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十六話 年の瀬


  また三日、焦れるような日々が続く。鷺羽鶴羽鷹羽の三人はいまだ戻らず、それは敵の奥深さを物語るようなもの。くノ一たった三人でできることは知れていたし、疑いを持っても確証をつかむには頃合いというものがある、敵が動く気配がなければやみくもに探っても感づかれるだけ。いつの間にか師走となって年の瀬が迫ってきていた。とりわけ今日は朝から牡丹雪が舞っている。

  そのときは女将の美神が座を離れた大きな火鉢の前で、お光が炭を加えて火を整えていたのだった。なにげに部屋を通りがかった紅羽。
 「冷えるね、寒い寒い」
 「あ、はい姉様、そう思って火をちょっとふくらまそうかと」
  お光の様子がおかしいと感じた。昨日あたりから、それまでのお光とはどこかが違う。元気がないというのか、眸を合わせてもお光のほうでそらせてしまう。
  紅羽は、そばにしゃがんでお光の顔を覗き込むが、お光はちょっと笑ってやっぱり眸をそむけてしまう。紅羽にはだいたいの見当がついていた。
 「どうしたんだい、元気ないね?」
 「えっえっ? そうですか? そんなことはないけれど」
  なんだか哀しそうだと紅羽は感じ、ちょっとおいでと己の部屋へ連れていく。黒羽と二人の部屋であったが、黒羽は宗志郎と出かけていた。

 「ちょいとお座り」
 「はい」
  ちょっとため息をつくように、お光はそっと正座をする。紅羽は艶辰でもっとも歳上の格であり、お光もちょっと意識している。紅羽という女、妹の黒羽より物腰がしなやかな分、さばけたところに少し欠ける。まさに女。美神を除いて女らしさの頂点にいる女。見目形は双子のようでも紅羽は心根がやさしく、そのぶん剣では黒羽が上か。
 「隠さず言ってごらん、どうかしたかい?」
  お光は黙ってちょっとうつむいていたが、意を決したように顔を上げた。
 「お栗が来て・・」
  やっぱりそうか。朝の稽古で薄々感じていたことだった。
  お光は言う。
 「あの子はできる。まだほんの数日なのに、あたしとはスジが違う。棒を振っても鋭いし動きも速い。あたしじゃできない」
 「そんなこと気にしてたのかい馬鹿だね」
 「けど、あたし・・」
 「ほらほら、また黙る、聞く耳はあるんだから言えばいい」
  お光はちょっとうなずいた。
 「あたし、ここの人たちに助けられた。姉様たちには別な役目があると知って、ならあたしもそうなりたいって思ったんです。悪者をこらしめる。姉様たちのお役に立ちたい。そう思って稽古をしても、お栗ほどの才がない」

  紅羽はちょっと笑ったが、お光はますますしょんぼりする。人には分というものがあるのだが、お光の気持ちはもちろんわかるし、こういうときにうわべの慰めではダメ。紅羽は言った。
 「あたしら姉妹は早くに女将さんと出会ってね、艶辰の最初からここにいる」
 「はい」
 「あたしも黒も、剣こそできても三味線はだめ踊りはだめ。それで剣の舞を思いつき、二人で稽古してお座敷芸にしたんだよ。いまでこそ三味線も弾けるし踊れるけどね、その頃はまるでだめ。芸者なんてとてもとても、身のほど知らずだって思ったんだ」
 「はい」
 「確かに剣ではお栗が上かも知れないね。持って生まれた才がある。だったらお光は、お栗にできないことをすればいい。おまえだけの何かを探す」
 「あたしだけの何か?」
 「鷹羽は伊賀者で毒の名手だ」
 「毒?」
  光は眸を丸くする。
 「そうさ毒だよ。おまえはお艶さんとなってもいいし」
  お艶さん・・身を売るってことなのかとお光は思い、そのときはがっかりしたのだったが、紅羽がそんなことを勧めるはずもない。

 「色仕掛けで取り入って毒を盛る。くノ一では女陰働き(ほとばたらき)と言われていて、くノ一仲間からも一目置かれる役回り。くノ一の誉れなんだよ」
  お光は呆然として声をなくした。
 「剣では斬れない敵に対しておまえは戦う。いまいるお艶さんの三人のようにね」
 「え・・」
 「鷹羽がつくった毒を持って敵に近づき、殺すまでいかずともこらしめることができるじゃないか」
  お光は言った。
 「じゃあ、お艶さんの三人は・・?」
  紅羽が微笑んでうなずいた。
 「美介と彩介はそれをした。恋介はまだだけど。虎もそれをしたんだよ」
 「えぇぇ、虎介の姉様も?」
 「幼い男の子をたぶらかしては手籠めにする奴がいてね。虎はそいつに抱かれて毒を盛った。泡を噴いて死んだそうだよ」
 「そうなんだ、あたしはまた・・」
 「ただの色売り芸者だと思ったかい? ところが違う。女将さんはあたしらみんなにそんなことをさせて苦しませるから、いつもああして仏に祈る。だから庵主様と呼ばれてる。何かがあれば身を開いて吸い取ってくださるだろう?」
 「はい。あたし、知らなかった」

  剣の稽古をほとんどしないあの五人は、じつはそうだったのかと思ったとき、艶辰では剣を使える者が上だし、あの五人は格下だと考えた自分が浅はかだったと、お光は思う。
  とそこへ美神が戻り、何やら話し込む紅羽を見て眉を上げた。お光の悩みを紅羽が告げると美神は笑い飛ばし、紅羽が座を離れ、代わって美神が座ったのだった。
 「そんなことだろうと思ったよ、妙に元気がなかったもんね」
  お光は唇を噛んでちょっと笑う。
 「でもね、お栗はちょっと暗い。愛想がない。あれでは芸者には向かないね。まだ十五でもあるし色気づくには早いんだけど、それにしても男っぽすぎるんだ。おまえはやさしい。それぞれ働く場があるんだから、おまえらしいことをすればいいのさ」
 「はい女将さん」
  美神はちょっと叱るような強い目を向けたのだったが、すぐまた笑った。
 「あたしは城中にいた女。大奥だよ」
  呆然として見つめるお光。
  大奥といえば、それは娘らにとっては女の夢を集めたようなところ。思い描くだけの憧れの存在だった。

 「上様のお手がつくならまだしもいいが、よりにもよって嫌な男に言い寄られた。それで願い出てお城を下がり、逃げたってことなんだ。あたしは薙刀でね」
 「薙刀?」
 「剣も少しは使うけど薙刀、それから槍ではそこそこで、警護の者どもに教えていた。けど薙刀なんて町中で使うものじゃないだろう」
 「はい」
 「それぞれにそれを使う場というものがあるんだよ。若いおまえにとってあたしらは憧れなのかも知れないけれど、所詮は殺し屋。どう繕っても殺し屋であることに違いはない」
  お光はそうじゃないと言うように首を振って言った。
 「それは人を生かすため。あたしもお役に立ちたくて」
  お光やお栗にそんなことをさせるつもりもなかった美神だったのだが。
 「まあ心根はわかったよ。おまえらしく気張ることだね。お栗は厨のことがまるでだめ。細かなことに気がきかない。そうなると女中はできない。おまえはできる。敵に潜り込んで耳を使うのがくノ一というものさ。おまえらしい役目があるじゃないか」
 「はい!」
  眸の色がいつものお光に戻っている。十七らしい若さだと美神は思う。
  そしてまたそんなとき、お栗が前掛けをした姿で現れた。

 「姉様、ちょっと」
 「あ、うんっ、いま行く」
  昼餉の支度にかかったまではよかったが、頼りのお光が戻って来ない。美神は、ほらねと言うように眉を上げて微笑んだ。
  厨に入って前掛けをしたお光。お栗と並ぶとまるで姉妹のようだった。お栗はお栗で、艶辰へやってきて数日のうちに次々に流れ込んでくる新しいものをさばききれない。とりわけお栗だけが男を知らない生娘。お光に対してだって肩身の狭い思いをしていた。
  お栗は包丁の使い方からしてお光を横目に習っている。久鬼と二人、喰えればよかった田舎料理と、江戸にいて料亭に出入りする者たちが食べるものとは質が違う。
  厨に二人。若い芸者衆は踊りや三味線の稽古に出ていて、戻ってすぐ昼餉。段取りよくしないと間に合わない。お光が手際よく支度にかかると、お栗はそれを横から見ていた。
 「ねえ姉様」
  まな板に向かいながら横を看ると、お栗が妙に沈んでいる。
 「うん? 何だい何だい、どうしたって?」
 「虎と情の姉様とさ」
  なるほど。一つ部屋で眠っているお栗。

  お栗が言った。
 「風呂もそうなんだけど、あたしどんどんヘンになってく」
 「ヘンて?」
 「姉様たちが抱いて寝てくれ、やさしくされて、あたしよりずっと女じゃないかと思ったとき、男を知らないのはあたしだけだって」
 「十五だからね、これからだよ」
 「それはそうだけど、姉様たちは男だろ。やさしくされると震えるし、そうされてもいいと思うのにしてくれないしさ」
 「それはね、姉様たちは置屋の姉様なんだからしかたがないよ」
 「わかってるよ。けど姉様を見てても思うんだ」
 「あたしを?」
 「そうだよもちろん。あたしが手で、その、してやると、そしたら姉様たちが甘い声で出すじゃないか。それが腹に入れば子ができると言う。そんなことさえ知らなかったあたしって何だったんだろって思うんだ。あたしならいいんだよって言っても、そこまではしてくれない」
  それが美神が与えた、女へと化身していく階段だった。お光は言う。
 「はじめは痛いもんなんだ」
 「痛い?」
 「狭いんだよ。太いアレが入るとひろがって、そんとき血が出たりする。だからちっともよくないんだ」
 「はぁ、そういうもんなんだ?」
  何だ、お栗はお栗で悩んでいた。そう思うと力が湧いてくるお光であった。

  お光が言う。
 「あたしは悪い奴らに犯された。代わる代わるに犯されて、けどそのうち男が可愛く思えてきた。だんだん良くなって達していけるようにもなっていく」
 「う、うん。達するって心地よくてか?」
 「そうだよ。ふわふわ雲に浮いてるようで、あぁんあぁんて声をあげて男の体にしがみつくんだ」
 「うん。はぁぁぁ、そうなんだ? 虎の姉様も情の姉様も、あぁんて言って、可愛いって思ってると出すだろ」
  お栗の息づかいがおかしくなっている。
 「ふふふ、そうだね、あの二人は心が女なんだよ。男に生まれたことが間違ってる。あたしにもそうだった。哀れなあたしのことを抱いてやりたい。やさしくしてくれ、舐めてくれて、あたしは達した。舐めてくれたかい?」
 「え・・うん、舐めてくれた。恥ずかしくて、けど心地よくなってきて、はぁぁぁ」
 「あっはっは、そればっか考えてるんだ?」
 「考えてる。入れていいよって思うんだ。あたしちっとも女じゃなかった。知ってみたい。風呂も一緒だし、男の体を見てるとね、あたしがやさしくしてやると、よっぽど嬉しいんだろなって思うしさ。アレのところが大きくなって」

  可笑しい。お光は剣のことで落ち込んでいた自分が可笑しくなった。
 「あたしいまお艶さんの姉様方と一緒だろ」
 「うん?」
 「毎夜だよ、それが。舐めてくれるし、あたしだって舐めてやるし」
 「そうなんだ女同士で?」
 「人と人。女将さんがいつも言うこと。虎と情の姉様なんて、女将さんに叱られて尻を叩かれると勃てるんだって。それがまた赤ベコみたいなんだって」
 「へぇぇ、えへへへ」
  思い浮かべて笑うお栗。
 「悪かったって思ってるんだろうねって睨みつけて、ナニの先を叩いてやると出しちゃうんだよって女将さん笑ってた。何かがあってしょげてると、よしよしって口でしてやる」
 「口で! 舐めるのアレを!」
 「あ、馬鹿、声がデカい」
  ちょっと首をすくめるお栗。
 「そうそう。そしたら二人とも、いっぺんに元気になるんだって。飲んでやると嬉しくて泣くんだって。すごく可愛いって言ってたんだよ」
 「飲むんだソレを。はぁぁぁ、だめだ、気がおかしくなってきた」
  声を上げて笑い、尻をひっぱたいてやるお光。そういう意味で知りはじめた新しいことがお栗には別の世界そのもので。
  あたしはあたし。お光はきっぱり己を見定めることができていた。

  しかしちょうどその頃。水戸屋敷にもほど近い小川町のあるところで。
  黒砂利を敷き詰めた枯山水の庭。明かり障子を閉め切って冷気を遮り、明るさだけを採り入れる板の間の部屋。囲炉裏がパチパチ爆ぜて熱を配る。
  女が言った。
 「爺の念が失せた」
 「ほう? さては去りましたかな?」
  と男が応じ、女が言った。
 「いや、おそらくは逝ったのだ。生きておるなら残り火ぐらいは感ずるはず。百十余年を生きるとは、なんたる化け物」
  おかっぱ頭の禿を連れた、まだ若い女と、女が二人。そして商家の主らしき五十年配の男。
  男が言う。
 「じきに正月。宿下がりの下女を狙えということで。商家ばかりを狙ってまいり探索の手はそちらへ向かう。次はまさか城中でとは思いますまい。御前様も早うせいと焦れておいでです」
 「わかった。いよいよ世が騒ぐ。じつに愉快」
 「柳(やな)様におかれましても、いよいよもって風魔の再興」
 「ふんっ、そのようなことは考えておらぬわ。徳川にひと泡吹かせてやればそれでよいし、女どもの狂う様も見物というもの。そなたらの目論見が愉快ゆえ力を貸したまでのこと」
 「ではわたくしはこれにて」
  男が腰を低く部屋を出て、柳は障子を開けよと娘の葛に言う。少し明けると牡丹雪が舞っている。
 「美しきかな。されど冷える。ふふふ」
  江戸城に仕える下女、大奥もそのうちだが、盆や正月に休みをもらって城を出ることが許される。これを宿下がりと言う。

  それからしばらくの刻を置いて、宗志郎の小さな家に鷹羽が戻り、追って鶴羽鷺羽の二人が戻ってくる。皆がありきたりの町女の姿。顔を合わせて鷹羽鷺羽は言うことなしと言うように首を振ったが、鶴羽はあることをつかんでいた。
  三人は火鉢に顔を寄せ合った。鶴羽が言う。
 「いまのところは聞き込んだ話だが、品川にある船冨士(ふなふじ)という船問屋に、武尊(ぶそん)なる武器商人が出入りしている。冨士屋はもともと駿府が商人なのだが、ここのところ羽振りがよく、と言って商いがそう盛んというわけでもないらしい。どこぞから動く金があるということ。方々の刀・・」
  と言いかけたとき、戸口に気配。鷺羽が仕込み杖を手にして立つと、宗志郎と黒羽。

 「・・というわけで、刀鍛冶やら鉄砲鍛冶より武器を買い付けているそうですが、どこに隠してあるのかまではいまのところ皆目。妙な武家の出入りもありませんしね。されど商人どもの間では、よほどの金づるをつかんだのではと評判になっており」
  鷹羽が応じた。
 「匂うね。三人で張り付くか」
  宗志郎が応じた。
 「我らも刀の店を覗いて回ったが、方々に古鉄を用いた刀が出回っている。訊けばそれらは西国から仕入れたものらしい。船問屋ならあり得る話だし、刀の出所が西国の何者なのかも確かめておきたいところ。ご苦労だがもうしばらく」
  くノ一の三人はうなずいて、黒羽が封を切らない二十五両の包みを鷺羽に手渡した。
  黒羽が言う。
 「お栗はよくやってるよ。皆も元旦ぐらいは戻っておいで」
  三人はうなずいて微笑むと、「では、あたしらは」と言って鷹羽が黒羽の肩にそっと手を置き、家を出た。
  鷹羽が最初、間を置いて一人また一人と出て行って、一度散ってどこかで落ち合う手筈だろう。

  はらはらと雪は舞い続け、江戸が白くなっていく。


白き剣 第二部。続いて三部へ。