2016年11月27日

女忍 如月夜叉(序章)


序章~二本松の惨劇


 慶長五年(1600年)十月の関ヶ原の戦いから四年あまり。徳川幕府の開かれた翌年のことである。

 関が原に勝利し、江戸の春を迎えたとは言え、ゆえにいきなり太平の世が訪れたわけではなかった。西方には豊臣勢が依然としてくすぶっており、憂いを祓って江戸らしくなるまでには、慶長二十年(1615年)、かの大阪夏の陣までさらに十余年を待たなければならなかった。
 幕府が開かれたこの頃は江戸に不穏が満ちていた。たとえば東海道だけをみても江戸への出入りを監視する関所などはなく、江戸市中における町奉行所などが機能したのは三代将軍家光の時代となってから。後の繁栄を支えた日本橋を起点とするいわゆる五街道と、その宿場の整備も、その頃になって形になりはじめたもの。
 上方から江戸へと国の要は動いても、武家の都合で人心は動かず、この頃の江戸はどちらに転ぶかわからない危うさに満ちていた。徳川に遺恨を持つ者、逆に傘下(かさした)で一旗あげてやろうと目論む者・・さまざまな思惑を胸に人々が流れ込み、江戸の闇は黒かった。


 慶長九年、夏初月(なつはづき=四月)、陽光にぬるむ昼どき前の街道筋が重い沈黙につつまれていた。
 品川宿まであとわずかという道沿いに二本松と言われる場所がある。江戸へ向かって右が海、左が緑豊かな小高い丘となっていて、その丘の駆け上がりに見事な黒松が二本、枝ぶりを競うように生えている。駆け上がりを少し登ると江戸前の海を見渡せる、そんな場所であったのだ。

「なんと惨い」
「・・鬼の仕業さ」
「今年になって二人目だよ。この一年に四人も殺られてるんだもん」
 通りすがりの旅人も、町人も、百姓たちも、男も女も、顔色を青くして見事に張り出す松の太枝を見上げている。
 そのときになってようやく改め方(あらためがた)と称される役人が数人ぞろぞろとやってきた。
「これ、そこを空けよ」
「ううむ、またか・・」
「惨いことをしおってからに・・」
 役人どももまた呆然と見上げていた。

「あんたたちがしっかりしないからだよ! こんなことが続くんじゃ、あたしら大手を振って歩けないね!」
「おおよ、そうだそうだ! 徳川様は何してやがる! 下手人を捕らえてもらわねえと、こちとらおちおち商いもできやしねえ!」
 人々の声にも役人たちは黙したまま返す言葉もないありさま。

 二本並ぶ左の松の太枝に、無残に責め殺された若い女の骸が吊るされていた。
 女は素っ裸。片足吊りでだらしなく足を開かされて逆さに吊るされ、後ろ手に縛られて乳縄を打たれ、両方の乳首は抉り取られ、大きく開かされた腿の間の女陰(ほと=女性器)には、先を鋭く尖らせた太い木の杭が打ち込まれているのである。
 下腹の黒い翳りからも、乳首をなくした乳房からも、血がしたたって乾いている。
 真っ白な裸身には惨たらしい刃物の傷や火傷の痕。そして垂れ下がる顔の中で眼をカッと見開いたまま絶命している。もがき苦しみ死んだのだろう。
 役人たちは足首を吊るす縄を断って骸を横たえ、着ていた羽織を体にかけて、死に顔の瞼を閉ざしてやった。手を合わせて成仏を祈るが、このありさまで報われるはずもない。

 惨たらしく女陰を貫く丸太の杭には、四角く白い晒し布が小柄(こづか)で打たれ、朱色墨で「おしろい般若」と書かれてあった。この一年に四人の女がこうして殺され、決まって同じ文言が残されているのである。
「おしろい般若か・・ええい、くそ」
 役人の一人が思わずそう漏らし、別の一人が取り囲む人々を見渡して言う。
「誰ぞ、この女を知る者はおるか?」
「それを調べるのが役目だろうよ!」
「ほんとだよ、まったくもう! 白粉(おしろい)だか紅だか知らないけどさ、あたしゃ腹が立ってしかたがないね! なんとかしなよ役人だろ!」
 役人の問いに対して荒れた声があがったとき、取り巻く人々を押しのけるように一人の商人らしき男が進み出た。歳の頃なら四十過ぎ。旅の帰りらしく三度笠を手にしている。身なりのきっちりした男であった。

「もしや・・」
「うむ? 知っておると申すか?」
「へい。あ、いや、まだそうと決まったわけでは・・ちょいとよろしいすか」
 そう言ってさらに骸に歩み寄り、役人を押しのけるようにして死に顔を覗き込む。
「ううむ・・そうだ・・ああそうだ、違いねえ」
「知っておると申すのだな? 何者か申してみよ?」
「へい、両国の呉服問屋、橘屋(たちばなや)さんのお内儀ではと」
「お内儀だと? 娘ではなく女房だと言うのだな? 両国の呉服問屋か?」
「へい。つい先だって祝言を挙げたばかりでして。あっしも呉服商いで仲間なもんで祝言に出ておりやすから。・・ああ、そうだ、お梅さんに違いねえです」
「名をお梅と申すのだな?」
「へい左様で。お梅ちゃんに違いありやせん。歳は十八、つい一月前の祝言ですぜ」
「十八・・なんと・・まさに惨い」
 役人たちは顔を見合わせ、旅姿の男に言った。
「おめえ、ちと手間取らせるが一緒に来な、くわしく訊きてえ」
「へい、そりゃあもう。可哀想に、なんてことしやがる・・」

 女の骸は荷車で品川宿まで運ばれて、医者が呼ばれて検分される。
 この頃にはまだ奉行所などは定められておらず、改め方と言われる同心のようなものができはじめたばかり。その番屋が整備されだしたところであった。
 骸が運び込まれると、控えていた役人も含めて七名の侍が骸を囲み、その中で年老いた医者が裸の骸を調べていく。
「打ち込まれた杭は、女陰より入りて胃の腑にまで達しておりますな。切り取られた乳首はおそらくは鋏かと」
「鋏だと? 刃ではなく鋏なのだな?」
「いかにも。このように肌を挟んだ痕が残っております。それと火傷は・・惨いですな、女陰から尻の穴まで焼かれておりまする。腹にも尻にも火傷が残る。おそらくは焼いた鉄か、あるいは木か・・」
「ふうむ・・して、死するはいつ頃と観る?」
「さほど時は経ていないかと・・まあ一日か二日でしょうな」

 状況からして二本松のあるあの場で殺されたとは思えない。別の場所で責め殺されて、運ばれて吊るされたものだと思われた。
 この一年に、これで四人。まったく同じ手口で殺されている。「おしろい般若」という文言もまったく同じ。朱墨で書かれた女文字だと思われた。
 老いた医者が呻くように言う。
「可哀想に・・さぞ苦しんだことでしょうな」
 役人の一人が吐くように言った。
「許せん。許せんが、しかし・・」
 同心や岡っ引きという組織がなく、調べようがないというのが実情だった。
 骸に晒し布をかけ、改め方の役人たちは目を伏せた。

 医者が帰って二刻(四時間)ほどして・・早馬で知らせを聞いた橘家の若旦那が年増の手代を連れて番屋に飛び込んで来たのだった。歳の頃なら二十二、三か。激しく息を切らせている。両国から品川まで走り通してきたのだろうか。
「あっしは両国の橘屋でございやす」
「うむ。若旦那だな?」
「へい、仙吉と申しやす」
「そうか・・そこだ、確かめよ」
 役人に指差され、若旦那は体を覆う白布を剥がすことを躊躇して、けれどもう泣きながら覆いをめくり・・。
「ああ、お梅・・なんてことだ・・へい、お役人様、女房に違いありやせん。可哀想にお梅ーっ! うわぁぁーっ!」
 その場に居合わせた皆が顔をそむけた。役人も人。涙を浮かべる者もいる。

 数日前、お店(おたな)の用で出かけたきり戻らない。両国あたりの改め方に届けを出したところだったと、若い亭主は泣き崩れた。