六話
ツインベッドのリナの側に友紀は絡め取られて抱き合っていた。リナの手が我が娘を可愛がるように友紀の肌身を撫でている。
友紀にとってはじめて知る女同士で貪り合う性は、夫との夜とは質の違う安らぎを友紀に与えた。子供の頃に裸で母に抱かれた記憶が蘇る。無条件に同化できる同じ心を持つ者同士の触れ合い。友紀はそれをレズだなんて変態的には考えてはいなかった。むしろ素直な女の性。同性結婚へと発展していく女たちの気持ちがわかる気がする。
しかしリナの想いは少し違う。相手が誰であろうと心を向けてくれる人に対して隷属していたい。心のマゾヒズムに命じられるまま、友紀の裸身に奉仕する。愛してくれる誰かを見上げていたい。平伏して見下ろされる存在でありたい。そうしたせつないまでの想いであった。
裸の友紀を抱きくるんで撫でながらリナはささやく。
「・・子宮がもがくの」
「ええ、そんな気がする」
「DINKSとシングル・・似てるようだけどもちろん違う。シングルは独りと決めた人生ですもの。子供を持たず夫婦でいようとすると緻密なプロットを用意しないとならないものよ」
「そう思うようになってきました。私なんて結婚したときすでに二十九。そのとき決めても遅いぐらいでしたから。友だちたちが次々にママになっていく。だけど横目に見ていて羨ましいとは思えない。自由に生きたい。仕事も面白くなってきて、そのほか可能性だって追ってみたい。そのことと結婚は次元が違うと考えたんです」
そのとき友紀は横寝になって抱かれていて、リナの白い乳房をまじまじ見つめ、その谷間に頬をすり寄せ、抱きすがる。ダンサーの強い鼓動が心地よかった。
リナは言う。
「そこが才能なのよ。能力ではない発想する才能ね。子供を持たない生き方をどう素敵に発想できるか。友だちたちがどうだとか、比較する話じゃない。徹底した個人主義よ。子供を持たない人生が私の幸せと言い切れないと、いつか他人と比べてしまう。だけど友紀も私も、そんな程度の次元で苦しいんじゃない。牝の生理。子宮のもがきを感じるから迷うんだわ」
あたたかいリナの手が友紀の尻を撫で回し、友紀は腰を反らして尻の谷へとリナの指を迎え入れる。谷底から腿の付け根へと回った指が、横からプッシーリップをそろりと撫でた。そのとき友紀は唇をちょっと噛み、熱い吐息を漏らしていた。
「・・二年ほど前」
「うん?」
「そっち方面の企画を担当させられて、最初はレズ、不倫、それからレズのSMでしょ、ニューハーフも取り上げて、その次がM女、で次にバロンに出会った」
「うん?」
「主人のことはもちろん愛していましたし夜で私は果てていける。にもかかわらず、さまざま違う性に触れて、私ってじつはどうしたいのって思うようになっていた。これは仕事で当事者になってはいけないとわかっていても、とりわけマスターに会ってからはレズもいいなって思うようになっていた。まずはレズから。踏み出すならそうなるだろうと思ってた」
「わかるわよ。細川さんは女の気持ちを吸い取ってくれる人。何を言っても怒らないし何を言っても笑ってくれる。何をしてくれるわけでもないのにね、気がつけばご主人様と呼びたくなってる。ガードすることが馬鹿馬鹿しく思えてくるのよ」
尻を差し出し穏やかに閉じたラビアを撫でられながら、友紀はリナの乳首を唇に捉えていた。リナは一瞬、ゾクと震えた。
友紀は言った。
「そうよね・・何のためのガードって思えてきたとき、同じように何のためのDINKSって考えてしまう。私の本質って何だろうと根源的なところに思い至る」
友紀はリナの乳首にかすかに歯を当て噛んでみた。
「あン・・んっ・・」
「痛い?」
「ううん感じる。嬉しくて」
「ふふふ・・うん」
友紀はリナを抱きくるみ、リナは友紀を抱きくるむ。
唐突とリナは言う。
「プロポースされたのよ、二十一の頃ですけどね」
「ええ?」
「あ、ボイスレコーダーとか持ってきた?」
「ありますけど必要ない」
「うん、それも嬉しい言葉だな・・」
そう言ってちょっと苦笑し、触れるだけのキスをして、リナはふたたび言うのだった。
「その頃の私は踊り手としてこれからだった。行き先に夢しかなかった。彼のことはもちろん好きで私だって考えたのよ。だけどやっぱり夢に生きてみたかったし、そのとき私、私にはもっといい人がいるって思ってしまった。彼はひとつ上の普通の男性。そうじゃない世界に王子様がいそうな気がした」
「・・わかります、それ」
「プロポーズされたことでむしろ距離ができてしまい、はっきり言って私から捨てたようなカタチになる。彼が苦しんでるって人伝てに聞かされて、自分を掻き毟ってやりたくなるほどの自己嫌悪・・なのに一方、これでよかったのよと切り捨てる冷酷さのどっちもが同居した。私ってサイテー。だけど上を見るためにはしょうがないって思ってね。もう一人の私をねじ伏せるようにして踊りに賭けたの」
「・・はい」
その頃のリナが想像できる。それからは芸能界、それも劇団という特殊な世界で、そのへんのことについては女性雑誌を扱っているとゴシップ的な情報には事欠かない。
「ずいぶん虐められたわ、同性にも男たちにも。それでそのとき思ったのよ。もしも彼と一緒になっていたらって。いまごろきっと赤ちゃん抱いて母親やってた。そんな後悔もありつつそれでも踊って、とにかく名は出たけれど、だから何だって思っちゃって。まあじつにいろいろあった。私は汚れた」
「極めなきゃならない世界ですものね」
「ストイックになれない者は大成しない。だけどそのためにどれほどの人を踏みつけて来たかと思うとたまらない。いっそ独りになりたいって孤独を選んで歩いてきた。二度ともう彼のような恋人をつくりたくない。寂しくて寂しくて、だけどそのうち、そうやって自分を責めることで浄化されてく自分に気づく。せめて裸でいるときぐらい誰かに尽くしてあげたいと思ったよ。ふふふ、マスターったら自虐マゾって言ったでしょ?」
「ええ、そう聞きました」
「そういうことなのよ。マゾと言ってもSMじゃない。私が勝手に自分を落として泣くことで浄化されてる。踊ることへのエネルギーになっていた」
「・・それもわかるような気がするなぁ」
リナは静かに微笑みうなずくと、ちょっと息を吐き捨てて言うのだった。
「迷いが生まれた。いまの友紀と同じように。このままでいいのかしら? 劇団にいればスターですけど、だから何よ? 友だちたちには可愛い子供がそばにいる。揺れて揺れて、そうするとますます自虐的になってしまって崩れかけていたのよね。そんなとき細川さんに出会ったってわけなんだ」
「・・はい」
「バロンにもよく通った。背中を見ていてこの人こそご主人様だって勝手に思った」
「ふふふ、はい」
今回の記事は私を書けばいいのかも知れないと友紀は思った。重なるところが多い。バロンのマスターへの感じ方も似ているし。
「いまは? バロン?」
「もちろん行くわよ。人対人でエッチなことはないけれど、私ならいつでもいいのね。望まれるなら奴隷になりたい。だけど彼にとってのM女と私が思うMは違う。レズだってそう。こうして抱き合ってれば行為としてはレズでしょうけど、レズとバイは本質が違うのよ。心の置き場所っていうのかしら」
友紀はうなずく。レズの取材で出会った女たちは男性など眼中にない。
「ほう・・うんうん、それで友紀のほうから?」
「先に言われてたの、これからずっとよろしくって。それを言うなら私のほうだわって思ったから、いつまでもよろしくお願いしますって私からも言っちゃった」
「なるほど、それもまた友紀らしい」
友紀と呼ばれることが嬉しかった。夢のような一夜が過ぎて、日曜の夕刻に自宅へ戻り、同じように戻った夫と激しい夜を過ごし、そしてその翌日。月曜日の夕刻に友紀はバロンを覗いていた。
「そしたらね」
「うむ?」
「サリナって呼んでって。リナは芸名みたいなもんだって。彼女は砂利菜と砂を書く。こう言うのね『苦心してこしらえても私は波に崩される砂』だって。私のことを女王様って言ってきかないの。違うのに」
「砂利菜が女王?」
「そうですよ、彼女といるとどうされてもいいと思えるから」
マスターは微笑んでうなずくと、それきり口をきこうとしない。
「サリナも言ってたけど、恩人ですマスターが。私やっと自分が見えた」
どう見えたと問うようにマスターは眉を上げた。
「貫くつもりよDINKSを。夫を愛しサリナに抱かれて女の私を気持ちよく生きていたいもん」
そのときカウンターの向こうでマスターは、ちょっと微笑みながら洗い物に視線をやった。
「記事はうまくいきそう?」
「うん。それはいいの、まだ少し時間もあるしサリナのお部屋のキイももらった」
「ぞっこんだな」
「ぞっこん」
と、そのとき、この時刻では滅多に開かないバロンのドアが開いた。
肩ほどまでの黒髪。すらりとしたスタイルで眸の丸い女の子。友紀はもちろん覚えていた。
「・・優子さんよね?」
優子のほうでも取材で知り合った妙な女を忘れてはいなかった。
二十八歳になった優子は、あのときそのまま、静かに佇む娘のようだ。
しかし友紀はとっさにマスターへと眸をなげた。
「じつはね、四月ほど前のことなんだがお母さんが亡くなった」
「え・・」
「親父さんは五十八。独りじゃ困るだろうと縁談が来たそうで、それでこの馬鹿、探りの電話をよこしやがった。私も結婚しようかなって」
カウンターに歩み寄り、一席空けて友紀の隣りに座った優子。その眸がマスターを見つめてキラキラしている。優子は涙ぐんでいた。
優子が言った。
「叱られました、試すな馬鹿野郎って。いますぐ戻って来いって言ってくれて、嬉しくて私・・」
あれからもう一年と少し。ずっと優子を思い続け、だからずっと独りを通した。どんな女がアプローチしても受け付けない。そういう男なんだと友紀は思う。
「お仕置きだぞ」
「はい、ご主人様。もう一度どうかよろしくお願いいたします」
優子の可愛い涙声に友紀までつられて涙があふれた。