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暴かれる生殖(十一話)


  それからほどなく異星人の死体を軍船の医務室に置いたまま女医である早苗の手によって死体の解剖がはじまっていた。過酷な月面の環境から人が生存できる温度と湿気と酸素のある世界へ持ち込まれ、異星人の女性の姿は崩壊をはじめていた。腐敗ではない、まさに崩壊。分子レベルの結びつきさえ壊れてしまう、いかに古いものであるかがそれでわかる。小さな体が砂のように崩れていくのだ。器具を持つ早苗の手が速くなる。

 「目が二つ、耳が二つ、鼻孔は一つしかありませんね。口は極端に小さくて歯というものがほとんどない。胸を開けると肺が一つ、心臓が一つ、それから胃がなくて、腸らしきものはあっても肛門もないようです。吐き戻して排泄していたと思われますが、どうなんでしょうね」
  皆が固唾を飲んで見守っている。聞いたこともない生命種の特徴が次々に暴かれていく。
 「骨格は人に似ていますが、手足の指は二本ずつ。生殖器は卵巣らしきものが一つあって子宮がありません。この生物は卵で子孫を残すようです」
  と、そう話している間にも肉体は崩れていった。
 「DNA採取は不可能かと思われます。恐ろしく古いものだわ。やってはみますがDNAは破壊されていると考えるべきでしょう。それからこれは、うーん、左右の手の指の一本だけが針のように鋭くなっていて。理由はわかりません。あるいは獲物をとるときの武器になるとか。毒腺なのかも知れませんが。ああダメだわ崩れていく。こんな死体は見たことない、まるで腐って乾いた紙みたい。ぼろぼろ崩れていくんです」
  デトレフと居合わせた数人の兵士たち、そして海老沢とジョゼットが手に汗握る思いで見つめていたが、解剖がはじまって一時間としないうちに異星人の女性は骨だけの姿となり、その骨さえも月の土に還るように崩れていく。

  医務室の処置台の上で砂と化し、人類がはじめて出会った異星人は姿を消した。白衣を着た早苗はへなへなと椅子に腰掛けて、変わり果てた死の砂を見つめていた。
 「まさに召されていったんだ」
  と海老沢が言い、デトレフとジョゼットが目を合わせて声もない。
  早苗が言った。
 「骨格はともかく、あえて地球上の生命とくらべるならトカゲに似ていると感じましたね」
 「トカゲ? つまり爬虫類?」
  デトレフに問われて早苗はなおも言う。
 「断定なんてできませんが、肺呼吸のできる生物であり、体のサイズからしてもかなり俊敏に動けるものと感じました。骨盤それに脚の骨がしっかりしていて相応の筋肉がついていたと思われるからです。口が小さく歯がほとんどない。これは推測ですが、針のように鋭い手の指から消化毒を打ち込んで獲物を溶かして体液を吸う。そう考えると辻褄が合いますからね。養分だけを吸い取って液体を吐き出して捨てると考えると肛門は必要ない。爬虫類、あるいはまた、そうですね、鳥のようなものかも知れない。様々な生き物の特性を備えていて、だからどうだとは言えないんです。わからないとしか言いようがありません」
 「古いものだろうね」
  海老沢に問われて早苗は言う。
 「数千年、数万年、もっとかも。分子レベルで分解する死体なんてはじめてですから。生きた姿を見てみたい。日本には河童という想像上の生き物がいますが、それにも似ていると思ってしまう。ダメだわ、私いま混乱しちゃってる」 
  深いため息とともに早苗は肩を落としていた。

 「なるほどね、言われてみれば河童のような気がしないでもない。まあ、茫然自失とはこのことだよ。宇宙人は確かにいた。事実はそれだけ」
  海老沢にぽんぽんと肩を叩かれて早苗はようやく顔を上げてちょっと笑った。
  椅子を立った早苗は軍船にもある半球形のガラスエリアから、漆黒の闇に浮く青い惑星を見上げていた。ジョゼットが歩み寄って肩を抱く。
 「考え方が変わるよね、人類を超えた英知を誇るトカゲがいる。それは鳥かも知れないなんて考えると」
 「ほんとよ、まさにそうだわ。人間なんて宇宙のすみっこで蠢くだけの下等な哺乳類、そんな気がする。宇宙は無限なんだって思っちゃった」
  デトレフは言う。
 「希望でもあるがね。人類と同じように旅をする生命体がいたということ」
 「報告するの地球に?」
 「いいや、やめておこう。それで何かがはじまるなら話は別だが、左脳を相手に面倒なことになるだけだ」
  そしてそのとき、ジョゼットが海老沢を手招きし、宇宙を眺める二人からは距離を置いて小声で言った。ルッツの死。
 「・・殺された?」
 「無線を入れたら偶然お友だちがいたんですって。町の人たちがお墓をつくってくれたって」
  海老沢は早苗を後ろ抱きにするデトレフへと眸をやったが、声をかけるにしのびなかった。

 「卵で産まれる知的生命か」
 「だけどそれってどうなのかしらね。そうできたらどれほどいいかと考える妊婦は多いでしょうけど、母性はそうして芽生えるものよ。私は思うの、あの生き物は冷酷で恐ろしいエイリアンじゃないかって。親のぬくもりを知らずに育つ」
 「そうかも知れないが、さて、ではなぜ月を捨てたのかだよ。目の前に地球というオアシスがあるというのに。おそらく地球へも降り立ったはずだろう。その頃の人類は猿同然。知恵を授けておきながら、なのにどうして去っていったか」
  ムーンカフェ。近頃ではジョゼットカフェと呼ぶ者たちもいる。軍船から一足先に引き上げた海老沢とジョゼットがカウンターに並んで座って語り合う。
  ジョゼットは言う。
 「あるいはよ、仮定の話ですけどね」
 「うむ?」
 「あの生き物はペットだった」
  海老沢はちょっとうなずき眉を上げた。
 「なるほどね、そう考えてもスジは通るが、そうなると遺跡のサイズが小さすぎる」
 「ペットたちを繁殖させるためのものだったとは考えられない? センターモジュールはそれなりのサイズがあるんだし」
  それほどの科学力があるなら地球との行き来は簡単だったはず。地球上では何らかの障害があって繁殖できない。トカゲの卵を隔離して育てるようなものだったとは考えられないかというものだが、仮定の話でいいならどうにでも組み立てられる。
 「刑務所だったりして。月面への島流しのようなものさ」
 「面白いわね、想像は無限だわ。他にも見つかるといいけれど」
  海老沢は笑って首を振る。
 「月面車以外に移動手段がないとすれば月は地球よりも大きいよ。生きた彼らと出会えるかも知れないしね。燃料の制約さえなければロケットカーでもつくってやるのに」

  ちょっとおどけて言った海老沢に対し、ジョゼットは「わぉ」と眉を上げて笑い、海老沢の腕に腕をからめた。
  と、そう話しているところへ、白衣を脱いでシルバーメタリックのスペーススーツの姿で女医の早苗が入って来る。すっかりカフェのママにされてしまったジョゼットは席を離れてカウンターの中へとまわりこんだ。
 「珈琲飲みたい」
 「はいはい、お疲れね」
  そのときの早苗の表情が妙に淡々としているとジョゼットは感じていた。
  ジョゼットは言う。
 「ねえ早苗、デトレフに聞いた?」
  早苗は眸でうなずいた。
 「ちょっとね。後で話そうって部下たちと出て行った。それもあって考えちゃうのよ」
  珈琲をつくりながらジョゼットはさりげなく早苗を見ている。海老沢はそんなジョゼットの視線を察して、なぜだか少し眸をそらせた。
  早苗は唐突と言いだした。
 「種の存続って何かしらね。それまで当然のように思い描いていたことが、さっきのルナ生命の・・あ、私が勝手にルナ生命と呼ぶことにしたんですけど、エイリアンの死体を見ていて考えちゃった。人の死は個人の死であって種の死ではない。生命は皆、種をつなぐために生まれてくるでしょ。女はたくさんいても皆が避妊薬を飲んでるなんて状態は間違ってる。私は医師なのになんてひどい女なのって思ってしまうし、じゃあ種の存続って何なのかしらって考えちゃうのよ」

  早苗はさらに言った。
 「つきつめるとそれは遺伝子を残すことよ。そしてそう考えたとき、ちょっと恐ろしい構図が浮かんじゃったの」
  横に座る海老沢が問うた。
 「どういうことだね?」
 「ルナ生命は月を捨てて去ったんじゃない。と言って地球で密かに生きてるわけでもないだろう。遺伝子さえ残せれば宇宙を旅した意味はある」
  どういうことか。海老沢もジョゼットも小首を傾げて眸を見合わせた。
 「ふふふ、面白いでしょう医者って。でも論理的にはそうなのよ。ルナ生命は人がまだ猿だった時代にやってきた。知っての通りで人の進化には疑問が残る。猿から類人猿に進化して、やがて文明が生まれるわけだけど、ルナ生命ほどの英知があるなら、猿もしくは類人猿を捕まえて自らのDNAを組み込むこともできるんじゃないかしらって。人類でさえ遺伝子操作ができるんだもん」
  ちょっと笑って眸を上げた早苗に、ジョゼットは言った。
 「彼らはすでに使命を果たした・・地球人の体に潜り込んで生きているってことよね?」
 「そういうこと。もちろんそれは受胎とかという意味ではなくて、もっとミクロな世界で人類に同化した。それによって人は進化し、自分たちの分身だからこそルナ生命は文明を授けたの」

  それはあると二人は感じた。種の存続よりもさらにミクロな世界で遺伝子をつないでいく。種として滅びても遺伝子さえ残るのならば絶滅とは言えないし、自分とは違う生命種を乗っ取ったと言えなくもないのである。
  早苗は言う。
 「そのときルナ生命は何らかの理由で絶滅は避けられないと考えた。個体数が減りすぎてしまったのかも知れないし、何らかの理由で地球にはなじめなかったのかも知れない。そこで地球という惑星にいた猿どもに自身のDNAを手渡して進化を劇的なものにした。つまりね、いまの人類の相当数がルナ生命の子孫であるってことなんです。DNAをコピーするだけではクローンが生まれるだけ。それでは地球環境に順応できない。そこでDNAから自身のもっとも自身らしいところを抽出して地球の猿どもに植えつけた」
 「知性よね?」
  ジョゼットの言葉に早苗は今度こそ深くうなずいた。

  このとき海老沢は、であるならおよそ百八十万年前のジャワ原人の時代から二十万年前にネアンデルタール人へと進化する過程のどこかと考えて、過去にもほどがあると感じたのだが、宇宙のその時間など一瞬にすぎないと思い直していた。
  早苗は言った。
 「途方もない過去の死体を解剖した。そのことに感動してるのよ。生きていれば体重およそ数キログラム。まさにリトルゴッドだわ」
  夢見るような早苗の眼差しは美しかった。確かに人類にとっては小さな神。ルナという女神の名がふさわしいと海老沢でさえがそう思う。
  カウンターに置いた早苗の珈琲。そのソーサの上でスプーンがカタカタ音を立てて震えたのはそのときだった。
  月震。月の地震である。月の地殻もまた動いている。昼と夜の280℃にもおよぶ温度差と、さらには地球と太陽の潮汐力によって地殻が歪む。小さな隕石が引き起こす地震もある。大気がないから燃え尽きずに地表に落下するからだ。
 「ルナたちがこの地底に生きていると思いたいね。親父はよく言っていた。異星人は地球を訪れ、どこかで密かに生きている。恥ずかしがって月の裏側に隠れてるかも知れないよって冗談混じりに言ってたものだ。夢ばかりを追いかけた人だった」
  海老沢のそんな言葉に早苗は微笑み、揺れが静まって動かない珈琲スプーンを見つめていた。

 「光り輝く裸身を晒して恥ずかしがって闇に隠れる。だけどすぐまた抑えきれなくなって裸身を晒す。月を見て、よくそんなことを考えたものだった、思春期の頃だったけどね。ルナは女神よ。せつないまでの女の姿なんだなぁって」
  留美と二人で岩に座り、肩の欠けた月を見上げて、そのときマルグリットは夢見るように言うのだった。
 「女にとってHIGHLYやLOWERや、そんなものは人生を決めるものじゃなかったって痛感したわ。こんな時代に子供なんてほしくない。できない体にしてしまったけど、だけどじつは寂しかった。何のためのセックスなのって思ったし、そう思うとますます意固地になっていく。男なんて何よ、ケダモノじゃない、そんなふうに言い聞かせていたんだもん」
 「オナニーしたでしょ?」
 「したわ。いまの月の話じゃないけれど、どれほど隠そうとしたって、すぐにまた体が悲鳴を上げてくる。どうして可愛がってくれないの、ねえマルグリット? 私はあなたのボディなのよってアソコが濡れるの。追い詰められて逃げ場をなくして、そしたらそこに野蛮な牡の群れがいて、アソコもアナルも壊れるかと思うほど犯され抜かれた。ああ私は死んだんだわって思う私がいる反面、これでやっと牝になれたと感じる私もいる。どうしてもっと早く・・ふふふ、私もじつは牝だったってことなのよ」
 「いまは不幸?」
 「ううん、不思議な幸せを感じてる。うまく言えないけどね」

 「あそこにも」
  とマルグリットは輝く月を白く細い指で指差した。
 「月にいるのはHIGHLYばかり。そんな中に仲がよかった友だちがいるんです。ビアンカと言って、それは綺麗な女の子ですけどね」
 「うん、それで?」
 「いま月にいるのは四万人弱なんですけれど」
 「そんなにいるの? いま月に?」
  早苗は眸を丸くする。
 「月面都市の建設が進んでて人が足りない。まだまだ増えていくでしょうけど、その九割ほどが男性なんです。作業するのは宇宙服だし戻れば地下で密室暮らし。地球へちょっと戻るわけにはいかない。皆が月で死ぬことを覚悟して、それでも志願して送られてる。それでね、ずいぶん前のことですけど皆の気が立ってきて危うくなる時期があったそうなのよ」
 「それはそうでしょ、狂っちゃうもんね」
 「苦しい、寂しい、ぬくもりがほしい。どれほどの大義があっても、それが人というものよ。それでそのとき雪村さんて日本人の女医が提案したそうなのよ。すべての女性に避妊薬を与えてセックスしようって。その女医さん言ったそうよ。私だって抱かれたい、せめて抱かれて夢を見たいって」
 「それで女の人たち賛同した?」
 「ほとんどがイエスだったって。求められれば拒まない。それっていまの私たちと同じこと。向こうではそうなんだと思ったものだし、ちょうどそんなとき私は逃げて捕まった」

  留美とマルグリットのシルエットが重なった。女同士の深いキス。互いに下着に手を入れあった。
  そしてちょうどそんなとき歩み寄る男たちの影がある。
 「来いマルグリット」
 「うん、可愛がってね」
 「たっぷりな。ひひひ」
  男たちの中にはバートもいて、マルグリットを連れ去ろうとしたのだったが、留美は手を引いてバートだけを引き留めた。
 「ボスだけの女でいたくない」
  それは亮が皆に言うことだった。留美もまた共有される女なんだと。
  黒い巨体のバートにもたれかかって留美は月を見ていた。いまごろきっと多くの女たちが喘いでいる。そう思うとなぜか心が浮き立ってくる留美だった。
  バートはぼそりと言った。
 「信じらんねえよ」
 「ほんとよね。だけど選ばれて誇りに思い、乗り込んでみたら凍結精子で強制受胎よ。誰の子とも知れない子孫をつないでいく。そうまでして人類は存在しなければならないものかって考えてしまうのよ。私は嫌だわ」
  バートは強い手で留美を抱き寄せ、ちょっと笑った。
 「関係ねえな俺にはよ」
 「私だってそうじゃない、知ったこっちゃありません。ふふふ抱いてバート」

  留美の羞恥を思いやるように、そのとき月は雲に隠れた。