十六話
泣いて濡れる睫毛が草葉の朝露のようにキラキラと輝いている。
ようやく出会えた女神に慈悲を請うように足先から口づけを捧げ、そっとそっと舐めながら脚線を這い上がってくるサリナを見ていて、友紀は、サリナの気持ちを考えた。私は人並みの女であって一般女性。サリナは名のある劇団に属して芸能界で活躍したミュージカルダンサー。美しさの質が違う。女王の美、女神の美と言うのなら憧れ慕うのは私のほうではないのか。一心に奉仕するサリナの姿は、とてもおよばない女神を崇拝する信者のようでもある。サリナはいまどういう気持ちでいるのだろうかと、幸せそうに脚にまつわりつく美しい姿を見つめて、友紀には不思議に思えてしかたがなかった。
サリナの涙は鞭打ちのせいではない。強く振ったといっても細身で軽い革ベルトには握りに芯がなく、少しぐらい打たれたって尻を赤くする程度のもの。SMの鞭がどういうものかぐらいは知っている。
肉体ではなく心を打ち据えた鞭・・けれどもそうされなければ安住できないほどサリナは弱い女ではないはずだ。生活力の部分でも一般女性とは比較にならない。このマンションにしろ女一人がとても手を出せるレベルのものではないのである。
なのになぜ・・。
太腿の付け根まで舐め上がったサリナの頭に手を置きながら、友紀はもしや逆なのではと考えた。強く有能であるがゆえに張り詰めていて糸がいまにも切れそうなのだと。やさしいだけではのし上がれない芸の世界に心が軋み、それを持ち前の強さで押さえつけていたのだが、劇団を離れて普通の女に戻ったとたん、それまでしてきたことへの呵責が悪霊のようにのしかかってきている。
そんな何もかもを壊してやりたい・・だから自虐マゾ・・そういうことだと友紀は思った。
腿まで這い上がったサリナは、女王の下着のデルタの底へと鼻先を突っ込むようにして、女王の白い腿を抱いて頬を添えた。
ワインレッドの毛の中に紫色のガラス糸を織り込んだような不思議な髪を撫でてやり、鍛えられた背筋のゆるんだ白い背を撫でてやる。
「いい子だけどまだまだよ、はじまったばかりだからね」
「はい、女王様」
顔を上げるサリナ。いい眸をしている。可愛いわ、たまらない・・すぐにでも下着を脱がさせて、おびただしく濡れる性器を舐めさせてやりたかったが、それをすると情に流されて貪り合うだけの肉欲に終わってしまう。
「立ってお尻を見せてごらん」
「はい」
両脚の腿裏までをつつむように抱いていた手がほどけ、サリナは立って後ろを向いた。流れ動く女体。そんな表現がふさわしいほどサリナはしなやかに身をさばく。
カタチよく締まった尻に幾筋もの赤らむ条痕がはしっていたが血が浮くほどの痕でもない。仕事でハイレッグレオタードを着る。サリナの誇りにかけてレオタードから出るところに変態的な傷はつけたくなかった。
友紀はローテーブルに座ったまま。その目の高さに鞭に赤らむサリナの尻がある。
「脚を開いて自分でお尻をひろげてアナルを見せるの」
「はい、女王様」
肩幅よりさらに脚をひろげ、左右の尻肉を両手で割りひろげて、そのままサリナは前に体を倒していった。プロダンサーの裸身はしなやかで、
膝に乳房がぴったりついて見事なAのフォルムになる。
色素の薄いつつましやかなアナル、それに陰毛を処理してしまったヌラめく性器がそっくり露わ。両手で尻を開くことで皮膚が攣れ、愛液にまみれて閉じていられない肉の花がぱっくり開いて、綺麗なピンクの内臓までを見せている。
「いやらしい眺めね、よくもそこまで濡らせるわよ」
咲いて口を開く膣花からトロミのある透き通った蜜が流れ出して内腿を伝いだす。
「鞭に感じた?」
「はい、感じました」
「マゾだから?」
「はい、私はマゾです」
「痛くされると嬉しい? 痛いの好き?」
「はい、痛くても恥ずかしくても感じてしまいます。ああ女王様、私を壊して」
俗に言う真性M? これほどのレディが、まさか。
けれどこのとき、友紀はそれを考えることよりも目の前でせつなく濡らすサリナに対してどうしていいかと戸惑うことが情けないし辛かった。自虐マゾと言ってもこれまでは妄想チックなものであり、この部屋にSMの調教具などは置いていない。ディルドでもあれば・・バイブでもいいし浣腸のようなものでもいい。縄でもいいし正真正銘、鞭でもいい。使えるものは洗濯バサミ・・ほかにもあるのだろうが、サリナを追い詰めていく手順がまるで発想できない・・いいやそんなことは考えたくない。メラメラとしたサディズムがいまにも爆発しそうで怖かった。
SMの取材で何をどうすればいいかぐらいはわかっているだけに・・嫌と言うほどネットを見て、動画も見て、そのときキュンと胸の軋む想いがしたことを覚えているだけに豹変する自分自身が怖かった。
「いいわ、ここへ来て牝犬のポーズよ」
「はい」
膝に乳房のつく完全前屈からスローモーションのようにしなやかに立ち上がるサリナ。足下へすり寄って、膝で立って脚を開き、両手を頭に組んで乳房を突き出す奴隷の姿。陰毛を失った白いデルタに得体の知れない肉欲の谷溝が浮き立って、しかしそれは蜜にヌラめき濡れている。
美しいM女の姿だと友紀は感じた。
そっと両手をやって尖り勃つ乳首をつまみ、そろそろとコネてやり、指先に力を込める。
あぁぁ、あっあっ・・あぁン、あっあっ・・感じ入る甘い声。目を閉じて小鼻をひくひくさせながら、半分開いた薄い唇からとろけたような声を出す。
友紀は目を見開いてそんなサリナの夢を見つめていた。夢見るような甘い吐息・・少しツネると眉間に浅くシワを寄せて声はさらによがり声に変わっていく。
「ほんとに気持ちいいみたいね?」
「はぁい・・ハァァァじょおう・・さまぁ・・サリナは・・イッてしまいます・・おやさしい女王様ぁ・・ハァァ・・夢のよう・・」
信じられないものを友紀は見せつけられることになる。乳首をいじっているだけなのに、サリナの裸身がしなしな揺れだし、言葉が息の声に変わっていって、風船の空気が抜けるように裸身がぐにゃりと崩れて倒れていく。すぐ後ろに大画面のテレビ。友紀は飛びついて抱きかかえ、そのままフロアにサリナをそっと横たえていく。
「サリナ、イッたの? サリナ、大丈夫?」
「はぁい・・はぁぁ気持ちいい・・夢のよう・・気持ちいい・・心からお慕いします女王様ぁ・・」
呆然とする。雲海を漂う風のようなサリナの声。心が達して肉体が果てていく・・そんなようなアクメなのだろうと想像するしかなかった。
同じ女性として感動するほどの性のピーク。友紀はサリナを膝抱きにしながら柔らかな乳房に抱き締めてキスをした。
下から手をのばして抱きすがり、舌を絡めてキスは深く、サリナは果てて動かなくなっていく。
甘いわ。こんなことではダメだと思うのだったが、友紀にはサリナを傷めることができなかった。愛が燃えている。素敵なサリナに心を奪われ、ただ抱いているしかない。
甘い。こんなことではダメだと思うのだったが・・そんな思考を鳴りだした携帯電話が現実に引き戻す。マナーにしてショルダーバッグに放り込んだ携帯が、コンパクトか何か固いものに触れ合っていて固い振動音を発している。夫なのかと友紀は思った。しかし着信表示は・・三浦であった。時刻は九時を過ぎていた。
「こんな時間にすまん。用件だけを言うが、君は瀬戸由里子さんを知ってるだろう?」
「あの作家の瀬戸さんですよね? もちろん知ってますが」
「うむ。いま別件でお会いして別れたばかりなんだが、件の本の話をしたところ、不倫というところで私も書いていいわよと言ってくださった。月曜日の午前中なら時間をつくるとおっしゃっててね。相手が相手だ、ぜひ頼む。茅ヶ崎に九時だから直行でかまわんよ。それでこの件、及川君にもトスしておくから向こうと二元で進めてほしい」
瀬戸由里子と言えば、いまはもう六十代後半だったが、恋多き女として知られる大作家。間違いなく今度の本の目玉になる。友紀はちょっと緊張したし、雑誌の編集部に取り残されてもがく後輩の分も私がしっかりしないとと考えた。
「お仕事の?」
フロアに体を横にして丸くなるサリナが斜め視線で見上げている。
「そうなのよ、月曜の朝直行してくれって。瀬戸由里子。ちょっとちょっとって感じだわ、名が出るだけで興味を惹く」
三浦からアプローチしてくれたものだろうと友紀は思った。セクションを移動して初の仕事。売れる本にしてやろうと動いてくれたに違いなかった。
「瀬戸さんか」 と、サリナは言って、ちょっと笑った。
「サリナ知ってるの?」
「あの方、舞台がお好きで公演によく」
「そっか、なるほど・・話したことはある?」
「じつはよく知ってる人よ。あの方もM女さん」
友紀は声に詰まった。呆然としてサリナを見つめる。
サリナが言った。
「以前にこんなことをお聞きしました・・『M女は根、ご主人様の茎や葉や花を支えるために地中にはびこる女心よ』・・って」
放心した。放心したが、一瞬後にすべてが振り切れた思いがした。
友紀は立つと、やさしい黄色のパンティを脱ぎ去って、フロアに横たわるサリナの顔をまたいでいた。
「まだまだよ、責めるわよ。私だって濡れてるの、汚いの。舐めて綺麗にするんです!」
「はい、女王様」
穏やかに微笑む奴隷の口をめがけて性器を降ろした。