十五話~夕餉の後に


 今宵はありあわせの夕餉となった。白い握り飯と一夜干しのイカを焼いただけで量も少ない。皆も食べたそうにしていない。お真知の身の上は、ひとつ間違えれば己に降りかかっていたことだと五人のくノ一たちは感じていた。それは嵐でさえがそうだった。主家に仕えることも暮らし向きのため。忍びにとっての正義とは、敵味方のどちらから観るかによって変わるもの。それだけの違いでしかなかったからだ。

「・・あたしちょっと下へ」
 お燕が言った。皿に余りものの握り飯を二つ載せ、イカの残ったところを合わせたものを手にしている。それに茶だ。湯呑みに湯気を上げている。
「あたしも行くよ」 とお雪は言ったが、いいと言って首を振る。
「話してみたいんだ・・もう大丈夫、暴れたりしないと思うから」
 女五人が、肩を落として歩み去るお燕を見ていた。お燕もまた夜盗どもの慰み者にされた身だ。裸にされて責められる女の姿を見るのは辛い。
 地下への降り口は、斜めになった階段の真下の板床に隠し梯子が造られてある。地下は蝋燭が数本灯るだけで暗かった。窓などはもちろんない。
 お真知には、ねずみ色の浴衣が与えられていた。

「姉さん、これ喰って」
「お燕ちゃんだよね?」
「うん、お燕だよ。香風の下働きさ、忍びじゃない」
 刃も持たずに牢を開けて入ってくるお燕のことを、お真知は静かに見つめていた。その気なら素手でも殺れる小娘なのに・・お燕は気を許してくれている。
「お燕て名は、またどうして?」
「つばめ。毎年蔵の軒下に巣を作ってね、その子らがあんまり可愛いからおっ母が・・さ、喰って」
「あたしに飯など・・」
「もういいよ。いいから喰いなって、これからちゃんと生きるんだから」
「・・ありがと」
「うん」
 お真知は握り飯に喰らいつく。イカを喰い、茶も飲んだ。
「・・美味い」
 敵意の消えたお真知には、ただただ孤独がつきまとっているようだった。

「お燕て、いくつ?」
「十七。三年前にお店が襲われて皆殺しさ。あたしだけが残ってしまった」
「・・辛かったんだね」
「ここにいる皆がそうだよ、何かしら抱えてる。だから姉さん」
「姉さんはよしとくれ敵なんだ。・・いまさら逃げるつもりもないけどね」
「いまさらって?」
「逃げたって、どうせ喰い詰めるだけ。あたしは殺っちゃいないけど、あたしらでさらってさ、殺したも同じこと」
「そうだね同じこと。鬼畜の所業さ。けど生き直すことはできる。心底悔い改めて手を合わせて生きるんだ。許されることはなくても背負ったものは降ろせるよ。庵主様は観音様だ、きっと育ててくださるから」
「尼にか?」
「御仏に叱られるつもりで励むんだね、捕らえられれば死罪なんだよ」

 お真知は、哀しげにちょっと笑った。
「御仏に叱られるか・・叱られるぐらいで済めばいいけど。それにしても、あの尼さん・・」
 お真知は、参ったというように首を振って目を伏せた。
「何さ?」
「あれほど剣を使うとは」
「そりゃそうさ、あたしはよく知らないけれど、如月流のお頭様の義理の娘だ。さっきの嵐の姉様のさらに姉様なんだもん」
「あの如月の霧葉の娘・・」
「嵐の姉様はね。庵主様は違うよ。なんでも危ないところを救われて霧葉様に育てられたそうだ。あたしみたいに。あたしも庵主様に救ってもらった。盗賊どもに嬲られて・・あたしなんて死んだ身さ・・汚れちまった」

 牢の中に並んで座って話していた。お真知の素振りからは険は失せ、落ち着いた女の顔となっている。
「お燕ちゃん」
「うん?」
「髪を降ろして。あんたの手で切って欲しい」
「わかった。明日にでも庵主様に話してみる」
「すまないね。それに・・ありがと。もう少し早く会いたかったよ」
「そうだね、人ってそうだよ、そんなもんさ。ちょっとのことで変わってしまう。ねえ姉さん、お願いだからちゃんと生きて、あたしに誓って」
 お真知はこくりとうなずいた。
 それからお燕は皿を手にして上へと戻り、そのまま風呂へ入って行く。

 その間に、先に風呂を済ませた嵐が下へと降りていた。
「静かになったね、殺気が失せた」
「はい・・さっきお燕ちゃんに髪を降ろしてってお頼みしました」
「聞いたさ。泣いて喜んでたよ、よかったって」
 お真知の眸が潤んでくる。
「・・はい。それで嵐様、そういえばちょっと・・」
「何だい?」
「お頭のお紋とか言う女のことで」
「何か知ってるんだね?」
「江戸にはいないと聞いてます。我ら手下の中に鼻のきく女がいて、そういえば言ってたなって・・お頭という人には硫黄の匂いがするって」
「硫黄?」
「火薬じゃなくです。おそらくは湯かと。人知れず潜んでいないとあの傷では目立ってしまう。耳のことは知りませんが左の頬の火傷はひどくてただれているからと聞きました」
「そうか硫黄・・うむ、わかったよ」
「あたしらはつなぎが来て集められる・・あ・・」
 ハッとしたようにお真知は目を丸くした。

「つなぎの女が漏らしていました。四ツ谷あたりの居酒屋に仲間が一人いると言って・・名は確か、結(ゆい)・・そこで女中に化けてるとか。嫌味な女で顔も見たくないってこぼしてましたよ。店の名は何て言ったか・・」
 思い出せないといった様子。嵐は微笑んで肩を叩いて立ち上がった。
「思い出したら教えてな。しばらくは牢にいてもらうが安堵しな。髪を降ろすにしても庵主様に任せればいい。明日の朝、お燕に膳を運ばせる」
 そう言って立とうとしたとき、お真知は目を見開いた。
「・・そうだ、酒膳(しゅぜん)・・酒膳です店の名は。あたしと同じぐらいの背格好で、なんでも土佐の桐生(きりゅう)のくノ一だとか。毒を仕込んだ吹き矢をいつも懐に隠している」

 土佐と言えば山内一豊・・もとよりの統治、長宗我部(ちょうそかべ)は、関ヶ原で豊臣方に味方した。桐生一族は、その長宗我部が抱えていた忍軍である。

「わかった、早速あたろう、ありがとね。そなたのことはあたしからも庵主様に伝えておく。早まっちゃだめだよ」
 嵐は、そっとお真知を引き寄せて抱き締めた。背から尻までそろそろと撫でてやり、『お燕の心根を考えな』 と耳許で囁いた。