女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。

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逃亡者(八話)


  ひとまたぎの流れに板を二枚渡した便所の向こう側は背丈ほどの低木が茂るグリーンベルト。見た目には美しいものだったが毒蛇の棲み家ともなっていた。コネッサがやられたのもそのへんだ。
  そんな緑の中からヒュイという指笛の音が響いたのは翌々日の昼過ぎだった。今日は朝から空が冴えない。雨雲ではなかったものの白い雲に灰色の斑が混じる汚れた色が流れている。
  いつもの音を聴いたホルヘが亮の姿を探したが、そのときちょうど亮はトイレのある川から戻ろうとしているとき。ホルヘに言われるまでもなく笛の音は聞き取っていた。亮の姿を見つけて歩み寄るホルヘに、亮はわかっているとちょっと手を挙げ、ひとまたぎの川を跳んで向こう岸へと消えて行く。
  緑の中には蛇がくねるような獣道ができていて、踏み込むとほどなく、そこだけ森が途切れたゴツゴツとした岩場へと出るのだった。

  グレー迷彩の装甲ジープが遠くに見える。治安維持部隊、つまり警察もどきのクルマであった。
 「よぉ、生きてたか」
  濃茶と薄茶が混じり合う迷彩服。軍傘下の部隊であったから警察と言うよりも軍そのもの。銃身の短かなサブマシンガンを岩に立てかけ、その男は亮に向かってちょっと笑う。
  この男はヒューゴ・ヤンソン。フィンランド系のアメリカ人だった男である。身分としては本来WORKERなのだが、ヒューゴの妻がイギリス人女性でHIGHLY。それでしぶしぶHIGHLY居住区に暮らしている。
  WORKERどもから押収した武器を流してくれるのもヒューゴであり、ルッツのこともよく知っている。今日もまた木箱に入った銃器らしきものを持って来てくれていた。
  亮は軽く手を挙げ、歩み寄って岩に座った。
 「今度は何をしろと言うんだ?」
  ヒューゴは、まあそう言うなと言いながら、足下に置いた大きな木箱を顎でしゃくった。
 「ライフルと弾、手榴弾もあるぜ」
 「うむ、いつもすまねえ」
  ヒューゴは軽くウインクするような面色で微笑んだ。
  ヒューゴは身の丈二メートルほどもある大男で、かつてはベビー級ボクサーだった過去を持つ。しかしすでに齢四十を過ぎていて、いまでは贅肉も目立っている。銀髪の髪を軍隊式の刈り上げにしたシロクマのような猛者である。

  ヒューゴが言う。
 「さて、スネークバレーの一本道と言えばわかるな?」
 「わかるが?」
  ここから数十キロ南へ行った危険地帯。悪い連中が根城としている山岳帯へと続く一本道で、その途中、蛇のようにのたくった浅い谷を越えるのだったが、そこをスネークバレーと言う。
  ヒューゴは言う。
 「三月ほど前の話になるが国連の下部組織にいた女が逃げた。何があったのかはわからんがHIGHLY社会の中枢にいた女だ。俺たちに手配がかかっていて、WORKERどもの中に紛れようとしたんだろうが、とっ捕まったさ。女の名はマルグリット・ブノワ、フランス女で三十歳であるそうだ。引き取って殺せと命じられているんだがよ」
 「なるほど、そいつをかっさらえと?」
 「と言うより、突き出してくる連中がディスポでね、おまえにとってもいい話だと思ったんだが」

  ディスポ。処理や処分を意味するdisposalから、自らディスポと名乗る連中で、まさに何でもアリの悪党ども。手配のかかった者を突き出せばかなりな報償が与えられる。賞金稼ぎのようなものだった。しかし相手の数は多くない。人数ではほぼ互角と言えただろう。
  つまりこういうことだった。引き取れば殺さなければならなくなる。女を殺るのは寝覚めが悪い。またディスポにはほとほと手を焼いているのだが、神出鬼没で追いかけるわけにもいかなかったし、自ら力を行使すれば上に対して面倒な報告をしなければならなくなる。女のことよりもディスポをつぶせと言っているのだ。
  亮は応じた。
 「ルッツにそのことは?」
 「いや、言うにしのびなくてね。どうしたことか店に女がいやがった」
 「女?」
 「黒人のな。店員を雇ったそうなんだが、ずいぶん可愛がってるふうだったぜ」
  アニタだと亮は思った。
 「それでいい、奴は平穏に暮らしたい男だよ」
 「わかってるさ」

  かつてルッツと一緒に戦った相手がディスポの前身。その戦いでこちらも仲間が殺られていて、気に入らない連中の筆頭格のようなものだった。件の人買い連中からも獲物が流れていると聞いている。
  ヒューゴは言った。
 「落ち合うのはスネークバレーのちょい向こう、正午ジャスト。つまりな亮、こういうことにしたいのだよ。受け取りに行ってみたら女も含めて皆殺しにされていた。敵だらけの連中だからスジは通るぜ。クルマごと吹っ飛ばせ。現場写真でも撮って帰れば済むことよ」
 「女はどうする?」
 「さあな。そんとき死ぬならそれもいい。面倒はまっぴらだ。ただし逃がすな」
 「なるほどね、いかにも都合のいい話だが、わかったぜ、やってやる」
  亮はちょっと頭を掻いて苦笑したが、敵が敵だけに見過ごせる話ではない。殺された仲間の仇をとってやる。

  木箱の中には、旧式ながらよく手入れされた軍用ライフル三丁と弾丸、それに手榴弾が九発入っていた。箱を開けて眺めながら皆を集めて亮は言う。
 「まずはどこぞでボロ車をくすねて来い。道幅のない一本道だ、スタックさせて足を止める。出てきたところを蜂の巣にしてやるんだ」
  コネッサが言った。
 「女は生かす?」
 「そのつもりだが成り行きってことになるだろう」
 「それはいいけど面倒なことになるよね?」
 「まあな。逃がすわけにはいかなくなる」
  男の一人が笑ってコネッサに言った。
 「そうなりゃおめえ、ひっひっひ、裸でつないでおくしかあるめえよ」
  キャリーが言った。
 「その昔の奴隷だよね」
  亮が言う。
 「さてね、決めつけるのは早いぜ、女次第よ」
  やっぱり亮はやさしいと、留美はそばで聞いていてちょっと笑った。
 「女はともかくディスポだ、生かしちゃおけねえ」
  ホルヘが言って皆がうなずき、亮が言う。
 「そう言やぁ、ルッツがよ、あんときの女を可愛がってるようだぜ」
  留美とキャリーが視線を交差させて眉を上げた。

 「来たぜ、奴らだ」
  二日後の、昼にはかなり前の時刻。軍との接点ということで敵も慎重になっている。様子を探ることもあって約束の時刻よりもかなり早い。年代物のオープンタイプの軍用ジープが先と後に一台ずつ。そしてそれらに前後を挟まれるようにして鉄箱が載った大型の軍用ランドビークル。こちらとほぼ同じ陣容だった。
  オープンタイプのジープに男どもがそれぞれ四人。挟まれて進む鉄箱の中は窓に金網が嵌まっていてはっきりしないが、数人は乗っていると思われた。
  スネークバレーは長さ数キロに渡って連なる地溝帯であり、谷としては浅い方だがそれでも深いところで数十メートルは落ち込んで、引き裂かれたような鋭利な岩が目立つ場所。その谷の北側にかろうじて通れる道筋があって、そこは舗装路なのだが、谷を渡って少し行くと土と砂の道になってしまい、その先に岩山が連なっていて悪党どもの隠れ家が点在していた。
  治安維持部隊として、その程度のことはわかっていても手は出さない。下手に踏み込んで散らしてしまうとなお面倒なことになるからだ。WOEKERに属する治安維持部隊は現代の装備を持っていたが、HIGHLYの目が厳しく、手出しをすれば詳細な報告をしなければならなくなる。
  それでそうしたときに手先となって動いてくれるのが、じつはディスポのような連中なのだ。代わって処理しますぜということで、その名もディスポ。治安維持部隊としては痛し痒しなのだが、そんな中でとりわけディスポは悪かった。被害を訴えられれば対応せざるを得なくなる。

  谷を渡った向こう側の道筋に年代物の大型セダンがフロントを脱輪させてスタックしている。間際まできた敵の車列は一旦止まり、前後のジープから男たちが降りて来て、スタックしたクルマにロープをかけて引きずり上げようとしている。
  亮たち十人は、現場が見下ろせる岩陰に陣取った。わずか十数メートル下に敵はいた。
  先頭のジープ一台で上げようとしたのだったがタイヤが空転するだけで動かせない。スタックしたセダンは大きく、いかにジープであっても一台では無理。そこで今度は中に挟まれた大型の軍用車で上げようとしてロープをつなぎ直している。鉄箱からさらに三人の男たちが降り立った。それぞれがライフルを持っていたのだが作業ためにそこらに置いてかかっている。
 「中に女と、後一人」
  双眼鏡を覗いてバートが言い、亮はうなずき、皆が持つ十丁の軍用ライフルが一斉に狙いをつけた。
 「よし撃て!」
  タッタッタッターン! 銃声が重なってさながらマシンガンのような交錯する音となる。敵がバタバタ倒れていき、それでも銃に飛びついた何人かの応戦弾がこちらの岩をバシバシ抉る。
  残った敵は先頭のジープの陰に三人、そして箱の中の一人。
  バートが手榴弾のピンを抜き、先頭のジープの向こう側へと投げつけた。
  ドーン!
 「うわぁぁーっ!」
  炸裂して四方に散らばる破片でやられた男たちがジープの陰から転がり出てきて、のたうちもがく。逃さずライフル弾の餌食。
  鉄箱の中にいる男の一人が叫んだ。
 「撃つなーっ! 降参だ、撃つなーっ!」
  それがボスだろうと亮は思った。

 「クルマを降りろ! 女もだ!」
  それぞれに銃を構え、岩陰から動き出す五人。他の五人を岩陰に残しておいて援護させる陣形だ。
  鉄箱のリアゲートが開いてライトブルーのパンツスタイルの金髪の女が降ろされた。後ろ手に手錠をうたれている。それに続いて明らかに格上の男が一人。でっぷり肥った黒人だった。歳は四十そこそこかと思われる。
  ライフルを構えた四人を援護として歩み寄る、亮。
 「てめえがボスか?」
 「違う、俺は違う、ボスはアジトだ、ここには来てねえ」
 「だろうな。てめえら、まだ仲間がいやがるのか?」
 「いる。五人ほどだ」
 「後ろを向いてクルマに手を置け。妙な真似はするんじゃねえぞ。手錠のキイはどこにある?」
  男はクルマの中へと顎をしゃくった。
  亮はバートに目配せして女を確保させておき、別の一人に手錠のキイを探させる。女の手錠を外してやって男たち二人に左右から腕をつかませ、それから亮は後ろを向いたままの男に言った。
 「すまねえな、生かしておいちゃこっちの面が割れるんでね、あばよ」
  ターン!
  至近距離からの一発で敵は全滅した。

  散らばる死体それぞれにとどめの一発をくらわせて、死体のいくつかを前後のジープに放り込み、亮はそれから女に言った。
 「マルグリットだな?」
  女は金髪のロングヘヤー。色が白く、いかにもHIGHLYといったパンツスタイルでジャケットを着込んでいた。センスがいい。男どもに乱暴された形跡はない。驚くほどの美人だった。
 「脱げ」
 「え・・助けてくれるんじゃないの?」
 「だからだよ、さっさと脱げ。爆破する。女の服ぐらい散らばってねえと話にならん」
  しかしマルグリットはイヤイヤと首を振るだけで応じない。亮は両側から腕をつかむ二人に言った。
 「脱がせろ、パンツ一丁だ」
 「おぅ! ひひひ!」
 「嫌ぁぁーっ、嫌です嫌ぁぁーっ!」
  しかし腕をひねられ、大男に羽交い締めにされながら、着ているものを剥がされていく。下着は目の覚めるレモンイエロー。ブラが剥がされ、パンティだけは許された。豊かに張り詰める若い乳房、綺麗なピンクの乳首も美しい。

  カップの大きなブラジャーを受け取った亮は、そこらの死体から血糊をブラになすりつけ、さらに男たちの中から小柄な一人を選ぶと女の服を無理矢理着させて鉄箱に放り込むと、小型のダイナマイトを荷台に仕掛け、ブラジャーを引きちぎって車外に捨ててその場を離れた。
  最後に残った二人が手榴弾のピンを抜いて前後のジープに座らせた死体の足下へ転がして、走って岩陰へと転がり込む。
  ドォォーン! ドーン! ドーン!
  ダイナマイトと二発の手榴弾。こうしておけば死体の損傷が激しくて女の姿をしていれば女だと写真には写るはず。ヒューゴがうまくやってくれるだろう。

  透けるように白く美しいマルグリット。鉄箱の軍用車の対面シートの片側に左右を男二人に挟まれて乗せられた。レモンイエローのパンティだけの姿。両手で豊かな乳房を覆って身を丸くして震えている。
  そしてその対面シートの真ん中に亮が乗る。亮はあのときと同じ言葉を裸の女に突きつけた。
 「救われたと思うなよ、おまえ次第だ。俺たちだって山賊よ。おまえには手配がかかっている。引き渡されればどのみち死刑さ。諦めて死ぬのか、喰らいついてでも生きるのかってことだな」
  マルグリットは恐怖に青ざめていて言葉はなかった。
 「ふふん、いい女だぜ、たっぷり可愛がってやるからよ」
  横に座るホルヘが笑う。マルグリットはますます身を丸めて小さくなった。

  HIGHLYの世界とは決定的に違う、あたかも石器時代のような洞穴と岩と緑の世界。根城に連れて来られたマルグリットは、土の上に裸足で立たされ、周囲をぐるりと男や女に囲まれていた。同じ白人のキャリーだけが一歩退いて声もなく見守っている。
  椅子代わりにしている切り株に座る亮、そのすぐ横に座る留美。留美はもうボスの女ということになっていて、女たちでさえが一歩退いて接するようになっていた。
  金色の糸のようなロングヘヤーが風に揺らぐ。マルグリットは美しい。いかにもHIGHLYといった気品がある。HIGHLYにも当然のように格というものがあるのだが、中枢部にいた女だけのことはあると皆が思った。
  留美が言った。
 「脱ぎなさいマルグリット。救われたいと思うのなら忠誠を誓うこと。どのみち同じよ、裸にされて犯される。女ですもの、少しでもやさしくして欲しいでしょ?」
  留美に対して一目置くのはこういうところ。本気で相手のことを思っている。
  男女合わせて二十人ほどに囲まれていて、マルグリットは子猫のように震えていた。金色にシルエットを描く産毛までもが美しい。スリムだが肉付きも女そのもの。乳房もDサイズアップはあって、くびれて張る腰へのラインも彫像のようだった。

  留美が言う。
 「奴隷として犯されたい? 女として抱かれたい?」
  マルグリットは涙を溜めて日本人の女に向かって言うのだった。
 「わかりました、死にたくはありません」
  レモンイエローのパンティはマチが浅く、少しずらすだけで金色の性毛が露わとなった。囲まれた輪の中で、下着は丸まった布となり果てて、足先から抜き取られて一糸まとわぬ白い裸身。亮はちょっとうなずいて見上げながら座れと言った。
  マルグリットは静かに膝をついて、そのまま正座をするようになる。
 「いい尻してやがるぜ、ひっひっひ」
  後ろを囲む男たちが野卑て笑う。マルグリットの目は宝石のようなブルー。金色の長い睫毛が涙に濡れた。
 「そうよね、どうせおしまい、最後の人類を生きるしかないんです」
  小声で言ったその言葉に留美はちょっと首を傾げた。
  亮が言う。
 「いくつだ?」
 「三十歳になります」
 「なぜ逃げた? おまえは向こうの中枢にいたと聞くが?」
 「たまらなかったんです何もかもが。人への扱い、人類への見極め方、誰を生かして誰を殺すか。結局白人ばかりを優先し五百万人を生かす。そのとき乗り込めるのは白人の娘だけ。そんな決定が許せなかったし、だいたいにおいて公表しようともしていない。人権がどうのともっともらしく言っておきながら、着ている服を見透かすような色目で見られ、誘われて断ると敵視される」

  亮が言う。
 「何を言ってるんだ? 五百万人を生かすとはどういうことだ?」
  マルグリットは泣きながらもちょっと笑った。
 「ほらね、誰も知らない。地球上のほんの一部しか知らないこと。だからあの人たちは私を葬ろうとしたんです。機密情報みたいなものですからね」
  それからマルグリットが想像さえできないことを言い出すとは、このとき誰一人思わなかった。

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ボスの女(七話)


  アニタがつくる料理はなかなかのものだった。貧しい家に育ったからか、いまある物をうまく使って見栄えのいい料理に仕立てていく。
  ルッツの店には裏側に住居となる別棟が建っていた。ここらの家はほぼ平屋。拓かれた土地にゆとりがあったから二階を造る必要もなかったということだし、とりわけここは、かつては裕福な家だった。大きなダイニングテーブルにこれまではルッツが独り。だいたいにおいてテーブルなどは物を置く台であり、鍋でつくったものなら鍋からじかに喰うのがあたりまえ。
  しかし今夜からは違う。キッチンも綺麗にされたし、テーブルもすっきり片付けられて差し向かいで食べる夕食。どれぐらいぶりのことだろうと妙な気がしてルッツは可笑しくなった。

 「おぅ、なかなかやるじゃねえか、美味いぜ」
 「ほんと? なら嬉しいけど」
  飛び込んで来たばかりの女。しかしずっと前から知っていたような気がしてならない。穏やかな気持ちになれているとルッツは思ったし、何よりアニタの面色が飛び込んで来たときとはまるで違う。痩せ細った犬のようにびくびくしていた眸の色もずいぶん穏やかになっていた。
  アニタが言う。
 「おなかいっぱい。こんなに食べたのどのくらいぶりだろう」
 「そうなのか?」
 「あたしなんか奴隷みたいなものでした。人間扱いされなかったし、でもいつかそれが普通になって逆に気が楽だったんです」
 「狙われなかったか?」
 「体?」
 「うむ」
 「それは当然。だけどそれだって普通のことになってしまう。苦しさをせめていっとき忘れたい。女はそんなものなんです。寂しくてどれだけ泣いたか」

  そういう社会になってしまった。弱みにつけこまれれば逃げ出すには勇気がいる。それなりに定まった暮らしを簡単に捨てるほどLOWERたちの社会は甘くない。生きることに挑まなければ死ぬしかない。
  ルッツは言う。
 「ここもずいぶん穏やかになったんだぜ。俺はもともと兵士だったし町の者たちもこれではいかんと思ってた。略奪、喧嘩、レイプなんざ普通のことでな。俺はガンを持っていた。そのうち亮たちとも知り合ってよ」
 「さっきのお客さんですよね?」
 「そうだ、あの日本人だよ。奴らは山賊だがクソ野郎どもしか狙わねえ。奴の仲間っつうのがどいつもこいつもハンパな野郎ばかりでよ、亮と出会って生き方が変わった奴らばかりなのさ。俺と奴らでクソ野郎どもを追っ払ったもんだぜ」
 「いいお友だちなんですね」
 「そういうこった」
  ルッツはちょっと眉を上げて首を傾げる素振りをした。
 「ま、しけた話なんぞしたってしゃあない、さっさと片付けて寝ちまえや。ありがとな、明日からも頼んだぜ」
 「はい、もちろんです、私のほうこそよろしくお願いします」

  やさしい言葉をかけてもらった記憶のほとんどなかったアニタ。部屋も用意されて、そこには新しくはなかったものの信じられないほど綺麗なベッドも置かれてある。ドレッサーまでがついている広い部屋。何もかもがシンデレラのようだった。この家には女の気配がまるでない。マスターはずっと独りだったんだと考えた。
  広いキッチンで片付けをすませ、それからまたシャワーを浴びてソープで体中を綺麗に洗う。
 「私じゃダメよね」 と、アニタはぼそりと呟いて部屋へと戻った。
  ルッツの寝室とは一つ間を空けた部屋。ドレッサーの鏡を覗き込む。美人じゃないし私は黒人。堂々とした白人のマスターには似つかわしくない。そう思うと寂しくなって一度は寝た。まっさらなブルーのネグリジェも店にあった商品。何もかもがそれまでの自分とは違う。
  アニタは奮い立った。眸が冴えて眠れない。代償を求められない幸せが怖くなる。

  大きなドアをノックした。怖くてノックが弱くなる。何しに来やがった、失せろと言われそうで怖かった。
 「もうお休みになられましたか?」
 「いんや、まだだ。どした、入れ」
 「あ、はい」
  そっとノブを回すとカチャっと音がしてドアが開く。そのときアニタはネグリジェ姿。真新しいピンクの下着が透けていた。
  ドアだけ開けてみたものの突っ立ったままのアニタ。
 「どした? 蛇でも出たか?」
  ちょっと笑うアニタ。
 「ううん、そうじゃない。ねえマスター」
  ルッツは大きなダブルベッドから上半身をひねって顔を上げた。窓越しに射し込む外の明かりが浮き立たせる恐ろしいほどの胸板。毛むくじゃら。
 「私じゃダメですよね?」
 「どういうことだ?」
 「ブスなんだし胸小さいし、でも一度くらい夢を見たくて」
  女声が詰まり、涙声に変わっていく。
  ルッツは「ふむ」とため息をついてアニタの真意を見極めた。
 「ったく馬鹿な女よ、てめえはよ。さあ来い」
 「はい、抱いてください、怖くて私・・」
  泣いてしまってベッドへ走るアニタ。布団をめくられて飛び込むように潜り込んで、恐ろしい野獣の肉体にすがりつく。
  ルッツは、比べるまでもなく小さな黒い体をそっと抱き、微笑んで眸を見つめた。アニタは眸を反らせない。吐息が熱くなっていく。

 「私じゃダメみたい、相手にしてくれない」
 「奴らがそう言ったのか?」
 「おまえはボスの女だ、そっちへ行けって」
  洞穴の奥の亮のねぐら。横穴。留美はちょっと笑いながら歩み寄ると、ルッツの店で選んだばかりの青い花柄の下着姿となって亮の寝床へ身を横たえた。
 「キャリーはどうしてる?」
 「男たちが連れてった」
  亮はうなずくと留美を胸板に抱き寄せて肩を抱く。留美とキャリー、二人の女を好きにしろと男たちに委ねて独りになったのだったが、留美だけが追いやられて戻ってきたということだ。
 「キャリーが少し変わったみたい。あそこでほら、無惨に捨てられた死体を見て運命を悟ったんじゃないかしら」
 「おまえもな」
  留美は声もなくうなずくとトランクスだけで横たわる亮の体に女の白い手を這わせていった。
 「私ならいいのにね。ボスの女にされちゃった」
 「ボスだなんて思ってねえよ」
 「だからよ。亮がそうだからみんなはボスだと感じてる」
 「おまえが日本人だからだよ。ここらで日本の女は見かけねえ。日本語で話せる相手がいいだろうと奴らはそう思ってる。母国語で話せる相手。生まれ育った国への想いはそれぞれにあるからな」
 「ひどい世の中」
 「そうかな。俺はちょっと違うふうに考えてるぜ。こっちで人は人のままでいられるんだって。生き方を制約されない。と言うか、もはやそれさえも考えない」

  亮の肉体に触れているうち、留美は何もされていなくても濡れていた。下着を取り去り、亮のトランクスも取り上げて、体にまたがり尻越しに手をやって、硬くなって熱を持ちだした亮を自ら膣口に導いていく。
 「ぅン・・」
  ヌルリと侵入するものを楽しむように留美は静かに腰を使った。
 「感じるの、怖いほど感じるわ。キャリーを見てても思う。取り繕ってなんていられない。人は獣。脂汗にぬめるようなセックス、もがいて吼えるようなセックスなんて向こうにはないものよ。あのときキャリーは陵辱に感じてしまう自分自身を呪っていたはず。殺せ殺せと叫びながら、お尻を振って快楽を甘受していた。こんなのおかしい、私はそんな女じゃない。ひどいわ、ひどい。だけど次から次に犯されて、体はそれを快楽と受け取って可哀想な私じゃないと思っていたい・・」

 「生きること。それしかなかったんです。LOWERなんて呼ばれる前から底辺でした。だから私にとっては何一つ変わらない。私はきっとマゾではないけど、心よりも体が快楽なんだと錯覚する。それが陵辱だとしても、せめてものセックス。蔑まれて犯されていても、そのとき感じることだけが悦びだったんです」
  激しい性波は去っていた。おぅおぅと雄叫びを上げて達していく。黒い肌から淫水のようなイキ汗を搾り出して果てていく。夢のようなセックスだったとアニタは思い、ルッツにまたがり強い胸に身を委ね、ささやくように話していた。
 「雇ってもらえた恩返しというわけでもあるまい?」
  ルッツの視線は直線的に女の心に刺さっていく。
 「違います。夢の記憶さえあれば生きていける。性奴隷でもかまいません。マスターのために生きていたいと思ったから。だからマスター」
 「何だ?」
 「お願いですからやさしくしないで。怖いんです」
  ルッツは眉を上げてアニタを見つめ、黒い裸身の両肩をわしづかむと軽々とひっくり返してベッドの上に組み伏せた。
  そして、わかったと言うようにうなずくと毛むくじゃらの顔を寄せて唇を奪っていく。アニタは震える。たったそれだけのことなのに心が感じてアクメへと追い立てていくようだった。

  幾度もそこへ追い立てられて、白目を剥いて気を失うまで犯され抜いたキャリーは、男の一人が裸身を担ぎ、もう一人の男が着ていたものを丸めて持って、コネッサがねぐらとしてる横穴の中へと捨てるように置いていった。
  そのときコネッサのねぐらにはリンという東洋系の女も一緒で、亮のねぐらにもあるようなシングルベッドから引っ剥がして持ち込んだクッションの上で抱き合っていた。
 「ふふふ、ちょっと可哀想かな」
  捨てられた白人の裸身を見て、リンは笑い、だらしなくひろげたままの腿の間に懐中電灯の明かりを浴びせる。
 「どれほどやられたんだか、精液が流れ出してる。綺麗なアソコだよ白人のアソコは」
  リンとコネッサで脂汗にまみれた体を拭いてやり、血の滲む性器の周りも綺麗にしてやる。そのときキャリーが眸を開けた。
 「壊れちゃう。こんなことが続いたら狂っちゃう」
  リンが言う。
 「感じたかい?」
  キャリーは苦笑してまっ白な裸身をくねらせて起き上がった。
 「口惜しいのよ。どうして感じちゃうのか。レイプどころじゃないんだよ、次から次から。なのに私はよくてよくて吼えている」
  リンとコネッサが顔を見合わせてほくそ笑んだ。
  キャリーの棲む穴は決まっていない。ルッツの店で揃えた服はコネッサのねぐらに置いてある。キャリーは綺麗にされた自分の体を見回して、二人にありがとうと言うと、ロングTシャツのような寝間着を着込む。体に鉛を埋められたように動きが重く、腰が抜けて平らな岩の上に敷いたカーペットに崩れて座る。

  リンは小柄だったが肉付きはよく、いかにも女といったように乳房も張っていい体をしていた。
 「あたしはリンだよ、コネッサは知ってるね?」
  キャリーはうなずく。
  リンが言う。
 「ルッツのところに女が飛び込んだそうじゃないか。あたしも似たようなものだったんだ。あたしは香港。元はWORKER。職場で嫌な野郎にセクハラされて上に訴えたら、面倒だからって捨てられた。職探ししてる女は腐るほどいるからね」
 「それで人買いに?」
 「そうだよ、あんたと一緒さ。若い女はだいたいそうだよ、連れて来られて違う道を歩かなければならなくなる。リッチな変態野郎のところへ連れて行かれ、ひどい仕打ちを受けたんだ。隙を見て逃げたまではよかったけどさ、外はもっとひどかった。金がないだろ。何かして稼ごうとすると体を売り物にしなければならなくなる。ちっとはまともな連中を相手にしててもそうなんだ。だからまた逃げ出して彷徨った。賊に襲われて嬲り殺しにされそうになったとき、ここの皆に救われた。
ここの連中だって野獣だよ。けどね、犯され抜いて気づいたときには守られていた。よそから舞い込んだ牝を牡どもは蹂躙するが、仲間と認めると牡たちは守ってくれる。まさに獣の群れなのさ」
  コネッサが笑って言った。
 「あたしも気づいた。泣きわめいているのに、どうして感じるんだろうってね。もういい、逆らうのはやめよう、逃げたってもっとひどいことになる」
  リンが言う。
 「干からびた裸の女の死体を見たんだ。平原の隅っこに忘れ去られるように捨てられて乾いていた。東洋系の肌の色。こうはなりたくないと思ったものだよ」

  キャリーは言う。
 「私はHIGHLYだったけど、いまは憎い。WORKERでさえHIGHLYたちの奴隷みたいなものだから。人権だとかどうだとかきれい事を並べておきながら、不要となったら捨て去って知らん顔」
  リンが言う。
 「つまりは何一つ変わらないってことじゃんか。上は上、下は下」
  コネッサはキャリーの面色を黙って見ていた。諦めの眸の色を見透かした。しかし見定めた者の覚悟が見えはじめている。
 「もう死にたいなんて言わないだろ?」
  キャリーはこくりとうなずいてから、かすかな笑顔に変わって顔を上げた。
 「生きてみる。留美が言ってた。どのみちそうなら私は男たちが欲しがる女でいたいんだって。あの子は強いわ、信じられない」
  それにはリンもコネッサも眸を合わせてうなずいていた。
 「じゃ行くわ」
  リンが立った。乳房の谷も見事な下着だけの姿。Tシャツを着てジーンズを穿き込んで、いつの間にか消えていた。

  入れ替わりに狭い寝床に横たわり、黒いコネッサに抱かれる白いキャリー。
 「ここではビアンはNG?」
  コネッサは笑う。
 「何でもアリさ。明日死ぬとも知れないからね。怖いのは人だけじゃない、あたしは毒蛇にやられたんだ。いまではずいぶん少なくなったけど、うっかり草葉に踏み込むとヤバイのさ。血清が用意してあったから助かったようなもの。そのときひどい熱が出てね、そしたら男どもが川で冷やした体で次々に抱いてくれた。ああそうなんだと思ったもんだよ」
 「そうなんだ?」
 「男の情さ。愛なんておチャラけたもんじゃない。冷たくて気持ちよくて涙が出てきた。好きよ愛してるで結婚して、どんだけの夫婦が仮面なんだよ向こうでは。こっちは違う」
  キャリーは何も言わずにコネッサの乳房に顔をうずめてすがりつく。跳ね返すような弾力のある黒い乳房。キャリーはその乳首を探して吸いついて、静かに涙を溜めて眸を閉じた。

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ルッツの店(六話)


  翌日も空は晴れ渡って暑かった。オーストラリア大陸の内陸部は、ほぼ乾いた土地であると言ってもよかっただろう。洞穴の棲み家から森を抜けて内陸部へと少し走ると、見渡す限りの土と岩、わずかに緑が散らばる大平原に出るのだったが、クルマはそちらには向かわずに森林地帯に沿ってのびる舗装された道を北上した。近くにも町らしきものはあるのだったが、そこはとりわけ物騒で若い女を積んでいると襲われかねないというのである。

  軍に捨てられたオープンタイプのジープに男が二人。そしてもう一台、こちらは屋根のある、これもまた軍用車であったのだが、スチールネットの嵌まった窓には黒いフィルムも貼られてあって中が見えなくされている。左ハンドルで運転するのは亮。右の助手席にバートが乗り、後席には留美とキャリー、それにホルヘが乗り込んでいた。暮らしに必要なものは不定期に買いに出る。山賊暮らしには自由があった。
 「ほらよ見えてきたぜ、ここらじゃまともな町なんだ」
  そうホルヘに言われ、キャリーは、ホルヘが握る軍用ライフルへとチラと目をやり、サングラス越しに見る景色のようなブラックトーンの外を見る。

  LOWERばかりが暮らす町。しかし決してスラムのようなものではない。もともとあった町であり十年ほど前に住人だけが入れ替わっただけなのだが、強制されて移住した者たちがほとんどだから土地への愛着なんてないに等しい。そこらじゅうにゴミがまき散らされて放置され散乱する生ゴミに野ネズミが群がっている。
 「おいキャリー、あれを見ろ」
  ホルヘの指差す先を見ると、粗末な服を着たまだ若いと思われる男が道ばたに倒れている。
 「死体だ。ネズミどもが群がってないからまだ新しい。ここはそれでもましな方でな、よそへ行きゃあ素っ裸の女の死体が転がってるぜ。襲われて犯されて殺される。若い女どもは決して一人じゃ出歩かねえ」
  キャリーは眉を寄せて目を反らした。
 「よっく見ておけ、逃げたらああなるってことよ。無法地帯だと思えばいい」
  キャリーは応えず、そのとき隣りにいた留美が手を握ってやっている。留美もキャリーも借り物のワンピース。二人が着るものを買うこともあってやってきた。
  
  ほどなく一軒の店の前でクルマは停まった。二台のクルマから男たちがそれぞれライフルを手にして降り立った。
  ルッツの店。
  四角い板にペンキで手書きした看板が軒先に釘で打ちつけられてある。
  女二人は男たちに守られながら店へと入る。オートドア。LOWER居住区であっても町にはもちろん電気が来ていて上下水道も完備する。あたりまえだった社会から住人だけが入れ替わった様相だ。
  ルッツの店は、もともとは洋装店であったらしく、それなりに綺麗で広い店だったのだが、男の服、女の服、野菜や缶詰などの食べ物から煙草までが無秩序に並ぶ乱雑な雰囲気だった。
  店の主は名をルッツと言って、バートよりは少し背が低かったものの、それでも190センチに近く、隆々としたヘラクレスのような男。銀髪のロングヘヤーも伸ばしっ放しといった感じ。髪の毛と顎髭の区別もつかない目つきの鋭い白人だった。

 「よぉよぉ亮じゃねえか。じきじきにとはめずらしいな」
  英語を話す。にやりと笑われ亮はちょっと苦笑した。
 「よせやい、俺なんぞ何様でもないんだよ、久しぶりだな」
 「おぅ」
  そう言いながら店主は見慣れない女二人に目をやった。
 「かっさらったか?」
 「まあな、人買いだ」
 「うむ、クソ野郎どもが。そいで? そいつらに服をってことかい?」
 「他にもあるさ、弾がねえ。で、ルッツよ」
 「お?」
 「こっちが留美、めずらしくも日本人だ。そっちがキャリー、元はHIGHLYでな、浮気した彼氏をぶっ殺してとっ捕まったらしい」
  それから亮は二人に言った。
 「ルッツだよ。見てくれは野獣だがいい奴だぜ」
  留美は微笑んで会釈したが、キャリーはにこりともせずにちょっと頭を動かした程度だった。人買いから救われたといっても若い女の扱いなどは知れている。キャリーはそれで怖いのだろうとルッツは察した。
  ルッツは女たちに言う。
 「そのへんにあるから選ぶんだな。下着もあるしよ」
  留美がキャリーの腕を取ってカラフルな服が提げられたポールハンガーの陰へと連れて行く。男たちもてんでに散って欲しいものを物色しだす。
  そのとき亮は女の服が掛けられるポールハンガーの前に置かれた来客用のテーブルについて座り込む。その気配を察した留美が小声でキャリーに言う。
 「ごらんよ、目隠しになってくれてる。フィッティングルームなんてないんだから。やさしいと思わない?」
 「うん、それはそうかも」
  獣のようにわめき散らして犯され抜いた記憶はあまりにも生々しく、それでキャリーはよそよそしい。

  亮は言う。
 「コーヒーあるかい?」
 「おぅ、あるぜ」
  インスタントコーヒー。ひとつだけつくってテーブルに歩み寄るルッツ。コーヒーを置くと、白いスチールチェアを引いてどっかと座った。
  亮が言う。
 「で、近頃どうよ?」
 「ふんっ、どうもこうも、物騒でいけえねや」
 「たまらんな」
 「ここで暮らすんなら頭ん中身をいっぺん捨てねえとやってられん。ぼろくそさ何もかも。これじゃおめえ西部劇だぜ」
 「西部劇か、懐かしい響きだ。荒野のガンマンかい」
 「言える。保安官がいるだけそっちがましさ」
 「うむ。ところで兄貴はどうしてる?」
  ルッツは人差し指を立てて天井を指差す仕草をした。

  ルッツはルッツ・フランツ、旧ドイツの出なのだが、歳の離れた兄がいた。
  それがデトレフ・フランツ。月面にいる兄である。
  亮はデトレフを知らなかったが、どうしても信じられない。
 「マジだもんなぁ」
 「マジだぜ、行ったきりさ。ごくたまに無線が入らぁ」
 「生きてるって?」
 「元気そうだ。月のベースとやらもかなり進んだってことだぜ。三万ほども住めるようになったって」
 「三万? どう考えても信じらんねぇ、月に都市をねぇ」
 「HIGHLYどもは未来に生きてら。俺っちなんざ西部劇だっつうのによ。あ、いけね、忘れてた」
  と言ってルッツは亮の肩越しに首だけ伸ばして女二人へ目をやった。
 「おい娘っ子ども、ブラジャーそっちのボール箱だ、出すの忘れてた。可愛いのが入ったからよ、ひっひっひ、パンティもたんまりあるぜ」
  大きな声で。留美とキャリーは目を合わせて互いに舌をちょっと出す。
 「けっ、クソ親爺が」 と亮が言って皆が笑った。

  この町は新興街と言えるほど新しくはなかったが、道筋も家々も見事に整備された綺麗な町だった。かつてはゴミひとつ落ちてなく、子供たちの明るい声もしたものだ。住人のほとんどがWORKERであり、その居住区へ強制的に移住させられた。そこからあぶれた者たちと、よそから流れて来た者たちが混じり合う町となる。ときどきパトロールの警察もどきはやってくるが何があろうと見て見ぬフリ。 このルッツや亮たちが出入りするようになってから、ちゃらけた犯罪が減っていた。ルッツは元はドイツ軍の軍人であり本来ならばHIGHLYなのだが、亮同様にふざけるなと言って飛び出したクチだった。
  ルッツは言う。
 「それも最初の頃だけよ。いまじゃもう他人事さ。いちいちかまってられねえし、てめえのことで精一杯。みんながそうだぜ。正義感なんぞ振り回したところでいいことなんざありゃしねえ」
  そしてまた女たちへと目をやるルッツ。
 「どうだい可愛いブラジャーだろ? 着けてみろや、見ててやる。いっひっひ」
  亮は呆れ、しかし人の好いルッツの横顔を見つめて言う。
 「相変わらず独り暮らしなんだな」
 「それが気楽さ、そんなもんよ」
  亮はちょっと眉を上げて首を傾げ、それ以上のことを言わなかった。
  ルッツには八つ上のデトレフとの間に姉もいたし、かつては妻や子も持っていた。しかし家族は皆HIGHLYに留まっていたいと言って離婚している。

  と、オートドアがするすると開いて、粗末であってもそれなりに普通な身なりをした黒人の女が入って来る。黒人特有の縮れたショートヘヤー。歳の頃なら三十代の半ばあたりだろうと思われる。女は黒い大きなザックを背負っていた。店の前にいつの間にか自転車が置かれてあった。
 「あの」
  女はそのとき店にいた大勢の客を見渡しておどおどとした眸の色だ。
 「おぅ、いらっしゃい、服かい?」
 「いえ、あの・・」
  女は来客を気にしている。ルッツは立ち上がると女のそばへとのしのし歩む。
その女は小柄なほうでルッツに歩み寄られると子供に見えた。
 「あたしアニタって言います、元はブラジル。しばらく働けないかなと思って」
  職探し。こうした者は多かった。家政婦など雇える家は少なかったし、働き口はあっても給料は安い、若ければ体を狙われる。飲み屋かセックスを売り物にする夜の商売でもない限りまともなところはほとんどなかった。
  ルッツは言った。
 「しばらくとはどういうこった? 金ができたらとんずらするってか?」
 「いえ、あの・・」
 「はっきりしろコラ、うじうじするな」

  野獣のようなルッツ。女は怖くなってうつむいてしまう。
 「何かやらかして来たな?」
 「逃げて来ました。あたしずっとホテルの下働きをやっていて、あるときお客さんの忘れ物がなくなって、おまえが盗んだなって言われて折檻されて」
  それも訊くまでもないことだった。折檻とはつまり性的な拷問である。
 「追われてるのか?」
 「いえ、それはありません。忘れ物はお客さんの勘違いで出てきました。だけどもう腹が立って飛び出して来たんです」
 「チャリでか? あれはおまえのチャリなんだな?」
 「はい、ずっと乗ってる私の自転車」
 「どのぐらいそうして流れてる?」
 「そろそろ二月になります。蓄えもなくなって喰えなくなって。あたしどんなことでもしますから、どうかお願いできませんか」

  留美もキャリーもやりきれない。亮たちに救われなければ、この身もどうなっていたかと思うと胸が痛い。
  ルッツは言う。
 「おめえ、いくつだ?」
 「三十五になります」
  ルッツはため息をついてちょっと左右に首を振ると、横目でポールハンガーの向こうから覗いているキャリーを見つめた。
 「ふむ、そうか。喰えるだけでいいか? コキ使ってやるが、それでもいいか?」
  にやりと笑うルッツ。
 「はい、もう充分です。いいんですかマスター?」
 「俺はルッツ。わかったわかった、奥にシャワーがある、さっぱりして着替えて出て来い。着替えがないならそこらの服を選べ。それは借金として働いて返してもらう。冷蔵庫に食い物があるはずだ、腹が減ってるならまずは喰え」
 「ありがとう、嬉しいですあたし、ありがとうございます」
  留美もそうだが涙腺がゆるんでくる。アニタという女は涙を溜めて震えるように奥へと消えた。
  ルッツが亮に向かって言う。
 「おめえとこんな話してなきゃ追っ払ったところだぜ。ちっとは真面目そうだしよ、まあいいかと思っちまった」
  亮はうなずき、そのときふとキャリーを見ると、キャリーは笑って亮にうなずく。

  帰りの道すがら。運転をホルヘに任せて亮は女たちと後ろに乗った。軍用だった鉄箱の中はビニルでできた対面シート。女二人が並んで座り、亮はロングシートに寝転んでいる。
  誰にとはなしに亮は言う
「いい奴だったろ、ルッツの野郎」
  留美が応じた。
 「はい、アニタって人、よかったなと思います」
 「そういう奴よ、人を見た目で決めつけない。元はドイツの軍人でな、HIGHLYなんだが、そういうことの嫌いな男。女房も子供もいたんだぜ。HIGHLYでいたいと言って離婚した。兄貴なんざ月にいるし」
  そこでキャリーがはじめて口を開いた。
 「さっきちょっと聞こえたけど、月にいるって月面都市の関係で?」
  キャリーはHIGHLYだった女。WORKERであった留美もまた月面に都市を造っていることぐらいは知っていた。
 「兄貴が国連軍の中佐でな、志願して月に派遣されたそうなんだが。ふんっ、どう考えたって信じらんねぇ、クソ店の親爺の兄貴がよ。ふっふっふ」
  キャリーは言う。
 「町で暮らそうとは思わないの?」
  亮は顔を傾けてキャリーを見た。キャリーが選んだ服は、下はブルージーンだったが上は胸元に花柄の刺繍のあるピンクのTシャツ。白人の白い肌にはよく似合う。留美もまた同じようなスタイルに着替えて乗っていた。

  そんな二人の変化に亮はちょっと眉を上げ、そして言う。
 「ルッツにも言われるさ、空き家はまだあるってな。けどあそこは天然の要塞よ。俺たちは山賊なんだぜ、いつ襲われるとも知れねえ。町のみんなに迷惑がかかるだろうし、俺たちの誰一人、町に出たいと思う者はいないのさ。俺たちがそうだからWORKERどもも目こぼししてくれるんだ」
 「LOWERでもないってこと?」
 「違う。俺たちがLOWERどもを扇動しないってことじゃねえか。俺たちが入り込んで武装して結束してみろ、それはつまりレジスタンス、潰さなければならなくなる。そんなことは世界中で散々あったさ。結果どうだ、皆殺しにされちまった」
  このとき留美は、四十歳そこそこのルッツをクソ親爺と言うこの亮はいくつぐらいだろうと考えていた。三十そこそこ? もう少し上のような気もしたが、逆にもっと若いのではとも思えてくる。

  明るいうちに棲み家に戻る。近いようでもルッツのいる町まではクルマで一時間以上もかかり、もたもたしていると暗くなる。いまは初夏だから陽が長いが、それでも夕刻に近づくと夜盗のたぐいが出没する。LOWER社会とは言え八割はまともな人間。そうでない輩を取り締まる者がいないのだった。LOWER同志の諍いには目をつむる。上級社会に災いしないならLOWERは減らしておきたいというのがHIGHLYたちの思惑だったからである。

  亮たちが棲み家に戻ってほどなく、その頃、ルッツの店では店じまいがはじまっていた。町に数少ない店はそれなりに忙しく、日々の仕入れもあるから翌日のために整理しておかなければならない。
  アニタは結局、店に吊された商品を借りて着込むことになる。客商売なのだがらあまりに貧相では困ってしまう。真新しいジーンズに襟のあるブラウス。下着まですべてが新しく、さっぱりとしたアニタは歳なりに可愛い女となっていた。
  男独りでやってきたルッツの店が見違えるほど綺麗になって生まれ変わったようだった。

 「これでいいですかマスター?」
 「おぅ、いいぜ、ありがとよ、ちゃんとしたじゃねえか。やっぱアレだな、女がいねえとうまくいかん。ところでおめえ」
 「はい?」
 「飯ぐらいはつくれるだろ?」
 「はい、それは。あたしやりますから」
  どうせ住み込み。家政婦を兼ねることはわかっていた。
 「マスターはずっとお独りでお店を?」
  ルッツはうなずく。
 「ここへ来てみりゃ店がねえ、そんではじめたまでのこと。最初のうちは缶詰とか雑貨だったんだ。そのうち畑でとれた野菜とかよ、古着もそうだが持ち込む客がいて、そんならと服を置いたってことなんだ」
 「あたしもずっと古着ばかりだったんです」
 「だろうな、移住させられた連中が置いてったものを売って暮らしの足しにした。ここは元は服屋でよ、倉庫の中に古くさい服が眠ってたんだが、そんならってことで服をはじめたみたわけさ。しかしいかん」
 「いかん?」
 「女の下着を並べるってえのは気恥ずかしくていけねえや」

  アニタは笑って言う。
 「そうじゃなくて、あたしの古着は子供のときから。スラムで育って・・え?」
  ルッツは指を立てて口を塞ぐ仕草をした。
 「いらんことは言うな。おめえの昔なんざ訊かねえ。人にはいまと明日しかねえんだよ。さあ、もういいぜ、今日はしまいだ、コーヒーでも淹れろ、おめえの分もな。リセットしろアニタ」
 「はい!」
  嬉しかった。これほどの幸運はないと思った。下着まですべてが新しい。夢のような出会いだったとアニタは嬉しい。

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