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 爽やかな堕落(二四話)


 「使命感に衝き動かされて月へ送られ、早いもので十一年。もう四十七かと思うとね、いつのまにか回想する歳になってしまったなって思うのよ」
 「はい」
 「それまでの私の人生は清廉潔白、人として当然のモラルの中に生きていて、それを疑ったことなんてなかったわ。恋をして抱かれ、いつか母となって家族のために生きていく」
 「はい」
 「それまでの私はつまらない女だったなあって思っちゃうんだ。文明が育てたモラルは女に安心をもたらす代わりに本能を奪っていった。がんじがらめ。はしたないとか淫らとか、女はこうあるべきだとか、本心でどうだろうと社会がそれを許さない」
 「はい、それは男も同じです」
  ジョゼットの部屋。跳ね上げ式のベッドを上げて、椅子にジョゼット、その足下に裸のクリフが正座をする。ジョゼットは紙の下着のパンティだけ。形のいい乳房には魅力的な二つの吸い口が尖っていて、クリフはじっと見つめている。

  そんな女王の静かな美に、禁欲を命じられて苦しむクリフの若い性器は暴発寸前。正座をする腿の間から石筍のごとく突き勃っていて、ジョゼットはそれを見下ろして穏やかに笑っていた。
  ジョゼットは言った。
 「怖いのは男たちの評価よりも女の目よ。女同士で牽制し合い、ボーダーを超えて解放できた幸せな女たちを悪く言う。ねたましくてしかたがない。ひがみもあるし、女ってどうしてこうも面倒なのかと嫌になる」
 「はい」
 「嫌でたまらないのにイジメの標的になるのが怖くて結局多数の側についてしまう。それがそれまでのつまらない私。ジョゼットカフェなんて呼ばれてるけど、私と話したくてやってくる多くの男たちが可愛くて、多くの男に抱かれてきたし、なんなら取り囲まれて犯されたっていいと思えるようになっていた。逃げ場のない月なんだし、悪人がいないという安心感、妊娠しないという安心感、そんな中で皆が同じ目的のために命がけで働いている。極限の環境の中で地球のモラルとは違うモラルができていく」
 「はい」
 「おまえとのこともそうだわ。S女にはなりきれない。でもそれでおまえは幸せ。おまえが望むなら何でもしてやりたいと思うのよ。女心が騒ぎだし、その心に従うから女の幸せがやってくる。おまえが与えてくれる女の角度を楽しめる」
 「はい、そう言っていただけると幸せです女王様」
  ジョゼットは美しい。ブルーの瞳を見つめているとクリフの心は溶けていく。

 「奴隷におなり」
  それは奴隷のポーズの強制。大きく逞しい男の裸身で膝で立ち、両手は頭で胸を張る。月に送られる男たちは強い肉体を持つ者だけが選ばれて、クリフもまた胸板に大胸筋、腹には腹筋が浮き立っている。
 「射精はしてないでしょうね?」
 「はい誓って」
 「どれぐらい?」
 「一月ほどになります」
 「すごいわね、いまにも破裂しそうよ」
  穏やかに微笑みかけて、ジョゼットは脈動して頭を振るペニスに手をのばし、そっとくるんでやって、浅く爪を立てて静かにしごく。
  一心に女王を見つめながら唇をちょっと噛み、そのうちうっとり眸を閉じて、かすかな喘ぎを漏らすクリフ。血管を浮き立たせて勃起するペニスの先から透き通った粘液がとろとろと流れだし、女王の手を心地よく滑らせる。全身の白い肌に鳥肌が立っていて、総身ふるふる震わせる奴隷のクリフ。
  椅子に座るジョゼット。その足下に膝で立つ奴隷。裸足の膝下を振り子にすると、蹴りの高さが睾丸にちょうど合う。ほんの軽く蹴ってやる。

 「ンむぅ!」
 「ふふふ痛いわね、可哀想ね」
  クリフはもっと蹴ってと言うように股間を突き出し、一切の防御をしない。ベシと蹴る。腰を引いて飛び上がるようにするのだが、ちょっと呻き、ふたたび睾丸を突き出してくるのだった。衝撃と痛みで睾丸は生き物のように蠕動し、きゅーっと丸まって急所を体内に格納しようとするようだ。
 「ふふふ面白いものね、軟体動物そのものだわ」
  ボコと強く蹴り上げる。
 「ぐわぁ、あっあっ!」
  たまらず急所に両手をやって床に崩れ、尻をのたうたせてもがくクリフ。
 「可愛いわ、たまらない」

 「可愛いわね、たまらない」
  ムーンベビー第一号が誕生した。白人の娘が産んだ白人の男の子。取り上げたのは女医のイゾルデ。立ち会ったのは女医の早苗。母の名は囚人七号だったのだが、そんなものは最初の頃の呼び名であって、いまではナンシーと呼ばれている。罪状などは地球上でのこと。凍結精子による強制受胎を受け入れる娘らに、月にいるすべての者が情を寄せた。
  イゾルデは元気な産声を上げた新生児を母親の胸に抱かせてやる。誰の精子とも知れないもので妊娠させられ、産まれた子に女は母になれるのか?
  しかしナンシーは、子を乳房に抱き寄せて、眸を丸くして見守っている。
  ナンシーは言う。
 「可愛いわ、これが私の子なのね、たまらない」
  イゾルデは問うた。
 「母となれそう?」
  ナンシーは涙を溜めてうなずいた。
 「誰の子かではなく私の赤ちゃんなんですもの」
  よかったと早苗も感じて見守った。イゾルデは、あえて事務的に言う。
 「一年体を休ませて次にまた」
  人工授精。しかし体外受精ではない。ランダムに選んだ精子を子宮へ送る。

  分娩室を出てイゾルデは早苗に言った。
 「実験でなければどれほど嬉しいことかと思います」
  早苗はイゾルデの白衣の背をそっと撫でた。白衣さえもソフトな紙で仕立てたもの。
  早苗は言った。
 「こんなことがあたりまえのときがくる。ムーンシップが旅立てば人は最先端を生きる家畜よ。人類のために身を捧げることになる」
 「ええ、それはそうでも」
  論理的に理解できても、女としての感情では許せない。愛の欠落した生殖に意味はあるのか。ムーンシップに乗り込めるのは五百万人。うち八割が生殖のために準備される若い子宮。子供が育ちムーンシップの担い手となれるまでには時間がかかり、したがって旅立ち当初は特に、女たちは次々に妊娠させられ子供を産んでいかなければならなかった。

 「倫理って何だったんでしょうね」
  イゾルデはちょっと首を振りながら言うのだった。早苗はさばさば、笑って言った。
 「そんなものは地球の常識、考えない考えない。私たちは月面人よ、地球人じゃないんだから」
  このときイゾルデは、月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルームで眠るエイリアンの化石を思い浮かべた。
 「彼らもきっとそうやって?」
 「でしょうね。科学力でははるかに上よ。クローンということもあるかも知れない。絶滅を悟ったとき残るものはそれしかない。それより私は」
  と言いかけて、早苗は自室にイゾルデを誘った。
 「お部屋で話そ。私のルームで抱き合って」
  イゾルデは見据える眸色で早苗を見つめた。月に来てそろそろ一年。その間イゾルデもまた避妊薬を口にして解放された性に震えて生きてきた。しかしビアンははじめて。あっけらかんと言い放たれて戸惑う気持ちがないわけではなかった。イゾルデは白人だったが背丈では早苗の方が少し高い。歳を重ねて三十歳。早苗の方は四十歳になろうとした。
  部屋に入り、互いに見つめ合って紙のパンティだけの姿となってベッドで抱き合う。イゾルデは小柄でも女体は熟してしなやかだった。キスを交わしてそっと抱き合い、そのときイゾルデの眸に涙が溜まる。
  早苗がささやく。
 「考えないって言ったでしょ」
  イゾルデはちょっとうなずき、なのに静かに泣いてしまう。
 「やりきれません。私は神にはなれないもん」
 「そうよね。あっちもこっちもひどいことになっていて、あっちでもこっちでも人は苦しんで生きている。地球なんてもういいわ。人類なんてもういいの。人間らしく滅んでいったほうがいいんだもの」
 「そう思います。何もかもが狂ってる」

  早苗は、狭いベッドでイゾルデを横抱きにして、紙のパンティの上から温かな尻をそっと撫でて言う。
 「それでも人類は滅びない。ジャワ原人の時代に相当数が連れ去られ、私たちとは違う文明の中で進化しているはず」
 「家畜として?」
 「さあ、それはどうかな。ペットのようなものかもね。彼らの星がどこにあるのか知れないけれど、増えすぎず減らしすぎない管理された世界の中で生きてるでしょう」
 「動物園みたいに?」
 「だと思うわ。生殖を管理され、餌をもらい、だけどきっと平穏に暮らしているはず」
 「食料になっているとか?」
 「それもないとは言えないでしょうね。生きるとはそうしたもの。私たちだって牛や豚を育てている。人間だけが特別という発想そのものが地球をこんなにしてしまった。ムーンシップで人類はその愚かさに気づくでしょう。百万人の男性と四百万人の女性。女たちは蜂起して女性主導の社会をつくる。惑星プロキシマBまで四光年あまり。いったい幾世代を経て行かなければならないのか」
 「計画性を持たないと破綻する」
 「そういうこと。一人の女性に何人子を産ませ、その子らもまたどんなタイミングで妊娠させていくのか。それに伴って月面都市もひろがっていくでしょう。月全球が二重構造の宇宙船となっているかも知れないけれど、今度こそ人口をコントロールしないと生存が危うくなる。死体だって資源だわ。胎盤なんて格好の蛋白源よ」
 「恐ろしい」
 「ええ恐ろしい。でもそうしなければ生きていけない。太陽光線のないところで物資の補給も得られない。大量の酸素を消費する大型動物は積み込めない。何を食べ、どうやって命をつなぐのか。きわめて論理的に、でも一方では冷酷無比に、なりふりかまわず生きていくのよ」

  紙のパンティに早苗の手が忍び込み、イゾルデは腿をゆるめて早苗の乳房にすがりつく。いま早苗が言ったことは、もちろん論理としては理解していたし、そのときの自分には関わりのないこと。
 「旅立ちまでには死んでいたい」
  乳房の裏から響く声にイゾルデは顔を上げて早苗を見つめ、そして言った。
 「そのとき老いた者たちは排除される?」
 「ということになるでしょうね。命がけで造った都市に残れない。そればかりか用済みの老人たちを地球に戻す意味もない。帰還のための宇宙船と膨大な燃料をついやす意味がないってことよ」
 「ひどいわ、ひどすぎます」
 「TIMES UPよ。終わらせましょう。非人道の限りを尽くして生き残ったところで親は子らにそれをどう説明すればいいのかしら。私なら耐えられない。耐えられないと狂ってしまうと即座に処理される社会に生きてなんていたくない」
 「抱いて早苗、めちゃめちゃにしてほしい」
  紙のパンティを奪われたイゾルデ。もはや獣。早苗の指に嬲られ犯され、非人間的なイキ声をまき散らして果てていく。
 「私ダメ、もうダメ。もう一人の私を抑えられない」
  月面に十年以上を暮らした者たちの気持ちを想い、イゾルデの性器は激しく濡れてのたうち果てた。

  そのとき地球。ルッツの店からは離れた家にあるバートの部屋。
  呼びつけられたマリンバは、戸口を入るなり黒いマントのような冬のコートを脱ぎ捨てて全裸。体のそこらじゅうに鞭打ちの傷は残っていたが、どれもが古いものばかりで、一見して目立つ傷はなかった。嵌め殺しのステンレスの首輪。相変わらずのスキンヘッドと無毛のデルタ。金色の眉毛だけが許されて人の女らしい顔となっている。
  マリンバは恥ずかしかった。マゾ牝として調教され尽くし、羞恥など忘れたつもりでいたのだったが、恥ずかしさはそれとは質の違うもの。マリンバはさらに一つ歳を重ねて四十七歳。豊かな乳房が垂れてきて、プロポーションにもゆるみが目立つ。脂肪ではなく皮膚のたるみ。どうにもならない衰えだった。
  対してバートは男盛りの三十五歳。黒人ならではの均整の取れた野獣の体を誇っている。

  戸口で全裸となったマリンバはいつものようにベッド下の床に平伏し、ベッドを深く沈ませて座るバートに見据えられて厳しい声を待っていたのだが。
 「顔を上げろ」
 「はいバート様。お呼びいただき幸せでございます」
  羞恥に震える思いで顔を上げると、豊かな乳房がぶらんと揺れた。バートの髭もじゃの野獣の顔が眸に映る。座っていても大きい。トランクスだけの裸なのだが、恐怖に喉の奥が引き攣るような気がしてならない。
 「立って体を見せろ」
 「はいバート様。ああ恥ずかしい」
  まっすぐ立って両手は頭の後ろ。脚を少し開いて性器までも隠さない。
 「おまえいくつになった?」

  マリンバは凍る想い。もはや女ではないと捨てられることへの恐怖に心が震えた。バートはそれでも裸身を見回す。
 「四十七でございます」
  バートはうなずくと、ごろんと巨体を横たえてマリンバに命じた。
 「来い」
 「はい? えっ? 来いとは?」
 「来いと言ってる」
 「は、はい」
  責めもなくベッドへ誘われたマリンバ。そっと上がって添い寝をすると丸太のようなバートの腕に絡め取られて動けない。マリンバは目を見開いてバートの二つの眸を交互に見つめた。
  どちらかの眸に嘘はないか。疑うような視線であった。
  抱かれてキス。そのとき乳房を揉まれ、キスは肌を這って首筋から胸へと降りて乳首を含まれ、そのとき無骨な男の指先がすでに濡れる性器をまさぐる。
  恋人のようなセックス。それも相手は化け物バート。マリンバには信じられないことだった。
 「あぁン、バート様、感じます、ありがとうございます、嬉しいです」
 「ふふふ、いい女だぜ」

  マリンバは、その刹那、電流のような悦びに襲われてガタガタ震えた。震える想いをどうすることもできなかった。
 「ほんとのこと? 私はいまでもいい女?」
  バートは笑ってうなずくと、開かれていく腿の間に大きな腰を割り込ませ、野太い勃起を無造作に突き刺していく。
 「あぅ! あっあっ! ダメ、イク! 嬉しくて私、あぁイクぅ!」
 「このところ落ち込んでやがったな。衰えを気にしてやがる。馬鹿者め。飼うと決めたそのときからおまえは生涯マゾ牝なのさ、わかったか」
 「はいバート様、嬉しい」
  気が遠くなっていく。やさしいところなんてないと思った化け物が、じつは心を見ていてくれた。そう思うとマリンバは泣けてきて、錯乱する快楽がやってくる。

  やわらかなベッドでやさしいセックス。夢のようなひととき。マリンバの白い裸身がバートの黒い巨体をジャッキアップするように押し上げて、ほとんど悲鳴のピークを訴え、気を失ってふわりと崩れた。
  気絶してなお抱きすがる白い腕。一度の射精で穏やかに萎えていき、するりと抜けるバート。
 「ぁ、嫌ぁぁ、抜けちゃう」
 「ふふふ可愛い奴だぜ。このところ鞭も減った。だからおまえは自信をなくした。ババアになったと思ったからだ」
 「はい」
  消えそうな声でマリンバは言い、バートはそれきり黙ってちょっと笑い、ただ抱き締めてやっていた。

  ただ抱かれるだけで震える女がここにもいる。ターニャ。ビアンでありマゾでもある女にとって男の体は恐怖そのもの。けれどもデトレフだけには肌を許せる。早苗が間にいてくれると思うだけで安心できた。
  しかしそれでも、いざ一対一で向き合うと怖くなってたまらない。熱い茎に貫かれ、狂気としか言えない錯乱に襲われて、あれほど怖かった男臭さの満ちるベッドで抱かれている。
  デトレフ大佐は五十一歳。倍ほども歳が違い、だからこそターニャは落ち着けた。大きな器にすがるように強い心音を聞いている。幸せだった。
 「早苗に可愛がられているようだな」
 「はい、それはもう。早苗様は尊敬できるお方ですし、ほんとに素晴らしい女王様」
 「うむ。早苗は極限を見てきた人だ。月にいるすべての者は極限に中に生きていて、闇より怖い孤独に苛まれていたんだよ。早苗の母性が皆をつつんだ。俺にとってもルナなのでね」
 「女神様?」
 「まさに。他に言葉は見当たらない。しかしなターニャ」
 「はい?」
 「地球で出会っていたらと思うと、そうはいくまい。この極限こそが男も女も人に変える。人間らしい性のままでいられる」
 「そうかも知れませんね。何不自由なくわがままに生きていければ、どうしたって利己主義がつきまとう」
 「そういうことだが、それも少し意味が違うぞ。究極の利己主義は月にこそある。それは極限の中にこそあるものだ。ぬくもりを求めてもがく。生きている実感がほしくて淫らになる」
 「情を求めて?」
 「そうだ情だ。愛などというありきたりな麗句ではごまかせない、どうしようもない肉欲。獣の本能と言うべきなのか」
 「わかります、それ。いっそ獣でいたいかなって・・早苗女王様、そしてご主人様の奴隷でいたいかなって・・」

 「明日からしばらく裏へ行く」
 「調査ですよね?」
 「核爆弾エンジンの準備、それとエイリアンの痕跡も探してみたい」

  核爆弾エンジンとは、まず月面に巨大なパラボラアンテナのような衝撃を受ける受動部分を造っておき、その間際へ水爆級の核爆弾を次々に射出して、およそ五分おきに連続して爆発させる。月には大気がないから地表を襲う衝撃波のようなものは発生しないが、爆発の衝撃だけは受動部分に伝わって月を押す推進力となるものだ。
  月の公転速度を利用してスイングバイ=徐々に速度を上げていき、ついには地球の引力圏を脱出するという計画。
  しかしそれらは表向きの話であった。来たるべきそのときのために地球からは監視できない裏側で準備をしておかなければならない。
  TIMES UPのときのために、いよいよ破滅の支度にかかるということだ。

  核爆弾エンジン、エイリアン、宇宙への旅・・恐ろしげな言葉と想像が不安を掻き立てたのか、ターニャはふたたびデトレフの萎えたペニスを欲しがった。