2016年12月19日

おんな屋あさり(四話)


四 話


 高虎とお華が四谷の『おんな屋』からそう遠くない川原で襲われていたちょうどそのころ、江戸城から二人の若い女中がひっそりと歩み出て城下へと紛れていった。二人ともに濃い紺地の縞の着物を着こなして結い髪も美しく、華美ではなかったが明らかに町女のいでたちではない。
 一人は半蔵門から出て西へ四谷に向けて、一人は桜田門から出て南へ芝に向けて。そして二人の女それぞれに影のような男が二人ずつ、つかず離れず後を追った。

 その一人が四谷のおんな屋に歩み着き、前門ではなく横の路地側にある勝手口をくぐったのは、おんな屋の皆が揃って夕餉を終えて、お菊、お伸、お駒の三人を先に女たちが動こうとしたときだった。城からずっと女を追うようにまつわりついた男たちの気配は、無事に着いたことを見極めて失せている。
 勝手口をくぐった女は誰に迎えられるでもなく音もなく屋敷に上がり、廊下を滑るように歩きだす。並の女の足運びではない。夕餉の膳を重ねて広間を出たお菊ら三人と廊下の奥で鉢合わせ、娘らは目を丸くする。しかし女はちょっと眉を上げたぐらいで平然と微笑み、言葉もかけずにすれ違って広間へと歩み寄っていくのだった。

「どなた?」
「さあ・・けど寒気がするほど綺麗な人・・三姉妹のどなたか・・?」
 娘ら三人、呆然として立ち尽くす。
 そして女が広間まで一歩と迫ったとき、広間からお文が部屋を出ようとした。
「あら皐月、戻ったの」
「ええ、ただいま」
 部屋を出かけたお文と皐月が揃ってまた部屋へと戻る。
 弥平、お角、お淑、お華に加えて、ここにも一人、見たこともない男がいる。
 おんな屋はおんな屋で動きだしていると思うと皐月は可笑しくなってちょっと笑った。
 弥平が微笑んで言う。
「うんうん戻ったか、ご苦労だったな。こっちへ来て座れや」
「はい。ちょいといない間に知らない顔ばかり」
 若い高虎が目を丸くする。皐月は二十九歳、お角にも劣らない美女であり、城務めで磨かれて輝いているようだった。色香が姿を覆っている。

 ぽーっとする高虎の様子にお華一人が拗ねたように笑顔がない。
 お華は愛らしい顔立ちだったが、容姿端麗という意味では皐月の一歩後ろにいる。皐月以下三姉妹はお華がつないだ仲間。しかしおんな屋の面々とは、まだ二月あまりとつきあいが浅く、通じ合えているとまでは言えなかった。
 高虎は錦絵から抜け出たような美男であったが、当の皐月は男など眼中にはない。色仕掛け。女陰働きのくノ一として男の本性などは知り尽くしていたし、己は女の鬼だと思っている。だいたい用がなければ戻って来ない。
 弥平は、見とれている高虎に眸をやりながら皐月に言った。
「上月高虎と言ってな、弟子というわけではないが信用できる男に来てもらったのさ。剣では使い手だ」
 皐月はゾクとするほどの微笑みを浮かべて浅く頭を下げ、高虎もそのように目でうなずく。

 お角が言った。
「それで城中、どうなのさ? およそのところは見通せるけどね」
 皐月は眉を上げて哀しげにちょっと笑った。
「女人の臓物を晒すがごとく・・我らくノ一など穢れは浅く、嘔吐が出そうなほどですよ。さっそくではござい・・ふふふ、あたしったらいつの間に武家言葉を使うようになったんだろ・・」
「ほんとだよ、雲の上のくノ一だね、ふっふっふ」
 お華がようやく笑って、皐月もそれが可笑しかったのか、皆が揃って顔を崩した。
 皐月がくだけ、いつもの皐月に戻って言った。
「それを言うなら黒雲の中さね。雷雲がごとき火花散る闇とはこのことで、女同士が探り合い、肌さえ重ねて女陰の匂いに満ちている」
 それから皐月は弥平に向かった。
「それで弥平さん、春日様の言伝を」
「うむ、我らにどうしろと?」
「上様はああしたお方ゆえ、お世継ぎを危ぶむ声にあちらからもこちらからも当家の姫はどうかと声がかかる。そうした中でにらみ合うのは・・」
「御三家だよ、まずはそこだね」
 と、お角が言うと、皐月はお角に艶のある眸を向けてうなずいた。

 御三家と言えば、紀州、尾張、水戸であるが、そもそも徳川御三家なるものが定まりつつあったのは三代将軍家光のころから。紆余曲折あって御三家として確立するのは五代将軍綱吉の時代になってからと言われている。
 御三家が台頭しはじめたのは家光のころだったし、大奥の整備もこのころからで、それもこれも家光の女嫌いに端を発するものであるらしい。家光は早くから男色であり、正室の鷹司孝子を離縁同然に大奥から追い出している。
 将軍家に世継ぎがない場合、家康直系の御三家から世継ぎを送り出すことができるとされるが、それでは徳川宗家への不当な介入にもないかねない。そこで大奥において将軍の子を宿す女たちを囲い、御三家のいらぬ口出しを阻もうとした。
 三代将軍家光のころは後世への礎を築き上げた時代であって、言い換えれば、あれもこれもができていく過程であり、もっとも危うい時期とも言える。
 こうした御三家ならびに諸侯の目論見に、女の身でありながら立ち向かったのが、家光の乳母である春日局なのである。

 皐月が言った。
「芝、増上寺近くに明生院(みょうしょういん)という小さな寺があり、そのさらに南に翁屋(おきなや)という瀬戸物商の別邸があります。それらいずれも岡崎藩ゆかりのものであり、岡崎藩はすなわち尾張の息がかり。とは申せ、岡崎藩はまた家康様縁(えにし)ということでは駿府ともつながりが深く、そのまま尾張様とも言えませぬ」

 岡崎に生まれた家康は幼くして駿府の今川家に人質に出され、その後今川は桶狭間で信長の奇襲を受けて滅びている。しかし奇襲であったために家臣団の多くは生き延びて、それ以降、ある者は相模の北条、ある者は遠江から三河にかけての武将ども、またある者は甲斐の武田に拾われて家をつないできていた。徳川の時代となって駿府周辺に舞い戻った武士たちも多くいる。
 桶狭間から八十余年経つとはいえ、そうして交わった縁は切れてはいなかったということだ。

 皐月の言葉に弥平が応じた。
「尾張と駿府が結託したか・・どちらも江戸には不満たらたら」
 皐月が応じてうなずいた。
「そしてその翁屋別邸のさらに先には岡崎藩の江戸屋敷ということで、考えようによってはお城から南へ道がつながるわけですが、まず気がかりなのは明生院とのこと。お城にいる女中の中に怪しい者が何人かおりますが、そのうちの二人が明生院もしくは翁屋に出入りしていて、これはおそらくはくノ一かと。そしてそのつながりの中でお城へあがる下女どもが増えそうだということなので」
「うむ、尾張つながりの女を続々送り込まれては危ういというわけか」
「まさに。下の下の女中までとなれば春日様お一人では防ぎきれるものではありません。そのほか諸侯の手の者も入り込んではおりますが、まずは尾張様に通じる道を断ちたい。加えてさらに女の一人を追っていくと小田原藩の影も見え隠れするとのこと」
「小田原か、まさしく駿府だね。両者をつなぐは岡崎藩・・」
 と、お角が言って、皐月がうなずく。
「春日様配下の甲賀衆が目を光らせておりますが、つい先だって、その忍びどもが出たきり戻らぬということで。男が二人行き方知れず、それに女が一人、見せしめがごとく裸の屍が海に浮いていたそうです」

 そして皐月は高虎にちらと目をやりながら言うのだった。
「名は控えよと言うことでしたが、さる外様のお殿様より、それは見目麗しい姫がつかわされました。このお方こそ将軍様にふさわしいということでお城に入れられたわけですが、そのお付きの者たちの一人が乱心」
 お華が言った。
「毒を盛られたね?」
 皐月が応じた。
「おそらくはハシリドコロ。幻覚を見て狂ったようで。そのようなことが、よもや姫様におよぶようなことでもあればと案じておられるのです。そうした道筋は断たねばならない。明生院ならびに翁屋には浪人風体の侍、頭巾で隠した女などが頻繁に出入りするようになっており、事は急がねばならぬとお局様が・・」

「まずは明生院をつぶせというわけか。密かに動く者ありと知れれば敵とて動きづらくなる」
 それまで黙って聞いていた高虎が言うと、皐月はそれとなく視線を流したが、気にかける様子もなく弥平に言った。
「明生院の、それが住職なのか、道秀(どうしゅう)という謎の僧侶がいるそうですが身元が知れません。まだ三十代と若く、武家の出であるかのような眼光鋭い男であるとか。一方の翁屋ですが、主の翁屋勝太郎はすでに老爺。四十代となる一子、佐之助が切り盛りしている由。こちらも怪しい人影がまつわりついているようです。道秀一派を消せと仰せですが、勝太郎、佐之助の親子も捨ておけぬということで。ただし事は隠密裏に。表だった騒ぎとせぬようにと仰せです」

 都合のいい話だ。弥平は鼻で笑って皆を見渡し、半月ぶりに顔を見た皐月に言った。
「で、そなたはどうする? 戻るのか?」
「いえ、暇を出されて戻ってきました。妹二人がおればよいと申されて」
 こちらの手不足を気づかったのだろう。
 皐月は身の丈五尺と少し(160センチ弱)と大柄とは言えなかったが、かつては白蛇(しらなわ)のお妖と二つ名で呼ばれた手練れのくノ一。毒に通じ、吹き矢の名手であるとともに槍を持たせても強かった。
 下に二人いる妹の桐は二十六で、身の丈は同じようなもの。月弧(げっこ)と呼ばれる小ぶりの三日月弓の名手であり、もちろん毒にも通じている。
 恐ろしいのは末の妹、奈津であった。まだ二十四と若かったが姉二人の技を超える忍び鎌の使い手であり、身が軽く、音もなく通り過ぎては首を飛ばす、剣よりも恐ろしい技を使う。
 その妹二人がついていれば事もないと弥平は思った。

 話のあらかたが済んだころ・・といってもわずかな間だったのだが、広間にいる人数分の茶を淹れて、お菊ら三人娘がやってきた。茶など頼んではいない。
ゾクとするほど美しい皐月が気になってならないようだ。
 お淑が察して目で笑う。
「いいよ、入りな。気になってしかたがないって様子だね?」
 お淑が言うと、娘三人が上目がちにバツが悪そうに固まっている。娘らはなぜか懐いたお淑の背後に居並んだ。
 弥平が言う。
「三姉妹のいっちゃん上、皐月と言う。おっかないというのなら、皐月などほとんど妖怪、姉妹揃って化け物なのさ。ふっふっふ」
 怖くなって三人娘が小さく縮こまってしまったようで皆は笑うが、声を上げて笑ったのは皐月であった。

「そなたらのことは聞いてるよ。おんな屋の『おんな貸します』、そのはじめというわけだ。初々しくて羨ましいよ」
「ほら挨拶しな」 と、お淑に言われ、三人がパッと笑って身を乗り出した。
「あたし、菊です」
「駒です」
「あたいは伸」
 皐月は一人一人にうなずいて、最後に弥平に噛みついた。
「あたしのどこが妖怪なのさ・・妹たちにもよーく言っておくよ。枕を高くして眠れなくなるからね・・ふっふっふ」
 キラリと輝く流し目で弥平を責めて、その傍らでお角が、弥平を小突きながらにやりと笑った。

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