二六話


 十日ほどが過ぎた、その日は水曜日。
 朝デスクについた友紀の元へ待ってましたとばかりにユウが原稿を持ち寄った。ワープロではない。出版社らしくオフィスに備えられてある二百字原稿用紙に数枚のものだったが、ユウなりに骨子を一歩進めたレベル。鉛筆で書かれた手書きのもので、ユウは思いのほか達筆だった。子供の頃から日記を書くのが好きだったらしく、それが小説を書くことへと発展していく。字の綺麗な娘はどちらかと言えば子供の頃に内向的だった子に多いと誰かに聞かされた記憶があった。

「綺麗な字ね、びっくりだわ」
「あー、またそんなことを言う・・」
 ユウは、どういう意味ですかと言うように、ちょっと口を尖らせている。
 タイトルは『女王様はご主人様』 
 友紀はまずそこから指摘した。
「女王でも主って言うでしょう、女主人とも言う。『ご主人様』ではぴんとこないから『女王様は男性です』とか、相手が男だってことをはっきりさせたほうがいいでしょうね」
「はい・・そうですか」
「それとユウちゃんは若いからヘンに背伸びしないこと。手記らしくだとかエッセイらしくだとか、そう考えてしまうと出来すぎてしまって作り話のようになるからね。難しく書かないことよ」
 それにはユウも同感し、原稿を追う友紀の眸の動きを見つめていた。

 女王様はご主人様

 彼なのか、彼女なのか、お仕えする女王様は
 ニューハーフなんですね。すごく綺麗なお方です。
 私はいま二十三歳。おそばにいて怖くて怖くてたまりません。
 女性のいいところをたくさんお持ちで、
 女に生まれた私よりも女らしいから、おそばにいて
 キュンとしちゃうんです。

 女は女のいいところだけでは生きていけない。
 むしろ、こんな社会の中で男の人に挑むみたいに
 生きていて、女らしさを出しすぎないよう、
 意識して中性的に世渡りしている。
 女だから『女っぽくしなくては』なんて考えてもいませんし、
 いつかそれがクセになり、すべてに対抗しようとしてしまう。

 女王様の女らしさに打ちのめされます。ちょっとした
 立ち振る舞いにもしなやかさはあらわれて、
 女のはずの私のほうが呆気にとられてしまうんです。
 そうだよね、私こそ女でしょ、と思ったときに、
 女王様の前でこそ牝になれる私自身を思い知る。
 女王様に可愛がっていただけるなら何をされてもいい。
 私にもともと備わったM性が、どんどんマゾへと変化していく。

 そしてそんな奴隷な私を、女王様は男性の眸で
 見つめてくださって、褒めてくださり抱いてくださる。
 混乱しますよ。女王様なのにご主人様なんですもん。
 ご褒美に硬くて熱いお体をいただいて、牝として私は
 夢見心地に達していきます。
 嘘っぽい女らしさのいらない女性に抱かれ、なのに
 逞しい男性器を授かると言えばいいのでしょうか。

 男の人も女の人も、性別にとらわれすぎじゃないかしら。
 『人』に仕えて、『人』に愛され、ただ一人の『人』を愛して
 生きていられる。そのことの幸せを忘れてはいけないと
 思うんですね。女王様はSっぽく、私はMっぽく。
 人間同士の愛を貫き、そのためにマゾとなって
 女王様にお捧げしていく。
 
 ご褒美に夢のような精液をいただくために・・。

 人間愛を感じる言葉ではあったが、そのへんを下手に書くと亜流に過ぎる。話がちょっと大げさかもとは思ったけれど、よく書けていると友紀は感じた。女心の顕れた文章。友紀はユウの顔を見た。
「もう少し行為の部分を書いたほうがいいかもね。観念的なのはいいけれど、若い女性の手記として、心情とかせつなさとかがもう少し出せればなおいいと思うのよ。思い描いてオナニーしますとか、直接的なラブがあったほうがいい。人間愛ではテーマがちょっと大きすぎかな。もっと身につまされるセックスを描いた方が伝わると思うのね」
「そうですね・・はい、わかりました、もう少し練ってみます」
「基本的にはいいのよ、よく書けてる」
「はい! 女王様を思い描いて書いてますから」
 ユウの笑顔がどきりとするほど若いエロスに満ちている。あの日以来、ユウは性を開いたようだ。
「モモさん命ね?」
「ふふふ、そうかも・・」
「結婚したいんでしょ?」

 ユウははにかむように唇をちょっと噛み、こくりとわずかにうなずいた。
 友紀は小声でささやいた。周囲の耳を気にしたからだ。
「夢のような精液って書いてあるわね」
「あ、はい」
「それってつまり子供ができてもいいってこと?」
「ンふふ・・それは・・ンふふ」
 そうなれれば夢だとユウの顔に書いてある。
「ま、もう一息よ、幹はいいから枝葉をつけていく作業、頑張って」
 ミニスカートの尻っぺたをぽんと叩いてやって追い返し、友紀は胸が熱くなる。そう言えば治子の変化も眩しいほど。会議できっぱりものを言う。率先して動くようになってきた・・そんな仕事上のことよりも、妙に色っぽくなったと友紀は感じる。
 逃げ道のない崖っぷちに立ったことで治子なりの女性像ができはじめていると想像する。こういうとき三浦がいれば、二人を誘って飲みに出ても面白い。しかし今日明日と浜松へ出張でデスクは空席。

 友紀は定刻の三時間前にオフィスを出て横浜の不倫妻を訪ね、その足でサリナのマンションへ行こうと考えていた。今日は夫の帰りは遅くはなかったが、いよいよ佳境ということで帰宅が乱れると告げてある。
 菊名、サリナの部屋。
 時刻は七時になろうとしたが、サリナはまだ帰っていない。今日のサリナは渋谷のスタジオと聞いていた。
 合い鍵で入ってみると部屋は綺麗にされている。リビングには多少の生活感があってもキッチンには心使いが行き届く。プロダンサーの派手さからは想像できない細やかさ。完全主義とまでは言えないだろうが、サリナらしいと友紀は感じた。
 キッチンからオープンカウンター越しにダイニングテーブルが置かれてあって、ピンク色のノートパソコンが閉じてある。ふと見るとプリントアウトされたA4の白い紙。ワープロ原稿。

 お慕いする女王様 私なりに書いてみました。
 今日は少し遅くなりそうです・・奴隷サリナ。

 友紀はちょっと微笑みながら、シワひとつない純白の用紙を拾い上げてリビングのソファに腰を降ろした。今夜の友紀はパンツスタイル。ソファのクッションに沈みすぎ、パンツが腿に張り付きすぎた。一度立って苦しいスタイルを脱ぎ去った。オフィス帰りでベージュのブラ。けれどもパンティは黒のTバック。サリナの部屋へ寄ろうと考えていたからだ。

 サリナの言葉にタイトルはなく、まったくストレートな一文からはじまっていた・・。

 自虐マゾ。どうしようもない私自身に性的な罰を与えて、
 私はそうして生きてきました。三十六歳の女ですもの、
 綺麗なだけではいられなかったし、過去なんて、あって当然。
 だけどそれで傷ついたとか、トラウマのようなもの、
 そんなものはありませんし、いまさら言うことじゃない。

 自虐にいつしか追い詰められて、なのに、苦しくなれば
 なるほど私は解放されていく。自虐というSMに堕ちていく。
 それは闇の中の黒に似て、黒がますます闇を深め、
 光さえ届かない世界の底へと私は堕ちた。いいえ、
 もっと深く堕ちることを望んでいた。

 諦めかけていたんです。光なんて私には見えないものだと。
 悲劇的に考えながら、そのじつ、その頃の自虐なんて
 イメージの中のもの。自分で乳首を虐めてみたり、
 イチジクなんかで排便を我慢して、だけどトイレですませる
 意気地なし。Mっぽいというだけの情けない私でした。

 ああ女王様、いまこうして書いていても息が熱くなってくる。
 濡れてしまって、めちゃめちゃにいじってやりたくなるのです。

 燦然と輝く光だとか、ましてまさか人間愛なんて言葉は違う。
 私の中でいまにも爆ぜてしまいそうな淫欲を責めの中に
 解き放っていただける、私にとって唯一の女王様。

 鞭が好きです。私を壊してくれそうだから。
 縄が好きです。私を開いてくれそうだから。
 涙が好きです。私を流してくれそうだから。

 お願いします女王様、サディズムをもっとください。
 ありったけのマゾヒズムで、心を搾って愛液を流します。
 声を搾って悲鳴をあげて、あふれ出る涙で乳房を濡らす。
 それも私らしい姿です。天性の淫婦であり天性の牝ですから。

 あるときを境に責めが厳しくなりました。私を思いやって
 おやさしく、けれどそれは奴隷を不安にさせるだけのもの。
 泣いても許されず責め抜かれ、お体から出されるお水を
 口の中に捨てられて、恥辱に震え、惨めさに震えつつ、
 おそばに置いていただける実感の中でのみ、奴隷は
 安堵して、どこまでだって堕ちていける。
 お尻にも背中にも、淫らな性器には特にたっぷり
 泣きわめく鞭をください。

 お慕いする女王様、怒らず聞いてくださいね。

 私のマゾヒズムは私のため。

 女王様のサディズムは女王様のおためにです。

 相手のために何かをできるほど人は高くはいられません。
 いつかそれが負担となって背を向けてしまうでしょう。
 Mの性とSの性が火花を散らしてぶつかり合って、
 だから私は奴隷でいられ、女王様には気高くいられる
 ものだと思うから。

 きっとお仕置きになりますね。
 お許しください女王様。私は卑怯なマゾ牝です。
 泣いていないと考えはじめ、ろくなことにはなりません。

 
 自分本位な愛のカタチ。女は失望を重ねて自分の中の本音が見える。
 そうだろうと友紀は感じた。大学からストレートに出版社に勤め、娘からストレートに妻になった私より、サリナはずっと女の悲哀を知っている。そう思うとサリナは強く、私は弱い・・瀬戸由里子の言葉を思い出す。

『M女というもの、女王などよりはるかに強い生き物よ』

 友紀はちょっとため息をつきながら純白のワープロ用紙にキスをしてソファを立った。冷蔵庫を覗き、ありあわせでサラダでも作っておこう。
「私のためのサディズムか・・そうだよね、謎が解けた気分だわ」
 愛しているのにどうして虐めて泣かせるのか・・そうすることが自分のためになるからだ。友紀はちょっと可笑しくなった。サリナには勝てない。何もかもを見透かして何もかもを許容してマゾに生きる奴隷に勝てない。それもまた幾度も同じことを考えた・・。

 テーブルに置いた携帯が鳴ったのはそんなとき。いま菊名。スタジオから途中まで仲間が一緒で電話できなかったとサリナは言う。声が明るい。
つくづく素敵な人だと友紀は感じた。
「いまサラダしてるから」
「えー、お手製ですよね?」
「あ、馬鹿ね、サラダぐらい作るわよ失礼な・・ふふふ」
「はい、じきに帰ります、あと五分、ううん四分」
 子供みたいなサリナの言いように笑ってしまう。
「それから原稿、読んだわよ、なかなかいいじゃない」
「お仕置きですか? 鞭? ンふふ」
 どうして笑う?
「・・お仕置きが嬉しいの?」
「はい・・私もう走っちゃう、早く帰りたい」
「わかったわかった。フランスパン買ってあるから、それでいいでしょ?」
「はい、嬉しいです・・ああ女王様ぁ、虐めてぇ・・」
「もう・・他人に聞かれるよ、とっとと帰ってらっしゃいな」

 電話を切って、呆れてしまって小首を傾げる。
 サリナの原稿をベースに、行間に女王の気持ちを加えてやろう。もう少し責めに寄せた方がサリナらしい。熟女の言葉は赤裸々な方が説得力があると思う。

 玄関ドア。ノックではなくキイを使ってドアが開く。
「ただいまぁ! わぁぁ女王様だぁ!」
 今日のサリナは仕事帰りにしてはいつになく黒い革のミニスカート。ジムのロゴマークの入った大きなスポーツバッグをそこらに投げだし、犬のように飛んできて、キッチンに立つ下着姿の女王を見つめる。女王のパンティはTスタイル。白い尻が美しく、サリナはいきなりマゾモードに切り替わる。
 友紀は奴隷の手を引いてブラ包みの乳房にたぐり、そっと抱いてキスをした。片手をミニスカートに差し込んで、奴隷は腿をゆるめて甘受した。
 すでにそこは熱をもって濡れていた。
「ハァァ・・ああン女王様ぁ・・イクもん・・」
「イクもんて・・子供かおまえは! ふふふ、しょうがない女だよ・・あームカつく・・」
「はぁい、虐めてぇ・・ハァァ・・」
 荒い甘息。サリナの立ち姿がくにゃりと歪んで女王に抱かれ、瞳が潤んで泣いているようにも思えてしまう。
「できてるから運びなさい。女王が下着よ、首輪をして素っ裸!」
「はい! ンふふ、泣いちゃう・・」
 見る間に涙があふれてくる。これほどまでに想ってくれる奴隷に対し、友紀の中のサディズムは燃え上がる。

 ダイニングテーブルにつく女王の足下に正座をする全裸のサリナ。紫色の犬の首輪がよく似合う。パンとハムサラダを一緒に口に入れ、少し噛んで吐き出して口移しに与えてやる。そのたび女王と奴隷はキスするようにちょっと抱き合い、サリナは溶けた微笑みを浮かべて次のキスを待っている。
 マゾ牝サリナの誕生日から十日ほどが過ぎていて、サリナのM性はますます牝の性臭に満ちてきている。眸が据わって吐息が燃えて、正座をさせて食べさせているというのに、尻の下のフロアにすでに蜜を垂らして濡らしている。
 パンとミルクを口の中で攪拌し、乳房の先で尖り勃つ乳首を強くつまんで体を引き寄せ、そうするとサリナはいい声で痛みを訴え、眸を閉じて口を開ける。
「気持ちよくて美味しいでしょ?」
「はい・・ハァァ・・んっ・・ハァァ・・女王様ぁ・・」
 とろける眸を見据えてやると、女王のサディズムを悟るようにサリナの眸色にかすかな怯え・・いい眸をすると友紀は感じた。

「いいわ、餌にしましょう」
 サラダにパンをちぎって散らしておいて、テーブルから少し離して皿ごとフロアに置いてやる。
「向こう向きで四つん這い。お尻を上げて手を使わずに食べなさい」
「はい・・あぁぁ恥ずかしい・・いやらしいサリナのアソコをごらんください」
 感じ入った牝の声。奴隷は濡れる性器もアナルさえも空へ向けて皿に取りつく。陰毛のない性唇は濡れそぼって閉じていられず、ぽーんと咲くように開花して、透き通った蜜玉を垂らしだす。
 淫らな景色を眼下に見据え、女王は乗馬鞭を持って椅子に座り、軽くピシャピシャと左右の牝尻を打ってやる。
「あぁンあぁン・・感じます女王様」
「強くほしい? 餌が美味しくなりそう?」
「はい、美味しいご馳走、ありがとうございます・・鞭を・・あぁぁン」
「ちぇマゾ牝め・・食べながらダラダラ濡らしていやらしい女だよ・・許さないから」
 パシパシ強く左右の尻を打ち据えてサリナが尻を振っていい声を上げた、ちょうどそのとき、友紀のショルダーバッグの中でマナーにしたままの携帯がバイブした。

「誰だよ、もう・・」
 時刻は八時前、電波は人を追いかける。しかし着信を一目見て友紀は眸を見開いた。
「マスターよ、細川さん」
 それから電話に向かう友紀。サリナが眸を丸くして見つめている。
「お仲間の集まり? S様が三人? 明日の七時?」
『急なことなんだがね、yuuも一緒だし、いい連中だから話だけならそれでもいいしM女さんも二人来るから、どうかと思って』
 ことSMに関して、今度の本を浅いものにはさせたくないという細川の心使い。友紀が悩んでいることを見抜いた上での誘いだった。
「あ、はい。ちょっと待って、いまサリナと一緒ですから」
 細川の声は電話から漏れている。電話に手をかぶせて声を消し、友紀は言う。
「明日の予定は?」
「いえ特には。明日も渋谷で今日よりは早く終わると思いますけど、きっと五時には」
「じゃあちょうどいいわね。S様の集まりがあるんだって。新宿のホテル。マスターを入れて男性三人が奴隷さんを連れて集まるらしい。yuuちゃんも一緒ですって」

 サリナが応える前に友紀は声を塞ぐ手を解放した。
「わかりました、ぜひご一緒させてください。サリナも連れて行きますからお願いしますね。ふふふ、嬉しいみたいよサリナ・・泣きそうだもん。あははは」
 笑いながら、すでに怯えた眸をするサリナを見据える。
 電話を切って友紀は言った。
「マゾ牝サリナのお披露目だわよ。話すだけでエッチなことにはならないだろうってことだけどサリナだけは全裸です、わかりましたね、首輪そのほかお道具を持って来るように」
「はぃ・・あぁン・・あぁぁダメぇ・・狂っちゃう・・」
 笑える。いまにも泣きそうなサリナの眸を、眉を上げてほくそ笑んで見据えながら、友紀は両手を開いて胸を許した。流れるように飛び込んできて抱きすがるサリナ。キスをしながら片手を降ろして毛のないデルタをまさぐると、奴隷の美身がわなわな震えた。

 心でイク、マゾらしいアクメ。友紀にはよくわからない絶頂のスタイルだった。