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ルッツの店(六話)


  翌日も空は晴れ渡って暑かった。オーストラリア大陸の内陸部は、ほぼ乾いた土地であると言ってもよかっただろう。洞穴の棲み家から森を抜けて内陸部へと少し走ると、見渡す限りの土と岩、わずかに緑が散らばる大平原に出るのだったが、クルマはそちらには向かわずに森林地帯に沿ってのびる舗装された道を北上した。近くにも町らしきものはあるのだったが、そこはとりわけ物騒で若い女を積んでいると襲われかねないというのである。

  軍に捨てられたオープンタイプのジープに男が二人。そしてもう一台、こちらは屋根のある、これもまた軍用車であったのだが、スチールネットの嵌まった窓には黒いフィルムも貼られてあって中が見えなくされている。左ハンドルで運転するのは亮。右の助手席にバートが乗り、後席には留美とキャリー、それにホルヘが乗り込んでいた。暮らしに必要なものは不定期に買いに出る。山賊暮らしには自由があった。
 「ほらよ見えてきたぜ、ここらじゃまともな町なんだ」
  そうホルヘに言われ、キャリーは、ホルヘが握る軍用ライフルへとチラと目をやり、サングラス越しに見る景色のようなブラックトーンの外を見る。

  LOWERばかりが暮らす町。しかし決してスラムのようなものではない。もともとあった町であり十年ほど前に住人だけが入れ替わっただけなのだが、強制されて移住した者たちがほとんどだから土地への愛着なんてないに等しい。そこらじゅうにゴミがまき散らされて放置され散乱する生ゴミに野ネズミが群がっている。
 「おいキャリー、あれを見ろ」
  ホルヘの指差す先を見ると、粗末な服を着たまだ若いと思われる男が道ばたに倒れている。
 「死体だ。ネズミどもが群がってないからまだ新しい。ここはそれでもましな方でな、よそへ行きゃあ素っ裸の女の死体が転がってるぜ。襲われて犯されて殺される。若い女どもは決して一人じゃ出歩かねえ」
  キャリーは眉を寄せて目を反らした。
 「よっく見ておけ、逃げたらああなるってことよ。無法地帯だと思えばいい」
  キャリーは応えず、そのとき隣りにいた留美が手を握ってやっている。留美もキャリーも借り物のワンピース。二人が着るものを買うこともあってやってきた。
  
  ほどなく一軒の店の前でクルマは停まった。二台のクルマから男たちがそれぞれライフルを手にして降り立った。
  ルッツの店。
  四角い板にペンキで手書きした看板が軒先に釘で打ちつけられてある。
  女二人は男たちに守られながら店へと入る。オートドア。LOWER居住区であっても町にはもちろん電気が来ていて上下水道も完備する。あたりまえだった社会から住人だけが入れ替わった様相だ。
  ルッツの店は、もともとは洋装店であったらしく、それなりに綺麗で広い店だったのだが、男の服、女の服、野菜や缶詰などの食べ物から煙草までが無秩序に並ぶ乱雑な雰囲気だった。
  店の主は名をルッツと言って、バートよりは少し背が低かったものの、それでも190センチに近く、隆々としたヘラクレスのような男。銀髪のロングヘヤーも伸ばしっ放しといった感じ。髪の毛と顎髭の区別もつかない目つきの鋭い白人だった。

 「よぉよぉ亮じゃねえか。じきじきにとはめずらしいな」
  英語を話す。にやりと笑われ亮はちょっと苦笑した。
 「よせやい、俺なんぞ何様でもないんだよ、久しぶりだな」
 「おぅ」
  そう言いながら店主は見慣れない女二人に目をやった。
 「かっさらったか?」
 「まあな、人買いだ」
 「うむ、クソ野郎どもが。そいで? そいつらに服をってことかい?」
 「他にもあるさ、弾がねえ。で、ルッツよ」
 「お?」
 「こっちが留美、めずらしくも日本人だ。そっちがキャリー、元はHIGHLYでな、浮気した彼氏をぶっ殺してとっ捕まったらしい」
  それから亮は二人に言った。
 「ルッツだよ。見てくれは野獣だがいい奴だぜ」
  留美は微笑んで会釈したが、キャリーはにこりともせずにちょっと頭を動かした程度だった。人買いから救われたといっても若い女の扱いなどは知れている。キャリーはそれで怖いのだろうとルッツは察した。
  ルッツは女たちに言う。
 「そのへんにあるから選ぶんだな。下着もあるしよ」
  留美がキャリーの腕を取ってカラフルな服が提げられたポールハンガーの陰へと連れて行く。男たちもてんでに散って欲しいものを物色しだす。
  そのとき亮は女の服が掛けられるポールハンガーの前に置かれた来客用のテーブルについて座り込む。その気配を察した留美が小声でキャリーに言う。
 「ごらんよ、目隠しになってくれてる。フィッティングルームなんてないんだから。やさしいと思わない?」
 「うん、それはそうかも」
  獣のようにわめき散らして犯され抜いた記憶はあまりにも生々しく、それでキャリーはよそよそしい。

  亮は言う。
 「コーヒーあるかい?」
 「おぅ、あるぜ」
  インスタントコーヒー。ひとつだけつくってテーブルに歩み寄るルッツ。コーヒーを置くと、白いスチールチェアを引いてどっかと座った。
  亮が言う。
 「で、近頃どうよ?」
 「ふんっ、どうもこうも、物騒でいけえねや」
 「たまらんな」
 「ここで暮らすんなら頭ん中身をいっぺん捨てねえとやってられん。ぼろくそさ何もかも。これじゃおめえ西部劇だぜ」
 「西部劇か、懐かしい響きだ。荒野のガンマンかい」
 「言える。保安官がいるだけそっちがましさ」
 「うむ。ところで兄貴はどうしてる?」
  ルッツは人差し指を立てて天井を指差す仕草をした。

  ルッツはルッツ・フランツ、旧ドイツの出なのだが、歳の離れた兄がいた。
  それがデトレフ・フランツ。月面にいる兄である。
  亮はデトレフを知らなかったが、どうしても信じられない。
 「マジだもんなぁ」
 「マジだぜ、行ったきりさ。ごくたまに無線が入らぁ」
 「生きてるって?」
 「元気そうだ。月のベースとやらもかなり進んだってことだぜ。三万ほども住めるようになったって」
 「三万? どう考えても信じらんねぇ、月に都市をねぇ」
 「HIGHLYどもは未来に生きてら。俺っちなんざ西部劇だっつうのによ。あ、いけね、忘れてた」
  と言ってルッツは亮の肩越しに首だけ伸ばして女二人へ目をやった。
 「おい娘っ子ども、ブラジャーそっちのボール箱だ、出すの忘れてた。可愛いのが入ったからよ、ひっひっひ、パンティもたんまりあるぜ」
  大きな声で。留美とキャリーは目を合わせて互いに舌をちょっと出す。
 「けっ、クソ親爺が」 と亮が言って皆が笑った。

  この町は新興街と言えるほど新しくはなかったが、道筋も家々も見事に整備された綺麗な町だった。かつてはゴミひとつ落ちてなく、子供たちの明るい声もしたものだ。住人のほとんどがWORKERであり、その居住区へ強制的に移住させられた。そこからあぶれた者たちと、よそから流れて来た者たちが混じり合う町となる。ときどきパトロールの警察もどきはやってくるが何があろうと見て見ぬフリ。 このルッツや亮たちが出入りするようになってから、ちゃらけた犯罪が減っていた。ルッツは元はドイツ軍の軍人であり本来ならばHIGHLYなのだが、亮同様にふざけるなと言って飛び出したクチだった。
  ルッツは言う。
 「それも最初の頃だけよ。いまじゃもう他人事さ。いちいちかまってられねえし、てめえのことで精一杯。みんながそうだぜ。正義感なんぞ振り回したところでいいことなんざありゃしねえ」
  そしてまた女たちへと目をやるルッツ。
 「どうだい可愛いブラジャーだろ? 着けてみろや、見ててやる。いっひっひ」
  亮は呆れ、しかし人の好いルッツの横顔を見つめて言う。
 「相変わらず独り暮らしなんだな」
 「それが気楽さ、そんなもんよ」
  亮はちょっと眉を上げて首を傾げ、それ以上のことを言わなかった。
  ルッツには八つ上のデトレフとの間に姉もいたし、かつては妻や子も持っていた。しかし家族は皆HIGHLYに留まっていたいと言って離婚している。

  と、オートドアがするすると開いて、粗末であってもそれなりに普通な身なりをした黒人の女が入って来る。黒人特有の縮れたショートヘヤー。歳の頃なら三十代の半ばあたりだろうと思われる。女は黒い大きなザックを背負っていた。店の前にいつの間にか自転車が置かれてあった。
 「あの」
  女はそのとき店にいた大勢の客を見渡しておどおどとした眸の色だ。
 「おぅ、いらっしゃい、服かい?」
 「いえ、あの・・」
  女は来客を気にしている。ルッツは立ち上がると女のそばへとのしのし歩む。
その女は小柄なほうでルッツに歩み寄られると子供に見えた。
 「あたしアニタって言います、元はブラジル。しばらく働けないかなと思って」
  職探し。こうした者は多かった。家政婦など雇える家は少なかったし、働き口はあっても給料は安い、若ければ体を狙われる。飲み屋かセックスを売り物にする夜の商売でもない限りまともなところはほとんどなかった。
  ルッツは言った。
 「しばらくとはどういうこった? 金ができたらとんずらするってか?」
 「いえ、あの・・」
 「はっきりしろコラ、うじうじするな」

  野獣のようなルッツ。女は怖くなってうつむいてしまう。
 「何かやらかして来たな?」
 「逃げて来ました。あたしずっとホテルの下働きをやっていて、あるときお客さんの忘れ物がなくなって、おまえが盗んだなって言われて折檻されて」
  それも訊くまでもないことだった。折檻とはつまり性的な拷問である。
 「追われてるのか?」
 「いえ、それはありません。忘れ物はお客さんの勘違いで出てきました。だけどもう腹が立って飛び出して来たんです」
 「チャリでか? あれはおまえのチャリなんだな?」
 「はい、ずっと乗ってる私の自転車」
 「どのぐらいそうして流れてる?」
 「そろそろ二月になります。蓄えもなくなって喰えなくなって。あたしどんなことでもしますから、どうかお願いできませんか」

  留美もキャリーもやりきれない。亮たちに救われなければ、この身もどうなっていたかと思うと胸が痛い。
  ルッツは言う。
 「おめえ、いくつだ?」
 「三十五になります」
  ルッツはため息をついてちょっと左右に首を振ると、横目でポールハンガーの向こうから覗いているキャリーを見つめた。
 「ふむ、そうか。喰えるだけでいいか? コキ使ってやるが、それでもいいか?」
  にやりと笑うルッツ。
 「はい、もう充分です。いいんですかマスター?」
 「俺はルッツ。わかったわかった、奥にシャワーがある、さっぱりして着替えて出て来い。着替えがないならそこらの服を選べ。それは借金として働いて返してもらう。冷蔵庫に食い物があるはずだ、腹が減ってるならまずは喰え」
 「ありがとう、嬉しいですあたし、ありがとうございます」
  留美もそうだが涙腺がゆるんでくる。アニタという女は涙を溜めて震えるように奥へと消えた。
  ルッツが亮に向かって言う。
 「おめえとこんな話してなきゃ追っ払ったところだぜ。ちっとは真面目そうだしよ、まあいいかと思っちまった」
  亮はうなずき、そのときふとキャリーを見ると、キャリーは笑って亮にうなずく。

  帰りの道すがら。運転をホルヘに任せて亮は女たちと後ろに乗った。軍用だった鉄箱の中はビニルでできた対面シート。女二人が並んで座り、亮はロングシートに寝転んでいる。
  誰にとはなしに亮は言う
「いい奴だったろ、ルッツの野郎」
  留美が応じた。
 「はい、アニタって人、よかったなと思います」
 「そういう奴よ、人を見た目で決めつけない。元はドイツの軍人でな、HIGHLYなんだが、そういうことの嫌いな男。女房も子供もいたんだぜ。HIGHLYでいたいと言って離婚した。兄貴なんざ月にいるし」
  そこでキャリーがはじめて口を開いた。
 「さっきちょっと聞こえたけど、月にいるって月面都市の関係で?」
  キャリーはHIGHLYだった女。WORKERであった留美もまた月面に都市を造っていることぐらいは知っていた。
 「兄貴が国連軍の中佐でな、志願して月に派遣されたそうなんだが。ふんっ、どう考えたって信じらんねぇ、クソ店の親爺の兄貴がよ。ふっふっふ」
  キャリーは言う。
 「町で暮らそうとは思わないの?」
  亮は顔を傾けてキャリーを見た。キャリーが選んだ服は、下はブルージーンだったが上は胸元に花柄の刺繍のあるピンクのTシャツ。白人の白い肌にはよく似合う。留美もまた同じようなスタイルに着替えて乗っていた。

  そんな二人の変化に亮はちょっと眉を上げ、そして言う。
 「ルッツにも言われるさ、空き家はまだあるってな。けどあそこは天然の要塞よ。俺たちは山賊なんだぜ、いつ襲われるとも知れねえ。町のみんなに迷惑がかかるだろうし、俺たちの誰一人、町に出たいと思う者はいないのさ。俺たちがそうだからWORKERどもも目こぼししてくれるんだ」
 「LOWERでもないってこと?」
 「違う。俺たちがLOWERどもを扇動しないってことじゃねえか。俺たちが入り込んで武装して結束してみろ、それはつまりレジスタンス、潰さなければならなくなる。そんなことは世界中で散々あったさ。結果どうだ、皆殺しにされちまった」
  このとき留美は、四十歳そこそこのルッツをクソ親爺と言うこの亮はいくつぐらいだろうと考えていた。三十そこそこ? もう少し上のような気もしたが、逆にもっと若いのではとも思えてくる。

  明るいうちに棲み家に戻る。近いようでもルッツのいる町まではクルマで一時間以上もかかり、もたもたしていると暗くなる。いまは初夏だから陽が長いが、それでも夕刻に近づくと夜盗のたぐいが出没する。LOWER社会とは言え八割はまともな人間。そうでない輩を取り締まる者がいないのだった。LOWER同志の諍いには目をつむる。上級社会に災いしないならLOWERは減らしておきたいというのがHIGHLYたちの思惑だったからである。

  亮たちが棲み家に戻ってほどなく、その頃、ルッツの店では店じまいがはじまっていた。町に数少ない店はそれなりに忙しく、日々の仕入れもあるから翌日のために整理しておかなければならない。
  アニタは結局、店に吊された商品を借りて着込むことになる。客商売なのだがらあまりに貧相では困ってしまう。真新しいジーンズに襟のあるブラウス。下着まですべてが新しく、さっぱりとしたアニタは歳なりに可愛い女となっていた。
  男独りでやってきたルッツの店が見違えるほど綺麗になって生まれ変わったようだった。

 「これでいいですかマスター?」
 「おぅ、いいぜ、ありがとよ、ちゃんとしたじゃねえか。やっぱアレだな、女がいねえとうまくいかん。ところでおめえ」
 「はい?」
 「飯ぐらいはつくれるだろ?」
 「はい、それは。あたしやりますから」
  どうせ住み込み。家政婦を兼ねることはわかっていた。
 「マスターはずっとお独りでお店を?」
  ルッツはうなずく。
 「ここへ来てみりゃ店がねえ、そんではじめたまでのこと。最初のうちは缶詰とか雑貨だったんだ。そのうち畑でとれた野菜とかよ、古着もそうだが持ち込む客がいて、そんならと服を置いたってことなんだ」
 「あたしもずっと古着ばかりだったんです」
 「だろうな、移住させられた連中が置いてったものを売って暮らしの足しにした。ここは元は服屋でよ、倉庫の中に古くさい服が眠ってたんだが、そんならってことで服をはじめたみたわけさ。しかしいかん」
 「いかん?」
 「女の下着を並べるってえのは気恥ずかしくていけねえや」

  アニタは笑って言う。
 「そうじゃなくて、あたしの古着は子供のときから。スラムで育って・・え?」
  ルッツは指を立てて口を塞ぐ仕草をした。
 「いらんことは言うな。おめえの昔なんざ訊かねえ。人にはいまと明日しかねえんだよ。さあ、もういいぜ、今日はしまいだ、コーヒーでも淹れろ、おめえの分もな。リセットしろアニタ」
 「はい!」
  嬉しかった。これほどの幸運はないと思った。下着まですべてが新しい。夢のような出会いだったとアニタは嬉しい。