2016年12月11日

おんな屋あさり(序章)


序 章


 寛永十年。三代将軍家光のころ・・。

 江戸の町に北町南町の両奉行所が置かれた、およそ二年後。天下太平の礎ができつつあったこの年は、奉書船以外の渡航を禁ずる第一次鎖国令が出された年ともなるのだったが、そんなことは江戸庶民の知らぬこと。花見月(三月)も半ばをすぎて江戸城下にほかほかとした陽射しが降り注ぐ。この年は春が早く、冬にもみぞれさえ降らなかった。
 そんな穏やかな日和りの中、江戸は四谷の通称『商い通り』には、ちょっとした人だかりができていた。昨日まではなかった妙な看板が、よりによって幽霊屋敷と怖がられた古い武家屋敷の門柱にさがっていて、門を閉ざす分厚い板戸が取り払われていて中が覗けるように様変わりしている。ここしばらく土塀の向こう側でトンテンと大工が動く気配がすると噂となっていただけに、町人から侍まで、通りすがりの男も女も、寄ってたかって面白がった。

「なになに・・『おんな貸します おんな屋あさり』だとよ。どういうこってい?」
「知るかっ、こちとらだって訊きてぇぐらいよ。あ、ほら・・女がいやがる」
「おう、いるな・・それもどうでぃ、いい女じゃねえか・・はぁぁ、ありゃお化けじゃあるめえな?」
「ええい、このたわけもん。春うららの真っ昼間、姐さんかぶりして竹箒を持ってるお化けがどこにいる」
 開かれた門の前に人だかり。男も女も、妙な文句の看板にやんやと騒ぐ。
 江戸のころには妙な商いがあったものだ。薬や美顔料として鳥の糞ばかりを買い集める『鳥の糞買い』、惚れ薬としてイモリの黒焼きを売っていた『イモリ売り』、『けだもの屋』と称して獣肉を鍋で食べさせる店。商魂たくましいと言えばそれまでだが、それにしても・・。

「やだよー、おんな貸しますだってさー。いかがわしい商いじゃないだろうね」
「屋を取ってみなよ、女漁りじゃないかー、きゃぁー助平ぇ」
「ちぇっ、これだよっ。おまえさんね、どいだけ亭主とご無沙汰なのさー、あっはっは!」
 どう見ても近場の長屋の女房連中が、顔を寄せ合いひそひそ話して笑い転げる。
 そんな声と人だかりはもちろん前庭を掃く女には見えていて、ちらと目を流しつつ、ちょっと膝を折って頭を下げるのだったが、目深な姐さんかぶりが陽射しを遮り目元に影をつくって、細く通る鼻筋と白い頤(おとがい)あたりまでしか顔が見えない。
 そのとき若い町人の一人が連れらしい若い女の袖を引いた。
「お、おい・・」
「どうしたのさ?」
「ゾワとした・・」
「けーっ、このすっとこどっこい! 何を言うかと思えば、許さないからねっ!」
 どうやら若い夫婦のようだ。そんな痴話喧嘩に周りがどっと笑いだす。

 と、そこへ、通りがかった奉行所の役人三人が、何だ何だと首を突っ込む。
 この月番は北町奉行所。その若き与力と配下の同心たちだった。奉行所ができておよそ二年、町人どもとも妙な具合に馴れ合って規範がゆるんできていると若い与力が同道した。
「ちょいと退きなっ」
 と、明らかに格上の役人が人だかりを分けひろげ、紫黒の着物を着た役人が三人揃って門へと近づく。
「む? おんな貸します・・おんな屋あさり? ふむ? どういうことか?」
 と、格上の与力が言って、若い同心二人は首を傾げて困りながらも笑っていた。若い同心がほくそ笑んで言う。
「昨日の見回りではなかったもの。どうやら店を開ける支度のようですが?」
 開かれた門から屋敷に向かって踏み締められた土床があって、屋敷の板戸はそこら中が外されて、まだ若そうな女たち四人が着物の袖にたすき掛け、竹箒を持ったり雑巾を持ったり、それぞれに古い家を清めている。

 そんな中で前庭を竹箒で掃いていたひときわ美しい一人が、門の前に屯する人々にちょっと顔を向けたかと思うと、役人三人の中で格上の若い与力が声をかけて呼び止めた。
「これ、そこな女よ」
「あ、はい、ただいま・・」
 と言って、その女は竹箒を白土塀に立てかけて、姐さんかぶりを脱ぎながら歩み寄る。
 おおーっ・・と誰とは言わず声が上がった。すらりとした長身。町女にしては垢抜けた、それはそれはいい女。浅い茶色地に黄色格子の着物がよく似合い、結った髪にも乱れはなくて、真っ白な顔立ちは小さくまとまって、人だかりの方々からため息混じりの声が上がる。
「お呼びでございますか、お役人様」
 与力もそうだが配下の二人も血気盛ん。女のあまりの美しさに声もない。
「ぁ・・あ、その・・」
 女が穏やかに笑むと、若い与力は生唾を飲んで言う。
「ちと訪ねる。我ら北町奉行所の者であるが、ここはいったいどういう商いなのか? おんな貸しますとはいかなる商い? よもやいかがわしい店ではあるまいな?」
 与力ともあろうものが穏やかな美女の笑みに気圧されてしまっている。女はからからと鈴のような声を上げて笑った。

「とんでもございません、ちょうどいま主がおりますので、どうぞお入りくださいませな」
「そうか・・うむ、ならばちと話を聞かせてもらおうか・・」
 女は庭下駄。カラと渇いた音をさせて踵を返すと、与力も同心二人も、一斉に女の帯の下のぷりとした尻に目をやった。こぢんまりと締まって上を向くいい尻だ。
 この屋敷は家の大きさにくらべて前庭が広く、このあたりに家が少なかったころに造られたもの。門をこえた土床は小さな寺の境内のようだった。
 役人三人の先に立って屋敷の玄関先に歩み寄り、女は奥へと声を転がす。
「おまいさん! ちょいとおまいさん!」
「おぅ! どうしてぃ?」
「奉行所のお役人様がお店(たな)の話を聞かせてほしいとお見えでね」
「おぅ、そうか。ちょいと待ちねぃ」
 家は小さくても元々が武家屋敷。奥に深く、男の声が小さく聞こえる。
 梯子から降りるときのようなガタッという音がして・・。
「あ痛ぇっ! あたたたた!」
「あっはっは、慌てもんなんだからぁ!」
 慌ててどこかをぶつけたようで、女たち数人の声が重なって聞こえて来る。

「ご亭主か?」 と、若い同心が口惜しそうに女に訊いた。
「はい左様で。まったく慌てもんで困ってしまう・・ふふふ」
 その笑顔・・役人たちは胸が苦しい。
 これほどの女を女房にする男とは、いかなる者なのか・・と思っていると、奥からみすぼらしい身なりの男がにゅっと現れ、ちょっと笑った。
 店支度のためなのだろうが、男は長身で逞しかったが鼠色のよれよれの着物の袖をたすき掛けで上げている。月代を剃り上げない浪人髷。その髷に綿埃。歳の頃なら四十代。三十そこそこの、それも美し過ぎる女房とは釣り合わない。
 役人三人は驚いたように互いに顔を見合わせた。
「これはこれはお役人様、このようなナリはしておりますが、あっしも元は侍でして」
「ほう・・侍とな?」
「親爺の代まで尾張様に仕えておりましてな」
 尾張は徳川御三家。役人三人は目を丸くして顔を見合わせた。
「いえいえ、言うほどたいした者でもなく、どうかお気楽に。あっしは・・いえ拙者は浅利弥平太と申しまして、ヤットウなんぞはとっくに捨てた身。それで『おんな屋あさり』と申すもの。あっしのことは弥平で結構」
「そうか弥平か・・なるほど、『あさり』とはそちの名か?」
「いかにも。屋を外せば女あさり。はっはっは!」
 役人たちは拍子抜け。あっけらかんとした物言いは悪人とは思えない。目が澄んで凜々しいと与力は思った。
「む、それはよい、わかった。して、『おんな貸します』とはいかなる商いか?」

「口入れ屋でございますよ」 と、横から女房が笑って言った。
「口入れ屋だと?」
 弥平が女房に目でちょっとうなずく素振りをする。女房は目配せの意味を悟って奥へと引っ込む。
「いま茶ぐらい用意させますので、まあどうぞお座りになって」
「そうか、すまぬな」
 役人たちは上がり框に腰を降ろし、そのときに三人とも刀を腰から抜いて右手へと持ち替えた。
 弥平が板床の廊下にどっかと座る。
「女ばかりをつなぐ口入れ屋でございますよ。ゆくゆくはそうなりますが、いまのところは手伝いですかな」
「手伝いだと?」
「左様。年寄りの面倒から飯炊きそのほか、お呼びがあれば腰元まで。女手がいりようなとき呼ばれて雇われるというわけで。しかしなにせ、いまはこのような有様で商いは少し先かと。いまここに四人と三人、女たちがおりますが、その者たちはちゃんとした雇い人。これから店ができていけば仲立ちもするつもりでおりやすが」
「働きたいと申し出る女どもに働き口をあてがうわけだな?」
 若い同心の一人が真顔で言ったが、役人たちの目が奥から続く廊下へ動いた。女たち数人の足音がする。古い屋敷で板が軋む。

 女房を先に三人の女たちが後を追って歩いてくる。弥平が、女房と微笑み合って役人たちに言うのだった。
「申し遅れましたが、まずは女房のお角(すみ)。すみはすみでも角と書く、それは恐ろしい女でござる」
「ちょいとおまいさん、ひっぱたくよっ」
 後ろについてくる三人が声を殺してくすくす笑った。歩み寄ったお角は、湯気を上げる湯飲みを四つ、与力から先に三つを配り、最後に亭主の前にも置いた。
「まあどうぞ」
「うむ、すまぬ」
 与力が湯飲みに手をやると若い配下が続けて湯飲みを取り上げた。

 弥平が座り、その横にお角。そしてお角の後ろに女三人が静かに座った。
 弥平が言う。
「左から、お華(はな)、お文(ふみ)、最後にお淑(よし)でございますが、順に二十二、二十五、お淑などは三十六と、それぞれ幸少なき身の上で。あっしらとは家族も同然。そうやって暮らしておりまする」
 役人たちはそれぞれちょっとうなずいた。お華は若い、お文は熟し、お淑にいたっては恐ろしく背の高い鬼のような女。皆が町女の着物を着て、それぞれに行き場を見つけた女たちのいい顔をしている。

 弥平が言った。
「四人と三人と申しましたが、このほか三人は三姉妹でして、生憎しばらく戻ってきませぬ。奉公先で住み込み女中をやっております」
 与力は、襖の開け放たれた家の中を見渡して、うんうんとうなずいた。いがわしい商いではないだろう。しかしである・・。
「されど弥平とやら」
「へい?」
「この屋敷は、子細あって闕所(けっしょ=家督没収)とされた武家のもの。それを何ゆえそなたが?」
 弥平は眉を上げてお角を見た。お角が言う。
「おや、お奉行所の方でお聞きになってはおりませぬか?」
「いや知らぬ」
 弥平は湯飲みをちょっと傾けて、それから与力に向かって言った。
「この屋敷は本所の呉服商、鈴屋さんがご公儀より賜ったもの。鈴屋さんはもともと京の商人でしたが、関ヶ原からこっち尾張様に気に入られて御用商人となっており拙者の親爺とは飲み仲間。といった顛末で、拙者が借り受けることとなったわけですな」
 そのとき若い同心の一人が、上役の耳に口を寄せた。

「本所の鈴屋と申さば、本所深川界隈きっての呉服商で、大奥にも出入りを許された御用商人でござりますが」
「む・・左様か・・」
 まずい・・下手をすれば首が飛ぶとでも思ったようで、役人たちは気が気でない。
 弥平が言った。
「鈴屋さんは尾張様の口利きで江戸城に出入りを許された商人なれど、それとこれとは話が違う。拙者など親の光でこの屋敷を借り受けたようなもの。女房もそうですが、このような身寄りのない女たちと江戸のため細々とやっていくつもりでおりやす。それでもとおっしゃるなら屋敷を改めていただいて結構。何なら鈴屋さんに人をやって確かめていただけば」
「・・あ、いやいや、よくわかった。『おんな貸します おんな屋あさり』という文句が、なんともまた面白く、ちと立ち寄ってみたまでのこと。そういうことなら屋敷を改めるまでもない。・・む、さ行くか」
 若い与力は、とっくに冷や汗をかいている配下の二人に目配せすると三人揃って立ち上がる。
「御内儀殿、馳走になり申した」
「あ、いいえ、女ばかりの所帯でございます、ちょくちょく寄っていただけると心強いというもので」
 お角の笑顔はそら美しく、しかしそれだけに役人たちは怖かった。藪に探りを入れて蛇でも出たらたいへんということだ。

 門のまわりを囲む町人たちの目が無言で一斉に役人たちに問いかけた。若い同心の一人が手払いの仕草をしながら言う。
「こらこら、もうよかろう、見世物ではない。口入れ屋だそうだぜ」
「口入れ屋? へええ・・」
 町女の声がした。
「左様。主の名が浅利。『そば屋ごへい』と言うがごとくよ。女の働き口を世話するものらしいぞ」
 町人同士、ひそひそと声が上がるが、そんな囲みの向こう側で、ちらりと目をなげて口許を歪ませて笑い、立ち去っていく藤色小袖の女が一人いたことを、このとき誰もが気づかなかった。

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