2017年11月14日

本格時代劇 白き剣(十話)

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十話 伊豆の白湯


 「さて皆々よ、このような雨の折ゆえ、しっぽり濡れる話をしよう。我ら坊主の修行を行(ぎょう)と言うが、そなたら女人には女人業(にょにんぎょう)とも申すべき業(ごう)がある。それはまた性(さが)とも申すもの」

  芝高輪、湧仙寺。
  芝の南から高輪にかけて寺の集まる一帯があり、そこには名のある大きな寺から、この湧泉寺のようなちっぽけな古刹まで数多くの寺がひしめき合って、したがって町中に僧侶の姿をよく見かける。僧を僧としてあなどってはいけない。かつては僧兵ばかりを集めた寺もあり、また忍びの者どもが僧に化けた寺もあったもの。湧泉寺の住職たる妙玄(みょうげん)も、いまでこそ齢八十二と老いていたが、かつてはそうした僧兵としてならした男。
  艶辰のある本所深川から高輪は少し遠い。男の脚でも一刻(二時間)ほどもかかってしまい、小雨の中、着いてみると、狭い本堂にすでに女ばかり十人ほどが集まっていて、何やら法話の最中だった。女は市井の者ばかり。一見してこのあたりの商家の妻ばかりと思われる。

  妙玄は、ふいに訪れた宗志郎に目でうなずきつつも、かまわず言う。
 「業(ごう)とは人の業であり、業を極めることを修行とするなら行(ぎょう)とも言える。さてここからじゃ。皆々、童どもを思えばよい。己が童であった頃、苦しむことと言えば腹が減っただとか、しょんべんちびっただとか、まあそんなようなものじゃった」
  女たちから笑いが漏れる。
 「しかるにいつ頃からか、女として生きねばならぬ、男として生きねばならぬと思い込むようになり、色というものが生まれてくる。色は欲。嫌よ嫌よ、もっとソコということになるわけじゃな」
  隣り合った女同士が顔を見合わせくすくす笑う。
 「それが女人を苦しめる。同じ女が敵ともなって立派な竿を奪い合う。なんて大きく恐ろしく、されど欲しくてたまらぬ男のイチモツ。拙僧などはもういかん、萎びたままじゃ」
  おもしろいと宗志郎は思う。女たちが食い入るように見つめていて、皆の目がキラキラしている。
 「同じ女でありながら意地を張り合い、遠ざけ合って、隣の家では色よき声もするものの、なんでウチには夜がない、などということになって不仲となる。夫婦の不仲は世への不仲に変わっていって、周りの者としてみれば、なんたる嫌なクソ婆、てなことにもなろう」

 「そこがこそ、そなたら一人一人を不幸にする大元ぞ。童に戻るときがあってもよいというもの。女となる前の心を持って女人を抱く。女同士で湯でも浴びて、一つ布団で眠れるならば、心は濡れて、違うところもきっと濡れよう。よいか皆々よ、女の性とは女の業(ごう)。しかるにそれを修行の行(ぎょう)と思うなら女人は解き放たれて羽ばたける」
 「それは女人同士で交われということでしょうや?」
  女の一人が訊いたとき和尚はうなずいて言うのだった。
 「女人はなぜに女でなければならぬのか。女人はなぜに男と交わらねばならぬのか。女人はなぜに女を想うてはいかぬのか。亭主元気で留守がよい。うむ、それはそうじゃろう。されどそれも亭主に飽きて触れられど濡れもせぬゆえ。それではあまりに可哀想というものじゃが、さりとてそこらじゅうの男にあはんうふんもまずかろう。女房殿は皆々そのように考えて、ゆえに寂しゅうなっていく。嫌な女になってしもうた己を憎み、ますますもって鬼婆。よいか皆々、業を行とすることじゃ。想うて欲しくばまず想うこと。童の心に戻れるならば女人は女でなくなって、人として女を想えるようになろうというもの。ここにおる皆々よ、互いに想うて抱き合って、濡れる女人となるがよい。行と思うて業に臨めば、人を想う女の性は満たされる」
  女たちは皆いい顔をしていると宗志郎は感じた。艶辰の女たちの顔そのままの素直な面色ではないか。

 「そこな若武者よ、いかに思う?」
  問いかけられて皆は振り向き、目が集まる。いつの間にか若く凜々しい武士がいる。女たちは一様に、はにかむような笑顔を見せる。
  宗志郎は言う。
 「何を語っておるのやら、クソ坊主め。はっはっは」
  皆が声を上げて笑い、しかし一様に穏やかな顔をする。宗志郎はふと虎介情介の二人を思った。まさに和尚の言う通り。しかしそれはありきたりに身構える者どもにはむずかしいかと考えた。
  妙玄は言う。
 「くノ一は、くノ一同士で交わるという。明日の命も知れぬ身ゆえ、そのとき想うた己の心に素直でありたい。汚れなき人の姿だとは思わぬか」
  と、突然現れた武士の姿になぞられて持ち出した和尚の話に皆はうなずく。  いい法話だと宗志郎は思う。

 「・・ふうむ、そのようなことがあったとはのう。わしも歳じゃな、とんと俗世に疎うなってしもうたわ」
  妙玄はシワ深い目を雨模様の空へとなげて、しばし考え、そして言った。
 「そのようなことがあるとするなら、それは邪視(じゃし)やも知れぬな」
 「邪視ですと?」
 「そうじゃよ邪視じゃ。このわしとて話として知っておるだけじゃし見たこともないのじゃが、そのようなことがあるというぞ。仙人のごとく修行を重ね得られるもの、また魑魅魍魎、妖怪のたぐいに取り憑かれてしまうもの、天狗のせいじゃと申す者もおるらしいが、平安の頃には禿化け(かむろばけ)と称して、妖力を得た女が童に化けて災いを運んだとか。まあ心眼とも言えるのじゃろうが、見つめるだけで心を抜き取り、邪心を送り込んで人を操る。役目を果たして邪心が抜ければ人は抜け殻。心をなくしてしまうからの」
 「・・ふうむ、されどそのようなことが真にできるものなのか」
 「わからぬ。あるいは生まれ持った特異な才やも知れぬし何とも言えぬわ」

  いまから十五年ほど前、その頃、剣の修行に明け暮れていた十五歳の宗志郎は、柳生の剣の師範に連れられ、この寺を覗いていた。
  当時すでに妙玄は六十代の半ばであったのだが、小柄な体でも槍を持たせれば下手な剣では勝てない強さ。宗志郎の師範が学んだ、そのまた師範のような男であった。以来、宗志郎はときどき寺を覗いていた。
 「されど尊師もお達者で」
 「まったくじゃ。どうやらわしも妖怪天狗のたぐいのようで。はっはっは」
  この時代、四十代から人はばたばた死んでいく。八十をこえる齢は、それだけで仙人のようなもの。

  と、ふいに妙玄は手を叩き、宗志郎を見つめるのだった。
 「そうじゃ悟郎太(ごろうた)がおった!」
 「それは何者?」
 「伊豆は天城あたりを根城とする山賊の頭でな、風魔賀次郎(ふうま・がじろう)が末裔よ」
 「なんと? あの風魔の末裔と申されるか?」
 「いかにも。風魔は死なず、そうして生きておるわい。かつてのわしの弟子じゃがな。うむ、そうじゃ風魔じゃ。かつて風魔に特異な才を持って生まれた男児がおってな。七つじゃったか、その歳にして見つめるだけで人を操ったという。風魔の女が妖怪を生んだと恐れられたものらしい。そのへん訊くなら訪ねてみればよかろうぞ」
  風魔と言えば、江戸時代のはじめに盗賊となって江戸市中を荒らし回り、ことごとくが捕らえられて滅亡したと思われていた。それがいま、八代将軍となった世に生きている。ぜひにも会ってみたいと宗志郎は考えた。

 「邪視」
  と言ったきり、美神にしばし声はなかった。虎介が聞き込んだ話と符合する。
 「さらにまた風魔とは」
  くノ一である鷹羽もまた声をなくし、同じくくノ一の鷺羽鶴羽と目を合わせる。
  美神が言った。
 「じつを言うと虎がそれと似たような話を聞いたとか」
  美神が子細を話すと皆の目が厳しくなった。そうした才を持つ者がいるとすればすべてがうなずける。とりわけ禿化けという言葉がひっかかる。まさかとは思っても虎介が持ち込んだ話そのままではないか。
  美神は言った。
 「その悟郎太とやらに会いに行こう。皆で行く」
 「皆で?」
  と黒羽が訊いて、美神は深くうなずいた。
 「さっそく明日にでも出よう。お光にも支度させるんだ」

  そして三日後の夕刻前、伊豆は天城山。冬晴れの青空に一片の雲もなく、山の緑も美しかった。
  宗志郎、美神、そして紅羽に黒羽、そのほかくノ一三人だけならともかくも、若いお艶さんの三人衆、男芸者の二人に加えてお光までが一緒だと、途中で二泊しないと歩き切れない。艶辰はじめての皆での旅。物見遊山の気分で楽しめていたのだが、いよいよ山が迫ってくると気を引き締める。
  宗志郎は大小を腰に差した着流しだったが、紅羽黒羽の二人は黒髪を後ろでまとめ袴を穿いて腰に大小を差した男姿。そのほか皆は女の旅姿であったのだが、美神、鷹羽、鷺羽、鶴羽の四人は白木の仕込み杖を持っている。
  海を見渡す表街道を逸れて山へと踏み込むと、いきなり人の気配が絶えて道も細く、右に左にうねっている。
  そろそろ出るか、山賊ども。

 「待ちな! これはこれはぞろぞろと」
  いかにも山賊といった風体のゴツイ男ばかりが八人ほど、森を縫う道筋の前と後ろから現れて挟み打ちというわけだ。粗末な着物にウサギの毛皮でつくったチョッキを重ね、腰には刀、髪の毛などは獣のごとく。
  しかし前に向かって宗志郎と紅羽黒羽、後ろには間に皆を挟んで鷹羽鶴羽鷺羽が陣取り、こちらにも隙はない。皆が仕込み杖に手をかけて寄らば斬るの面色だった。
  宗志郎が男どもに笑って言う。
 「よせよせ、てめらじゃ勝てないぜ」
 「何をしゃらくせえ!」
  男の一人がすごんで声を上げたが、宗志郎は穏やかに言う。
 「悟郎太に会いに来た」
  頭の名を呼ばれて山賊どもは一斉にある一人の男へ目をやった。背が高く胸板が厚く、毛の中に顔があるといったような男。まさに大猿。しかしその腰には剣はなく、代わりに、よく手入れされて光り輝く黒い槍を持っている。

 「俺がそうだが」
  宗志郎はちょっと笑って眉を上げた。
 「妙玄和尚に聞かされて参った者」
 「ほう和尚に?」
 「拙者は葉山宗志郎」
 「なに・・」
  柳生新陰流の若き鬼神とまで言われた男。悟郎太も和尚から聞かされて名ぐらいは知っている。悟郎太は手をかざして手下どもに退けと合図をする。
  しかし悟郎太は宗志郎の背後へ目をやって言うのだった。
 「で、ぞろぞろとか?」
 「皆々が江戸の置屋の芸者でな」
 「ほほう、芸者とはまた。男姿で剣を持ち、仕込みを持つ者もいる。恐ろしい芸者どもよ」
  悟郎太は宗志郎に歩み寄り、「こっちが兄弟子だぜ」と小声で言って笑い、そして手下どもに言い放つ。
 「おいみんな、こいつはよ、弟弟子のくせしやがって俺なんぞよりはるかに強ぇえや。てめえらなんぞ刺身にされるぞ、あっはっは」

  悟郎太は、はるばる訪ねてきた弟弟子と並んで歩く。
 「で、どうしたって?」
 「かつて風魔に邪視を持って生まれた子がいたと聞いた」
  悟郎太は眉を上げて目を見開く。
 「なるほど、わかった。まあ根城に来いや。湯も湧くし、なかなかいいぜ」
  鬱蒼とした樹海の中に、そこだけ森が拓かれて、いまにも朽ち果てそうな小屋がいくつか並び、粗末な姿の若い女も三人いて、さながら山窩(さんか・山の民)の根城のようにされている。雲のない天空から陽射しが注ぎ、森が風を遮るのか、そこだけ春のように暖かかった。
 「まあ気楽にやってくれと言いたいところなんだがよ、なにせ家がちっぽけだ。ごろ寝ってことになる。森の奥に湯もあるし、そこだけは極楽よ」

  五軒ある家の中で少し大きな一軒が頭とその女の家なのだが、とても皆は入りきれない。美神と紅羽黒羽、それに鷹羽が家に入り、鶴羽鷹羽は皆と一緒にほかの家に散っていた。
  訪ねて来た皆を家に上げ、毛皮の敷かれた囲炉裏の周りに座らせておき、悟郎太は、一応は上座にあたるところに敷かれた大きな鹿の毛皮の上にどっかと座った。悟郎太の女らしき者が茶を淹れて配っている。大柄な女であったが笑顔がやさしい。
  話の支度が整うと宗志郎が悟郎太に言う。
 「そちらが江戸の置屋の女将さんでな、こなた男姿の二人も芸者なんだが、ともに武家の出。そこの一人も芸者だが、じつはくノ一」
 「なるほど。まあ、ただの置屋ではあるまいが訊かぬ」
  悟郎太は賢い男。宗志郎はうなずいて、さらに言った。
 「風魔の女が妖怪を産んだとか」
  悟郎太はうなずいた。
 「俺も聞いた話だが我らでは語り継がれる話でな。七つばっかのこわっぱに見つめられ、人は腑抜けとなってしまうのさ。生まれながらの化け物だった」

 「禿として使ったのでは?」
  と美神が訊いて、悟郎太はあまりにも美しい美神を見つめる。
 「そこの女将のように魂を抜かれる女はいるものさ。まあ、そんなようなもの。あまりに恐ろしいこわっぱゆえ、その頃の頭も困り果てた。よもや敵とならば一族は滅ぶ。そこでこわっぱのうちに放り出した。その母とともにな。生きていける金を握らせ、どこぞで好きに暮らせというわけさ」
  宗志郎が問う。
 「それきりなのか?」
 「それきりだ。ああしたものは血だ。こわっぱを産んだ女に妖怪でも取り憑いたかということで、母もろとも放り出す。悪さでもして叱ろうものなら、七つのこわっぱに見つめられておかしくなる。そうなりゃ放り出すしかあるめえよ」
 「そうかい、それきり行き方知れずってことなんだね?」
  美神を見つめながら悟郎太は話し、だから美神がそう言った。
  江戸で妙な事件が起こっていると宗志郎が告げると、悟郎太はまたうなずいて言うのだった。
 「だとすりゃあ血よ。こわっぱの血かも知れねえし、その頃まだ若かった母者がまた別の子を成したとも考えられる。剣では勝てねえ、ともかく目を見ねえことだ。言えるのはそれだけよ」

  黒羽が問うた。
 「そうした者が確かにいると言うんだね?」
  悟郎太は、こちらもまた美しい黒羽を目に入れて、それから宗志郎に向かうのだった。
 「いる。偽り話を伝えてどうする。心を抜き取り、どうにでも操る。そうしたやり口であるなら決まり事をつくっておくのさ。犬猫の声でもいいし記号(しるし)のようなものでもよかろう。見る聞く触れる、何でもよいのだ。そのとたん人が変わってしまう。話に聞く陰陽師のようなものもそのうちだろうが、呪いだと思えばよかろうな。呪いを持って産まれた化け物。もはや人ではあるまいに」
  そして鷹羽が問うた。
 「ずっとここに隠れ住んできたのかい?」
  それには悟郎太は笑う。
 「風魔は北条、北条は相模、相模は海よ。ここらはもともと我らが土地でな」
  鷹羽は黙ってうなずき、それから口を開かなかった。忍びは皆同じ。主家が滅ぶと戻る場所をなくしてしまう。

 「さて皆々、今宵はどうするつもりよ。冬のいまなら、じきに陽が暮れよう。旅籠といっても遠いぞ」
  と悟郎太は言い、女将の美神をじっと見つめた。
  そしてそのとき宗志郎が袂から封を切らない二十五両の包みを取り出して悟郎太の前にそっと置いた。
 「これで頼む、今宵一晩」
 「ふふん、ずいぶんと張り込んだものだ、つまらねえ話を聞くためによ。わかった、どうにかしたいがどうにもならん。ここが広いゆえ、ここを空ける。まあ湯にでも浸かって来いや」
  と、そこで美神が言った。
 「じゃあ、あたし一人が先に行く。お頭と一緒にね」
  悟郎太は目を丸くする。美神が言った。
 「銭で買ったと思われてはあたしの名折れ。気持ちだということをわかって欲しい」
  悟郎太は呆気にとられて宗志郎を見つめた。
 「ふっふっふ、気に入った・・気に入ったぞ、はっはっは」
  悟郎太は立ち上がり、美神の手を取って引き抜くように立たせていた。並んで立つと悟郎太は大きい。

  そして森に抱かれるようにある湯へと向かう。
  山肌が岩に変わったすぐのところ。周りは鬱蒼とした緑また緑。十人ほども入れそうな大きな岩風呂。脱衣などというものはなく、悟郎太は湯の縁まで美神をそっと押しやると、岩に座り込んで背を向ける。
 「どうしたんだい、入らないのかい?」
 「気持ちはもらった、ありがとよ姐さん。されど、ならば俺にも気持ちはある。ここらには腹を空かせた犬が出るゆえ」
  美神は歩み寄って悟郎太の前に回り、目を見つめ、そのままそっと抱かれていった。

 「嬉しいよ悟郎太、いいから入ろ」
  野獣のような男にまともに見られていながら一糸まとわぬ裸身となった美神であった。

2017年11月13日

本格時代劇 白き剣(九話)

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九話 一筋の光


 「拙者の・・」と言いかけて、宗志郎はチラと女将の美神へ目をやった。芸者を束ねる置屋の艶辰が、しかるべき者の命によって密かに働く者どもの集まりと知り、その頭が美神ということで、どうしても武士の言葉になってしまう。
  夕餉を終え、今宵座敷に呼ばれた鶴羽と鷺羽が戻るのを待って、紅羽黒羽の姉妹と鷹羽も加えた七人で、美神の寝所に輪を描いて座っている。夜具をのべると狭くなる部屋であっても座って話すぐらいならちょうどいい。その場にお光は呼ばれなかった。お光は厨で夕餉の片付けをしている。
  このとき宗志郎は平袴などは脱いでしまい、それでも登城のための堅苦しい着物姿。それもあってついつい武士言葉になってしまうのだった。
  芸だけを見せる鶴羽鷺羽と違って、お艶さんと呼ばれる三人の若い芸者と男芸者の二人は色を売るだけに帰りが遅く、またこうした話に入ることも少なかった。女将の部屋で静かに話す。
 「ううむ、いけませぬな、武士が抜けない」
  美神はちょっと微笑んで、素でいいからと言う。

 「まあ花畑でもあり・・うん、少しはよく見せたくもあり」
  皆が笑う。黒羽はちょっとうつむいて隣りに座る姉の紅羽と目を合わせてくすくす笑う。すべてはお光。あのときあの子がいてくれなければこうはなっていなかった。人の縁とは奇妙なものだと、そう思っても可笑しくなる。
 「じゃあこうしましょう」と黒羽が言った。
 「ここでは宗志郎様ではありません、お名は末様。気楽というもの」
  末様はちょっと首を傾げて眉を上げ、しかし微笑みはすっと失せて真顔となった。
 「剣の友に同心がおり、そやつももちろんお奉行から言われておる。されど目を光らせよと言われても雲をつかむような話であって、さらにどうやって娘どもを操るのか皆目見当もつかぬと申すわけで。妖しき術か、はたまた薬か、それにしてもわずか数日で人をそれほど変えられるものなのか。あるいは忍びの仕業かもと申しておって」
  美神は、鷹羽にちょっと目をやって眉を上げた。
 「あたしらもそう話したものです。鷹羽と、それに鶴羽、鷺羽もくノ一」
  ほう・・と驚くように末様は鷹羽を見つめ、鶴羽鷺羽と順に見た。
 「そんな術は聞いたこともないし、薬であるならわずかな間ではできないね」
  と鶴羽が言って、末様はうなずいた。

  黒羽と紅羽が武家の出、美神もそう。残る三人はくノ一。どうりで隙がないはずだ。なるほどとうなずける陣容だった。
  末様が言う。
 「されど、最前のことを思うても敵にはかなりな黒幕が控えておろう。捕らえられるなら自刃して果てるなど尋常ではない。紀州と尾張がにらみ合って得をする者と申しても、それもまたそこらじゅうにいる話。さらにまたそのへん目星がつこうとも、つまるところ、どうやってという問いが解けねば逃げられる」
  そのとき美神は言うのだった。
 「黒幕を追い詰めるつもりなどないのです。娘らを使う手口が許せない。手を下した者どもを許せない。さるお方も申されておりました。深入りしすぎても世を乱す。そうしたことが起こらねばよい話と」
 「うむ、いかにも」
  末様の声に続いて黒羽が言った。
 「我らは苦しむ女や童を救うことのみ。男のお役人では入り込めないところがある。そのために我らがつくられた」
  末様は、うんと深くうなずいて、それから美神に言うのだった。
 「その探索の大元が見張られている。よって尾けられ、あのようなこととなる、気がかりなのはここ艶辰。いずれ嗅ぎつけられるときがくる。剣において上には上があるということをわきまえられよ」

  美神は眉を上げて首を傾げる素振りをする。そういう意味でも宗志郎が味方となってくれるなら、これほど心強いことはない。
  それはそうでも指図によって動く立場。了解を得ずに引き込むわけにもいかなかった。美神は言う。
 「近いうちにつなぎを取ってよろしいですか? 我らを動かすは御老中、戸田様です。あなた様にもお立場はあろうかと?」
  これには皆も美神を見つめる。そんなことだろうと思っていても、皆々、美神に従うだけであり、それこそ深みには立ち入らない。
  美神は皆を見渡した。
 「この際、皆にも言っておきます。わたくしは、その戸田様の縁者にあたる者の娘。隠していたわけでもないけどね」
  そんなことだろうと、それもまた推察していたこと。
  末様は言う。
 「もとよりそのつもり。花畑の虫を追うは男の本望」
  女たち皆がそれぞれに目を合わせて微笑んだ。いちいち粋なことを言う。
  美神が問うた。
 「末様の剣はどのような? 柳生新陰流とお見受けしますが、ちょっと違う気がしたもので」

  さすがだと末様は思う。剣を知るから剣がわかる。
 「推察の通り、柳生新陰流。なれど先ほども申した剣の友というのが示現流でしてな、真似ておるうち妙な癖がついてしまった」
  ちょっと頭を掻く末様。示現流と言えば強いことで恐れられる薩摩武士の剣。敵の剣をものともせずに突き進み、渾身の一刀で斬り捨てる剛剣として知られた流派であり、昨今、江戸にも入り込んできている剣だ。
  このとき黒羽もまた、どうりで剣さばきが剛なはずと考えていた。
  それはともかく、正座で囲む女が七人、その中で一人だけあぐらをかいた末様。末様が両膝をぽんとやって黒羽にちょっと横目をやった。
 「このようなことになるとは思わず、あのときはあやめ殿に会いたい一心、あの場に越してよかったよかった。ここと二か所の場ができる。粋な棟梁のはからいで湯船も大きく造ってあるゆえ・・」
  眉を上げて黒目を回すあの仕草で黒羽を見つめる。
  これには美神よりも姉の紅羽が声を上げて笑った。隣りに座る妹がどんどん小さくなって、うつむいていくからだ。
  美神が言った。
 「空き部屋もあり、今宵はお泊まりでよろしいでしょう。黒羽もすでに赤羽のようで今宵はどうぞご一緒に・・ふふふ」
  あの黒羽が赤くなる。皆が笑った。美神も粋な言い回しをするものだ。

  さてお開き、というときになって美神はお光を呼ぶよう鷹羽に告げた。皆が出て入れ替わりにお光が来る。濃い茶色に黄色格子の着物を着た愛らしい姿。黒髪も乱れなく結われていて見違える。
  美神を上座において末様とお光が向かいって座る。お光はすでに泣きそうだった。
 「おまえの名は光だったのだな」
 「はい」
 「剣の修行をしておるとか。昔の我が身を斬り捨てたいとか」
 「はい」
 「うんうん、もはや言うこととてない、よかったなお光」
 「はい・・ありがとうございます」
  涙を溜めてうつむくお光。
 「芸者の修行もしたいらしくて」・・と美神が言うと、末様は微笑んで、目の前で正座をし膝に両手を置いて拳をつくるお光の手に、そっと手を置く。
 「さぞ美しい芸者となろう。よく立ち直った、立派だぞ」
 「はぃ、ぅぅぅ・・うぅぅーっ」
  泣いてしまうお光。そのとき末様の目も潤んでいると美神は思い、艶辰にとっても新しい風となると確信した。

  艶辰でそのようなことがあった少し前の刻限だったが、お艶さんと呼ばれる若い芸者の三人娘が、あの喜世州の座敷にいた。
  今宵の客は奥州街道へといたる浅草から蔵前あたりの旅籠の主衆が五人であった。歳の頃なら四十代の末から、上では六十を過ぎていて、その中の二人が三人娘にとってはご贔屓さん。あの夜の男芸者の二人のような拾い紙などはせず、一人が座って三味線を弾き、二人が踊り、お客に「はい」と言われたときにぴたりと止まる。踊り手がふらつけばその者が一枚脱いで、三味線が先に走れば座る女が脱いでいく。
  結局のところ三人ともに白い乳房も露わな湯文字だけの姿となる。もちろん座敷のさらに裏に布団が敷かれ、ただし客の側から無理強いできないという決まり。今宵のお客は決まりを守る上客だったし、歳が歳で、そういうことより見て楽しむ者ばかり。
  踊る二人はすでに桜色の湯文字だけ。若く張った乳房を揺らして踊り、三味線の一人だけが肌襦袢の姿。
  遊び慣れた二人はよくても、こういう席がはじめてだった三人の客たちは目を輝かせて笑っている。

  老いた一人が笑って言った。
 「ううむ残念、三味線の一人が残ってしまった、はっはっは」
  こういう席がはじめての一人が言う。
 「ほほう、脱いでも湯文字までということですか?」
 「辱めては可哀想というものです。これより脱がせてみたいなら心しかありませぬな」
 「ふふふ、なるほど。いずれ愛らしい娘たち。さあ皆々、もういいよ、こっちに来ておくれ」
 「はぁい」
  そうして三人ともに客の間に割って入り、酒の相手をするのだが、このとき湯文字だけの美介と恋介、一人残った肌襦袢の彩介。そのうちの彩介が口惜しがる老いた男の手を取って襦袢の上から乳房に添えた。
 「あぁぁ旦那さん、心地いい」
 「うんうん、よくやったよ彩介、いい子だねいい子だね」
  しなりと崩れて肩を寄せる彩介。男の老いた手が蠢いて乳房を嬲る。
  老いた男が周りに言った。
 「ほらごらん、こちらの心をちゃんとくんで、こうしてくれる。可愛いね彩介は」
 「はぁい、あぁん旦那さぁん」
 「しっぽり濡れたか?」
 「はぁい・・嬉しゅうございます旦那さぁん」

  そんな様子を笑って見ながら、美介も恋介も若く張った乳房を見せつけるようにお客の顔に寄せていき、恋介が、こうした席がはじめただった三人の中では若い一人に乳首を差し出し、男がそっと口づけた。
 「ぁ・・うふぅ・・心地いい、これからもどうぞご贔屓に」
 「うんうん、なんと愛らしい娘だろうね」
  とまあ、そうした席だったのだが、また別の老いた一人が、美介の乳房を肩越しに回した手で揉みながら言うのだった。

 「ここのところ、あんまりですかな。新しい上様が倹約家ということで、お役人様たちも泊まらず過ぎ去るようになってしまった」
 「ウチもですよ、以前はお出かけついでに泊まっていかれたものですが」
 「そうそう、そう言えばちょっと前に不思議なお客様がいましてね」
 「ほう? それはどんな?」
 「いえね、お泊まりの中にお武家様が三人おいでで、酔ってしまって妙なことになりかけたんです。相手はまだ若いどこぞのお内儀さんだったのですが、あれはそう七つか八つの子連れでして」
 「うむ、それで?」
 「その御内儀さんが廊下ですれ違ったときに酌をしろと言われたようで、嫌だとはねつけるとお武家様が怒ってしまい」
 「ほうほう。そうした方もおいでですからな」
 「ところがですよ、その連れのお嬢ちゃんが、にっこり笑って見つめると、どうしたことかお武家様方が呆けたように・・と申しますか、いきなり酔いが醒めたようにと申しますか、これはすまぬことをしたと謝って、その場がおさまってしまったんです」
 「なんとまあ、それはまたおかしな話で。すると何ですかな、その子に見つめられて人が変わった?」
 「そうなんですよ、まさにそんなふうでして。この美介に見つめられて、あたしなど狂ってしまう、そんなようなものでしょうかね、はっはっは」

  その夜のこと。艶辰に戻ったお艶さん。
 「そうかい、そんなことをお客が言ったか?」
 「そうなんですよ。夕べのお座敷がはじめてだった蔵前の旅籠の旦那さんなんですけどね。それだけのことなんですが気になったものだから」
 「うん、わかった、お手柄だったね。おいで美介・・」
  美神は両手をひろげて夜具の中に美介を誘い、帯を解いて白い裸身を抱いてやる。
 「あぁぁ庵主様ぁ・・ぁ・・あっ・・」
 「ほうらいい・・心地いいね・・ほうら濡れる・・しっとり濡れる」
 「はぁい・・あ、あ、あぁん」
 「さあ美介・・可愛がってやっておくれ」
  寝間着を着たまま膝を立てて腿を割る美神の奥底へ、美介は吸い込まれるように唇を寄せていく。

  さて、その同じ頃、別棟の空き部屋で末様と黒羽・・さすがにそこまでのことはなく、薄闇の中で宗志郎独りが横になり、ぼんやりと虚空を見つめていたのだった。
  どのようにして娘を操るのか。そこさえ知れれば敵もまた知れるやも・・と考えて、あの方ならもしやと思う。高輪にある湧仙寺(ゆうせんじ)という古くからの寺の住職であったのだが、齢はすでに八十をこえていて多くのことを知っている。
 明日にでも早速訪ねてみようと考えた。
  老中の戸田と言えば厳格厳正で知られた堅物。そんな男が色街の置屋に手の者を隠しているなど思いもよらない。
  知らぬことが多すぎると宗志郎は考えた。若くして家に背を向け、ろくに世を見なかった。なのにその一方で、女たちが命がけで動いている。恥ずかしい思いがして、だから眠れそうにもない。

 「眠れないの嬉しくて」
 「うむ、さあおいで、抱いてあげる」
  夜具を川の字にのべた虎介情介そしてお光。立ち直るきっかけをくれた宗志郎の剣が脳裏をよぎり、半裸とされて燃えるように恥ずかしかった己の姿を思い描く。
  夜具を抜け出し、寝間着を脱いで裸身となって虎介の布団へと潜り込む。お光の肌には尻にも背にも二の腕にも剣の稽古で青痣が浮いていたが、そこをそっと撫でられて、そしたら背中を情介にも抱いてもらえ、お光はそっと二人の萎えたものへと手をやった。
 「ふふふ、可愛い・・やわらかい」
  今宵の姉様たちは女のお客を相手した。どういうことがあったのだろうと考えると二人が哀れにも思えたし、逆に嬉しいかったんだろうとも思える。
 「ねえ姉様方」
 「うん、どうしたね?」
 「女のお客さんて、どうなんだろと思ってしまって」
  背中から抱く情介が耳許でささやくように言う。
 「あたしらの姿に震えるように抱いてくれ、しゃぶってくれて、奥の間に引き込まれることもある。抱いてといって脱いでくれると嬉しくてあたしらが泣いてしまうのさ」
 「抱いてって言う?」
 「言うよ。お体に尽くしてあげて、それからは手でやさしくされる。あたしらが出してしまうまで」
 「えー出すの? 心地よくて?」
 「もちろんじゃないか」
 「・・うん、わかった、姉様たちって女だもんね」
 「そういうことさ。だからお光と心は一緒。抱いてやってお光が濡れるとあたしらだって達していくよ」
 「・・うん・・そうだと嬉しい・・」
  それでお光は安心したのか、二人のものを握ったまま静かになって眠ってしまう。

  そして翌日、ぱらつく小雨の中を宗志郎は高輪に向かって歩いていた。

2017年11月12日

本格時代劇 白き剣(八話)

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八話 危うし美神


  墨田の流れにかかる橋を海の側から眺めると、河口に近く渡れば本所深川という永代橋、浜町から南本所へと渡る新大橋、両国から川を越える両国橋と順に川を遡上して、置屋の艶辰は永代橋を渡って左の新大橋寄り、宗志郎の小さな家は川のこちらを北へと歩き両国橋から渡った先ということになる。

  黒羽が宗志郎との一夜を過ごした二日後のこと。江戸城へ登城して普請場を見た宗志郎は、大工の棟梁である藤兵衛とともに城を出て、両国にあって藤兵衛が営む材木商の木香屋に向けて二人並んで歩いていた。
  夕刻には少し早い刻限ではあったのだが空には斑に黒い暗雲が垂れ込めていて、いまにも降りそう。陽が傾いて暗くなるより暗雲が夜を連れてくるといった様相だった。このとき宗志郎は、登城の後ということで濃い青の着物に灰色の平袴(ひらばかま)を穿いていたが、務めが木くず舞う普請場回りということで肩衣(かたぎぬ)までは身につけない。この上下で裃(かみしも)と言い、登城の際の正装ではあったのだが。

 「お察しするに懐具合がよろしくないようですな」
 「うむ、それもまた世のたるみ。されどこたびの上様はそのへんしかと見定めておられるゆえな」
 「左様でございますな。どのみち使えない忍びならば、お庭番なる者どもに見張らせようということで」
 「庭番はもとより紀州の身内。紀州の出の上様ゆえ、よって無駄な金もかからぬというわけさ」
  この頃幕府の財政は苦しかった。八代将軍吉宗は将軍となってすぐ、その立て直しに尽力した。使えない忍びに金を使わず紀州藩の身内であるお庭番を配そうと、城内の要所にそうした者どもの張り番所を置く。その普請を宗志郎が取り仕切るというわけだった。

  江戸城から日本橋北を抜けて両国へ。あと少しで川べりにある木香屋に着くというところで、藤兵衛は少し前をゆく女の背姿に目をやった。一見して若くはなさそう。とりわけどうということもない町女の着物に冬物の長羽織。しかし結い上げた黒髪は乱れなく美しく、遠目に見る立ち背の姿でさぞ美形と思える女はそうはいない。
  藤兵衛は言った。
 「あれは女将」
 「うむ女将? 艶辰のか?」
 「もちろん左様で。長く見知っておりますゆえ見まがうはずもなく」
 「ほう、あの者がのう」
  これから木香屋に顔を出し、早々に用件を済ませて今宵こそ行ってみようと思っていたところ。
  しかし藤兵衛は言う。
 「両国橋をのう・・ふうむ、はてさてどちらへ行かれたのやら」
 「どういうことだ?」
 「本所深川なら永代橋、ここらに用があったとしても帰りはまず新大橋があたりまえ」
  宗志郎はいっとき目を細めて見ていたがハッとする。
  その女将を追うように、少し離れて町屋の軒先に隠れながら歩む二人の影を見逃さなかった。
 「藤兵衛殿、ちと気になることがあるゆえ、すまぬが話は明日ということで」
 「はいはい、急ぐものでもありませぬし」
  藤兵衛は気づいていないようだった。

  尾けられている。女将はそれに気づいていて、だからあえて遠回りをしたに違いない。両国橋を渡れば南本所の雑踏。巻くこともできるだろう。
  藤兵衛と別れ、後を追って歩きつつ、宗志郎は、尾ける二人の町人は武士に違いないと考えた。どちらもが長い羽織りを着込んでいて片手を着物の内に隠しているから、おそらく刀を握って身に寄せていると思われた。
  そして両国橋。川中へ向かって高くなる傾斜を登って向こう側へと降りるのだが、傾斜の向こうへ消えて行く女将の足が速くなる。それにつられて男二人の追い足も増していく。
  そうやって橋を渡り切り、女将は左へと向きを変えた。本所深川とは逆向きにである。小走りに細道を行き、川に向かって向きを変えると、背丈ほどもある枯れススキの川原。草陰で巻くつもりなのだろうか。
  相手は男。女の足で逃げ切れるものではない。追っ手の二人も気づかれたと知って勢い込んで走り、捕らえるのか斬ろうとするのか、いずれにせよ尋常ではない様相。ススキ川原にはススキが刈られて人が歩ける道筋があちこちにはしっている。川で漁をするため、童どもが遊ぶため。

  あと少しで川に出るという背丈ほどのススキ群(むら)の中、女は懐から懐剣を抜き取って右手に持ち、柄を逆手に握って中腰に身を沈めた。この女もまたできる。構えに隙がなく、ふわりと膝を折ってしなやかに身構える。
  艶辰の女将もまた武家筋か、さもなくばくノ一。そうは思うのだったが、振り向いてキリとした眼差しを向けるその姿が、なんと美しいことだろう。宗志郎は息をのんだ。
  女は言う。
 「先刻ご承知なんだよ、このあたしに何の用だい!」
  追いすがった二人の男が長羽織の前をはだけ、思った通り、黒鞘の刀。反りのある武士の刀。案の定、町人に化けた武士である。二人ともに二十代の末あたりの若侍。それなりに使うと宗志郎は見切っていた。
 「聞きたいことがある、我らを甘く見るではないぞ、ともに来てもらおう」
 「しゃらくさいね、べらぼうめ。寄らば斬るは、あたしの台詞さ」
  おお怖っ・・男勝りな物言いが美しい見目形にそぐわない。
 「ならばやむなし、力ずくで取り押さえるまで」
  男二人が抜刀し、しかし刃を返した峰打ち剣。左右に散って囲みを絞る。
 「セェェーイ!」
  女一人を相手とする男の気合いもわざとらしい。声で脅す。相手を見くびった対峙のありよう。
  峰打ちで斬り込むも、女は胴を狙って横に流れる太刀筋を見事に見切って懐剣で敵の剣を跳ね、踏み込んで斬りつけるも、敵もまた瞬時に交わし、待ち構えるもう一人が斬り込んでいく。
  しかしそれも交わしきり、女は一歩後ろへ飛んで身構え直す。

 「ふむ・・やるな」
  少し手前のススキ群の草陰でちょっと笑った宗志郎。そしてそのとき女が言った。
 「あたしを狙ったからには生きて帰すわけにはいかないんだよ! 峰打ちとは笑止! ふんどし締め直してかかっておいで!」
  むぅ、すごい・・。
  さらに笑った宗志郎だったが、敵もいよいよ気を入れて身構える。
 「惜しい女よ、おとなしくすればよいものを」
  男二人が刃を返し、今度こその人斬り剣。追っ手を帰せばこちらの素性が知れるということ。女の言葉はそう受け取れると宗志郎は考えた。
  左右から二人が踏み込み、突きが腕を狙い、下からの斬り上げが脚を狙う。殺さず捕らえてお持ち帰りということか。
 「待てぃ!」
  ススキ群から剣に手を掛け、抜刀しながら駆け寄る宗志郎。男二人が振り向いた。
 「退いておられよ!」
  女にそう言うと、宗志郎のギラと光る白刃が、左右の斜め前から襲いかかる敵の剣をこともなげに振り払い、それでも身を立て直して襲いかかる左の男の剣と剣がぶつかって火花を上げた。
  キィィーン!
  敵の一刀を跳ね上げておき、その刹那、切り替えされた宗志郎の抜き胴が一刀のもと一人の敵を葬った。

  美神は目を細めて見守った。こやつは強い。鬼神の剣であり、そのしなやかな身のこなしと太刀筋は柳生新陰流・・いいや少し違うと感じていた。斬り込みが剛な剣さばき。
  残る敵は一人。敵は中段、こちらは剣の切っ先を後ろへ回す腰留めの構え。その構えはまさしく柳生新陰流。
 「いざぁ!」
 「おおぅ!」
 「トリャァァーッ!」
  キン、キィィーン!
  刃が二度交わって、宗志郎はあえて浅く一人の肩口を斬り抜いて、敵は剣を取り落として膝から崩れ、しかしもんどり打って背後へ転がり、腰から小刀を抜き去った。とても歯の立つ相手ではない。捕らえられれば詰問されるは必定。
 「我らを甘く見るでない! 不覚!」
  男は小刀を己の首にあてがって筋引きの自刃剣。血が飛び散り、男は目をカッと見開いて崩れ去った。
  敵の黒幕はよほどの者であったのだろう。たどられるぐらいなら死を選ぶ。それもまた武士らしいと宗志郎は哀しくなる。

  宗志郎は倒れた敵の着物で剣の血を拭い、回すでもなく、静かに鞘におさめていた。
 「大事ござらぬな?」
 「はい。どなたかは存じませぬが危ういところをお助けいただき・・」
  鈴の女声。美神もまた懐剣を懐にしまい、膝を浅く折って頭を下げた。
  なんと凜々しい若侍。鬼神のごとき剣も見事。美神はもしやと直感した。
 「私は葉山宗志郎、あやめ・・いや黒羽様とはなさぬ仲となり申し」
 「ふっ・・ふふふ」
  やっぱり。しかも身分違いの芸者ふぜいに様をつけて呼ぶとは、なんと男らしいお人なのか。あの黒羽がイカレる想いがよくわかる。
  しかしこれで艶辰の素性が知れると美神は思った。
  穏やかに微笑む美神のそばへ宗志郎は歩み寄る。見上げてしまう背の高さも男らしい。

 「いましがた藤兵衛殿と別れたばかり。今宵こそは艶辰へと思うておりました」
 「お光に次いであたしまで。不思議な縁でございますこと」
  宗志郎はちょっと笑ってうなずいて、そして言った。
 「あやめ・・いや黒羽より聞いております。あの折の小娘が立ち直ろうとしておるとか。それもまた女将殿へのご恩かと」
 「いいえ、それは黒羽そして鷹羽のお手柄。あなた様もね。ところで」
 「は?」
 「黒羽を、なぜにあやめと?」
  宗志郎は眉を上げた。あやめと呼ぶのが口癖になっている。
 「それはあの折、お二人をお見かけし、いずれあやめか、かきつばた。ゆえに鷹羽殿はかきつばた」
  美神は声を上げて笑った。

  それから歩みはじめた二人だったが、美神は、旗本の身分でありながらあべこべに半歩退いて寄り添ってくれる宗志郎を背に感じ、これほどの若侍には味方でいて欲しいと思っていた。
 「葉山様のようなお方に出会えた黒羽は幸せ者です」
 「いやいや、それを申さば藤兵衛殿の粋なはからい」
 「藤兵衛さんの? それは?」
 「ちょいと散歩のすぐそこに小さな家を目利きしてもらっており、その湯船、ちょいと大きく造っておいたと背を叩かれて、それならばと早速試しに二人でちゃっぷん」
 「ぅくくっ、そうですの? あっはっは!」
  たまらない。なんと粋なお人だろうと美神は笑える。このあたしを高笑いさせてくれた男は少ないと美神は思った。

  板塀に囲まれた艶辰が見えてきた。
  と、その板塀の切れ間の奥の引き戸が開いて、それぞれに美しい芸者衆が次々に顔を出す。いまにも雨になりそうで手に手に閉じた蛇の目傘を持っている。美しい女ばかりの黒羽織の艶姿は、ここがそういう町であることをうかがわせた。
  もうそんな刻限なのかと美神は思う。遠回りをしていて一刻半(三時間)ほども遅くなってしまった。
  戻って来る女将と、寄り添う若侍を見つけると、芸者衆はよそ行きの言葉を使い、それぞれに腰を折って頭を下げる。
 「女将さん、行ってまいります」
 「うんうん、すまなかったね、遅くなっちまった」
  男芸者の虎介情介、お艶さんの三人衆、それから鶴羽と鷺羽の二人であった。美神は問うた。
 「紅と黒は? 鷹もいないようだけど?」
 「はい今宵はお呼びがかからず」
  女たちの中ではもっとも姉様格の鷺羽が、女将の少し後ろに控える若侍の素性を察しながら言うのだった。歳では鶴羽のほうが三つ上でも芸者としては鷺羽が長い。
 「そうかい、ご苦労だね、行っといで」
  それぞれに頭を下げるも、皆が宗志郎に目をやってほくそ笑む。黒羽の姉様の色男。そう察していたのだった。

  七人の芸者たちは、それぞれのお座敷に向かって薄闇の中へと消えていく。
そしてその七人を見送ろうとしたらしく、すっかり元気になったお光がちょっと顔を出す。
 「おぅ、お光じゃねえか!」
 「え・・うわっ! あのときのお侍様!」
 「これお光、うわとはなんたる言いざまか」
  美神が笑う。小娘らしい驚き方だ。
  お光は宗志郎に向かいかけるも、家の中を振り向いてどうしようかと迷ったあげく、家の中へと駆け込んでいく。
 「姉様姉様っ! 葉山様がぁ!」
  宗志郎はちょっと頭を掻き、美神は小声で言うのだった。
 「ったく、どうしようもない・・あれでもあの子、剣を修行する身なんですよ」
 「ほう剣を?」
 「己の昔を斬り捨てたいって」
 「うむ、よかった。愛らしい娘ではありませぬか」
  二人でうなずき合って戸口をぐぐると、上がり框の際まで黒羽が迎えに立って
 やってきた。
  なぜか女将が連れて来た末様。黒羽は目を丸くして、間に立ったお光は双方を見比べるようにくすくす笑う。
 「ちょいとそこでバッタリだよ。夕餉の支度をね」
 「はい、それは・・」
  折り目の通った袴を穿く末様。黒羽は上目がちの目を送り、ちょっと笑う。惚れ惚れする若侍。

  末様は女将の目をものともせずに黒羽めがけて歩み寄り、そっと手を取る。
 「会いたかったぞ、あやめ」
 「ぁ・・はい」
  黒羽の黒目が大きく黒く輝いて、美神とお光が目を合わせ、お光が照れてちょっと首をすくめて舌を出す。
 「馬鹿だね、この子は。おまえが照れてどうすんだよ。ふっふっふ」
  とそこへ黒羽の肩越しに姉の紅羽が歩み寄る。宗志郎は黒羽の手を放してやって、歩み寄るうりふたつの姉に微笑みかけた。紅羽もまた穏やかに微笑んでちょっと腰を折って出迎える。
  姉が言う。
 「いらっしゃいまし。妹がたいそう愛でていただいておりますようで」
  宗志郎は見とれるように紅羽を見つめて言う。
 「いえいえ、それはこちらこそ。あやめ二輪の美しさ。女将さんは白き薔薇、そこな娘は花待ち蕾」
  と言いながら宗志郎は黒目を回して横目にお光にちょっと笑う。
  美神は、花待ち蕾と言われて嬉しそうにはにかむお光の背を叩いて言う。
 「はいはい、おまえは夕餉の支度にかかるんだよ」
 「はぁい」
  と、お光を奥へと追いやっておきながら、美神は、残った紅羽黒羽の姉妹に小声で言う。

 「不覚にも尾けられて襲われた。葉山様が救ってくださり・・というわけさ」
  これには紅羽黒羽がキリとした目を合わせ、二人して宗志郎に目をやって、かたじけないと言うようにわずかに目で礼を言ったのだったが、このとき紅羽はこれでこちらの素性が知れると考えていた。
  しかし美神はあっけらかんと明かしてしまう。
 「さるお方にお会いしてきた。ようとして知れぬばかりか、放った間者も戻って来ぬ始末。そなたらも気をつけろと言われた矢先」
  これには姉妹二人が唖然とし、宗志郎もまた美神の横顔をうかがう素振り。
  宗志郎ほどの使い手ならば、ぜひとも味方としておきたい。美神はそう思ったに違いなかった。
  美神は宗志郎へと澄んだ目を向けるのだった。
  宗志郎とて見抜いている。美神の目に対し、ちょっと目でうなずいて宗志郎は言う。
 「そなたら、もしやあの一件を? 紀州出入りの商家での・・?」
  美神はうなずき、言うのだった。
 「娘らを貶めるなど許せませぬ。わたくしは御老中、戸田・・」と美神が言いかけたとき、宗志郎は言い放つ。
 「それまで。皆まで申されずともよい話。言わずもがな拙者はお味方ゆえ」
  美神は安堵の笑みを浮かべてうなずいた。

  それにしても御老中とは・・指図元はかなりな御仁と察していたが老中じきじきの指図であったのかと、紅羽も黒羽も、あらためて美神を見つめた。


  白き剣 第一部。 続いて二部へ。