。誰か一緒にお願いします」
  冗談混じりに言った若い男が目を丸くしてコネッサを見た。
  コネッサは笑い飛ばして留美を見つめる。
 「日本人てそんなもんかい? 亮もそうだけど覚悟を決めたら潔いもんだね」
  留美はちょっと微笑んで、しかし一瞬後にはききりとした真顔となった。
 「私は交通事故で子供を殺した。だけどこうして解放された。死ぬのは嫌、どうしたって生きてみせる」
  皆は静まり、こんなところに飛び込んで来た日本人の女を見つめた。強い。ボスが目をかけただけのことはあると、皆が一様にそう思う。
 「わかった、俺たち皆がそう思って生きてるんだ。俺が行ってやる。俺はバート、元はアメリカ、スラムで育った」
 「俺もだ。俺はホルヘ、メキシコさ」
  バートは黒人。立ち上がると背丈は190を超えていて獣そのままの恐ろしい体をしている。ホルヘと名乗った男は日本人の男たちと体つきが変わらない。しかし胸板は張り詰めて逞しい。食べ物を盗んだところを救われたと最初に言った男がホルヘであった。
  男二人に前後を囲まれて茂みへ踏み込んですぐ、岩肌を縫うようなひとまたぎの流れがあって、流れが急になるところの岩と岩に板が渡され、そこはトイレ。左の上流側を見ると、そこは流れが穏やかで深く、水浴び場とされている。水は澄んで丸石を敷き詰めたような底が見え、さらにその上流に水をくむ場所があるようだった。

  留美という女が森に消えてしばらくして、洞穴の奥の部屋で寝転んでいた亮のもとへとコネッサがやってくる。
 「ほう、あの女がそう言ったか?」
 「言ったね、見事に言ってのけたよ、生きてやるって。せめて綺麗な体で抱かれたい、気持ちはわかる、あたしだってそうだった」
 「うむ。それで? もう一人の女はどうなった?」
 「キャリーって言ったっけ。犯されて抜いて素っ裸で連れて来られてさ、いっそ殺せと泣きわめいてるからぶん殴ってやったんだ」
 「そうか、まあ目を離さないことだな、逃がせばどのみちおしまいだ」
 「わかってる。逃げられないよう裸のままで皆で観てるさ。キャリーは白人でしかもHIGHLYだった女。皆の目は厳しいからね」
 「だろうな。それもあの女次第だよ、面倒なら放り出せ」
 「わかってる。だけどボス」
 「おぅ?」
 「留美って女はモノが違う。みんなも目を丸くしてたから。日本人を甘く見ちゃいけないって笑ってたもん」
  とそこへ、水浴びをすませて髪まで洗った留美が囚人服ではない、コネッサの花柄のワンピースを貸し与えられてやってきた。サイズが合っていなく、だぶだぶだ。
  コネッサはクスっと笑うと亮の膝をぽんと叩いて出て行った。そしてそのときコネッサは入り口横に立てかけてあった白いドアを持ち上げると、ドアを閉めるように入り口を塞いで立てていくのだった。

  その気配を察して留美は言う。
 「みんなやさしい」
 「ほう、どうしてそう思う?」
 「バートもホルヘも、トイレのときは背中を向けてくれていた。水浴びのときにはおどけてバシャバシャしてくれたし、私が恥ずかしがらないよう気を使ってくれてるもん」
  亮はちょっとほくそ笑むように笑うと、ベッドの横を顎でしゃくった。サイズの合わないだぶだぶのワンピースだったのだが、留美はさっぱり脱ぎ去って、服の下には下着さえもつけていない。Cサイズの乳房は白く、くびれて張る綺麗な体を誇っている。下腹の飾り毛は黒く濃かった。
  亮は恥ずかしさに息を潜めて座る留美を抱き寄せた。
  留美は抗う力を捨て去ってなすがままに抱かれていった。
 「俺の女になれたと思うな。扱いはキャリーと同じだぞ」
 「はい、その方がいいなら私はそれで」
 「ふっふっふ、そうか、なるほどな」
  亮は指先で留美の額を突っついた。
 「え?」
 「皆が面食らったそうだ、腹が据わってるってよ」
 「せっかく女に生まれたんですもの、楽しんで死んでやるって思ってしまう。抱いてボス。何もかも忘れたい」

  洞穴の奥に甘い喘ぎがかすかに響いた。灼熱の亮を体に受け入れ、留美は泣きながら達していった。
  人へのやさしさ、思いやり、あるいはモラル。子供の頃から教えられて信じた正義は何だったのか。いまこうしていやおうなく抱かれていて、なのに感じる錯乱するほどの快楽は、いったいどうしたことなのか。
  考えるのをやめよう。新しい人生がはじまったと考えよう。亮はボス、けれども私は男たち皆のもの。そうなるならそれでもいいし、どうせなら抱きたいと男たちが願うような女でいたいと考えた。

 「もう嫌ぁぁーっ、ケダモノーっ! ああケダモノーっ! 殺せーっ!」

  亮に寄り添うように洞穴を出てみると、キャリーの悲鳴がそこらの岩に跳ねて響き渡っていた。手足の長いまっ白な裸身。しかし脂汗にぬらぬら輝く。細い立木に両手を縛られ、尻を突き出し、そのときちょうどバートの黒い灼熱に刺し貫かれていたのだった。ブロンドのショートヘヤーは囚人となったとき切られたもの。キャリーはかぶりを振り乱し泣きじゃくって犯されている。乳房が大きい。見事な白人女の肢体だった。
  男たちも女たちも皆が顔を揃えていて、にやにや笑って見守っている。亮に連れられて留美が歩み寄ると、コネッサは亮に小声で言う。
 「相変わらず殺せケダモノってわめいてやがる」
  亮はふんと鼻で笑う。しかし留美は、キャリーの腰のくねり動きに異質の何かを感じていた。
  留美はちょっと考えて、何を思ったのか、黒く大きな尻を力ませて犯すバートの背後へと歩み寄る。亮も含めた皆が顔を見合わせて見守った。

  微笑みながら歩み寄り、バートの恐ろしいほどの黒い尻をそろりと撫でると、大きな腰に両手をやってキャリーから引き剥がす。バートは呆然としてされるがままに突っ立っている。大砲のようなペニスを抜かれたキャリーの股間は、愛液とも精液とも体液とも尿ともつかない、わけのわからない濡れが両方の腿の裏までヌラヌラ流れる凄惨な有様だった。
  キャリーの声が静まった。留美は後ろからキャリーをそっと抱いてやり、大きな乳房を両手にくるんで揉み上げながら耳許で言う。
 「口惜しいんでしょ? レイプなのに感じてしまって口惜しいんでしょ? 腰の動きがよさそうだもん、観てればわかる。ねえ生きようよキャリー。あたしたちはもはや獣よ。あなたが心を開かなければセックスは拷問でしかないでしょ。私と違って綺麗なんだし、もっと可愛がられていいんじゃない? 自分のことを可哀想だと思わない? 私たちは捨てられたのよ向こうの社会に。ねえキャリー、みんなと生きよう」
  そして留美は、可哀想なキャリーの性器をちょっと撫でると、振り向いて、呆然として突っ立ったままのバートの足下に服を着たまま膝をつき、それでも勃起し続ける黒い凶器をじっと見つめた。
 「凄いわバート、こんなの入れられたら壊れちゃう。よろしくねバート、さっきはやさしくしてくれてありがとう」
  屹立する黒いペニスにキスをして、唇を舐め回したかと思うと、躊躇なく口を開けてほおばっていく。

 「いいのか」と言うようにバートは亮を振り向いたのだが、亮は笑ってうなずいた。
  バートの憤りを喉に突き立て、吐き気をこらえ、それでも頭を振って飲み込む日本人の女の姿を、縛られていながらキャリーもまた呆然として見つめている。
  バートの大きな手が留美の頭をわしづかみ、バートの意思でペニスめがけて衝き動かす。こらえる吐き気が涙となって、なのに留美は穏やかに笑っている。
  そんな様子を見守って、男たちの誰かが言った。
 「参ったぜ、さすがだぜボスよ」
  亮はうなずく。
 「俺のものじゃねえ、おまえらも好きにしろ」
 「いいのか?」
 「留美の意思だ。奴が誰を選ぶのか、俺じゃねえかも知れねえからな」

 「むぅぅ!」
  バートのフィニッシュ。留美はそれさえ躊躇なく飲みくだす。
 「可愛いぜ留美、おまえは可愛い」
  足下から引き抜くように留美を立たせ、バートが唇を重ねていく。黒い野獣に抱かれる人間の女といった光景。留美は、しなる。抱かれるままに任せた体がしなやかにバートの体に寄り添った。
  縛られたまま抗っていたキャリーの白い肢体から、錯覚でしかなかったプライドが消え去って、力が抜けた。

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忍び寄る影(四話)


  四日後。夜の闇につつまれた月面ベース。形になりはじめたといっても月面都市と呼ぶにはまだ早い。
  その黒い空に向かって月面望遠鏡ムーンアイは感情を持たない論理的なレンズを見開いていた。屋外に据えられた望遠鏡はモジュール内にある観測室からコントロールされ、ジョゼットは狙う小天体をいともたやすく捉えると大きなモニタに映し出した。それは赤く大きな星が描き出す円弧のそばの二つの点描。
  海老沢とデトレフが同席している。ジョゼットは言う。
 「大きいほうは説明するまでもなく火星ですけど、お見せしたいのはその右横、よく観て」
  モニタを凝視すると、大きく丸い火星の右側やや下に黒い点が二つ重なるように存在する。海老沢は言った。
 「小惑星だがケレスではなさそうだ」
  ケレスとは、火星と木星の間の空間にひろがるアステロイドベルト=小惑星帯で最大の天体で、その直径およそ1000km、ほぼ球体で準惑星に分類される小天体である。

  しかしモニタに映るそれらはどちらもがいびつであり、いわゆる微惑星の範疇に入るものなのだろうが、それにしては大きい。微惑星の集積が不足して重力が足りず丸くなりきれていないのだ。
 「これも見つけたのは私よ、地球から観て火星のほぼ裏側に隠れるように公転していて地球からでは観測がむずかしい。ケレスよりかなり小さな微惑星が並んでいると思えばいいのですけど、この二つは引き合っている」
  デトレフが言う。
 「では衝突すると?」
 「いずれはそうなるでしょうね、そう遠くない先の話としか言えないけれど」
  ジョゼットはなおも言う。
 「火星に近いのがA、遠いのがBとして、大きいのはA。つまりBがAに引き寄せられているという訳なの。さらにAB両者の間には両者の引力によって小さすぎて観測できない微惑星が群れていても不思議はない。AとBが合体すれば、ほぼケレスと同等のサイズになるのですけど、いまAは火星の引力が及ばないぎりぎりの位置にあることがわかってきた」

  海老沢は眉を上げてデトレフへと視線を流し、そして言った。
 「なるほどね、衝突して軌道が乱されれば火星に捕まるということか?」
 「イエス。そうなれば衝突はまぬがれないでしょうね。これほど巨大なものが火星に衝突すればジャイアントインパクトなんだし、いまAとBに近い微惑星の軌道も掻き乱されることでしょう」
  かつての原始地球に別の天体が衝突し、飛び散った残骸が集積して月が生まれたという説があり、これをジャイアントインパクト説と言う。
  しかしそれについて専門家ではないデトレフにはよく意味が解せなかった。
  海老沢はデトレフに向かって言う。
 「それもまた地球の危機だよ。ケレスサイズの天体が衝突すれば火星はかなり破壊されるだろうし、火星は引力が弱いから破片の多くは宇宙空間へと飛び散るだろう。火星にはそれらをつなぎとめておけるだけの引力がない」
  ジョゼットと海老沢の二人が揃ってデトレフを見つめる。
  ジョゼットが言った。
 「小惑星の公転速度が乱れれば太陽に捕まってしまうということよ。つまりは無数の巨大隕石。そのとき太陽へ向かって落ち込む軌道上に地球があればおしまいだわ。運よくなかったとしても彗星となったいくつかの残骸はいずれまた地球のそばへと戻って来る」

  海老沢は言った。
 「そうか、それで核爆発というわけか」
  この話は四日前のあの話につながること。デトレフが目を見開いた。ようやく意味がわかったようだ。
 「小惑星が群れているところへ核を運ぶということだな?」
  ジョゼットがちょっと笑う。その笑顔は美しかった。
 「そういうこと、小天体のそばでドカンよ。小惑星の軌道が乱されればビリヤードだわ。かなりな確率でとしか言えないけれど、そのとき地球が近ければ地球だって危うくなる。南極で爆発させると言ったけど弾頭をどうやって南極に運ぶつもりなの。そんなことをすればあなたが悪魔になってしまう。核はあくまで宇宙に投棄する。何らかの故障があって制御不能に陥った廃棄船は小惑星にぶつかった・・という筋書きよ」
  しかしデトレフは苦笑する。
 「同じことだね、起爆部分がなければ爆発しない。太陽にでもぶち込んでやるならともかくも信管は必要だ」
  国連が没収した核弾頭は当然ながら起爆部分を外して保管されている。

  火星に忍び寄るように存在する不気味な二つの小惑星を見つめながらデトレフが言った。
 「どのみち地球はおしまいなのか?」
  それはいまから七十年後の終焉。中性子星への接近はどう計算しても99パーセントの確率だとジョゼットは言った。
  愚劣な人類を宇宙に解き放つべきではないという点で三人の意見は一致している。ジョゼットはそれを宇宙の摂理に委ねようと言うのである。ムーンシップが完成する前に地球が終わればムーンシップもまた運命をともにするだろう。

  それからさらに五年が経った。
  海老沢とジョゼットは四十三歳、デトレフは四十六歳。三人ともに地球に未練はなかったし戻りたいとも思わない。
  五年の間に新たに三十隻の超大型貨物宇宙船が月面に埋められて、月に留まる総人員およそ二万九千名、うち女性がおよそ五千名という大規模な基盤に発展していた。地上に露出するモジュールも増えていたし、二酸化炭素を含む人の呼気を回収して酸素を生成するシステム、さらに将来の旅立ちに備えて月面上で酸素を発生させる藻類などの葉緑素を持つ植物生命の生育実験も行える地下プールも整備された。
  忍び寄る隕石から月を守る高エネルギーレーザー砲が持ち込まれ、月の両極付近には、それによって必要となる電力を供給する核増殖炉による原子力発電所の建設もはじまった。夜間にマイナス170℃となる冷え込みを冷却に利用するため、移動距離が少なくてすむ極付近にラウンドレールを設け、巨大なラジエターを常に夜の側に移動させるという冷却システムが考案された。

  地下に眸を移せば、宇宙船をそのまま埋める居住モジュールとは別に、一棟あたり五千人規模の収容能力を持つ地下施設の整備が進んで、かなりな人員が移住できるスペースも整いはじめた。
  人員の増強が進めば計画は飛躍的に進展する。月にもともとある酸化鉄やアルミニウム、ケイ素などを利用するためのプラントの完成も間近。そうなれば酸素から建設資材までが自前で調達できるようになり、なおいっそう整備が進む。
  追い詰められた人類の英知は、月を急速に第二の地球へと改造していったのだった。


  その同じ2061年、地球上。
  そうした月面の劇的変化は地球にいるほとんどの人々には知らされていなかった。
  突如として地球を襲った大異変に国境が意味をなさなくなって地球規模の無政府状態に陥ったことが世界人口を激減させた要因だった。止まらない海面上昇とオゾン層のさらなる破壊で人々は赤道を挟む安全域に群がって、ますます争いが激化していく。
  当初はまだ国連として機能していた世界規模の政府機能の秩序も危うい。
  加えて決定的だったのは、一介の若き女性天文学者が地球の終焉を発見したことだった。発見された当時の専門家による分析でも95パーセント。後になって観測が進むにつれて終焉はより確実なものとなっていく。98パーセントの確率で太陽系そのものが崩壊する。
  ムーンシップ計画に生き残りを賭けるしかない。

  そしてその段階となって人類史上かつてない愚行がはじまった。国連などは形だけ。人々をHIGHLYとLOWERの二階層に分けて管理する。
  目的の一つは無益な争いを減らすためでもあったのだが、実質的には、やがてムーンシップに乗り込む五百万人をスムーズに選別するため、理知的な判断のできる階層とそうでない階層を分けておきたい。LOWERたちから近代兵器を取り上げておかないと大戦争となるだろうし、ムーンシップさえも破壊されかねないからである。
  国連は人種による差別ではないと言った。支配階級と奴隷に分けることではないと言った。しかし実質的にそうなってしまうのは避けられない。いよいよ危機が迫ったとき文明がつくりあげた人のモラルが根底から崩れてしまった。

  赤道を境に人々を二分するなど不可能な話だったし、赤道付近には南米アマゾン、東南アジア一帯、アフリカ大陸中央部と熱帯雨林がひろがっていて、温暖化を改善するためにも無秩序に伐採させるわけにはいかなかった。地球の終焉までまだ半世紀以上はあるのだから。

  そこでHIGHLYは、LOWERとの間に緩衝階級を設けたのだった。
  HIGHLYとLOWERの双方から選ばれた農民、漁民、そのほかあらゆる労働に従事する優秀な者たち。ここが崩れるとHIGHLYの生活基盤が崩れてしまう。
  この中間層を労働を意味するWORKER=ワーカーと呼び、LOWERとの間を取り持つ人々としようとした。WORKERは武器を持つことを許されないというだけでHIGHLYと同等のモラルの中で優遇される。ゆえに国連は人種による分類ではないと言えたのだった。
  そうした愚行の結果、世界に残ったおよそ三十五億人の中で、20パーセントがHIGHLY、45パーセントがWORKER、残りの35パーセントがLOWERとされ、主に南半球に残された土地への封じ込めがはじまったということだ。
  
  LOWERには一切の武器が禁じられ、陸路や海路での長距離移動を封じるために飛行機や大型船はもちろん、クルマでさえも厳しい燃料制限が課されていたし、HIGHLYの居住区への立ち入ることもできなかった。
  HIGKLYの生活圏と重なるWORKER居住区の一部へ立ち入ることはできたのだったが、軍の監視によって厳しく統制され、規範を乱す者には極刑が適用された。WORKERに付き従って一定の成果を上げた者は昇格し、またその逆もある。下層階級の不満を少しでもやわらげるため、HIGHLYであっても、たとえば犯罪者などはLOWERへと降格される。
  不平があっても耐えるしかない。これは恐怖政治以外の何ものでもなかった。大義名分を設けて不要な者を減らしていきたいというのが本音であったからである。

  ところが、そうした制度が一応の落ち着きを見せはじめた頃、HIGHLY社会を揺るがしかねない事態となった。HIGHLYと、それと同等の権利が認められるLOWERを合わせた近代社会の中での出生率が激減したのだ。
  一方でLOWER社会ではむしろ増加。このままでは上層社会の子孫が危うくなってしまうだろう。ムーンシップで旅立てるまで、まだおよそ半世紀。二世代をつないでいかなければならないわけだ。

  旧オーストラリア、その大陸。
  広大な大陸なのだが周囲を海に囲まれていて脱出しにくく、また乾燥地帯が多いという点で、この大陸にはごく一部のHIGHLYとWORKERを除いて、ほとんどすべてがLOWERという特異な居住区とされていた。もちろん旧国家としてのオーストラリア国民のうち優秀な者たちは他の居住区へと移転させられている。

  その日、上層社会と下層社会を隔てる緩衝区域に双方の人々の代表者が集められていた。五十日に一度の交換の場とされている。
  下層社会からは産まれて間もない乳児と、何らかの成果を上げた優秀な者たち。上層社会からは下層に降ろされて働き手となる者たちと犯罪者そのほか、つまりは社会からこぼれてしまった者たちを交換する。
  とりわけ出生率の低下に苦しむHIGHLY社会では、子供たちを社会をあげて守り教育していこうとする気運が高まってきている。子を差し出した親には恩賞が与えられて暮らしが楽になるということで、できたはいいが育てられない親たちが子を伴ってやってきている。
  そんな図式は中世以前の蛮行そのまま。しかし貧困に苦しむLOWERたちにはそうするしか道がなかった。

  その日もまたHIGHLY社会に見捨てられた者たちが十数名、護送車で運ばれて降ろされた。男が十一名、年増女が二人と若い女が二人。男たちと年増の女は働き手として連れて行かれるが、若い女の扱いはそれとは違う。中年の男が率いる数人の男たちに囲まれて品定めをされ、運ばれてきた最新の護送車から時代物の護送車へと積み込まれて連れ去られる。
  その日の女二人は白人と東洋人。どちらもが二十代の前半だろうと思われた。何らかの犯罪をやらかして上層社会では厄介者。規格外は捨てるという発想なのである。
  若い女には時代の別なく肉体的な価値がある。下げ渡された女を欲しがる者どもが多いということ。そうした非道をHIGHLYたちは見て見ぬふり。何が何でもLOWERは野蛮人というレッテルを貼っておきたいからであり、若い女にとっては刑務所よりも恐ろしい。

  女はどちらもが髪の毛をショートに切られて化粧もされず囚人服に手錠。手錠だけは外されるが、すぐにまた両手を縛られ、古びた護送車に積み込まれる。運転席と助手席に若い男が二人。そして後ろに乗せられた女二人のそばにボスと思われる中年の男と若い二人。恐怖のあまり声もない女を囲んでにやにや笑う。
  中年の男が言った。
 「何をしたかは知らねえけどよ、囚人服じゃ色気もクソもあったもんじゃねえや。着いたらまず体を見せろ。セクシーな着替えをやるからよ。お待ちかねの御仁は多いのさ。せいぜい可愛がってもらえるようにしねえとな。ふふん」
  女たちはうつむいたまま。男たちは鼻で笑う。
  時代物で窓の金網が錆びついた護送車は、海縁の上層社会を出るとほどなく山岳地帯に入っていく。一山越えればそこはふたたび低地となり、LOWER居住区がひろがっている。

  ターン!

  岩山を縫って走る護送車をめがけて一発の銃声。護送車は道すがらの草むらに突っ込んで停まった。砂煙をあげて走り寄った古びた軍用ジープが二台、立ちはだかって護送車を囲む。二台のジープにはそれぞれ四人ずつ武装した男どもが乗り込んでいて、前時代のライフルや拳銃、手に手に刃渡り一メートルほどもある山刀を振りかざす。山賊。そうとしか思えない髭面の屈強な男たちが乗り合わせているのだった。
  もちろん護送車の男たちも銃を持っていて、しかし山賊の銃弾に助手席の一人が殺られ、有無をも言わさず護送車から引きずり出されてギブアップ。下層社会で法律などはないに等しい。
  LOWER居住区にこうした連中は多かった。数名で徒党を組んで荒らし回る山賊や強盗。LOWER社会の中に、もはや法など存在しないに等しかった。
  そのとき襲った一味は、東洋人五人に白人が一人、黒人が二人のグループだった。LOWER社会の中にももちろんすべての人種は存在する。
  襲った男たちは皆が若く、ボス格でも三十代の半ばかと思われる。ボスは髪の毛を角刈りにした精悍な東洋人。英語で話す。

 「ふん、クソ野郎どもが。女はもらってくぜ。許せねえんだよ、てめえらみてえな連中がよ」
  ボスに目配せされて二人の男が二人の女の髪の毛をひっ掴んでジープの後席に放り込み、敵に銃口を向けながらクルマをスタートさせる。
  しばらくは舗装路を突っ走り、深い森が見えてくると道を逸れて、そこからは乾いた土と砂の道。起伏が激しく、四駆でなければ走りきれない。途中に川幅が広い割りに浅い川があって、そこも突っ切り、向こう岸へ渡るとすぐに鬱蒼とした森の中へと突っ込んでいく。
  クルマのエンジン音が静まって、そこには緑に抱かれるようにある自然の洞窟をそのまま棲み家とする男たちのアジトがあった。ジープが一台増えて全部で三台。男が十二名、女たち四名で暮らす、まさしく山賊の棲み家である。
  連れて来られた女二人は顔色が土気色。どうなるかは想像できた。

  今日は空がすっきり青い。昼にはまだ早い十一時前。洞穴からは少し離れて小屋が造られ、女たちが昼飯の支度をしている。男たちも女たちもすべてがジーパン姿。女たち四人は皆が若く、東洋人が三人、黒人娘が一人。黒人の一人だけがスカートで他はブルージーン。キャンプ場で暮らすような生活で皆が逞しく日焼けしている。
  連れて来られた女二人は降ろされると両手を縛る縄が解かれ、そこらの岩肌に男たちが輪をつくって座る中で、膝をついて立たされる。
  角刈りのボスが言う。まずは英語。
 「おまえたちの名は? それぞれいくつだ?」
  しかし女は青ざめて震えている。
 「さっさと言わねえか、救われたんだぞてめえらは!」
  別の一人が横から言って、女二人は顔を見合わせた。

  東洋人の女が先に口を開いた。
 「留美です、笠原留美。二十六です」
  ボスが目を見開いた。日本語に変化する。
 「言葉はわかるな?」
 「わかります」
 「うむ。俺は亮(りょう)、そう呼べばいい」
  同じ日本人、しかしもう国家などは存在しない。
 「何やらかした?」
 「人を轢いたんです、交通事故で」
 「相手はどうなった?」
 「殺してしまった。だけどしょうがなかったんです、飛び出してくるんだもん」
 「子供か?」
 「はい」
  HIGHLY社会では子供は大切にされている。しかし単なる交通事故。刑務所に置いておくと面倒なのと社会に対する見せしめのために捨てられたということだ。
 「WORKERだな? 仕事は?」
 「OLでした。もちろんWORKERです」

  続いて白人の女が言う。こちらはイギリス訛りの英語だった。
 「私はキャリー、二十四歳。彼の浮気で」
 「浮気だ?」
 「好きだったのに他の女に手を出した。それも私の友だちに。許せなくてマグカップで殴ってやったら、そのとき倒れて頭を打って」
 「死んだのか?」
 「救急車で運ばれて、死線をさまよっているとだけ聞かされました。刑務所かなって覚悟したけど、そしたらLOWERどもに下げ渡すって」
 「そういう社会さ向こうは、不要となったら面倒はまっぴらごめん。囚人なんぞ喰わせていくだけ無駄と考えやがるのさ」
  キャリーはうつむいて唇を噛んでいる。
 「仕事は?」
 「カフェです。店員でした。彼とはそこで親しくなった。働きやすい店だったから友だちを呼んだら彼がそっちとデキてしまった。油断も隙もありゃしない」
 「おまえもWORKERか?」
 「違います、家はHIGHLY。だけど私はそれが嫌でWORKER居住区に暮らしていました、家を出て」
 「家出してか?」
  キャリーはうなずく。特権意識に反感を抱くHIGHLYももちろんいる。

  亮はボス。取り囲む皆を見渡してちょっと眉を上げて笑い、それからまた女たちに言った。
 「救われたと思うなよ、人権など笑わせやがる、平等なんぞあり得ねえ。こっちの社会ではな、能力の不平等に挑まないヤツはやっていけねえ。喰いたければ喰えるだけのことはしろ。ここを出て行くなら勝手にしな。留まるなら従え。それだけは言っておく」
  それから亮は、同じ言葉を話す女のことを皆に言って了解をとりつけた。日本語を話せる者はほとんどいない。ボスの気持ちはよくわかる。
 「おい留美、俺と来い。それからはおまえ次第だ」
  留美はうなずく。せめてもほっとできる相手。どうせなら母国語で話せる男に従いたい。そうした思いだったのだろう。

  亮は皆に言う。
 「そっちの女は好きにしろ。ここを出たってのたれ死ぬだけだからな」
  東洋人そして黒人、荒くれ男どもの何人かが立ち上がって群がった。
 「嫌です嫌ぁぁーっ! どうかお願い、ああ嫌ぁぁーっ!」
  両側から腕を取られて引きずられるように連れ去られる。LOWERの社会にも白人女はいるのだったが、とりわけこの大陸では絶対数は少なかった。
  昼飯の支度をする女たちは皆一様にほくそ笑んで見守っている。元はと言えば同じように拉致された女たちばかりであったから。

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 人間生活(三話)


  そんなことがあってからわずか数日の後に女たちの想いはまとまった。
  女医である雪村早苗は、月という別の天体にいながら地球人の肉体を診ている女性。ある意味で『人は人』ということをもっとも知り抜いた人物と言えるのかも知れなかった。
  人類にとってのそれまでの宇宙観は想像の世界であり、ごくわずかな者たちだけが宇宙ステーションに滞在し、しかしまた地上に戻れば人としての生活が待っている。月面での暮らしは根本的に違うもの。生き続けることがすべてであり、理性や知性よりも生存本能に支配される原始的きわまりない環境とも言えるのだった。

  月面におよそ三百名いる女たちに雪村は語りかけ、もっとも決定的だったのは雪村自身が『私は女でありたい』と公言し、自ら避妊薬を用いると女たちに告げたこと。三百名の女たちも皆が若い。配偶者のいない若く健康で優秀な者たちだけが選ばれて送られてきている。
  人類のためにという使命を持って働く者たち。しかしそれも月での暮らしが長くなるうち大義名分となってしまい、寂しい、苦しい、せめて女でいられるひとときぐらいは欲しいという人の本能に衝き動かされてしまうのだろう。

  女たちのほぼすべてが避妊薬を歓迎していると雪村に告げられて、海老沢は愕然としたし、それまでの接し方を反省しなければならなくなった。人はマシンではない。電力が止まれば死、水がなくなれば死、呼吸ができなければ死。死と隣り合わせに生きていて、怖くてならず、せめてぬくもりぐらいは欲しいと思う。 ムーンシップ計画のリーダーとして、あまりにも人間を見てこなかった自分に海老沢は打ちのめされていた。論理より感情と言うが、感情よりも生理的な欲求に支配されるのが人というもの。
  これまでは住居モジュールの中に男女のボーダーを設けていたのだったが、雪村の報告を受けて廃止した。セックスのために特別な空間を設けるゆとりは月面にはない。オフタイムには自由意思で互いの部屋を訪れ合う。閉ざされた地下空間そのものがラブホテルの中身になったようなものだった。

  M1-001、海老沢の部屋。跳ね上げて収納できる狭いベッドに、ピンク色の下着姿でジョゼットが座っていたのだが・・。
 「見てよ、この下着、紙なのよ。色気も何もあったものじゃない。お洗濯したくても水さえない。ブラもパンティも紙なんて病院にいるみたい。汚れても燃やすこともできないしそこらに埋めたって腐りもしない。いつか設備が整ったとき汚れた下着さえも資源として再利用されるのよ。ここは違う、地球じゃない。だからね俊、そうやって考え込むことじゃないんだから。進みすぎた文明は本能をいけないことのように追いやってしまったけど、そう考えると不思議な世界ね月面は。文明の最先端に住む原始人とでも言えばいいのか」
  海老沢はため息混じりにちょっとうなずき、そして言った。
 「恥ずかしいのさ俺は。当然のことなのに考えようともしなかった。皆に苦しい思いをさせてきたと思ってね。すまないことをした」
  ジョゼットは、そうじゃないと微笑みながら、淡いブルーの紙で作られたトランクス姿の俊允へと身を委ねた。紙といってももちろんソフトな先端素材であったのだが。

  ちょっと落ち込むような面色の海老沢にジョゼットは言う。
 「女としては嬉しいのよ、あなたは女性を尊重してくれる。ほとんどが男の世界でそれを許すと女は娼婦になってしまう。それに個人的な恋愛ではトラブルの元ともなるでしょう。三百そこそこの女、なのに六千人の男ですからね」
  そう言ってジョゼットは男の胸に頬を寄せ、くすくすと妙な笑いを漏らすのだった。
 「それならそれで女たちは気分いいかもよ」
 「どういうことだ?」
 「性の解放、だけどそれは自由意思。そうなると男たちはやさしくなるわ。嫌われたらおしまいですもの。文明の論理ではない本能のおもむくままの女権復活ってことかしら?」
  そうかも知れないと海老沢は同感できた。女たちにやさしくなれれば角が取れて苛立ちも消えていく。
  海老沢は言った。
 「地球に戻ったとき、プロジェクトリーダーとしておまえはそんなことを許したのかと非難されるのを恐れたのかも知れない」
 「そうよ、そうだと思う。でもだからあなたが好き。まっすぐなあなたが好きよ」
  男女の性にはまったく向かない狭すぎるベッドの上で、紙の下着を脱ぎ去った男女の熱が交錯した。

  地球へは戻れないだろうと覚悟を決めてやってきた。なのに俺は地球の眸色を気にしている。五十年後の旅立ち以降のことを思っても、地球上とは異質の新しい文明が生まれても不思議はない。
  旅立ちといっても現実的に目指せるところは四光年先のプロキシマ・ケンタウリをおいて他にはない。そのハビタブルゾーンに浮いている惑星プロキシマBに移住して第二の地球とできればいいのだが、観測が進むにつれて、どうやらプロキシマBには大気が存在しないらしいとわかってきた。母星たるプロキシマ・ケンタウリからの強烈な放射線によって大気が剥ぎ取られている可能性が高いと言うのだ。
  であるなら人類は月から出られない。このちっぽけな星がすべてとなる。五百万人の人類、そのおよそ八割が女性とすれば、新しい女権の文明が育っていっても自然なことだと考える。

 「ふふふ、女権文化とはまさに言い得た世界だな」
 「あら、どうして?」
  M2-003。モジュール2の3号ルーム。そこは女医である雪村の部屋だった。間取りは海老沢の部屋そのまま。ベッドは小さい。
  デトレフは逞しかった。長身であり鍛え抜かれた軍人の体躯を誇っている。
  そしてその分厚い胸に裸身を委ねて雪村早苗は女らしさを誇っていた。
  デトレフは言う。
 「ムーンシップがどうなるかと想像したのさ」
 「若い女だらけだから?」
 「およそ四百万の女性に対し男は百万そこそこ。旅立った当初は地球の文明をのせていて男どもが差配するだろうが、じきにうまくいかなくなる。いかに優秀な遺伝子を持つとは言え凍結精子による強制受胎など論理の空転。圧倒的多数となった女たちは、女にとって都合のいいルールをつくっていくだろう」

  早苗はちょっと笑い、デトレフの逞しい男性へ手をやって悪戯するように嬲りながら男の面色を見つめている。彫りの深い精悍な顔立ちだった。
  早苗は言う。
 「私はあのとき、死刑台は人類の穢れと言い切ったあなたにキュンとしたわ。抱かれたいと思ったし私は濡れた」
  デトレフの強い腕が早苗を赤子のように組み伏せて、けれどもその眸はやさしかった。
 「それを言うなら俺もそうだ。あのときの早苗は、それなら率先して私が抱かれると言い切った。感動した。ルーナ(月の女神)がいたと感じたものだ」
  女神と言われて早苗ははにかむように唇をちょっと噛み、上目使いの甘い眸をデトレフに向ける。

 「そうなれば私なら男たちを可愛がるでしょうね。最後に残ったたった百万人の男たち。多くの女が悲しまなくていいよう厳しく躾けていくでしょうし、だからよけいに可愛く思える。男女の性は女次第よ。ちょっと拒むフリをするだけで男たちは平伏すでしょうね。でもねデトレフ」
 「うむ?」
 「私は思うの。女の理想は原始の世界なんだろうって。圧倒的な野人に牛耳られ、そのとき泣いても後になって守られて生きていられる安堵を知るのよ。進みすぎた文明の中で女は女になりきれなくなってしまった」
  デトレフは夢見るような面色で言う。
 「HIGHLY、LOWER、さてしかし幸せなのは・・」
 「LOWERでしょう、考えるまでもなく。LOWERならこんなところに来なくていい。HIGHLYゆえに性欲をどうするかなんて悩まなければならないんだから」
  早苗は言い、デトレフの強い肉体に白い裸身を重ねていった。

  口づけ。そしてまた早苗は言う。
 「聞いてデトレフ、私はね、五十年後の医師でなくてよかったと思ってるのよ」
 「それはなぜ?」
 「旅をしながら技術は進むわ。だけど酸素や水や食料や必要となる何もかもが無限につくれる時代が来るのかしらね? 人工重力でも生み出して大気をつなぎ止めておけるようになるのかしら? そうでなければそのとき医師は、生きていても機能しなくなった人々を選別しなければならなくなる、次の世代を守るために葬るの。私なら耐えられない、私は死神にはなれないもん」
  デトレフはちょっと眸でうなずくだけで応えなかった。
  軍人として月に送られたデトレフには使命があった。地球に戻りたがる者たちは消せ。そうしないとムーンシップ計画が表沙汰になってしまうし、帰還のための船を用意するゆとりは地球にない。地球は地球で瀬戸際なんだということだ。
  地球には帰せない、おまえたちは月で死ね。そんなことは言えない。海老沢にもジョゼットにも早苗にも言えるはずがない。
  しかし早苗の言葉はそれ以上の衝撃だったし、それ以上の残酷だった。デトレフは人間というものがわからなくなっていた。

  M1-001。海老沢の部屋。
  甘熱を放つ夢のひとときを経てジョゼットは海老沢の裸身に身を寄せて、どこか虚空を見るような男の面色を見つめていた。
 「父も天文学者だった」
 「知ってるわ、海老沢謙吾、知的生命を探し続けた日本人」
 「父は早くから警告していた。父だけじゃなく世界の天文学者が警告していた。太陽がおかしい。どうやら二十世紀の末から小氷河期にあったようだ、黒点が異常なほど観測される、太陽は極大期に突入する、温暖化が一気に進みオゾン層も危ういと」
 「私はその頃フランスの大学で望遠鏡を覗いてた」
 「うむ俺もだよ。宇宙はかくも素晴らしい。だけどそちらは父に任せて俺は宇宙工学に興味を抱いた。当時のロケットでは非力すぎて宇宙の旅など夢物語。SFの世界に登場する宇宙船に近いものを創れないかとね。ところが地球がおかしくなった。何としても新たな船を造らなければならなくなったんだ」
  ジョゼットは静かに聞いていた。男性が夢を話すときの面色が好きだった。夢見る少年。リクツではない女心が騒ぎだす。

 「あの頃の俺は十九か二十歳。異変は突如としてはじまった。当時の海面上昇はそれほどでもなかったが最大風速百メートルを超えるハリケーンが荒れ狂い、高潮が激化して臨海部がやられてしまった。さらに深刻だったのはオゾン層。太陽活動の急激な変化でそれでなくても危うかったオゾン層が消えていく。父はずっと以前から警告していた」
 「私はフランスよ、ヨーロッパ全域がパニックに陥った惨状が焼き付いてる。先進国ではそれでなくても少子化にあえいでいた。真っ先にやられたのは社会の中で取り残された老人だった。親よりも子を守る。見捨てるしかなかったの」
 「そうだね、北半球に集中する先進国は瓦解した。しかもそれは天変地異というよりも人のエゴ。人口のかなりなパーセンテージを占める老人たちが見殺しにされ、加えてなだれ込む難民を食い止めるための世界大戦とも言える殺し合い。最悪だ、なぜこんな時代に生まれたのかと呪ったものだよ」
  それからさらに十年。人類は温暖化物質の除去とオゾン層を修復するための設備を作り上げたのだったが、そのときすでに地球の全人口は三十五億人を割り込んでいた。

  ジョゼットは言う。
 「すんでのところで食い止めたかに見えたのにね、私が恐ろしいものを見つけてしまった。地球どころじゃなく太陽系の終焉よ。どのみち何もかもがおしまいなんだわ、恋をして性に燃え、母となる夢も消えた。ムーンシップ計画が最後の砦。そう思ったとき醜い地球を出たくなったの。せめて人類のために働く人たちの中にいたい。月のことは聞いていたのよ。男ばかりの異常な世界。地球上の法律なんて意味を持たない。早苗じゃないけど、この月でなら、もしかしたら女になれるかもって思ってた。決定的だったのはデトレフの言葉なの」
  海老沢は胸に甘えるジョゼットに微笑んだ。
 「死刑台よりベッドルームがいいか?」
 「そうよ、それだわ。疲れ切った男たちを見ていて抱いてあげたいと女ならそう思う。抱かれたい。夢ぐらいは見せてよお願い。何のために女の体で生まれてきたのって思うのよ。ねえ俊」
 「うむ?」
 「国連が軍を送った意味がわかる?」
 「デトレフは辛いだろうね」
 「うん、そうに違いない。もう地球へは帰れない。月面に軍船が降りたとき、月での死を覚悟したし、ふふふ、それが妙なの、そう思ったとたん性欲が暴走しだした。だったらせめて快楽ぐらいはいいじゃない。早苗の気持ちもそうだと思う。女たちもみんなそう。怖くてならない、誰か抱いてよ・・」
  海老沢は声もなくジョゼットの白く美しい裸身を抱き寄せた。涙ぐむ女に男は唇を重ねていく。

  それからは日に日に女たちの面色や身のこなしがしなやかになっていく。六千いる男たちが女として見てくれる。男たちの荒れた声も少なくなって、海老沢はますます考えさせられた。これこそ人の本質だったと思い知る。もっと早く気づいていれば地球は夢の園にできたはず。暗黒の空に浮く青い地球へ思いをはせる。

  九隻目、十隻目・・十五隻目と、それから二年の間に人員の増強と物資の補給が進み、男性およそ一万名、女性およそ一千名の月面都市となっていく。
  地上部分には新たなメインモジュールが造られて、地下には居住区そのほか必要な設備が整備される。月では引力が弱いために地球上のような剛構造は必要なく、地表を少し掘って建物を造り土をかぶせて半ば埋めればそれだけで完成する。海底で砂から目だけを覗かせる魚を思えばよかっただろう。人員が増えれば作業は進み、居住スペースも拡張されて人間らしく暮らせる空間ができていく。
  月に留まる者たちは、もはや地球人ではなくなっていた。志願する人々は殺伐とした地球世界に別れを告げてやってくる。それも月での暮らしぶりが知られるようになるほど女性の志願者が増えるというのだから、地球上のモラルはどこかが間違っていたと言わざるを得ないだろう。

  そんなとき、三十八歳になっていた海老沢に新たな職務が与えられた。
  新たなメインモジュールには通信設備が組み込まれ、かつてのメインモジュールは月面望遠鏡『ムーンアイ』を中心とする観測設備であるとともに、リラックスのための空間が造られた。最初に月に降り立ったときのことを思えば夢のような世界なのだが、それを提案し進めたのはジョゼットだ。使命だけでは生きていけない。珈琲ぐらいは楽しめるカフェのあるプラネタリューム。プロジェクトを加速させるためにも人間らしくいられる場の確保が先決だとジョゼットは言う。正しい指摘だと誰もが思った。

  そのムーンカフェのカウンター。カウンターの中にいるのはジョゼット、わずか十席ほどのカウンターに海老沢とデトレフ。デトレフが乗り付けた軍船はそのまま月に留まっていて、国連からの秘密の通信はそこで受ける。
  カフェに海老沢を呼びつけたのはデトレフだった。
  地球上では、温暖化したとはいえ緯度が上がれば寒くなる。
  デトレフは言う。
 「まず一つは、寒冷地に放置されたままとなっている恐ろしい数の人や動物の死体の処理。もう一つは、国連が押収した核兵器の処分なのだが」

  死体は燃やせば膨大な二酸化炭素を放出し、かといって腐敗が進めばさらに悪いメタンガスを放出する。核兵器についても数があまりに多すぎてとても処理しきれない。ついてはどちらも宇宙空間に投棄する。そのための船を造るため海老沢に地球に帰還せよと言うのである。
  地球に生まれた同胞の死体が汚物のように捨てられる。核兵器などという人類の汚点が宇宙空間に葬られる。あまりにも身勝手な決定に海老沢はやりきれない。
  太陽の行き先にある中性子星による地球の破滅には、ごくわずかな誤差がある。地球は太陽系の第三惑星であり太陽に近い。もしも太陽が中性子星の引力圏をすり抜けて突破できれば地球が生き残れる可能性がないとは言えず、そのときのためにも地球環境を改善しておきたいということだ。

  海老沢は言った。
 「嫌だね、地球へは戻らない」
  デトレフは言う。
 「そう言うと思ったよ。しかし海老沢」
 「わかってるさ、命令ならばしかたあるまい。ではこうしようじゃないか、どちらも船の設計はやってやる。ソーラーセイルを動力とする使い捨ての巨大船でいいんだろ?」
 「まあ、そういうことだが」
  ソーラーセイルとは宇宙の帆船。宇宙空間で帆をひろげ太陽風を動力源として飛行できる宇宙船を可能とする技術である。
  海老沢はジョゼットへ眸をやって言うのだった。
 「俺は月で死ぬ」
 「私もそうよ、地球はまっぴら」
  ジョゼットが即座に応じた。
  海老沢は言う。
 「それを条件に最高の船を設計してやるさ。外殻などゴムかプラスチックで充分だ。しかしデトレフよ」
  デトレフは、海老沢が何を言うかなど見透かしていたし、デトレフ自身が憤っていた。デトレフは言う。
 「ふざけるなと言いたいね。ムーンシップは残された希望だが、この宇宙にはたして人類を解き放っていいものかと感じるよ。わかった、そう伝える。その条件をのませてやる。俺ももう嫌気がさした、クソ喰らえといった気分だよ」

  このとき海老沢は、そのどちらの船も着地点は木星もしくは土星だろう考えていた。ソーラーセイルは太陽から遠ざかるにつれて太陽風が弱くなり推力がダウンする。巨星の引力に捕らえられれば都合がいいからである。
  そしてこのとき、とんでもないことを言い出したのはデトレフだった。ジョゼットの淹れた珈琲に口をつけながらデトレフは言う。
 「しかしアレだな、核については惜しい気がする」
  何を言い出すのか。二人はデトレフをうかがった。
 「すべてを南極で爆発させてやりたい気分だよ。じつは俺もそうだが我々の中には核の専門家がいるんでね。膨大な熱を放てば南極はおしまいだ。海面が一気に上がってHIGHLYどもの居住区は壊滅するだろう。LOWERたちは痩せた高地に封じ込められているから多数が救われる。こざかしい知恵を振り回さない連中に地球を再建させてやりたいものだ」
  三人揃って押し黙ったまま。もちろんジョークだ。

 「ねえ二人とも」
  カウンターの向こうにいてカフェのママのように微笑むジョゼット。シルバーメタリックに輝くスペーススーツの胸が張り詰めて美しい。海老沢とデトレフは揃って眸を向けた。
 「それなら気になるものをお見せするわ。いまは昼間よ、四日したら夜になるからムーンアイで」
  意味ありげに微笑むジョゼット。デトレフは微妙に眉を上げて首をすくめた。

  月は地球との相対関係の中で常に同じ面を地球に向けている。しかし自転していないわけではない。月はおよそ二十八日周期で地球の周りを公転しているのだが、その公転周期と自転の速度がまったく同期しているために地球からの見た目が変わらないというだけなのだ。
  つまり月の一日はおよそ二十八日。いまは昼間にあたるから太陽光が邪魔で観測できない。四日すれば夜がやってくるということだった。

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デトレフ中佐(二話)


  月面に一千万都市を築くという当初のプランから人数を半減させる『ムーンシップ計画』への変更は、プランの縮小などではなく、まさに壮大な拡充を目指す根本からの見直しであった。
  太陽系からの脱出。すなわち母星である地球からの補給を前提としない月への永住であり、食料はもちろん工業そのほか必要となるもののすべてを月にいながら完結させられる人工都市でなければならない。月を地球に改造するプロジェクトと言ってもよかっただろう。
  電力ひとつを取り上げても、太陽のない暗黒空間を旅するときソーラー発電など使い物にならないとわかっていても、太陽系に留まるいま、まずはそこから拡充しなければならなかった。月面ではすべての設備が電力で保たれる。原発設備を建設するためにも、まず目先の電力確保が欠かせないということだ。

  地球上で営々と築き上げてきたものをわずか五十年でフルコピーする。どう考えても無理な計画。しかし躊躇している時間はなかった。
  まず必要となるものをリストアップ。地球からの補給を待って作業にかかる。七隻目八隻目の超大型貨物宇宙船が到着し、物資を降ろすなり今度は中身を住居に改造して月面に埋めていく。一隻あたりのキャパシティは限られているから物資を増やせば人が減る。海老沢がジョゼットと出会ってからすでに数か月。八隻目が到着した時点で、それでも総勢わずか六千二百名。その程度の人員でどう急げというのか。プロジェクトリーダーである海老沢は苦しかった。月面での作業は宇宙服に頼らなければならないし地球上での作業よりもはるかに過酷。一人一日数時間が限界の作業ではいっこうに進まない。

 「とても足りない。物資はひとまずいいとして次は人員のみの補給だろう」

  月面に最初に着陸して地上に据えられた半球形のメインモジュール。屋外での作業から戻った海老沢は疲れ切った面色でジョゼットの肩に手を置いた。
  あれからメインモジュールの一部が改造されて口径五メートルの反射望遠鏡が据えられた。呼び名はムーンアイ。まさに月の目。大気の揺らぎのない月面からの観測は地球の終焉をより確実に予言した。太陽の突き進む先に浮く中性子星の引力圏に捕らえられるまで、残された時間は七十二年と確定したのだ。
  ジョゼットは言う。
 「このところ思うのよ、私たちの世代には無関係なことなんだとね。人間なんてエゴの塊なんだなと思ってしまって。地球の終焉が避けられないとわかってもまるで他人事のようなんですもの」
 「まったくだ、こんなところで何をやっているのかと思うことが時々あるよ。どうせ無関係なのなら人生の最期ぐらい地球でのほほんとしていたいと。皆が疲れ切って苛立ってきている。この上何を指示するのかと思うと苦しくてね」

  と、そう話しているところへ、八隻目の貨物船とは別の小型の宇宙船でやってきた一人の男が海老沢を訪ね来て歩み寄る。
  背が高く鍛えられた肉体がシルバーメタリックに輝く全身フィットのスペーススーツに漲っている。
  ここは望遠鏡に付属する観測室。望遠鏡そのものは屋外に設置され、そのコントロールルームであった。天文学者のジョゼット、海老沢、そして訪ねて来た長身の白人男性の三人きり。その男は腰に高エネルギーレーザー銃を携えている。明らかに軍人だ。歳は海老沢よりも少し上の三十代の末あたりかと思われた。

 「プロジェクトリーダーの海老沢さんとは?」
  ドイツ語。オートマチックトランスレーターで会話が成り立つ。
 「私ですが、あなたは?」
  しかし男は、すぐそばにいる得体の知れない女へと探りの眸を向けた。内密な話のようだ。
  海老沢は言った。
 「こちらの女性なら問題ありません。国連から派遣された天文学者のジョゼットです。私たちは同志ですのでお気づかいは無用かと」
 「そうですか。では早速」
  男はうなずくと、なぜか面色を暗くして言うのだった。

 「私はデトレフ・フランツ国連軍中佐、百名の部下とともにやってきました。まあ志願してやってきたクチですがね」
 「志願してとは?」
 「地球に失望したといったところです」
  海老沢とジョゼットは顔を見合わせ、傍らの椅子に座ろうとするデトレフを見つめた。
  デトレフが海老沢を見つめて言う。
 「人員が足りないということで平時はあなた方の指示に従い、しかし有事には・・つまり我々は月面での警察だと思っていただいてかまわない。トラブルそれに人員を地球へ帰還させる際の判定と言えばいいのか」
  おおよそ理解できた。トップシークレットのプロジェクトであるから地球へ戻って喋られては困るということだ。
  ジョゼットが問うた。
 「私たちを監視するために?」
  デトレフはちょっとうなずき、たまりませんよとでも言うように首をわずかに左右に振った。
  そして言う。

 「月にいてご存じないかとは思いますが、地球ではいま人類史上かつてない愚行が行われようとしています」
  ジョゼットが海老沢を見つめ、私は知らないと言うように目配せで告げるのだった。ジョゼットは国連配下。しかしそんなことは聞かされてはいなかった。
  デトレフが言う。
 「赤道あたりを境にノースランドとサウスランドを分けようとしている」
  海老沢が問うた。
 「何ですかそれは? ノースランドとサウスランド?」
  デトレフはすまなそうにうなずいた。
 「それで我々は志願して月へとやってきたというわけです。一定の知的レベルを備えた者たちをHIGHLY=ハイリーと称して北に集め、それ以外をLOWER=ローアーと称して南に集める。北は白人および知的階級。南はそれ以外ということになるわけですが」
  海老沢は呆れ果てた。
 「くだらない。まさしく愚行だ。人類の存続が危ぶまれるときに、それでもまだ肌の色で差別しようというのですか」
 「まったくです、やりきれない。しかし私は軍人ですし下っ端ですから反論の声を持ちません。オゾン層の破壊で北半球がやられてしまった。紫外線に対して白い肌はもっとも弱い。ヨーロッパのほぼ全域、ロシアの全域それにカナダの全域。つまり白人が多いところが壊滅状態になってしまったということで。国連などもはや形だけ。白人に支配されてしまっている。世界人口に占める白人の比率は十五パーセントを割り込んだ。恥も外聞もなく生き残りを図っている。ムーンシップ計画で月に乗り込める五百万人の比率がどうなるかについても、もはや見えていると言えるでしょうね」

  世界人口が七十五億だった当時で白人の比率はおよそ三十パーセント。アジア系がもっとも多く、次いで白人、次いでそれ以外ということになるのだった。
  デトレフは言う。
 「知的階層では人種は問わないと、名目上はそうなっているのですが本音は違う。最期のとき五百万人を選別するため、イザというときになって戦争はしたくない。そこでいますでに選り分けておくということです。五百万人はHIGHLYの中からさらに選りすぐる。LOWERに未来はない。しかし海老沢さん、どのみち救えるのは五百万人だけ。あなたならどうやって選別しますか?」
  やりきれない思いはあっても、それを言われると返答できない。優秀かつ完全なる者だけにチャンスが与えられる。リクツでは確かにそうでも、いま地球上で選り分けておくことなのか?
  デトレフは言う。
 「地球上では太陽系の終焉を知らされてはいないのです。それでもなお生き残りに必死。必然的に弱い者は虐げられ、そうなると暴動がエスカレートしかねない。現実にいま争いだらけだ。LOWERから武器を取り上げ居住区を分けておかないと五十年後など明日のようなものですからね」

  重苦しい沈黙。デトレフはさらに言う。
 「私はいま三十九歳です。七十年先の末路など無関係なことなのでしょうが、人生のいちばんいい時期に地球は狂ってしまった。結婚もできず生きてきて、さらにいま軍人として人々を選別する役を負う。耐えられない。だから月へ行きたいと志願した。地球のことなど忘れてしまって、ここで未来を築いていたい。あなたがたの使命こそが残された希望なのです」
  デトレフの苦悩は海老沢にもジョゼットにも理解できた。海老沢もジョゼットも生涯独身、地球上での幸せを諦めている。子孫を残したところで未来はあまりに残酷だった。
  デトレフは言う。
 「我々はこちらで人員を監視するのが使命ですが、それは有事の際のみ。人類のために働いて死にたいと皆そう思ってやってきたんだ」
  海老沢はうなずいて手を差しのべ、デトレフと握手を交わし、そして言った。
 「であるなら女性の警護をお願いしたい。いま女性の総数およそ三百。過酷な作業で疲れ切った男たちが狙っている」
  デトレフは「哀しいことだ」と小声で言うと、うなずいた。
  自由恋愛というわけにはいかない。圧倒的に男が多く、それを許すとほとんどの者があぶれてしまう。性への欲求をどうするかも月面での課題であった。同性愛以外にないのだから。

  いまからおよそ五十年後、幸運にも月に乗り込めた五百万人のうちの八割が若い女性。凍結精子による強制受胎という非人間的な宿命に生きなければならなくなる。
  人類もまた地球に生まれた獣の一種。このとき三人はそうした同じ想いにとらわれていた。
 「もういいわ、よしましょう、そんな話」
  ジョゼットが言い、男二人は曖昧に笑ってうなずいているしかなかった。

  そしてその翌日。
  メインモジュールに各作業の現場監督クラス三十数名が集められた。監督クラスといっても皆が若く、女性も二人混じっている。それぞれの作業の進捗状況を報告し合うことが主たる目的。加えてデトレフ以下、送られてきた国連軍の役割についても話されたのだが、そのときに女性たちへの不穏な動きのあることが告げられた。
  集められた中に、現場のスタッフとは別に女医の雪村早苗が同席した。
  月面での医療にあたる若き名医。もちろん旧日本国籍の女性である。シルバーメタリックのスペーススーツがよく似合う、三十歳の女医であった。
  女性への性的暴行が危惧されるとして海老沢が語った後のこと、雪村が手を挙げた。
 「異議ありとまでは申しませんが、それで軍に処罰させるのは残酷過ぎると思いますよ」
  集まった皆が雪村を見つめ、海老沢が問うた。
 「どういうことだね? じゃあ君は自由恋愛でいいと言うのか?」
  雪村は皆を見渡し静かな声で言うのだった。
 「そうしたモラルはかえって人を苦しめます。ここは月面、皆が命を賭して働いている中で、個人的な愛ではなくて人間愛が生まれてもおかしくはありません。極限の世界なんですよ。生存できるぎりぎりに生きていて、せめて女の悦びぐらいは感じていたいと、そう思う女がいても、それこそ人というものではありませんか。せめてぬくもりぐらいは欲しいと思う。苦労する男性のために何かをしてあげたいと思うのは女だからなんですよ。男性だって苦しむ女性を可愛がってやりたいと思うでしょうし」

  海老沢もジョセットも、デトレフも、その場に居合わせる女たちも。皆がハッとするような面色となっている。
  雪村は穏やかに問いかけた。
 「いかに人類のためとはいっても、それは五十年後の話です。犠牲になるだけの人生ではあまりに惨いとは思われませんか」
  海老沢は言う。
 「しかし、それはそうでも個人的な愛でないなら、すなわち公娼を意味するのだよ。それをいま許可しろと言うのか?」
  雪村は言う。
 「ですからそうしたモラルは開かれた文明社会でのこと。かつてはどの国にもあったはずの公娼が禁じられ人権が尊重された。なるほど正しい。けれどいまこの状況で作業に疲れ苛立った者たちが、せめてもの救いとして女性に迫ることがあったとして、それをどう処罰するのでしょう? 見せしめの死刑でしょうか? そちらの方が非人間的だと思われませんか。満たされない生活では作業能率も低下するに決まっているし、女性の側にだって、せめて夢ぐらいはと思う人はいるはずです。もちろん強制したりはいたしません。それでもいいと思う者だけ。避妊は私の職務として行えばいいことで。月面にいる皆は若いのですよ海老沢さん」
  ジョゼットが言った。
 「では雪村さんはそれでいいと? 自ら抱かれる覚悟はおあり?」

  雪村はちょっと笑ってうなずいた。
 「寂しいの。それが私の本心です。何をするにも意欲も失せる。同性愛か自慰以外に許されない女の人生は苦しいものよ。ええ、私は許します。せめていまこのときを生の実感とともにありたいから」
  ジョゼットは雪村に微笑んで海老沢に向かう。
 「リーダーは海老沢さんです。私も幸村さんに同感するわ。私は何のために女となって生まれてきたの。寂しいという彼女の気持ちはよくわかる」
  ジョゼットにまでそう言われ、しかしそれでも海老沢は即断できない。最先端プロジェクトのリーダーに人間の性生活までを決めろというのか。
  デトレフがはじめて口を開いたのはそのときだった。
 「人類の穢れのないこの月に死刑台をつくるぐらいならベッドルームの方がはるかにいい」

  海老沢は、そんな言葉をたどるようにデトレフへと眸を向けた。地球でいま何が行われているのか。HIGHLYとLOWER。時代を逆行する蛮行が横行しようとしている。
  海老沢は言った。
 「わかった、雪村君にお任せしよう。女性たちとよく話し合って決めてくれ。哀しい。ただただ哀しい」
  それは地球上での差別も含めて湧き上がる感情だった。
  確かにこのままでは危うい。男たちが殺気立ってきている。しかし海老沢にとって女性もそうだとは思えなかった。性欲は愛の根源。リクツではない切羽詰まった欲情が渦巻いているのである。
  ミーティングが終わってジョゼットは望遠鏡に向かい、少し遅れて海老沢がやってくる。

 「雪村君には頭が下がるよ。女性は女神だ。それができるなら万事うまくいくだろう」
 「そうだと思うわ。私はあなたが好きよ。抱かれたい。地球上ではポーズぐらいはするでしょうけど、ここでは違う。死と隣り合わせ。セックスも今日を生きる意味なんだから」
 「そうだね。まさかの解決法に愕然としたよ。しかしそれは公娼とは違う。断じて違う。そのとき相手を愛して抱くんだ」
 「そうよ、その通り。それを問題とするのなら旅立つ月は人間牧場。誰のものとも知れない精子を受け取って、でもね、女にとってそれでも産まれてくるのは可愛い子供なんですもん」
  海老沢は、椅子に座って機器に向かうジョゼットの肩に手を置いて、そのとき振り向いて涙をためるジョゼットが愛おしく、はじめて唇を重ねたのだった。

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2054年のジョゼット(一話)


  月面に都市を築くという人類の夢は古くからあったのだが、そのためにはまず地球の周回軌道上に大規模宇宙ステーションを整備して、地球上との間の中継点を完成させなければならなかった。地上からじかに月を目指そうとするとロケットに頼らざるを得なくなり、それでは運べる人員や物資に限りがあるからだ。
  海老沢俊允が生まれた2018年当時、形になりはじめていた宇宙ステーションだったのだが、その頃は規模も小さく、地球からいちいちロケットを打ち上げてわずかな資材とわずかな人員を送り込むのが精一杯。月進出以前にまず千人単位の人員が常駐できる宇宙へのターミナルを整備しなければならなかった。
  そのときまでは誰一人、よもや地球が大異変に見舞われようとは思ってもいなく、宇宙開発は未来への想像、科学という学問の延長線でよかったわけだ。

  ところが2036年からのわずかな間に状況は一変した。突如として狂いはじめた太陽の大異変によって平均気温の上昇とオゾン層の急激な減衰が止められない。夢見心地で語り合った火星への移住を急がなければ、このままでは人類が滅亡しかねない。
  そしてそのためのシュミレーションとして月面都市の実現が急務となったのだが、そのときもっとも問題となったのは宇宙空間への資材と人の運搬手段。これまでのような小さなロケットに頼っているわけにはいかない。地上から航空機のように飛び立てて宇宙ステーションとの間を行き来できる大型貨物宇宙船の開発。このとき二十八歳となっていた海老沢俊允は、その開発プロジェクトを進めたスタッフの一人であった。

  かつてのスペースシャトルの数倍のキャパを持つ超大型貨物宇宙船は、航空機そのままにジェット推進で浮き上がり、高度を上げて成層圏に達すると、ブースターロケットにパワーを切り替えて大気圏を脱出する。宇宙空間に出てしまえば重力がないから船のサイズは問題にならない。宇宙ステーションに資材と人を送り届け、ふたたび航空機として地上の飛行場に戻ってくるというものであったのだが、大量の資材を宇宙に届けられるようになったことで、そのとき同時に宇宙ステーションでは、月への移動手段としての究極の宇宙船が計画されていたのである。
  そのとき若干三十歳であった海老沢は、そのアイデアで注目された人材だった。

  人工物など一切ない月面進出の初期段階で、いったいどうやって人が常駐できる施設を創っていくのか。
  海老沢は月を港に見立てようと言う。宇宙ステーションで建造される大型貨物宇宙船をそのまま月面に着陸させてアンカーで固定。居住のためのモジュールとし、同型の宇宙船を次々に送り込んで人が行き来できるスリーブ(トンネル状の通路)でつなぐ。例えて言うなら潜水艦を並べてつなぐようなもの。建物ごとそっくり持ち込んで並べてしまえと言うのである。

  月には大気がほとんどなく有害な宇宙放射線が直射する。太陽光にさらされる日中の地表温度はおよそ110℃、夜間にはおよそマイナス170℃という過酷な環境から、居住するには地下がいいと考えられていたのだが、海老沢はそれにもいとも簡単に答えを出した。
 「低地である平坦なクレーター上に船を並べておいて埋めてしまえばいいのです。まず必要となる地表部分の施設を先に造り、本格的な地下都市の建設はそれからでしょう」
  これに対する反論もあったのだが。
 「しかし、いかに重力が六分の一とは言え、それほどの巨大な船をどうやって月面上に降ろすのか。逆噴射となれば地表が吹っ飛ぶほどのパワーがいるぞ?」
 「反力としての磁力ポートをこしらえるというのはどうでしょう? 先に送り込む船でまずはそこからかかり、追って次を送り込むということです」
  磁石の同極同士がはねつけ合う反発力を着陸時の制動に利用するということだ。それができるなら逆噴射は姿勢制御のためだけの限定的なものでいいだろう。


  そして、2054年。
  月面には、最初に着陸した半球形のドームを持つ船を地上に残してメインモジュールとし、それを取り巻くように五隻の超大型宇宙船が地下に埋められ、総員四千七百名が居住する月面ベースができていた。しかしそれも月面都市建設のための基礎にすぎず、一千万人もの人々を許容する地下都市の建設はこれからだった。
  そうする間にも地球上の環境は厳しさを増していて、七十五億人いた世界人口も三十五億人を割り込んだ。月面都市を一刻も早く。六隻目となる超大型宇宙船が送り込まれ、さらに七隻目が完成間近。計画からわずか数年で月面に総員四千七百名プラス新たに九百名。総勢五千六百名ほどのベースは完成したが、それでもペースは遅かった。

  その六隻目の船に、まだ若く美しいフランス人女性が乗っていたのだが、そのときモジュール5、つまり五隻目に着陸した宇宙船の内部なのだが、そこに造られたトレーニングジムでスクワットをしていた海老沢にはうかがい知らないこと。
  居住スペースであるモジュール内では一気圧が保たれて呼吸も普通にできたのだったが重力だけは六分の一のまま。肉体に負荷をかけるトレーニングをしていないと地球に戻れなくなってしまう。重さ六十キロのバーベルがわずか十キロ。このとき海老沢は地球上でなら百八十キロ、つまり三十キロのバーベルを肩にかつぎ、スクワットで体に負荷をかけていた。

 「海老沢さんですね?」
 「そうですが、あなたは?」

  声をかけた女性はブロンドのショートヘヤー。フランス語。宇宙の旅のために用意された全身ボディフィットのシルバースーツを着込んでいて、知的で美しい女性であった。対する海老沢はトレーニングスウェット。明らかに目的を持って歩み寄る女性に向けて海老沢はちょっと微笑み、オートマチックトランスレーター(自動翻訳装置)のイヤホンを耳にした。月面のベースではこのマシンで言語の別なく会話ができる。

  女性は言った。
 「ジョゼット・バイルと申します。天文学者なのですが、じつは緊急なお話があって参りました」
 「緊急な?」
 「はい。これは国連の決定です」
  国連からの使者? 海老沢はちょっと眉を上げてうなずくと、訪ねて来たジョゼットをチェアの置かれるレストスルームに待たせておいて、シャワーを済ませ、同じくシルバーカラーの男性用のボディスーツに着替えてからルームを覗いた。月への私物の持ち込みは制限される。仮住まいともいえる居住モジュールの部屋は狭い。
  月面で水は循環濾過して繰り返し使われる。シャワーはもちろん人の尿などもそのうちですべてが資源なのである。
 「お待たせしました」
 「いいえ。ですがここではちょっと」
  ジョゼットはそれとなく周囲を見渡す素振り。そのときジムのあるモジュールと同じモジュール5に造られたレストルーム(休息室)には、男女合わせてかなりの人員が体を休めていた。

 「でしたら私の部屋でよろしいでしょうか?」
  ジョゼットはうなずいて立ち上がる。背の高いスリムな女性。立ち上がると173センチある男の海老沢と背丈がそう違わない。
  居住区は地下に埋められたモジュール1~5まで、ほぼ均等に割り振られていた。そうでないと事故でもあれば全滅ということになりかねないからである。
  海老沢の部屋は地下にあるモジュール1の1号室。この月面プロジェクトに関わる人員の中でもリーダー格の人物が居住する部屋なのだが、それでも畳にすれば三畳ほどのスペースしかない。格下の者たちのそれは一人二畳。カプセルホテルに毛が生えた程度のスペースしかないのである。
  M1-001。それが海老沢のルームナンバー。モジュール1には917までルームが並ぶ。

  中へ入ると、シングルベッドよりも狭い跳ね上げ収納式のベッドがあり、小さな白い丸テーブルの向こうとこちらにチェアが二脚。室内に水回りは一切なくトイレさえも共同。食事らしい食事は日に一度、それに固形フーズが一食。この頃までの月面ベースは生存できるぎりぎりの条件だったのだ。
 「どうぞおかけください」
  海老沢は日本語。トランスレーターが訳してくれる。
  ジョゼットはひどく狭い空間を見渡して言った。
 「綺麗になさっておいでですね」
  海老沢は微笑んだ。
 「綺麗も何も余分な物がないだけです。地球の豊かさを思い知りますよ。さて、緊急なお話とは?」
  穏やかだったジョゼットの面色が真顔となった。キリリとして冷たいほどに美しい来訪者。ジョゼットは言う。
 「これはもちろん国連の決定であるのですが、この月面都市の設計変更をお願いしたいということです」
  怪訝な面色でジョゼットを見つめる海老沢だった。
 「それはどういった? どう変えろと言うのです?」
 「ムーンシップ計画と申しますが、この月そのものをSS(スペースシップ=宇宙船)として太陽系を脱出したいという計画があるのです」

  海老沢は言葉を探せない。呆然とする。この人は正気なのか?
  ジョゼットは悲しげな面色で言うのだった。
 「いまからおよそ七十年後になるかと想像しますが、私たちの太陽系はスパイラルアームに接近します。発見したのは私です。いまから二年ほど前のことになりますでしょうか。観測と計算で私がはじき出した結論は・・」
  これは真実です信じてください・・と言うようなジョゼットの面色。
 「私たちの銀河の中で太陽は、地球が太陽の周りを公転するように秒速217キロというスピードで移動しているのはご存じかと思います。太陽がこのまま突き進むといずれスパイラルアームに突入しますが、そのはるか手前の空間に砕け散った星の残骸がリングをつくる中性子星が浮いているのです。その直径およそ二十五kmほどの小さな星だと思われますが」
 「では衝突すると?」
 「かどうかまでは、いまのところ計算の誤差の範囲ですけれど、少なくとも強大な引力圏に捕らえられてしまうでしょう。惑星軌道が掻き乱されて太陽系全体が崩壊する。地球の余命は残りわずか。そこで人類五百万人をこの月にのせて種の存続を図ろうということなのです」

  互いに沈黙し合ったまま。それだけ聞けばジョゼットの言うことはよくわかる。
  海老沢は言った。
 「なるほど。太陽系そのものが終わるとなれば火星へ移住しても意味がない。月を宇宙船として旅立つ。次なる親星のハビタブルゾーン(生存可能領域)に浮かべてやるだけで自動的に小さな地球となれるわけだ」
  ジョゼットは微笑んでうなずいて、しかしその面色はすっきりしない。
 「人類の生き残りを図る一大プロジェクトなのですが、これはトップシークレット。それには理由があります」
 「生き残る五百万人をどうやって選ぶのか。ほとんどは見殺しだ」
 「そうです。すでに壊滅的な地球にそれでも残った三十数億人のうちのたった五百万人ですからね。しかもその八十パーセントは若い女性となるでしょう。あらゆる人種から採取した凍結精子を積み込んだ、いわば宇宙牧場です。そうしなければ近親交配が進んで種は滅びる。月ほどのサイズで宇宙を旅するとなれば気の遠くなる時間がかかり、食料そのほか自前で調達しないとなりません。月のサイズをふまえ、それらを計算し尽くした結果のその人数。大きな宇宙船を建造しようというプランもあったのですが、その場合乗り込めるのはせいぜい二、三十万人が限度であり、それでは目指す場所まで行き着けるかどうかが不安なのです」

  海老沢は混乱する意識の中で正気でいようと努力した。
 「しかしその分リスクは高いと言えるでしょう。大きくても船ならともかく、月ほどのサイズとなると太陽系を二重三重に取り巻く小惑星帯を突破できるのか。地球サイズでも直径十キロの隕石で壊滅するというのに月などひとたまりもないからね」
 「迎撃用の核ミサイルと高エネルギーレーザー砲を装備します。いずれにしろ賭けですからね。賭けに勝つか絶滅するかの道しかない」
  それはそうだろう、そうするしかないのだから。
 「おっしゃることはわかりますが、これほど巨大なものをどうやって推進させるのか?」
 「それはいま地上の専門家たちが知恵を絞っておりますが、海老沢さんならおおよその見当はつくかと」
 「燃料のことまで考慮すると現在の技術レベルでは核爆発推進以外には考えられない」
  ジョゼットはきっぱりとうなずいた。
 「おそらくそうなると思われます。したがって月面都市の計画変更が必要となるわけです」

  核爆発推進とは、巨大なパラボラアンテナのような応力の受け皿を用意しておき、その間際で数秒に一度の割合で連続して核爆弾を爆発させ、その膨大なエネルギーで加速しようというもの。宇宙を旅する究極のエンジンと言われている。オイルなどとは違って燃料はつまり核爆弾であり多くの数が積み込めるからである。
  だがそれにしても月は大きい。水爆レベルの爆弾がどれほどいるのか見当もつかないほど。まさにSFの世界だと海老沢は考えたのだが、それは地球にいる科学者たちが結論を出してくれること。
  太陽系を捨てるということは母星からの物資の補給が一切ない旅を意味する。 五百万人もの人間がその先ずっと生き続けられる水と食料、人間生活に必要なものの一切を許容する壮大な設備がいる。
  海老沢は問うた。
 「タイムリミットは?」
 「旅立ちまでおよそ六十年とみていいでしょう。先ほど言った七十年というのは中性子星の引力の影響が出はじめるタイミングであって、その十年前には旅立ちたい。人と物資の積み込みに数年はかかるでしょうし、スイングバイにさら数年。そう考えるといまから五十年後がリミットかと」
 「五十年でやれと言うのか、たったそれだけの間に?」

  ジョゼットは言った。
 「そのための方策をいま考えているところなのですが、こちらはこちらで想定して進めておかないと時間がない。動物性タンパクは繁殖力の強い鶏や齧歯類(ねずみなど)、食用ガエル、ゴキブリなどの昆虫、ミミズなどもそのうちでしょうけれど、それらの飼育施設が必要です。植物も育てなければなりませんし、それらを加工する工場も必要です」
 「酸素も水もすべてそうだ」
  ジョゼットはうなずいて言う。
 「小さな地球と言えばいいのでしょうけど、同時に地上にも必要な設備はすべて整備しなければなりません。追って相応の人員が送られてくるでしょうが、いまから五十年の間にできる限りのことをする。それからのことは旅立った後の課題です。住みよい環境を創りながらの長い長い旅となる」
  地球にもっとも近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリまででも、秒速三十万キロの光の速度でおよそ四年。速度が百分の一なら四百年、千分の一なら・・と考えると途方もない話である。

  ジョゼットは言った。
 「私はいま三十六。そのときまで生きていらられば八十六歳です。そうやって努力をしても旅立ちのときに老人は無用。私はもう二度と地球には戻りません。五百万人の人々のために月で死ぬと決めてきました」
  その言葉を聞かされて海老沢はあらためてジョゼットは狂っていないと確信できた。
 「わかりました、もはや逃げ場はないのですから」
 「月へ行ったら海老沢俊允を訪ねろと言われてきました。あなたがリーダー。どうか海老沢さん、人類のためにやりましょう」
  ごつごつとした海老沢の手をジョゼットの白い手がしっかり握った。

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