2016年12月02日

枝折れの桜(下)


(下)

 指定した道具が翌日には手元にあった。宅配便のシステムは世界に
誇るとつまらないことを考えてみたりもした。結城家に泊まり込んだ
私は、荷物を受け取るとすぐに、机の裏側の目立たないところを彫刻
刀で削ぎ取って顕微鏡にかけてみて、我が目を疑った。
「これは・・」
 主が傍らにいて興味津々覗き込んでくる。
「なにか?」
「まさかそんなことが・・ますます信じられませんね。机の黒く錆び
て見える木肌は表層のほんの皮一枚で、その下の細胞は元気に生きて
います。常識外だ。まったく考えられないことです。机から伸びる枝
も正真正銘この机の桜そのものですし」
 このとき私も主も、そうやって大の男が二人で夢中になっている姿
を、物陰から孝子に凝視されていようとは思わなかった。

 私としてはなにがなんでも机を持ち帰り、徹底的に調べた上で論文
にまとめたいところだったが、どうしても承諾してくれない。主は、
机の存在が公になることよりも、万が一それが災いの種になったらと
危惧したのだ。しかたなく私は仙台を後にした。一度大学に戻り、ス
ケジュールをやり繰りして次には少し長期に観察したいと考えていた。
なにしろ植物学にとどまらずこの地球上に存在する全生物学上考えら
れない大発見なのである。

 大学に戻った私は、イライラしながら毎日を過ごしていた。ちょう
ど期末の試験に重なって抜けようにも抜けられない。そんな日々が続
いたある日、昼過ぎになって私のデスクの電話が鳴った。

「徳永ですが?」
「私、結城家で家政婦をいたしております小松と申しますが」
「ああ孝子さんですね」
「はい」
 受話器から聞こえる若い声が震えるような緊張を孕んでいた。
「どうかなさいましたか?」
「それが・・」

 私は慄然とした。
 あの文机から根のようなものが生えてきて、それとタイミングを
合わせるように結城家の長女で東京に出ている加世子という娘が、
昨日の夜、新宿の街中で突然狂ったように暴れ出し、そのまま倒れ
て心臓発作で死んだというのである。
 そしてそのショックで家の主までが倒れてしまったらしい。
 しかし私が恐れたのは、その事実よりも孝子の電話の背後という
のか、電話の向こうで孝子をつつみこんでいる空気感のようなもの
の中に、このときはじめて、ただならぬ霊気を感じたからだ。
 こんなとき霊能に長けた妻がいてくれたら、あるいは対処法があ
ったかも知れない。妻はつい昨日から家を空け、友人たちとヨーロ
ッパを廻る旅に出ていた。


 そのさらに二日後、大学を開放された私が駆けつけたときには、
主は入院してしまって家にはいなかった。東京から大介という息子
も戻って来ていた。
 主は、娘の死の衝撃で起き上がることもできなくなってしまった
らしい。先だって訪ねたときに私にもし強い霊能力が備わっていた
らと考えると、遅きに失したと後悔される。
 あの文机のありさまは短い間にそう変わるものではなかったが、
枝の伸びる机の角のところから長さ一~二センチのヒゲ根が二本生
えかかっていて、すさまじいまでの妖気を発していた。まるで陽炎
が立ち昇るような光の揺らぎが机を取り巻いていたのである。
 する術もなく呆然と見ていると、傍らにいた大介と孝子が言うの
だった。

 孝子が先に口を開いた。
「先生の霊界散歩、私も楽しみにしてるんですよ。よく霊のことを
ご存じだなと思いましてね・・ふふふ」
 大介が言った。
「そうだね、僕も孝ちゃんから聞かされたとき、びっくりしたよ。
年月は人にとっては長くても霊にとっては一瞬でしかない・・って
ところが特に」
 私は孝子の変貌ぶりを呆気にとられて傍観していた。明らかに人
格が重なっている。多重露出の画像を見るように二人の孝子が折り
重なっているようだ。
「君たちは・・」
 孝子が応じた。
「どうぞ机のことは心配なさらないでくださいね。あの桜は、どこ
かに植えてもらいたがってるだけですから。あれはもちろん桜の板
ですが、お孝さんそのものなんですよ。あの机が私と大介さんを東
京で巡り合わせ、そしてこの家へと導いたんですもの」
 大介が言った。
「ふふふ、驚かれましたか先生。僕たちはもう二度と離れたくない
んです。二度と誰にも邪魔されたくはありません。父もまもなく死
ぬでしょう。机に宿って生き続けたお孝さんの怨霊が殺すのです。
これ以上は言っても信じないでしょうけれど、僕の前世は当時の結
城の息子、隆太郎。そして孝ちゃんの前世は伊能の娘、お孝なんで
す」
 孝子が大介をやわらかく見つめて微笑んだ。
「お父様や加世子さんには気の毒でしたが、私たちにはどうするこ
ともできません。すべては枝折れの桜が邪魔者を排除しようとして
いるだけですから」

 二百余年を経て、それでも添い遂げようとするお孝の情念に、私
は打ちのめされていた。今回の妻の旅行も、妻は私と行きたいとず
っと言っていたのである。それを私は仕事にかこつけて拒んできた。
ただ面倒だったというだけで・・。
 女の情念には報いなければと、つくづく思う。
「そうですか。孝子さん・・いいや、お孝さん、そして隆太郎さん、
おめでとう、よかったですね」
 大介が言った。
「本当にそう思ってくれますか。だったらいいが・・」
 孝子が言った。
「先生が先日おみえになったとき、もしも机を持ち出そうとなされ
たら、いまごろ先生は殺されておいででしたわ。そしてもう一つ、
このことは先生の胸にだけ留めておくと約束していただけると嬉し
いのですが?」
 私はうなずいた。無関係な私の身を案じて私を呼び寄せた二人だ
った。

 孝子の声が、鈴の音のような響きに変化して、お孝となって現れ
た。
「ほらあれを・・ご覧になって」
 文机を振り向くと、立ち昇っていたすさまじい妖気が失せていた。
 私は女心のように二百数十年を経て、なお枯れず、机に芽吹いた
桜の若木に手を合わせた・・。

枝折れの桜(上)


(上)

 電話でおおよそのことは聞かされていた。
 徳永は、仙台駅に着くと駅構内にある待ち合わせの場所へと急いだ。
 伊達公の像の前に午後三時。それが約束だったのだが、仙台のすぐ
間際まで来ているのにドアの故障であの新幹線が遅れてしまった。
 徳永はJRの対応に不満を持った。遅れるなら遅れるで、どの程度
かかるのかアナウンスしてくれればこちらもスムーズに対応できたも
のを、五分や十分の遅れでいちいち電話をするのもどうかと思い待っ
ていたら、結局三十分以上もかかってしまった。もちろん途中電話を
してはおいたが、連絡を取ったときにはすでに迎えの車が出た後だっ
たのだ。


 私は久しぶりの仙台を楽しもうと思っていた。日頃大学で忙しい日
々を送っていただけに、たまにはこういうこともあっていいと、つい
での牛タンを楽しみに列車に乗った。仙台は妻の郷里に近く、仕事で
も幾度か訪れたことはあった。私にとって今回の話は、学術的にもそ
して趣味の部分でも大いに興味はあったのだが、ガセであることも多
く、騒ぐほどのことでもないだろうとタカをくくっていたのである。

 伊達公の前に、濃紺の制服に帽子を合わせた初老の運転手が立って
いた。一目でそれとわかるので歩み寄ると、その男がにこやかに微笑
んだ。
「徳永教授でいらっしゃいますね?」
「ええ徳永です。教授ではなく助教授ですが」
「そうでございますか、これはどうも。結城様のご依頼でお迎えにあ
がりました」
 このときはまだ結城家がどういう家柄か詳しくは知らなかったが、
結城の家は伊達公の時代よりこの地にあって、領地開拓に尽くした豪
族の末裔であると話好きの運転手に車中で聞かされた。

 ハイヤーは小一時間ほども走って、目前に山の迫る美しい景観の中
に建つ旧家の敷地に乗り入れた。しかし私は少し落胆した。旧家と聞
いていたので、さぞ由緒ある建物に違いないと期待していたのだが、
御影石の苔むす塀とは裏腹に、屋敷そのものは建て直して間のない現
代的な家屋であったからだ。屋根にはソーラー発電システムまでがの
っていた。
 ハイヤーが滑り込むと、その音を聞きつけて、ほとんど同時にお手
伝いさんらしきエプロンをした若い娘が迎えに出てきて、その後を追
うように、痩せて背の高い、この家の主が松葉杖をついて現れた。白
髪が混じっていたものの、歳は五十代のようである。

 車を降りると、主が不自由そうに歩み寄ってきて微笑んだ。
「これはこれは教授、お待ち申し上げておりました。本来なら私がお
迎えにあがるところ、失礼とは存じますがこのような有様ですので車
をお願いしたんですよ」
「いえいえ、どうぞお気遣いなく」
「新幹線では災難でしたな、あははは。それにしてもお若く拝見する。
失礼ですがそのお歳で教授とは立派なものです」
 待ってましたとばかりに早口でよく喋る。助教授ですと言い返すつ
もりもなかった。
 この主、自転車に乗っていてドブにはまり、足を折ったそうなのだ。
旧家の主という重々しい雰囲気はなく、逆に私をほっとさせた。

 家にあがると、広い庭を臨む二十畳はあろうかという和室に通され
た。結城は早くに妻を亡くし、二人いる子供らは東京に出てしまって、
この家に住み込みの家政婦と二人で暮らしていると言った。
 お手伝いさんは、座卓についた我々にお茶の世話だけをすると、主
の目配せでさがって行った。早速本題に入るつもりでいるらしい。
 それと言うのも、外の明かりが入る部屋の片隅に、すでにそれが置
かれてあって、私がそっちに釘付けになっていたものだから前置きは
いらないと思ったのだろう。
「お話の文机とは、それですか?」
「そうです。先生、こんなこと説明がつくものでしょうか?」
「ちょっと拝見いたします」
 私は座を外し、問題の文机に歩み寄った。
 武士の頃からあるという黒く錆びた木肌が美しい、小振りの文机で
あった。食い入るように見回す私の様子をしばらくうかがい、主が言
った。

「いかがでしょう、先生?」
「ううむ・・これは・・確かにそんなに古いものなんですね?」
「それはもう。当家が代々受け継いできたもので、二百年以上は経っ
ていると聞いています」
「江戸末期ということですか?」
「そうです、それに間違いありません。その古い机から、なんで今に
なって枝が伸び、葉をつけるのか、まったく恐ろしいとしか言いよう
がないのですよ」
「恐ろしい?」
「いや、それについてはこれからじっくりお話しますが・・」
 よほどのいわれがあると思った。それでわざわざ京都から私を呼び
寄せたのだ。私は大学で植物学を教える傍ら、ほんの趣味で「霊界散
歩」というエッセイを雑誌に発表していた。私に多少の霊感があるこ
とよりも妻にそれが顕著だったことが、私をその研究に走らせたのだ。

 およそ二百年前の文机。桜の木で作られている。
 その枯れきった、もはや古代の木材に、今年になって枝が芽吹き、
瞬く間にするすると伸びて葉をつけたというのである。私は枝の伸び
る机の角を凝視したが、トリックで挿し木をしたようには思えなかっ
た。枝の根本が完全に机の木肌と一体となっている。枝は鉛筆ほどの
太さにまでに育っていて、長さは五十センチほどだっただろうか。机
の下から根が出ているというようなことはなかった。
 しかしいずれにしろ植物学的には考えられない。詳しいことは調べ
てみないとわからないが、もしもこれが事実なら学会をひっくり返す
事件となる。

 現実的な野心はともかく、私には机から枝が伸びるそのありさまが
滑稽に思え、含み笑いをしながら座に戻ったのだった。ところが主は
真顔を崩さない。
「まあお笑いになるのも無理はない。ではお話しましょうかね、その
文机の由来を」
「ええ、ぜひ」
 主はお茶を少し含んで口を湿すと重い口を開くのだった。
「じつは、その机が作られるさらに前のことですので、いまから二百
数十年も昔のことなんですが」
「はい?」
「その頃、この村には当家の他にもう一軒名のある豪族がおりまして
ね。いまでは没落してしまっておりますが当時は当家と張り合ってい
たようなんですわ。伊能家と言いますが」
「伊能家?」
「さようです。で、その伊能の家には、お孝というじつに美しい娘が
おったのですが、その当時のことですので家の犠牲になりましてね。
それはつまり当家と張り合うための策としてと言う意味ですが、仙台
藩の重鎮のご子息との間に縁談がまとめられてしまったわけですよ」
「政略結婚ということですね?」
「いかにも」

 主はまた湯飲みを傾けた。さっきまでとは打って変わった神妙な面
持ちだ。
「さて。それでですね、その伊能の家の庭先にはそれは見事な桜があ
って、花の季節にはまさしく桜吹雪を降らせていた。そしてその木の
枝で、可哀想にお孝は首を吊ろうとしたわけですな。ところが縄を掛
けた枝が折れてしまって死にきれなかった。それからその桜をこの辺
では『枝折れの桜』と呼びましてね。村人たちは桜がお孝を救ったの
だと言ってお孝をしのんだそうですよ。お孝は首吊りでは死ねず、結
局嫁いでいって、それでも先様での暮らしに耐えられず自刃してしま
ったそうなんです」
「なるほど」
「お孝がどれほど伊能の家を呪ったか、想像してやってくださいな。
お孝の死後、伊能の家は災難続きで、あっという間に没落してしまっ
たそうなんです。主もまた狂ったようになり、家に火を放って死んで
しまった。そのときに枝折れの桜も燃えたということです。当時のこ
とですから、お孝の祟りだともっぱらの噂になったそうですが」
「それで燃え残った幹を使ってこの机を作ったというわけですか?」
「おっしゃる通りです。このような机がいくつか作られ、何軒かに配
られたわけですが、現存するのはこれしかない。桜の木をお孝が愛し
ていたことは村人の多くが知っていましたし、お孝が書に秀でていた
ことも衆知のこと。それで机になったわけですが、つまりはお孝の名
残のようなものなんですね」

 それから、どうしたことか主が身を乗り出してきて小声になった。
よもや聞かれるようなことがあると困ると言ったそぶりである。
「それですね先生。お話はこれからでして、じつは机が芽吹いたのは、
あの子がウチに来てからなんですよ。半年ほど前だったか・・」
「あの子とおっしゃいますと?」
「さっきの家政婦です」
「ああ彼女が?」
「ええ。あの子ね、くしくも孝子と言いましてね、実家は青森なんで
すが、もしやお孝の末裔ではないかと思うんですよ」
「お孝に子供が?」
「女の子ばかり二人産んだと聞いております。それもあって嫁ぎ先で
うまくいかなかったわけですよ。女じゃ跡継ぎになりませんからね」
「ふうむ・・そうするとつまり、お孝の魂が入った桜の木の机が、そ
の血を受け継ぐ娘が来たことで生き返ったとおっしゃりたいわけです
か?」
「まさに、その通りです。私の方でも手を尽くして孝子の家系を探ら
せましたが、なにせ二百年も前の平民のことですので追いかけようが
ありません。ですがそう考えるしかないんですよ私としては」
「孝子さんはどうしてこの家に?」
「新聞の求人です。なんでも東京の大学は出たものの、この就職難で
戻って来たということらしい」
「なるほど、そうですか。お話はよくわかりましたが、それがもしそ
うだとしてもですよ、伊能の家ならともかくも、こちらの結城家にと
って差し障りとなるようなことが起こるいわれにはならない気がする
んですがね?」

 主は浅く溜息を漏らして言う。
「いや、それがまだちょっとあるんですわ。じつを言いますとお孝は
当時のこの結城家の息子、隆太郎とできておりましてね。それで首を
吊ろうとしたのですが、結城の家としては、もはやお孝を引き受ける
わけにはいかなくなった。伊能の家に逆らって、さらに藩の重鎮のご
子息を袖にして当家に来たとあっては、いくらなんでもうまくない」
「要するに、見放したわけですね?」
「そういうことになるでしょうな。見放したというよりも引き裂いた
と言うべきか。ともかくそういうことがあるものですから、孝子が来
て喜び勇んだように生き返ったその机におぞましいものを感じるので
すよ。よもや孝子がそれを承知で当家に来たとまでは思いませんが」
「それで何か直接的な災いでも?」
「ええ、じつはそうなんです。私の体調もここしばらくすぐれません
し、骨折もそうでしょうし、東京に出た当家の子供たちのうち、特に
妹の方にはここのところ不運が続いておるのですよ、病気やら怪我や
らと。いまはまだその程度なんですが、そのうち何か恐ろしい事が起
こるような気がしてならんのです。それで先生にお越しいただいたと
言うわけですわ。先生のお書きになられる霊界散歩を愛読しておりま
してね。年月は人にとっては長くても霊にとっては一瞬でしかないと
お書きだったでしょう」
「そんなようなことを書いた記憶はありますけれど・・それで私にこ
れからどうするべきかをお尋ねになりたいわけですね?」
「そうです。お礼はいかほどにもいたしますから、なんとか当家を守
っていただければと思いまして」

 と言って頭を下げられても困ってしまう。
 私にも少しは霊感があるつもりだが、こうして机を見ていても何も
感じないし、考え過ぎもいいところだとこのときは思っていた。
 私は、ともかく机を調べてみようと考えた。当初は大学の研究室で
じっくりと思っていたが、持ち出してもらっては困るとのこと。あく
まで内聞にということらしい。私はすぐさま大学に連絡を入れ、ちょ
っとした道具を送るよう手配した。