2017年01月10日

DINKS~フリーランサー(十二話)


十二話


 食後の珈琲を飲み終えてそれでもまだ待ち合わせの時刻までには間があった。靖国通りを渡って歌舞伎町に踏み込んですぐのカフェ。ここからだと五分もかからない。
「でもDINKSなんて強いと思うなぁ」
 言葉の向きが変わって友紀は日常の自分に引き戻される。子供を持たないというだけで特に人と違う生き方を選んだつもりもなかった。

 DINKSは結婚から間がなくて子供のいない時期の夫婦を指さない。子供を持たずに夫婦生活を営むと決めた二人を言う。
 友紀は言った。
「そうかしら。私も旦那も親になることを選ばなかっただけだから」
 しかしユウは譲らない。
「だからですよ、だから強いんです。子供がないといってもシングルとは意味が違うと思うんです。シングルなら自分に対して責任を持てばいい。DINKSだと夫婦生活への責任まで重なってきちゃうでしょ。エッチなんてまさにそうで、シングルならハートがすべてで後ろ指は指されない」
「それはそうだけど」
「そうですよ。そんな中で家の外での自分を確立していかなければならなくなる。キャリアを追えば仕事上の責任も重くなり、赤ちゃんができちゃったから辞めますでは通用しないだろうし」

 ユウの天然はポーズだと確信できた。二十三歳にして考えていると友紀は思う。ユウが言った。
「私はこのままシングルかなぁ。ある歳になって焦るのか、それともあっさりシングルで行けるのかはわかりませんが。まあ仕事が決める部分もありますけどね。才能とか能力もそうだけど、そういうことより生き方へのセンスだと思うんですよ。いまどき適齢期でもないとは思いますけど、その頃になってふらふらしてたら結婚しちゃった方が楽だもん」
 友紀はそうした考え方が醒めて思え、なんとなく寂しそうなユウを見た。「ユウちゃんて彼は?」
「いますよ。いますけど別れようかなって思ってます。嫌いじゃないけどピンとこない。ひとつ上なんですけどね、まるでガキんちょ」
 その年頃だと精神的に女が上でもしかたがない。
「付き合ってどのぐらい?」
「七か月ですかね」
 その程度でそうなら別れた方がいいのかもしれない。腕時計を見て友紀は言う。
「十分前よ、行こうか」
「はい。でもなんか・・こんなことが言えるのは早瀬さんだけだな」
 友紀はちょっとうなずいて席を立ち、その瞬間、思考を仕事へ切り替えた。

 落ち着ける地下のカフェ。ちょっと値の張る店で若者は少なく、平日のこの時刻、明らかにビジネスとわかる組み合わせが多かった。店に入って五分前。モモが先に来ていて座っていたがテーブルに飲み物は出ていない。タッチの差でモモが早かったようである。
「いた・・あの子よ」
「わぁぁ嘘みたい・・綺麗・・」
 ユウは絶句。そしてそのとたん友紀の背後にまわって後について歩み寄る。モモが見つけてちょっと手を上げ、こくりと首を折って微笑んだ。
 ホワイトジーンズのミニスカート。ピンクのTシャツに生成りのジャケット。ほとんど金髪と言えるほどのロングヘヤーを梳き流し、しかし顔はすっぴんだった。背丈は六十七センチと女性としては大きな方だが男だと思うと小柄。豊胸術でふくらませた乳房はCカップ。あのとき取材で集めたデータは社を出るとき頭に入れてきている。

 ただ、およそ一年半前のあの頃のモモよりずっと大人びて、誰が見ても女性、しかも美人。
 歩み寄るとモモが言った。
「どうもぉ、あれ以来よね?」
「はい、ごぶさたしてます。勝手で申し訳ありません」
「ううん、いいのいいの、それは仕事」 と笑いながら、背後で小さくなっているユウを見る。
「紹介しますね。この子、これから一緒にやっていくウチの編集部の木戸優子です。ユウって呼んでやってくださいね」
 ユウがぼーっとして、ちょっと頭を下げた。
「はぁぁ・・綺麗ですね・・」
 放心したように言う。
「ふふふ、嬉しいわ。ユウちゃんだって可愛いわよ、さ、座って二人とも」

 友紀でさえが混乱する。モモは歌舞伎町のその種のバーに勤めていて、今日は店が休み。そこを狙ってアポを取った。住まいも歌舞伎町から西新宿へ少し歩いたところにあるマンション。
 二人飲み物をオーダーし、先にオーダーしたモモのアイスコーヒーがまず運ばれて、ほどなく二つアイスティが運ばれる。たったいま珈琲を飲んだばかり。そしてその伝票を友紀が取って手前に置いた。
 そうする間もユウははじめて見る人種にぽーっとして見とれている。
 アイスコーヒーのストローに口をつけてモモが言う。
「で、友紀さんて、いまは女性生活じゃない?」
「そうなんですよ。神尾本来の文芸出版部に移動です。今度はそこで手記もしくはエッセイとしてちゃんとした本にしようということになりまして。雑誌なら広く浅くでいいけれど、そっちは読者の質も違えば、読み物としてちゃんとしてないと」
「それで私に? それだとちょっと怖いかも」
 そのときユウが突然小声でつぶやいた。
「ゾワとした・・」
 モモが言う。
「は? ゾワとしたって?」
 ・・このタコ、何を言うかと思っているとモモが笑う。

「面白い子ね、ユウちゃんていくつなの?」
「二十三です」
「若いもん。そりゃそうよね、気色悪くてゾワとする・・ふっふっふ」
「すいません、失礼なことを」 と友紀がフォロー。モモはそうじゃないとますます笑う。
「ぜんぜん。ちっとも失礼なんかじゃない」
 そのとき横からユウが言った。
「そうじゃありません、気色悪いなんてとんでもないわ。憧れちゃう女性だなって・・震えるみたいにゾクッとしちゃって」
「ふふふ、ありがと。気に入ったわよ。そう言ってくれると嬉しいもん。私たちってほら好奇心の対象でしょ。女と認めてもらえると嬉しいものよ私はね。ウチらにもいろいろいるから。オネエ言葉でビジネスライクって子もいるし、私みたいな女の子もいるんです」
 友紀は気が気でなかった。シャラップ、タコ。黙ってろと言いたくなる。

 モモは友紀に向かった。
「そういうことなら私のルーツ的なことを書いたほうがいいよね。男性機能を残していながら女として生きていく。相手が男性だとそれは彼氏だし、女性だとレズになる」
 友紀が応じた。
「そうですね、性別でなく、あくまで人として人を愛する心というのか、ピュアな想いというのか」
「うん、おっけ、やってみる。サイズは?」
「それも制約なしってことで。雑誌じゃないから字数は自由でいいんですよ」
「わかったわ。でもそこが難しいのよね素人には。サジ加減もあるでしょうし、雑誌のときには質問に答えていればよかったわけで」
 友紀はちょっと横に首を振る。
「それは私の領域だから、なんなりと書いてください」
「添削してくれる?」
「そうじゃなくて、内容によっては雑誌よりむしろ自由度が高いものなんです。書籍ってそんなものよ。あくまで言葉なんですから」

 モモはちょっと考える素振りをすると、ユウを先に見て、それから友紀に視線をやった。
「じゃあこうしない? 茫洋としてはじめてコケたら私も徒労になっちゃうから、ちょっとお部屋に来ない、私のお部屋よ。ここじゃ話せないことだってあるからさ。歩いてすぐだし」
 歩いてすぐだし・・そのフレーズだけをユウに向かって言い、ユウは思わずうんうんとうなずいている。まったく・・と、友紀はちょっとじろりとにらむ。
 すまなそうに友紀が言った。
「ご迷惑なんじゃ? せっかくのお休みなのに」
「ううん、ぜんぜん、どうせ暇だし。私いまフリーなのよ。彼氏彼女どっちもいない。別れちゃったの。ちょっといいじゃない、おいでよ。深いところを話しておきたい」
「ぜひお願いします」 と、またしてもユウが言う。
 モモと友紀が顔を見合わせて苦笑した。そしてそんな様子にユウが言う。

「だって私・・一目惚れなんだもん・・」
 友紀は凍った。しかしモモは、綺麗に手入れされた眉を上げて口許を手で覆った。笑っている。その手もまた白く、指が細く、赤いマニキュアが似合っている。
 カフェを出て歌舞伎町を裏へ突っ切ると、そこにある白亜の中層マンション。エレベーターで十一階。1124がモモの住まい。間取りは2LDKなのだが、LDKが断然広くて、一部屋が寝室、もう一部屋が衣装部屋。リビングのローテーブルにノートパソコンが閉じて置かれる。テレビも大画面だったし、白いローテーブルに組み合わされるロータイプのソファは青い皮のしなやかなもの。白を基調にフロアはすべてチャコールグレーのカーペット。高級マンションそのものだった。

 それにしても室内に乱れがない。女より女らしい細やかな心使いがうかがえた。
 モモは二人をソファに座らせると、自分はテーブルの下に敷いた白いシャギーマットにじかに座った。その座り方がまた正座を横に崩した女性のポーズ・・ユウもそうだが、友紀もまた、つくづく混乱してしまう。
 モモが言った。
「ユウちゃん、喉が渇いたら冷蔵庫にジュースあるよ。一目惚れなんて言ってくれたから自由に飲んでいいからね」
「はい、ありがとうございます」
「ううん、ユウちゃんてほんと可愛い」
「はい・・ハァァァ・・」
 友紀は呆れる。ぽーっとして吐息・・我を忘れているようだ。
 そんなユウにやさしく笑うと、モモはやおら切り出した。

「ちっちゃなときからずっと女の子だと思って育ってきたの。女の子のお洋服が好きで好きで。だけど思春期になってカラダが心を裏切りだした。女性を見るとときめくし・・いえ、そこは同じなんだけど、そのときペニスが大きくなってこすれば射精するでしょう。なんだかなぁってカンジよね。だってその一方でカッコいい男の子がいるとドキドキしちゃって、キスされたくてたまらない。どういうこっちゃってカンジだったよ。あたしって何者って思っちゃって・・勃起するペニスと男の陰毛・・にもかかわらず女の子の下着を着けるのが大好きで」
「・・んぐぅ」
 ユウだった。生唾を飲んで喉が間抜けな音をだす。モモは声を上げて笑った。友紀は穴があったら入りたい気分。

「若いユウちゃんのいる前で恥ずかしいけど、はじめて男を知ったのは高校生の頃だった。学校へはもちろん男子で行って、戻ると可愛いパンティに穿き替えて女の子になる。親はもう諦めちゃってて何も言わない。最初のときは夏だったわ。男のパーツがついていてはビキニなんて着られないし、だいたいその頃胸がなかった。普通友だちと海へ行くけど、私なんて気色悪くてそばにいたくない。でそのとき、やさしい女の子が友だちにいてね、その子の友だちに、これがまた素敵な男の子がいて、三人で海へ行ったの。楽しく遊んで、ペンションのお風呂へいくとき、貸し切りにできる家族風呂になっていて、友だちがそっと背中を押してくれたのよ。抱かれておいでって。その彼じつはBLがシュミの子で男が好きな人だった。背が高くてスリムマッチョと言うのか、とにかくカッコいいんだ」
 モモの眸がユウを見つめ、ユウは声を失って見とれたまま視線がそらせない。

「お風呂の中で抱いてくれて、キスされて。そしたら私ってヘンじゃないって確信できて・・岩に手をついてお尻を向けて、彼のモノをはじめてアナルに迎えたの。バージンを捧げてしまった。女の子みたいに血が出たよ。彼ったら私の大きくなるペニスをしごいてくれて、そうしながらピストンされて、お尻とペニスの両方で私はイッた。ああンああンて甘えてね・・可愛いよって言ってくれて嬉しくて泣いちゃった。女性を知ったのは少し後で、それもその友だちだったのよ。彼女は私が好きで見ていてくれた。同性愛に苦しむ私に彼を紹介してくれて、なのに私を男として迎えてくれたんだ。人って素敵、なんてやさしいものだろうって思ったときに、性別なんてどうでもいい、心を向けてくれるなら私は捧げて悔いはない。どんな姿にでもしてちょうだい。私は自分を着せ替え人形だと思うようにした。・・ふふふ、ユウちゃんの眸」
 友紀がふと眸をやると、ユウは涙ぐんでいる。
 モモが言った。
「やさしい子・・ありがとうユウちゃん」
「いいえ・・かっかっかっ感動しちゃって・・」

 モモは笑い、しかしすぐに寂しげに微笑みに変わっていく。
「高校を出て離ればなれよ。彼も彼女も進学して、私だけが社会に出た。ウチは和歌山の片田舎で私の家だけ貧しかった。働いて少しして彼を追って東京に来てみたけれど、そのときはもう女性の彼女ができていた。友だちの彼女にも彼がいて私の入り込む隙間がない。寂しくて崩れそうになったとき、顔見知りのニューハーフの子に救われたんだ。お店に来ないかって言ってくれて、そこには素敵な男性、素敵な女性のお客さんが集まっててね・・だけど一人に決めるときっとまた離れていく。そう思った私は本気で見てくれるなら抱かれたし、つまりは風俗だから相手だってそのつもり。気が楽でよかったの。乳房もつくってホルモン入れて、カラダもちょっとずつ女らしくなっていく」
 ユウが問うた。
「性転換はどうしてしないんですか?」
 その質問はかつて友紀もした問いであり。
「好きになった人が女性のとき、やっぱりね・・それに作り物じゃない性のまま女性を生きたいって思ったし」

 ユウが言った。
「女性からプロポーズされたときパパにだってなれますしね」
 モモは眉を上げて首を傾げた。
「それもないとは言えないね。私は女よ。子供がいれば母性が動く。母親が二人いるカンジかもだし、相手がもし強くて男役になってくれれば私が妻になれると思うしさ」
 モモはユウを見つめて、それから友紀へと眸をやった。
「とまあ、そのへんで深く書いていけばいんじゃないかと思うけど、どうかしら?」
 友紀はそれでいいとうなずきながら、ふと言った。
「SMだとか、そっちはどうなんですか?」
 モモはちょっと苦笑して言う。
「あったわよ、もちろん。だけどそれは、いまのところは好奇心ね。本気で口説いてくれる人がいない。ウチはハプニングバーじゃないしSMバーでもないんですから。マジそっちの人は少ないかな。それに私、SとMが半々ぐらいに同居していて、相手が男ならMになれるし、だけど相手が女ならむしろSっぽくなってしまう。そういう意味でも何だかなぁってカンジだわ。きっと貪欲なのよねセックスに。捧げたいし捧げてほしい。一度しかない命だもん、ハンパに言い聞かせて生きたくないの」

 ユウはドキドキしているだろうと友紀は感じた。ユウはMだし、モモのことを本気で気に入ったようにも思える。二十六と二十三なら釣り合うし、ブレーキを踏む必要もないはずで。
 案の定、ユウは言った。
「ときどき来ていいですか? 仕事じゃなく、いろいろお話ししたいこともありますし、結局それが仕事のためにもなりますし」
 モモはとっさに友紀を見た。その視線の意味はもちろんわかるが、個人的なことに口を挟むのもユウが可哀想だと感じていた。
 ユウが言った。
「私って突然早瀬さんと組むことになって、ほんとは心配してるんです。足を引っ張るんじゃないかって。いろいろ夢を見てるだけでじつは臆病で何もできない。モモさんにお会いできて、なんだかいま心が熱くてたまならないの」
「ふふふ、あっそ? 私ならかまわないわよ。だけどユウちゃん」
「はい?」
「期待しすぎはやめてちょうだいね。私だって小娘なんですから試行錯誤なんだもん。お話ぐらいは聞いてあげられますけど、そんな程度でいいのかしら?」

「小娘は私・・モモさんは素敵です」

 友紀はもうダメだと呆れてユウを見つめていた。これから様々な人に会うことになる。その度に感動していては身が持たない・・と思ったときに、サリナだってマスターの紹介で出会っただけの人だったと思い至る。
 モモは、今度こそじっとユウを見つめて微笑んでいる。
「嬉しいな。まさか今日ユウちゃんみたいな子に会えるなんて思わなかった。友紀さん、ちょっといい?」
「え? あ、それは・・はい」
 友紀に念を押しておき、モモはユウに立てと言った。
 双方立って向き合うとモモがずっと背が高く、まさに女王と奴隷といったムードになる。友紀はいきなり胸が苦しくなった。サリナの裸身を思い描いて、そう言えば首輪を探さないとと妙なことを考えてしまうのだ。

 二人立って向き合って、ユウはまっすぐ見上げて、モモはまっすぐ見下ろして、モモはそっとユウを抱いた。
「ありがとうユウちゃん、気持ちはもらったわ。いつでもいいから遊びにおいでね」
「はい嬉しいです・・ハァァ震えちゃう」
「ふふふ、可愛いわぁ」
 モモが顔を寄せるとユウは眸を閉じて唇を委ねていく。まさかキスシーンを見せられるとは思わなかった。
 口づけが離れてモモは言った。
「ユウちゃんMでしょ? わかるんだから」
「・・んぐぅ」
 またしても生唾に喉が鳴り、モモは声を上げて笑いだす。
 それから友紀に向かって言うのだった。
「最高の部下よね、心が澄んでる、ほんと純真。じゃあこうしましょう、ユウちゃんとどんな話をするのか、そこまでを含めて書いてみるから」
 友紀はうなずくと、ユウに向かって行くわよと目配せした。

 マンションを出て歩きだし・・。
「冷や汗だったわ・・参った・・モモさんびっくりしてたじゃない」
 しかしもはやユウは夢見心地のありさまで。
「だって・・震えたぁ・・モモさんが好きになる。わかるんです私、こういうふうに思えたとき私は人を好きになる。震えたし・・濡れちゃった・・」
「あっそ・・体当たりね、まるで」
 と言って可笑しくなる。私は常に体当たりでやってきた。そしていまサリナが私をめがけて体当たりで向かってきている。
「いいわ、私のこともバラしちゃう。ちょっと一か所行きましょう。少し歩くけどいい?」
「はい、ぜんぜん。どこへですか?」
「バロンてお店、喫茶店よ。そこのマスターはS様で、いまきっと奴隷さんがウエイトレスしてるはず」
「はぁぁ・・そうですか・・ああダメ、溶けそう・・」
「ばーか。ふふふ、じつは私もSでレズで女性の奴隷がいるんです」
「ええー、嘘だぁ・・やっぱり友紀さん凄いよ・・クラクラしてきた・・イキそう」
 笑える。思い込みの激しい娘。ミニスカートの尻をぽんと叩いて歩かせる。

 サリナへの気持ちが今度こそ固まった。私は女王、君臨すると・・。

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