女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。


四話~密やかな喘ぎ


「はぁぁ・・おぞましきかな女人の性(さが)よ・・死せば地獄・・わたくしなど死せば鬼の慰み者・・はぁぁ・・あ、あ、くぅぅン」

 男を下に、屹立する強いものを濡れそぼる女陰に喰らい、素裸となった白い百合花は、腰を振り立て達していった。男の手に熟れた乳房をくるまれて揉みしだかれ、腰を浮かせては打ち付ける激しい性に耽溺する。
 けれども声は穏やかだった。くぅぅン・・と子犬が甘啼きするように密やかな喘ぎを漏らし、がっくりと裸身を折って崩れていく。

「そなたとは死してなお夫婦でいよう。共に逝こう。地獄であるならそれもよい。愛しきおなごよ、ああ百合花・・」
「嬉しいわ瀬田様、抱いておくれ、もう一度・・幾度でも夢の中へと誘って・・」
 二度目の性は穏やかだった。瀬田昌利は数えでひとつ下の三十九。いきり勃つ若さから穏やかな勃起へと変わりゆく頃。
 それに比べてひとつ上の百合花のほうが、あさましく性を貪って、樹液を喰らう獣のように果てていく。
 昌利は、そうした百合花が愛おしく、二度果ててなお裸身を抱き、手放そうとはしなかった。

「まただそうだな」
「ええ・・今度は呉服問屋の若いお内儀。酷いやり口が許せない」
「おしろい般若とは人を喰った名だ、許せぬ」
「おそらく女の仕業でしょう。弱い女を相手にあれほど酷いことをやってのけられるのは女をおいてありません」
「女は怖い・・そなたもそうか?」
「はい、わたしくしも・・ふふふ・・ああ瀬田様ぁ、愛おしや、愛おしや、わたくしの瀬田様ぁ・・」
 むしゃぶりついて百合花は抱かれた。裸身を絡めて抱きすがり、そのまま闇へと転がるように眠ってしまう。
 瀬田昌利は三男ながら、登城して江戸のために働く男。月に数度の逢瀬が夫婦としての時だった。尼僧から煩悩に憑かれた女であり、ましてや身分の知れない年増の女では妻として到底認められるものではなかった。

 しかし百合花は、それを悲しく思わない。一度は捨てた女人の性に戻れたことが何より嬉しく、死してよりの地獄をも苦にならない現世の愛に浸っていた。
 安堵して深く眠り、けれども涙が頬を伝った。
 気づいた男がそっと指でなぞって拭いて、その涙を舐めてやる。
 もうしばらく・・いずれ許されるときがくるのなら、昌利は職を辞して隠居となり、百合花と共に暮らすつもりでいた。

 翌朝になり。
 甘味処 香風のはじまる朝の四つ(十時頃)の、さらに一刻ほど前の刻限となって、瀬田はいつの間にか消えている。
 次はいつ逢えるのだろう。一人きりの店にいて、決まってこのとき百合花は涙を浮かべるのだった。
 そうするうちに源兵衛とお燕がやってきて、いつもどおりの朝がはじまる。
 その日は昼過ぎになって、紫頭巾で顔を覆った若い女がやってきた。武家の若き御新さん(妻)。悩みがあってやってくる。通称庵主様は口伝てにひろまっていて、またこの頃の甘味など婦女子しか口にしないものでもあって、お客は大半が女であった。

「庵主様、どうぞお頼み申します」
「これはどうも、どうぞこちらへ。今日はまた何かおありで?」
「それが・・主が少し変わっております」
「と申されますと?」
「あのときに・・夜のその・・」
「・・ああ、はい。それでどのような?」
「いやらしいものをしゃぶれと申しまして・・それからあの、お尻の・・不浄の穴に入れようとまでするのです」
「まあまあ・・おほほ、仲睦まじくてよろしいではございませんか」
「そうなのですか? わたくしなど尋常ではないと思うのですが?」
「いいえいいえ、仲睦まじいことですわ。それは少しもおかしなことではありませんよ」

 この頃の武家の妻は厳格な家に育てられ、そういうことをほとんど知らずに未通(おぼこ)のまま嫁いでくる。
 香風を訪ねてくる女たちの悩みは、武家や町人の別なくだいたいそうだ。若ければ性的な趣向のことや姑との不仲。歳が進めば不貞であったりもする。主の不貞よりも自身のそれに苦しんで、話し相手を求めてやってくる。
 女たちは皆、相手は尼僧だと信じていた。百合花は日中頭巾をかぶって髪を見せない。剃髪していると思う者も多かった。

 百合花は若き妻の手を取って微笑んだ。
「殿方とはそういうものです。そうやって妻を愛おしみ、さらにまた愛おしさをつのらせていく。恥ずかしがったり、ときには怒るふりもして、上手に操っていきませんとね」
「けれどもあの・・白き精を飲めなどと・・ああ言葉にするのも恥ずかしや」
「うふふ、うぶなお方ですこと。初々しくてそれはそれでよろしいのですが、わたくしとて、かつては女人の性(さが)に悩んだもの」
「庵主様がですか?」
「そうですとも。わたくしとて生まれながらの尼僧ではありませんゆえね。愛おしさがつのればどのような性技にも応えてあげられるはずですわ」
「ではそれも尋常なことだと?」
「夫婦の営みとはそうしたものです。お二人の密技ですので求めに応じてあげればよろしいかと。ふふふ、可愛らしい御新様ですこと」

 そうやって誰にも言えないことを打ち明けて、さっぱりした気持ちで夫に抱かれて達していく。庵主のいる香風へ行けば人に言えない悩みが言える。口伝てにひろまって、苦しい女たちが次々にやってくる。
 しかし・・。
 そうして女の幸せを支えながら、一方では惨殺されていく女たちに何もしてやることができない。庵主としてではなく百合花という一人の女として、許せない気持ちになる。この妻も健気で愛らしい女だ。

 よほど恥ずかしいのか若い妻は頬を真っ赤に染めていた。庵主は一度放した白い手をふたたび取って、座卓を回り込ませ、若く細い体をそっと引き寄せて膝に寝かせる。
 若き妻はきょとんとして法衣の膝から庵主の微笑む顔を見上げていた。
「よろしいですか御新様、夫婦の営みというものは、旦那様のため妻は娼女となるものです。素股と申しますが腿に硬くなる旦那様を挟んであげたり、乳房に挟んで導いてあげたりもいたしますし、お口にいただくこともおかしなことではありませんよ。わたくしなど月のものが参りますと手を絡めてしごいて差し上げ、うっとりとされるお顔を楽しませてもらったほど・・お尻もまた同じかと」
「さ、左様なものでございますか・・ではわたくしがいけなかったのかも・・」
「旦那様は粗暴なお方ではありませんよね?」
「はい、それはもう・・実直きわまりない、それはおやさしいお方です。ただ夜のことだけが気がかりで・・」
 庵主はうんうんとうなずいて若い妻の背を撫でて言う。
「殿方は童なのです、こうして膝枕をせがんでくるもの」
「ええ、それは・・膝に甘えて・・うふふ」
「そうでしょう? ですからね、妻はもっと淫らでよろしいのです。そのほうが旦那様はお喜びになられるでしょう」
「はい・・かしこまりましてございます・・ああ恥ずかしや・・このようなお話をするなどと・・ああ恥ずかしや・・」

 若き妻は今宵の床を想うように穏やかな面持ちとなって帰っていく。


三話~甘味処 香風


 刻(とき)を少し遡る。

 遠く離れた小さな旅籠で旅の女二人が湯へと向かう、ちょうどその頃・・。
 東海道、品川宿から少しばかり北へと向かった芝高輪との狭間あたりの高台で、緑の丘にぽつんと一軒そこだけある甘味処が店じまいにかかっていた。
 斜陽の紅が丘を染め、遠目にひろがる江戸前の海をも染めている。
 東屋を思わせる鄙びた造り。ここはその昔、尼寺であったものが、人手を経て別邸として造り替えられたもの。その庭園の東屋の意匠をそのまま活かしてさらに手が加えられ、この頃としてはめずらしい茶と菓子を楽しませる店となっていた。いまでいうなら喫茶店といったところ。身分の別なく訪ねて来られる。

「庵主様、そろそろおしまいにしましょうか」
「はいはい、ご苦労様ね」
 深緑に朱色縞の、それこそ町娘の姿をした小柄なお燕(おえん)が明るく言った。
「あのね、お燕、その言い方おやめなさい。おまえが庵主様庵主様って言うから、お客様までそう呼ぶわ」
「ですけど、そのお姿・・ふふふ、やっぱり庵主様です」
「そうね、法衣をまとって頭巾では尼僧のまま。けれどこれは癖のようなもの。いまさら町女には戻れないから」

 と、そう話しているところへ、茶色の作務衣姿の初老の男がやってきた。
 男は体が大きかった。肥ってはいない。身の丈なら六尺(百八十センチ)に迫る大男で町人髷を結っている。四角い鬼のような顔だが、老いたいまとなっては笑顔がやさしい。
「庵主様でよろしいではございませんか。甘いものだけを求めて人が来るわけではない。庵主様のお話が聞きたくて来るのです」
 尼僧そのままの姿をした女は、ちょっと首を傾げて笑った。
「なんですか源兵衛まで。さあさ今日はいいわ、おしまいにしましょう」
「へい。じゃあお燕よ、おめえは客間の掃除だ、俺は厨(くりや=厨房)をやる」
「はーい!」
 若いお燕が走り去り、二人揃ってその背を見つめた。
「明るくなったわね、あの子・・よかった」
「ほんに。それもまた庵主様のお人柄というもので」

 甘味処 香風(かふう)は、庵主様と呼ばれる尼僧がはじめたものだった。
 はじめた当初は、この源兵衛と二人。源兵衛は今年で五十六となり、かつて庵主が照女比丘尼(しょうじょびくに)と呼ばれ、まさしく尼僧であった頃、その寺の寺男として働いてきた者だった。
 寺の名を香風院(かふういん)と言い、小石川にあった尼寺だったが、その名をそのまま店の名としてしまう。
 照女比丘尼は、尼僧から俗世に戻った女であった。
 名を百合花(ゆりな)と言い、四十歳。剃髪していた頭にも黒髪を取り戻し、肩までの垂髪。俗世に戻ってなお尼僧の法衣をまとっており、したがっていまだに庵主様と呼ばれている。
 いくらなんでもいまさら女の艶姿には戻れない。百合花は神仏に背いた身。死ねば地獄と覚悟を決めて生きていた。

「あらら、お役者侍じゃござんせんか! 今宵はどちらへ? またぞろ女を泣かせに行くんでしょ」
 高輪あたりの商家の女中が、暗くなる店表の掃除をしながら一人の男を呼び止めた。
 粋な紫帯の漆黒着物を着流して、月代を剃り上げず、浪人風だが、顔立ちがお能の小面(こおもて=女の面)のように美しい。目鼻立ちもつつましく、そのまま女形をやれそうだ。その腰に、今宵は大小ともに朱色鞘の刀を差している。
 名を瀬田昌利(まさとし)と言い、家康の家臣、いまは亡き井伊直政が配下であった瀬田甚九郎の三男である。歳は三十九にもなるが若侍のように凛々しく歩む。

 香風から源兵衛とお燕が連れ立って近くの長屋に帰って行って、それと入れ替わるように店の裏庭に気配があった。
 店の庭は周囲を広葉の木々で覆い、砂利と石でできた静かな佇まい。春のいま木々の枝には新緑が芽吹き、店に向かって左の一際大きな木の下には、枯れた木の長板に脚をつけた床几(しょうぎ=長椅子)が置かれてある。
 その庭に夢の気配・・家の中にいても百合花は気配を察している。法衣をまとった姿であったが、心は女人となって濡れていた。
 座を立って、外への障子戸に歩み寄り、そっと開ける。

「ンふふ、瀬田様ぁ・・ああ嬉しや・・ねえ早くぅ」
「うんうん。ほらごらん、今宵も月は美しい」
「え・・月がもう?」
 薄墨に塗られた空に見事な三日月が浮いていた。
 庭草履を履いて出た百合花。薄闇に流れるように瀬田に寄り添う。
 両肩に男手を置かれ、しばし目を見つめ合い、くるりと体を回されて背抱きにされて夜空を見上げる。
「あらほんと、綺麗・・」
「そなたの肌のごときすべやかな月よ・・ああ美しや、私の百合花・・」
 男の手が胸元から着物の中へと滑り込む。

「あっ・・嫌ぁぁ恥ずかしい・・ああ瀬田様ぁ・・憎らしや・・尼僧のわたくしに俗世の夢を・・ああ抱いて・・抱いて瀬田様ぁ」
「ふふふ可愛い人よ・・麗しきその女身で私を惑わす魔性の女よ」
「あぁぁ、はぁぁン・・早くぅ・・抱いて・・瀬田様ぁ・・憎くらしや・・わたくしはもうこのように肌が燃え・・」

 身悶えしながらまつわりつくと、お役者侍を引き入れて、障子戸が音もなく閉ざされた。

 尼僧であった照女比丘尼を煩悩に引き戻したのには、お燕が一枚かんでいる。
 お燕はいま十七の娘だったが、元は小石川にあった商家の一人娘。いまから三年ほど前、戦国の乱れに乗じた鬼畜働きの盗賊に襲われて一家は皆殺し。 賊どもに手篭めにされ、ボロ布のようになった赤い腰巻きを素肌に巻いて逃げ出した十四のお燕は、そのとき通りがかった瀬田に救われることとなる。
 瀬田は怒った。瀬田は強い。泣くお燕を背後に盗賊どもと対峙して、たった一人で七人の盗賊を斬り捨てる。
 それからお燕は、同じ小石川にあって遠くはなかった、照女比丘尼のいる香風院へと連れて来られる。

 以来、二日と開けず寺を覗いては可哀想な娘を慰める瀬田の姿に、一度は俗世を捨てた尼僧の心に女の熱がふたたび宿った。
 なんとやさしい・・男らしい・・そしてなんと見目麗しい・・照女比丘尼は、百合花となって男を想い、瀬田もまた尼僧の美に魅入られた。
 百合花がもし俗世の艶姿でいたならば絶世の美女であっただろう。

 折しもその後、古かった寺に落雷があって燃え落ちて、以来、瀬田家の持ち物となっていたこの場所に、甘味処 香風をつくった。
 失った黒髪もやがては戻り、百合花は、時折こうしてやってくる恋い焦がれた男を待つ暮らしをはじめていたというわけだ。

 そのときお燕は、深川にいた縁者の元に一度は戻されたのが、これがまた放蕩者で、十五となったお燕に手を出そうとした。お燕は目のくりくりした可愛い娘。お燕はふたたび瀬田にすがり、ここで暮らすようになる。


二話~香る一夜


 そしてそれから数里をろくに休みもせずに歩き通し、二人は甲州街道筋の旅籠に入った。内藤新宿のずっと手前の宿だった。
 できはじめたばかりの宿場町は、なぜかこの日ひっそりとした。片やお遍路、片や町女のいでたちの女二人の妙な旅には都合がいい。二階の六畳、ひとつ部屋に一緒となった。
 その旅籠は新しく、部屋に木の香と青畳のすがすがしさが漂っている。紙が白くて真新しい明かり障子を開けると宿の裏には大河が流れる、そんな宿。

 部屋に入って、互いに背を向け合って宿の浴衣に揃って着替え、それから振り向き顔を合わせる。一人は町女の結髪で、一人は肩までの垂髪で・・二人ともに若く美しい姿であった。
 如月と伊賀。素性の違うくノ一同士が身分を明かし合うなど少し前なら考えられないことだった。役目を背負った一人旅は仲間のほかはすべてが敵。気を張って目配りしているものなのだが、このとき女二人は穏やかだった。
 関ヶ原の戦いが武将の居場所を激変させて、その武将に仕えていた忍びたちもまた掻き回されてしまったからだ。主家を失い、あるいは追われ、離散した忍びの者は多かった。

「先に湯にするかい?」
 嵐が問うと、江角は女らしい微笑みを浮かべてうなずき、言った。
「今宵は何かの縁ということさ。彪牙に救われた女二人。同じ男を想う女が二人と言ったほうがいいのかも・・ふふふ、けど互いを探らない・・」
 江角の静かな視線に敵意はなかった。お互い詮索するのはやめようということだ。嵐はちょっと笑ってうなずいた。
「同じ男を想うか・・そうだね唇を・・」
「抗わず許していたね。肝が据わってるよ」
 嵐は違うと苦笑しながら首を振った。
「ちょっと震えた」
「そうは見えなかったが?」
「なぜなのか拒めなかった・・あやつの眸さ、深く澄んでやさしい・・あんな男ははじめてだから。しゃあしゃあとあんたを抱いてさ・・それでいて、はじめて会うこのあたしに『いずれは俺の女だ』と言い放った。それも憎たらしく笑ってさ」
「惚れたか?」
「いいや。惚れたのではなく濡れた・・わけもなく、あたしを女にしてくれた」
 江角は真顔で嵐を見つめて、ちょっと唇の隅を噛み、口惜しそうな面持ちをする。どうしようもない女としての面持ち。
「殺してやりたい・・ふふふ・・さあ行くよ」
 そう江角は言うと背を向けた。
 江角は八角棒を部屋に置き、嵐は仕込み杖を部屋に残す。しかし二人とも白木の鞘に収まった匕首(あいくち)を胸元に忍ばせた。

 湯殿は宿の裏手に一度出て、そのすぐ際に造られている。男女に分かれる小さな湯殿で、新しい宿にふさわしく檜風呂とされていた。
 檜の香りに充ちた脱衣に立って、まず先に、浴衣の下の腰巻きを脱ぐ。嵐は町女に化けていたのであたりまえの赤い腰巻きだったのだが、江角は遍路姿で、なのに下には丈の短い桜色の腰巻きを身につけていた。くノ一でも武家の素性を物語るようにである。
 浴衣をはだける。二人ともに乳白の美しい立ち姿。互いにそれとなく裸身を見たが、どちらの素肌にも傷らしきものはない。
「綺麗な肌」
 と、江角が言うと、嵐もまた同じことを言う。
「運がよかっただけさ。あたしら如月はとうの昔に忍びを捨てた」
「それを言うならあたしだって。あたしは遠江(とおとうみ)の武家の家に預けられて育ったのさ。くノ一じゃなかった。武家の娘として育てられた。ゆえに殺し合ったことがない。二年ほど前まではね」
「そうなのかい・・互いに運がよかったわけか」
「そうだね、運がよかったとしか言えまい」

 長身の嵐のほうがわずかに胸が薄い。江角は乳房の張ったやさしい女の体をしている。二人ともに抜けるように色白で、ゆえになおさら下腹の翳りが黒く際立つ。体毛も髪の毛も江角のほうが少し赤みがかっている。
 檜の湯船はそれなりに大きくて、かけ湯をして、女二人で向き合った。底に尻をつけば乳房の上まで深さがあり、湯は汚れなく透き通っている。湯は少しぬるかった。湯殿は湯気に満たされて、それが互いの過去を覆い隠すようだった。
 互いに静かに見つめ合って微笑んでいる。そのうち嵐のほうから流れて行って、江角が腕を開いて流れた女をそっと抱く。
「いい女だよ嵐は」
「江角だって・・あやつ・・彪牙・・」
「うん?」
「女を見る目はありそうだ」
「ふふふ・・うん・・口惜しいけれどね・・あのとき」
 抱かれていながら嵐は顔を振って江角を見た。湯に火照ったほんのり赤い江角の顔が扇情的だ。それは武家の女の性の美だった。

「あのとき?」
「寄らば殺すと言ってやった」
「ああ・・それで?」
「殺るなら殺れ、刃で向き合えばおまえに勝てないと言ってね・・おまえのようないい女は殺れないし、抱かれて殺られることを俺は望むと。生きていたってどのみち忍び、明日の命は知れないからな・・と」
 嵐は見上げていた江角の顔から視線をその白い乳房に静かに降ろし、片手でそっと豊かな乳房をくるんで言った。
「・・濡れるよね、そこまで言ってくれるなら女になれる」
 江角は、乳房に甘えるような嵐をさらに抱き締めて、夢見るように言う。
「もういいとあたしは思った。あたしだって忍びの定めを背負ってしまった。追っ手がかかり、そのときはじめて何人もを殺って逃げた。敵とは言え年端もいかない若侍も薙刀で斬り倒した。あたしは鬼畜・・泣きたいほど心が荒んだ」
「武家で安穏と育ったのならなおさらだよね」
「それだけじゃない。それよりむしろ、敵味方が入り乱れて、誰が味方で誰が敵かが知れなくなったことのほうが、あたしにとっては辛かった・・ねえ嵐」
「うん?」
「もう出よう、のぼせる」
「ふふふ、うん出よう」

 部屋へと戻る。このとき嵐も髷を降ろした洗い髪。浴衣を透かして立ち昇る女の香りがまたたく間に部屋に満ちる。
 火照りがおさまる頃になって夕餉が運ばれ、二人は大きな座卓に向き合って食べる。血の匂いから解き放たれた、くノ一にとっては信じがたいやさしい夜。
 歩ける間を開けて夜具をそれぞれ自分で敷いて、揃って身を横たえた。
 今宵は月夜か、明かり障子越しに青白い光が滲んでいる。風もなさそう。音のない穏やかな闇だった。
 静か。しかしほどなく嵐の夜具から衣擦れの音がして、江角の夜具からも応じるように衣擦れの気配。江角の布団に嵐が流れて、抱き合った。
 浴衣越し、女同士で抱き締め合った。それは哀れな自分を抱くように、自分とは違う体を掻き抱く抱擁だったのかも知れない。一夜限りの甘え合う相手。互いに求めた抱擁だった。

 江角が嵐の背を撫でながらささやいた。
「とうに忍びは捨てたと言ったね?」
「忍びは忍びさ。されど主家を持たなければ如月はただの山の民」
「・・なるほど」
「あたしは三十になるんだよ」
 嵐はそう言いながら浴衣の帯を解いていく。
「二つ上だね、あたしのほうが」
 江角もそう言いながら浴衣の帯を解いていく。
 淡い月光の下、白い女が溶け合った・・唇を求め合う。
 唇が離れ、それから嵐は夜具を滑って江角の乳房に顔を埋めた。江角は娘を抱くようにそっと腕に絡め取る。
「あたしら如月は、その昔、戸隠あたりの山に棲み着いた山伏からはじまったそうなんだ。先代、先々代の、そのまた前に」
「・・うむ」
「ゆえに元からの忍びではない。ひと所に棲まず山から山へと動いて生きた。獣を狩り、山の物を喰い、そうやって生きてきた。先々代の頃になって、そのとき我らは甲斐の山中にいたらしい」
「甲斐・・」
「山には甲斐も信濃もないね。行く先々で生きるのみ。それで、如月には『惑わし山』と言う術があってね」
「惑わし山? はじめて聞く」
 嵐は人差し指を立て、その爪先で江角の素肌を山に見立てて、道筋を描くように滑らせた。
 かすかにピクと江角が揺れて、肌に細かなぶつぶつが浮き立ってくる。

「道さえない深い山にこうして道筋をつくっていく。似たような景色の中に似たような道をつくっていき、偽りの標(しるべ)を立てておくんだよ。下手に入り込むと出られなくなり、動けば動くほどに山に迷う」
「・・恐ろしい」
「そう、恐ろしい術さ・・こうしてね・・ふふふ」
 鋭い爪先が触れるか触れないかのやさしさで、江角の二つの乳房を谷を隔てて這い回り、その先端でしこり勃つ濃く色づく乳首を捉えて、つつくように、つまむように・・。
「・・ん・・ふぅぅ・・ん・・」
「ほうら心地いい心地いい・・ふふふ・・」
 江角の裸身がふるふる震え、嵐はそれがいとおしくて掻き抱いた。同じ定めに生き、同じ女の性(さが)に濡れる体。そう思うと江角がいとおしくてたまらない。

「それでその惑わし山に、あるとき若侍が迷い込んだ。供の侍を二人連れた、まだほんの小童(こわっぱ)だったと言うのだが」
「う、うん・・助けたんだね?」
「先々代の頭がね。あたしの父の、そのまた父だよ。それが若き日の晴信様だったんだ」
「晴信・・信玄公・・」
「やがて晴信様は甲斐を背負い、そのときになって、山に長け、雪をものともしない我らに声がかかった。宿敵上杉との間にも山はあり、甲斐は周りじゅう山だらけ。雪に閉ざされるとどうにもならない。我らは違う。元より山の民であり、雪兎の毛でつくった装束で吹雪をものともせずに動けるからね」
「それが如月のはじまりか」
「そういうことさ。如月という名も晴信様から頂戴したものと聞く」
「そ、そう・・なのか・・ぁ」
 話の合間に性のさざ波が江角を乱す。吐息が燃えるように熱かった。

「先々代はまだ山伏、名は更木善十(さらぎ・ぜんじゅう)と言うが、『さらぎ』ではいかにも呼びにくい。そなたらは雪の忍軍、如月(きさらぎ=二月)はまた衣更着(きさらぎ)とも書き、もっとも雪深き折り・・ゆえに如月ではどうかと。汚れなく白い響きがあると申されて」
 言いながら、嵐は身をひねって江角に上を向かせると、ふわりとひろがる乳房の先に唇を寄せていく。しこって固い乳首に舌先を這わせ、目を閉じて感じ入る女の顔を楽しむと、ふたたび人差し指の爪先を裸身くまなく這わせていく。
「ぁ・・んーっ・・嵐ぃ」
「ふふふ・・ほうら濡れてきた・・そうして晴信様からお呼びがかかり、そのときになって先々代は『惑わし山』の術を話した。晴信様は大笑いされたそうだ。こうやって山に道筋をつけていき・・ふふふ」
 江角の裸身が細かく痙攣しはじめた。嬲るように焦らすように鋭い爪先が這い回り、乳房から白い腹へ・・つつましやかな臍の周りで輪を描き、さらに滑り降りて黒い草むらへと爪が這う。二つの乳房に鳥肌がざわめいて、二つの乳首が尖り勃って、背が逆に反り返る。

「ほうら、こうして毛むらに迷い込むと人は谷へと落ちていく・・こうやってぬるりと滑って沼へと沈む・・ほうらこうして・・ぬるりと」
 黒い草を掻き分けた指先に一気に力が込められて、白い女指が燃える女谷へと落ちていく。
「あぅっ、嵐、嵐・・ああーっ!」
 江角は大きく腿を割って性技を許した。背が反り返って裸身ががたがた震えだす。虚空をもがくような江角の手が、嵐の裸身を求めてすがり、抱き締めて引き倒すと、次には江角の指先が嵐の濡れる沼へと沈んでいく・・。
 白い女が互いに体の中までまさぐり合って絡み合う。逆さになってまたがり合って、自分そっくりの濡れそぼる女花を舐め合った。
 いまはまだ生きている女の喜びを分かつように、あえぎ、のたうち、声を噛んで果てていく。そのとき夜空で雲が月を隠したらしく、意識が遠のくように絡み合う白い女体が濃い闇につつまれた。

 揺れて開く胸が静まり、気がつけば、二つ年下の嵐が江角のやさしい裸身を抱いていた。
「そうやって信玄様に仕えたのだが、ちょうど勝頼様の代となる頃、我らは身を退いていた。先々代はとうにいない。あたしの父も早くに病に倒れて逝ってしまった。あたしの母者が如月を継ぐ形になったのだが、新しい男ができた」
「男?」
「それが若い侍でね・・ふふふ・・母者の前では骨抜きだったそうなのさ。我ら一族をよく思わない織田方続きの地侍の配下の者で、襲ってきたのさ。我らは強い。返り討ちにしてやったんだが、そんな中でその侍は、まだ若かった母者を一目見て惚れちまった。刀を捨てて、死ぬ前に一度でいいから想いを遂げたいと母者にすがった」
「まるで彪牙だ」
「そう、彪牙のように。いまだから言うけれど、だからあのとき、あたしは彪牙を拒めなかった。命を賭して迫られた母者の幸せを知っているから」

 女同士の激しい性が去ったとき、二人の女は、巡り巡って彪牙を想ってしまう胸の内に、密かに笑う。
 嵐と江角は素裸で抱き合ったまま目を閉じた。
 江角が言った。
「あたしのことは訊かないようだね?」
「言えるのか? あたしはただ如月のいわれを話しただけ。あたしのことは話していない」
「うん・・知らない方が溶け合っていられるね・・」
 唇を重ね合い、抱き合って、互いの女陰へと手を滑らせて、そのまま眠りに落ちていく・・。

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