2017年01月01日

DINKS~フリーランサー(三話)


三話


 翌日は金曜日。いくら何でも朝すぐにでは勝手すぎると考えて、昼前になって電話を入れた。

 北砂利菜(きた・さりな)、通称リナ。
 しかし生憎、たったいま大阪へ出張に出たということで数日を待たなければならなくなった。リナのいるフィットネスクラブはその世界で大手であり、国内に何か所ものジムを持っていてインストラクターの数も多いのだが、そのインストラクターに指導できる立場の者は少ないらしい。バロンでリナの話を聞いて朝方出勤するなり調べてみた。
 北砂利菜は、もともとが有名劇団に所属したミュージカルダンサーであり、その世界ではスペシャリスト。勤めるクラブでももちろんトップインストラクターで、ときどきこうして指導のために出張するということらしい。

 リナは男も女も性対象のバイセクシャル。しかし自虐マゾとはどういうことか。
 そしてそれより、あのときマスターの言った『恐ろしいほど孤高、恐ろしいほど孤独だし、恐ろしいほどオンナだよ』という言葉に、わけのわからない胸の高鳴りを感じてしかたがない。
 自分をサイテーの女だと思っている素敵な人とはどういうことか。これまではあくまで仕事のため、同性愛だったりM女だったり、どちらかと言えば特異な性発想に注目していたのだが、今回はリナという女の生き様を掘り下げてみたい。
 のめり込むと感化されそう・・きっとそうなると考えるから怖くなる。論理的な発想ならまだしも直感として不吉なものを感じるからだ。

「早瀬さんだったね?」
「・・あ、はい、早瀬ですが?」
「どうした、ぼーっとして?」
 昼食時、気もそぞろで社を出ようとして声をかけられた。

 編集長。しかし月刊女性生活の編集長ではなく、神尾書房もとからの文芸畑の小説雑誌の編集長。
 三浦一馬、三十六歳。神尾書房の創設期から会社をつくってきた、いまは亡き三浦副社長の息子であったが、彼はキレると女子たちが話題にするほどの辣腕。武者修行ではないがライバルでもある大手出版社を経験し、ちょうど友紀がいまのセクションに配属された頃になって、いきなり編集長のポストを用意された男である。
 とは言え居丈高なところのない態度で気さくに打ち解けるタイプだが、何かにつけて迎合したがる直属の上司とはモノが違う。

「飯かな?」
「はい、ちょっと一人になりたくて」
「そうか、それじゃ遠慮したほうがよさそうだ」
「あ、いいえ、そういう意味では。編集長もお昼ですか?」
「その言い方はやめてくれ、くすぐったくてかなわん。僕など親の七光りなんだから」
 さっぱりさばけて笑う姿も好ましい。考えてみれば会議の席で人と成りは感じていてもこうして話すことははじめてのような気もした。
 三浦は言う。
「よければ一緒にどう?」
「はい、ご迷惑でなければ」
 断る理由がないどころか、体質の古い社内にあって話してみたい男の一人ではある。食事など何でもいい。なんとなくハンバーガーと決めていたのだったが、なりゆきで蕎麦屋に入る。
「ここは蕎麦にかぎるんだ、天ぷらも美味いぞ」
「そうですか・・ふふふ」
 若々しい。というか子供じみてて面白い。
 小僧のような店員がお茶を持ってやってくる。
「天ザルを二つ」
 友紀はきょとん。何がいいなんて訊かず一方的に決めてしまう。ますます笑える。三浦は背が高くスポーツマンタイプであり、体育会系とは違うだろうが竹を割った男のようだ。

 三浦は言った。
「聞いてるよ、さっぱりだった雑誌をトップクラスに押し上げ、あらゆるそっち系に体当たりで突っ込んでいくとかで」
「突っ込んでいくっていうか・・あくまで仕事ですから」
「もちろんそれはそうだろうが女性ではめずらしいし、DINKSを公言する相当な変わり者だと評判だしね。ふっふっふ、一度話してみたくて今日はラッキーだったかな」
 どう解釈すればいいのだろう。複雑な言い方だ。友紀の対応にこまる素振りで三浦は笑った。
「いやいや、じつに頼もしいと思っててね。まあ難しいことはともかくも好き勝手にやることさ」
 三浦の言葉には続きもあったのだろうが、そのとき頼んだ天ザルが運ばれてくる。三浦はチラと目をやって言う。
「せっかくのデートにつまらん話をしてしまった、まずは喰おう」
「あら、デートなんですか?」
 三浦は濃い眉を上げて目を丸くする。ハンサムとまでは言えないだろうが女好きする男の部類。男らしさに可愛い仕草が混じるヤツ。
「もちろんそうさ。ボク男キミ女。そう思っていたほうが蕎麦だって美味くなる、ふっふっふ」
 ソリが合う。友紀は気分を洗って箸をとった。

 そして、その日の夕刻。
 夫から今日は遅くなるというメールをもらってそろそろ席を立とうとしていると、同じセクションの仲間から声がかかる。二年ほど先輩だった。
「早瀬、この後ちょっとどう? 久びさ編集長も入れて飲もうってことになってるんだが?」
「ごめん、それダメ、予定入れちゃってるから」
「あそ。バッサリだな。たまには付き合ったほうがいいぜ、空気ってもんがあるんだからさ」
 リナのことで頭がいっぱい。人の気も知らず、こういうタイプにはムッとする。友紀は帰り支度の手を止めずに言った。
「いいじゃない、お酒は仕事じゃないんだから」
 酒の席でだけ雄弁になる者が多すぎると感じていた。友紀は、だからなおさらさっさと席を離れたかった。

 そのとき定時の五時半を三十分ほど過ぎていた。そうやってタイムカードを捺さずに外に出て、一度戻って残業扱いにしてしまう。つくづく古い体質だと呆れるところが残っている。
 颯爽という意味でなく気分が悪くなって勢い込んで出ようとすると、社を出てすぐの交差点で、またしても三浦とバッタリ。タイミングとは素敵なものだと友紀は思った。
「お? 終わったか?」
「はい、今日は主人も遅いようですから、どっかで食べてと思ってます」
 嘘だった。帰りがけにバロンに寄ってと考えていたのだったが・・それにしても夫を引き合いに出してしまった。三浦に対する無意識のガードだと友紀はちょっと可笑しくなった。

「でしたら編・・じゃなくて三浦さん、ちょっとお時間いいですか、お話ししたいこともあるもので」
「・・ふっふっふ」
 三浦は友紀の眸を見つめて首を傾げながら苦笑した。
「は? 可笑しいですか?」
「いやいや。まったく痛快だよ。じゃあちょっといくか?」
 と、三浦はグラスを傾ける仕草をする。
 男の誘いを待たないという意味で笑ったのだろうが、友紀にそんなつもりはさらさらなかった。
「飲みませんけど、それでもいいですか?」
「ふふふ・・はっはっは、ますます痛快、昼といい今日はラッキーが続いてる」

 それがどういう意味なのか、三浦は声を上げて笑って、ついて来いと言うように何も言わずに歩きだす。
「・・なるほどね、ふっふっふ」
 向こうを向いてこそっとつぶやく男の背中に、友紀はよからぬ何かを感じていた。
「なるほどねって? 私って、そんなにいろいろ言われてますか?」
「いいや、そういう意味じゃない。聞いたとしても、そんなものには影響されない。飲めませんと飲みませんの違いに可笑しくなったまでのこと。学生の頃に留学とか?」
「いいえ。はっきりしすぎるとは思ってますが」
 三浦は微笑んでうなずくと、今度こそ背を向けて歩きだす。横に追いついて並んで歩き、友紀は言った。
「そっちの企画を二年やってきて他社も迫って来てますし、いまちょっと必死なんです。これまでだって掘り下げてきたつもりなんですが、まだ浅いと思ってますし」
「戦友としてなら話は聞くよ。読者以前にその仕掛け人がのめり込めないようでは浅いと言うしかないだろうね。自分の仕事に惚れ込まないと読者は見透かしてしまうからな」
「そうですね、そう思います。だけど怖くて」
「感化されそうで?」
 やはり鋭い男だ。しかしだから彼になら言えそうな気もした。
「それもありますけど、私自身が迷っちゃってる。そろそろ限界なのにいまのままでいいのかなって・・」

 このとき友紀は、三浦を誘っておいて私は何を言いたいのだろうと考えていた。仕事上のアドバイスなど求めていない。むしろ話せる誰かが欲しいだけ。
 それはそうでも、話すって何を? そう考えると私は揺れていると感じるし、三浦は三浦で、そんな友紀の胸の内を察していた。

 バーテンダーのいるショットバー。少し値が張るらしく、あるクラスから下のレベルはいないようだ。静かなシャンソンが流れている。ローズウッドを贅沢に使ったカウンターの端に並んで座る。三浦はバーボン、友紀はとにかくジンジャエール。グラスの触れ合う乾杯を・・。
「私、何をお話ししようと思ったのか・・」
 グラスを見つめながら独り言のように友紀が言うと、三浦もそれを真似て言う。
「灰皿みたいなもんだろう」

「灰皿って?」
 友紀はそれとなく横目を流して三浦の面色をうかがった。苦笑するような笑みに微妙な陰がつきまとう。
「くすぶっていれば灰は延び、トンと落としてやるだけでポッと赤く光るもの。僕など灰皿」
「ふ・・カッコいい・・」
「だろ? そう思って言ってみた」
 おどけたような丸い眸が男の知性を物語る。出会った頃の主人に似ていると友紀は感じた。
「あたし」
「うん?」
「気づかない間に疲れてたのかも。次の企画で、ある女性の生き様を掘り下げてみようと思ってるんですけど」
「うむ?」
「でも生き様と言うならあたし自身はどうなんだろうって思ってしまって」
 三浦はちょっと笑ってグラスに口をつける。
「迷ってるのかなって思っちゃうんです、DINKSに・・。この仕事でいろんな女性に会ってきて、でもそれは知らなくていい世界を見せられるだけのものでもあって・・まあいろいろ」
 三浦は浅くうなずきながら言うのだった。
「山は登れば足場はぐらつく」

「登ってるんでしょうか?」

 そう思うよと言うように三浦は眉を上げて眸でうなずく。友紀にとってはそれだけで充分だった。
「やってみます、思うように」
 リナに対する恐怖の本質に気づかない友紀ではない。自分に共通する何かを持っていそうな人。直感としてそう思い、会えば私は動くと感じるからである。

「さて、そろそろ」
「はい、すみませんでした付き合っていただいて」
 小一時間のデート。しかし友紀は、三浦は三浦なりに抱えているものがあると感じたし、それと戦う男の姿に惹かれるものも感じていた。
 体質の古い社内にあって新しい風はこざかしい。父親の三浦専務は亡くなっていたのだったが、さらに年上の社長は存命で、いまや会長職におさまって実質のタクトを握る。
 その会長直々にヘッドハントされればしかたがない。若造のにわか編集長をよく思わない者が多くいるということだ。
「一万七千円でございます」
 高いと思った。バーテンダーに言われて友紀が前に立っていた。
「いいよ僕が」
「いいえ、お誘いしたのはあたしですから」
 とは言ってみたものの・・。
「うわっ」
「ん? どした?」
「お金おろすの忘れてました」
「ふっふっふ、これだよ・・新手の詐欺だね、はっはっは」
 三浦のカードで決済。そのときになってカードなら持ってたのにと思ったのだが、気が動転していてどうすることもできなかった。

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