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 処断の重圧(十四話)


  M-13、つまり十三番目に月面に降りて埋められた超大型貨物宇宙船をそのまま居住区として用いた13号モジュールでの爆発事故の検証と、そのとき死んだ七十名にもおよぶ死体の処理を終えたという部下からの報告を毅然とした面色で受け、軍船を出たデトレフは、宇宙服のヘルメットのスモークガラス越しに青い地球を見上げながら奥歯を噛み締めていたのだった。
  月面都市の建設は順調に進んでいたのだがペースとしては遅れていた。さらに増員が進んで、いま月面におよそ四万人、うち四千人ほどが女性。計画当初はともかく、そうした人員のほとんどが志願して送られて来ている。物資と人員の輸送に用いられる超大型貨物宇宙船は、月面に降りるとすぐさま埋められて地下施設となるものであり、地球へ向かって飛び立てるのは、たった一隻の軍船のみ。地球へ戻る船がない。

  月面では宇宙服が裂けるだけで即座に死。居住空間は地下であり、地球にいるときのようにすがすがしい景色の中で背伸びをすることもできない。生命維持装置に頼る閉鎖的な生活で精神に異常をきたす者もいれば、地球へ戻せと暴力的になる者もいる。これは虐待だ。人道に反する。この地獄から抜け出たい。人々を扇動する者までが現れる始末。
  デトレフ中佐以下、百名の国連軍は、そうした反動分子を粛清するために送られている部隊。M-13を月の牢獄とする。月面にあってなお人を閉じ込めておく獄が必要となり、監視する者がいる。それがデトレフ。心が引き裂かれる痛みを伴う職務であった。

  そのM-13で謎の爆発事故が起きてしまった。月面上に向けて何か所か覗く半球形のガラスエリアが破壊され、投獄されていた全員が死亡。このとき空間管理システムが異常を感知して気密ハッチを閉じたことで他のモジュールへの被害はなかった。事故原因は謎。謎でなければならなかった。
  扇動する者を生かしてはおけない。発狂し何をしでかすか知れない者は除かなければならない。四万人の人員を守るため。デトレフはそうした落伍者を粛清しろと命じられた男である。

 「ちょっといいかな?」
 「もちろんよ、どうぞ」

  宇宙船を埋めた生存空間ではない、新たに完成した居住モジュールはMC=ムーンシティと名づけられ、その一号館であるMC1-L1がジョゼットの居室。Lはレディを意味している。
  そのときは眠る時刻となっていて、ジョゼットはソフトな紙でできたネグリジェの姿。下着も寝間着もすべてが紙の使い捨て。洗濯水を無駄にはできない。
  新たに完成した居住空間といっても部屋の広さは四畳半程度のもの。跳ね上げ式のシングルベッドは地球上でのシングルサイズまでに幅がひろがり、小さな丸テーブルと椅子が二脚、テレビ電話のモニタを兼ねる小さなテレビ、それに幅五十センチほどの申し訳程度のクローゼットがついている。

  ジョゼットは今日髪を切ったらしく、男のようなブロンドのショートヘヤー。しかしそれがまたよく似合い、知的な美を見せつけるようだった。
  ネグリジェ姿のジョゼットがベッドに座り、デトレフは小さな丸テーブルとセットにされた樹脂パイプの椅子に座った。シルバーメタリックトーンのスペーススーツの胸板に大胸筋が浮き立って逞しい。
 「ジュースあるわよ?」
 「いや、いまはいい、ありがとう」
  デトレフは話題を変えた。
 「弟の仇をとってくれたそうなんだが、その戦闘で亮というボスが死んだ。敵はタイパンと名乗り、そのボスはクイーンと呼ばれるHIGHLYの女だったそうだ」
 「HIGHLYの女?」
  ジョゼットの眸が曇る。
 「LOWER社会が落ち着いてきている。そっちが人間らしく暮らせそうだということで逃げ込むHIGHLY、WORKERが増えている」
 「なるほどね、LOWER社会を野蛮な世界にしておきたいってことかしら?」
 「そういうことだろうな。もはやなりふり構わずだよ。五十年後から逆算した秩序など暴力でしかない。しかし俺はHIGHLYの側にいる。たまらんよ助けてくれ」

  ジョゼットは察していた。M-13の事故は事故ではない。軍が動いたということだし、それを処断したのはデトレフなんだと。
  ジョゼットは言った。
 「だいぶ進んだけどまだまだよね。五百万規模からすると十パーセントもできてない。その間に亡くなったのはおよそ二百人。それに加えて七十人。狂気のプロジェクトなんですもの、やむを得ない犠牲だわ。月で秩序が乱れれば私たちは全滅する」
  デトレフは浅くうなずきながらチッとかすかに声を漏らして、そして言った。
 「タイパンのクイーンとやらと同じことをやってるよ」
 「違うわ、そうじゃない」
  小さな椅子に背を丸めるように座るデトレフに、ジョゼットは両手をひろげてベッドへ誘った。あの頃のシングルとは幅が違ってもデトレフは大きい。
  寄り添って横になり、ジョゼットは丸太のような腕枕。
 「治安維持部隊といっても要はレジスタンスの発生を食い止めるのが職務でね、向こうは西部劇だと留美は笑った」
 「それがボスの女だったんでしょ?」
 「若干二十六歳、日本人の娘さんだが、じつに気丈だ。人買いに下げ渡されたところを亮たちグループに救われて、しかし当初は性奴隷の扱いだった」
 「西部劇か。なんだか原点て感じがするわね」
 「まったくだ、まさに人の原点だよ。ところがその性奴隷の潔さに皆が打ちのめされていく。いまではボスだそうだ。『ボスの女』と『女のボス』ではまるで違うと言っていたがね」
 「それで? 捕らえたクイーンは処刑?」
 「いいや、そこがまた留美らしい判断でね。四十歳ほどの美しい白人なんだそうだが、その髪も体毛も眉毛まですべてを奪って性奴隷。拷問とレイプ。泣き叫んでいるそうだよ」
 「それでも殺さないと?」
 「そうしたいと言っていた。極限の中で人間らしい心がきっと生まれると言っていた。生涯奴隷、しかし奴隷はいつか可愛いペットになれるはずだと」

  ジョゼットは言う。
 「似てる。早苗そっくり」
 「そうだね、俺もそう思うよ。日本人の特質なのか悲劇の中でも笑うことを諦めない。二十六歳の小娘に頭が下がる思いがする。弟の奴はいい連中と出会ったものだと思ってね」
  タイパンのクイーンを捕らえてから三日ほどが過ぎた、月の地下の密室で、ジョゼットはデトレフのスペーススーツを剥ぎ取って、強い裸身に口づけた。
  バランスのいい筋肉の束にまたがって勃起を自ら埋めていく。
 「あぁぁデトレフ、感じるわ、あぁぁン」
 「綺麗だよジョゼット」
 「ンふ・・おぉう、デトレフ・・」

 「むおおう! ひぃぃ! もう嫌ぁぁ、助けて、狂っちゃうーっ!」
  乳白の牝豚の肌には凄惨な傷跡が浮き立っていた。美しい金髪も、金色の陰毛も、眉毛さえない白い肉豚。豊かな乳房にも、白桃のような尻にも、肉付きがよくてぶるぶる震えていた白い腿も幾分痩せて引き締まり、板やベルトや小枝で打たれた血のスジが幾重にも重なって、体を洗ってももらえずに、高貴な女は異臭を放つ無様な人豚へと降格した。
  この三日、与えられたのは水だけ。極限の空腹、極限の拷問と極限の快楽。牝豚はもはや正常な思考など吹き飛んだ性奴隷となり果てていたのだった。
  性器から垂れ流す精液と愛液と血が股間から下にバリバリの膜となって剥がれ落ち、さらに濡れて廃液のようにまつわりつく。
  血の涙とはこのこと。留美は、女たちに鞭打たれ男たちに犯され抜いて狂い吼える牝豚を見つめていた。

  アニタはこうして殺されたんだ。そう思うと怒りは失せない。
  後ろ手に縛り上げ、その手を引き上げて吊すと体が前のめりになって尻を突き出す姿となる。バートの大きな尻が傷だらけの白い牝尻に衝突し、背抱きに回した黒く太い指が、豊かな乳房の先の二つの乳首をヒネリ上げる。
 「ぐあぁーっ、ちぎれますーっ! もう嫌ぁぁーっ! どうか許してどうかぁーっ!」
 「やかましい! もっと尻を振らんかぁ!」
  乳房を揉み潰すバートの手。乳首をさらにひねられて円錐に引き伸ばされる無惨な乳房。牝豚はシャシャと間欠して失禁し、白目を剥いて崩れていくが、バートの怪力がそれを許さない。
 「ほうら、まだまだ!」
 「ぎゃわぁぁーっ! ああ死ぬぅーっ!」
 「いいのか! 死ぬほどいいのか!」
 「はいぃ、ああイクぅーっ! またイクぅーっ! ぐわぁぁーっ!」

  よがり狂う牝豚。女たちが歓声をあげて笑う。男たちが罵り笑う。
  バートが果てて、梁からの吊り縄が解かれると、牝豚は後ろ手に縛られたままガレージのコンクリートフロアに崩れ落ちた。乳房を揺らして胸を開いて呼吸する。しかしそれは虫の息。断末魔の一瞬手前の生存だった。
  留美は傍らにいるコネッサに目配せし、コネッサは昼食の残飯を赤いプラのボウルに詰めたものをフロアに置いた。もはや生ゴミ。
  留美は言った。
 「餌だよ餌、喰わないなら捨てるだけ」
  瀕死の牝豚はどろんと溶けた眸を向けて、死に損ないのイモ虫のように這いずって、覗き込む顎でボウルを倒してしまい、砂だらけの床に流れ出した残飯に向かって死に物狂いで口を開けた。
  留美は言う。
 「死にたいのに喰うのか?」
  牝豚は毛のない頭を横に振って涙を流した。
 「どうかどうか助けてください、おなかが空いて・・どうかお願いします、助けてください」
 「生きるのか? 生きたところで奴隷なんだよ。それでも生きるか?」
  牝豚は泣きながら幾度もうなずき、散らかった残飯に食らいつく。
  留美は浅くため息をつくと、嘲笑して見つめているコネッサに言った。
 「今日はもういい、死んでしまう。体を洗ってやって何か着るものを。これじゃ凍えちゃうよ」
 「そうだね、冬じゃなければ裸なんだが、殺しちまっちゃ楽しめない。けど許したりはしないからね」
  留美は微笑んでコネッサの肩に手を置いて椅子を離れた。

  そしてルッツの店を覗いてみると、そのときキャリーがおばさん二人の相手をしていて、若いマットが棚に商品を並べていた。丸いテーブルを二つ並べたカフェスペースはマルグリットの担当だったが、そのテーブルの一つに茶色の迷彩服を着たヒューゴが来ていて、みすぼらしい姿の小柄な娘を連れている。
  店の奥から顔を覗かせた留美にマルグリットが言った。
 「ああボス、いま呼びに行こうかと思ったところなんですけど」
  それでテーブルを見るとヒューゴの席に飲み物が出ていない。ちょうどいま着いたばかり。ガラス越しの店の前に茶色の迷彩を施した装甲ジープが停められてあった。
  美しいマルグリットがボスと呼んだ。あえてそう言ったのだったが、ヒューゴは眸を丸くする。
 「君がボスか?」
 「留美です。そういうことにされちゃった」
 「そうか留美か。亮からちらっと聞かされたが、うむ君か」
  ヒューゴとは初対面。シロクマのような男だったが、さて一緒の娘は何者?
  東洋系の少女といった感じだった。
 「マルグリット、私にも珈琲を」
 「はい、ボス」
 「ちょっとやめてよ、それ。意地悪なんだから、どいつもこいつも」
  これには店にいた皆が笑う。町の者たちにも跡目を継いだ女として知られていたからだ。

  このとき留美はブルージーンズに薄手のモヘヤのセーターだった。ヒューゴの正面に座ると、ヒューゴが言った。
 「亮のこと残念だったぜ、いいダチだったんだが」
  無責任に何を言うかとは思ったもののヒューゴにも立場があってやむを得ず。ここで何かを言ってもしかたがないと留美は思った。
 「それで、その子は?」
  ヒューゴは大袈裟に両手をひろげて眉を上げ、首を傾げる素振りをする。
 「拾ったのさ。ここへの途中、ふらふら歩いてやがったんだ。呼び止めたら逃げようとしやがって、とっ捕まえて連れてきた。名はジョアン」
 「ジョアン?」
  と言って娘を見ると、娘はちょっとうなずいて小声で言う。
 「フィリピンでした」
  同じ東洋系の女に出会って安心したのかも知れなかった。
  ジョアンはジーンズに黒の革ジャン姿だったのだが、全身古着といったイメージで、まるですっぴん。眸の丸い童顔の娘であった。
  そのときマルグリットが珈琲を三つ置いて去る。

  さっそくカップに大きな手をのばしながら、ヒューゴが言った。
 「皆目わからんのだ、歳は十九と言うだけで何を訊いてもダンマリなのでね。まあ知れてら。行くあてもねえんだろうぜ。そいで俺が、レイプ三昧を覚悟するならいいところを知ってるぜって言うとよ」
  留美が苦笑してそっぽを向いた。
 「レイプ三昧はよかったわ、確かにそうだけど」
  ヒューゴはにやりと笑って言う。
 「それでもいいから、二日ほど喰ってねえって言うもんで」
  留美は即座にマルグリットを振り向いて何か食べるものをと言った。カフェは試しの開店で、まだ食べ物はメニューになく、トーストぐらいしかできないのだったが。
  ヒューゴが言った。
 「例によって自動小銃と弾、それにファイティングナイフを置いていくぜ。近々また人買いどもがやってくるから教えてやらあ」
  乳児との交換があるということだ。
  そしてヒューゴは席を立つ。座っていると真上を見上げるほどヒューゴは大きい。しかし笑顔が子供っぽい。
 「ルッツに続いて亮までも。やってらんねえ、ダチがどんどんいなくなる。じゃあなボスさんよ」
  留美はちょっと小首を傾げて見送った。

  厚切りトースト二枚に目玉焼き。ジョアンはガツガツ食らいつく。
 「置いてくれるんですか?」
 「何でもする?」
 「何でもします。ママが殺されて彷徨ってました」
 「いつ頃の話?」
 「もう半年。体でお金をつくって食いつないだ。盗みもしたし」
 「ここにいたって似たようなもんだけどね」
 「聞きました山賊だって。山賊だけどまともな連中だって。助けてボス、どんなことでもしますから」
  暗澹たる気分になってくる。山賊野盗のたぐいがそこらじゅうにいて、若い娘をかっさらっては売り飛ばす。

  それでそのとき、留美がふと眸をやると若いマットがチラチラ見ていて気にしている。助けてやってよボス、可愛いじゃん・・そう顔に書いてある。
 「マット、おいで」
 「はいボス。へへへ」
 「へへへじゃない、しゃんとなさい」
  歩み寄ったマットは横からジョアンを覗き込む。ジョアンは童顔で愛らしい娘だったのだが、いかんせん汚いし臭かった。あのときのアニタそっくり。
  留美は言う。
 「こいつはマットさ、いちばん若い子だよ」
  ジョアンはこくりと頭を下げて、ちょっとはにかむ。マットにちょうどいいと留美は思った。
 「わかったよ。店にあるものでいいから下着から何もかもを選ぶがいいわ」
  それからマットに言う。
 「面倒をみてやりな。シャワーさせてさっぱりね」
 「へい! なんなら洗ってやりますけれど」
 「勝手にせい。 ったくもう、どいつもこいつも・・」
  マルグリットもキャリーも、たまたまた居合わせたおばさんまでも、そしてそれよりジョアン本人が笑っている。

  とりあえず下着と服を選ばせて、ジョアンとマットが寄り添うように奥へと消え、たまたま居合わせたおばさんの一人、マリーと言う名の黒人の女だったのだが、
マリーが言った。
 「ここの連中がそこらを開拓しはじめて、あたしらみんなで言ってたんだ。これできっといい町になるよってね。近代的な原始人の暮らしだよ。でもそれにしたって歓迎なんだよ町の者は。よろしくねボス」
 「おばさんまでよしてください、もうっ」
  おばさん二人が顔を見合わせてケタケタ笑った。
 「どうしてどうして立派なボスだよ。これもみんなルッツのおかげさ。寂しいねぇ、これでルッツとアニタがいてくりゃぁさ」
  涙ぐむマリー。
  留美はこれでいいと思うしかなかった。
  おばさん二人が買い物をすませて出て行って、そんな姿を見送りながらキャリーが言った。
 「下げ渡しみたいだね。どうするつもり?」
 「亮ならどうするか。行くよ。人買いどもは許せない」
  マルグリットは言った。
 「クイーンはどうなった?」
  留美は振り向いてちょっと笑った。
 「残飯にむしゃぶりついた。助けてくださいって言ったわよ。だけどまだまだ。皆がもういいと思うまでは地獄でしょうね」

 「ちぇっ、やさしいんだよボスは」
  と苦笑しながらコネッサがやってくる。
 「バケツの湯で洗ってやって服を着せたらおんおん泣いてた。わかるんだ、ヤツだって命じられてやったこと。わかるんだけど許せない。あたしは自分が嫌になるよ、なんてひどい女だろうと、泣きたくなるのはこっちでね」
  留美は言った。
 「それでいいんじゃない。地獄はまだまだ。生きるなら服従あるのみ。奴隷として生きていく。それが悦びに変わるまでは私だって許せない」
  マルグリットもキャリーも、手元を見たまま視線を合わせず、小さくうなずいていたのだった。