getsumen520

辞世の一文(序章)



 月面都市から美しい星を見つめて書いている。
 人生の最期にふさわしい、私自身の生き様を皮肉るような言葉。
 これは遺書ではない。そんなものを残したところで
 読んでくれる人類がいるのだろうか。
 そうだ、これはエッセイなのだ。エッセイと言うにふさわしい、
 私の生きた時代を回想する宇宙への書き置きだ。
 記憶媒体ではない紙に書く。進みすぎた文明への反逆のように
 手書きの一文を書き残し、ほどなく私は消えるだろう。
 青い球体に取り残された人類とともに・・さようなら。
 海老沢俊允(えびさわ・としのぶ)。


  2018年。そう今年だ。私は今年の七月に東京で誕生する。
  いまはまだ誕生以前。私は胎児。生まれてはいないのだが母の胎内に確かに宿り、外界への放出を心待ちにして育っている。
  父の名は海老沢謙吾(けんご)、天文学者。その一生を地球外生命、それも知的生命体の発見に捧げた男。変人を生きた父であった。母親は常識的な女性であり、私が十歳のときにたまりかねて離婚した。そのとき父はハワイに移住。私は父に連れられてハワイ島マウナケア山の天文台で育ったようなものだった。

  父という人は、子供だった私の目から見ても狂っていた。
  UFOは地球を訪れていて、我々をはるかに超える知性を持つ宇宙人は存在する。これっぽっちも疑わず来る日も来る日も夜空を見渡し、何やら奇妙な儀式をやって彼らとの交信を試みていたものだ。
  母が愛想を尽かすのもうなずける。人間嫌いでほとんどまともに口を開かず絵空事を追いかける。狂っていたとしか言えなかっただろう。

  だが、そのときはまだ子供だった私は、そんな父を尊敬した。SFの世界にのめりこむ子供じみた父のことが、むしろ私を夢へと誘う。フォーマット人間はつまらない。父は違った。
  私は天文学を志すも、やがて宇宙工学の若き権威と呼ばれるようになるのだが、その原点は毎夜毎夜の父との観測。子供だった私は眸の色を変えて望遠鏡にへばりついていたものだった。
  ところが、そんな私が十八歳から二十歳にかけてのわずか二年の間に、それらは突然やってきた。地球規模の大異変が二つ重なる。

  ひとつは温暖化。
  南極の氷床がついに崩落をはじめ、たった二年の間に海面水位が五メートルほども上昇した。
  なぜそうなるのか。それまでもわずかずつ水位はあがっていたのだったが、いったいどうしたことなのか一気に五メートルほども水位が上昇。地球全体の臨海部は海にのまれ、水位の上昇は止まらない。もしも南極の氷がすべて溶ければ水位は六十メートル以上も上昇すると言われている。世界の都市部は壊滅すると言ってもよかっただろう。

  そしてそれより恐ろしかったのは、オゾン層の急激な破壊であった。
  北緯南緯ともにおよそ50度というから、日本であれば北海道のわずか北から北極にかけて。南半球でも南米大陸の突端あたりから南極にかけて。オゾン層が極端に薄くなり、あるいは消滅してしまう。
  科学者は緊急警告を発したのだが人々は信じなかったし、またその規模では逃れようとしても逃れきれない。
  ヨーロッパであれば、フランス中部より北に位置するドイツ、イギリス、ポーランドそのほか。ロシアは国土のほぼすべて。アメリカ大陸ならアメリカ合衆国北部から北、カナダ全域。南半球に目を移せばニュージーランドの南端、南アメリカ大陸の南端あたりから南極にかけてのエリアが有毒な紫外線に対してまったく無防備。
  たった二年の間におよそ七十五億人だった世界人口が、その段階で五十億人ほどまでに激減した。このまま地球は終わるのか。世界はパニックに陥った。
  生き残った人々は国連の誘導で赤道を挟む安全域に大移動をはじめたのだが、そうなると国家という概念が成り立たなくなってしまう。オゾン層の破壊は目に見えない。見慣れた青空の下、突如として押し寄せる何億人もの避難民は侵略者でしかなく、地球全域の争いとなっていき紛争でさらに数億の人命が失われた。

  このままでは破滅する。そのときになって人類はようやく気づき、すべての国が国境を廃して国家を解体。地球人としての生き残りを図ることに視点が移る。
  遅まきながらも核兵器の全廃が決議され、しかしその処分を核を持つ当事者任せでは危ういということで国連軍が動き強制没収。すべての核弾頭は国連の管理下に置かれることとなる。
  そのときの私は若干三十歳。しかしそれが十八歳からのたった十二年間に起こった、この惑星の破滅的とも言える変化だったのだ。

  すべての元凶は太陽の大異変。
  私が産まれた2018年当時、人類は温暖化を危惧したが、後になってわかったことだが、じつはその頃の地球は小氷河期にあったという。太陽活動が弱まっていて本来冷えてよかったものが温暖化で穏やかな気候が保たれていた。それなのに人類は温暖化対策の成果だと考えて以降の施策が手ぬるくなってしまった。
  そしてその二十年後、私が十八歳から二十歳までの二年の間に、太陽が突如として極大期を超える猛烈な活動をはじめることとなる。降り注ぐ熱量が激増し、大気中に潜んでいた温暖化物質が牙を剥いて温暖化が一気に進む。
  さらにその一方、強烈な太陽光線がかろうじて残っていたオゾン層を一気に減衰させてしまったのだ。オゾンは太陽の紫外線によって生成されるが、また紫外線によって分解される不安定さを秘めている。

  世界の頭脳がようやく本気になって温暖化物質の除去装置とオゾン層回復のためのオゾン供給装置の開発に取り組んだ。しかし遅い。研究と開発、さらにその設備の建設に時間を要し、それらがはじめて稼働したのは、それからさらに十年後。急激に上昇する海水温は深海部のメタンハイドレートを崩壊させて、二酸化炭素よりさらに悪いメタンガスを大量に放出した。海面上昇は二十メートルを超え、オゾン層の破壊も北緯南緯それぞれ40度のラインにまで進んでいた。
  北海道の全域が住めなくなった。人々はますます安全域に圧縮されて世界人口も三十五億人を割り込んだ。

  それとは多少前後するが、三十四歳になっていた私は宇宙工学ならびにロケット工学の専門家として月面都市の建設に参画していた。
  月で人が暮らせる都市を創ろう。それはやがてくる火星への移住のためのステップでもあったのだが、そのためにはまず大量の資材を地球でこしらえ、月へ運び込まなければならなくなる。計画当初は月面基地の大きなものというコンセプトだったのだが、地球の危機を受けてできるだけ多くの人々を移住させられるものにしなければならなくなった。

  月には大気がほとんどなく有害な紫外線も宇宙線も素通しで降り注ぐ。重力は地球の六分の一、もちろん水はないに等しい。
  飲料水をどうするか食料をどうするか。それぞれ月で調達しないと逐一地球からは運べないし、地球上と同様に人間生活のすべてを許容できる設備が必要となる。大量の資材を運べる巨大貨物宇宙船の建造が先決であり、私たちがその先頭に立ったということだ。
  私たちは懸命だった。人類が危うい。温暖化物質の除去とオゾン層の修復がなるまで何としても持ち応えなければならない。月面都市に一千万人は移住させておきたいという壮大なプランに向けて奮い立つ作業が続く。

  女性のことなど考えている余裕はなかった。そのときの私はいつの間にか三十六歳になっていて、いまだ独身。月面都市の建設現場で出会いがあった。
  フランス人天文学者のジョゼット・バイル、同い年の三十六歳。彼女もまた月面天文台の建設に携わるブレーンの一人だったのだが、彼女は国連よりの密命をおびて月へと送られた女性であった。

 「何だって? 月そのものをSS(スペースシップ)にできないか? 正気なのか君は?」

  私は声を失った。ムーンシップ計画。月をまるごと宇宙船とし五百万人の人類とともに太陽系を脱出するプランがあると言うのである。もちろんトップシークレットのプロジェクト。
  彼女は言った。
 「いまからおよそ七十年後、太陽系はスパイラルアームに接近します。観測と計算で私がはじき出した結論は・・」
  悲しげな面色で語尾が弱い。

  スパイラルアームとは、私たちの渦巻き銀河の中で螺旋を描いて見えるひときわ星々の集まる領域。星の密度が高いのである。
  私たちの太陽系は、そのアームとアームの間の比較的星の少ない領域を移動するからこれまで安泰でいられたということで。
  彼女は言った。
 「発見したのは私です、いまから二年ほど前だったでしょうか。太陽がこのまま突き進むといずれスパイラルアームに突入しますが、そのはるか手前の空間に砕け散った星の残骸がリングをつくる中性子星が浮いています。直径およそ二十五kmほどの小さな星だと思われますが」
 「では衝突すると?」
 「かどうかまでは、いまのところ計算の誤差の範囲ですけどね、少なくとも強大な引力圏に捕らえられてしまうでしょう。惑星軌道が掻き乱されて太陽系全体が崩壊する。地球の余命は残りわずか」
  私は実感が伴わず、ただただ気が遠のいていくようだった。
  地球上でも月面でも人類のためにと死に物狂いでやってきたのに、これまでの努力は何だったと言うのだろう。

  中性子星は、超新星爆発によって生まれるブラックホールになりきれなかった小天体であり、直径わずか二十キロほどのちっぽけな星に太陽をまるごと一個押し込めてしまったような馬鹿げた質量を持っている。角砂糖一個の重さが数億トンの世界を想像してほしい。その引力は悪魔的と言わざるを得ない。

 「なるほど、それで月そのものを宇宙船にしてしまうというわけか。次なる親星のハビタブルゾーンを周回させるだけで小さな地球となれるわけだ」

  彼女は微笑んでうなずいた。私だってもともとは天文学を志した男。そのぐらいのことは知っている。増してや私の父は地球外生命を探すことに人生を捧げた天文学者。
  人類が太陽系を離れて新たな惑星へ移住しようとすれば、中心星となる恒星のハビタブルゾーン=生命居住可能領域に位置する惑星を探さなければならなくなる。中心星に近いと炎の球、遠いと氷の球となり生命の星とはなり得ない。地球外生命を探すネックがそこにある。
  ある恒星のハビタブルゾーンに月を浮かべて周回軌道にのせられれば地球そのものの温暖な気候が自動的に得られるわけだ。これまでのように生存に適した惑星を探すこともなくなって適当なサイズの恒星ならどこでもいいということになる。

  ジョゼットはきっぱりとした意思のある眸色で言った。
 「トップシークレットには理由があります」
 「五百万人をどうやって選ぶのか。ほとんどは見殺しだ」
 「そうです。すでに壊滅的な地球にそれでも残った三十数億人のうちの五百万人ですからね。しかもその八十パーセントは若い女性となるでしょう。あらゆる人種から採取した凍結精子を積み込んだ、いわば宇宙牧場です。そうしなければ近親交配が進んで種は滅びる。月ほどのサイズで宇宙を旅するとなれば気の遠くなる時間がかかり、食料そのほか自前で調達しないとなりません。月のサイズをふまえ、それらを計算し尽くした結果のその人数。大きな宇宙船を建造しようというプランもあったのですが、その場合乗り込めるのはせいぜい二、三十万人が限度であり、それでは目指す場所まで生き抜けるかどうかが不安です」

  ジョゼットの言うことは理解できた。しかしこの人は本気で言っているのだろうかとまたしても呆然としながら、私は問うた。
 「しかしその分リスクが高い。大きくても船ならともかく、月ほどの巨大サイズともなると太陽系を取り巻く小惑星帯を突破できるのか。地球サイズでも直径十キロの隕石で壊滅するというのに月などひとたまりもない」
 「迎撃用の水爆ミサイルと高エネルギーレーザー砲を装備します。いずれにしろ賭けですからね。賭けに勝つか絶滅するかの道しかない」

  太陽系には、火星と木星の間にアステロイドベルト、天王星近辺にカイパーベルト、さらにその外側にオールトの雲と、危険な小惑星帯に二重三重に取り囲まれていて、月ほどのサイズともなるとかなりな引力があるから巨大隕石を引き寄せてしまうリスクが伴う。大気のない月。小さな石であっても燃え尽きずにそのまま落下するだろう。

  私は、さらに問いかけた。
 「タイムリミットは?」
 「旅立ちまでおよそ六十年とみていいでしょう。先ほど言った七十年というのは引力の影響が出はじめるタイミングであって、その十年前には旅立ちたい。人と物資の積み込みに数年はかかるでしょうし、スイングバイにさら数年。そう考えるといまから五十年後がリミットかと」
  スイングバイとは、地球の引力圏を脱出するため月の周回軌道を利用して加速していき、その遠心力とロケット推進を合わせた力で地球の引力を振り切るということである。


  さて。

  そのとき私とジョゼットは美味しい珈琲を飲みながら地球を見つめていた。
  厚さ十五センチの特殊アクリル樹脂で造られた月面ドームから見渡すと、闇のかなたに青く美しい故郷が浮いている。

 「宇宙の宝石が消えていく。そんなことがあっていいのか」
 「そうね。でも私は地球に生まれた最期の幸せは謳歌できたわ。あなたとの愛もですけどね」

  ムーンカフェのカウンター。穏やかにジョゼットが笑い、私も微笑んで見つめ合う。私もジョゼットも六十六歳になっていて、どちらもが現役ではなくなった。
  あれから三十年、私たち二人は一度たりと地球へ戻ってはいなかった。
  私たちは宇宙へ旅立つ以前の月で死に、月面の荒野に晒されてミイラとなって存在する。宇宙に生きた人生に宇宙で死ぬことで幕を引きたい。それを条件にあることを引き受けた私とジョゼットだったから。

  もういい終わらせよう、愚かな人類に未来などあってはならない。

  ジョゼットと出会ったちょうどその頃からはじまった地球上での暴挙の数かず。
  それらに加えてなお国連から命じられた二つの職務が私たちを失望させた。
  人類とはどうしてこうも愚劣なのか。ジョゼットと出会ったとき、月そのものを宇宙船として宇宙で生きるという一筋の希望があったのだが、それもついえた。

  職務の一つは、核放棄で押収し国連が管理していた核兵器のすべてを宇宙空間へ投棄する。二つ目は、火葬とすれば膨大な二酸化炭素を排出し、といって腐敗すればさらに深刻なメタンガスを放出するということで、地球上に放置されたままだった累々たる人や動物の死骸を宇宙へ捨てる。
  この二つのプランを告げられて、そのための運搬船の建造を任されてから、人類に対する私たちの思いは定まった。

  この美しい宇宙からくだらない生命体を消し去って次の世代の銀河へと手渡したい。私たちは愛し合い、けれども私たちは孤独だった。