lez520

 十話 磨りガラスの夜

  妻にとっての夫との性。明江にとってのそれは不満があると言えるほど冷えた夜でもなかった。営みが減ったというのも、付き合って一年、結婚から二年を経た夫婦の落ち着きであり、穏やかに確かめ合う夜とでも言えばよかったのだろう。
  妻に対してまっすぐ愛を向けてくれる夫。抱かれていて妻は、この人を捨てていいものかと考える。夫婦としては無難に、もう一人の私として解放されるといった都合のいい関係が私にできるものなのか、と明江は思う。

 「できにくいみたいよ」

 「そうなのか?」
 「お医者が言ってた、子宮後屈ぎみらしいって」
  妊娠ではないとわかった後になって、あえて妊娠かも知れないと夫に告げ、ダメだったと報告する。もちろん嘘。どうしてそんなことをしてしまうのか、明江自身が理解に苦しむ。
 「まあ、しょうがないよ、気にするな」
  やさしい夫。捨てるなんてできそうにない。その夜も夫婦は溶け合った。しかしこのとき明江は避妊薬を飲んでいた。これでもう妊娠しない。そうした思いが裏目に出たのか、その夜の性は久びさ燃えるものだった。

  陽子に対して明江はS女になりきれず、ビアンとしてベタベタというほどでもなかった。陽子との間にも磨りガラスを挟んでいる。陽子は紀代美に委ねておきたい存在であり、私には君臨できる浅里や佳衣子がいる。こちらは狂おしいほど素通しの性。磨りガラスどころか隔てるものは何もなかった。
  隔てるもののない性は燃える。紀代美に対して明江は淫獣。しかし心のどこかに微妙な距離を感じている。そしてそんな明江の胸中を見過ごす紀代美ではなかった。あの子は夫を捨てられず、私に陽子をあてがったつもりでいて、私の前では隷属しようとポーズしている。私の背後に空狐がいるから・・と、計算ずく。

  さて、その空狐の力を得た明江が横倉浅里そして神白佳衣子という二人に対してどういう想いで接しているのか。空狐はすがるものであって利用するものではない。度を過ぎると空狐は怒る。その怖さをあの子は知らず、そうなったとき私の意思ですべてが決まる。紀代美は内心でそう思いながら、それを確かめておかなければならなかった。思いもしない力を得たとき人は豹変するからだ。
  そして翌々週の祭日のこと。K2はもちろん休み。けれど明江の夫は、祭日はほぼ仕事に出ていて、とりわけ今夜は泊まりになる。
  おあつらえ向きの休日。明江は紀代美とともに浅里と佳衣子、二人の奴隷をホテルへ呼んだ。ラブホではない。横浜の高層ホテルのスイートルーム。今夜は泊まるつもりでいる。

  奴隷二人が先に来ていて女王二人を出迎えた。性奴隷は戸口に立つところから素っ裸。浅里にも剃毛が命じてあって熟女二人が揃ってパイパン。それぞれ乳首とクリトリスにステンのピアスが光っていて、二人とも髪をまとめて垂らしている。
  明江は女王、鼻が高い。
 「こちらが紀代美女王様よ。私にとって大切なお方ですからそのつもりで接することね。恥をかかせたら拷問ですから覚悟なさい」
  黒い革のロングソファに二人の女王。今日の明江は黒のランジェリー、紀代美はめずらしく下着を着けて、こちらは純白のランジェリー。奴隷二人は横に並んで一度平伏し挨拶すると膝で立って両手を頭の奴隷のポーズ。二人とも肌は白く、突き出た乳房は形がよく、乳首にピアス。そして飾り毛を奪われた性の谷にもピアスが光って、赤みの強いクリトリスの頭が覗いていた。ピアスをされて敏感になっているのか、クリトリスはすでに充血して飛び出しているようだ。

  明江は言った。
 「ピアスはどう? まだ痛む?」
  浅里が応じた。
 「触れるとまだ少し痛みますけど大丈夫です。可愛い姿にしていただけ、ありがとうございます」
 「よろしい、いい子よ。あれから二人で愛し合ってる?」
  それには佳衣子が微笑んで応じた。横目に浅里を見ながら笑う。
 「はい女王様、お互いいっそういとおしく想えるようになり、それは濃密に」
 「おまえたちにとって、これでよかったということね?」
 「はい女王様」
  二人の声が重なった。
  ほっとできる奴隷の姿。同じ運命を背負った肉体がいとおしく思えるのは紀代美にも理解できることだった。明江はやさしい接し方をしているようだ。奴隷の肌に厳しい傷はなかったし、満たされていることは二人の面色を見てればわかる。
  紀代美は明江に言った。
 「ずいぶん可愛がってるみたいね? 二人ともいい貌してるし」
  明江は眉を上げて首を傾げ、微笑んだ。
 「もちろんです、ふたりともやさしい子たち。急ぐつもりもありませんし」

  女王と見定めた明江が敬う女王。奴隷二人は初対面の紀代美に対して激しい羞恥を感じながらも、それを濡れとして表現し、紀代美に対していきなり思慕の念が湧く想い。
  不思議に微笑ましい光景。紀代美は二人を通じて明江の本質を探っていた。
  紀代美が身を乗り出すようにして二人に言った。
 「嬉しそうで私も嬉しいわ。二人抱き合ってキスなさい」
 「はい紀代美女王様」
  声が重なり、それから二人は互いに微笑み合って見つめながらふわりと抱き合い、どちらもが眸を閉じて絡み合うキスをする。
 「浅里、好き」
 「私もよ、あぁ佳衣子」
  ささやき合う二人を女王明江は見守って、そんな様子を紀代美が見ている。こういうことなら空狐だって許すだろうと紀代美は思った。
  抱き合いながら互いに股間に手をやって慰め合う奴隷二人。明江は言った。
 「さあ二人とも奴隷の姿になりなさい。首輪それに二穴責め、ブラもして」
 「はい!」
  立ち上がった二人。二人の女王の目の前で青い首輪と青い革パンティの浅里の正装、ピンクの首輪とピンクの革パンティの佳衣子の正装。穴開きブラが張り詰めさせる乳房の先で乳首が飛び出すが、ピアスの施術から間がなくて乳首責めは許されていた。
  奴隷二人は青とピンクのスイッチボックスを手にして、ふたたび奴隷のポーズ。
  明江は命じた。
 「紀代美女王様にお渡しなさい。今日は紀代美女王様の思いのまま。わかったわね?」
 「はい!」

  手渡された二つのスイッチを手の中に紀代美は微笑み、それぞれ一段、スイッチオン。ブッブッブッと間欠する振動音が腹の中から漏れてくる。
 「ぅ、ンっ、感じます紀代美女王様、ありがとうございます」
  佳衣子が先に言い、同じことを浅里も言って、眸色がとろけ、小鼻をひくひくふくらませて二人は喘ぐ。明江はソファを立ちながら言った。
 「足先からご奉仕なさい」
  奴隷のポーズを解いて二人は這って、紀代美の左右の足先にキスをする。床に這って尻が上がると股間のベルトがディルドを食い込ませ、振動も強く感じることになる。
 「もっとお尻を上げなさい」
  乗馬鞭。明江は二人の尻肉を交互に強く一打ずつ。
 「あぁン」と、それもまた鼻にかかった甘い声が重なった。
  明江は笑って紀代美を見つめ、紀代美も笑って、足の指を舐めはじめた奴隷二人を見つめている。紀代美は言った。
 「じゃあもう一段あげましょうか、可哀想だけど。ふふふ」
  ビィィーン。とたんに音が強くなり、奴隷二人は腰を振って無我夢中で紀代美の足を舐め回す。
 「あン、あぁン、アソコが溶けそうです」
 「気持ちよくて?」
 「はい。あぁン、いい、イキそう」
 「ダメでしょ、まだまだ。甘えてんじゃないわよ」
  ピシーッ!
  明江の強い鞭が二人の尻を襲い、悲鳴を上げながら、さらにクイクイ腰を振ってよがる二人。カラーレザーに分断される白い裸身に見る間に汗が浮いてくる。

  おんおん感じてよがりながら紀代美の腿まで這い上がった二人の頬を紀代美は撫でて、甘責めに苦悶する貌を見つめて言うのだった。
 「幸せね?」
  二人は何度もうなずいて、ちょっと笑い、しかしそれはすぐに切なげに歪むイキ貌へと変化していく。
  紀代美は二人を押しのけるように立ち上がると、明江の手から乗馬鞭を取り上げて、奴隷二人に命じた。
 「脱がせてちょうだい、パンティもブラも。くまなく舐めるのよ」
  そう言いながら紀代美はフルスイングの鞭を二人の白い背中に浴びせていき、バイブのスイッチを無造作に最強にセットする。
 「わぅ! あぁぁーっ! イッてしまいます紀代美女王様、あぁーっ!」
 「明江に言われたばかりでしょう! イッたりしたら拷問よ、私は甘くないからね!」
  それは紀代美の豹変だった。
  もしや本物? この女がS女もどきではなく本物のサディストだったとしたら・・明江はなぜかいきなり濡れだした自分の性器が不思議だった。

  明江は思う。もしやそれが私の本質? 私はM? であるならそういう意味でも紀代美に従属することがこの関係を絆に変えていける秘訣なのかもしれない。暗く冴えない女だと思っていた紀代美の凄さを見せつけられたような気分。これで何度こういう気分にさせられるかと明江は思い、紀代美の怖さに震えるような、それでいてたまらない思慕の念を感じてしまう。女の激情は誰にでもあるものだが、紀代美のそれは底知れないと明江は思い知る。

  303号、紀代美の部屋。
  その夜は明江と紀代美、二人だけの夜となった。浅里と佳衣子を巻き込んだ調教シーンから十日ほどが過ぎていて、明江の夫がまたしても今日から三日間の出張。そんなシチュエーション。仕事を定時に終えて戻った七時前。紀代美は夕食を用意して待っていた。
  紀代美は独りのとき全裸で過ごす。キッチンではサロンエプロンだけの姿。対して明江は着衣のまま。しかし裸でいるのは女王のほうといった不思議なムードを感じさせる。
  部屋に着いて明江はシャワー。その夜の明江は裸身にバスタオルを巻いただけの姿で、キッチンに立つ紀代美の背へ歩み寄る。茶色のサロンエプロンが白い紀代美の裸身を適度に隠し、後ろから見る姿がエロチック。明江は歩み寄って後ろからそっと抱き、エプロンの内側から手を回して紀代美の二つの乳房を両手につつんだ。張りのある触感が紀代美の強さを物語るようだった。

  紀代美が言った。
 「あの二人とうまくいってる?」
 「いってるいってる。オフィスではそ知らぬ顔でも佳衣子も浅里もやさしくなった。みんなが驚くぐらいだわ。毎夜毎夜確かめ合っているらしい」
 「愛し合ってるのよ、あの二人」
 「前にも増してベタベタって感じよね。羨ましくなっちゃうくらい」
 「羨ましい?」
 「正直に言うけれど、私だけなのよ、微妙な計算って言えばいいのか、すっきりしない思いがしちゃって」
 「私に対してもそれはそうでしょ?」
 「ないとは言えない」
 「正直なのね」
 「だってそうなんだもん。ときどき怖くなる。陽子とのことにしたって紀代美が握ってるんだし、その気なら浅里や佳衣子、それにウチの旦那にしたって、紀代美次第でどうにでもなるでしょう。そんなことになったら私は寂しい。でもね紀代美」
 「うん?」
 「そのへんポジティブに考えようと思ってるんだ。私は紀代美にすがってるんだって」
 「利用するためじゃなくってこと?」
  明江は紀代美の乳房を揉みながら首筋にキスを這わせ、そして言った。
 「人間なんて本音を言えば利用し合って生きている。そこを一歩超えた関係と言えばいいのか、紀代美のことをまっすぐ見ていたいって思うのよ」

  紀代美は流しを向いたまま振り向きもせず、ちょっと笑って、そして言った。
 「さあできた、おなか空いたし、そっちが先だわ」
 「うん、ありがとう、あなたが好き」
 「わかったわかった、さあ座って」
  体よくあしらわれたムード。裸の女が二人でテーブルに着き、今夜はサンドイッチとスープ。食べながら紀代美は言った。
 「でも、そうよね、明江にとって私は空狐様そのものなんだから」
 「それも言えるし、もしも私がそうなら女としては苦しいだろうなって思うから情が湧いちゃう」
 「苦しさより恐怖が先よ」
 「自制できなくなっていく?」
  その問いかけに紀代美は応えず曖昧に笑っていた。他人の運命に影響する力の怖さに明江は気づきだしている。紀代美は言った。
 「最初に言ったはずよ、私はいいの、MでもSでもビアンでも、相手が男だろうが女だろうが気にするのはそこじゃない。私は受け身。見ていてくれればそれでいいし、利用したいならそれでもいい。他人への期待は失望に終わるから私は多くを望まない。ただただ見ていてほしいだけ」
 「わかる。私だってそうだもん。紀代美に対して私はM」
 「そうなの?」
 「卑怯なのよ私って」
 「旦那のことでしょ?」
  明江はうなずく。
 「私からは決められない。決めきれない。なのに一方、紀代美を優先したい気持ちがあって、旦那が邪魔だと思ったとき、それってやっぱり紀代美にすがることになると思ってしまう。はっきり言って利用しようってことだから自己嫌悪」
  紀代美は穏やかな面色で明江を見ていたが、そのうち眸色が醒めてくる。

  紀代美が言った。
 「逆もあるわよ」
 「逆って?」
  明江は眸を向けたのだったが紀代美は視線を合わせようとはせずに言う。
 「私は奴隷。お慕いする女王様のために身を粉にする。私からすればそっちのほうが気も楽というもので。相手はご主人様でもいいけれど、命じられて術を使う」
 「うん、そうね、それはそうかも」
  互いに責任から逃げていたい。いかにも女々しい女の発想だと互いに思っていながら話している。二人揃ってちょっと笑った。
  話す間に食事を終えて紀代美はテーブルを片付けながら、相変わらず明江を見ずに言い出した。
 「他にも訊いておきたいことがあるんじゃない?」
  明江はどきりとする。けれどいつまでもそれを避けていてはいけないと考えた。
 「空狐様の毛皮って私だけでも成立するもの?」
  紀代美の横顔がふっと笑う。やっぱりねと感じつつ本音を言ってくれたことが嬉しかった。
 「しないと言っておきましょう、明江のためにも」
 「わかった。こんなことを考えてしまう私が怖い。転がり出したら止められない気がするし、そう思えば思うほど紀代美に対してMでいたいと思ってしまう」
 「私は逆だわ、明江に対してMでいたい。愛への責任をかぶせておきたい」
 「本音よね女の」
  明江の声に背を向けて物言わず、紀代美は流しに立っていた。

 「本音だったのよ、それが私の」
 「私だってそれはそう。浅里に言われて何よって思いながらも従って、まるでご褒美のように抱いてくれると嬉しかった。私はMだわ、きっとそうだと思ってた」
  ちょうどその頃、浅里と佳衣子の二人は、東京を少し離れた沼津のホテルをとっていた。インターを降りてすぐのところにあったラブホテル。
  浅里が言った。
 「佳衣子にいろいろ言いながら私はずっと自己嫌悪。従うあなたを見ていて羨ましいって思ってた。明江様に出会えたことで私は変わった。うまく言えないけど肩の荷が下りたって言うのかしら。旦那とのこと、そのほかいろいろ、その中には佳衣子とのことだって含まれてる」
  佳衣子はうなずくだけで笑いもしない。ビアンの関係はピュアである分、裏切りへの恐怖を常に感じている。と、そう浅里は考えていたし、それは佳衣子のほうでもそうだった。どちらかを上にして自分を納得させていたのだが、しかしいつか忍耐を超えたとき、その関係が崩れてしまうと愛は終わる。
  浅里が言った。
 「奴隷同士の高さが心地いいの。すべては女王様のために私たちは互いを高めていけるでしょう」
  佳衣子が言った。
 「もっともっと感じて生きたい。それだってもはや私のためじゃない。支配される充足を知ってしまった」
 「それ言える。明江様をお慕いし、その明江様が慕う紀代美様もお慕いする。自分以外の誰かを慕っていられる私が好き。だから佳衣子のことも前よりずっと愛していられる。紀代美様は怖い人」

  話がなぜかそちらへ向いた。このとき二人は紀代美に特殊な力があるなどとはもちろん知らない。女の直感として紀代美に底知れない何かを感じ、だからこそ君臨されるシーンに満たされる。
  浅里も佳衣子も奴隷の正装。互いに互いのスイッチを持ち合って、揃って一気にマックスまで性器を嬲る。