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2054年のジョゼット(一話)


  月面に都市を築くという人類の夢は古くからあったのだが、そのためにはまず地球の周回軌道上に大規模宇宙ステーションを整備して、地球上との間の中継点を完成させなければならなかった。地上からじかに月を目指そうとするとロケットに頼らざるを得なくなり、それでは運べる人員や物資に限りがあるからだ。
  海老沢俊允が生まれた2018年当時、形になりはじめていた宇宙ステーションだったのだが、その頃は規模も小さく、地球からいちいちロケットを打ち上げてわずかな資材とわずかな人員を送り込むのが精一杯。月進出以前にまず千人単位の人員が常駐できる宇宙へのターミナルを整備しなければならなかった。
  そのときまでは誰一人、よもや地球が大異変に見舞われようとは思ってもいなく、宇宙開発は未来への想像、科学という学問の延長線でよかったわけだ。

  ところが2036年からのわずかな間に状況は一変した。突如として狂いはじめた太陽の大異変によって平均気温の上昇とオゾン層の急激な減衰が止められない。夢見心地で語り合った火星への移住を急がなければ、このままでは人類が滅亡しかねない。
  そしてそのためのシュミレーションとして月面都市の実現が急務となったのだが、そのときもっとも問題となったのは宇宙空間への資材と人の運搬手段。これまでのような小さなロケットに頼っているわけにはいかない。地上から航空機のように飛び立てて宇宙ステーションとの間を行き来できる大型貨物宇宙船の開発。このとき二十八歳となっていた海老沢俊允は、その開発プロジェクトを進めたスタッフの一人であった。

  かつてのスペースシャトルの数倍のキャパを持つ超大型貨物宇宙船は、航空機そのままにジェット推進で浮き上がり、高度を上げて成層圏に達すると、ブースターロケットにパワーを切り替えて大気圏を脱出する。宇宙空間に出てしまえば重力がないから船のサイズは問題にならない。宇宙ステーションに資材と人を送り届け、ふたたび航空機として地上の飛行場に戻ってくるというものであったのだが、大量の資材を宇宙に届けられるようになったことで、そのとき同時に宇宙ステーションでは、月への移動手段としての究極の宇宙船が計画されていたのである。
  そのとき若干三十歳であった海老沢は、そのアイデアで注目された人材だった。

  人工物など一切ない月面進出の初期段階で、いったいどうやって人が常駐できる施設を創っていくのか。
  海老沢は月を港に見立てようと言う。宇宙ステーションで建造される大型貨物宇宙船をそのまま月面に着陸させてアンカーで固定。居住のためのモジュールとし、同型の宇宙船を次々に送り込んで人が行き来できるスリーブ(トンネル状の通路)でつなぐ。例えて言うなら潜水艦を並べてつなぐようなもの。建物ごとそっくり持ち込んで並べてしまえと言うのである。

  月には大気がほとんどなく有害な宇宙放射線が直射する。太陽光にさらされる日中の地表温度はおよそ110℃、夜間にはおよそマイナス170℃という過酷な環境から、居住するには地下がいいと考えられていたのだが、海老沢はそれにもいとも簡単に答えを出した。
 「低地である平坦なクレーター上に船を並べておいて埋めてしまえばいいのです。まず必要となる地表部分の施設を先に造り、本格的な地下都市の建設はそれからでしょう」
  これに対する反論もあったのだが。
 「しかし、いかに重力が六分の一とは言え、それほどの巨大な船をどうやって月面上に降ろすのか。逆噴射となれば地表が吹っ飛ぶほどのパワーがいるぞ?」
 「反力としての磁力ポートをこしらえるというのはどうでしょう? 先に送り込む船でまずはそこからかかり、追って次を送り込むということです」
  磁石の同極同士がはねつけ合う反発力を着陸時の制動に利用するということだ。それができるなら逆噴射は姿勢制御のためだけの限定的なものでいいだろう。


  そして、2054年。
  月面には、最初に着陸した半球形のドームを持つ船を地上に残してメインモジュールとし、それを取り巻くように五隻の超大型宇宙船が地下に埋められ、総員四千七百名が居住する月面ベースができていた。しかしそれも月面都市建設のための基礎にすぎず、一千万人もの人々を許容する地下都市の建設はこれからだった。
  そうする間にも地球上の環境は厳しさを増していて、七十五億人いた世界人口も三十五億人を割り込んだ。月面都市を一刻も早く。六隻目となる超大型宇宙船が送り込まれ、さらに七隻目が完成間近。計画からわずか数年で月面に総員四千七百名プラス新たに九百名。総勢五千六百名ほどのベースは完成したが、それでもペースは遅かった。

  その六隻目の船に、まだ若く美しいフランス人女性が乗っていたのだが、そのときモジュール5、つまり五隻目に着陸した宇宙船の内部なのだが、そこに造られたトレーニングジムでスクワットをしていた海老沢にはうかがい知らないこと。
  居住スペースであるモジュール内では一気圧が保たれて呼吸も普通にできたのだったが重力だけは六分の一のまま。肉体に負荷をかけるトレーニングをしていないと地球に戻れなくなってしまう。重さ六十キロのバーベルがわずか十キロ。このとき海老沢は地球上でなら百八十キロ、つまり三十キロのバーベルを肩にかつぎ、スクワットで体に負荷をかけていた。

 「海老沢さんですね?」
 「そうですが、あなたは?」

  声をかけた女性はブロンドのショートヘヤー。フランス語。宇宙の旅のために用意された全身ボディフィットのシルバースーツを着込んでいて、知的で美しい女性であった。対する海老沢はトレーニングスウェット。明らかに目的を持って歩み寄る女性に向けて海老沢はちょっと微笑み、オートマチックトランスレーター(自動翻訳装置)のイヤホンを耳にした。月面のベースではこのマシンで言語の別なく会話ができる。

  女性は言った。
 「ジョゼット・バイルと申します。天文学者なのですが、じつは緊急なお話があって参りました」
 「緊急な?」
 「はい。これは国連の決定です」
  国連からの使者? 海老沢はちょっと眉を上げてうなずくと、訪ねて来たジョゼットをチェアの置かれるレストスルームに待たせておいて、シャワーを済ませ、同じくシルバーカラーの男性用のボディスーツに着替えてからルームを覗いた。月への私物の持ち込みは制限される。仮住まいともいえる居住モジュールの部屋は狭い。
  月面で水は循環濾過して繰り返し使われる。シャワーはもちろん人の尿などもそのうちですべてが資源なのである。
 「お待たせしました」
 「いいえ。ですがここではちょっと」
  ジョゼットはそれとなく周囲を見渡す素振り。そのときジムのあるモジュールと同じモジュール5に造られたレストルーム(休息室)には、男女合わせてかなりの人員が体を休めていた。

 「でしたら私の部屋でよろしいでしょうか?」
  ジョゼットはうなずいて立ち上がる。背の高いスリムな女性。立ち上がると173センチある男の海老沢と背丈がそう違わない。
  居住区は地下に埋められたモジュール1~5まで、ほぼ均等に割り振られていた。そうでないと事故でもあれば全滅ということになりかねないからである。
  海老沢の部屋は地下にあるモジュール1の1号室。この月面プロジェクトに関わる人員の中でもリーダー格の人物が居住する部屋なのだが、それでも畳にすれば三畳ほどのスペースしかない。格下の者たちのそれは一人二畳。カプセルホテルに毛が生えた程度のスペースしかないのである。
  M1-001。それが海老沢のルームナンバー。モジュール1には917までルームが並ぶ。

  中へ入ると、シングルベッドよりも狭い跳ね上げ収納式のベッドがあり、小さな白い丸テーブルの向こうとこちらにチェアが二脚。室内に水回りは一切なくトイレさえも共同。食事らしい食事は日に一度、それに固形フーズが一食。この頃までの月面ベースは生存できるぎりぎりの条件だったのだ。
 「どうぞおかけください」
  海老沢は日本語。トランスレーターが訳してくれる。
  ジョゼットはひどく狭い空間を見渡して言った。
 「綺麗になさっておいでですね」
  海老沢は微笑んだ。
 「綺麗も何も余分な物がないだけです。地球の豊かさを思い知りますよ。さて、緊急なお話とは?」
  穏やかだったジョゼットの面色が真顔となった。キリリとして冷たいほどに美しい来訪者。ジョゼットは言う。
 「これはもちろん国連の決定であるのですが、この月面都市の設計変更をお願いしたいということです」
  怪訝な面色でジョゼットを見つめる海老沢だった。
 「それはどういった? どう変えろと言うのです?」
 「ムーンシップ計画と申しますが、この月そのものをSS(スペースシップ=宇宙船)として太陽系を脱出したいという計画があるのです」

  海老沢は言葉を探せない。呆然とする。この人は正気なのか?
  ジョゼットは悲しげな面色で言うのだった。
 「いまからおよそ七十年後になるかと想像しますが、私たちの太陽系はスパイラルアームに接近します。発見したのは私です。いまから二年ほど前のことになりますでしょうか。観測と計算で私がはじき出した結論は・・」
  これは真実です信じてください・・と言うようなジョゼットの面色。
 「私たちの銀河の中で太陽は、地球が太陽の周りを公転するように秒速217キロというスピードで移動しているのはご存じかと思います。太陽がこのまま突き進むといずれスパイラルアームに突入しますが、そのはるか手前の空間に砕け散った星の残骸がリングをつくる中性子星が浮いているのです。その直径およそ二十五kmほどの小さな星だと思われますが」
 「では衝突すると?」
 「かどうかまでは、いまのところ計算の誤差の範囲ですけれど、少なくとも強大な引力圏に捕らえられてしまうでしょう。惑星軌道が掻き乱されて太陽系全体が崩壊する。地球の余命は残りわずか。そこで人類五百万人をこの月にのせて種の存続を図ろうということなのです」

  互いに沈黙し合ったまま。それだけ聞けばジョゼットの言うことはよくわかる。
  海老沢は言った。
 「なるほど。太陽系そのものが終わるとなれば火星へ移住しても意味がない。月を宇宙船として旅立つ。次なる親星のハビタブルゾーン(生存可能領域)に浮かべてやるだけで自動的に小さな地球となれるわけだ」
  ジョゼットは微笑んでうなずいて、しかしその面色はすっきりしない。
 「人類の生き残りを図る一大プロジェクトなのですが、これはトップシークレット。それには理由があります」
 「生き残る五百万人をどうやって選ぶのか。ほとんどは見殺しだ」
 「そうです。すでに壊滅的な地球にそれでも残った三十数億人のうちのたった五百万人ですからね。しかもその八十パーセントは若い女性となるでしょう。あらゆる人種から採取した凍結精子を積み込んだ、いわば宇宙牧場です。そうしなければ近親交配が進んで種は滅びる。月ほどのサイズで宇宙を旅するとなれば気の遠くなる時間がかかり、食料そのほか自前で調達しないとなりません。月のサイズをふまえ、それらを計算し尽くした結果のその人数。大きな宇宙船を建造しようというプランもあったのですが、その場合乗り込めるのはせいぜい二、三十万人が限度であり、それでは目指す場所まで行き着けるかどうかが不安なのです」

  海老沢は混乱する意識の中で正気でいようと努力した。
 「しかしその分リスクは高いと言えるでしょう。大きくても船ならともかく、月ほどのサイズとなると太陽系を二重三重に取り巻く小惑星帯を突破できるのか。地球サイズでも直径十キロの隕石で壊滅するというのに月などひとたまりもないからね」
 「迎撃用の核ミサイルと高エネルギーレーザー砲を装備します。いずれにしろ賭けですからね。賭けに勝つか絶滅するかの道しかない」
  それはそうだろう、そうするしかないのだから。
 「おっしゃることはわかりますが、これほど巨大なものをどうやって推進させるのか?」
 「それはいま地上の専門家たちが知恵を絞っておりますが、海老沢さんならおおよその見当はつくかと」
 「燃料のことまで考慮すると現在の技術レベルでは核爆発推進以外には考えられない」
  ジョゼットはきっぱりとうなずいた。
 「おそらくそうなると思われます。したがって月面都市の計画変更が必要となるわけです」

  核爆発推進とは、巨大なパラボラアンテナのような応力の受け皿を用意しておき、その間際で数秒に一度の割合で連続して核爆弾を爆発させ、その膨大なエネルギーで加速しようというもの。宇宙を旅する究極のエンジンと言われている。オイルなどとは違って燃料はつまり核爆弾であり多くの数が積み込めるからである。
  だがそれにしても月は大きい。水爆レベルの爆弾がどれほどいるのか見当もつかないほど。まさにSFの世界だと海老沢は考えたのだが、それは地球にいる科学者たちが結論を出してくれること。
  太陽系を捨てるということは母星からの物資の補給が一切ない旅を意味する。 五百万人もの人間がその先ずっと生き続けられる水と食料、人間生活に必要なものの一切を許容する壮大な設備がいる。
  海老沢は問うた。
 「タイムリミットは?」
 「旅立ちまでおよそ六十年とみていいでしょう。先ほど言った七十年というのは中性子星の引力の影響が出はじめるタイミングであって、その十年前には旅立ちたい。人と物資の積み込みに数年はかかるでしょうし、スイングバイにさら数年。そう考えるといまから五十年後がリミットかと」
 「五十年でやれと言うのか、たったそれだけの間に?」

  ジョゼットは言った。
 「そのための方策をいま考えているところなのですが、こちらはこちらで想定して進めておかないと時間がない。動物性タンパクは繁殖力の強い鶏や齧歯類(ねずみなど)、食用ガエル、ゴキブリなどの昆虫、ミミズなどもそのうちでしょうけれど、それらの飼育施設が必要です。植物も育てなければなりませんし、それらを加工する工場も必要です」
 「酸素も水もすべてそうだ」
  ジョゼットはうなずいて言う。
 「小さな地球と言えばいいのでしょうけど、同時に地上にも必要な設備はすべて整備しなければなりません。追って相応の人員が送られてくるでしょうが、いまから五十年の間にできる限りのことをする。それからのことは旅立った後の課題です。住みよい環境を創りながらの長い長い旅となる」
  地球にもっとも近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリまででも、秒速三十万キロの光の速度でおよそ四年。速度が百分の一なら四百年、千分の一なら・・と考えると途方もない話である。

  ジョゼットは言った。
 「私はいま三十六。そのときまで生きていらられば八十六歳です。そうやって努力をしても旅立ちのときに老人は無用。私はもう二度と地球には戻りません。五百万人の人々のために月で死ぬと決めてきました」
  その言葉を聞かされて海老沢はあらためてジョゼットは狂っていないと確信できた。
 「わかりました、もはや逃げ場はないのですから」
 「月へ行ったら海老沢俊允を訪ねろと言われてきました。あなたがリーダー。どうか海老沢さん、人類のためにやりましょう」
  ごつごつとした海老沢の手をジョゼットの白い手がしっかり握った。