女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。


五話~夕刻の密会


 その同じ朝、早くに旅籠を発った嵐と江角は、穏やかな春の陽射しの下、ゆくりなく出会った友のように二人でそぞろ歩き、整備が進んで活気にあふれた内藤新宿を素通りして夕刻前には品川宿に迫っていた。内藤新宿あたりからいよいよ江戸らしくなってくる。並みの女なら歩ききれる距離ではなかったが二人ともに忍び。ここまで来てしまえば慌てることもなく、物見遊山のつもりで品川宿が迫るまで平然と歩いていた。
 江角が言った。
「そろそろ品川宿だね、人が多い」
 嵐はうなずく。
「うむ。あたしちょっと寄るところがあるから、このへんで」
「そうか。楽しかったよ、ありがとね。また会える?」
「きっとまた」
「うむ、ではここで」
 寄るところがあると言って離れたのは嵐の方だ。立ち寄り先などはなかった。ただちょっと茶店で時をやり過ごし、別々に品川宿に入りたかった。

 東海道ではないこちらからなら、品川宿を少し過ぎたあたりの二本松・・あれだ、あった。そのそばに目指す場所があるはずだった。
 緑に囲まれた小高い丘、甘味処 香風。
 空を見上げる。斜陽が消えゆき薄い墨が流れ出す。教えられた通りの道筋を行き、なだらかな坂を登り切ったところ。香風のひなびた佇まいの前に、嵐は立った。

 ひっそりと佇む尼寺のような造り・・玄関などはなく、竹垣の奥を隠す垣添の木に隠れるようにして、裏庭と建物の間を抜けて中へと入るようになっている。門に立って人目につかないよう工夫された茶店。それは忍び屋敷にも共通した造り。さすが照女比丘尼だと嵐は思った。
 建物の造りは古いが板戸はするする開いて滑りがいい。よく手入れされている。
「あのう、もし・・」
「あ、はいっ。失礼とは存じますが・・?」
 若いお燕が迎えに立った。今宵は甘味処の商いをとっくに終え、特別な集まりのために支度を整えていた香風であった。
「嵐です」
「ああ、はいっ、如月の嵐様ですね、どうぞこちらへ、皆様お待ちかねですよ」
「皆様?」
 嵐はちょっと眉を上げた。今日のこの刻、香風を訪ねよ。それ以外のことを聞かされてはいなかった。時刻は暮れ六つ(六時頃)になろうとした。

 薄茶に赤い格子柄、それに錆茶色の前掛けをした娘髷の可愛い娘に案内されて奥の間へと連れて行かれる。
 その部屋はそう広くはなかったが、座卓などは置かれてなくて座布団が配られるだけ。余計な物のないゆったりとした空間だった。
 嵐が通されると、そこにはすでに四人の女たちが顔を揃え、奥の上座に庵主が濃い紺の法衣をまとって座している。頭巾はしない。市松人形を思わせる梳き流したおかっぱ髪。色白で鼻筋の通った、それは美しい尼僧である。
 客人一人一人の前に膳が配られ、葛菓子(くずがし)と茶が用意された。
 部屋を覗いて見渡して、嵐はくすりと笑ってしまった。
 やはりそうか・・お遍路姿の江角が女の中に混じっている。
 江角もまたしかり。やっぱりね・・といった面持ちで眉を上げて微笑んで、そしてすぐに真顔になった。

 嵐の顔を見るなり、庵主・・いいや百合花は、たまらないといった笑顔を見せた。我が子を見るようなやさしく煌めく眸であった。
「ああ嵐や、よく来てくれましたね、もう何年ぶりでしょう」
「はい百合花姉様、お元気そうで何よりです」
 そして百合花は手招きする。
「こっちへ来て顔を見せて」
「はい・・うふふ」
 庵主は腰を浮かしながら歩み寄る嵐の両手を握り締める。嵐の顔をまじまじと覗き込む。
「なんと・・嵐や・・ますます母上様に似てきますね、ああ美しや・・」
「姉様こそ少しも変わっておられません」
「おほほ、またそんな、もう四十なんですよ。さあさ座って嵐、早速話をはじめましょう」
 嵐の座は、上座の庵主のすぐ隣に整えられてあった。庵主とほぼ横に並ぶ感じで、他の四人は皆下座ということになる。
 庵主は、皆を見渡して言うのだった。

「ではお話しましょうか。わたくしが照女比丘尼、いまはもう百合花と名乗っておりますが、かつては尼僧、いまは違う。皆は庵主と呼びますが、どうとでも呼んでくださいね」
 嵐を除く四人の女たちが浅く首を折って会釈した。
 そして庵主は、嵐の膝に手を置いて皆に言う。
「分け隔てするようですが、こなたにおるは、皆も名ぐらい承知でしょうが、戸隠の流れをくむ最強の忍軍と言われた如月一族のお頭様の娘、嵐です。母はかの如月の霧葉様。すでにこの世にはおられませんが言い伝えとなるほどのくノ一でした」
 江角も含めた四人の視線が嵐に集まった。
「わたくしは、いまは亡き信玄様配下の血筋の者。信玄様亡き後、勝頼様の時代となる頃、わけあって、その頃まだ童だった私は厳しい立場に置かれることとなり、そのときに嵐の母様たる霧葉様に救われました。こなた嵐は生まれたばかり。この嵐と共に霧葉様を母様代わりにしてきたものです。今日こうして集まってもらったのは、いずれも名のあるくノ一ばかり。そちらから・・」
 と言って庵主は嵐に横目をやって、左手前に座る女から順に指差していくのだった。

「まず最初に、こなたが江角。伊賀の流れをくみ武家に育てられた者で、薙刀と槍、そして棒の達人です」
 江角はまた眉を上げて、ちらりと嵐を見ると、皆に浅く頭を下げた。

「次にそちらは白狐(しらぎつね)。相模の風魔流であり、吹き矢と毒使い、それに打ち根(小さな槍のような手裏剣)の名手です。
 白狐と紹介された女は、見た目で二十代の末あたり。嵐同様に質素な町女の姿であったが、眼光鋭く、すさまじい気迫を秘めている。美しいというよりも凛々しいと言えただろう。肌が雪のように白い。背丈はちょうど江角ほどか。

「さらにそちらは涼風(すずかぜ)、加賀の九紋流であり、鎖鎌と弓、それに素手での格闘ではちょっとしたもの」
 涼風は四人の中ではいちばん大柄。短く刈り揃えた黒髪はおかっぱの庵主よりも短くて、偽装のため貧しい農民の姿をしている。肌が浅黒く、しかし目つきは穏やかだった。歳の頃なら三十あたりか。この者は強いと皆は思った。体つきが男のようだ。

「そして最後に女郎花(おみな)。毒でならした紀州の神明流であり、毒もさることながら女陰働き(ほとばたらき=色仕掛けの暗殺)で名をはせた。『毒蜘蛛』という二つ名でも知られている。皆もくノ一ならわかるでしょうが、女陰働きができるということはくノ一の誉れ。若くして剣も槍も使いこなす手練れです」
「よろしくね、うふふ!」
 女郎花は明らかに若い。二十代の中頃だと思われたが、それにしても女の匂いがぷんぷんする。子猫のように愛らしい童顔で、長い髪をさらりと流し、江角同様にお遍路姿に化けている。胸が大きく張り出して女身の豊かさを物語る、男好きするくノ一だ。

「そして皆に言っておきます。こなた嵐は、母様ゆずりの如月流剣法の達人であり、並みの武士では勝てないでしょう。槍や棒を持たせても女人離れした技を持ち、弓の達人でもあります」

 そうやってひと通り皆をめぐり、話を戻して庵主は言った。
「とは言え、皆々すでに、いまはもう散り散りとなった忍びの一派ばかりですし、それぞれにやさしい女の心を持っている。そうであって欲しいと思う。皆のそこを役立てて欲しいのです。皆もあるいは聞いたことがあるやもですが、ここのところ江戸は鬼畜に悩まされておりましてね。『おしろい般若』と申し、つい先だっても、このすぐそばで酷い殺しをやってのけた。この一年に四人の娘あるいは若い奥方が殺されているのです。裸にされて逆さ吊り。脚を開かれ女陰に杭を打ち込まれて殺される。乳首は削がれ女陰や尻の穴まで焼かれてです。可哀想に体中が傷だらけ。そして女陰を貫く杭に、これみよがしに『おしろい般若』と印までを残していく」
「それなら知ってるよ、あたしは相模さ、すぐそこだ」
 と、白狐が言った。

 それにうなずき、庵主は言った。
「そこで皆を集めたわけです。御公儀としても、もちろん探索はしてはおりますが一向に進まない。それは敵が女であり、女にしか入り込めない場所にいるからやと。廓(くるわ)かも知れませんし出逢い茶屋かも知れない。どこぞの武家に腰元として入り込んでいるやも知れぬ。男の役人では太刀打ちできないわけですね」
 黙って聞いていた嵐が言った。
「あたしも聞いたことはありますが、それを我らに探索せよと?」
 百合花は違うと首を振って真顔で嵐を見つめた。
「探索ではありません、根絶やしです。見つけ出して消してしまう。敵の目的は江戸を騒がすこと。敵には黒幕もいるでしょうが、そうでもしておかないと見せしめになりません。場合によっては黒幕までを葬り去る。この香風を拠点として動いてほしいということです。一人千両の報酬をまずは約束いたしましょう」
「ひゅぅぅ、千両とはまた・・」
 くだけた雰囲気の女郎花が口笛を吹いて言った。
「以降のことは成り行きです。このお役目は御公儀のさるお方からの厳命でもあり報酬は間違いのないところ。さしあたって一人百両、この場で差し上げましょう。お燕や」
「はい庵主様」
 呼ばれ、そしてお燕が丸い盆に小判の包みを重ねて置いてやってきた。すぐ後ろに灰茶色の作務衣姿で源兵衛も控えている。

「皆にも紹介しておきましょうね、この子はお燕。乱世をいいことに押し込みに親を殺された孤児(みなしご)で、以来そばに置いているんです。それからそちらに控えるは源兵衛と申し、かつての私の寺の寺男だった者ですが、何かと面倒を見てくれます。元は気骨ある薩摩武士で剣でも強い」
 お燕の手で五十両ずつ二包みの小判がそれぞれの前に置かれて、話は終わった。

 庵主がそのやさしい眸をキッと涼しくして言った。
「敵が般若を名乗るなら、こちらは夜叉・・皆には悪いけれど私の一存で如月夜叉(きさらぎやしゃ)と命名することとしましょうか」
「如月夜叉・・強そうね」
 女郎花がにやりと笑い、江角が言った。
「私に異論はないよ、いいのではないか。この役目は嵐が束(たばね)さ。如月の嵐様がお頭っていうことだ」

 ここに、最強のくノ一忍軍が生まれることとなった。

 百合花は言った。庵主を偽るのもこの場限り。百合花と呼べと皆に言う。
「ねぐらは別に用意してあり、芝高輪、このすぐ近くですので案内させましょう。皆の着物や忍び装束、武具一式、すべてそちらに揃えてあります。今宵はまず旅の疲れを癒してもらい、くわしくは明日また、わたくしの方から出向きましょう。では源兵衛、案内して差し上げて」
「へい、じゃあ行きましょうか」
 皆が座を立ち上がる。
「嵐はちょっと・・」
「あ、はい」
 嵐一人を残して四人は源兵衛に連れられて出て行った。

 お燕もいなくなった静かな部屋で、百合花は嵐の手を取って涙をためた。
「嵐・・ああ嵐や、立派になって」
「姉様こそ、お綺麗です」
「ほんに可愛いことを言う。ああ懐かしや、見れば見るほど母様にそっくりね。ああ嵐・・会いたかった」
 抱き締めた。百合花は長身の嵐より、三寸(十センチ)ほども背が低い。大きな嵐に抱かれるようになってしまう。
 妹の嵐を抱いて背を撫でながら百合花は言った。
「許せない・・しゃあしゃあとおしろい般若などとは胸くそ悪い。けれどそのためにおまえまでを呼び寄せることになろうとは。許してね嵐、こうするよりなかったの」
「いいえ、お気持ちはもちろんわかります。あたしは忍び。役目ですので」
「うむ、そうね、それでこその如月一族。頼んだわよ、何が何でも見つけ出して消しておしまい。殺された女たちの恨みを晴らしてやって。・・ああ懐かしい、いい女となりましたね、ああ嵐や・・可愛いわ」

 姉妹として育った仲。信玄からの離反者の身内として葬られるところを、嵐の母、如月の霧葉に救われた百合花であった。


四話~密やかな喘ぎ


「はぁぁ・・おぞましきかな女人の性(さが)よ・・死せば地獄・・わたくしなど死せば鬼の慰み者・・はぁぁ・・あ、あ、くぅぅン」

 男を下に、屹立する強いものを濡れそぼる女陰に喰らい、素裸となった白い百合花は、腰を振り立て達していった。男の手に熟れた乳房をくるまれて揉みしだかれ、腰を浮かせては打ち付ける激しい性に耽溺する。
 けれども声は穏やかだった。くぅぅン・・と子犬が甘啼きするように密やかな喘ぎを漏らし、がっくりと裸身を折って崩れていく。

「そなたとは死してなお夫婦でいよう。共に逝こう。地獄であるならそれもよい。愛しきおなごよ、ああ百合花・・」
「嬉しいわ瀬田様、抱いておくれ、もう一度・・幾度でも夢の中へと誘って・・」
 二度目の性は穏やかだった。瀬田昌利は数えでひとつ下の三十九。いきり勃つ若さから穏やかな勃起へと変わりゆく頃。
 それに比べてひとつ上の百合花のほうが、あさましく性を貪って、樹液を喰らう獣のように果てていく。
 昌利は、そうした百合花が愛おしく、二度果ててなお裸身を抱き、手放そうとはしなかった。

「まただそうだな」
「ええ・・今度は呉服問屋の若いお内儀。酷いやり口が許せない」
「おしろい般若とは人を喰った名だ、許せぬ」
「おそらく女の仕業でしょう。弱い女を相手にあれほど酷いことをやってのけられるのは女をおいてありません」
「女は怖い・・そなたもそうか?」
「はい、わたしくしも・・ふふふ・・ああ瀬田様ぁ、愛おしや、愛おしや、わたくしの瀬田様ぁ・・」
 むしゃぶりついて百合花は抱かれた。裸身を絡めて抱きすがり、そのまま闇へと転がるように眠ってしまう。
 瀬田昌利は三男ながら、登城して江戸のために働く男。月に数度の逢瀬が夫婦としての時だった。尼僧から煩悩に憑かれた女であり、ましてや身分の知れない年増の女では妻として到底認められるものではなかった。

 しかし百合花は、それを悲しく思わない。一度は捨てた女人の性に戻れたことが何より嬉しく、死してよりの地獄をも苦にならない現世の愛に浸っていた。
 安堵して深く眠り、けれども涙が頬を伝った。
 気づいた男がそっと指でなぞって拭いて、その涙を舐めてやる。
 もうしばらく・・いずれ許されるときがくるのなら、昌利は職を辞して隠居となり、百合花と共に暮らすつもりでいた。

 翌朝になり。
 甘味処 香風のはじまる朝の四つ(十時頃)の、さらに一刻ほど前の刻限となって、瀬田はいつの間にか消えている。
 次はいつ逢えるのだろう。一人きりの店にいて、決まってこのとき百合花は涙を浮かべるのだった。
 そうするうちに源兵衛とお燕がやってきて、いつもどおりの朝がはじまる。
 その日は昼過ぎになって、紫頭巾で顔を覆った若い女がやってきた。武家の若き御新さん(妻)。悩みがあってやってくる。通称庵主様は口伝てにひろまっていて、またこの頃の甘味など婦女子しか口にしないものでもあって、お客は大半が女であった。

「庵主様、どうぞお頼み申します」
「これはどうも、どうぞこちらへ。今日はまた何かおありで?」
「それが・・主が少し変わっております」
「と申されますと?」
「あのときに・・夜のその・・」
「・・ああ、はい。それでどのような?」
「いやらしいものをしゃぶれと申しまして・・それからあの、お尻の・・不浄の穴に入れようとまでするのです」
「まあまあ・・おほほ、仲睦まじくてよろしいではございませんか」
「そうなのですか? わたくしなど尋常ではないと思うのですが?」
「いいえいいえ、仲睦まじいことですわ。それは少しもおかしなことではありませんよ」

 この頃の武家の妻は厳格な家に育てられ、そういうことをほとんど知らずに未通(おぼこ)のまま嫁いでくる。
 香風を訪ねてくる女たちの悩みは、武家や町人の別なくだいたいそうだ。若ければ性的な趣向のことや姑との不仲。歳が進めば不貞であったりもする。主の不貞よりも自身のそれに苦しんで、話し相手を求めてやってくる。
 女たちは皆、相手は尼僧だと信じていた。百合花は日中頭巾をかぶって髪を見せない。剃髪していると思う者も多かった。

 百合花は若き妻の手を取って微笑んだ。
「殿方とはそういうものです。そうやって妻を愛おしみ、さらにまた愛おしさをつのらせていく。恥ずかしがったり、ときには怒るふりもして、上手に操っていきませんとね」
「けれどもあの・・白き精を飲めなどと・・ああ言葉にするのも恥ずかしや」
「うふふ、うぶなお方ですこと。初々しくてそれはそれでよろしいのですが、わたくしとて、かつては女人の性(さが)に悩んだもの」
「庵主様がですか?」
「そうですとも。わたくしとて生まれながらの尼僧ではありませんゆえね。愛おしさがつのればどのような性技にも応えてあげられるはずですわ」
「ではそれも尋常なことだと?」
「夫婦の営みとはそうしたものです。お二人の密技ですので求めに応じてあげればよろしいかと。ふふふ、可愛らしい御新様ですこと」

 そうやって誰にも言えないことを打ち明けて、さっぱりした気持ちで夫に抱かれて達していく。庵主のいる香風へ行けば人に言えない悩みが言える。口伝てにひろまって、苦しい女たちが次々にやってくる。
 しかし・・。
 そうして女の幸せを支えながら、一方では惨殺されていく女たちに何もしてやることができない。庵主としてではなく百合花という一人の女として、許せない気持ちになる。この妻も健気で愛らしい女だ。

 よほど恥ずかしいのか若い妻は頬を真っ赤に染めていた。庵主は一度放した白い手をふたたび取って、座卓を回り込ませ、若く細い体をそっと引き寄せて膝に寝かせる。
 若き妻はきょとんとして法衣の膝から庵主の微笑む顔を見上げていた。
「よろしいですか御新様、夫婦の営みというものは、旦那様のため妻は娼女となるものです。素股と申しますが腿に硬くなる旦那様を挟んであげたり、乳房に挟んで導いてあげたりもいたしますし、お口にいただくこともおかしなことではありませんよ。わたくしなど月のものが参りますと手を絡めてしごいて差し上げ、うっとりとされるお顔を楽しませてもらったほど・・お尻もまた同じかと」
「さ、左様なものでございますか・・ではわたくしがいけなかったのかも・・」
「旦那様は粗暴なお方ではありませんよね?」
「はい、それはもう・・実直きわまりない、それはおやさしいお方です。ただ夜のことだけが気がかりで・・」
 庵主はうんうんとうなずいて若い妻の背を撫でて言う。
「殿方は童なのです、こうして膝枕をせがんでくるもの」
「ええ、それは・・膝に甘えて・・うふふ」
「そうでしょう? ですからね、妻はもっと淫らでよろしいのです。そのほうが旦那様はお喜びになられるでしょう」
「はい・・かしこまりましてございます・・ああ恥ずかしや・・このようなお話をするなどと・・ああ恥ずかしや・・」

 若き妻は今宵の床を想うように穏やかな面持ちとなって帰っていく。


三話~甘味処 香風


 刻(とき)を少し遡る。

 遠く離れた小さな旅籠で旅の女二人が湯へと向かう、ちょうどその頃・・。
 東海道、品川宿から少しばかり北へと向かった芝高輪との狭間あたりの高台で、緑の丘にぽつんと一軒そこだけある甘味処が店じまいにかかっていた。
 斜陽の紅が丘を染め、遠目にひろがる江戸前の海をも染めている。
 東屋を思わせる鄙びた造り。ここはその昔、尼寺であったものが、人手を経て別邸として造り替えられたもの。その庭園の東屋の意匠をそのまま活かしてさらに手が加えられ、この頃としてはめずらしい茶と菓子を楽しませる店となっていた。いまでいうなら喫茶店といったところ。身分の別なく訪ねて来られる。

「庵主様、そろそろおしまいにしましょうか」
「はいはい、ご苦労様ね」
 深緑に朱色縞の、それこそ町娘の姿をした小柄なお燕(おえん)が明るく言った。
「あのね、お燕、その言い方おやめなさい。おまえが庵主様庵主様って言うから、お客様までそう呼ぶわ」
「ですけど、そのお姿・・ふふふ、やっぱり庵主様です」
「そうね、法衣をまとって頭巾では尼僧のまま。けれどこれは癖のようなもの。いまさら町女には戻れないから」

 と、そう話しているところへ、茶色の作務衣姿の初老の男がやってきた。
 男は体が大きかった。肥ってはいない。身の丈なら六尺(百八十センチ)に迫る大男で町人髷を結っている。四角い鬼のような顔だが、老いたいまとなっては笑顔がやさしい。
「庵主様でよろしいではございませんか。甘いものだけを求めて人が来るわけではない。庵主様のお話が聞きたくて来るのです」
 尼僧そのままの姿をした女は、ちょっと首を傾げて笑った。
「なんですか源兵衛まで。さあさ今日はいいわ、おしまいにしましょう」
「へい。じゃあお燕よ、おめえは客間の掃除だ、俺は厨(くりや=厨房)をやる」
「はーい!」
 若いお燕が走り去り、二人揃ってその背を見つめた。
「明るくなったわね、あの子・・よかった」
「ほんに。それもまた庵主様のお人柄というもので」

 甘味処 香風(かふう)は、庵主様と呼ばれる尼僧がはじめたものだった。
 はじめた当初は、この源兵衛と二人。源兵衛は今年で五十六となり、かつて庵主が照女比丘尼(しょうじょびくに)と呼ばれ、まさしく尼僧であった頃、その寺の寺男として働いてきた者だった。
 寺の名を香風院(かふういん)と言い、小石川にあった尼寺だったが、その名をそのまま店の名としてしまう。
 照女比丘尼は、尼僧から俗世に戻った女であった。
 名を百合花(ゆりな)と言い、四十歳。剃髪していた頭にも黒髪を取り戻し、肩までの垂髪。俗世に戻ってなお尼僧の法衣をまとっており、したがっていまだに庵主様と呼ばれている。
 いくらなんでもいまさら女の艶姿には戻れない。百合花は神仏に背いた身。死ねば地獄と覚悟を決めて生きていた。

「あらら、お役者侍じゃござんせんか! 今宵はどちらへ? またぞろ女を泣かせに行くんでしょ」
 高輪あたりの商家の女中が、暗くなる店表の掃除をしながら一人の男を呼び止めた。
 粋な紫帯の漆黒着物を着流して、月代を剃り上げず、浪人風だが、顔立ちがお能の小面(こおもて=女の面)のように美しい。目鼻立ちもつつましく、そのまま女形をやれそうだ。その腰に、今宵は大小ともに朱色鞘の刀を差している。
 名を瀬田昌利(まさとし)と言い、家康の家臣、いまは亡き井伊直政が配下であった瀬田甚九郎の三男である。歳は三十九にもなるが若侍のように凛々しく歩む。

 香風から源兵衛とお燕が連れ立って近くの長屋に帰って行って、それと入れ替わるように店の裏庭に気配があった。
 店の庭は周囲を広葉の木々で覆い、砂利と石でできた静かな佇まい。春のいま木々の枝には新緑が芽吹き、店に向かって左の一際大きな木の下には、枯れた木の長板に脚をつけた床几(しょうぎ=長椅子)が置かれてある。
 その庭に夢の気配・・家の中にいても百合花は気配を察している。法衣をまとった姿であったが、心は女人となって濡れていた。
 座を立って、外への障子戸に歩み寄り、そっと開ける。

「ンふふ、瀬田様ぁ・・ああ嬉しや・・ねえ早くぅ」
「うんうん。ほらごらん、今宵も月は美しい」
「え・・月がもう?」
 薄墨に塗られた空に見事な三日月が浮いていた。
 庭草履を履いて出た百合花。薄闇に流れるように瀬田に寄り添う。
 両肩に男手を置かれ、しばし目を見つめ合い、くるりと体を回されて背抱きにされて夜空を見上げる。
「あらほんと、綺麗・・」
「そなたの肌のごときすべやかな月よ・・ああ美しや、私の百合花・・」
 男の手が胸元から着物の中へと滑り込む。

「あっ・・嫌ぁぁ恥ずかしい・・ああ瀬田様ぁ・・憎らしや・・尼僧のわたくしに俗世の夢を・・ああ抱いて・・抱いて瀬田様ぁ」
「ふふふ可愛い人よ・・麗しきその女身で私を惑わす魔性の女よ」
「あぁぁ、はぁぁン・・早くぅ・・抱いて・・瀬田様ぁ・・憎くらしや・・わたくしはもうこのように肌が燃え・・」

 身悶えしながらまつわりつくと、お役者侍を引き入れて、障子戸が音もなく閉ざされた。

 尼僧であった照女比丘尼を煩悩に引き戻したのには、お燕が一枚かんでいる。
 お燕はいま十七の娘だったが、元は小石川にあった商家の一人娘。いまから三年ほど前、戦国の乱れに乗じた鬼畜働きの盗賊に襲われて一家は皆殺し。 賊どもに手篭めにされ、ボロ布のようになった赤い腰巻きを素肌に巻いて逃げ出した十四のお燕は、そのとき通りがかった瀬田に救われることとなる。
 瀬田は怒った。瀬田は強い。泣くお燕を背後に盗賊どもと対峙して、たった一人で七人の盗賊を斬り捨てる。
 それからお燕は、同じ小石川にあって遠くはなかった、照女比丘尼のいる香風院へと連れて来られる。

 以来、二日と開けず寺を覗いては可哀想な娘を慰める瀬田の姿に、一度は俗世を捨てた尼僧の心に女の熱がふたたび宿った。
 なんとやさしい・・男らしい・・そしてなんと見目麗しい・・照女比丘尼は、百合花となって男を想い、瀬田もまた尼僧の美に魅入られた。
 百合花がもし俗世の艶姿でいたならば絶世の美女であっただろう。

 折しもその後、古かった寺に落雷があって燃え落ちて、以来、瀬田家の持ち物となっていたこの場所に、甘味処 香風をつくった。
 失った黒髪もやがては戻り、百合花は、時折こうしてやってくる恋い焦がれた男を待つ暮らしをはじめていたというわけだ。

 そのときお燕は、深川にいた縁者の元に一度は戻されたのが、これがまた放蕩者で、十五となったお燕に手を出そうとした。お燕は目のくりくりした可愛い娘。お燕はふたたび瀬田にすがり、ここで暮らすようになる。

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