2017年10月11日

流れ才蔵(九話)


九話 寺の日々


 朝からお香のいない一日。十吾は戻って来た妹お花と一緒になって駆
け回っていて、才蔵ひとりが納屋の中をホウキで掃いて掃除をする。
 十吾は手伝うと言ったのだったがお花がちょろちょろしていてはうる
さくてしかたがない。遊ばせておくほうがはかどるというものだ。

 夕べのテコ鍵の話。才蔵は納屋の中を細かく見たが、確かにそんなよ
うなものはあっても丸い棒は埋め込まれてビクともしない。だいたいが、
それが造られてあるのが板壁の際であって、ここが動いて何が開くのか
と考えると違うと思うしかないものだった。
 本堂にも庫裏にもそんなようなものはなく、寺の裏手にわずかにある
墓所へ回ってみても、どう見たって林の中の墓であり、丸く大きな石が
置いてあるだけのもの。結局何も見つけられずにいたのだった。
 そうするうちにお香が戻り、そのとき納屋で埃だらけになっていた才
蔵を見て笑っただけ。

「参った参った、どんだけ放っといたのか、掃いても掃いてもキリがね
えや」
「すみません、お侍様にとんでもないことをさせちゃって」
「なあに、かまわねえって。そんでお花のことは?」
「はい、先様では気に入ってくれてもう一度ってことなんですけど、し
ばらく様子を見た方がいいだろうって。どうせまた逃げ出すに決まって
るし、少し待ってわかるようになってからでいいとおっしゃって」
「いい人みてえじゃねえか」
「それはもう。だからお花を預けたんだもん。仏様のような方々で、お
花が無事でよかったとそればかりをおっしゃって。で才蔵さん、何か見
つかりました? テコ鍵とか言うものとか?」
「いんや、さっぱりだ。夕べはもしやと思ったんだが、けっ、ダメだ」

 その言い方が可笑しかったらしく、お香は笑って、相変わらず境内で
遊ぶ兄弟へと目をやった。
「うるさかったでしょ? ずっとこうなんですよ、みんながいた頃には、
わーわー収拾がつかないぐらい」
「まあな、元気なのはいいが、さすがにちょいと疲れちまう。しかし十
吾は嬉しそうだぜ、お花お花ってそばを離れねえ」
「もともと仲がよかったもん。あの子だってじつは寂しくてならなかっ
た。さあ! じゃあ夕餉の支度にかかりますね」
 気分を変えるようにそう言って、お香はわーわーうるさい二人に目を
やった。
「こらふたりとも! 姉ちゃん夕餉の支度するから十吾はお風呂沸かし
てあげて! 才蔵さん埃まみれじゃない!」
「へーい」
「へーいじゃない! 才蔵さんが出たらお花をお風呂に入れてやるんだ
よ、わかったね!」
「はぁーい!」
 いい光景だと才蔵は思う。公儀の秘密だか何だか知らないが、それさ
えなければ素晴らしい寺なのに。そう思うと腹が立ってくる。

 才蔵が風呂から出て、入れ替わりに十吾とお花が入っているとき、本
堂に歩み寄る気配がした。じきに暗くなってくるそんな刻限だったのだ
が、仁吉がすっきりした顔で現れたのだ。風呂もすませたといった感じ。
「おぅ仁吉、やけに早ぇえな? それは?」
 仁吉はその手に大きな風呂敷包みを提げていた。
「親方がみんなにって。寿司ですよ」
「寿司?」
 風呂敷越しの外見にも二段に重ねられた大きな寿司折り。
「そんで夕餉に間に合うように持ってけって、おいらだけ今日はいいか
ら行って来いって言われやして」
 つい先刻、普請場であったことを仁吉は才蔵に告げた。才蔵は風呂敷
包みを受け取ると奥に向かって声を上げ、粗末な着物に前掛けをしたい
つもの姿でお香が飛び出してきたのだった。
 仁吉はお香を一目見ると、明らかに照れた面色でぺこりと頭を下げ、
お香はお香で、いかにもバツが悪そうにちょっとだけ頭を下げて応じて
いる。
「このお寿司、親方さんが?」
「そうなんだ、どうしてもって。おめえも一緒に喰って来いって、だか
らおいらも飯はまだ」
「わかったよ、支度してるからちょいと待ってて。ありがとね」
 妙な間合いだ。よそよそしくしたかと思えば、話したとたん、お香は
パッと笑って応じている。包みを手に奥へと消えたお香。

 そうした様子に才蔵は、ちょっと髷をいじって苦笑した。
「さては、おめえら・・ふふん、そういうことかい?」
「あ、いや、あやや」
「あややじゃねえ! てめえ惚れたな?」
 仁吉は、そのとき親方が妙なことを言い出したばっかりに、大工仲間
に冷やかされたと苦笑した。そして微笑みながら言う。
「さっき普請場で見かけたとき、おいら仕事をおっぽり出して叫んじま
った。お香さんはいいなぁって・・うん」
「うんとは何だ、言ったそばからてめえで納得するんじゃねえや、あっ
はっは!」
 今度こそダメだと才蔵は思った。江戸に惚れた男ができれば山奥なん
ぞに行きたがるはずもない。
 それでまた、風呂から出て来たお花が真っ赤な顔して仁吉を一目見る
なり、きゃーきゃー叫んで駆け寄ってくる。
「おぅ元気になったかいっ」
「うんっ! 兄ちゃん好きっ! きゃきゃきゃ!」
 仁吉の手を引いて本堂へと連れ込む妹に、十吾もぽかんと口を開けて
いて、才蔵と目を合わせて首を竦める素振りをする。
「ちぇっ、すっかりもうおなごだもんなぁ」
 いっぱしの口をきく。
「ふっふっふ、ぞっこんみてえだな。仁吉はもはや仏様みてえなもんだ
ろうぜ」
「これでまた甲斐に行けなくなっちまったぃ、ああクソっ」
 問題はそこだ。才蔵は頭を抱えていた。寺を一度空にして、お泉に探
らせたいところなのだが、どうにもうまくいかない。

 夕餉は寿司と、お香がこしらえた魚の煮付け、それに汁。寺では質素
を通していて寿司など喰えるものではなかったようだ。十吾もお花も目
を輝かせてむしゃぶりついた。
 そんな童らを見守る仁吉とお香の視線が、ときどきチラとぶつかって、
揃って微笑む。
 仁吉が言った。
「二、三日すればしらばく休みが入るんだ」
 お香が問うた。
「休みって?」
「あれだけデカくなると普請はウチだけでやってるわけじゃねえからな。
あるところができねえとこっちは動けねえってことがある。ウチはほら
親方の腕がいいから仕事が早ぇえのさ。それでおいら、久びさ浜町を覗
こうかと思ってよ」
「浜町なら海だろ?」
 と十吾が言い、まだよくわからないお花が海だ海だと騒ぎ出す。
「馬鹿か、てめえは。おらたちが行くわけじゃねえんだぞ」
 ちょっと寂しそうにするお花を察して、仁吉が言った。
「じゃあよ、連れてってやってもいいぜ。海っつうか川の出口なんだが
よ。おっ父の船で海に出てみるか?」
 童たちは船なんてはじめてだった。小さい二人は食べながらはしゃい
でいるし、それを見ているお香もまた面色が輝いている。
 寺での暮らしは安穏なのだが、寺だけに派手な遊びをしたことがない。

 才蔵は言った。
「泊まれるのか、おめえん家?」
「泊まれる泊まれる、三人ぐらい平気だよ。小っこくても網元だからな。
ちょっと遠いけんど朝発てば暗くなる前に着けるだろ」
 三人と聞いて、お香はまたうつむいて微笑んでいる。
「親方もさ・・あ・・」
 と言ったきり、チラとお香を見て声もない仁吉。
 才蔵が眉を上げて横目に見た。
「なんでぃなんでぃ、親方がどうしたって? ほれ言ってみろ」
「いや、だからその・・ここのことを気にしてくれて、おいらにもよく
してやって言ってくれてさ」
 なるほど、親方はお香を気に入った。それで仁吉の背を押している。
そういうことだろうと才蔵は思うのだった。
 人一倍気を使うお香が何かを言い出す前に、才蔵は勝手に決めてしま
う。
「ウシっ、じゃあ頼んだぜ、チビどもに海を見せてやってくれ。お香も
一緒に行きゃぁいい。寺は俺がみててやる」
「あ、はい、あたしが一緒でいいなら・・」
 赤くなるお香。ふと見ると仁吉も眸の向きがおどおどしている。

 これで二日の時ができる。それだけあれば充分だろうと考えた。

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