2016年12月05日

官能ホラー 黒い霧神(二話)


二 話


死神を見てしまった。そしてそのとき、ミツル君に出会った私。このことは、それ以外のありふ
れた日常の中にあるどんな出会いのシーンよりも心に刻まれ、私は運命を感じずにはいられ
なかった。だってそうでしょ、死神なんてこの世のものでないものを二人揃って見たんです。
彼にも私にも、ほんの少し霊能が備わっていたようで、彼の言うように、あのとききっと二人の
念が共振し合って力を増して、だから黒い不吉が見えたんです。

可哀想に美代子はほとんど即死だそうで・・・あれから私は、お寺や神社や、お部屋にいて
もお花を飾って一心に手を合わせたわ。怖くて怖くてなりません。神様でも仏様でもよかった
の。田舎に戻ってお墓にも行き、ご先祖様にも手を合わせた。
人に対して間違っても死ねなんて思っちゃダメ。美代子に対してだって、一瞬でもそれを思
ったことを後悔したし、心から謝っていたのです。

ミツル君に、当時暮らしたマンションまで送ってもらい、それから頻繁に会うようになって、彼
が泊まるようになりました。それほど時間はかからなかった。お部屋に独りでは怖くてならな
い。一緒にいないと気が狂ってしまいそう。
彼はやさしく可愛い人です。三つも下で、その点ではちょっと頼りないけれど、懸命に私を
守ろうとしてくれた。この世の男性で、ほかに誰が一緒に死神を見てくれるでしょうか。運命
なんです。あの黒い霧を遠ざけておくためにも私たちは前を向いて歩いて行くしかないんで
す。

翌年になって彼が卒業。クルマのメーカーに就職も決まり、私たちは結婚しました。生産ラ
インのある工場近くの賃貸マンション。最初は共働きで、二年経って私が辞めて主婦になっ
てた。でもね・・・結婚から三年目になろうとするのに、どういうわけか赤ちゃんに恵まれず、
彼との間にも微妙な風が吹きはじめていたんです。
やさしくていい人ですよ。だけどやっぱり三つも下だと、何かあると私がお姉さんを発揮しち
ゃって、なおさら物足りなくなってくる。
そんなこんなで、それからさらに一年が過ぎて行き・・・あのことも忘れることができていまし
た。

このマンションは、新婚向けの2LDKと単身者向けの1LDKの二つのタイプに分かれてい
たのですが、ある日のこと、専業主婦で家にいた私は、引っ越しのトラックを見てしまう。買い
物から戻った二時頃のことでした。春先で移動のある時期。トラックは引っ越し屋さんのもの
でなくレンタカー。友だちに手伝ってもらっての引っ越しだったのです。
学生さんらしい若い男性が二人、荷物を出すのにトラックにいて、そしたらそのとき、マンシ
ョンから三十代のきりりとした人が出てきます。

「よし次頼む、もうちょいだ、すまんな」
「いいえ、これぐらいどうってことないっす」
「焼き肉でもおごるから頼むわ!」
「あははっ、それは当然!」
「けぇー、これだよ、あはははっ!」

明るい人・・・それにみんないい感じ。お歳は違うけど何かのお友だちだと思ったわ。
そしたら彼が・・・そのときたまたまそちらを見ていた私に気づき、歩み寄って来るんです。背
の高いがっしりしたスリムマッチョ。髪が短く、日焼けして精悍です。
「どうも、こちらの方ですよね?」
「あ、はい」
「お騒がせしてすみません、もう終わりますので。僕は霧原と言います。307です。クラブの
連中に手伝ってもらっての引っ越しですよ」
「クラブ?」
「スキューバです、海をやりますから。僕は転勤なんですが、クラブは千葉で、こいつらみん
な学生だから」
「ああ、はい、そうですの」
今日は平日。彼は引っ越しのためにお休みで、若い子たちは学生だから時間があるという
ことでしょう。
「私、戸川です、702ですわ」
「戸川さん? そうですか、これからよろしくお願いしますね。ご挨拶はまたあらためて。そ
れじゃ、どうも!」

言葉に覇気のある、野生を感じる人でした。マンションは七階建てで、三階から下は単身者
向けの間取りです。彼が独身で三十四歳であることを知るまで、それほど時間はかからなか
った。主人の勤める自動車メーカーの一次下請けの社員さんです。立場ではウチの方が上
なのでしょうが、なにせ主人は若過ぎてまだまだ下っ端ですからね。
なのに三つも上の私だけ、いい歳になっていた。あのことがあって他の人には目もくれず結
婚した私です。年上のエネルギッシュな男性には惹かれます。

工場勤務は、カレンダー通りでなく、土日は休みとしても、祝日や、それに平日だって日勤
と夜勤があって、主人など週交代で昼と夜が入れ替わる。そしてそれは彼もそうで、別会社
でもあり勤務がズレることが多かった。主人が日勤のとき彼が夜勤ならば昼間に顔を合わせ
ますし、逆なら夜が合わせやすい。子供でもいてくれれば違ったのでしょうけれど・・・それ
にしたって口喧嘩の元になっていたんです。何年経ってもできません。どっちかが悪いのだ
ろうと思っていました。

そんな日々が続いたその週、主人が休日出勤になってしまった。機械の調子がおかしいら
しく、工作機械のメーカーの人たちとラインが停まる週末に総点検をするらしい。会社に泊
まり込みになるだろうって言うんです。
その前日・・・主人はもちろん仕事で家になく、私は下に降りてクルマを洗ってあげていた。
そしたら彼が、白いステーションワゴンに、見たことのある道具を積み込んでいたんです。重
そうな空気のボンベ、ウエットスーツ、足ヒレなんかを・・・ダイビングに出かけるようで。

「あら海?」
「はははっ、そうそう、明日から千葉で、その準備を」
「いいなぁ・・・海なんてぜんぜん行ってない・・・」 
ふと漏らした一言がすべてのはじまりとなりました。
「明日ご主人は?」
「朝早くに出かけて、ラインのほら・・・聞いてない?」
「ああ、あれか・・・機械の誤動作ですよね?」
「かどうか、そんな話はしてないけれど、それで泊まり込みみたいなの」
「じゃあ、よければ一緒にどうです? 潜らなくても船で遊べますよ」
「でも・・・朝は何時? 主人がいるうちは出られないし・・・」
「僕は夜中に出ちゃいます。でもほらクルマがあれば来られるでしょ。お昼頃に一度港に戻
ってますから、来てくれれば半日遊べる。水着でもいいでしょうし、ないならないで楽しめま
すから。場所は・・・」

でもね・・・そのときはとても無理だと思っていました。ところがその夜、主人とまたちょっと口
喧嘩。朝の六時に送り出し、私はむしゃくしゃしていたんです。不妊検査を嫌がるから。恥
ずかしがって嫌だって言うんだもの。私だけ必死でも夫がそれでは子供はできない。なのに
エッチだけは求めてくる。それでちょっと苛立っていたんです。
主人を送り出して一時間ほどいろいろしていて・・・場所は内房の先端あたり。二時間もあれ
ば行ける距離だと思ったの。
水着なんてデザイン古くて着られません。モーターボートがはじめてだから、そっちの方が
楽しみで、それで私は家を出た。初夏のすがすがしい晴天です。ショートパンツにTシャツ
姿。久々の女の子スタイルで心が浮き立っていましたね。
携帯は相手が海の上では通じません。クラブに電話を入れて伝言を頼みます。無線でしょう
か衛星携帯? 後はひたすら港を目指して走るだけ・・・。

主人に言えないことができてしまった・・・物足りなさを埋めるように彼を愛していたんです。

霧原純一・・・そういえば霧という字がつくのよね。男らしくて凛々しい霧だわ、あのときの不
吉な霧とはぜんぜん違う。
「ううむ、なるほど、不妊検査ね・・・それはちょっとないな、相手は医者なんだから」
「でしょう? 私は間違ってないと思うのよ」
船の上ではクラブの人たち五人に囲まれ楽しくて。そして船を降りたとき、彼は親身になって
話を聞いてくれるのです。
主人にメールをしてみたら今夜はやっぱり泊まりらしい。帰りに二台揃って夜道を走り、途中
でお食事。そこでも彼は逞しく、昼間の厚い胸板が思い出されて、予感めいたものを感じて
いたわ。

それでマンションが近づいて、私が先に駐車場にクルマを置いてお部屋に上がり、しばらく
してから彼が戻る。それだって申し合わせていたんです。同じマンションですからね、闇に
も目がまぎれてる。

お風呂に入って海の匂いをさっぱり消して、それでも電車のなくなる時刻まで待っていて、
それからでした、可愛い下着に着直して電話を入れます。
「大丈夫よ、行っていい?」
「うんおいで、ロックはしてない」
「わかった・・・うふふ・・・いま行く・・・」
エレベーターを使わずに深夜の階段を降りていく。スニーカーは不倫の足音を消してくれた
わ・・・。

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