2017年10月18日

流れ才蔵(十三話)


十三話 黒い謎


 お泉は今夜のところは帰していた。お泉が夜をどうすごすか才蔵は
知らない。それも忍び。忍びは人知れず存在するものでなければなら
ない。仁吉は留まってお香ら三人と広い本堂で眠っている。才蔵は狭
い庫裏。古くなると多少なりと手の入れられる本堂とは違い、庫裏は
一際狭くてかび臭い。畳にすれば八畳はあるのだが箪笥なども置かれ
てあって足場という意味で狭いのだった。

 この寺の住職だった竜星という和尚は、いつ頃からこの庫裏に暮ら
したのだろうと考える。死んでいった老僧は忠長の名を惜しむように
「乱心などされておらぬ」と言い残した。かつての駿河大納言、徳川
忠長にゆかりの者、そしておそらく由井正雪の倒幕の企てにも荷担し
た者ども。そういった輩が欲しがる秘密とは何だろうと、その一点が
胸のつかえとなっていた。
 先代将軍、家光の実弟である徳川忠長は世継ぎ争いに敗れ、駿河大
納言という地位を与えられるが、それは結局、江戸からの追放だった。
後に乱心を理由に自刃に追い込まれて生涯を閉じている。
 それがもし、あの老僧の言うとおり仕組まれたものであったとした
ら・・配下の者どもがほしがるものにはふたつあると思えてくる。

 ひとつは江戸表に一泡吹かせる何か。もうひとつは亡き主君の汚名
を晴らす何か。才蔵はそのどちらもを満たせるものだろうと考えてい
た。倒幕の企てはつい昨年脆くも崩れた。ふたたび動きがあるとして
も、それに足る力を蓄えてからでないと動けまい。
 とすれば残るは主君の無念を晴らそうとする動き。林景寺の面々は
そのために寺を捨てて江戸に潜んだ。最前の老僧は、この寺の住職だ
った男に歳が近い。その頃はまだしも穏やかだった林景寺にいた同門
の僧に、竜星はあるときこの寺の秘密を漏らしてしまったのではない
か。そのときはよくても後になって老僧は敵となったということだ。
 やがて由井正雪が立ち、倒幕の企てが密かに進む中で、それに乗じ
ていまの江戸表をつぶそうと企んで、竜星から聞いていたある物がど
うしても欲しくなる。
 そうやって話を組み上げていくと辻褄が合うのである。
 斬り殺した五人は無頼の輩ではない。忠義を貫く武士ばかり。そん
な者どもを斬ったからには、隠されたものが何なのかを確かめないま
ま手を引くわけにはいかなった。事実を知り、その上で死んでいった
者どもを供養してやりたい。才蔵もまた武士。関わりなきことではす
まされないと考えていたのである。 

 だが、そうしたこととは別に、ここを家として育てられた童らは守
らなければならない。仁吉もいる。襲った者どもが、はたしてまた来
るのだろうか。敵が多ければ守り切れない。ここはやはり皆を逃がし
ておきたいとは思うのだったが、下手に勘ぐられてそっちを追われて
はひとたまりもなく殺られてしまう。
 先々のためにも是が非にもカタをつけておかなければならないだろ
う。

 その朝、しとしとと小雨が舞い落ちて境内の土は水を含んで黒かっ
た。旅姿の女がふらふら歩みやってきたのは昼少し前の刻限だ。
「急に腹がさしこみまして」
 まあ、それはお泉の一芝居。まんまと寺に取り込んで、皆で笑った
までのこと。このときお泉は白木の仕込み杖だけを手にしていて、弓
矢も忍び装束も携えてはいなった。
 昼が迫り空は急に明るくなって陽射しが注ぐ。寺社奉行の役人ふた
りがやって来たのはそんなとき。才蔵はふと、あることを思いついて
申し出た。

「ほう、囲いを造りたいと申すか?」
「ずいぶん前に賊に入られましてな、本尊さえも盗まれる始末でして」
「ふむ、それは物騒だ」
「とは言え、土塀などでは物々しい。周囲を杭で囲み、縄を張って柵
をつくる。その上できますれば、この寺が寺社奉行支配であることを
示す立て札などをと思っておるのですが。柵はこちらでいたすとして
も立て札だけはどうにもならず。なにぶん女子供の所帯ゆえ、そうで
もしないと心細いこともあり」
「うむ、なるほどのう。よしわかった、その旨を話してみよう、しば
し待て」
 公儀支配を堂々と晒してしまえば手が出しにくくなる。それと大石
の下の秘密を掘り返そうにも、目隠しがないと、三方を囲む浅い谷の
向こうに並ぶ武家屋敷から素通しになってしまうこともある。柵をこ
しらえ、門の周りだけでも木を植えて生け垣とするということだ。

 そして役人どもは、才蔵のはるか後ろでお香らと昼餉の支度をする
見たことのない女に視線を投げた。
「なにやら見ぬ顔が増えておるが?」
 才蔵は笑って言った。
「ここはそういうところでござるよ。旅の途中で病になり、すがって
参った女です。しばらくは養生ということで」
 役人ふたりは顔を見合わせ、そして言った。
「左様か、いやいや、ますます感心するのみ。孤児の世話と言い、よ
くやってくれておる。先の話わかったぞ、柵ともどもこちらでやって
やりたいもの。杭とは言え銭のかかることゆえな」
 人の好い役人だ。才蔵は内心ほくそ笑んで帰って行くふたりを見送
った。

「柵に生け垣? そんなもんでよきゃぁ、あっしがやりますものを」
 話を聞いた仁吉が言った。
 お泉がそれに苦笑して応じた。
「お役人の手を借りてこそなのさ」
「へ?」
「そのとき人足と一緒にお役人に出張ってもらえば目立つだろ。それ
だけ手が出しにくくなるって寸法さ」
 ぽかんとする仁吉の背中を『わからんのか馬鹿』と言うように幼い
十吾がバシンとひっぱたき、皆で声を上げて笑い合う。

 昼餉の支度の途中で、広間でふと才蔵とふたりになったお泉。
「気が抜けちまう、こういう暮らしもあるんだなって。夢のようだね」
 才蔵はちょっとうなずき、そして言った。
「おめえも心得違いをするんじゃねえぞ。手下だなんて思っちゃいね
えし、くノ一だとも思っちゃいねえ。物好きな俺のために苦労をかけ
る、すまぬな」
 肩にちょっと手を置かれ、お泉は声も出せずに才蔵の目を見つめ、
さっと背を向けて厨へと歩み去る。いまにも涙になりそうだった。

 皆が揃って昼餉を終えて、そろそろお香が買い出しに出るという刻
限となり、仁吉が一足先に帰って行った。仁吉は明日からまた普請場
で仕事があり、早めに飯場に帰っておきたい。
 そしてそのとき寺の門前まで送りに出たのが、お香。才蔵はたまた
まそのとき大石のそばに立っていた。桜の木は葉を散らすにはまだ早
く、赤茶けた葉をつけている。
 仁吉を見送って振り向いたお香に、才蔵は言う。
「明日から普請場なんだろ?」
「はい。けど、すぐまた来るからって」
 しかし話の腰を折る、お泉とお花の声がした。
「ほれほれっ」
「きゃぁぁ! あははは! ぁきゃぁーっ!」
 地べたに虫でもいたのだろう。お泉がつまみ上げてお花に突きつけ、
お花が逃げ回っている。
「ったく、何をやっとるか」
 才蔵の言葉が可笑しくてお香は笑い、しかし真顔になって、うつむ
きがちに言うのだった。

「才蔵さん、あの・・」
「おぅ? どした?」
「納屋のこと」
「納屋?」
「あたし知ってるんです。その頃はまだ馬小屋だった納屋は板屋根だ
ったんだけど、そこの石のすぐそばにあったんです。あたしがまだ十
だか十一だかの頃に和尚さんが人手を頼んで動かした。藁葺き屋根に
変えて納屋にしたの」
「そうか、その頃なんだな、いまの所に動かしたのは?」
 お香はここらへんだと大石の境内側に立つのだった。
「石はずっとそこにあったんだな?」
「そう、石は動かせないって」
 才蔵が思う場所とはかなり違った。
「それでそのとき和尚さんは、いろいろ役立ってもらわねえとって」
「いろいろ役立ってと、そう言ったのか?」
「あたしも童だったから、はっきりとは覚えてないけど、確かにその
ように」
「それまでは、ただの馬小屋だった?」
「馬が死んだんです。ここらも拓けてきていて、それでもう馬はいい
ってことになり」
「なるほどな。そんで庫裏に近くして納屋にしようってことか?」
「そうなんです。あの、才蔵さん」
「うむ?」
「黙っててすみませんでした。才蔵さんのこと、あたし・・信じ切れ
ていなかった」
「ふふふ、そりゃそうだ、刀を持った得体の知れねえ流れ者。大金も
置いてあるしな」

 微笑んで肩に手を置く才蔵。お香は唇を噛んでうつむいてしまう。
賊に入られ、次には襲われ、血だらけの惨劇を見てしまった。怖さを
思い知って打ち明ける気になったのだろう。
 そのとき本堂のそばから十吾とお花がはしゃぎながら駆け寄ってき
て、お泉が追って小走りにやってくる。才蔵はお泉に目配せで『向こ
うへ連れてけ』と合図をし、様子を察したお泉は目でうなずいて、童
ふたりを引き戻して去って行く。
「それでそんときのことは覚えてるか? どうやって動かしたとか、
どんなことをやっていたとか?」
「少し覚えてます。板屋根を外して、戸とかも外してしまって、地べ
たに丸太をたくさん並べてよいしょよいしょと動かして、丸太を順繰
りに送っていくんです」
 それがコロ。余分なところを外して軽くしておき押していくという
ことだ。新材で新しい納屋を造ってしまえば、とってつけたようで目
立つから、あえて古く汚い小屋を動かしたと考えられる。

 お香は遠目に納屋に目をなげながら言う。
「それでいまの所に据えたんだけど、そのときあたし、ちょっと不思
議に思ったのは、置き場を決めてから晒しの幕で四方を覆ってしまっ
て」
「幕だと?」
「何て言うのか、芝居の幕みたいな」
 陣幕だろう。戦で本陣を囲う幕のようなものではないか。
「幕で覆って中で何やらトンカチやっていた?」
「そうなんです。何ができるかわくわくしたのを覚えてますから」
 見られてはまずい何かを細工していた。納屋を造るだけなら隠す意
味もないはずだ。
「しばらくして幕が外されて、それから藁葺き屋根がのったんです」
「屋根はそれからなんだな? 幕が外されたときに屋根はなかった?」
「だと思います、屋根は後から造ったような・・」
 才蔵は、お香の肩に両手を置いて目を見つめた。
「納屋の中のことは?」
 お香は首を振るだけでそれ以上を知らなかった。よくできたからく
りならば童に見つけられるはずもない。
「わかった、よく言ってくれたな。やっとどうにかなりそうだぜ。俺
もそこそこ馬鹿だからよ、考えることにゃぁ向いてねえもんな。はっ
はっは」
 お香は役に立てたことが嬉しくて、ちょっと笑った。

 大石の周囲に目を凝らしても地下に細工がありそうには思えない。
たとえば地下に空洞のようなものがあるのなら、こんな大石を置けば
つぶされてしまうだろう。頭を抱えていたところだった。
 しかし納屋にからくりのようなものはない。その頃あったからくり
を和尚は壊してしまったのだろう。
 才蔵はお香の背を押しながら皆の元へと歩み寄り、お香を童ふたり
のほうにそっと押しやりながら、お泉に向かって『来い』と目配せす
る。お香が童に溶け合って、お泉が離れ、本堂へと入っていく才蔵を
追いかけた。
「やはり納屋?」
「うむ、据えてから幕で覆って中で何やらやってたそうだ」
「わかった、すぐにでも調べてみる」
「いや後でいい」
「え?」
「おめえはお香らと買い出しに行きゃぁいい。童らと茶菓子でも喰っ
て来い。お香の奴が俺にそれを言えなかったことを気にしてら。信じ
切れなかったって、しょげちまってる。お香を頼む」
「・・わかった、じゃあそうする」

 呆れる。この人はどこまでやさしい人なのだろう。侍と言えば肩を
怒らせ、そうでなければ、ただ単に弱いだけ。
 お泉は心が震える思いがした。この役目を負わされたときタカをく
くっていたのだったが、付き従うことが誇らしくさえ思えてくる。そ
んな男をお泉はこれまで知らなかった。

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