2017年01月02日

DINKS~フリーランサー(四話)


四話


 三浦と別れて帰宅時刻の雑踏にまぎれ、いつもと何ら変化のない景色に流されるように体だけが移動していた。
 三浦という話し相手ができたという実感はあっても、いくらか胸のつかえがおりたような気がするというだけで、独りになったとたん妙な虚脱感のようなものに支配されてしまっている。女には素敵な可能性があると信じ、DINKSでいたいと突き進んできたのだろうが、そんな人生でよかったのかと考えてしまうのだった。

 女に生まれて子を持たない。三十四歳。いまならまだ間に合う。女の本能が予想もしていなかった心の乱れを生んでいる。夫に抱かれたくてたまらない。性欲が昂進し、理屈ではわかっているのに避妊する性に満たされない。私は結局、大都会の奔流にもまれているだけではないか。
 そういう意味でもリナに早く会ってみたい。彼女なりの葛藤に接したとき今度こそ答えが出せると、そんな気がしてならないのだ。

 新宿を通過するあたりで時刻は七時半を過ぎていた。八時で閉まるバロンを覗いていてはマスターに申し訳ない。友紀は新宿駅を素通りしてまるで抑揚のない景色を漂い、気がついたときには自宅マンションに戻っていた。夫のいない空間は世の中から切り離されたように静かであり、友紀はときどき、ここがどこで私は何をしているのかと考えることがある。
 今夜もそうだ。虚脱とまでは言えなくても意識がどこか宙に浮いて実感を伴わない。そんな中に自分は独り。夕食なんて何でもよかった。戻るなり電気仕掛けの亀のように掃除をしてくれるロボットを這わせておいて、シャワー。熱めの雨に流されてタオル地のバスローブ。そしてそのまま夫とは分けている自室のロングソファに体を投げだす。

「どうかしてる・・」

 ふとつぶやいて可笑しくなる。まるでアタックするように三浦を誘っておきながら、まさか子供をどうしようなんて相談するつもりじゃなかったんでしょうね・・と考えると、自分自身が馬鹿馬鹿しい。
 私の生き様は私が決める。この結婚だって互いに自立した男と女でやっていけそうだから選んだもの。私はどうありたいかにストイックに挑んできた・・つもり。
 なのに何よ、どうかしてるよ、しっかりなさい!
 友紀はなんとなくバスローブに手をくぐらせ、そう言えばノーブラだった乳房をそっと揉み、パンティ越しのデルタに触れて、脚を少し開いてさらに奥へと手を滑らす。

「精液を欲しがってる・・活きのいい精液が欲しくてたまらない。このまま押しつぶされてたまるものかと母性が騒ぎだしている・・もしかしたら激しい何かを求めているのか。たとえばそれはレイプ。私の意思などおかまいなしに犯し・・犯されて精液を受け取って・・でもだから獣の牝は満たされて我が子を抱ける・・」

 もっとも嫌悪した女の人生のはずなのに・・もしかして私は、子を持って母となる私から逃げていただけなのか。友紀は夫といるとき決して見せない深いため息をついて、立とうとした。
 そしたらちょうどそのとき、開け放ったままだった部屋のドアから掃除する丸い亀が入って来る。シャァァと回転するブラシの毛がキカイの必死を物語るようで滑稽だった。
「ふふふ、まったく・・慰めに来てくれたみたいじゃない。ちゃんとしないと捨てられるもんね。なんか可愛い」
 起きて部屋着に着替えよう。さもないとエッチな気分に流されてしまいそう。
「家庭内ラブホかも・・ふふふ、あーダメだ、どうかしてるよ」

 考えてみればそんなような結婚生活。どちらかの帰りが遅ければそれぞれ先に自室で眠って、そういうときには起こしたりせず分かれて眠る。ひとつ屋根の下に独身男女が住んでいて、もよおしたときだけ寝室というラブホテルで体を重ねる。ずっとそんな生活だったと考えて、そんな暮らしの中で唯一勝手に動き回る掃除ロボットが滑稽に思えてならなくなる。
 今夜も主人は終電近く。明日から出張で、もしかしたら抱いてくれない夜になる。
 ロングソファを起き抜けて、ブラまでしっかり中身を整えワンピースの部屋着をかぶる。何か食べようとちょっとは食欲に支配されかけたとき、ショルダーバッグの中で鳴りだした携帯に気がついた。

 着信に見覚えがない。相手も携帯。登録されない名のないナンバー。
「はい、早瀬です」
「よかった、つながったわ。はじめまして、リナよ」
「え・・」
 ゾッと背筋に寒気がはしった。どうして?
「オフィスにかけたら電話があったって訊いたもので」
 マスターだ。仲立ちはしないと言っておきながら、ちゃんとつないでくれている。直感的にそう思う。
「いまちょっといいかしら? ご迷惑じゃない?」
「あ、いいえ、とんでもないです、こちらからご連絡差し上げないとならないのに。あの、もしやバロンの・・?」
「そうそう、もちろん聞いてるわ。それでね、じつはってお話なのよ」
「はい?」
「いま大阪で月曜には戻れるんだけど、じつはそっちでダンスのコンクールを控えてて戻ってからが忙しいのよ。十日ほど待っていただけるかしらと思いましてね。明日明後日ならこっちのホテルでうだうだしてるんだけど大阪じゃしょうがないでしょうし」

 その二日は夫がいない。ちょうどいいと友紀は思った。こんな悶々とした日々には耐えられそうもなかったし、待つより攻めたほうが私自身納得できる。新幹線。旅費など自前でかまわない。
「それでリナさん、マスターは私のこと何て?」
 リナは電話口で声を上げて笑いだす。
「それを言うなら私のほうよ。彼ったら相当いろいろ吹き込んだみたいだし。孤高で孤独でどうだのこうだの。吹き込んでおいたからって笑うから、あたしバカヤローって言ってやったわ。あははは、女を怖がらせてどうするのよね、あのタコ」
 やっぱり・・マスターらしいと友紀は思い、そしてそれ以上に、人当たりのしなやかなリナに好感を持てていた。

「それでしたら、もしよろしければ明日さっそく新幹線で私のほうから」
「あら来てくれる? ふっふっふ、それも聞いてはいたけど積極的な人らしい。うん、いいわよ、こっちで粉もんでも食べましょうか」
「はい? コナモン?」
「お好み焼きとか」
「ああ・・はい、好きですし」
「おっけ、じゃあ決まりね。ホテルなら心配しないで、ツインに一人だからご一緒できるし」
 息苦しい。バイセクシャルで女に尽くしていたい自虐マゾ・・そんな言葉がまったく勝手に友紀の中で暴走していた。

 十一時になって夫が戻る。思ったよりも早い帰宅で、そのとき友紀は明日のことで気が立って眠れない。
「ふーん、大阪へ?」
「そうなのよ、取材なんだけど相手の都合でそこをはずすと二週間ほど待たなければならなくなるの。あ、相手は女の人よ」
「なるほど、それで突撃ってわけか。行ってくればいいじゃないか、俺のほうは出張だし日曜の終電近くになるだろう」
 このとき友紀は微妙な後ろめたさを感じていたのかも知れなかった。相手が女だなんていちいち告げたことはない。仕事ではあくまで第三者であり、取材の内容がどうであろうと立ち位置を間違えたことはない。

 しかし今回、息苦しいほどの胸騒ぎに襲われている。他人の生き様に突っ込んでいこうとするなら、こちらも傍観者ではいられなくなると思うからだ。マスターに対してだって失礼だし、リナに対しても体当たりしなければ心までは晒してくれない。

 浴室に消えた夫を追いかけて全裸の妻がシャワーの下へ。期待や恐怖や、わけのわからない性欲がこんがらがって、友紀は夫にむしゃぶりついた。乳房を揉まれながらキスされて、それだけで総身ガタガタ震えてしまう。
「ねえ来て・・んっんっ・・シテ・・ねえシテ!」
「ふっふっふ、どうしたんだか・・まったくおまえってヤツは跳ね馬みたいな女だな・・」
 熱めの雨にずぶ濡れになっておきながら、友紀は夫の怒張に食らいつき、吐き上がる胃液を涙をためて飲み込んで、それでも性に錯乱した。

 しかしそれから・・射出の手前で抜き去られるペニスが可哀想に思えてきて、ふたたび喉に勃起を迎え、フィニッシュを飲み下す。
 家庭内ラブホのダブルベッドで夫婦は全裸で抱き合って、いつの間にか眠っていた。

 大阪、なんば。
 待ち合わせは三時だったが、気がはやって一時間ほども前に着いてしまう。待ち合わせた場所は、なんばならココというお笑いの劇場前。晴天の土曜日で、通りに人があふれている。
 時間はまだある、どうしようと思ったとき、ふと横をみると道具屋の集まった通りがあって、食品サンプルの店が眸にとまる。この活気が大阪。にぎり寿司の図柄の並ぶTシャツなんかを見ていると東京都との文化の違いが眩しいほど。
 それほど長くない道具屋街。歩ききって適当に喫茶店に入り、珈琲を飲みながら携帯電話を取っていた。
「マスター、ありがと。いまね大阪」
「ふふふ、なるほどね、マグロみたいな人だ」
「泳いでないと死んじゃうって?」
「そうそう。リナちゃんにも言っておいたから」
「うん、昨日リナさんから電話をもらって嬉しかった。ちゃんとつないでくれたんだって思っちゃって」
「それは当然さ、リナちゃんに失礼だろ」
「そうよね。だけど言ってたわよ、バカヤローって言ってやったって」
「ううむ、そうなんだ、言われたよ」
「マスターらしいわ。ほんとにありがと。だけどマスター」
「うむ?」
「あたしダメかも。胸が苦しくてならないの。今度ばかりは他人行儀でいられない。怖いし、でも会ってみたくてたまらない」
「ま、その先のことは友紀次第」
 友紀は電話に対してもドキリとした。
「・・友紀って、はじめて呼んでくれたね」
「そうか? ふーん、だったらそうかも。ふふふ、じつは狙っていたりして」
「・・ヤだ」
 バロンとの出会いはSMの取材だった。マスターはリアルでS。そう思うだけで背筋にゾーッと寒気がくる。

 今日の私はおかしい・・考えることが、どういうルートを通ろうが最終的に性に帰結する。震えるというよりもときめいてしまっている。
 リナと会ってホテルで同室・・そのとき私は着衣のままではいられないと
突きつけられる性を想って胸が騒ぐ・・いいや胸が躍る。
 カフェではない古い喫茶店を出て、賑やかな道具屋街を通り過ぎ、グランド花月の前の広場に出たとき時刻は三時に五分前。
 友紀はリナを写真で見ていた。けれどもそれはしばらく前の姿であって見分けがつくのかどうなのか。
 見渡していると、ほどなく長身でスリムな女性が広場に歩み寄ってくる。

 シルバーアッシュのショートヘヤーは男のように短くて、黒い革のミニスカートからネットストッキングにつつまれた綺麗な脚線。上はTシャツに淡いブルーのカジュアルジャケット・・足下はナチュラルカラーのハイヒールで、百七十センチは超えていただろう。
 彫りの深いエキゾチックな顔立ち。明らかに普通の女性ではない感じ。向こうもあたりを見回しながら歩いてくる。
 友紀は直線的に歩み寄ると、写真で見たリナよりはるかに大人びたリナを悟った。リナも友紀に気づくと微笑んで、眉を上げて眸を細めた。
 今日の友紀はタイトなミニを選んでいて、ややアッシュ系の茶色に染めた長い髪を梳き流し、いつになく女の姿で歩いている。日頃の取材であればもう少しスカートは長かったし、意識してガードルを穿き込んで心を固めているのだったが・・。

「失礼ですけど」
「早瀬さんね?」
「はい友紀です」
「会えてよかったわ、お顔も知らないし、どうしようと思ってて」
「それは私のほうがお写真で」
「そうよね、そっち方面のプロだもんね。さあ行きましょうか、ホテルすぐそこなのよ。大阪へ来るとこのへんで泊まることにしていてね。なんばの街が大好きだし、じつを言うと阪神ファンで野球でもときどき来るから」
 リナはごく自然に友紀の背を押しながら、体を寄せて微笑んで並んで歩く。近づくと六十四センチの友紀が見上げるほど背が高い。リナはヒールだけでも十センチはあっただろうか。
 着衣の上からでも鍛えられた肢体が想像できる。胸も誇らしく張っていて、ヒップラインが上を向いてセクシーだった。

「お昼は?」
「新幹線の中で少し。リナさんは?」
「私も少し。こういうときは粉もんなのよ。つまみながらお話しできるし、この時間なら空いてるでしょうし」

 このリナ。バイセクシャルはともかくも、自虐マゾと聞かされて気むずかしい人ではと思ったのだが、この人のどこがそうなのか、屈託なく明るい姿に友紀はちょっと胸を撫でていた。
 ところが・・リナが言う。
「あたし六よ、あなたは?」
「四です」
「あらそう? とてもそうは・・若いもん」
「とんでもないです、リナさんだって輝いてる」
 リナはちょっと首を傾げて苦笑した。
 何を語ったわけでなく、しかしそんななにげない素振りに、リナの抱えた闇を見たような気分になる。

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