十七話 対峙


 頭巾の女がふたたびやってきたのは、明日から師走(十二月)と
いう、霜月(十一月)最後の日。桜の葉もすっかり散って、けれど
も冬でも葉のある生け垣だけは濃く青い越冬葉をつけていた。

 今日は茶色頭巾の女。境内を滑るように歩み、滑るように去って
行く。昼を少し過ぎた刻限で、そのときも寺には才蔵ひとり。皆は
買い出しに出ていなかった。
 金はその包み嵩から五両と思われ、受け取った才蔵は、ともに歩
んで門の間際の大石のところで立ち止まる。
「お待ちあれ」
 女は背に向けられた声を受け、静かだが明らかに身構えるように
立ち止まり、しかし一瞬後にしなやかに振り返る。
 才蔵は、あえて納屋を振り向く素振り。女の視線が才蔵の目の行
き先を追うようについてくる。
「なんぞ?」
「話されずとも結構にござる、ただお聞きくだされば」
 女はちょっとうなずいて頭巾の中から見つめている。若くはない
が澄みきったいい目をしている。

「どなた様かにお伝えいただきたい。『この家は光の中にあり、た
だただ長く安穏が続くのみ』・・と」
 女はその言葉を心で噛むように沈黙し、そして言った。
「はて? 何のことやら解せませぬが?」
 才蔵は微笑んでうなずいて、北風に冷えた大石に手を置いた。
「何も申されずともよいのです。ついてはひとつお願いしたきこと
があり・・火種は拙者が消し去って、拙者もまた消え去るでしょう」
 それから女は才蔵の言葉に耳を傾け、されど沈黙したまま去って
行った。

 数日後の筑波の山寺。
 穏やかな時の中に息づくような美しき女性(にょしょう)は、そ
のとき少し風のそよぐ庭先を見やりながら言うのだった。
「ほう・・この家は光の中にあり、ただただ長く安穏が続くのみと、
そう言うか・・ふふふ、なるほどのぅ、その者さぞや、ただ者では
あるまいて」
 頭巾の女は、このときもちろん頭巾などはしていない。お付きの
女は言うのだった。
「左様にござりまするな、よもやそのようなことを聞こうとは」
「家光様、忠長様、どちらもが安穏・・ふふふ、なるほどのぅ。わ
かったぞ、その者の思うようにさせてやるがよいと思うが」
「かしこまりましてござります、ではそのように」

 師走となり、一日また一日。今年は冬が遅いようで風はぬるく陽
射しが注ぐ。その夜もまた夕餉に間に合うように仁吉がやってきて、
童らの声が絶えない賑やかな時が流れていた。
 今宵仁吉は祝言の日取りが決まったと言いに来た。普請の仕事は
雪が降れば止まってしまう。冬冷えが来る前の大仕事で大工は忙し
い。祝言は春というのが慣例なのだが、正月休みに集まろうと話が
できた。浜町にいる仁吉の親、大工の親方や大工仲間、できるなら
越後の山奥にいる仁吉の生みの親も呼んでやりたいところなのだが、
越後はすでに雪に閉ざされ、春が来て、お香とそれから十吾やお花
も連れて会いに行こうということになっていた。

 夕餉がすんで才蔵ひとりが抜け出して庫裏にいた。しばらくして
お泉がやってきて、ため息をついて苦笑する。毎夜毎夜同じような
ことの繰り返し。これが幸というのものなのだろうとお泉は思う。
「何も変わらないね、可笑しくなるくらい」
「まったくな、やってられん」
 夜具をのべ横になる刻限がやってくる。それもまた日々の繰り返
し。夜具の間に隙間をつくり、お泉が背を向けて横になる。今宵は
とりわけ風もなく、静かに沈む闇だった。
 しかしそのとき、お泉はサッと横に転がり、仕込み杖を手にする
と身を翻して身構えた。才蔵ももちろん気配には気づいていたし、
あえて気配を消さずに忍び寄ることを察していた。
「よいよい、相手は知れてる」
 お泉は、そんな話は聞いていない。才蔵は手をかざしてお泉を留
め、寝間着の上に綿入れを羽織って、そっと裏口から外へ出た。

 そこは薪割り場。今宵も見事な丸い月。
 積み上げた薪の束の陰から小柄なくノ一が滲むように現れた。小
柄でも手練れ。腰の剣もかなり使うだろうと思われた。
 あのときのくノ一に違いない。片膝をついて頭を下げる。
「お伝えするよう申しつかって参りました」
「うむ、ご苦労、寒いのにすまぬな、風邪などひくなよ」
 くノ一は、まさかというように才蔵の姿を仰ぎ見て、ふたたび深
く頭を垂れて、それからそっと顔を上げた。そんな言葉をかけられ
ようとは思ってもいない。
「僧は二手に散っており、片や巣鴨の古寺に三名、片や本郷の旅籠
に四名。なれど僧どもの頭とおぼしき者は巣鴨かと」
「そうか、わかった」
「巣鴨へ参られれば敵に動きあるともつなぎはとれるようにしてし
てござりまする。ではこれにて・・」
 くノ一は、片膝のまま深く礼を尽くすと身を翻し、闇の中へと滲
んで消えた。

 翌日の巣鴨。
 寺をひとりで出たはずが、旅姿のお泉が白木の杖を手に、いつの
間にか影となる。才蔵は気づいていながらちょっと笑って歩みを進
めた。

 そこはいまにも朽ち果てそうな小さな寺。参勤交代で諸藩が屋敷
を造りだし、その敷地漁りで、こうして打ち捨てられる寺や神社が
そこらじゅうにあったのだ。金とは怖いものだと考える。
 だがそこは破れ寺といってもちゃんとした門があり、境内もそれ
なりに広かった。才蔵は迷うことなく踏み込むと、それまで気配の
失せていた本堂の左右から、薄汚れた法衣をまとった若い僧がふた
り現れ、ふたりともに錫杖を構えて才蔵に突きつけるのだった。
「そなたらの同胞を五人斬った」
「貴様、なぜここがわかった?」
「そのようなことはよい、頭目に会いに来た」
「何ぃ・・おい殺れ」
 しかしそのとき表の様子を探っていたもうひとりの男から声がか
かる。落ち着いた老いた声だ。
「待て、よいから退け」
 ふたりの若い僧が錫杖を降ろし、滑るように一歩退く。

 本堂の板戸が軋んで開いて、あのときの老僧と同じ年格好の老い
たひとりが姿を見せた。歳の頃なら七十に近いだろう。
 老僧は言う。
「何ゆえ参った?」
「話がしたくてな。上がってよいか?」
 老僧は才蔵を強い目で見下すと、左右に散ったふたりに目配せし、
背を向けて本堂へと入っていく。才蔵が追う。数段の踏み段を上が
り、履き物をそこで脱いで、草源寺とはくらべものにならない広い
板の間へと歩みを進めた。
 本尊はすでにない。何もかもが草源寺そのもの。朽ちていく寺に
は仏さえも無用の長物なのだろう。
 上座に老僧、その左右に若いふたりが今度は剣を左に置いてあぐ
らで座る。才蔵は青鞘の大小を腰から抜くと、座の右に揃えて置い
て腰を降ろした。
 老僧は、そうした才蔵の振る舞いから眼光もいくぶんやわらいで、
まずは聞くつもりになっているようだ。

 才蔵が言った。
「まずは竜星和尚の言葉を伝える。書き置きが見つかってな」
「ふむ、何と?」
「それを知って何とする。人として想い、人として恥ずべきことの
ないように、と」
 三人は顔を見合わせるでもなく、ただ黙って聞いていた。
 老僧が言う。
「そなたは公儀の手ではないのだな?」
「無論だ。まっぴらだね、まっぴらごめんさ」
「何?」
「武士などまっぴら。俺は流れ流れて漂うだけの男でござるよ」
「では何ゆえ剣を抜く?」
「寺を襲われれば女子供は守らねばならぬ。そなたらがふたたび襲
うとあらば皆殺しにするだろう」
 老僧はともかくも左右の若いふたりはいまにも飛びかからんばか
り。しかし才蔵は身じろぎひとつしなった。

 才蔵が言う。
「そなたらは忠義の武士。亡き忠長様に尽くす者とお見受けいたす。
拙者とて武士のはしくれ。そのような者どもに死んで欲しくはない
のです。伊豆へ戻られ、主君のために祈られよ」
 老僧はシワ深い目を向けて視線を外さず、才蔵の真意を探ってい
る。
 才蔵は言った。
「さるお方がおいででな、そのお方は、亡き先代将軍ならびに亡き
忠長様のどちらもを想い、日々仏に手を合わせておいでなのだ。は
るか高みの殿上人ぞ。徳川の中にも真を知って心をいためておられ
るお人がいる。忠長様の無念を想い、どうか許せと祈るお人がおる
のです」
 老僧は目を細めつつ、それでもまっすぐ才蔵を見つめている。

 才蔵はなおも言う。
「さらに、いまさらそれを暴いたところでそなたらに何ができる。
すでにこうして居場所など筒抜けだ。倒幕の企てなど拙者は知らぬ、
どのようにでもするがよかろう。されどそれには力を蓄えねばなら
ぬ。どれほどの者が賛同するのか見極めねばならぬであろう。そな
たらの真はそこにあるのか。忠長様の無念をそなたらよりも想い、
一心に想い、手を合わせておいでの殿上人がおいでなのだぞ。徳川
にあって忠長様は孤立無援ではない。それでいいのではないか。こ
こで動けばそなたらごとき踏みつぶされてしまうだろう。ここは皆
を伴って退き、主君をご供養せしめ、その後また決起するならそれ
もよかろう。あの寺の女子供を手にかけて天上の忠長様が喜ばれる
とお思いか。哀れな孤児ばかりぞ。そなたら皆、僧ではないのか。
死ぬな、生きろ。それを言いに来たまでのこと」

 老僧は黙ったまま、静かにひとつうなずいた。
「しかと相違ないのだな? 忠長様を想って祈るお方がいると?」
「相違ござらぬ。拙者が斬ったそなたらの同胞、草源寺にて手厚く
供養しておりまする。孤児として竜星和尚に育てられた若き娘が花
をたむけて祈っておるのです。そなたらのごとき誇り高き者どもを
失いたくはない。林景寺に戻られよ、そうされよ」
 話を聞くうち左右の若いふたりはうなだれて、古い板の間の波打
つ板目を見つめていた。
 老僧は深く息をひとつして、それから顔を上げるのだった。
「わかり申した、かたじけない。伊豆にこもるとしましょうや。な
あ皆も」
 才蔵は刀を置いたまま立ち上がり、老いた僧のシワ深い手をそっ
と握った。
「お察し申す、さぞや無念」

 老僧の目の底が涙に揺らいだ。