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神の審判(二一話)


  五百万人の人々が生存できる月面都市とは、すなわち壮大な地下街を造ろうとするに等しかった。月の外殻を天井とする二重構造なのだが、構造的には地下街というよりも潜水艦の内部を思えばよかっただろう。居住部分を大空間としてしまうと事故や隕石の衝突などで一部がやられてしまうだけで全滅しかねない。そこで小さな空間をいくつもつないで気密ハッチで分断できる構造とするわけだ。
  大を救うために小を殺す。それは正しい判断なのかも知れなかった。
  しかしその発想が、地球上でHIGHLY、WORKER、LOWERという区画を生んで、HIGHLYだけが人という極端な正義が生まれてしまった。地球に終焉のときが訪れるのは避けられない。宇宙スケールのノアの箱船。なりふり構わず生きようとする本能が暴挙の本質となっている。
  太陽系の行き先に死をもたらす中性子星が待ち構えているなどとは、人々には一切知らされていなかった。あくまでオゾン層の減衰と海面上昇という地球環境の激変に対する対策であるはずが、行き過ぎもはなはだしい。HIGHLYの暴挙に対抗するレジスタンスが生まれると殲滅される。それはHIGHLY同士であっても同じこと。天文学者が真実を伝えようとすれば抹殺され、人道主義者が異議を唱えれば粛清される。
  人類は史上かつてない暴力の時代に生きていた。

 「着陸まで一時間です」
 「うむ。戻って来たな」
  光の三日月だった月が大地としてひろがって、懐かしくも思える景色となって目に映る。デトレフは苦しかった。軍船には核兵器の起爆部分が大量に積まれていて、地球の終焉を決定的なものにする。
  終焉までおよそ七十年。ムーシップの旅立ちまでなら五十年。そのどちらもが自分の人生には無関係。しかしその頃になって生まれる命もあれば若者たちも大勢いる。愚かな人類を宇宙へ解き放ってはいけない。そうは思っても、絶滅は神の審判に委ねるべきではないか。俺は神ではない。眼前に迫ってくる月面を見渡して、デトレフは自分がわからなくなっていた。

 「ふぅぅ、ルミか・・」
  つぶやくデトレフ。
 「はい?」
  部下が問う。
 「いやいや独り言さ、気にするな」
  ルッツよ、おまえならどうする?
  ルミというあの娘にも無関係なことなのだが、その子孫、そのまた子孫を処刑することになる。月面にいる者たちにも次々に若者が送られて来るだろう。人類のためと信じて人生を捧げた者たちを裏切ることになりはしないか。

 「戻って来たわね」
  月面望遠鏡ムーンアイのコントロールルーム。黒い空に浮かぶ軍船を見上げてジョゼットは言ったのだったが、そばにいて海老沢に声はない。
  地球の周回軌道に浮く宇宙ステーションから、すでに核兵器廃棄のための超大型輸送船は旅立っている。
  ジョゼットが言う。
 「二十五年後か。ふふふ、私たちはお婆ちゃんとお爺ちゃん」
  灰色の船底を見せつけて迫り来る軍船を見上げながら苦笑するジョゼットの背を海老沢はそっと撫でてやる。
  デトレフ帰還。月を出てから十か月が過ぎようとしていた。
  いまから正確に二十五年後。宇宙ステーションから送り出された核兵器の廃棄船は、旅立って十年で動力部分が故障。その後宇宙を彷徨ってふたたび月へと戻って来る。そうなるようにプログラミングされていた。

  ムーンカフェ。

  軍船の帰還は予定した時刻よりも大幅に遅れ、ムーンカフェのクローズタイムを過ぎていた。カフェを閉じ、それでも二人は眠れなく、ムーンアイへとやってきた。そのとき月面都市は三日月の夜の側に入っていて、望遠鏡ははるか天空のベテルギウスを捉えている。こちらも死を目前にした巨星。海老沢とジョゼットだけの静かな空間。軍船が戻ったのはそんなとき。
  ジョゼットは、待ちわびる早苗にインターフォンを入れておき、海老沢と二人でふたたびムーンカフェに戻っていた。珈琲を支度する。
  ほどなくして、毅然とふるまう凜々しい軍人が入って来る。八か月ぶりに見るデトレフは、瞳の奥に強い意志の漲る男。少しも変わっていないと二人は思い、さらにそのときドアが開いて早苗が笑う。
 「やっほ」
 「ふふふ、うむ、元気そうだな」
 「元気だもん」
  ふざけて言って、早苗は涙を浮かべてデトレフの胸に飛び込んでいく。四人ともにシルバーメタリックのスペーススーツ。ジョゼットをカウンターの中に置いて三人並んで席につく。
 「降りてみたさ」
 「行って来たんでしょ弟さんのところ?」
  早苗が言ってデトレフはちょっと笑った。
 「体がこんなにも重いものとは思わなかった。動けるようになるまで十日ほどかかったものだ。月はやさしい、まさにルナ、女神様だよ、体が軽い」
  柄にもないことを言う。早苗はちょっと肘で小突く素振りをする。

  ジョゼットの珈琲。カップを口に運びながらデトレフは言った。
 「最悪だ」
  独り言のようにボソっと言う姿を三人揃って見つめている。
 「アフリカエリア、それにアジアエリアでも、またしても反乱があって百万人単位で殺されたそうなんだ。オーストラリア大陸は比較的平穏だったが、HIGHLYどもの締め付けはますます厳しくなるだろう」
  早苗は言う。
 「鬼畜の所業ね」
  デトレフは声もなくうなずいて、そして言った。
 「核廃棄は予定通り。起爆装置もくすねてきたさ」
  女医としてなのか早苗は問うた。
 「遺体のほうは?」
  死体とは言わない。
 「直接タッチはしてないが・・」
  そのときのデトレフの面色の曇り。それきり誰もその話題に触れようとはしなかった。
  早苗は言う。
 「ごめん、余計なこと訊いちゃった」
 「いや、かまわん。俺は軍人たる自分を呪うよ。嘔吐が出る連中の側にいると思うだけでやりきれん。しかしな、それはそうでも・・」
  それきり絶句したデトレフを察してジョゼットは言った。
 「私たちもそうなのよ。私たちは神にはなれない」
  デトレフは声を返さず眉を上げ、思いを切り替えるように顔を上げた。
 「正論を言うならそれでいい。時間はまだある。ところで」

  そうデトレフは言って横に座る海老沢へと目をやった。あのことはもちろん無線で告げてある。地球で傍受されても解読できない暗号化された軍用無線。
  海老沢が言った。
 「かなりな揺れから想像するに、彼らは地下都市を爆破して去って行った。新しいクレーターができたというだけのものだろう。行ってみたくても手段がないのでね」
  次にデトレフは早苗に向かった。
 「あ、そうそう、弟の町で出た化石を持って来た。ほぼ完全な骨格だ」
  早苗が言った。
 「姿は同じ?」
 「そのままさ。幼子のようでもあって哀れに思えてならなかったね。もはや石。医師の領域ではないだろう」
  早苗は、すっと背伸びを一度して語調を変えた。
 「はいはい、もういい、今夜はおしまい。さあ坊や、いらっしゃい。医師としてのボディチェックです」
 「ちぇっ」
  これには皆が笑い合う。自室へ呼んで甘えたい。早苗らしい言い方だった。

 「マリンバ、散歩よ、いらっしゃい」
 「はいボス、ありがとうございます」
  牝豚のことを最初にマリンバと呼んだのは、他ならぬバートであった。責められて歌うような悲鳴を上げ、打ちどころで音階が変化する。打楽器のようだというわけだ。マリンバの奏でる悲鳴は果てていく甘い吐息に変化して曲が終わる。
  留美は三十歳となっていた。ルッツの町は平穏そのもの。レジスタンスの台頭を警戒して軍じきじきに視察に来ても、ルッツの町はあまりに小さく、住民たちもほとんどが中年以降。野蛮きわまりない山賊の棲み家であり、よそからの目立った出入りもないということで黙認されていたからだし、そのときもマリンバの存在が決定的な蛮族のイメージを植え付けた。性奴隷を虐待する連中としか映らなかったに違いない。
  季節は初夏。留美は白いミニスカートにプリントTシャツの姿で、とても山賊のボスとは思えなかった。しかしステンレスの首輪につながるチェーンを手にし、ミニスカートほどの腰布を与えただけで白い乳房を弾ませて歩く髪の毛のない奴隷の姿を見るにつけ、彼らは山賊だったと思い知る。そうした姿を軍にも見せつけ、したがってルッツの町は平穏を保てている。

  三年の間に住人の二人ほどが召されて逝って、町の者たちも好ましく老いてくる。若くても四十代という人々にとって、タイパンのクイーンと呼ばれた女への憎しみは失せていた。
 「よおマリンバ、相変わらず綺麗だぜ」
 「ほんとよ、髪の毛だって許してやりたいぐらいだね」
 「はい、ありがとうございますマスター、それにマダム。可愛がっていただいておりますので」
  そうして逐一道ばたに膝を着いて挨拶させる。男はすべてマスターと呼ばせ女であればマダム。もしもそのとき欲情されれば誰の体にも奉仕する。それが性奴隷マリンバの存在だった。
  半裸の奴隷を足下に控えさせ、留美もまた明るく応じる。
 「そうなんですよ、そろそろいいかと思ってて」
 「髪の毛を?」
 「ええ。陰毛はダメ、許さない。ふふふ、これって道ばたで話すことじゃありませんよね」
  皆で笑う。
  マリンバが連れ出されると町の男たちが集まって来る。マリンバには、もはや人としての羞恥はなかった。牝になりきることでしか生きられない。そうした覚悟が町の者のたちには心からの謝罪と受け取られていたのである。
  留美は言った。
 「それもいいかと思ってますよ。髪を許して女に戻し、なのに裸で連れ回す。恥ずかしくて濡れるでしょ?」
 「なるほど、さすがボスだぜ、山賊らしいや」
  どれもこれもが軽いジョーク。皆がマリンバのスキンヘッドを撫でて去って行く。
 腰布のほか露わとなる素肌に傷らしきものがない。町の皆もそのことにほっとしている。

  狭い町中を散歩させて広い部屋へと戻った留美。そこはかつてのルッツの部屋でバートの一室。いまバートは町外れにさらに造った別の家に移っていて、留美の部屋となっていた。かつてのアニタの部屋にはマルグリットとパナラットが同棲するように棲んでいる。
  バートのベッドはキングサイズ。その脚にチェーンを回してマリンバをつないでおく。まさにペット。豚から犬に昇格したようなものだった。
  部屋に戻ってつながれるとマリンバは全裸にされる。犬のようにお座りして留美を見ている。邪念の消えたいい目をしている。留美はビスケットを食べようと手にしたものの、ふとマリンバを見て口の前へと突きつけてやる。
  キラキラ輝くマリンバの眸。手を使わず口を開けてほおばった。
 「まったくどうしてこうなるのやら」
  マリンバが可愛い存在となっている。飼育はミーアに任せていたが、ときどき責めて、そのときに泣いて果てる姿を見るうちに不思議な母性に衝き動かされ、いまではボスの部屋の番犬のようにそばに置く。
 「おいで」
 「はいボス」
  ベッドの下までほんの一歩を這ってきて、正座をして見上げるマリンバ。留美はその二つの乳首に手をのばし、そっとコネてやりながら眸を見つめる。
  切なげに眉間に皺を寄せるマリンバも、四十三歳になっていた。
 「いくつになっても綺麗よね、可愛いわよ」
 「はいボス。あぁぁ感じます、嬉しいです」
 「うん、いい子になってくれたもんだ。髪の毛ぐらいは許してあげようと思うんだけど、女に戻らないほうがおまえのため。眉毛だけで暮らしなさい」
 「はいボス、うぅン、濡れますボス」
  裸身がくねるマリンバ。
 「最初はね、体にピアスぐらいはしてやって鼻輪もいいかと思ってた。でもねマリンバ、あのバートがマリンバと名づけるぐらいおまえの姿は可愛いの。私よりもみんながとっくに・・」
  許していると言いかけたときドアが強くノックされた。

  入ってきたのはコネッサだった。黄色いショートパンツの弾けるような姿。
 「お客さんよ」
 「あら誰?」
 「ほら、あのときの兵隊さん」
 「ジョエル?」
 「そうそう。まるで私服、今日は非番なんですって」
  三年以上も会えていない。あのとき一度きりで、軍に頼らなければならないこともなかった町。留美はちょっと考えて、そのときもマリンバをちょっと見て、そしてコネッサに告げたのだった。
 「ここへお通しして」
 「ここへ? いいのそれで?」
  コネッサもまたマリンバを気にしている。
 「いいのよ、隠すことじゃないからね」
  コネッサはうなずくと、マリンバのスキンヘッドをそっと撫でて出て行った。
  わずかに緊張の眸色を浮かべたマリンバ。ベッドの下から少し離れた、毛布の敷かれた寝床へ戻って正座で控える。

 「こちらです、どうぞ」
  ドア向こうにコネッサの気配。そしてすぐにドアが開いた。
 「やあルミ」 と、ちょっと手を挙げて笑った刹那、素っ裸で毛のない女がつながれる景色に絶句するジョエル。ブルージーンにサマージャケットだったのだが、あの頃とは明らかに違う精悍さを身につけている。
 「驚かれました? かつてタイパンという凶賊がいて、これはそのボス。クイーンと呼ばれてた女なんです。いまではすっかり奴隷ですけど」
  タイパンに弟と殺されたことはデトレフから聞かされていたジョエル。なるほどとうなずいて歩み寄る。留美は椅子ではなくベッドに座ることを勧め、自分は立って椅子に座った。ベッドサイドに小さなテーブルが置かれてあって、それとセットの小さなウッドチェアである。
 「ここはルッツさんのお部屋でした。このベッドも」
  ジョエルはうなずき、留美と入れ替わってベッドに座る。
 「マリンバ、お客様よ、ご挨拶なさい」
 「はいボス」
  豊かな乳房をたわたわ揺らして犬のように歩み寄り、フロアに額を擦りつけて平伏す奴隷。上から見下ろせば背中からすぼまって張り出す女のラインが美しいはず。
 「ジョエル様よ。国連軍の軍人さんで、あなたが殺したルッツさんのお兄さんの部隊にいるの」
 「はい。はじめてお目にかかります、マリンバと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
  マリンバの面色が青ざめていた。ルッツの兄の部下。そう聞くだけで心が乱れるマリンバだった。
  ジョエルは言った。
 「わかった、もういい。傷のないその様子なら許されているようだ。とやかく言うこともないだろう。心して生きることだよ」
 「はいジョエル様、おやさしいお言葉をありがとうございます」
  留美は目を細めて様子をうかがう。さすがデトレフの右腕だけのことはある。
  留美は言った。
 「向こうを向いて四つん這いです。お尻を上げて恥ずかしいところをお見せしなさい」
 「はいボス、あぁぁ、はい!」

  マリンバの白い裸身が見る間に上気して染まっていく。背を向けて這い、尻を上げて脚を開く姿をジョエルは黙って見守って、しかし性器を見ようともしない。
  留美は言った。
 「それで今日はどのような?」
 「あ、はい、じつは大尉になったこと。いやまあ、そんなことはどうでもよくてルミさんに会ってみたくなりました。それだけです」
 「ほんとにそうなら嬉しいわ。デトレフさんはお元気?」
 「彼はもはや地球人ではありません」
 「まっ。ふふふ、それはそうかも」
  ジョエルは明るい。
 「ええ元気ですよ。無線でときどき話しますがルミさんのことも気にかけておいでです。あのときは時間がなくて、ほんとはゆっくりしたかったんだがって口惜しがってた」
 「弟さんのお店をぶんどるみたいになってしまって」
 「とんでもない、喜んでますよ、意思を継いでくれる女性だって言ってます」
  留美は心が揺れていた。私服のジョエルは若々しい。精悍そのもの。兵士としての角刈りの金髪もよく似合う。
 「私たちは山賊よ、意思を継ぐより何より生きること。このマリンバの姿もそうですが褒められた生き方なんてしていない」
  ジョエルは笑い、ちょっとうなずく素振りをする。
 「それを言うなら我々こそだ」
 「みたいですね。よしましょう、こんなお話。今日は非番だとか?」
 「しばらくぶりで三日ほど。今日がその初日というわけで」

  ふいに留美は問い質す。
 「ストレスは?」
  ジョエルは、その言葉の真意を探る眸色で苦笑する。
 「たまりませんね。一族みんながHIGHLYだからどうにもならない」
 「奥様は? 恋人とか?」
  ジョエルは今度こそ笑って、そんなものはいないと言った。軍にいて、とてもそんな気にはなれないと。
  留美は微笑む。
 「でしたらジョエル」
 「はい?」
 「私たちの流儀で過ごしませんか。LOWERでもない野蛮な流儀で」
 「ですね、そうできたら夢のようだ」
  留美はうなずいて微笑むと、ジョエルの右手を取って男の太い腿の上に置く。
 「は?」
 「こうするんです」
  握り拳をつくらせて太い親指だけを上向きに立たせておく。
 「マリンバおいで」
 「はいボス」
  尻を向けていたマリンバは振り向いてそんな様子を察すると、それだけで留美の意思をくみとって、ジョエルの腿にまたがってくる。
  眉毛のほか毛のない奴隷。白いデルタに裂溝は浮き立って、すでにそこは濡れていて、ジョエルの立てた親指に膣口をあてがうと一気に腰を沈めて貫いてくる。
 「自分でおっぱい揉みなさい。もっと腰を入れてよがり狂うんです」
  白い尻っぺたを叩いてやる。尻肉がブルルと波紋を伝えて震えていた。
 「はいボス。あぁぁいい、感じますマスター、あぁン! 嬉しい、あぁン!」
  指は静止。なのにヌチャヌチャ濡れ音をからませて抜き差しされる太い指。豊かな乳房を自ら揉んで乳首をツネり、腰を激しく使ってマリンバ自身を追い詰めていく。
  ジョエルは慈愛に満ちた眸の色で狂乱する奴隷を見上げ、留美はそんなジョエルの腿に手をやって横顔を見つめていた。
  亮の姿を思い出す。ジョエルは似ていると留美は思う。それはあのときからそうだった。眸の輝きがそっくりだと思っていた。

  このときジョエルは、上司デトレフが言った『なかなかの器だよ、ルミって子は』という言葉の意味を確かめてみようと考えていた。