getsumen520

 ムーンロード(十八話)


  宇宙工学の権威である海老沢が設計を監修し、月面上で製作されたはじめての月面トラック、ムーンカーゴ。そのテストランを兼ねて、デトレフ、海老沢、そしてジョゼットの三人が乗り込んだ。
  月面都市では極点に近いところに原子力発電所が整備された都合上、東西よりもまずは北に延びてひろがりつつあった。原発の冷却システムに夜間マイナス170℃にもなる冷えを利用するため、発電所そのものをレールに載せて常に夜の側へと移動させなければならない。そのため移動距離が短くてすむ極点近くが都合がよく、そこからの送電であるために月面の横方向よりも極点を起点として縦につなげていったほうが効率がいいということだ。

  月の北極間際にある原発と月面都市を結ぶために同時に道が整備され、やがては月の裏側へとつなげようという計画。月の半周はおよそ五千五百キロ。これまでのような時速三十キロ程度しか出せない月面車ではおいそれと到達できる距離ではなかった。
  そこで考えられたのがムーンカーゴ。地球上の大型トラック程度のサイズがあるワンボックスカーと思えばいいが、道が整備されたこともあって時速四十キロほどまでスピードが上げられる。パワーユニットはソーラー発電による電力駆動であり、ボディが大きくなればその分ソーラーパネルの数が増やせて大型のバッテリーも搭載できる。月の昼の側にいる限りエンドレスに走り続けていられるものだし、夜の側に入っても二十四時間バッテリー駆動で動かせる。多くの資材の運搬ができれば都市の拡張もさらに進むことだろう。

  ムーンカーゴのコクピットは、ベンチシートで横に四人が乗れるように設計された。そのとき運転はデトレフ。間にジョゼットをはさんで海老沢が乗車した。整備された道筋はいま昼の側にあり、見渡す限りの土色の荒野がひろがる。道路ができたとは言え、月面都市から北へ向かう五分の一周分、およそ千数百キロにもおよぶ距離。地球上で言うなら砂利道に過ぎない道で行く。道を外れると岩石が転がって凹凸も激しく、やはり月面車に頼らなければならなくなる。
  しかしそれでも画期的な移動手段を手にできた。三人は嬉々としてフロントガラスに吸い込まれてくる月面の景色を見渡していたのだった。果てしなく続く死の世界がそこにはあった。
  デトレフが言う。
 「さっそく量産にかかりましょう。ドライブとまでは言えなくても、ないよりはずっといい。人員専用車でもあればバスツアーだ」
  もちろんジョーク。ジョークではあっても多少の解放にはなるだろうと海老沢もまた同感した。
  ジョゼットが言った。
 「見たって話が持ち込まれるわ。宇宙生命がいた。そのことに浮き立って錯覚を見てしまう。カフェに集まっては眸を輝かせて話してる」
  海老沢が応じた。
 「それもまた希望というものさ。皆がどれほど病んでいたかがよくわかる。精神力には限界があるからね。そういう意味でならムーンバスをつくってもいいかと思っているよ。道もさらに整備したいし、ともかくオフタイムが必要なんだ」

  小さな宇宙人の目撃証言。それは会ってみたいという思いが反射した幻覚。そんなものが実際にいるのなら監視カメラに写らないはずがないし、動くものが近づけばセンサーが感知する。いまのところそうした現実には出会えていない。
  ジョゼットは、昼間にもかかわらず黒い空に浮いている青い地球を見上げていた。球体の下半分が欠けた青い惑星。地球から見て月は動く。しかし月から見上げると地球は常に同じ位置に浮いていて、そういう意味でも変化がない。月が地球に対して同じ面を向けていて、地球を中心に公転しているからである。
 「いまでも同じ姿で存在するのか疑問だね。この百八十万年、人類は知性をもって進化した。同じ時間を彼らだって進化せずにはいられない。現存する生命なのか、それともすでに絶滅したのか。現存するなら会ってみたいものだよ」
  海老沢が言ったが、二人には声もなく、うなずきもしなかった。

  およそ百八十万年前のジャワ原人の時代。進化の空白として謎に満ちた時代を境に人類は知性をもって急速に進化した。ジャワ原人以前そして以後の化石は多く見つかり、なのになぜかその時代の化石だけが異常に少ない。エイリアンがやってきて知恵を授けたのがその時代だったとしたら。符合する何かがないとは言えなかったが、しかし・・。
 「地球に降り立ったエイリ・・」
  ジョゼットがエイリアンと言いかけたとき、運転席の無線のランプが青く点滅して着信を告げていた。
  軍船にいる部下からだった。
 「中佐、地球からです。周波数はかつてのルッツ氏のものですが、ルミという女性から急いでほしいと。いかがいたしましょう?」
  デトレフは留美という日本女性の存在を弟の意思を継ぐ女として二人に明かしていた。
 「わかった、つないでくれ」
 「了解しました、では」
  軍船で受けた無線をムーンカーゴに飛ばす。

 「お待たせしたね、デトレフです」
 「あ、はい。お仕事中ですか? いまお話しして大丈夫?」
 「かまわんよ、何があった?」
 「それが、どうにもわけがわからなくて」
 「うむ、それは?」
 「じつは今日、町外れにもう一軒ある私たちの仲間の家の奥側を開拓していて、不思議な化石を見つけたんです」
 「不思議な化石?」
  デトレフはとっさに二人へ視線を流した。
 「生き物の骨らしいんですが見たこともないものだから」
 「うんうん、それでどんな骨なんだね?」
 「身長で言うなら五十センチほど。全身骨格で小さな人間みたいな姿なんですが、手足の指というのか骨が二本ずつしかなくて体が細いの。頭蓋も骨盤も小さくて、そこからひょろりとした手足がのびていて。骨は黒くて石みたい」

  やはり出たと三人は思う。

 「それで皮膚などは? 着衣はどうなんだ?」
 「いいえ骨だけなの。ほぼ完全な姿で残ってる。目の穴が二つ、それに口みたいな小さな穴が縦に二つ並んでる。みんな宇宙人だって騒いでます。とにかく報告しておこうと思いまして。どうすればいいかもお訊きしたいし」
  デトレフは、目を見開いて聞いている二人にちょっとウインクしながら無線に向かった。
 「わかった、とりあえず内緒にしておいてくれないか。下手に言えばHIGHLYどもが押しかけてくるだろう。誰にも言わず厳重に保管しておいてくれたまえ。いずれ部下が訪ねて行くからそれまでは」
 「わかりました、じゃあそうします。お仕事中すみませんでした」
 「いやいや、かまわんよ。そちらはどう? 町は平和?」
 「ええ、それは。私たちがいるからか妙な動きはありませんね。相変わらずといったところでしょうか」
 「そうか、よかった。何かあればまた連絡してくれていいからね」
 「はい。お兄さんもお元気で」
  無線が切れ、デトレフは即座に軍船にいる部下へと無線を切り返す。

 「行くの?」
  相手が出るまでの間にジョゼットが問う言葉に、デトレフは黒い空に浮く地球をチラと見てうなずいた。
 「こちらデトレフ。帰還の件について宇宙ステーションをコールしてタイミングを質してくれないか」
 「では帰還するということですね?」
 「考えてみたがしかたがないだろう。我々の監視下で処理したい」
 「了解しました、ではさっそく」
  デトレフに一度地球に戻れないかという打診が来ていた。地球上の寒冷地に放置された累々たる死体の処理と、それよりも国連が没収した各国すべての核兵器の処理。死体のほうはともかくも核兵器についてはデトレフの部隊に専門家がいる。その打診をデトレフは行くまでもないだろうと断るつもりでいたのだったが、こうなると話は違う。
  ただそれは、いますぐ戻れということではなかった。海老沢が設計した超大型廃棄物運搬宇宙船がいままさに宇宙ステーションで建造中。帰還はそれからということであり、まだ三月ほど先のこととなる。月面の監視にあたらせる半数を残し、半数で帰還するということだ。

 「さて、せっかくのドライブだ。もう少し先まで行ってみよう」
  ハンドルを握って荒野を見渡すデトレフの横顔をうかがって、そうなればデトレフはそれきり戻らないのではないかとジョゼットは考えた。それは旅立っていく男に対して感じる共通した女心であっただろう。
 「やる気なんだね?」
  海老沢の観点はジョゼットとは違う。
 「かどうかはともかくとして、ただ捨ててしまうのはいかにも惜しい」
  核兵器を廃棄するための超大型宇宙船はもちろ無人でコンピュータによるフルオートコントロール。プログラムをいじってやれば行き先はどうにでもなるということで、それを密かに処理するためにはデトレフ自らが行かなければならなかった。

  LOWER社会の秩序はLOWER自らがつくる。もっともらしい理想だったが、留美はそれほど大それたことを考えてはいない。オーストラリア大陸の片隅で、しかもわずかな人数で、蠢いてみたところで何も変わらない。山賊というアイデンティティを貫き通す。ルッツのいた小さな町さえ平穏であればそれでよかった。
  治安維持部隊のヒューゴ。銃器それにガソリン、さまざまな情報と、ヒューゴのバックアップがなければ動きようがなく、山賊は山賊のままでいいと思っていた。
 「すでにルッツユニットと呼ぶ連中がいるそうだぜ」
  その日の午後、ルッツの店のカフェにヒューゴ。美しいマルグリットが気に入って、ちょくちょく顔を出しては油を売る。巡回中の時間つぶしといったところ。
  留美はちょっと苦笑した。
 「ルッツユニット(ルッツ部隊)ですか、笑っちゃうわよ」
  あのタイパンを葬った奴ら、それに人買いから女たちをかっさらう連中として口伝てにひろがっていたようだ。
 「私たちは山賊なのよ」
  苦笑しながら留美が言うと、ヒューゴは店に並んだカラフルな女物の服を見渡してほくそ笑む。
 「まっとうに働く山賊ねぇ・・ふふふ、まあいい、こんなちっぽけな町ひとつ平穏でもたいして変化はねえだろう。適当に暴れてくれたほうがHIGHLYとしては都合がいいからな」

  投獄された女たちがLOWER社会に堕とされて、しかしその先、人買いどもに下げ渡されていることなどHIGHLY社会では一切報じられてはいなかった。むしろそうした女たちが山賊どもにさらわれる。そっちを吹聴した方がLOWER社会を野蛮なものとしておけるということで。
 「今日のところは引き上げるぜ。おまえたちの働きで人買いどももよそへ行ってここらは平和だ」
 「治安維持部隊のお手柄ってわけ?」
 「まあそう嫌味を言うなって。治安維持など表向き。俺たちは暇なほうがいいってことよ」
  ヒューゴは美しいマルグリットに視線を流してちょっと笑う。マルグリットもちょっと微笑み、それだけのコミュニケーションでヒューゴは店を出て行った。
  そのとき時刻は夕刻前。春になって陽は長く、とりわけ今日は初夏のような陽気であった。
  治安維持部隊の迷彩ジープが店の前から消えて三十分ほどしたときだった。
  明らかに様子のよくない男が五人。どかどかとなだれ込んでくる。男たちは皆が黒人で、それぞれがバートにも並ぶ巨体。腰には拳銃を差していた。
  そのとき店にいたのは、キャリーとパナラット、カウンターの中に留美がいて、たまたま若いマットが裏から覗いた、そんなとき。
  男たちは一斉に拳銃を手にし、居合わせた皆に動くなと凄んでいる。

 「ルッツユニットもいいけどよ、それで困る奴らもいるってことよ。ボスは女だそうだが、どいつだ?」
  人買いども、それでもなければ盗賊どもに雇われた。そんなところだろうと留美は察した。
 「私だけど何の用?」
 「ほほう、黄色ちゃんの小娘かい? 笑えるぜ」
  ボス格の男が言って皆が嘲笑。男たちが銃を構えた。
 「なんなら嬲り殺してやってもいいんだぜ。治安維持部隊がお友だちのようだがよ、あんな連中にゃぁ何もできん。てめえらふざけるなよ、何様のつもりなんだ、山賊らしくしてりゃぁいいものを」
  まずい。バートそのほか男たちは、町外れの家の横に新しい家を建てている。
 銃声がすれば届く距離だが、走って戻っても間に合わない。
  屈強な男たちはにやりと笑った。
 「まあストリップで許してやらぁ。おいボス、てめえからだ、脱げ」
  マットが隙を見て動こうとしたのだが、拳銃の銃口が向けられる。
 「動くなと言ったはずだぜ。女どもがハチの巣にされてもいいのかい」
  暖かな店内にいた今日の留美はジーンズにレモンイエローのTシャツ姿。
 「わかったわ。その代わり手籠めにするなら私だけ」
 「ふんっ、上等な口をききやがる、ご立派なボスさんよ」
  留美はカウンターを出ながらTシャツに手をかけた。まくれ上がるシャツ。ピンクの花柄のブラが一際目立った。
  逆らえばさらにひどいことになる。マットはカウンターの裏に置かれたサブマシンガンを見ていたがどうすることもできないでいる。

  Tシャツを抜き取って、ブルージーンズのベルトに手をかけたときだった。

  オレンジ色のすさまじい閃光がガラス越しに店内に飛び込んで、男たちを次々に、絶叫さえさぜずに倒していく。
  はじめて見る、まさに光の弾丸。国連軍の最新装備であるプラズマガンの攻撃だった。プラズマとはつまり落雷。透き通ったガラスは光を通し、ガラスを割らずに中の標的だけを倒すことができるもの。倒れた男たちは感電して卒倒し一滴の血も流さない。
  愕然として、半裸のブラを両手に覆う留美。オートドアがするすると開いて、治安維持部隊とは明らかに装備の違う兵士たち四名が入ってくる。皆がそれぞれ茶色と灰色の迷彩バトルスーツを着込んでいる。
  兵士たちは皆が白人で逞しく、その先頭に五十歳前かと思われる長身で凜々しい軍人が立っていた。あの無線から三月半が過ぎていた。

 「間に合ってよかった。おいジョエル」
 「はい中佐?」
 「クズどもを引きずり出して処刑しろ」
 「はっ!」
  機敏に動く兵士たち。

  留美は、その男の精悍さに目を奪われた。背が高い。髭の剃り跡も男らしい。そしてルッツに似たやさしい面影。
 「デトレフです、留美ちゃんはいるのかな?」
 「はい私です、そんな、嘘みたい・・お兄さんなの?」
  デトレフは微笑んでうなずいた。
  若いマットも呆然としてしまい声もない。HIGHLY軍の装備の凄さを思い知る。古くさい銃器ではとても太刀打ちできないだろう。
  そしてルッツの店の前に横付けされた茶灰色の迷彩、飛行機を思わせる流線型の装甲車を見た男たちが、バートを先頭に何事かと駆け寄ってくるのだった。 国連正規軍などはじめて見る皆である。

  デトレフは、上半身半裸の留美に対してまっすぐ歩み寄り、恐ろしいほどの胸板にそっとくるむように抱き締めた。目眩がする。これがルッツのお兄さん?
  留美は言った。
 「みんなを集めて。ルッツのお兄さんよ、味方です」
  飛び込んで来たバート。ぞろぞろと男たち。皆が泥だらけ。正規軍の姿にバートでさえがのまれていた。デトレフチームはその中でも精鋭部隊。とてもおよばない兵士たち。
  そうしている間にも軍の処理は迅速で、賊の処刑を見届けた部下の一人が入って来る。
 「ジョエル君、こっちへ」
 「はっ」
  呼ばれた男がデトレフの横にまで踏み出して、その男もまた凜々しく若い。二十代の後半かと思われた。
  デトレフが言う。
 「ブリスベンに置く部下だよ、ジョエルと言って階級は少尉、フランス系だがイギリス人だった男でね、これから何かあれば彼に言いたまえ」
  留美はうなずく。あやうく涙になりそうだった。
 「それでお兄さん、今日はゆっくりできるのかしら?」
  デトレフは微笑んで首を横に振るのだった。
 「いや、せっかく会えたのにすまんが時間がないんだ。月に戻らなければならないのでね。そういう意味でもジョエルを頼ってほしい、私の右腕だ。さっそくで悪いんだが」
 「あ、はい、裏のガレージに」

  ガレージ。かつてそこには牝豚がつながれていたのだったが、いまでは片づけられてすっきりしている。太いH鋼の裏側に木箱が置かれ、留美が案内すると部下たちがしゃがみ込んで蓋を開ける。
  箱の中に毛布を織ってベッドをつくり、小さな化石は眠っていた。デトレフは一目見ると、ふぅぅとため息をついて言う。
 「間違いない。これと似たようなものが月面でも出たんだよ」
  皆が顔を見合わせて目を見開いた。デトレフが言う。
 「エイリアンだ、間違いない」
  おおっと男たちから声が上がり、女たちは手を取り合ってうなずき合った。
 「月のそれは解剖の最中ぼろぼろ崩れて砂になった。恐ろしく古いと思われる。おそらくは百八十万年以前のもの」
  皆は絶句。たいへんなものを見つけてしまった。
  コネッサが言った。
 「それからあたりを探しましたが、出たのはそれだけ」
 「うんうん、これだけで充分だよ、大変な発見だ。月へ運んで詳しく調べる」
  そしてそのとき、元は国連下部組織にいたマルグリットが口を開いた。
 「月面都市は順調なのですか?」
  デトレフは、場違いなイメージのある美しいマルグリットをチラと見て微笑んだ。
 「すでに数十万人が移住できる地下空間ができている。しかしまだはじまったばかりでね。スタッフ総勢およ五万、懸命にやってるよ。スペースができても付帯設備が追いつかないからね」
  この女は知っているとデトレフは察したのだが、突きつめようとはしなかった。
 「まあ何が起ころうと我々の世代には無関係なことだよ」
  七十年後の運命は事実であると言ったも同然。
  デトレフは部下に命じて木箱ごと化石を運び出し、裏にある弟の墓、それと最後に弟と話した地下の無線機をじっと見つめて去って行った。

  月への道は片道切符。この人は二度と地球には戻らない。直感として留美はそう感じていたのだった。