2016年11月27日

女忍 如月夜叉(十一話)


十一話~ひとときの夕餉


 夕刻前になって屋敷の厨に江角とお雪が立っていた。江角は武家の娘として躾けられ、お雪はもともと女らしく、二人ともに料理は上手い。
 米は米屋が届けに来て、芋や野菜は行商が売りに来る。そのほか鍋や釜や、まるで物の置かれていなかった厨にも女たちの暮らしの支度が整った。
 時刻が暮れ六つ(六時頃)となったとき、暗くなりはじめた中をお燕が一人で戻ってきた。源兵衛とは屋敷の前で別れたと言う。道筋が同じであり、源兵衛に送られれば安心できる。お燕は厨に立つ姉様二人のそばへと嬉しそうに歩み寄る。

「あたしも手伝いますから」
「ありがとね、けどこっちはいいよ。それより嵐のところへ行きな、なんだか話があるようだ。二階にいる」
「はいっ!」
 そして背を向けざまに、大きな丸サバの塩焼きが六皿あるのを見て、お燕は弾けるように笑った。今宵は夕餉だけ食べて帰るつもりでいたお燕だった。
 そのとき、嵐それにお涼とお菊の三人は二階にいて、部屋割りを話していた。
「姉様、お呼びだそうで?」
「ああ、お燕、戻ったのかい」
「はい。江角の姉様が上へ行けって」
「うん、ちょっと入りな」
 襖の外で声をかけ、襖を開けたお燕は、女三人が話し込んでいた様子を察して、ちょっと臆病な顔をした。
 嵐は穏やかに言う。

「あのね、おまえ荷は多いのかい?」
「荷? えっえっ?」
「長屋にだよ。持って来るものがあるだろうから、お涼お菊と行っといで。部屋割りのやり直しさ。あたしと江角が八畳、お涼とお菊、それからお雪とおまえだよ、それでいいね? とりあえずはそうしようって話していたところなのさ」
 お燕はきょとんと目を丸くする。
「居ていいの? 今宵から?」
 嵐は笑って微笑んだ。
「瀬田様にああまで言われちゃしょうがない。はいはい、さっさと行って取っといで、夕餉に間に合わなくなっちまう」

 お燕は黙りこくって両手を胸に抱くように、涙をためて三人を見回した。
「ほれ早くっ! 暗くなっちまうだろ!」
「行くよ小娘! よかったね、あはははっ!」
「はいっ!」
 お菊に尻を叩かれて、お燕はぱぁっと笑顔に戻った。

「・・たまらないね」
「ほんとだよ、可哀想に・・」
 一度は二階に上がって行って、三人揃って出て行ったお燕を見送って、階下の厨で江角とお雪が話していた。お燕の目が赤かった。

 お燕の住む長屋は、屋敷からなら海側へと少し下った目と鼻の先。隣戸には源兵衛もいて、布団それから着替えや寝間着と運び出すのを手伝ってくれる。 四半刻(三十分)もしないうちに屋敷に戻り、板の間の広間に六人で膳を囲む。座卓ではない。それぞれに膳が配られて正座で食べる夕餉であった。
「ぁぁ美味しいっ!」
「そうかい?」
 朝市で仕入れてあったアジの焼き物、野菜の焚き物、味噌汁に飯だった。
「できるんですねっ、お料理」
 江角が苦笑した。
「・・あのね、叩っ斬るよ・・ふっふっふ、できます、このぐらい」
 お燕一人が加わるだけで、昨日会ったばかりのくノ一たちは笑顔になれた。  食べながらお雪が言う。
「いまごろきっと百合花様・・うぷぷっ」
「はいっ、先ほどお見えになられて、もうねちゃねちゃと」
「ねちゃねちゃねー・・なるほど、それりゃそうだ」
 お雪が声を上げて笑い、そしてそのついでに江角は言った。

「瀬田様だろ、このお役目の大元は?」
 口を開けて飯をほおばりながら、お燕はちょっと困ったような顔をした。
「言っていいのかな・・叱られそう」
「かまわないよ、仲間同士の内緒話さ」
「そう? なら言うけど・・逆なんだなぁ」
「逆?」
 江角はとっさに嵐に視線をやって探り合う。
「庵・・じゃなくて百合花様は、あたしのこともあるし、押し込み野盗は多いし、今度のことにしたって惨い仕打ちにお怒りで、瀬田様に逆に詰め寄ったそうなのね」
「何とかしろって?」
「そうです。そしたら瀬田様が上にかけあって、面倒な話を持ち込むならおまえがやれって任されたそうなんですよ今度の始末を。でも瀬田様じきじきには動けない。それで百合花様は、それなら私がやる、許せないって。女の敵は女が葬るって。それもあって法衣を捨てるとおっしゃられて」
「・・なるほどね」
 これですっきりした。存分に働けると皆は思った。

 そのとき百合花は、その力量を知り尽くした如月の嵐がどうしても欲しかった。妹であり信頼できる。他の四人は、散り散りとなった名うてのくノ一の所在を公儀の忍びである甲賀衆がつかんでいて呼び集めた。そうに違いないと嵐も江角も考えた。
 お燕が困ったように言う。
「あたしが言ったって言わないでくださいよー」
 お雪が意地悪な眸を向けた。
「言うかもね」
「ええー、嫌だぁーっ!」
「ふふふ、嘘だよ。でもお喋りの罰は・・お皿洗ってもらおうか」
「はいっ! ああびっくりしたぁ!」
 皆がくすくす笑って、身悶えするようにくずる小娘を見た。
 夕餉を済ませてお燕とお涼で片付けて、それから風呂。ここは忍び屋敷であって、つまりは忍びの詰め所であり、風呂も広く造られて大人の男四人が入れるようになっている。

 流しに立って後片付けをするお燕とお涼、それに嵐を除いた他の三人がまず入り、上がったところで三人が湯へ向かう。そのときには寝間着姿で下は裸。脱衣に立って帯を解くだけで女たちは素裸だった。今日は買い出しなどいろいろあって汗をかいた。お燕は一日働いている。それで三人は結い髪も降ろしてしまって、お燕と嵐は長い黒髪を垂らしていた。色気の漂う光景だ。体の大きなお涼一人が江角よりも髪は短い。
 そしてそのとき嵐もお涼も、お燕の若くみずみずしい姿に目をやった。十七となり、いつでも嫁に行ける歳。尻は張って乳房も膨らみ、下腹の毛も黒々と揃っている。肌が白い。傷などどこにも見当たらない。嵐にも目立った傷はない。
 それに対してお涼には脚や腕に小さな傷が無数にあった。草原を駆け抜けるときにイバラで深く引っ掻いたような傷である。イバラは鋭く針のようだ。

 洗い場で掛け湯を使うとき、嵐はお燕をしゃがませて、手桶ですくった湯を流してやる。張り詰める若い肌が湯を弾くようだった。
 この子といくつも違わない娘や若い妻たちが惨殺される。許せない。嵐もまた思うところは同じ。
 お燕が言った。
「嬉しいなぁ・・夢のようだ」
 お涼が言った。
「そうかい? 可哀想に、辛かったんだもんね」
 お燕は正直にちょっとうなずいた。
「あたしなんかそうでもないけど・・瀬田様に救われて百合花様に救われて。けどあたし、やっぱり独りで・・おっ母が恋しくて・・」
 お燕は涙を浮かべて肩を震わせる。
「おいで、もう泣かないの」
「はい・・」

 立たせたお燕を、お涼が大きな体で抱きくるむ。えーんえーんと子供のような泣き声が屋敷中に響いていた。湯船に浸かり、お涼と嵐の二人で抱いてやる。
「今度のことだけじゃないからね、おまえを泣かせた奴らだって、あたしらが許さないから」
 お涼は言い、お燕の頭を手荒く撫でた。
 この子が絆をつくってくれる。如月夜叉は、これでまとまると嵐は感じた。
 それにしてもお涼とは、見た目は男のようでも心がやさしい。はじめて会ったあのときから、お涼は変わったと嵐は思った。
 嵐が訊いた。
「おまえ、好いた人は?」
「ううん、いません、そんな。瀬田様がそのうち世話してやるって言ってくれて」
「ほう? あらそ?」
「はい・・へへへ」
 お燕は恥ずかしそうに舌を出し、「姉様たちは?」 と思わず言って、しまったというように俯いてしまうのだった。
「あたしは・・もう昔のことさ・・忘れたね男なんざ」
 お涼が言った。
 それを聞き流して嵐が言った。
「あたしは天に任せっきりさ。こればかりはねぇ。くノ一などいつどうなることやら。そう思うと諦めようとしてしまう」
「・・ごめんなさい、余計なことを言いました」
「いいんだよ、あたしら強いから。そんなものに潰されてるようではやっていけない・・これまではそうだった」
 お涼が言って、嵐が同じことを言う。
「そうだね・・これまではそうだった」
 それから嵐は明るく言った。
「けど・・これからは違うよ、もう潜むだけの忍びじゃない。みんなまだ若い。百合花様をごらんよ、憧れるほどの女だもん。あたしらだって負けてはいないさ」
「はいっ」
「だからお燕、あたしらを身内と思って強くなるんだ、いいね」
「はいっ! ああ姉様、ありがと・・あたしだめ、泣いちゃうから・・」

 風呂場のすぐ外でお雪が盗み聞いていた。お雪も目を潤ませた。
 江角もお菊も心が震える。
 お燕が絆をつくってくれる。江角も同じことを考えていた。くノ一ばかり。なまじ腕が立つだけに、いつか互いを牽制し合う。役目のためではなく、いとしい者を守るために戦う。これほど強い絆はないと思うのだった。

女忍 如月夜叉(十話)


十話~錦絵侍


 百合花が去って、ほどなくしてお燕が嬉しそうに駆け込んでくる。店のほうは、いましばらくは源兵衛一人で事足りる。どのみち客が入りだすのは昼過ぎから。それまではいいと言われたとお燕ははしゃぐ。
 日陰を歩んだ五人にとって、お燕は眩しい存在だった。素直で気立てのいい娘といると自分までが穢れ(けがれ)を祓えたような心持ちになれる。
 六人で町へと繰り出した。今宵からは屋敷の厨で飯をつくる。揃えなければならないものがたくさんあった。五人ともに忍び。このような日和のいい日に小袖姿で連れ立って市場を覗いてまわるなど、これまでなかった暮らしである。

 この頃の品川宿から芝にかけての道筋は、江戸前の海にも近く、武家屋敷よりも寺と更地、野原が目立ち、関ヶ原の戦いからいよいよ江戸に移るということで、そこらじゅうで武家の家が造られはじめていたのだった。江戸の大工だけではまったく足らず、そういう意味でも人々が流れ込んでくる。活気にあふれる後の大江戸への創世期であった。

 お燕を加えた六人でそぞろ歩く。海沿いに造られた市場には、荷車や担ぎでやってきては店を開く行商も入り混じり、活気に満ちて騒がしい。このあたりにはもともと魚屋と八百屋が並んでいて、米屋やよろず屋が荷車でやってきたのがはじまりだったと言う。いまでは毎朝市が立ち、暮らし向きに必要なもののほとんどがここで揃う、お店街となっている。お客は寺の者、武家の者、それらの下働きから町人まで身分の別なく集まってくる。ほとんどが女たちだ。
「よーよー、こりゃまたぞろぞろ、いい女! 安くしとくぜ、覗いてけ!」
 ねじり鉢巻の若衆だった。二十代の漁師らしい。よく陽に焼けて、まくりあげた着物から覗く腿まで黒い。
 女郎花=お雪が応じた。色仕掛けを役目としたお雪は男の扱いに慣れている。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、あんたもいい男だよ。うまそうな魚だねっ」
「おうよ! 今朝方オラが獲ったもんさ、うめえうめえ! おめえさんもうまそうだがよ! はっはっはっ!」
「あたしゃ高いよっ、おまえさんじゃ手が出せないねー、あっはっはっ」
「おうおう、言う言う! あっはっはっ! 気に入った、持ってけ盗人!」

 丸々と肥ったアジやサバや黒鯛や、イカもタコも並んでいる。
 お燕が眸をキラキラさせて行商の荷車に取り付いた。店を構えた魚屋よりもこういうところが安いもの。しかしろくに買い物などしたことのなかった五人にとってはそんなものかと思うだけ。あたりまえの女の暮らしが眩しく思えた。
「いいアジだねっ、いくらだい?」
「おうよ、一匹一文! 三匹二文だ! あんたら六人、六匹で五文でいいぜ!」
 小娘と活きのいい魚屋とのやりとりが面白く、五人は囲んで笑い合う。
「ええー、それヘンだぁ!」
「何がヘンでい?」
「だってさー・・じゃあさ!」
「おうよ! 言ってみ、べっぴん小娘!」
 お燕はお雪の袖を引きながら喰ってかかった。
「あたし三匹、こっちの姉様も三匹、そうすりゃ四文でいいんだろ!」
「むっ・・むむむっ・・むむむーっ」
「違うってかい! ソロバン入れてみ! うひひひっ!」
「あっはっはっ、困ってる困ってる、あっはっはっ!」
 大声で笑いながら、お雪は心の中で泣きそうだった。解き放たれた女の幸せなど、とうに諦めたはずだった。

 そのときだ。少し先に人だかりができていて、争う声が聞こえだす。

「尾張のもんだとこらぁ! なもん、ここらで売るな、けえれけえれ!」
 一見して三十代とまだ若いが、粗末な身なりをした担ぎ女(行商人)が、道端にムシロを敷いて店をひろげ、西国で仕入れたという小間物を売っていた。それにごろつきどもがからんでいる。若い男が三人、地回りらしい。それもまだ小僧であった。
 何事かと六人が近寄ると、荷車で餅を売っていた年増の女が言った。
「ここらの元締めが死んじまって代替わりしてからこうなのさ。よそ者を虐めるようになっちまった」
 五人は顔を見合わせて、お燕まで六人でさらに歩み寄る。助けてやるのは容易だが目立つことはしたくない。
 商いの女は弱そうで、苦しい日々にやつれたようにも思われた。

 さて、どうしたものか・・。

 しかしそのとき、周りを囲んだ女たちから声が上がった。
「わぁぁっ、錦絵侍だぁ、いいところへ来たよー、助けてやってなー」
 ハッとしたようにお燕が顔を上げ、人混みの中にその侍を見つけて、ぱぁっと笑う。
「ああ瀬田様ぁ、助けてあげてー!」
「おろ? お燕じゃねえか、こんなところで」
「はいっ! うふふっ!」
 人混みから歩み出た侍は、まさしく錦絵(後の浮世絵)から抜き出たような男であった。
 紫帯の白い着物。品のある白い草履。細面で色白。月代(さかやき)を剃り上げず、それにまた鮮やかな朱色鞘の大小を腰に差して、どこから見てもお役者のよう。芝居の女形がそのまま歩いているようだ。歳は三十九であったが、とてもそうは見えなかった。若い。
 お燕が五人にこそっと言った。
「あのお方です、庵・・じゃなくて百合花様のいい人」
「ああ・・そうなのかい・・」
 惚れ惚れするいい男・・嵐や江角はともかくも、お雪もお菊もお涼も、皆がぽーっとなって見とれている。

 瀬田と呼ばれた錦絵侍は、ごろつきどもと女の間に割って入る。
「おいおい、いいじゃねーか、見ての通りで小商いだ、ケチくせぇことするんじゃねえ」
「何だとてめえ! 気色悪い女面でしゃしゃり出て来やがって! おい、やっちまえ!」
 ごろつきども三人が長ドスを抜いて襲いかかった次の一瞬、勝負はあっけなくついていた。目にもとまらぬ速さで身をさばき、朱色鞘から抜き去られた白刃がキラリと舞って、ごろつきどもの町人髷をふっ飛ばし、男たちはざんばら髪。そしてまた一瞬後に刃は鞘に収まっていた。
 頭に手をやって、なくなった髷を探り、目を吊り上げる男たち。
 瀬田は涼しい眸で言い放つ。
「二度と来るな、次には殺るぞ」
「ひええーっ、逃げろーっ!」
 尻に火がついたようにすっ飛んで消えていく。
「おととい来やがれ、クソちんぴらー! あはははっ!」
 町女たちが囃し立て一斉に錦絵侍に群がったが、しかし瀬田は、そんな女たちを掻き分けると、因縁をつけられていた商い女の前にしゃがみ込み、肌の荒れた女の手を取る。

「おまえさん、怪我はねえな」
「はい、ありがとうございましたお武家様」
「なあに、いいってことよ。ときにおまえさん、どっからだい?」
「はい、あたしは尾張商人の売り子です」
「ほほう、売り子? てえことは、その商人が仕入れたもんを売っている?」
「はい左様で。親方が上方で仕入れたものを、こうしてあちこちで」
「売り子はほかにもいるんだな?」
「はい、二十人ほどが方々に散ってます」
 瀬田はうんうんとうなずきながら女の手を撫でてやり、立ち上がりざまに言う。
「せいぜい励みな、じゃあな」
 瀬田が女を離れると、待ってましたと町女たちが群がった。
「ああんもう、やさしいんだからぁ・・ねえねえ抱いとくれよー」

「・・居合だね」
「うむ。それも並みの手合じゃない・・強い」

 嵐と江角が小声で言った。
 まつわりつく女たちの尻を撫でたりしながらキャーキャー騒がせ、小憎らしいほどの流し目で囲みを抜けて、瀬田はまっすぐお燕に歩み寄る。
「久しいな、お燕」
「ええー、一昨日会ったぁ! あははは、嬉しいなぁ!」
「ほうかほうか、一昨日会っても嬉しいか? ふふふ。おめえもいい娘になりやがって。脱がせりゃさぞかし香しい。舐めて甘く、ほおばりゃ、ほっペが落ちちまう」
「嫌ぁぁん、もう、恥ずかしいぃ・・」
 そして・・お天道様の真下ですっぽりお燕を抱いてやる。若いお燕が腕の中でしなるほど。

 キザったらしい・・いかにも江戸の小粋さだ。

 しかしその振る舞いはあっけらかんと、まさしく芝居のようでイヤミがなかった。 お燕は崩れそうな笑顔で間に立って五人を引き合わせ、それから七人でそぞろ歩いて屋敷へ戻る。
 瀬田は五人の女たちには微笑むぐらいで、屋敷への道筋をさっさと先に歩いて行く。
 百合花から聞かされているのだろうと、このとき皆は考えた。
 どことなく彪牙に似ている。江角も嵐も、くしくも同じことを考えていた。
 お燕が袖を引いて甘えた声で言う。
「あ、そうだ、ねえ瀬田様からもお願いして。あたしねっ、姉様たちと一緒にいたいんだ、いいでしょう」
「あの屋敷にか?」
「そうだよもちろん。ねえ瀬田様ぁ、庵・・じゃなくて百合花様はね、みんながいいならいいよって言うんだよー」
 べたべたに甘えるお燕。瀬田は大げさに眉を上げて首を傾げる。
「わかったわかった、頼まれれば嫌とは言えねえ錦絵侍・・しかしな、お燕よ」
「はい?」
「そろそろ童じゃあるめえし、人にものを乞うときには、それなりの見返りってえものがいる。ちょいと向こうを向きな」
「向こう? こうかい?」

 後ろを向かせ、小娘の尻を両手でそろりと撫でまわす。
「ぁきゃ! もうっ助平ーっ! あはははっ!」
 そして瀬田は五人に向かって眉を上げた。
「ま・・てえことでよ、考えてやっちゃくれねえか。お燕は寂しいのよ、ひとつ頼むぜ」
 そのとき嵐は、それには答えず、眉だけをちょっと上げて微笑んだ。
「わぁぁ、やったぁ!」
 そんな様子に飛び上がって喜ぶお燕。皆はただ唖然とするだけ。
 ますます彪牙を思い出す、江角と嵐。
 そしてお燕は屋敷には寄らず、そのまま香風へと去りかける。
「じゃあたし、お店があるから」
 瀬田が呼び止めた。
「お燕」
「あ、はーい?」
「今宵・・そう伝えてくんな」
「あいよっ! 喜ぶよー、庵・・じゃなくて百合花様! あはははっ!」
 童のように走り去って行ってしまう。

「・・よかった」

 そんなお燕を目を細めて見送る瀬田の横顔を、このとき嵐は見つめていた。 鼻筋の細く通った女のような美顔。かすかだが香木の香りがした。
 気配に気づいた瀬田が言う。
「あんとき丸裸に腰巻きを巻き付けてやがってな。膨らみだした乳まで見えた。可哀想に泣いて泣いて・・たった独りになっちまった」
 やさしい男・・五人の女たちは眸を流し合う。瀬田は臆することなく屋敷に上がり、茶を出されて、女五人に囲まれた。
「お初だな、みんな」
「はい」 と、嵐が応じた。
「そなたらのことも聞かされたさ。哀しいものよ、くノ一とは。だがそれも、これからは幸せってもんだぜ」
「どうして? どうしてそう言える?」
 白狐=お菊が斜め視線を投げかけた。お菊は芝居がかった男が得意ではなかった。

 瀬田は目を伏せてちょっと笑う。睫毛までが女のように長かった。
「だってよ・・」
「百合花様に率いられてか?」
「そうそう、それもある。俺にとっても観音様でな」
「惚れてるんだね」
「ああ惚れてる。こう見えても家康様の腹心、いまは亡き井伊直政様の家臣でな、俺の親父殿がよ。六十七だがぴんぴんしてら。しかして俺など三男坊、いてもいなくてもいい身の上。それでふらふら放蕩三昧ってぇ訳だが。そんときにお燕と出会い、たまたまそこにあった尼寺を覗いてみた。庵主はやさしく、お燕を抱いて涙していた。・・ふふふ、叱られたもんだぜ」
「叱られた?」
「こっぴどくな。錦絵なんたらと知られていたからな。いい歳をして情けない、それでも武士か・・娘を救うなんていいところもあるんだから、ちゃんとしろって怒鳴られた」

 皆は黙って瀬田を見つめた。思い出すような面持ちに百合花への想いが滲んでいる。
「惚れたね・・法衣をまとう尼さんを押し倒し、着物をまくって女陰を舐めてやったのよ」
「んまっ! 恥ずかしくないのかい、しゃあしゃあと」
 お雪だった。お雪は眸を輝かせている。お涼もそうだしお菊もそうだ。
「恥ずかしいものか、女に惚れるは人の常。そんとき庵主はこう言った。ともに地獄へ堕ちてくれるなら煩悩に戻ろうと・・女に戻ろうと言ってくれた。尼に対して不埒にも勃つものを庵主はしゃぶってくれてな・・嬉しいよって泣いてくれた。観音様さ・・百合花がすべてよ」
 女たち五人は胸が熱く、女陰が濡れだすような心持ちとなれていた。

 この時代の侍で、人前でここまで性愛を言える者などいない。
「愛おしい・・それはそれは美しい肌身でな・・ふふふ、ああ百合花、逢いたいなぁ」
 馬鹿馬鹿しいほど純な奴・・嵐はそう思って見つめていた。
「お、そうだ、ときにお燕のことだがよ」
「ええ?」
 それには嵐が応じた。
「置いてやってくれねえか。襲われれば足手まといとなるだろうが、お燕はそれをもいとわねえ。生きる喜びを見つけたのさ。江戸のために働くそなたらをちょっとでも支えたい、そのことで亡くした親に報いたいし、親代わりとなってくれた百合花にも報いたい。そう思っているんだぜ」

 嵐より先に、お菊が言った。
「わかってるよ、いい子だからね。女の寂しさなど、あたしら一人残らず知り抜いてるさ」
「寂しいか・・そうか・・」
 そして瀬田は、そのときそばにいたお菊の手を取って、そっと引き寄せ、手の甲に口づけをする。
「な・・何をする・・ンふ」
 お菊はどきどきしていた。見れば見るほど美しい男。侍に対して美しいなど、これほど食い違う言葉もないのだが、白い能面のやさしみのような、たまらない微笑みだった。
「おめえの名は?」
「菊だよ」
「お菊か・・ふふふ、風呂入ろ」
「な、何を言うかっ! 怒るよーっ!」
 お菊は赤くなっている。
「あっはっはっ! おっといけねえ、長居しちまった。みんな幸せに暮らすんだぜ、あばよ」
 眉を上げ、小首を傾げて、刀を手にひらりと身を翻す。あまりにも芝居がかり、五人が呆然とする中で、瀬田は風のように去って行った。

 お雪が囁くように言う。
「・・どうしよう」
「何がさ?」
 お菊が横目をやった。
「濡れちまった・・きっともうヌラヌラ・・」
「い、嫌だよ、もうっ! どいつもこいつも!」
 皆で笑う。
 いましがた一閃した、あの居合の技。瀬田は強い。それだけに皆は男の悲哀を感じずにはおれなかった・・のだが・・。

「どうやら知れたね、あたしらの雇い主が」
「おそらくね」

 嵐と江角の声に、大柄でも賢そうなお涼が言った。
「そうだろうね。いくら庵主様でも口が軽いと思ってさ」
「井伊様のご家来筋か・・一人千両なんて、そうでもなければ用意できない」
 瀬田は公儀の側にあり表立っては動けない。このとき皆は、上からの指図が瀬田を通じて庵主に降りたものだと思っていた。

 家康の腹心中の腹心、井伊直政は、『井伊の赤備え』と言われる赤い甲冑で敵を震え上がらせた猛将だったが、関ヶ原で受けた傷がもとで二年ほど前に逝っている。
 瀬田の父がその直政の家臣。その線で与えられた役目ではないかと皆は思った。