2016年12月22日

おんな屋あさり(五話)


五 話


「・・それにしても女とは怖いものよ」
 緊張のゆるんだ空気の中で高虎がふいに言い、お華にチラと眸をやった。
 そのお華は、ちょっと唇を噛んでにらんだが、すぐに笑って皐月を見た。
 皐月が言った。
「伏魔殿と言うが、女にはもともとよからぬものが棲んでいて、身の毒を隠して生きるもの。あたしなど逆に生きる力が蘇った思いだよ」
「ほう・・悟りきったようなことを言うな?」
 若い高虎などどれほどこの世を知っているのか・・皐月は目を伏せてちょっと笑い、高虎のそばにいて嬉しそうなお華へと眸をやった。
 そんな皐月を察して高虎は言う。
「すまぬ、女人のことなど俺にはわからぬ、剣のことしか頭になかった」
「いいのさ気にしちゃいない。それだけ若いということ。あたしらだって・・」 と言って口ごもった皐月に、とりわけお菊ら三人娘が目を向けた。
 手練れのくノ一と話には聞いていても、突然やってきたゾクとする美女。棲む世界が違う。興味があってならないのだ。

 皐月は感情を押し殺すように淡々と言った。
「あたしら三人、弥平さんに救われたようなもの。嬉しかったのは、お華ちゃんの顔見知りというだけで迎えてくれたことなんだ」
 皐月ら三姉妹のことは、弥平もお角も、お華を通じて聞かされているだけで、考えてみればそのお華もお淑が知っていたというだけのもの。今度の役目の重みを思うとでたらめな出会いであり、信じる証などないものだった。
 皐月は言う。
「あたしら九頭竜(くずりゅう)は・・ふふふ、もっともそんなものはとうにないが・・」
「毒に長けた忍びと聞くけど?」
 と、お角は訊いて、「言いたくなければ言わなくていいんだよ」と言う。
 皐月はこくりとうなずいて、しかし顔を上げて弥平を見た。
「いいのさ、真のことだ。出会ってまもなくあたしらに役目が与えられ、それも夢のような大奥だった。信じてくれる人がいる。やっと出会えた。そのことだけで涙が出たね。あたしらのことを話しておくよ」
 皆の視線が集まる中、高虎が言った。
「それでハシリドコロと見抜けたか?」

 ハシリドコロは山地にごく普通に自生する野草だが、誤って食べると、目眩やうわごと、幻覚を見て、狂ったようにわめきながら走り回るところから名付けられた毒草。猛毒とまでは言えないが、その汁が目に入ると失明することもある恐ろしいものである。
 しかし皐月は高虎に向かって、『そんなものは毒のほんの入り口さ』と笑うと、弥平に向かって言った。

「あたしら九頭竜は、騨州(たんしゅう=飛騨)に生きた山窩(さんか=山の民)に発する忍び。平家の落人がはじまりらしいが、そんなことまでよくは知らない。ひっそりと山に暮らし、獣を狩って生きてきた。九頭竜はもともと薬の九頭竜。山野は薬草の宝庫であって我らは薬師(くすし)としても知られたもの。山から山へと渡り歩くようになり、隠れ住む武者や捨てられた忍びなんかを迎え入れつつ、山賊どもとの戦いの中で武芸を磨いた。そしてあるとき甲斐と越後の狭間の山深くに迷った若武者と出会ったそうだが、そのとき若武者は慣れぬ山で毒蛇にやられて弱っていた。我らの薬が命を救った。それが後の謙信様」
「上杉謙信・・なるほど、それで越後に?」
 と、弥平が言って、皐月は微笑む。
「その後、景勝様の代となって会津へ国替え。ものの見事に我らは散った。忍びなどもう嫌だ。けどそうなると女なら身を売ってでも喰うのがやっと。あたしの婆様など結局伊達家の家臣に拾われて・・いいや慰み者とされながら毒の忍びとして生きたそうだ。母者もそうだ、童だったあたしら三姉妹を抱えて伊達家を離れ、流れ着いたのが加賀だった。母者はそれは美しく、前田様の家臣に見初められて妾となった。されど、やがて長じたあたしら姉妹は京へと送られ、よからぬ者どもを葬る役目を与えられたが、太平の世となって捨てられたというわけさ。あたしら姉妹は色仕掛けのくノ一だよ。汚れた身をはかなんでいっそ遊郭にでも落ちようとしたときに・・」

「違うよ、そうじゃない」

 独り言のように言ってキリとした眸を向けたお華へ、皆の眸が集まった。
「女陰働きはくノ一の誉れ、美しく強くなければ務まらない役目だよ。あたしなんてどうなのさ。伊賀は大きい。主家たる武将どもの寝返り寝返りで味方がいつのまにか敵になり、伊賀同士、仲間だと思った者同士で殺し合う」
「もういい」
「だって・・」
「もういい、言うな」
 弥平が言ってお華の声が消えていく。
「それぞれが昔のこと。さて皐月」
「はい?」
「ご苦労だった、今宵からゆるりと休むがいいぜ」
 皐月は噛み締めるようにうなずいて、お華に対してやさしい眸で微笑んだ。

 そのとき、皐月が『おんな屋』へ帰り着いてから、それでも半刻(一時間)ほどしか経っていなかった。
 皐月と刻を同じくして江戸城を出たもう一人の女は、芝は増上寺そばにある明生院の裏路地を通り過ぎ、さらに南へ、芝高輪との境にある翁屋別邸へと歩き着く。四谷よりもこちらが遠く、刻がかかる。並の女の脚で歩き通せる距離ではなかった。暮れの六つに近づいて宵闇が忍び寄っている。
 女を尾けた二人の男は、行き先を見届けると消えていた。皐月には無事を見届けるため。こちらには行き先を探るため。春日局配下の甲賀衆であったのだろう。

 翁屋別邸。浜町にある鈴屋の別邸もそうだが、町外れの林の中にひっそりと佇む粋人の隠れ家のようなもの。よく手入れされた里山のような緑の中に平屋の数寄屋造りが溶け込んでいる。
 しかし妙だ。猫の子一匹気配がない。静かすぎる。
 女は板戸の門へと歩み寄ると、コツと一度、続けて二度コツコツと戸を叩き、それが合図であるかのように戸が開けられて中へと入る。門番でもないのだろうが町人姿の男がいて、戸を締めつつ外へと厳しい眸を向けて見回した。
 女も無言、男も無言、チラと眸を合わせただけで行き過ぎる。
 履き物を脱いで足音さえなく滑るように歩みだす女・・わずかな廊下を歩ききって奥の間の襖で膝を着き、そっと襖を開けるのだった。

「ふむ、どうやらお見えのようだ。ふふふ、邪魔者はこのへんで・・」
 総白髪、七十歳の翁屋勝太郎が、静かに身をさばいて立ち上がり、襖の外で膝をついて控える女と風のようにすれ違う。瀬戸物屋の老爺にしては気配が薄い。まさに風。あるいは忍びか。
 そのとき女は艶めいて微笑んでちょっと頭を下げると、老爺と入れ替わって部屋へと入る。
 そこは八畳の畳の間で、山水の掛け軸が飾られるほか何も置かれてはいない侘びた部屋。青畳の香りが凜とした和の趣を醸しだす。
 そしてその上座に置かれた大きな座布団に、濃い紺地でつくられた着流し姿の男が座る。男の着物は武士のそれのようで明らかに質がよく・・しかしその男には髪の毛がない。剃髪された坊主頭。それでいて鼻筋の通る細い顔立ち。やや歳はいっていてもすがすがしいほどの美男であった。
「ご苦労だったな、お藤。さぞ歩き疲れたことだろう、脚など揉んでやろうじゃないか」
「いえ、そんな・・ンふふ・・」

 お藤と呼ばれた女は、城務めの堅苦しい着物の帯を解き、肌襦袢ごと脱ぎ去ると、桜色の腰巻きだけの裸身となって、しなだれ崩れるように男の膝へと抱かれていった。
 お藤は皐月と同い年の二十九。総身白く、見目形のいい乳房、しなやかな肢体・・美しい女だったが、腰巻きから下、露わとなる脚線には鍛えられた筋線が浮いている。
 しなだれもたれるお藤の肩に手を回し、男の片手が熱い乳房に、もう片手が桜色の腰巻きを割りひろげて下腹の黒い翳りの中へと没していった。白い女は抱き手に力をこめてすがりつく。
「はぅ・・あぁぁ道秀様ぁ・・」
「ふふふ、いいか?」
「はぃ・・とろけそう・・はぁぁ・・あぅ!」
 くちゅりくちゅりと女陰の喘ぎが指の動きにまつわりついた。道秀はそうしてお藤を嬲りながら、抱きすがってくる唇にわずかに唇を触れて、言う。

「して?」
「はい、いまのところ見かけは静か。なれど春日は穏やかならず・・」
「それでよい。やがてどこぞの姫様が死すようなことあらば、推挙した諸侯は怒り、女どもさえまともに守れぬ公方(将軍)などすげ替えろということになるだろうぜ」
 男の巧みな指さばきが牝花をさらに濡らし、花を回してひろげるように、女陰深くへ突き抜かれる。
「あぁーっ道秀様・・あっあっ!」
「可愛いものよ、お藤は可愛い」
「あぁン嬉しゅうございます・・お逢いしたくて・・」
「駿府だ尾張だと的外れなところを探っておればよいのだ・・ふふふ、春日め、ほどなく家光の世は終わろうよ」
「それは明生院も的外れ・・ンふふ」
「まさに。道秀が二人おるなど、誰しもよもや思うまい」
 道秀の指先が女陰を抜けて女の口許へと見せつけられて、お藤はあまりの恥ずかしさに指をしゃぶってヌラ濡れを舐め取った。
 そうする間にも腰巻きの紐が解かれていって、はらりと女身を離れ、一糸まとわぬ美しい牝とされる、お藤。

「道秀様ぁ・・ご褒美を・・ご褒美を・・」
「欲しいか」
「はい、あぁぁ・・とろけてしまう・・」
 女を裸にしておいて座を立った道秀。女の手が帯にかかり、もどかしそうに脱がせていって・・褌姿・・白い晒し布の前を掻き毟るようにして、そそり勃つ男茎を引きずり出し、とろけた眸で見つめ・・それから女は茎の先の赤黒い笠を舐め上げて、喉の奥へと迎えていった。
 男は両手で女の髪をつかんで顔ごと黒い毛の中から怒り勃つものへと打ち付けていく。女は吐き気に涙目となりながらも拒まない。
「もうよい、向こうを向け」
 唾の泡立つ女の口から勃つものを引き抜いて、女を向こう向きに這わせておいて尻の底まで晒させて・・怒りの肉頭を濡れ花にあてがってヌムリヌムリと犯し抜く。
 あられもない声を上げ、背を反らしてさらに尻穴を上へ向け、円錐に垂れる綺麗な乳房をたわたわ揺らして女は悶える。

 腰のくびれを大きな両手でわしづかみ、白く豊かに張る尻を見下ろしながら、白肉の右左をパシパシ叩く。
「むぅぅ、お藤・・むうう!」
 最後の一突き、腰を入れて突き立てて、男の尻がきゅっと締まって精を吐く。
 女は総身ぶるぶる震え、あぅあぅと童のごとき声を発して、四つん這いとなったまま、がっくり首を折って果てていく。

 それにしても・・道秀が二人いるとはどういうことか。駿府や尾張が的外れとはどういうことか・・。
 お藤にせよ明らかにくノ一。そのくノ一を女に変える道秀とは何者なのか・・。

 その頃、四谷のおんな屋では、たっぷり湯を満たした大きな檜風呂に、それは美しい白き裸身が沈んでいた。身の丈五尺と少し(百六十センチ弱)と、さして大柄ではないものの、乳房が張って腰がすぼみ、小ぶりでも豊かな尻へと張り出していく。下腹の翳りはつつましやかで、天女のごとき肌身に人身の色欲を飾るようなもの・・脚線は細くしかし鍛えられた筋線が浮いている。
 皐月は生き返った心地だった。色仕掛けのくノ一として好きでもない男どもに身を開き、毒を盛って殺ってきた。己は鬼だと思っていた。けれども大奥に潜んでいるうち、身分のある女どものうわべの美麗、じつはどろどろとした妖怪どもの姿に接し、己など綺麗なものだと思うようになっている。

 ひょんなことから半信半疑で弥平そしてお角と出会った。仏が授けた一度きりの夢だと思う。主家を失った忍びは無残。朽ち果てた九頭竜など悲惨。信じるものが何もない。死にたいと思ったものだ。

「・・姉様」
「うん?」
 湯殿の脱衣で消えそうな声がした。お菊だった。
「ご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」 と、お駒が訊いた。
「いいよ、おいでな」
「はい」 と、お伸が応えた。
 いかにも若い三人娘が入ってくる。それぞれが汚れのない裸身。
「ふふふ、揃ってどうした? 誰かに言われたのかい?」
 お菊が応じた。
「お背中を・・と女将さんに訊いたら、姉様がいいならかまわないよって」
「そうかい、ならかまわない、一緒に入ろ」
「はい。あのう・・」
「何だい? 大奥のことでも訊きたいか?」
「いえ・・女陰働きって・・」
「・・うん?」
「それは辛いお役目だと思います。姉様はすごいなって・・」
「ふふふ、なるほどね、慰めに来てくれたってわけだね?」

 生きる力が湧いてくる・・ここには人のぬくもりがあると皐月は思った。
「お華ちゃんに礼を言わなくちゃ・・黒雲が去った心地だよ。さあ三人ともおいで」
「はいっ」
 羨ましい・・三人揃って心が白いと皐月は感じる。ちょうどその歳の頃、己ははじめて男を殺った・・。

2016年12月19日

おんな屋あさり(四話)


四 話


 高虎とお華が四谷の『おんな屋』からそう遠くない川原で襲われていたちょうどそのころ、江戸城から二人の若い女中がひっそりと歩み出て城下へと紛れていった。二人ともに濃い紺地の縞の着物を着こなして結い髪も美しく、華美ではなかったが明らかに町女のいでたちではない。
 一人は半蔵門から出て西へ四谷に向けて、一人は桜田門から出て南へ芝に向けて。そして二人の女それぞれに影のような男が二人ずつ、つかず離れず後を追った。

 その一人が四谷のおんな屋に歩み着き、前門ではなく横の路地側にある勝手口をくぐったのは、おんな屋の皆が揃って夕餉を終えて、お菊、お伸、お駒の三人を先に女たちが動こうとしたときだった。城からずっと女を追うようにまつわりついた男たちの気配は、無事に着いたことを見極めて失せている。
 勝手口をくぐった女は誰に迎えられるでもなく音もなく屋敷に上がり、廊下を滑るように歩きだす。並の女の足運びではない。夕餉の膳を重ねて広間を出たお菊ら三人と廊下の奥で鉢合わせ、娘らは目を丸くする。しかし女はちょっと眉を上げたぐらいで平然と微笑み、言葉もかけずにすれ違って広間へと歩み寄っていくのだった。

「どなた?」
「さあ・・けど寒気がするほど綺麗な人・・三姉妹のどなたか・・?」
 娘ら三人、呆然として立ち尽くす。
 そして女が広間まで一歩と迫ったとき、広間からお文が部屋を出ようとした。
「あら皐月、戻ったの」
「ええ、ただいま」
 部屋を出かけたお文と皐月が揃ってまた部屋へと戻る。
 弥平、お角、お淑、お華に加えて、ここにも一人、見たこともない男がいる。
 おんな屋はおんな屋で動きだしていると思うと皐月は可笑しくなってちょっと笑った。
 弥平が微笑んで言う。
「うんうん戻ったか、ご苦労だったな。こっちへ来て座れや」
「はい。ちょいといない間に知らない顔ばかり」
 若い高虎が目を丸くする。皐月は二十九歳、お角にも劣らない美女であり、城務めで磨かれて輝いているようだった。色香が姿を覆っている。

 ぽーっとする高虎の様子にお華一人が拗ねたように笑顔がない。
 お華は愛らしい顔立ちだったが、容姿端麗という意味では皐月の一歩後ろにいる。皐月以下三姉妹はお華がつないだ仲間。しかしおんな屋の面々とは、まだ二月あまりとつきあいが浅く、通じ合えているとまでは言えなかった。
 高虎は錦絵から抜け出たような美男であったが、当の皐月は男など眼中にはない。色仕掛け。女陰働きのくノ一として男の本性などは知り尽くしていたし、己は女の鬼だと思っている。だいたい用がなければ戻って来ない。
 弥平は、見とれている高虎に眸をやりながら皐月に言った。
「上月高虎と言ってな、弟子というわけではないが信用できる男に来てもらったのさ。剣では使い手だ」
 皐月はゾクとするほどの微笑みを浮かべて浅く頭を下げ、高虎もそのように目でうなずく。

 お角が言った。
「それで城中、どうなのさ? およそのところは見通せるけどね」
 皐月は眉を上げて哀しげにちょっと笑った。
「女人の臓物を晒すがごとく・・我らくノ一など穢れは浅く、嘔吐が出そうなほどですよ。さっそくではござい・・ふふふ、あたしったらいつの間に武家言葉を使うようになったんだろ・・」
「ほんとだよ、雲の上のくノ一だね、ふっふっふ」
 お華がようやく笑って、皐月もそれが可笑しかったのか、皆が揃って顔を崩した。
 皐月がくだけ、いつもの皐月に戻って言った。
「それを言うなら黒雲の中さね。雷雲がごとき火花散る闇とはこのことで、女同士が探り合い、肌さえ重ねて女陰の匂いに満ちている」
 それから皐月は弥平に向かった。
「それで弥平さん、春日様の言伝を」
「うむ、我らにどうしろと?」
「上様はああしたお方ゆえ、お世継ぎを危ぶむ声にあちらからもこちらからも当家の姫はどうかと声がかかる。そうした中でにらみ合うのは・・」
「御三家だよ、まずはそこだね」
 と、お角が言うと、皐月はお角に艶のある眸を向けてうなずいた。

 御三家と言えば、紀州、尾張、水戸であるが、そもそも徳川御三家なるものが定まりつつあったのは三代将軍家光のころから。紆余曲折あって御三家として確立するのは五代将軍綱吉の時代になってからと言われている。
 御三家が台頭しはじめたのは家光のころだったし、大奥の整備もこのころからで、それもこれも家光の女嫌いに端を発するものであるらしい。家光は早くから男色であり、正室の鷹司孝子を離縁同然に大奥から追い出している。
 将軍家に世継ぎがない場合、家康直系の御三家から世継ぎを送り出すことができるとされるが、それでは徳川宗家への不当な介入にもないかねない。そこで大奥において将軍の子を宿す女たちを囲い、御三家のいらぬ口出しを阻もうとした。
 三代将軍家光のころは後世への礎を築き上げた時代であって、言い換えれば、あれもこれもができていく過程であり、もっとも危うい時期とも言える。
 こうした御三家ならびに諸侯の目論見に、女の身でありながら立ち向かったのが、家光の乳母である春日局なのである。

 皐月が言った。
「芝、増上寺近くに明生院(みょうしょういん)という小さな寺があり、そのさらに南に翁屋(おきなや)という瀬戸物商の別邸があります。それらいずれも岡崎藩ゆかりのものであり、岡崎藩はすなわち尾張の息がかり。とは申せ、岡崎藩はまた家康様縁(えにし)ということでは駿府ともつながりが深く、そのまま尾張様とも言えませぬ」

 岡崎に生まれた家康は幼くして駿府の今川家に人質に出され、その後今川は桶狭間で信長の奇襲を受けて滅びている。しかし奇襲であったために家臣団の多くは生き延びて、それ以降、ある者は相模の北条、ある者は遠江から三河にかけての武将ども、またある者は甲斐の武田に拾われて家をつないできていた。徳川の時代となって駿府周辺に舞い戻った武士たちも多くいる。
 桶狭間から八十余年経つとはいえ、そうして交わった縁は切れてはいなかったということだ。

 皐月の言葉に弥平が応じた。
「尾張と駿府が結託したか・・どちらも江戸には不満たらたら」
 皐月が応じてうなずいた。
「そしてその翁屋別邸のさらに先には岡崎藩の江戸屋敷ということで、考えようによってはお城から南へ道がつながるわけですが、まず気がかりなのは明生院とのこと。お城にいる女中の中に怪しい者が何人かおりますが、そのうちの二人が明生院もしくは翁屋に出入りしていて、これはおそらくはくノ一かと。そしてそのつながりの中でお城へあがる下女どもが増えそうだということなので」
「うむ、尾張つながりの女を続々送り込まれては危ういというわけか」
「まさに。下の下の女中までとなれば春日様お一人では防ぎきれるものではありません。そのほか諸侯の手の者も入り込んではおりますが、まずは尾張様に通じる道を断ちたい。加えてさらに女の一人を追っていくと小田原藩の影も見え隠れするとのこと」
「小田原か、まさしく駿府だね。両者をつなぐは岡崎藩・・」
 と、お角が言って、皐月がうなずく。
「春日様配下の甲賀衆が目を光らせておりますが、つい先だって、その忍びどもが出たきり戻らぬということで。男が二人行き方知れず、それに女が一人、見せしめがごとく裸の屍が海に浮いていたそうです」

 そして皐月は高虎にちらと目をやりながら言うのだった。
「名は控えよと言うことでしたが、さる外様のお殿様より、それは見目麗しい姫がつかわされました。このお方こそ将軍様にふさわしいということでお城に入れられたわけですが、そのお付きの者たちの一人が乱心」
 お華が言った。
「毒を盛られたね?」
 皐月が応じた。
「おそらくはハシリドコロ。幻覚を見て狂ったようで。そのようなことが、よもや姫様におよぶようなことでもあればと案じておられるのです。そうした道筋は断たねばならない。明生院ならびに翁屋には浪人風体の侍、頭巾で隠した女などが頻繁に出入りするようになっており、事は急がねばならぬとお局様が・・」

「まずは明生院をつぶせというわけか。密かに動く者ありと知れれば敵とて動きづらくなる」
 それまで黙って聞いていた高虎が言うと、皐月はそれとなく視線を流したが、気にかける様子もなく弥平に言った。
「明生院の、それが住職なのか、道秀(どうしゅう)という謎の僧侶がいるそうですが身元が知れません。まだ三十代と若く、武家の出であるかのような眼光鋭い男であるとか。一方の翁屋ですが、主の翁屋勝太郎はすでに老爺。四十代となる一子、佐之助が切り盛りしている由。こちらも怪しい人影がまつわりついているようです。道秀一派を消せと仰せですが、勝太郎、佐之助の親子も捨ておけぬということで。ただし事は隠密裏に。表だった騒ぎとせぬようにと仰せです」

 都合のいい話だ。弥平は鼻で笑って皆を見渡し、半月ぶりに顔を見た皐月に言った。
「で、そなたはどうする? 戻るのか?」
「いえ、暇を出されて戻ってきました。妹二人がおればよいと申されて」
 こちらの手不足を気づかったのだろう。
 皐月は身の丈五尺と少し(160センチ弱)と大柄とは言えなかったが、かつては白蛇(しらなわ)のお妖と二つ名で呼ばれた手練れのくノ一。毒に通じ、吹き矢の名手であるとともに槍を持たせても強かった。
 下に二人いる妹の桐は二十六で、身の丈は同じようなもの。月弧(げっこ)と呼ばれる小ぶりの三日月弓の名手であり、もちろん毒にも通じている。
 恐ろしいのは末の妹、奈津であった。まだ二十四と若かったが姉二人の技を超える忍び鎌の使い手であり、身が軽く、音もなく通り過ぎては首を飛ばす、剣よりも恐ろしい技を使う。
 その妹二人がついていれば事もないと弥平は思った。

 話のあらかたが済んだころ・・といってもわずかな間だったのだが、広間にいる人数分の茶を淹れて、お菊ら三人娘がやってきた。茶など頼んではいない。
ゾクとするほど美しい皐月が気になってならないようだ。
 お淑が察して目で笑う。
「いいよ、入りな。気になってしかたがないって様子だね?」
 お淑が言うと、娘三人が上目がちにバツが悪そうに固まっている。娘らはなぜか懐いたお淑の背後に居並んだ。
 弥平が言う。
「三姉妹のいっちゃん上、皐月と言う。おっかないというのなら、皐月などほとんど妖怪、姉妹揃って化け物なのさ。ふっふっふ」
 怖くなって三人娘が小さく縮こまってしまったようで皆は笑うが、声を上げて笑ったのは皐月であった。

「そなたらのことは聞いてるよ。おんな屋の『おんな貸します』、そのはじめというわけだ。初々しくて羨ましいよ」
「ほら挨拶しな」 と、お淑に言われ、三人がパッと笑って身を乗り出した。
「あたし、菊です」
「駒です」
「あたいは伸」
 皐月は一人一人にうなずいて、最後に弥平に噛みついた。
「あたしのどこが妖怪なのさ・・妹たちにもよーく言っておくよ。枕を高くして眠れなくなるからね・・ふっふっふ」
 キラリと輝く流し目で弥平を責めて、その傍らでお角が、弥平を小突きながらにやりと笑った。

2016年12月16日

おんな屋あさり(三話)


三 話


「お淑様、ひとつ訊いてもいいでしょうか」
 連れて来られたばかりの三人娘が並んでお淑の元へとやってきたのは、高虎と弥平、お角が顔を突き合わせて話しているときだった。
「そういうときは、お尋ねしてよろしいでしょうか、さもなくば、おうかがいしてよろしいでしょうかと言うんだよ」
「はい」
 行儀を覚えようとする姿が可愛い。お淑の眸はやさしかった。
「で、何だい?」
 お菊、お伸、お駒の三人はどういうわけか見るからに恐ろしげなお淑に懐いていた。いきなり裸にされて女陰を晒し、けれどそれからやさしくなったお淑の姿に頼れる強さを感じたようだ。お淑はお淑で、内心可哀想なことをしたと思っている。くノ一なら当然のことでも娘らはまだ幼い。

 お伸が言った。
「旦那様はお武家様なのですね?」
「そうだよ。お侍なんてもんはとっくに捨てちまったお人だけどね」
 娘らは顔を見合わせてうなずき合った。
 突然やってきた若侍が先生と呼んだほどの男。きっと強いに違いない。武家社会に無縁の町人の娘らには興味があってしかたがない。
 そしてそんな話をお角はお淑に聞かされた。
「そうかい、あの子らがそんなことを」
「すっかり明るくなって、目の色が違うというのか」
「そうだね、いずれわかることだけど、あの子らだけが知らないでは無体な話さ。わかった、ちょっと呼んでくれないか」
 それでお淑が三人を呼びつけて、大広間の奥にある弥平とお角の夫婦の部屋へと三人を引き入れた。

「そこへお座り」
「はい」
 話があると言われて三人は緊張していた。お角は美しすぎたし、町中の女とはどうにも雰囲気が違う。武家の女人・・そんな気がしてならない。
「そなたらだけ知らないでは可哀想さね、旦那様のことをお淑に訊いたようだけど、あたしから話しておくよ」
 と、そこへ、茶を四つ淹れてお淑が入ってくる。
「お淑も一緒に」
「ふふふ、はいはい」
 お角、お淑と居並んで、三人は体を強ばらせ、身を寄せ合うように正座を固めた。そのときお伸は茶がひとつ足りないことに気づき、自分の湯飲みをお淑へと差し出した。そういうことがお角は嬉しい。お淑があたしはいいからと言うようにうなずいて「飲みな」と言った。

「そなたらはいい子だね。けどそれだけに可哀想なことをしました。女陰を改めるなど惨いことをしてしまった。許しておくれね、みんな」
 三人はわけもわからず、それぞれ首を振って、いいんですと言うように。
「そなたらが『おんな屋』はじめての雇い人ってことになる。このお淑は風魔忍びの末裔でね」
 娘らの目が一斉にお淑に向けられた。どうりで強そうだと思った。
「お淑だけじゃないよ、お華は元は甲賀の忍び、あたしとお文は武家の出で、そのほかいずれ会うだろうけど皐月も桐も奈津も三人揃ってくノ一なのさ」
「では・・何かのお役目で?」
 と訊いたのは、お菊だった。
 それに対してお角は嘘をつかなかった。お淑も黙って娘らに微笑んでいる。

「あれは・・もう七年になるかね」
 と、お角がお淑に目をやると、お淑は静かにうなずいた。
 お角が三人娘を見渡して、ちょっとはにかみ、微笑んだ。
「あたしは二十三だった。四だっけ? 忘れちまうほど昔のことさね。あたしは相模の武家の娘だったけど、よからぬ輩に狙われたのさ。嫁にくれとしつこく言われて。家中では上役であり、よりによって家老の倅(せがれ)だったんだけど、虫酸の走る嫌な奴。それであたしは乱心を装って家を出た。そうしなければ家が危うくなるからね」
 娘ら三人、まっすぐ見つめて聞いている。
「それからは伊豆の山に潜んださ。けれど追っ手がかかって追い詰められた。相手は家老、忍びを放って探り当て配下の侍どもを差し向けた。何が何でもあたしが欲しい。手籠めにしたくてたまらない。そしてそのとき、あたしと同じように伊豆の宿に潜んで暮らした、このお淑が助けようとしてくれた。あたしも剣は使うがその頃は未熟でね、お淑は弓は使うが剣では強くない。とても勝てる数でもなかった。相手は六人、しかもかなりな使い手ばかり」
 強いと感じたお淑の弱さを聞かされて娘たちはお淑を見つめる。体は大きくてもじつはやさしい。娘たちは胸が熱くなってくる。

 お角は、隣りで目を伏せるお淑にたまらない視線を向けた。あのときお淑がいてくれなければ危なかった・・恩ある人への想いを見抜けない娘らではない。
「それでそのとき救ってくださったのが旦那様ってわけなのさ。あたしもね、さっきの高虎様同様に旦那様に剣を習った。お淑もそうさ。あたしら二人、このお方についていこうと決めたんだ。この身を賭しても本望、そう思ってね」
 娘三人、己に降りかかった不幸を思うように揃って涙をためている。お角もお淑も、そんな三人にやさしい目を向けた。
 お角が言った。
「この商いも旦那様が思いつかれたことでね、そなたたちのような身の上の娘や女を救いたい。けれどその傍らで我らには役目が生まれた。そなたたちにはかかわりなきことなれど、世を騒がす悪人どもを許さないというお役目が」

 お菊が言った。
「お尋ねしてよろしいでしょうか?」
 一度の注意でしっかり言える。娘らなりに懸命なのだとお淑は感じた。
「いいよ、お言い」
「それで大奥に手の者を?」
 お角はうんうんとうなずきながら言うのだった。
「それはそなたたちの知らぬこと。知らなくていいことさ」
 なのにお伸が言う。
「おんな貸しますというのも、もしやどこぞに潜り込んで・・忍びみたいに?」
 お淑が怒った。
「これ伸、余計なことは言うでない」
 しかし吊り上がった目が和み、お淑は微笑む。

「まったく言わなくてもいいことを」

 襖が開いて弥平がにやりと笑って入ってくる。
「通りすがりに聞こえちまったい。ふふふ」
 弥平は三人娘の頬をちょっと撫でてやり、お角とお淑の隙間に座った。
「案ずるな、おめえたちにそのようなことはさせねえ。いずれちゃんとした奉公先を見つけてやるから、おめえらはここ出て暮らすがいいぜ」
 言葉を聞く間に娘らは、三人ともに正座をする膝に握り拳をつくってうつむいていた。
 誰とはなしに娘は言った。
「・・嫌です」
「何だと?」
「ここで出るなんて嫌です。ひもじくてひもじくて盗みを働き捕まった。番屋で裸にされて笑われて、尻をぶたれて牢に入れられ・・許されたってどうせまた喰えなくなる・・身を売るしかなくなって、きっとまた捕らえられ・・」

 お菊が顔を上げる気配で、お伸もお駒も顔を上げた。
 お菊が言った。
「救ってくださったのは旦那様です。皆様もやさしくて・・あたし嫌、ずっといたいの。ここにいて姉様たちのお役に立ちたい。どんなことでもしますから」
 弥平は、それ見ろと言うようにお角に目をやって眉を上げて首を傾げた。三人ともに若いのだ。若い想いは一途にはしる。
 お角もちょっと首を竦めて舌を出した。
 弥平が眸をくるりと回して言った。
「ちぇ、これだよ・・あーあ、女がどんどん増えていきやがる。おめえらの心根はわかったぜ。けどな、この役目は命がけ、おめえらにそんな真似はさせられねえ・・とは思ったが。まったくよ・・ふふふ、そうだよな、もし俺でもそう思うだろう。おめえらの気持ちはもらった、嬉しいぜ。よっく考えてそれでもって言うならよ、飯炊き掃除とやることはごまんとあらぁな。その前にまず、皆の言うことをよくきいて早くいっちょまえの女になれや」
「はい旦那様、きっと」 と、三人揃って泣いてしまう。

「はいはい、やめよやめよ、こんな話。今宵から高虎様が加わって夕餉も楽しくなるからさ。よしっ、みんなおいでな、料理も覚えていかなくちゃ」
 お角が手をひとつ手を叩いて立ち上がり、娘三人、泣きながら笑ってついていく。一人残されたのはお淑。お淑はまったくしょうがないと言うように首を振ってほくそ笑む。
 弥平が小声で言った。
「すまねえな、お淑」
「え? 何がさ?」
「おめえだけに嫌な思いをさせちまった。あんなあどけない娘らに、おめえも辛かったことだろうぜ」
 女陰改めをさせてしまった。
「いいのさ、それはあたしの役目」
 弥平はお淑の大きな手を取ってぽんぽんと甲をたたく。
「・・眞さん」
「うむ。あの三人頼んだぞ」
「はい・・ンふふ」

 お淑というくノ一。風魔などとっくに滅びて跡形もなく、遠江(とおとうみ)に逃れた残党の娘だったのだが、町の商家で働いて男に惚れて、けれど相手にされないどころかこっぴどく笑われて、いたたまれず逃げ出した女であった。
 三十六にもなってしまった。男なんて諦めている。しかし弥平の前では女心がしっとり濡れる。
 女の身を思い出させてくれる・・私の心を抱いてくれると思っていた。

 娘三人を連れ出して厨(くりや=台所)へ行ってみると、前掛けをしたお文一人がハス(れんこん)の皮を剥いていた。芋と合わせて煮付けるつもりでいるらしい。
「おや? お華はどこへ?」
 お文は馬鹿馬鹿しいといったように首を振って笑い出す。
「高虎様が、そういうことならはじめての町だから見回ってくるって言ったら、ならあたしも買い出しがあるからって腕を絡めてしなりしなり尻を振って出て行った」
「うぷぷ、さっそく?」
「そ。さっそく」
「あっはっは、それで取り残されてハスを剥いてる? あっはっは! こりゃ可笑しい」
 娘ら三人、泣いたことで目が赤く、お文もおおよそを察していた。
 お角とお文が笑ったことで娘らもようやく笑顔になれている。この穏やかな空気が続けばいいとお文は思った。

 このころの四谷あたりは、五街道の整備で栄えはじめた宿場町、内藤新宿と江戸城との狭間。武家屋敷や商家などは街道筋に群がって、表をちょっとはずしてやれば草原のうねる広々とした大地。小川のせせらぎが陽射しを受けてキラキラ輝くすがすがしさに満ちている。
 家を出た高虎は町並みに目を光らせながらも、お華に手を引かれるままに歩いていた。濃い紺地の着流しに白い帯。めずらしい青鞘の刀を差して、まさしく錦絵の中の美男。
「高虎様ぁ」
「うむ?」
「ンふふ・・嫌ぁぁん・・」
 見つめられるとくにゃりとしなる女の体。
「どしたい?」
「呼んでみただけ・・ンふふ」
「け。そなた、歳は?」
「二」
「ほほう、三十二?」
「違うぅ! もうっ! ンふふ・・嫌ぁぁん」
 細い腰に手を回されてお華はふらふら。いまにもしなだれ崩れてしまいそう。 お華は女たちの中ではいちばん小柄で五尺(150センチ~)そこそこ。高虎は六尺(180センチ)をこえる長身だから脇の下にすっぽりおさまるようになる。二人はそのまま小川の縁の草むらに腰を降ろして川面を見つめた。

 しかし・・。

 二人同時に異変に気づく。
「囲まれた」
「そのようね」
 相手は数人、気配からして忍びではなさそうだった。忍びなら音のする砂利を決して踏まない。おんな屋が見張られていたのか、それとも物盗りのたぐいなのか。荒れた気配が輪を絞って近づいてくる。

「昼間っから見せつけてくれるじゃねえか」

 浪人どもだ。みすぼらしいナリをした男たちが五人、脚の長い草むらから湧いて出た。皆が三十代の末あたり。高虎はお華を身の後ろへ隠し、わずかに腰を沈めて身構えた。男たちの三人が最初から刀に手をかけている。
「ふんっ色男・・懐さらえて置いていけ」
 殺気・・しかし高虎は動じない。
「失せろクズども」
「何だとてめえ、わしらとやる気か!」
「端からそのつもりだろうに」
「うるさい! 殺れ!」
 五人が一斉に抜刀。それぞれに薄汚れた光らない剣。
 高虎が剣に手をかけて、お華が後ろで身構えた。お華は若くても甲賀のくノ一。槍ではかなりの腕だった。

「女もいただく! 覚悟!」
 前から二人が剣を振りかざして間合いを詰めて、横から三人、中段に剣を構えて逃がさない陣取りだった。
 高虎が言い放つ。
「笑止!」
 前から斬りかかる痩せた剣を、高虎のギラリと輝く剣が一蹴、キィィーンという音が重なった刹那、二人の男の剣が吹っ飛ばされて、倒れ込んだ男の喉元へ高虎の剣先がぴたりと突きつけられる。
 強い! お華は目を丸くした。太平の世にあってこれほどの使い手は滅多にいない。横に陣取って構える三人も、高虎のあまりの強さに身動きできない。
「失せろ、刀のサビだ」
 しかしそのとき、横に陣取る三人が、恐れながらも斬りかかる。先に吹っ飛ばされた男の剣が後ろへ飛んで、お華の足下に転がっていた。お華はとっさに剣を拾うと、横からの敵に対してもんどり打って囲みを破り、高虎との間に封じ込めて身を低く身構える。着物の裾が大きく割れて赤い腰巻きが露わとなり白い腿までが覗く。

「失せな! 死ぬことになるんだよ!」
「退け、退けーっ!」
 小娘だと思った女にまで豹変されて男たちはなすすべなく走り去る。
 高虎がくるりと一度剣を回して鞘に収める。
「ふっふっふ、やるじゃねえか、おめえ忍びだな」
「甲賀さ。けどもう抜けた」
「そうか抜けたか。ふっふっふ、気に入ったぜ」
 高虎にぐいと歩み寄られてお華の腰がくにゃりと崩れた。
「抱いとくれ、怖かったんだから・・はぁぁはぁぁ」
「嘘つけ。はっはっは、腰巻き晒して、なかなかの使い手と見たが?」
「もうっ! ・・ねえ抱いて・・ねえ・・」
「これだよ。だから女は信用ならねえ、あっはっは! さて行くぞ!」
「ええーっ、嫌ぁぁん」
 尻っぺたをパァンと叩かれて、女の影が男に溶けて歩き出す。男の手が女の腰をしっかり抱いた。

「けど妙だ」
 腰を抱いてお華を抱き寄せ、小声で言った。
「妙?」
「物盗りが問答無用で斬りかかるか? 初手から刀に手をかけていやがった」
「誰かに頼まれてってことだね」
「腕試しってところだろう。我らは見張られているということさ」

2016年12月14日

おんな屋あさり(二話)


二 話


「さて眞さん、何も言わず聞いてもらいたい。これは城中、さるお方の望みでもあるのですが・・」

 弥平太こと浅利眞十郎と、お角こと角雪絵の二人が、呉服商鈴屋のお店(たな)のある南本所からなら川向こうにあたる浜町に造られた、鈴屋の別邸に呼ばれたのは、城中でそのような話のあった数日後のことだった。
 その別邸は周囲をぐるりと竹林に囲まれた、まさに数寄屋の趣。時刻は朝の四つ(十時頃)。平素ならひっそりとして人の気配もないのだが、この日に限って竹林を手入れする職人たちの姿がちらほらあった。植木職人にしては皆目つきが鋭い。

 鈴屋の主、鈴屋善右ヱ門は七十九歳。古くから京に店を構える鈴屋の三代目であり、関ヶ原の戦いの折、家康配下の武将に助力したことから徳川との縁が生まれ、その後、尾張藩の御用商人を経て江戸城への出入りを許された、町人ではあっても格の違う大商人。
 尾張藩に仕えた眞十郎の父とはそれ以来の仲であり、放蕩息子とは言え四十をこえた武士たる眞十郎に向かって眞さんと言える者は少なかった。

「家光様の世となって天下安寧であるかのようでも、そのじつ多難。三つあります。ひとつは大御所様亡き後およそ一年、家光様が権勢を手にされたとは言え、いまだ大御所様の影は去りゆかぬ」

 徳川二代将軍、秀忠は、将軍職を家光に譲った後も城内に留まって権勢をふるい続け、城内に将軍が二人いるような二元政治が続いていた。その秀忠が没してわずか一年あまりでは、秀忠派の面々がハバをきかせているということだ。

「駿府のこともあるゆえ、まあ、こちらはこちらで面白くはないでしょう」

 駿府は、将軍職を辞した家康が晩年をすごした土地であり、かつては江戸と並ぶ政(まつりごと)の要として栄えたもの。
 二代将軍秀忠は、世継ぎとして、病弱だった竹千代=家光ではなく、容姿端麗かつ才気あふれる弟の国千代=忠長をと考え、両派の世継ぎ争いに発展した。家光を将軍と定めるべく動いたのは春日局。秀忠への直訴によって家光に決着する。
 そして家光は、実弟の忠長を駿府城主と定めるのだが、寛永八年、忠長が乱心したとして甲府へ蟄居(ちっきょ)を命じ、実質的に駿府を天領として管理しはじめる。後に忠長は寛永十年のこの年の暮れ、切腹を命じられて駿府藩は取りつぶされることとなる。
 すなわち忠長派の面々にしてみれば江戸は仇にも等しいということだし、大権現家康の居城であったことからも、こちらが上だと思っている。

 そこまでを告げると年老いた善右ヱ門は、ふぅぅとため息をつきながら、眞十郎、雪絵の二人を見渡した。総白髪のしわくちゃ顔が苦しそうだ。
 善右ヱ門がちょっと笑って言った。
「そのようなことは知らぬ・・まあそう申されるでしょうが、さて三つ目です、ここが肝心」
 眞十郎と雪絵は互いに眉を上げ合って見つめ合う。
 善右ヱ門は言う。
「その家光様と御台様(御台所=正室)との不仲はご存じでしょうが、大奥から追い出してしまわれたほど。お世継ぎを心配する声があがり、大奥が狙われているのですよ」
「なるほど。嫡子をもうければ家は栄える。どこぞの姫様が押し寄せるというわけか・・」
「左様でございますな。元はと言えば春日様がお気になされてお声をかけられたのがはじまりでもありますが、この機に乗じて徳川に入り込もうとする外様の息がかりの姫君までが・・ま、ご推察のとおりなのですが、城内に不穏の影がはびこるようではいたしかたない」
「しかし爺よ、それを探れと申すなら伊賀もおれば甲賀もおるではないか、何ゆえ我ら・・」
 と言いかけた眞十郎だったが、語尾が消えて、ちょっとうなずく。

「・・表だって動けないということか。ふふん、いかにも公儀らしい」
 善右ヱ門は白くなった眉を上げて首を傾げる。
「いらぬ諍いを起こさぬためにです。姫君の背後にはよからぬ力が働いて、御三家までが目を光らせておるのです。また、それやこれやに乗じて先代秀忠様の一派ならびに駿府派の者どもまでが絡み合って、まさしく闇の中の影といった有様で。城内のことは城内のこととして、それにしても敵味方の争いに巻き込まれて殺される無関係な者たちがいる。諸藩の藩邸に潜む輩、息がかりの大店や料理屋、遊郭などまで、さてどこに潜んでおるのやら・・悪に葬られる善があるということですよ」
「それを我らに何とせよと?」

『城から出る者は留めらず、その先じゃ』

 眞十郎の背後・・閉ざされた襖の向こうで声がして、お付きの女性(にょしょう)どもによって、襖がさーっと左右に開く。
 煌びやかな金糸の大座布団が敷かれてあって、町中に出るということで幾分おとなしい着物ではあったが、明らかに格の違う年増女・・紫頭巾で顔をすっぽり隠していたが、その尋常ではない気迫には圧倒される。
 鈴屋善右ヱ門も、眞十郎も雪絵もそちらを向き直って高貴な姿を見つめた。

「城内のことはよい、我らとて木偶ではない。されど入り込む者たちには不穏がつきまとい、不穏の影は城を出入りして逐一様子を漏らしておる。先刻存じておってもその先に容易ならぬ者がおるやも知れぬとなると迂闊に手は出せぬのじゃ。大奥から蟻の一穴ということもないとは言えぬ。清廉な姫たちは守らねばならぬゆえな。政略の犠牲となるは常に女人。わらわはそれを恐れるのじゃ」
 犠牲となるは常に女・・その言葉が眞十郎を動かした。
 声が消えてしばらくの沈黙があり、「わらわは・・」と言いながら、紫頭巾に手をかけようとした高貴な女人。眞十郎は手をかざして制止した。
「お待ち召されよ、そこまでは・・」
 女人の手が止まった。眞十郎が畳に手をついて頭を下げた。
「かしこまりました、そういうことであるなら、しばし考えるいとまをいただきたい。こちらとしても備えねばなりませぬゆえ、はたしてそれができるかどうか・・」
「うむ、わかった、よき返事をのぅ」

 といった密談から三月もしないうちにやってきた娘が三人・・弥平は裏庭の見える広間に立って、両手を上げて背伸びをしながら鼻で笑った。
「・・明日には来よう」
 そのそばでお角が言う。
「それにしても女ばかりの中に娘三人・・足手まといといえばそうなんだろうし」
「まったくだ。言い出したのが間違いだった。表向きの顔とは言え・・参った、さっそくこれだぜ、ふっふっふ」
 弥平はお角の細い肩をそっと抱く。
 鈴屋別邸でそんな話のあった後、不遇にもがく女たちを少しでも救えるものならと、鈴屋善右ヱ門に対して『おんな屋』を持ちかけたのは眞十郎であった。この古い屋敷にも手を入れさせ、女たちが暮らしやすいよう、そして二十名ほどなら住めるようにと変えさせた。
 いかつい門戸を取り払い、なおかつ市中で目立つようにと「おんな貸します」の看板を用意した。太平の世にあって人々に注目されれば敵とて手は出しにくい。

 お角こと角雪絵は、かねてより縁(えにし)のあった武家の娘、大楠文(おおぐす・ふみ)を呼び寄せた。お文は二十五と若かったが童のころより兄たちに鍛えられて剣を使う。卑劣にも汚名を着せられて取りつぶされた三河は大楠家の末娘。上にいた二人の兄はその折に戦って殺されている。そのころまだ小娘だったお文は、さる武家にあずけられて育つのだが、その家がお角ゆかりの武門の家柄。お文の剣が磨かれてゆく。

 そのお角は三十歳。六つ歳上のお淑だったが、縁あってお角と出会い、これまで仲良くやってきた。お淑は風魔忍びの末裔であり、元は伊賀のくノ一だったお華をよく知っていた。
 そしてそのお華が、悲惨な定めを背負った三姉妹、皐月、桐、奈津を知っていて、女たちは出会うことになる。
 皐月二十九、お桐二十六、お奈津は二十四。いずれ劣らぬ美女であり、かつてかの上杉家が越後であったころからの越後九頭竜(くずりゅう)忍びの末裔。やがて九頭竜の残党は駿府に潜んだ紀州根来忍びに取り込まれることとなるのだが、三姉妹はその美しさゆえに三人ともに女陰働き(ほとばたらき=色仕掛けで敵を暗殺する殺しのくノ一)を命じられて苦しんでいた。
 忠長の乱心によって駿府に価値がなくなると、九頭竜一派は根来より放り出されて散り散りとなってしまう。食い詰めた三姉妹が色街へと身を落とそうとしたときに、お華を通じて眞十郎に救われた。
 おんな屋の女たちはそうしてできあがった知り合ってまもない者の多くいる関係だった。

 さて翌日の朝のこと。おんな屋あさりに一人の若武者が訪ねてくる。そのときも門戸のない門のまわりに人だかり。
 玄関先でまだあどけない小娘三人が掃除をしていて、その男を一目見て、三人揃ってぼーっとする。
 月代を剃り上げない浪人髷。そこだけは弥平そっくりなのだが、紺地の着流しに白い帯、見たこともない青鞘の刀を腰に、身の丈六尺はこえてすらりと細く、その顔立ちは錦絵を見るように整っている。
 玄関先で放心したように動きを止めた娘らに気づいたお華が顔を出す。
 若くても少しは話のわかる女と見切ったように男が笑った。

「ふっふっふ、『おんな貸します』とは、なんとも面白き看板よ。拙者は上月高虎(こうづき・たかとら)と申す。眞十・・いや弥平太様はおいでか?」

 お華でさえが二の句を告げない。男に美しいなど妙な話だが、美男としか言えない若侍。そうするうちにお淑までが顔を出してぼーっとする。
 そのときたまたま奥から男の足音が近づいて・・。
「おおう、久しいな、虎!」
「はい、先生も変わられず何よりです」
「あったりめえよ、変わるもんかい。てめえ、どこにいやがった?」
「仙台に」
「ほう仙台? そりゃまた遠い」
「寺を借り家としておったのですが妙な男どもがやってきましてな。ありゃ忍びだ。うん忍び。江戸は四谷の『おんな屋あさり』を訪ねよと。先生がお呼びだと聞いて、これはきっと一大事とすっとんで参った次第」
「うむ、話は中で、まあ入れ、ご苦労だったな」

 この屋敷にもう一人、弥平太の弟子が来るとは聞かされていた。しかしまさかこれほどの若侍だとは思わない。
「あら高虎様じゃござんせんか、お久しぶりね」
 女の中ではお角一人が旧知の仲。今日もまた明るい草色縞の着物がよく似合う。
「はい姉者、なにとぞ、よしなに」
 姉者と言ってはるか格上のように慕う、そんな姿が女たちには好ましい。

 この上月高虎は、二十七歳。太平の世にあって一刀流の剣士であり、諸国を旅して武者修行に励んでいた。
 いまから二年ほど前、眞十郎が駿河あたりに暮らした折、妙な二刀流の噂を聞いてどうしても一手と挑んだものの子供扱い。以来しばらく弟子となって鍛えられ、その後ふたたび武者修行に諸国を歩いた男であった。
 高虎の居場所を突き止めたのは甲賀衆。春日局の指図であったのは言うまでもないことだ。

 上がり框にどっかと座って旅草履を脱ぐ高虎。立ち上がって振り向くと、お華も、いつのまにかそこにいたお文までが、キラキラした女の眸色で見つめている。
「おぅ、よろしくな、べっぴんさん方」
「はい・・ンふふ・・嫌ぁぁん・・ンっふ」
 お華はめろめろ。隣りに立つ大きなお淑にこれでもかと尻をひっぱたかれる。
 今朝方から行儀を習いはじめたばかりの小娘三人が、顔を見合わせてクスっと笑った。

「・・なるほど、それでその三人を城内に?」
 皐月以下、三姉妹のことである。
「そういうこった、春日様お付きの下女として送り込んであるんだが、なにせまだ半月と経っちゃいねえ」
「なのにもう娘が三人・・てことなのよ」 と、お角が玄関へ目を流す。
 広間に、弥平、お角、高虎の三人で顔を突き合わせて話していた。
「ああ、玄関先の娘らで? どうりでくノ一にしてはあどけないと思いましたよ。うん。なるほど口入れ屋か・・送り込めば探り出せる。うん」
 弥平が言った。
「あの三人はともかくも、いずれはそうなるだろうぜ。それにつけても手が足りねえ。女ばかりに男が一人じゃ身が持たねえし・・あ痛っ! はっはっは、すまんすまん」
 お角が横から二の腕をツネリ上げてじろりとにらむ。
 高虎はちょっと笑い、うなずく素振りをして言った。
「そういうことなら喜んで。政略の犠牲になるは女人・・うん、まさにですな」

 これでちょっとは息が抜けると弥平は思った。男二人のどちらかが屋敷に留まる。女ばかりでは守り切れない敵がいる。

 言葉の端々に『うん』がつく。身勝手に納得するような話し方も変わっていないと、お角は再会が嬉しかった。

2016年12月13日

おんな屋あさり(一話)


一 話


 江戸幕府がひらかれてより、およそ二百七十年続く徳川時代の礎は、三代将軍家光によって築かれたと言ってもよかっただろう。
 日本橋を基点とするいわゆる五街道の整備と、それに伴う関所の配置。江戸市中に目を光らせる町奉行所の設置。さらには家康以来、諸大名の妻子を江戸に住まわせて人質としたのだが、寛永十二年、参勤交代として制度化していったのも家光であり、江戸城内にあっても、あの大奥は家光の乳母である春日局によって、このころになって整えられたものだった。
 徳川も三代目となり、すなわち家康没後およそ二十五年が過ぎ去ると、天下を平定した家康の威光も薄れつつある。そのゆるみを粛正したのが、徳川の時代指折りの名君として知られる家光だったのだが・・。

 その日の夕刻、暮れの六つ(五時)となる頃、落ち着いたいでたちの年増女が若い娘三人を伴って、ひっそりとおんな屋あさりを訪ねてきていた。
 年増女は武家のようで物静かでも毅然としていたが、若い娘三人は不安でならず様子が落ち着かない。歳のころなら十五~六の娘ばかりで、揃って町人の娘のようだった。背丈も揃って五尺(およそ百五十センチ)そこそこと、おんな屋にいる女たちとは比べものにならないほど小柄で華奢な娘ばかり。
 朝から皆で掃除された古い武家屋敷にはぴーんとした空気が満ちている。
 訪ねて来た四人は、二十畳はありそうな畳敷きの広間に通されて、年増女を前に、背後に三人が居並んだ。
 上座に弥平とお角、傍らには、家の中ではもっとも年上のお淑(よし)が座って向き合った。お淑は女ながらも身の丈六尺(百八十センチ~)はゆうにこえる大女。顔立ちも四角くて目が鋭い。
 こちらが三人、向こうが四人、顔が揃うと、娘らを連れ込んだ地味な着物を着た年増女が言う。

「さっそくではございますが、今日のところは三名ほど」
 弥平はうなずき背後の娘らを順に見た。娘らは上物ではないだろうが一様に明るい色柄の小袖を着せられ、しかし皆が目を伏せている。
 年増女が言った。
「それぞれが町娘で身寄りなき者。よからぬ小商いで捕らえられた者ばかりでございます」
 よからぬ小商いとは、ほとんどの場合は盗み。喰うに困って食べ物などを盗んだところを捕らえられている。たいした罪にはならず、しかし解き放たれても行くところがない。
 年増女が右背後を振り向く素振りをした。

「こちらから、菊、伸(のぶ)、駒(こま)、歳は揃って十五でございます」
 弥平がちょっとうなずいて三人を見渡した。これからしばらくの躾けの後に働き先が与えられるということだ。
「うむ引き受けましょうぞ、ご苦労でしたな」
「いいえ、それではわたしくはこれで。要りようなものなどは追って支度されるはず」
「わかった、すまぬな」
 余計なことは一切言わず、年増女は茶も飲まずに引き上げていく。一見してどこにでもいる女のようだが、その立ち居振る舞いにはスキがなく、ただ者ではないと思われた。

 残った娘三人は今度こそ怖くて顔も上げられない。
 女房のお角は穏やかに微笑んで、お淑は鋭い目を向けて、そんな中で一人だけ男、しかも明らかに歳の違う弥平が言った。
「おまえたちが何をしたかなど問わぬ。すでに許され解き放たれた身ゆえな。身の上なども問わぬ。ここのことは聞いてきたとは思うが、女手ばかりを貸し出す口入れ屋だと思えばいいだろうぜ」
 三人はようやくちょっと顔を上げた。皆がまだあどけない。
「ひとつ言っておく。貸しますとは言っても遊女のごとき真似はさせない。それだけは安心しろ。まあ大店や料理屋の女中奉公だと思えばいいが、その前にここでしばらく行儀を習う」
 そして弥平は隣りに座るお角へと目を流した。
「こなた女房のお角、そっちのおっかねえのがお淑と言って、いろいろ教えてくれるだろうぜ」
 おっかないと言われてお淑はちょっとほくそ笑む。
 弥平に、ではもうよい・・と目配せされて、お淑はさっと立ち上がる。娘三人が圧倒されて見上げていた。
「こっちだよ、ついておいで。おまえたちにはそれなりの着物がある。あたしと風呂で清めて着替えるんだ。まったく色とりどりで・・早いんだよ、おまえたちには」

 娘らはすっかり怯えて顔色がよくない。立ち上がったお淑は、そこらの男よりも大きくて腕っぷしも強そうだった。
 まずは裸にしてよからぬものを隠し持っていないかを確かめる。それから行儀見習いの身にふさわしい質素な着物が与えられるというわけだ。
 お淑が三人を連れ去ろうとすると、弥平が呼び止めた。
「ちょいと待ちな。お菊、お伸、お駒と言ったな」
 三人は返事をしない。お淑が怒った。
「ほら返事! 呼ばれたらちゃんとしな、仕置きだよ!」
 娘三人、ひぇぇぇ、である。
 そんなお淑にお角が笑って、娘らにやさしく言った。
「ほうら叱られた。ふふふ、いい子になさい、危うい場所ではないんだからね」
 三人は大きくうなずいて弥平を見つめた。弥平が言う。
「ここへ入るとき見たと思うが屋敷には扉なんぞねえんだよ。おまえらの部屋にも鍵なんてもんはねえ。出て行くなら好きにしろ。ここを出て花を散らすならそれもよかろう。引き受けたからには我らは家族だ。よっく考えて励みなよ。なにせこれからの商いだから細かなことは決めてはいないが、奉公といっても月に二度はここへ戻れるようにする。身の売り買いではないからな」
「はい、旦那様」 と三人の声が重なった。
 大きなお淑に背を突かれて連れ去られる。

「・・さっそくかよ、参ったぜ」
「ほんとよ気の早い、何が何でも引き受けさせようって魂胆だね。・・ふふふ、だけど可愛らしい子ばかりじゃないか」
「まあな、その歳で身寄りがねえとは可哀想によ。こうなりゃしょうがねえ、一肌脱いでやろうじゃねえか」
「いよいよだね、楽しみだな・・」
 とそこへ、廊下でお淑に連れられる三人とすれ違って、お華とお文がやってくる。二人ともに浅黄色の小花柄の着物を着て、明るく笑って廊下の奥を見やりながら入ってくる。お角ほどではないが二人とも美しい。
「ふふふ、可哀想に、泣きそうだったよ」
「ほんとだよ、いきなりお淑さんじゃ、あたしだって震えちまう、あっはっは」
 そんな二人を弥平もお角も笑って迎えたが、歩み寄って座るころには皆の面色は引き締まり、見つめ合う。
 弥平が小声で言った。
「さて・・下手に隠すとかえって目をつけられる。それで門戸を開け放ったが、といって油断はならねえ、今宵からは娘らだっているからな。よもやとは思うがしばらくは交代で見張ろうぜ」
 お華とお文が鋭い目でうなずいた。

 大奥ができつつあったこのころ、奥に入りたがる武家の娘は多かった。家命を背負ってやってくる。将軍家光とその正室、鷹司孝子との不仲は有名で婚姻まもなく大奥から追放していたし、世継ぎを心配する声は早くからあがっていた。あわよくば将軍家の嫡子をもうけ生母となれれば家には格別の報償が与えられるし、幕府の深いところへ踏み込んでいける。それを危惧したのは徳川御三家ももちろんそうで、得体の知れないお世継ぎだらけになっても面白くない。
 そんなことから城の内外を問わず不穏な影が蠢きはじめた。そしてそうした不穏の者どもは諸藩の江戸屋敷の奥深くにかくまわれ、くノ一ならば商家や料理屋、果ては遊郭にまで入り込んで身を潜めた・・。

「・・というわけじゃ鈴屋よ。よもやとは思うがの、奥向きで何ぞあってはと気が気でならぬ」
「なるほど、それでは春日様もお心は休まりますまい。そういうことなら、うってつけの者を存じておりまするが」
「うってつけの者じゃと?」
「左様で。名は浅利眞十郎(しんじゅうろう)、歳はまあ四十過ぎと若くはありませぬが、その父親というのが尾張様の配下の者。ところが当人はぷーらぷら。面倒を嫌って尾張などはとうに離れ、いまは江戸に住んでおりまする。曲がったことが大嫌い。鬼神のごとき二刀流の達人であり、平素はお角と称するそれは美しいおなごと、なぜか仲良く夫婦同然にしておりまして」
「おなごのぅ・・」
「はい。名を角(すみ)雪絵と申しまして、こちらも武家の血筋。並みの男では太刀打ちできない剣を使い、どういういわれかお淑と申す大女と仲がいい。してそのお淑でございますが、この者は風魔忍びの末裔であるとかで、とにかく男勝りなおなごであるよし。じつを申さば、眞十郎の父とわたくしめは旧知の間柄でして、信ずるには足りるかと」
「そうか・・なるほどのぅ、影には影をということじゃな・・」

 いまから三月ほど前、城内深くでそうした話があって与えられた武家屋敷。
 その屋敷の湯殿で、若い娘三人は裸にされて恐ろしいお淑に見据えられていた。風呂場ではお淑ももちろん裸。筋骨隆々とした男の体に女の結い髪、甘瓜のように大きな乳と黒々と密生する下腹の翳り、大きな女尻がついていると思えばいい。比べものにならず小さな娘たちは怖くて声も出せない。
「脱いだら一人ずつそこに手をついて尻を向けな。女陰(ほと)を改める。女はソコによからぬものを隠せるゆえな。おまえたちの中に未通女(おぼこ=処女)はおるか?」
 娘らは羞恥に頬を赤くしながらも、それぞれ違うと首を振る。娘ら三人の白い裸身に傷らしい傷はなかった。鍛錬されないおなごの体。

 最初にお駒。檜でこしらえられたばかりの真新しい湯船の縁に両手をついて尻を上げ、脚を開かされる。それでなくても泣きそうなのにお淑は尻肉を両手で開いて女のすべてを凝視する。十六であっても娘らはすでに女。黒い下草も艶っぽく、それぞれに男は知っている。身寄りをなくし、そうやって生きてきたということだ。

 娘の可憐な性花を割り開いて中を見る。
「うむ、おまえはいい。次はお菊」
「はい・・あぁ恥ずかしい」
「このたわけ」
 パァンと尻っぺたをひっぱたく。
「きゃ!」
 熊手のようなお淑の手。
「妙な真似をするわけじゃないんだよ、女同士じゃないか」
 どこが女さ・・娘らは、はじめて見る大きなお淑に鬼の姿しか思い描けない。
「うむ、いいだろう。最後はおまえ、お伸だったね」
「はい、伸でございます」
 伸は素直に尻を上げて脚を開いた。
 娘らはそれぞれに女体ができて肌が白く、男好きしそうな裸身だった。中でも最後のお伸が大きな乳房をしている。湯船に手をつくとき、豊かな乳房がたわんで揺れた。
 両手で尻肉を割られて尻穴を晒し、さらに性花をつまんで開かれて、お伸は唇を噛んで目を閉じた。
「うむ、三人ともいいよ。すまぬな、これも用心のため。おまえたちの中にくノ一がいるとは思わんが、どこぞへ奉公にあがって毒でも盛られたらかなわんのでね。さ、おいで」

 浅黒い大きな裸身が仁王立ち。娘ら三人は大木にすがるように抱かれていった。太い両腕に三人をかためて抱きつつお淑が言った。さっきまでとは目の厳しさが違う。穏やかに微笑む大女。
「人はそれぞれ抱えるものさ。おまえたちに行儀ができれば、うまくすれば腰元にだってなれるやも知れぬ。男に見初められるってこともあるだろう。三人とも盗みだね?」
 娘らはこくりとうなずいてお淑の目を見上げた。
「もういい忘れろ。困ったことがあったら言いな。あたしらは家族だって言われたろ。姉ちゃんだと思えばいい」
 母ちゃんの間違いでは・・とは思ったが、三人それぞれ、ちょっとは安心したようで、大きな湯船に揃って入って肩を並べた。早ければ十五~六で嫁に出る時代。三十六のお淑であれば母親とそう歳は違わないし、体の大きさを見比べれば自分が童に戻ったような気さえする。

 娘らとお淑が四人揃って湯を出て、娘らには青鼠縞柄の地味な着物が与えられた。しかしそれぞれに顔色はよくなって、お淑にまつわりつくように広間へとやってくる。
 床の間の前の上座に座布団が敷かれて弥平とお角、部屋の口から遠い左側にも座布団が敷かれ、お淑、お華、お文と年嵩順に並び、下座にあたる右側に娘ら三人は畳にじかに正座する。
 それぞれに膳が配られて、今日は少々早いが夕餉だった。尾頭付きの焼き魚に野菜の煮付け、それに菜っ葉の味噌汁がつく贅沢とは言えない夕餉。それでも苦しかった娘らには驚くような膳である。炊きたてで湯気を上げる白い飯などどれぐらいぶりだろう。
 はじめての席にかちんかちんの娘らに、お淑が何かを言おうとしたが、お角が目配せで黙らせた。

「さあ、いいからおあがり。飯はあるから、たんとお食べね」
 娘ら三人は揃って「はい」とうなずいて、一人だけ男の弥平が箸を取ったのを確かめて、それからそれぞれが言うのだった。
「いただきます、夢のようです、ありがとうございます」
 身寄りがないとは言え、そこは誰ぞによって選ばれた娘たち。しっかりしていると皆は思った。
 飯を一口運びながら弥平が言った。
「お角(すみ)とお淑(よし)は覚えただろうが、こっちの二人だ。お華(はな)が二十二、お文(ふみ)が二十五。そのほか三人、皐月(さつき)、お桐(きり)、お奈津(なつ)と言うべっぴん三姉妹がいるんだが、いまはお城へあがってここにはいねえ。大奥だ、女中として励んでいる」
「・・大奥でございますか」 と、お菊が目を丸くして思わず訊いた。
 お角が微笑んでうなずいて、弥平が言った。
「つまりなんだ、ここはそれほど怪しいところじゃねえってことよ。一度は道を外したおまえたちだが、おまえたちは若ぇぇ、性根を入れ替えて励むことだぜ」
「はい旦那様、きっと」
 娘三人が顔を見合わせてうなずいた。若い眸がキラキラしている。大奥と言えば身元の定かでない者が入れるところではない。御公儀にも通じる口入れ屋と知って娘らは今度こそ安心できた。

「・・美味しい」
 野菜の炊き合わせを口に運んで、お駒がしみじみ言った。
 それにお淑が笑って言う。
「今宵は女将さんとお華の手料理さ。張り付いて教えてもらうんだね。お文だって料理はできるし、あたしは縫い物が得意だよ」
「はい? 縫い物?」 と思わず、お菊が言ってしまう。
 嘘つけ・・そんな目で娘らはじっと見る。
「畳だよ縫うのは・・あっはっはっ」
 弥平が声を上げて笑い、皆が笑い、お淑一人がじろり弥平をにらみつける。
 このときお角は娘らが箸をちゃんと使えることを見逃さない。育ちが悪いわけではなさそうだ。

 おんな屋あさり。ろくに聞かされないまま連れて来られた。怖くて竦んでいたのだったが、娘たちに娘らしい笑顔が戻った。
 皆はほっとして顔つきも穏やかだった。

2016年12月11日

おんな屋あさり(序章)


序 章


 寛永十年。三代将軍家光のころ・・。

 江戸の町に北町南町の両奉行所が置かれた、およそ二年後。天下太平の礎ができつつあったこの年は、奉書船以外の渡航を禁ずる第一次鎖国令が出された年ともなるのだったが、そんなことは江戸庶民の知らぬこと。花見月(三月)も半ばをすぎて江戸城下にほかほかとした陽射しが降り注ぐ。この年は春が早く、冬にもみぞれさえ降らなかった。
 そんな穏やかな日和りの中、江戸は四谷の通称『商い通り』には、ちょっとした人だかりができていた。昨日まではなかった妙な看板が、よりによって幽霊屋敷と怖がられた古い武家屋敷の門柱にさがっていて、門を閉ざす分厚い板戸が取り払われていて中が覗けるように様変わりしている。ここしばらく土塀の向こう側でトンテンと大工が動く気配がすると噂となっていただけに、町人から侍まで、通りすがりの男も女も、寄ってたかって面白がった。

「なになに・・『おんな貸します おんな屋あさり』だとよ。どういうこってい?」
「知るかっ、こちとらだって訊きてぇぐらいよ。あ、ほら・・女がいやがる」
「おう、いるな・・それもどうでぃ、いい女じゃねえか・・はぁぁ、ありゃお化けじゃあるめえな?」
「ええい、このたわけもん。春うららの真っ昼間、姐さんかぶりして竹箒を持ってるお化けがどこにいる」
 開かれた門の前に人だかり。男も女も、妙な文句の看板にやんやと騒ぐ。
 江戸のころには妙な商いがあったものだ。薬や美顔料として鳥の糞ばかりを買い集める『鳥の糞買い』、惚れ薬としてイモリの黒焼きを売っていた『イモリ売り』、『けだもの屋』と称して獣肉を鍋で食べさせる店。商魂たくましいと言えばそれまでだが、それにしても・・。

「やだよー、おんな貸しますだってさー。いかがわしい商いじゃないだろうね」
「屋を取ってみなよ、女漁りじゃないかー、きゃぁー助平ぇ」
「ちぇっ、これだよっ。おまえさんね、どいだけ亭主とご無沙汰なのさー、あっはっは!」
 どう見ても近場の長屋の女房連中が、顔を寄せ合いひそひそ話して笑い転げる。
 そんな声と人だかりはもちろん前庭を掃く女には見えていて、ちらと目を流しつつ、ちょっと膝を折って頭を下げるのだったが、目深な姐さんかぶりが陽射しを遮り目元に影をつくって、細く通る鼻筋と白い頤(おとがい)あたりまでしか顔が見えない。
 そのとき若い町人の一人が連れらしい若い女の袖を引いた。
「お、おい・・」
「どうしたのさ?」
「ゾワとした・・」
「けーっ、このすっとこどっこい! 何を言うかと思えば、許さないからねっ!」
 どうやら若い夫婦のようだ。そんな痴話喧嘩に周りがどっと笑いだす。

 と、そこへ、通りがかった奉行所の役人三人が、何だ何だと首を突っ込む。
 この月番は北町奉行所。その若き与力と配下の同心たちだった。奉行所ができておよそ二年、町人どもとも妙な具合に馴れ合って規範がゆるんできていると若い与力が同道した。
「ちょいと退きなっ」
 と、明らかに格上の役人が人だかりを分けひろげ、紫黒の着物を着た役人が三人揃って門へと近づく。
「む? おんな貸します・・おんな屋あさり? ふむ? どういうことか?」
 と、格上の与力が言って、若い同心二人は首を傾げて困りながらも笑っていた。若い同心がほくそ笑んで言う。
「昨日の見回りではなかったもの。どうやら店を開ける支度のようですが?」
 開かれた門から屋敷に向かって踏み締められた土床があって、屋敷の板戸はそこら中が外されて、まだ若そうな女たち四人が着物の袖にたすき掛け、竹箒を持ったり雑巾を持ったり、それぞれに古い家を清めている。

 そんな中で前庭を竹箒で掃いていたひときわ美しい一人が、門の前に屯する人々にちょっと顔を向けたかと思うと、役人三人の中で格上の若い与力が声をかけて呼び止めた。
「これ、そこな女よ」
「あ、はい、ただいま・・」
 と言って、その女は竹箒を白土塀に立てかけて、姐さんかぶりを脱ぎながら歩み寄る。
 おおーっ・・と誰とは言わず声が上がった。すらりとした長身。町女にしては垢抜けた、それはそれはいい女。浅い茶色地に黄色格子の着物がよく似合い、結った髪にも乱れはなくて、真っ白な顔立ちは小さくまとまって、人だかりの方々からため息混じりの声が上がる。
「お呼びでございますか、お役人様」
 与力もそうだが配下の二人も血気盛ん。女のあまりの美しさに声もない。
「ぁ・・あ、その・・」
 女が穏やかに笑むと、若い与力は生唾を飲んで言う。
「ちと訪ねる。我ら北町奉行所の者であるが、ここはいったいどういう商いなのか? おんな貸しますとはいかなる商い? よもやいかがわしい店ではあるまいな?」
 与力ともあろうものが穏やかな美女の笑みに気圧されてしまっている。女はからからと鈴のような声を上げて笑った。

「とんでもございません、ちょうどいま主がおりますので、どうぞお入りくださいませな」
「そうか・・うむ、ならばちと話を聞かせてもらおうか・・」
 女は庭下駄。カラと渇いた音をさせて踵を返すと、与力も同心二人も、一斉に女の帯の下のぷりとした尻に目をやった。こぢんまりと締まって上を向くいい尻だ。
 この屋敷は家の大きさにくらべて前庭が広く、このあたりに家が少なかったころに造られたもの。門をこえた土床は小さな寺の境内のようだった。
 役人三人の先に立って屋敷の玄関先に歩み寄り、女は奥へと声を転がす。
「おまいさん! ちょいとおまいさん!」
「おぅ! どうしてぃ?」
「奉行所のお役人様がお店(たな)の話を聞かせてほしいとお見えでね」
「おぅ、そうか。ちょいと待ちねぃ」
 家は小さくても元々が武家屋敷。奥に深く、男の声が小さく聞こえる。
 梯子から降りるときのようなガタッという音がして・・。
「あ痛ぇっ! あたたたた!」
「あっはっは、慌てもんなんだからぁ!」
 慌ててどこかをぶつけたようで、女たち数人の声が重なって聞こえて来る。

「ご亭主か?」 と、若い同心が口惜しそうに女に訊いた。
「はい左様で。まったく慌てもんで困ってしまう・・ふふふ」
 その笑顔・・役人たちは胸が苦しい。
 これほどの女を女房にする男とは、いかなる者なのか・・と思っていると、奥からみすぼらしい身なりの男がにゅっと現れ、ちょっと笑った。
 店支度のためなのだろうが、男は長身で逞しかったが鼠色のよれよれの着物の袖をたすき掛けで上げている。月代を剃り上げない浪人髷。その髷に綿埃。歳の頃なら四十代。三十そこそこの、それも美し過ぎる女房とは釣り合わない。
 役人三人は驚いたように互いに顔を見合わせた。
「これはこれはお役人様、このようなナリはしておりますが、あっしも元は侍でして」
「ほう・・侍とな?」
「親爺の代まで尾張様に仕えておりましてな」
 尾張は徳川御三家。役人三人は目を丸くして顔を見合わせた。
「いえいえ、言うほどたいした者でもなく、どうかお気楽に。あっしは・・いえ拙者は浅利弥平太と申しまして、ヤットウなんぞはとっくに捨てた身。それで『おんな屋あさり』と申すもの。あっしのことは弥平で結構」
「そうか弥平か・・なるほど、『あさり』とはそちの名か?」
「いかにも。屋を外せば女あさり。はっはっは!」
 役人たちは拍子抜け。あっけらかんとした物言いは悪人とは思えない。目が澄んで凜々しいと与力は思った。
「む、それはよい、わかった。して、『おんな貸します』とはいかなる商いか?」

「口入れ屋でございますよ」 と、横から女房が笑って言った。
「口入れ屋だと?」
 弥平が女房に目でちょっとうなずく素振りをする。女房は目配せの意味を悟って奥へと引っ込む。
「いま茶ぐらい用意させますので、まあどうぞお座りになって」
「そうか、すまぬな」
 役人たちは上がり框に腰を降ろし、そのときに三人とも刀を腰から抜いて右手へと持ち替えた。
 弥平が板床の廊下にどっかと座る。
「女ばかりをつなぐ口入れ屋でございますよ。ゆくゆくはそうなりますが、いまのところは手伝いですかな」
「手伝いだと?」
「左様。年寄りの面倒から飯炊きそのほか、お呼びがあれば腰元まで。女手がいりようなとき呼ばれて雇われるというわけで。しかしなにせ、いまはこのような有様で商いは少し先かと。いまここに四人と三人、女たちがおりますが、その者たちはちゃんとした雇い人。これから店ができていけば仲立ちもするつもりでおりやすが」
「働きたいと申し出る女どもに働き口をあてがうわけだな?」
 若い同心の一人が真顔で言ったが、役人たちの目が奥から続く廊下へ動いた。女たち数人の足音がする。古い屋敷で板が軋む。

 女房を先に三人の女たちが後を追って歩いてくる。弥平が、女房と微笑み合って役人たちに言うのだった。
「申し遅れましたが、まずは女房のお角(すみ)。すみはすみでも角と書く、それは恐ろしい女でござる」
「ちょいとおまいさん、ひっぱたくよっ」
 後ろについてくる三人が声を殺してくすくす笑った。歩み寄ったお角は、湯気を上げる湯飲みを四つ、与力から先に三つを配り、最後に亭主の前にも置いた。
「まあどうぞ」
「うむ、すまぬ」
 与力が湯飲みに手をやると若い配下が続けて湯飲みを取り上げた。

 弥平が座り、その横にお角。そしてお角の後ろに女三人が静かに座った。
 弥平が言う。
「左から、お華(はな)、お文(ふみ)、最後にお淑(よし)でございますが、順に二十二、二十五、お淑などは三十六と、それぞれ幸少なき身の上で。あっしらとは家族も同然。そうやって暮らしておりまする」
 役人たちはそれぞれちょっとうなずいた。お華は若い、お文は熟し、お淑にいたっては恐ろしく背の高い鬼のような女。皆が町女の着物を着て、それぞれに行き場を見つけた女たちのいい顔をしている。

 弥平が言った。
「四人と三人と申しましたが、このほか三人は三姉妹でして、生憎しばらく戻ってきませぬ。奉公先で住み込み女中をやっております」
 与力は、襖の開け放たれた家の中を見渡して、うんうんとうなずいた。いがわしい商いではないだろう。しかしである・・。
「されど弥平とやら」
「へい?」
「この屋敷は、子細あって闕所(けっしょ=家督没収)とされた武家のもの。それを何ゆえそなたが?」
 弥平は眉を上げてお角を見た。お角が言う。
「おや、お奉行所の方でお聞きになってはおりませぬか?」
「いや知らぬ」
 弥平は湯飲みをちょっと傾けて、それから与力に向かって言った。
「この屋敷は本所の呉服商、鈴屋さんがご公儀より賜ったもの。鈴屋さんはもともと京の商人でしたが、関ヶ原からこっち尾張様に気に入られて御用商人となっており拙者の親爺とは飲み仲間。といった顛末で、拙者が借り受けることとなったわけですな」
 そのとき若い同心の一人が、上役の耳に口を寄せた。

「本所の鈴屋と申さば、本所深川界隈きっての呉服商で、大奥にも出入りを許された御用商人でござりますが」
「む・・左様か・・」
 まずい・・下手をすれば首が飛ぶとでも思ったようで、役人たちは気が気でない。
 弥平が言った。
「鈴屋さんは尾張様の口利きで江戸城に出入りを許された商人なれど、それとこれとは話が違う。拙者など親の光でこの屋敷を借り受けたようなもの。女房もそうですが、このような身寄りのない女たちと江戸のため細々とやっていくつもりでおりやす。それでもとおっしゃるなら屋敷を改めていただいて結構。何なら鈴屋さんに人をやって確かめていただけば」
「・・あ、いやいや、よくわかった。『おんな貸します おんな屋あさり』という文句が、なんともまた面白く、ちと立ち寄ってみたまでのこと。そういうことなら屋敷を改めるまでもない。・・む、さ行くか」
 若い与力は、とっくに冷や汗をかいている配下の二人に目配せすると三人揃って立ち上がる。
「御内儀殿、馳走になり申した」
「あ、いいえ、女ばかりの所帯でございます、ちょくちょく寄っていただけると心強いというもので」
 お角の笑顔はそら美しく、しかしそれだけに役人たちは怖かった。藪に探りを入れて蛇でも出たらたいへんということだ。

 門のまわりを囲む町人たちの目が無言で一斉に役人たちに問いかけた。若い同心の一人が手払いの仕草をしながら言う。
「こらこら、もうよかろう、見世物ではない。口入れ屋だそうだぜ」
「口入れ屋? へええ・・」
 町女の声がした。
「左様。主の名が浅利。『そば屋ごへい』と言うがごとくよ。女の働き口を世話するものらしいぞ」
 町人同士、ひそひそと声が上がるが、そんな囲みの向こう側で、ちらりと目をなげて口許を歪ませて笑い、立ち去っていく藤色小袖の女が一人いたことを、このとき誰もが気づかなかった。