2017年02月19日

DINKS~フリーランサー(三九話)


三九話


 ほんの狭間、言葉を見つけられない友紀に細川は眉を上げてちょっと笑い、カウンターを出るとシャッターを降ろしてしまう。いつもより少し早い閉店。シャッターを降ろしてからバロンのマスターはエプロンを脱ぎ、細川という男となって友紀の隣りへ腰掛けた。
「孤高という言葉があるが」
「・・はい?」
「カッコよく聞こえるだろうが孤高とは独りじっと耐えること。こうと決めたその結果何が起ころうが、ひたすらじっと耐えきるのみ」
「DINKSと決め・・え・・」
 友紀に言わせず細川は友紀の頭に手を置いた。静かな言葉で細川は言う。
「余計なことはいいんだ、友紀ならわかるはずだぞ。人と違う生き方には異論がつきまとう。迷うから賛同を探すような態度は無意味だ、相手に迷いを配ってどうする。やさしすぎる鞭は女王の迷いを配るだけのものだろう」

 ハッとした。主に諭されたような気分だった。

 友紀は椅子を立ちながら細川をそっと抱いて頬に触れるだけのキスをした。
「サリナのところへ行ってきます」
「うむ、よろしくな」
「そう伝えます。ありがとうございました、叩かれた気がします」
 バロンを裏口から出た友紀はメールを二本立て続けに送信した。一本は夫へ。今日はサリナの部屋に泊まります。そしてもう一本はサリナへ。
『逢いたいの、どうしても! 首輪をして待ってなさい!』
 こういうとき夫がサリナの連絡先を知っているのは都合がよかった。女同士。もし回線に電話があったとしてもサリナが出て妻に代われば問題ないし、夫は疑ったりしないだろうと自信もあった。
 電車に乗って間もなくメールが二本続けて入る。夫の直道は『わかったわかった』の常套句で文句は言わず、サリナのメールは弾んでいた。
 バロンに寄ってスタートが遅くなり、サリナの部屋に着いたときには時刻は八時半をすぎていた。
 奴隷サリナは全裸に首輪をしたいつものスタイルで平伏して迎え、女王はいきなり陰毛のない奴隷のデルタの奥底へと指を突っ込む。

 おかしい・・女王の微妙な変化に気づかないサリナではない。
「あぁン・・女王様・・?」
「計画変更よ。でも予定通りにやってちょうだい」
「えっえっ?」
 意味が解せずにサリナは眸を丸くする。
「思い切り誘惑してやって。手を出せば私は奴隷を貸し出しただけ。出さなければそのときは、いつかきっと貸し出してあげるから。結果は一緒」
「一緒?」
「私らしさを貫くだけよ。もう旦那と別れようとは思わない。それからサリナ」
「はい? あぁン痛いぃ・・」
 両方の乳首をつまんでひねり上げる女王。綺麗な乳房が乳首で吊られて奴隷の眸は潤むように輝いている。
「自虐のサリナですけどね・・ふふふ・・」
 女王は微笑む。ギラギラ眸の底が輝く怖い笑みだと奴隷は感じた。
「写真を出していく。性奴隷のサリナの真実の姿をね」
 いつか顔まで晒してやろう・・このとき友紀は自分の中で制御を失っていく激しい想いを自覚していた。

 リビングのソファの前でサリナに奴隷のポーズをさせておき、女王は二つの乳首を弄びながら奴隷の眸を見据えていた。
「留美のことよ考えてるのは。あの子はいま出会ったばかりの新しい性に酔っている。ユウという生き方に打ちのめされて・・それは私やサリナもそうだけど、自分の中に眠っていた女の魔性に戸惑ってるだけなんだわ。あの子はもうすぐ二十八。女の人生で大切な時期にいる」
「はい。結婚ですよね」
「それもあるけど生き方を見据えて動く時期と言ったほうがいいでしょう。マゾヒズムを見つめるならそれもいい。ある日突然好きな人ができて妻への道を歩むなら祝福してあげたいし。私には二人の奴隷は必要ない。だからサリナを留美に貸し出す。あの子の知らないことを教えてあげて」
 どういうことか? サリナは戸惑い女王の瞳を見つめていた。
「わからない? サリナと留美の二人だけの関係をつくりなさい。S女として留美をしっかり躾けておやり。レズがいいならそれでもいいし、私は口を出さないから」
 このとき友紀は、それもサリナへの調教だと考えていた。自分を必要としてくれる若い留美がいてくれる。そして一方、自分を必要とする女王がいて、いつか男に貸し出される日がくる。
 女の性のすべてをサリナに与えたいと友紀は願った。。

「サリナを見てて思うのよ。おまえは苦痛系のマゾヒズム。泣いて果てて生きていたいタイプだわ」
 サリナは眸を潤ませてうなずいた。自分のことをわかってくれてる。女王への思慕の念がわずかな涙となっていた。
「留美の人生をよく考えて、いいと思う女にしてやればいいからね。わかった?」
「はい、女王様」
「おいで」
「はい・・あぁぁ女王様・・嬉しい・・」
 やさしくひろげられた女王の腕に全裸の奴隷は吸い込まれて抱かれていく。唇が与えられ、喜びにサリナは震え、女王と二人のベッドに誘われて夢の中へと溺れていく・・。

 その日の友紀は及川治子と川上留美を伴って朝から取材。不倫をテーマに二人の人妻に会った後、留美には別件を回らせて、雑誌のために治子と二人でもう一人の人妻の元へと会いに行く。雑誌のほうで不倫は不変のテーマ。レズやSMでは普通の女性には距離がありすぎて敬遠されるということだ。

 船越香代子、四十二歳。すぐそばに家がありながら家族とは別居している。夫は夫で不倫。互いに黙認し合う典型的な仮面の夫婦。しかし訪ねてみると、まさかと思えるほど落ち着いて静かな女性。独り暮らしの小さな部屋は恋する乙女の部屋のように華やいで綺麗にされていたのだった。
 訪ねて来た相手は二人で一方が明らかに若い。香代子は友紀に向かって言う。
「あなたはお子さんはいらっしゃる?」
「いいえ、DINKSですから」
「DINKS・・そういう女の人って増えてるみたいね?」
「どうでしょう、そうは言われますけど少なくとも私の周りにはいませんし。それならシングルの方が楽だって思うのかもしれませんよ」
 香代子は眉を上げてうなずいた。
「ほんとね、そう思う。私には高校生の息子がいますが子供を持ってよかったと思ってましてよ。女の使命は果たしたかなって。ご主人のことは愛しておいでよね?」

 友紀は穏やかに微笑んだ。ちょっと前までならカチンとくる話題。そこだけには触れて欲しくない。琴線に触れる話題だった。
「愛してますよ、もちろん」
 香代子は若い治子と対比するように視線を行き来させて、ちょっと笑った。
「少子化が進むはずよね。女だから本能に従うような人が減ってきてるんだわ。仕事だって楽しいでしょうし、核家族の中で子供を持とうとするとどうしたってつきっきりの時間が生まれる。おなかがせり出し、出産し、乳児の間は目が離せない。だけどそれが女の喜び。子供を持たない女の人って、自分勝手で、すごく利己主義な気がしますけど」

 そばにいて、治子はハラハラして聞いていた。友紀は内心穏やかではないだろうと。しかし友紀はうなずいた。
「そう思います、私なんて女失格、きっとそうだわ。私らしく生きようとすると世間のレールにはのれないなって思ってしまう。どうしようもない女なのかもしれませんね」
「ご主人はそれでいいの? 子供は望まない?」
「ええ、主人とも話した結果の不思議な夫婦なんですよ」
「・・そう。ごめんなさいね、立ち入ったことを訊いてしまって」
「ふふふ、いいえ。それを言うならこちらがそうです、立ち入ったことを伺うためにお邪魔していますから」

 香代子は笑って、治子と友紀を交互に見た。
「発端は私のほうなんですね。夫との夜がなくなって、そのとき息子は中学で母親の手なんて必要としていない。私はもう必要とされないのかしらって思ったときに・・めくるめく出会いがあって、のめり込んでいってしまったの。セックスよりぬくもりだなんて言いますけど、そんなの嘘だわ。求められて濡らしてしまう。後ろ髪を引かれながら、それでも肉欲に勝てなくなった。その頃は私も若くて、この人の子供を産んであげてもいいと思ったし。私は本能に逆らえない。弱い女なのかもしれませんね私なんて」

 友紀は自分のことを強いなどと思ったことは一度もなかった。母親となって我が子だけに眸を向ける自分の姿がしっくりこない。性別よりも人として人生を楽しみたい。そう考えてきただけだった。
 友紀は言った。
「強い女なんているんでしょうか? 私なんて赤ちゃんを育てる自信がないだけかもしれないなって思いますけど・・」
「ふふふ、おわかりよね、きっとそうだわ。無条件に弱い存在に向き合うのが怖いんでしょうけれど・・」

 話し終えて外に出ると、夕刻前の長い陽射しが白い雲の輪郭を赤く染めて美しかった。すがすがしい風を感じる。
 治子が言った。
「ずいぶんはっきり言う人でしたね、ハラハラしちゃった」
「そう? 私が怒り出すとでも思った?」
 治子はちょっと斜めに上目使いで苦笑した。
「いまみたいなこと、ケイとも話すんです。男が嫌いなのに子供のこととなると話は違う。あたしたちってやっぱり女よねってケイも笑うし、あたしだって微妙だし」
「二人ともいつかは結婚?」
「わかりません。いまはまだ歳が歳だからいいんですけど、数年すれば三十なんだし、その頃どうなっているのかなって。ケイとの関係は変わりませんよ。お互い結婚したって適当にやってるって思うんです。ユウのことがあって・・」
 治子は口を閉ざして空を見渡す。
 友紀が言った。
「わかるよ、考えちゃうよね」
「ですね。いつどうなるかしれないなって痛感したし、そのとき女の使命を果たさないまま死んじゃっていいのかなって・・」
 それは留美もそうだろうと友紀は思う。母親になる夢の直前で逝ったユウと、いままさに夢へと向かうyuuとの対比は、若い女心を決定的に揺さぶるもの。
 友紀は言った。
「そう言えばyuuちゃん臨月よね」
「ですね・・早いものです、もうそんな・・」
 yuuを思えばユウを想う。それきり口をきかなくなった治子の背を友紀はそっと撫でてやる。

「そう、女の子・・おめでとうございます」
「じつを言うと腹にいるときからわかってたことだけどね。それがまたyuuそっくり、笑えるほど似てやがる」
「友紀にはそれを?」
「まだだよ。さっき電話を入れたら留守電だった」
 香代子への取材中の出来事だった。
「ところでサリナ」
「はい?」
「おまえが幸せなのは友紀を見てればわかる」
「そうですか? ンふふ・・はい」

 地下鉄の駅へ向けて治子と並んで歩きながら、友紀は携帯をチェックして着信に気づく。着信があったというだけで留守電には残されていなかった。バロンのマスター。ぴんと来た。
 友紀は電話を耳にした。
「へえぇ女の子だった? それでママは元気なんでしょ?」
「もちろん。yuuのヤツめ、泣いちゃって・・」
「うん・・おめでとうパパ、よかったよね無事に産まれて」
 治子はそばで眸を輝かせて聞いていた。
 電話を切って友紀は言った。
「ダブルパンチってことのことだわ」
 DINKSに迷いが生まれたわけではなかったが、考えさせられた直後の話。治子は、今度はあべこべに友紀の背中をそっと撫でた。

 そんなとき別枠で取材に臨んだ留美からの電話が入る。
「終わった? ご苦労様。いまどこ?」
「いま出たばかりですから茅ヶ崎です」
「うん。私は今夜は自宅だから、留美はサリナのお部屋へ向かうのよ」
「サリナさんの? それは・・?」
「可愛がってもらいなさい。それだけ言えばわかるでしょ?」
「はい・・でも、そんな・・二人きりなんですよね?」
「サリナはいい女王様よ、甘えてらっしゃい」
 電話の向こうで息を乱す留美が可笑しい。友紀は治子と眸を合わせ、治子がくすりと笑うのだった。
「あたしも帰ろ・・ケイに逢いたい」
「何言ってるの、毎日一緒にいるくせに」
「じつをいうと、ちょっとマンネリだったんですよ。だけどケイがSっぽくなってくれて・・むふふ」
「・・何だよ、にやにやしちゃって?」
「むふふ・・」
「もういい・・わかったから、とっとと帰りな」
 駅まで一緒で、別れ際に治子の尻をひっぱたいてやり、友紀は途中で行き先の違う電車に乗り換えた。

 いつもより少し早く戻った友紀。戻って早速、ロボット掃除機を這わせておいて夕食の支度に取りかかる。ここのところ取材が続いて忙しいのとサリナのこととで夫とのタイミングがズレている。意識してサリナと二人きりにしてやって、それでどうなるか、夫の変化も気になった。刺激されれば男は変わる。少しぐらい変わっていてほしいと考えた。
 愛していても平穏すぎる時間は馴れ合いを生んでしまう。夫がもしもサリナに心を奪われていたらと考えると、尽くさないと捨てられる・・今夜の友紀にはマゾヒズムが渦巻いていた。
 女の性が燃え上がる。どうしようもなく濡れはじめる感覚に、友紀は女の喜びを感じていた。
「どうしようもない妻だわ・・どうかしてる・・わかってるけどどうしようもないんだもん・・悪い女ね、あたしって・・」
 苦笑しながら、今日は焼き肉。部屋着にしている薄いコットンワンピを全裸で着て、エプロンだけは身につけた。生地が薄すぎて前の毛が透けてしまう・・乳首のツンツンが隠せない・・そんな妻に夫はどう反応するのだろう。独身時代に試したときのような、わけのわからないときめきが生まれていると友紀は感じた。

 支度を済ませ、肉を焼くだけに整えておいて、そしたらそのとき玄関に気配がした。支度を終えてエプロンなんてしていなく、ヌードラインの際立つ姿で迎えに立った。
「お帰りなさい」
「うむ・・ふふふ、どうしたそのカッコ?」
「うん・・ねえ、あなた・・ハァァ・・」
 どうしたことだろう・・そのときサリナのように息が燃えだし、眸が据わっていくのがわかる。
 お願いあなた、命じてちょうだい。ひざまづいてしゃぶれ・・脱げ・・何でもいいから命じてちょうだい・・激しい性欲に衝き動かされる友紀だった。

 だけどそれは口には出せず、背を向けて奥へと歩もうとしたときに、手を持たれて振り向かされて、ひったくるように抱き寄せられて、妻は夫の眸を覗き込む。
 何も言わずに組み伏せて・・唇はキスを待っているし、濡れる性器は陵辱の指先を待っている・・。
 私はどうしてしまったのか・・キスさえまだなのにイキそうになっている。
「サリナはいないようだな?」
「いないよ、どうして?」
 怖かった。おまえなんか飽きたよ・・そう言われたらどうしよう。妻の眸に涙が浮かんだ。

「腹減った、飯にしてくれ」
「はい、支度はできてるから・・ねえ、あなた・・」
「早くしろ、ほら!」
 後ろを向かされ、本気でパァンと尻を叩かれ、妻は身を震わせて夫の胸へとすがりついていくのだった。
 夫に見透かされていると感じていた。
「喰ったら、お仕置きだな」
「うん・・はい・・」
 口だけのことだとわかっていて、妻は夫の愛を確認していた。

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