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十八話 終の住処


  商いの規模のわりに羽振りがいいという船問屋の船冨士。そこには武尊なる怪しい武器商人が出入りしている。武尊は西国あたりの武器商人であり、船冨士はその品物を船で運ぶ。船は駿府にあるという船冨士の本店を経て品川へとまわされるのだったが、海路をゆく途中の豆州(伊豆)またはその沖に点在する大島そのほか島々のどこかで荷を降ろし、それらの武器を隠していると思われた。裏金が動くから船冨士は羽振りがいいということだ。
  さらに船冨士は禿遊びのための娘らを運んでいる。売られた娘らを品川へと運び、天礼寺なる寺へと送って遊び女に躾けているわけで、そこでもまた裏金が動くことになるわけだ。
  ・・と、いまのところわかっているのはそこまでで、天礼寺と武尊がつながるのかどうなのかまでは知れていないし、いまはまだ表立っては動けない。敵の黒幕があなどれないことよりも、柳への道が途切れてしまっては元も子もないからだ。

  それにしても、それほど多くの武器と小娘・・どちらも幕府が厳しく禁ずる取り引きであり、露見すれば極刑は免れない重罪だ。なのに商う。そこには抜け道のようなものがあるのではないかと、美神は、一人になった寝所で薄闇の虚空を見つめて考えていた。
  西国ということは紀州あるいは尾張の匂い。紀州家尾張家の荷であれば、よほどの確証がない限り幕府といえども手出しはしにくい。
 「紀州の出の上様、お世継ぎを出せず地団駄を踏む尾張・・上様を失脚させたい・・けれど妙だね」
  紀州家御用の商家の娘を狂わせることにどんな意味があるのか。紀州と尾張を睨み合わせるためとはいってもやり口が愚劣すぎる。紀州家そのもの尾張家そのもの、あるいは城中で似たようなことが起こるならまだしもわかるが。そうした釈然としない思いが美神の眠気を遠ざけていた。
  と、そのとき、寝所の外に歩み寄る気配。
 「庵主様、お休みでしょうか、情介です、ただいま戻りました」

  男芸者の二人は今宵も座敷がかかって戻りが遅かった。刻限はそろそろ夜の四つ(十一時)になろうとする。
 「いいよ、お入り」
  情介は膝をつき、そっと襖を開けて中へと入った。油を燃やす小さな炎が揺れている。情介は座敷帰りの着物姿のままであり、どこから見ても女そのもの。
  美神は穏やかに微笑んで迎え入れた。
 「遅かったね、いいお客だったようじゃないか?」
  情介は、はいと言ってちょっと笑い、しかしすぐに真顔となって言うのだった。
 「戻ったのはあたしだけ。虎の姉様は今宵はお客様と」
 「泊まりってことなんだね?」
 「はい。場所は喜世州にて。それというのもじつは、今宵のお客様が尾張藩の腰物支配の配下のお方で」
  微笑んで聞いていた美神の目がきらりと光った。美神は夜具から体を起こして情介と向き合った。
  腰物支配とは、剣や槍など藩の持つ武器を管轄する役職のことである。幕府では腰物奉行がいて配下の者どもを差配する。諸藩ではこうした幕府の役職を真似て腰物支配なる役職を設けるところが多かった。

  情介が言う。
 「ご年配のお方で、名は中条様。お歳のため年内でお役御免となられ、出入りの刀剣商の方々が」
 「なるほどね、お見送りということで?」
 「そうです。それでその席で刀や槍の話となって、長い間ご贔屓にといったあたりの話から、近頃めぼしいものを武尊なる武器商人に買い漁られて困るという話になったもので」
  武尊と聞いて美神の眸が鋭くなった。
 「そうかい。それでそのお方は何と?」
 「はい、話としては聞いておるが、なにぶん紀州様の息がかりゆえ、いかんともしがたいものだとおっしゃられ」
 「なに? 紀州と言ったか?」
  武尊は紀州につながる武器商人・・しかし話がおかしい。紀州を陥れるために紀州家御用の商家ばかりが狙われたはず。当然敵は尾張と考えてしかるべき。
  ということは、紀州家内の何者かが敵を尾張と見せかけて紀州を乱そうとしているということになるのだが・・。

  美神は言った。
 「それで虎が残って?」
  情介はうなずきながらも、それは虎介の心だと美神に告げた。探りのためだけではなくということだ。
 「その中条様というお方は、すでに六十年配なのですが、じつに矍鑠となさり、清廉潔白を物語るようなお方でして、年内でお役御免の身ゆえ、終の住処(ついのすみか)に戻る前に一夜をともに話したいと申されて」
 「終の住処ね、ふむ。 それで虎が残ったというわけかい?」
  情介は微笑んでうなずいた。
 「あのお方は律儀であり忠義の者。やましきところは毛ほどもないかと。このような老いぼれの話を聞いてくれるかと申されたもので、虎の姉様は快く」
 「そうかい、うん、そうかいわかったよ、おまえも今宵は休みなさい」
  情介はうなずいて女将の寝所を後にした。
  終の住処に戻る前にとは、どういうことか?
  人生の最期を過ごす地に戻る前に夢を見たいというならば、中条なる男は男色ということになり、それを知る商人どものはからいで虎介情介が座敷に呼ばれた・・。

  その頃、艶辰からは少し離れた料理屋、喜世州。料理屋とはお上をごまかす仮の姿で、言うならば上格な出合い茶屋。ラブホテルのようなものだった。
  座敷はもちろんもぬけの殻。商人どもはとっくに引き上げ、夜具をのべた奥の間に、中条なる人物と虎介が二人でいる。中条は浴衣に着替え、虎介も黒に雪花の着物を脱いで桜色の襦袢の姿。中条があぐらで座り、虎介が寄り添うようにそばにいて酒の酌をする。大きな火鉢が熱を配り、寒くはなかった。
  中条が言った。
 「わしの先祖は家康様の頃までは伊達家の家臣だったのだが、そのうち徳川に迎えられて江戸に暮らすようになる」
 「はい」
 「とは申せ、軽輩もいいところ。わしとて若かった頃は金がのうて苦しんだもの。それで江戸に暮らすうち、あるとき市ヶ谷あたりの川縁で、いまにも自刃なされそうな御仁に出会ってな」
  市ヶ谷と言えば尾張藩の上屋敷があるところ。
  中条は言った。
 「訊けば家中でハメられ失脚したとか。濡れ衣なのだ、この上は腹を斬って死んでやると申されて、もはや信ずるに足りる者はこの世におらぬと自棄となっておられてな」
 「はい」
 「わしは妙な男でな。若い頃からなぜに男に生まれたのか、裸となって我が身を見たとき呪ったものだ。もしも女の身なら、どんなことをしてもお助けしたい。そのお方はそれは立派なお方であった」
 「はい」

  中条は盃をちびりとやると、ちょっと笑って先を言う。
 「わしは申した。死ぬのなら冥土の土産に一度だけ抱いてほしいと。そのお方は眸を丸くなされ、しかしそなたは男ではないかと申された。そのときのわしは当然ながら着物姿も男であったゆえ、なおさらな。しかしわしは言った。男でも心はあなた様のおそばにおる者。私のことさえ信じられぬと思われるなら、しかたがないとも申したものだ」
 「はい、よくわかります、わたくしもそうですので」
  中条は微笑んで虎介の膝に手を置いた。
 「うんうん、そうだろうと思うたわ、見せかけだけの男芸者であるはずがないと感じたよ。わしも歳だ、その頃のことは夢のまた夢。 して、その後、そのお方が尾張の家中でご出世なされた折、ぜひにもとわしを呼んでくれたということで。そなたがおらなんだら死んでおったと言われてな」
 「はい。真の人の心はきっと通じるものでございます」
 「我が身を賭してもお救いしたい。口惜しい思いに涙されるそのお方は、まぎれもなく美しき心の武士。わしが十七、そのお方が四十少しの歳であったか」
 「はい。少しお待ちを」
  虎介はそばを離れて立ち上がると、中条に見つめられながら、穏やかに微笑んで襦袢を脱ぎ、桜色の湯文字までも脱ぎ去った。濃いとは言えない下腹の飾り毛の中から、いまはまだ静かに垂れる男の道具が揺れている。
  一糸まとわぬ裸となった虎介は、中条の膝に甘えて抱かれると、浴衣の下の褌に手を差し入れて、白髪のまじる毛の中で萎えている中条に口づけをし、頬を添えてほおずりした。
  心が通い、中条の手に尻を撫でられて、虎介の若い男竿がむくむくと勃ち上がる。

  中条は言う。
 「もうよいのだ、何もかも。終の住処で人として余生を過ごしていたいもの。今宵のことは最期の夢。懐かしき我が身をおまえの体に見るようだ」
 「はい、どうぞ可愛がってやってくださいまし。このように大きくなってお情けを求めておりまする」
  中条はますます漲る若い虎介をしっかり握り、そうしながら萎えた老い竿を虎介の口に含まれる。
  中条は夢見るような面色で言う。
 「はぁぁ心地よいぞ、あたたかい。同じことをわしもした。心の限りわしは甘え、ほとばしる熱きものを飲んで差し上げ、そのお方に抱かれて涙した。『わかった死なぬ、何としても生きてやる』 と申されてな」
  虎介はおだやかに勃つものをほおばりながらうなずいた。
 「それからも時折わしは抱かれておったよ。そのお方を尻に迎え、わしは達し、しごいてくださりさらに達する。わしは生涯妻は持たぬ。そのお方が亡くなられ、以来わしは孤独にもがいた」
 「はい、お可哀想な中条様」
 「江戸はもうよい、我が古里、陸奥へと戻る。地獄の鬼が迎えに来るまで生きねばならぬであろうがのう」
 「地獄の鬼でございますか?」

 「それで中条様は、嫌なことがたくさんあったが、何をおいても苦しんだのは試し斬りだとおっしゃられ」
  宗志郎は眸を伏せた。その意味には察しがつく。
  翌朝、朝餉を終えた遅い刻限となって艶辰に戻った虎介。美神、それに紅羽黒羽、宗志郎もその場にいた。虎介は涙を溜めて言う。
 「いかに罪人とは申せ、商人どもの持ち込む刀で斬ってみる、槍であらば突いてみる。そのときわしは鬼畜であり、しかしまた嬉々として、その切れ味を上役に報告し、商人どもにもっとつくれと促すのだと、泣きながら申されて」
  そのときそばで聞いていた情介が、涙する虎介の肩を抱く。この場にお艶さんの三人娘とお光お栗は呼ばれなかった。
  腰物支配の役職には調達した武具を試す役回りもついてくる。死罪と決まった罪人を引き出しては斬り捨てる。とうてい人がする所業でないことをしなければならない役回りの恐ろしさ。これまで誰にも言えなかった苦悩を中条は虎介を相手に吐き出して江戸を去って行ったのだった。

  虎介は頬を涙で濡らしながら、しかし肝心なことはしっかり聞いて、皆に伝えた。
 「こうおっしゃいました。やがてよからぬことが起きはしまいか。堺あたりの鉄砲鍛冶、方々の刀鍛冶が消えておると聞く。思うに、どこぞに集められ、武器をつくっておるのではないか・・とです」
  美神は、宗志郎に眸をやってわずかに眉を上げるのだった。
  虎介はなおも言う。
 「中条様はあのこともご存じでした。何者かが紀州と尾張を睨み合わせようとしておる。そうなれば仲裁に水戸様も動くであろうし、御三家が乱れて落ち着かない。そしてそうした不穏の気配が諸国に伝わり、武器は引く手あまたで売れるであろう。いまの刀は折れやすい。古鉄でなした刀は値が跳ね上がることだろうし、鉄砲など、あればあるだけ言い値で売れる、と申されて」
  宗志郎が空手で顔を洗うようにして、吐き捨てるように言った。
 「なんてこった、そのためか。武器を売りさばいて稼ぐため」
  したがって紀州家をじかに脅かすような真似はしない。世が乱れる気配を醸せばいいということ。ゆえに出入りの商家が襲われたということだ。
  宗志郎は言う。
 「うなずける話だ。上様は近く大倹約令を出されるだろう。そうなれば年貢そのほか取り立ても厳しくなり荒い金も使いにくくなる。紀州も尾張も、御三家であっても苦しくなって宗家の支配に甘んじなければならなくなる。金だ。どんな手を使っても蓄えておきたい。世に不穏がひろがれば幕府はそれを鎮めねばならなくなり、その懐はますます苦しい。そのときに金で宗家を牛耳る算段」

  紅羽が言った。
 「船問屋も武器商人も紀州の息がかり、ゆえに露見せずにやってこれた。鉄砲鍛冶や刀鍛冶を紀州領に集めてつくらせる。幕府といえども手は出せない。古鉄もまた商人どもに集めさせ・・」
  美神が言った。
 「虎も情もお手柄だったよ、これで知れた。けどそこで、では紀州のいったい誰がという問いが残る。まさか紀州公がじきじきにとは考えにくい。家臣の誰かがお家の内情を忖度したと見ていいだろう」
  それきり声が途絶えていた。
  からくりが知れたところで、八代将軍を送り出したばかりの紀州が相手。柳を見つけ出して葬り、武尊そして船冨士をこらしめる。そうすれば事の露見を恐れる黒幕は手を引くだろう。

  品川。海より引き込まれる水路に面した船問屋の船冨士。しかし水路を挟んだ両側に同業の船問屋が並んでいて、年の瀬のいま昼日中は人出が多すぎて見張りにならない。水路を挟んだ向かい側では遮るものがないから素通しになってしまうし、小さな蕎麦屋が一軒あるだけで、旅籠は少し離れている。
  闇にまぎれる忍びであればいざ知らず、まして女姿のくノ一では目立ってしまって動きが取れない。
  同じことが、船冨士からは少し離れた天礼寺にも言えた。町中から離れている分人通りもほとんどなく、昼日中では目立ってしまう。町女の姿で潜める場所などほとんどない。船冨士と天礼寺。どちらを張るにせよ夜を待たなければならなかった。
  それにしても天礼寺の僧どもは何者なのかと、鷹羽は思った。武士というわけでもなさそうだし、忍びなら、同じ忍びの匂いがするはず。僧どもは皆が若く体つきが逞しい。年端もいかない娘らを犯しつくす非道を平然とやってのけ、粗暴そのもの。
  とそう考えたとき、船問屋の船冨士とのつながりを考える。もしや海賊どもではあるまいか。豆州あたりには離島も多く、いまだに海賊が出るという。そうした者どもを味方とするなら武器の隠し場所にも困らぬはず。

  いずれにせよ、一刻も早く柳へつながる手がかりがほしい。娘らの悲鳴が心に刻まれる鷹羽であった。