六話 お光の震え
その深夜。雨も小降りとなっていて音のない静かな夜。
鷺羽鶴羽鷹羽の三人が戻ったのは暁の九つ(午前零時)を過ぎた頃。そのときもちろんそれぞれが寝所で眠り、今宵ばかりは一人で寝所にこもっていた美神の元へ、戻って寝間着に着替えた鷹羽がそっと忍び込むようにやってくる。
「ただいま戻りました」
囁くような小声。しかしもちろん美神は気配に気づいている。
「ご苦労だったね、娘らはどうだった?」
「お光同様かなりな折檻を受けていて、けど皆が元気。尼寺へ預けてまいりました」
「快く引き取ってくれたろう?」
「はい、それはもう。庵主様というお方は、それは穏やかな老尼でいらして、うんうん、そういうことならわかったよって」
美神は静かに微笑むと、両手をひろげて寝間着姿の鷹羽を夜具の中へと誘い入れ、母が娘を抱くようにそっと抱きくるんでやったのだった。
「冷えたろう・・冷たい」
「はい庵主様、心地いい」
寝間着越しに鷹羽の背を撫で、美神は言った。
「このあたしが面倒をかけた庵主様でね。もうずいぶん昔のことだけど」
美神の静かな声をやはり寝間着越しの乳房のふくらみの裏に聞き、鷹羽は目を閉じてすがりついて甘えている。
「それで組のほうは?」
話にならない、まるで相手にならなかったと鷹羽は笑う。
「組長というのが五十前の里という、でっぷり肥えた女。手下どもも見事に若造ばかりであたしらの相手じゃありません」
「うむ」
「何でも五年前に組長を亡くし、組の主だった者どもがよそへ鞍替えしてしまったとかで若造しか残らなかった」
「うむ」
「脇差しで手向かう連中をあたしらがあしらうと、里という女は、手下どもは許してほしい、斬るならあたしをと言い、それならばと里に剣を向けると今度は手下どもが泣いて許してやってと言う始末」
「ほう・・思ったよりもいい奴らか」
「そんなことでお光が言ったことも少しはうなずけ、かといって懲らしめておかないとと思ったもので、皆を丸裸に剥いて縛り上げ、里の耳でもいいし乳首ぐらいは削いでやろうとしたのですが、手下どもが泣いて泣いて、どうか許してとすがるもので」
「親と子なんだね」
「そのようでした。裸の里を縛り上げて柱に逆さに吊っておき、手下どもはひとまとめに縛り上げ、明日になったら叫べばいいと言い残して去ってきた」
「なるほど赤っ恥というわけかい。うむ、それでいい。思うほど悪い組でもなさそうだ。身に染みればよしとして」
「そうであってくれればいいけど・・ぁ・・庵主様ぁ・・」
美神の手が鷹羽の寝間着の帯を解き、鷹羽は震えて抱かれていった。
それから何刻かが過ぎた朝のこと。お光は虎介情介の寝所に移され、若くて愛らしい二つの寝顔に挟まれて目を開けた。夜具を三組、川の字にのべると部屋は狭い。目覚めたとき女の中にいると思い、香木のかすかな香りもあって安堵したお光だったのだが・・。
「目が覚めたかい?」
それにしては声がなんとなく違う気がした。声をかけたのは情介で、お光よりも六つ歳上。そしてその声で虎介までもが目を開けて、体を横寝に左右からお光を見つめる。一夜明け、鼻血はもちろん止まっていたが左目の周りが青くなって張れている。結っていた町娘の髷も解かれ、素裸に一枚だけ寝間着を着せられていたのだった。お光は己の体をまさぐってハッとする。けれど女同士の中にいる・・と考えたのだったが。
「傷まないかい?」
「あ、いいえ、もう」
虎介の声のほうが違って聞こえる。情介よりも三つ下で二十歳の虎介のほうが声が低い。
なのにどちらもが女の黒髪。それにここは芸者の置屋のはず。お光は何が何だかわからない。
「そろそろ起きる刻限だよ。あたしらと一緒にやることがあるからね」
「はい。あの・・」
「なんだい?」
「あたしほんとにいていいの? 盗人なのに?」
「いいんだよ、おまえ次第だって女将さんに言われたろ。さあ起きよう」
「はい」
狭い部屋で揃って起きて、しかしすぐに着替え。お光の着物は綺麗にたたまれて置かれてあった。小柄なお光には鷹羽の着物がちょうどいい。
夜具を離れて立ってみると、虎介情介の二人がはるかに背が高く、薄い単衣に透ける腰の線が固いと感じる。
まさか。
その上さらに二人が寝間着を脱ぐと桜色の湯文字を腰に巻き、なのにどちらにも乳房がない。愕然と見つめるお光に二人は顔を見合わせて微笑むのだった。
「驚いたかい? あたしら男なんだよ」
「えっえっ・・」
それきり絶句するお光。
「いろいろあって女将さんに拾われたのさ。あたしらも芸者のはしくれでね、お客が女でも男でも、あたしらは女としてお座敷に出てるから」
と虎介が言い、情介は着替えろと言う。
棲む世界の違う男・・いいや女・・どっちだろう?
あたしは脱げば下穿きさえ身につけてはいない。恥ずかしさがこみ上げて頬が真っ赤になっていく。
だけど脱がなければならない。お光は背を向けて震えながら寝間着を脱ぎ去り、そしたら両方の背後からそっと二人が抱いてくれる。ゾクゾクとする妙な心地にお光は身を固くした。
「綺麗だよ、お光は」
「うん、愛らしい姿じゃないか。誰にだって昔はある。あたしらと一緒に生きようね」
「はい」
生娘でゴロツキどもしか知らなかったお光にとって、はじめての男のやさしさ。
それに言葉も仕草も、何もかもが女よりも女らしい。あたしじゃ勝てない。女のはずのあたしなのに男の二人にとても勝てない。そう思うと、不思議なことに、この二人には甘えていいと思ってしまう。
「愛らしいよ、お光」
そう言って肌を撫でてくれる二人の男・・ほんとに男?
「これから毎夜抱いて寝てあげる。あたしらの胸で泣けばいいからね」
「はい、あたし気張ります、死んだ気で気張りますから」
涙があふれてならなかった。素裸で立っていて、湯文字だけの情介に前から抱かれ、湯文字だけの虎介に後ろから抱きくるまれる。二人の肌は熱かった。
衝き上げるお光の嗚咽が鳴き声となって響いていた。
真新しい赤い湯文字、襦袢を着せられ、それまで見たこともないような浅い藤色の花模様の着物を着込み、キラキラ光る黒い帯。
それから座って、虎介に黒髪を結い上げてもらうのだったが、それもそれまでのいいかげんな髷ではなくて、格上だと思っていた女の艶に満ちたもの。それで最後に情介が持っていた鼈甲(べっこう)のかんざしまでも。
そんな姿で外に出て、前掛けをさせられて、女たちの洗い物から一日がはじまった。お光の心はふわふわしていた。
ぽんと背中を叩かれて、それは黒羽。まだ髪も結ってなく、着物もあたりまえの姿なのだが、今朝になって見つめてみるとうっとりするほど美しい。
「似合うじゃないか」
「あ、はい、けど・・」
「びっくりするのも無理はないよ。その着物、鷹羽の姉様のだからね、ちゃんと礼を言うんだよ。あたしは黒羽、よろしくね」
そう言いながら、今度こそ女の黒羽が抱いてくれる。夢のような心持ち。
お光を抱いてやりながら、黒羽はそばにいて見守る二人に笑いながら言うのだった。
「こんなことだろうと思ったよ、かんざしまでしてやってさ。愛らしくし過ぎじゃないのかい。ふふふ、可愛い可愛い妹分てことだろうけど」
そこは流し。洗い物もすれな顔も洗うそんな場所。夜具を起き抜けた女たちが次々にやってきて、見違える姿にされたお光のことを次々に抱いていく。
「おやまぁ愛らしい。目の周りがちょっとだけど。ふっふっふ」
「はい、恥ずかしくてあたし」
「あたしは鷹羽、よろしくね」
「あ、このお着物、姉様の・・あたし嬉しくて」
「わかったわかった、泣かない泣かない。せいぜい気張りな、ここでだめならおしまいだよ」
それで最後に女将の美神。とりわけどうという着物でもなく化粧もしてはいなかった。なのにそれでも声も出ない美しさ。お光は女の格というものをはじめて見た思いだった。
「お光」
「はいっ」
「虎と情、二人の心にどう応えるかがおまえを決めるんだ。ここは夜の女の住処だよ。うわべの繕いなども一切いらぬ。思うがままに応えてやりな。女の命に胸を張るんだ、わかったね」
「はいっ!」
美神に尻をこれでもかと叩かれて、お光は泣きながらも白い歯を見せて笑うのだった。
夕べの今朝。起き抜けていきなり違う世界にいたお光。そしてその日の夜、虎介情介の二人が戻ったのは遅かった。二人はそれから湯に浸かり、そっと忍ぶように寝所へと入って来る。
夜具が三組、きっちりと整えられていて、その真ん中にお光はいる。お光は寝間着を着た姿。自分の布団の上で三つ指をつき、戻って来た二人を迎えるのだった。
「虎介の姉様、情介の姉様、遅くまでご苦労様です」
「うんうん、先に寝てればよかったものを。遅くなってすまなかったね」
二人が左右に分かれて横になり、お光はささやくように言う。
「今宵のお客様は女の方で?」
虎介が寝返ってお光を見つめた。
「いいや男のお客さ」
「男の・・」
「そうだよ。あたしらにはご贔屓さんでね」
そしたら横から情介が言う。拾い紙という遊びがあって、負けた方が脱いでいく。恥ずかしくてならないけれど、それでお客さんは楽しんでくれるのだと。
「それはその・・男同士でということに?」
虎介が言う。
「そうなるときもあるし、お客が女であれば女同士ってこともある。ほら、あたしらって女だろ」
「ああ・・はい」
「今宵はお相手が男だったというだけであたしらはいつも女。それは楽しそうにしていただいて、抱かれて可愛がられると、ほら、男って勃つからね、それはお客さんもだけど」
「お相手の方々も?」
「もちろんそうさ、あたしらの心に応えてくださる。それが嬉しくてあたしらだって応えて差し上げる。硬いものをしゃぶって差し上げ、導いて差し上げる。そうすると向こうだって同じようにしてくださり、あたしらは女の声を上げて達していくんだ」
頬が燃えるような話であった。男色などあたりまえの時代であっても、下々ではそうではない。男同士が抱き合う姿を思い描くと、身震いするような人の深さを思い知る。愛という世界を知らないうちに性だけをたたき込まれたお光には、それは遠い世界のように思えてならない。たった一日のことでお光はむくむくと何かが育ち枝葉をひろげていく己を感じた。
「美介の姉様ともお話しましたが」
それには情介が応じた。
「お艶さんと呼ばれていてね、三人ともに」
「はい、少しお話ししてくれて」
「脱いでも湯文字まで。同じような遊びがあって脱がされていくんだけど、姉様方は姉様方で、笑っていただけ抱いていただけ、本気で濡れるって言ってるんだよ」
「・・はい」
「人はそんなものなのさ。心はきっと通じるもの。それだけのために生きるのがあたしらなんだし」
それで一度は声も絶えて目を閉じたお光だったが、ふいに虎介が言う。
「なぜだかわかるかい?」
「え?」
「あたしらがなぜそうするのかってことじゃないか」
お光には答えようがなかった。
しばらく待って虎介が言う。
「命はいつ消えるとも知れないもの。そのときの想いに素直でいたい」
お光はそれでも声が出ない。それは組にいてゴロツキどもに抱かれていてもそうだった。あたしなんてクズ。けれどクズなりにいまの喜びに浸っていたい。虎介の言葉のそこだけは素直に飲み込めるお光だった。
そして同時にお光はこうも考えた。夕べの女将さんのあの言葉・・『殺すまでのことはない、痛めつけてやるんだね』・・ここの人たちは芸者というだけではないのではないか? 命がけで何かをする人たちではないか?
それゆえそう思えるのではないかと。
「あたし・・」
そう言って黙り込むお光に、二人は左右から目をなげた。闇の中にキッと目を開けて虚空を見つめるお光の姿が見てとれる。
情介が問うた。
「言いな。なんだい?」
「あたし力が湧いてきた。けどあたし、罰もなく許されるのは嫌。怖いんです。これまでのあたしを叱ってくれないと怖いんです」
この子はもがいていると二人は思う。それはかつて己でも嫌というほど苦しんだのと同じ思い。しかし罰とは己で見つけて己を裁くもの。ただの甘えだと気づくにはお光は若すぎると、このとき二人は考えていた。
「お光」
「はい姉様?」
「あたしがおまえを抱いたとする。それでおまえが達してくれて眠れるなら嬉しくなれる」
「はい」
「あたしがおまえを責めたとする。おまえは泣いて苦しむだろうし、そんなおまえを見ているあたしはもっと苦しい」
「・・はい」
「ならば、おまえが己でおまえを責めたとすればどうか。あたしらはどう思うか、そこをよく考えるんだね」
虎介から夕べの話を聞かされて、鷹羽はお光を叱っていた。