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九話 一筋の光


 「拙者の・・」と言いかけて、宗志郎はチラと女将の美神へ目をやった。芸者を束ねる置屋の艶辰が、しかるべき者の命によって密かに働く者どもの集まりと知り、その頭が美神ということで、どうしても武士の言葉になってしまう。
  夕餉を終え、今宵座敷に呼ばれた鶴羽と鷺羽が戻るのを待って、紅羽黒羽の姉妹と鷹羽も加えた七人で、美神の寝所に輪を描いて座っている。夜具をのべると狭くなる部屋であっても座って話すぐらいならちょうどいい。その場にお光は呼ばれなかった。お光は厨で夕餉の片付けをしている。
  このとき宗志郎は平袴などは脱いでしまい、それでも登城のための堅苦しい着物姿。それもあってついつい武士言葉になってしまうのだった。
  芸だけを見せる鶴羽鷺羽と違って、お艶さんと呼ばれる三人の若い芸者と男芸者の二人は色を売るだけに帰りが遅く、またこうした話に入ることも少なかった。女将の部屋で静かに話す。
 「ううむ、いけませぬな、武士が抜けない」
  美神はちょっと微笑んで、素でいいからと言う。

 「まあ花畑でもあり・・うん、少しはよく見せたくもあり」
  皆が笑う。黒羽はちょっとうつむいて隣りに座る姉の紅羽と目を合わせてくすくす笑う。すべてはお光。あのときあの子がいてくれなければこうはなっていなかった。人の縁とは奇妙なものだと、そう思っても可笑しくなる。
 「じゃあこうしましょう」と黒羽が言った。
 「ここでは宗志郎様ではありません、お名は末様。気楽というもの」
  末様はちょっと首を傾げて眉を上げ、しかし微笑みはすっと失せて真顔となった。
 「剣の友に同心がおり、そやつももちろんお奉行から言われておる。されど目を光らせよと言われても雲をつかむような話であって、さらにどうやって娘どもを操るのか皆目見当もつかぬと申すわけで。妖しき術か、はたまた薬か、それにしてもわずか数日で人をそれほど変えられるものなのか。あるいは忍びの仕業かもと申しておって」
  美神は、鷹羽にちょっと目をやって眉を上げた。
 「あたしらもそう話したものです。鷹羽と、それに鶴羽、鷺羽もくノ一」
  ほう・・と驚くように末様は鷹羽を見つめ、鶴羽鷺羽と順に見た。
 「そんな術は聞いたこともないし、薬であるならわずかな間ではできないね」
  と鶴羽が言って、末様はうなずいた。

  黒羽と紅羽が武家の出、美神もそう。残る三人はくノ一。どうりで隙がないはずだ。なるほどとうなずける陣容だった。
  末様が言う。
 「されど、最前のことを思うても敵にはかなりな黒幕が控えておろう。捕らえられるなら自刃して果てるなど尋常ではない。紀州と尾張がにらみ合って得をする者と申しても、それもまたそこらじゅうにいる話。さらにまたそのへん目星がつこうとも、つまるところ、どうやってという問いが解けねば逃げられる」
  そのとき美神は言うのだった。
 「黒幕を追い詰めるつもりなどないのです。娘らを使う手口が許せない。手を下した者どもを許せない。さるお方も申されておりました。深入りしすぎても世を乱す。そうしたことが起こらねばよい話と」
 「うむ、いかにも」
  末様の声に続いて黒羽が言った。
 「我らは苦しむ女や童を救うことのみ。男のお役人では入り込めないところがある。そのために我らがつくられた」
  末様は、うんと深くうなずいて、それから美神に言うのだった。
 「その探索の大元が見張られている。よって尾けられ、あのようなこととなる、気がかりなのはここ艶辰。いずれ嗅ぎつけられるときがくる。剣において上には上があるということをわきまえられよ」

  美神は眉を上げて首を傾げる素振りをする。そういう意味でも宗志郎が味方となってくれるなら、これほど心強いことはない。
  それはそうでも指図によって動く立場。了解を得ずに引き込むわけにもいかなかった。美神は言う。
 「近いうちにつなぎを取ってよろしいですか? 我らを動かすは御老中、戸田様です。あなた様にもお立場はあろうかと?」
  これには皆も美神を見つめる。そんなことだろうと思っていても、皆々、美神に従うだけであり、それこそ深みには立ち入らない。
  美神は皆を見渡した。
 「この際、皆にも言っておきます。わたくしは、その戸田様の縁者にあたる者の娘。隠していたわけでもないけどね」
  そんなことだろうと、それもまた推察していたこと。
  末様は言う。
 「もとよりそのつもり。花畑の虫を追うは男の本望」
  女たち皆がそれぞれに目を合わせて微笑んだ。いちいち粋なことを言う。
  美神が問うた。
 「末様の剣はどのような? 柳生新陰流とお見受けしますが、ちょっと違う気がしたもので」

  さすがだと末様は思う。剣を知るから剣がわかる。
 「推察の通り、柳生新陰流。なれど先ほども申した剣の友というのが示現流でしてな、真似ておるうち妙な癖がついてしまった」
  ちょっと頭を掻く末様。示現流と言えば強いことで恐れられる薩摩武士の剣。敵の剣をものともせずに突き進み、渾身の一刀で斬り捨てる剛剣として知られた流派であり、昨今、江戸にも入り込んできている剣だ。
  このとき黒羽もまた、どうりで剣さばきが剛なはずと考えていた。
  それはともかく、正座で囲む女が七人、その中で一人だけあぐらをかいた末様。末様が両膝をぽんとやって黒羽にちょっと横目をやった。
 「このようなことになるとは思わず、あのときはあやめ殿に会いたい一心、あの場に越してよかったよかった。ここと二か所の場ができる。粋な棟梁のはからいで湯船も大きく造ってあるゆえ・・」
  眉を上げて黒目を回すあの仕草で黒羽を見つめる。
  これには美神よりも姉の紅羽が声を上げて笑った。隣りに座る妹がどんどん小さくなって、うつむいていくからだ。
  美神が言った。
 「空き部屋もあり、今宵はお泊まりでよろしいでしょう。黒羽もすでに赤羽のようで今宵はどうぞご一緒に・・ふふふ」
  あの黒羽が赤くなる。皆が笑った。美神も粋な言い回しをするものだ。

  さてお開き、というときになって美神はお光を呼ぶよう鷹羽に告げた。皆が出て入れ替わりにお光が来る。濃い茶色に黄色格子の着物を着た愛らしい姿。黒髪も乱れなく結われていて見違える。
  美神を上座において末様とお光が向かいって座る。お光はすでに泣きそうだった。
 「おまえの名は光だったのだな」
 「はい」
 「剣の修行をしておるとか。昔の我が身を斬り捨てたいとか」
 「はい」
 「うんうん、もはや言うこととてない、よかったなお光」
 「はい・・ありがとうございます」
  涙を溜めてうつむくお光。
 「芸者の修行もしたいらしくて」・・と美神が言うと、末様は微笑んで、目の前で正座をし膝に両手を置いて拳をつくるお光の手に、そっと手を置く。
 「さぞ美しい芸者となろう。よく立ち直った、立派だぞ」
 「はぃ、ぅぅぅ・・うぅぅーっ」
  泣いてしまうお光。そのとき末様の目も潤んでいると美神は思い、艶辰にとっても新しい風となると確信した。

  艶辰でそのようなことがあった少し前の刻限だったが、お艶さんと呼ばれる若い芸者の三人娘が、あの喜世州の座敷にいた。
  今宵の客は奥州街道へといたる浅草から蔵前あたりの旅籠の主衆が五人であった。歳の頃なら四十代の末から、上では六十を過ぎていて、その中の二人が三人娘にとってはご贔屓さん。あの夜の男芸者の二人のような拾い紙などはせず、一人が座って三味線を弾き、二人が踊り、お客に「はい」と言われたときにぴたりと止まる。踊り手がふらつけばその者が一枚脱いで、三味線が先に走れば座る女が脱いでいく。
  結局のところ三人ともに白い乳房も露わな湯文字だけの姿となる。もちろん座敷のさらに裏に布団が敷かれ、ただし客の側から無理強いできないという決まり。今宵のお客は決まりを守る上客だったし、歳が歳で、そういうことより見て楽しむ者ばかり。
  踊る二人はすでに桜色の湯文字だけ。若く張った乳房を揺らして踊り、三味線の一人だけが肌襦袢の姿。
  遊び慣れた二人はよくても、こういう席がはじめてだった三人の客たちは目を輝かせて笑っている。

  老いた一人が笑って言った。
 「ううむ残念、三味線の一人が残ってしまった、はっはっは」
  こういう席がはじめての一人が言う。
 「ほほう、脱いでも湯文字までということですか?」
 「辱めては可哀想というものです。これより脱がせてみたいなら心しかありませぬな」
 「ふふふ、なるほど。いずれ愛らしい娘たち。さあ皆々、もういいよ、こっちに来ておくれ」
 「はぁい」
  そうして三人ともに客の間に割って入り、酒の相手をするのだが、このとき湯文字だけの美介と恋介、一人残った肌襦袢の彩介。そのうちの彩介が口惜しがる老いた男の手を取って襦袢の上から乳房に添えた。
 「あぁぁ旦那さん、心地いい」
 「うんうん、よくやったよ彩介、いい子だねいい子だね」
  しなりと崩れて肩を寄せる彩介。男の老いた手が蠢いて乳房を嬲る。
  老いた男が周りに言った。
 「ほらごらん、こちらの心をちゃんとくんで、こうしてくれる。可愛いね彩介は」
 「はぁい、あぁん旦那さぁん」
 「しっぽり濡れたか?」
 「はぁい・・嬉しゅうございます旦那さぁん」

  そんな様子を笑って見ながら、美介も恋介も若く張った乳房を見せつけるようにお客の顔に寄せていき、恋介が、こうした席がはじめただった三人の中では若い一人に乳首を差し出し、男がそっと口づけた。
 「ぁ・・うふぅ・・心地いい、これからもどうぞご贔屓に」
 「うんうん、なんと愛らしい娘だろうね」
  とまあ、そうした席だったのだが、また別の老いた一人が、美介の乳房を肩越しに回した手で揉みながら言うのだった。

 「ここのところ、あんまりですかな。新しい上様が倹約家ということで、お役人様たちも泊まらず過ぎ去るようになってしまった」
 「ウチもですよ、以前はお出かけついでに泊まっていかれたものですが」
 「そうそう、そう言えばちょっと前に不思議なお客様がいましてね」
 「ほう? それはどんな?」
 「いえね、お泊まりの中にお武家様が三人おいでで、酔ってしまって妙なことになりかけたんです。相手はまだ若いどこぞのお内儀さんだったのですが、あれはそう七つか八つの子連れでして」
 「うむ、それで?」
 「その御内儀さんが廊下ですれ違ったときに酌をしろと言われたようで、嫌だとはねつけるとお武家様が怒ってしまい」
 「ほうほう。そうした方もおいでですからな」
 「ところがですよ、その連れのお嬢ちゃんが、にっこり笑って見つめると、どうしたことかお武家様方が呆けたように・・と申しますか、いきなり酔いが醒めたようにと申しますか、これはすまぬことをしたと謝って、その場がおさまってしまったんです」
 「なんとまあ、それはまたおかしな話で。すると何ですかな、その子に見つめられて人が変わった?」
 「そうなんですよ、まさにそんなふうでして。この美介に見つめられて、あたしなど狂ってしまう、そんなようなものでしょうかね、はっはっは」

  その夜のこと。艶辰に戻ったお艶さん。
 「そうかい、そんなことをお客が言ったか?」
 「そうなんですよ。夕べのお座敷がはじめてだった蔵前の旅籠の旦那さんなんですけどね。それだけのことなんですが気になったものだから」
 「うん、わかった、お手柄だったね。おいで美介・・」
  美神は両手をひろげて夜具の中に美介を誘い、帯を解いて白い裸身を抱いてやる。
 「あぁぁ庵主様ぁ・・ぁ・・あっ・・」
 「ほうらいい・・心地いいね・・ほうら濡れる・・しっとり濡れる」
 「はぁい・・あ、あ、あぁん」
 「さあ美介・・可愛がってやっておくれ」
  寝間着を着たまま膝を立てて腿を割る美神の奥底へ、美介は吸い込まれるように唇を寄せていく。

  さて、その同じ頃、別棟の空き部屋で末様と黒羽・・さすがにそこまでのことはなく、薄闇の中で宗志郎独りが横になり、ぼんやりと虚空を見つめていたのだった。
  どのようにして娘を操るのか。そこさえ知れれば敵もまた知れるやも・・と考えて、あの方ならもしやと思う。高輪にある湧仙寺(ゆうせんじ)という古くからの寺の住職であったのだが、齢はすでに八十をこえていて多くのことを知っている。
 明日にでも早速訪ねてみようと考えた。
  老中の戸田と言えば厳格厳正で知られた堅物。そんな男が色街の置屋に手の者を隠しているなど思いもよらない。
  知らぬことが多すぎると宗志郎は考えた。若くして家に背を向け、ろくに世を見なかった。なのにその一方で、女たちが命がけで動いている。恥ずかしい思いがして、だから眠れそうにもない。

 「眠れないの嬉しくて」
 「うむ、さあおいで、抱いてあげる」
  夜具を川の字にのべた虎介情介そしてお光。立ち直るきっかけをくれた宗志郎の剣が脳裏をよぎり、半裸とされて燃えるように恥ずかしかった己の姿を思い描く。
  夜具を抜け出し、寝間着を脱いで裸身となって虎介の布団へと潜り込む。お光の肌には尻にも背にも二の腕にも剣の稽古で青痣が浮いていたが、そこをそっと撫でられて、そしたら背中を情介にも抱いてもらえ、お光はそっと二人の萎えたものへと手をやった。
 「ふふふ、可愛い・・やわらかい」
  今宵の姉様たちは女のお客を相手した。どういうことがあったのだろうと考えると二人が哀れにも思えたし、逆に嬉しいかったんだろうとも思える。
 「ねえ姉様方」
 「うん、どうしたね?」
 「女のお客さんて、どうなんだろと思ってしまって」
  背中から抱く情介が耳許でささやくように言う。
 「あたしらの姿に震えるように抱いてくれ、しゃぶってくれて、奥の間に引き込まれることもある。抱いてといって脱いでくれると嬉しくてあたしらが泣いてしまうのさ」
 「抱いてって言う?」
 「言うよ。お体に尽くしてあげて、それからは手でやさしくされる。あたしらが出してしまうまで」
 「えー出すの? 心地よくて?」
 「もちろんじゃないか」
 「・・うん、わかった、姉様たちって女だもんね」
 「そういうことさ。だからお光と心は一緒。抱いてやってお光が濡れるとあたしらだって達していくよ」
 「・・うん・・そうだと嬉しい・・」
  それでお光は安心したのか、二人のものを握ったまま静かになって眠ってしまう。

  そして翌日、ぱらつく小雨の中を宗志郎は高輪に向かって歩いていた。