女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。


二話~三世代


「ふーん、三十二か・・じゃあアレね、ちょうど十歳刻みの三世代ってわけ?」

 店内がおよそアイボリーカラーで統一されて、その中に淡いブルーグレーの大理石調カウンター。カウンターの内側は少し床が低いらしく、流しに向かって前屈みになる美鈴のドレスのVゾーンから、たわわ揺れる白い乳房の谷が覗く。
 女三人の中で明らかに背の低いスリムボディの美鈴だったが、胸はD・・と、麻紗美はそれとなくヌードを探っていた。店にいながら白く薄いサマードレスに白い下着。それもまた性の危険を孕んでいるようだった。透ける白に白は禁物・・この美鈴もそうだし、隣にいておとなしくなってしまった留美も、少々フェロモン過多のようである。

 留美、二十二歳。美鈴、四十二歳。そして麻紗美がどっちつかずの三十二歳。
 たかが十歳違いで三世代とは思わなかったが、言われてみればオンナの意味が変化する十年刻み。そんな気がした麻紗美だった。
 麻紗美はアイスティ、留美がアイスコーヒー、グラスを二つカウンター越しに配りながら、白く妖艶な美鈴は、若い留美へと横目をなげて麻紗美に言った。
「この子、すっかり立ち直ったのよ、可愛くなったわ」
 麻紗美はちょっと眉を上げ、隣りの留美を見ながら応じた。
「立ち直った?」
「失恋よ。最初ここへ来たとき心が泣いてた。いまにも崩れそうだった」
 美鈴の静かな声を聞きながら留美はちょっと笑って視線を伏せた。ひどく寂しそうな姿に思える。
 心が泣く・・エッセイストらしい詩的な表現だと麻紗美は感じた。まさに鈴が転がるような美鈴の声がそう感じさせたのかもしれなかった。

 美鈴が言った。
「この子って、それまで四ツ谷にいたのね。女子大時代の友達が偶然この隣りのランジェリーショップでバイトしてて、その頃からたまにお店を覗いてくれてた。で失恋しちゃって越して来たってわけだけど、すっかり自信をなくしてて・・ふふふ、
私と出会えてラッキーだったね、そうでしょ留美?」
 片眉だけをちょっと上げて意地悪っぽく笑う美鈴に、留美はこくりと首を折ってうなずいた。
 美鈴が言う。
「留美って、もともと演劇部で衣装を着慣れていたようだから、もっとオンナを誇りなさいって勧めたの。セクシーを誇れ。視線を感じて濡れるぐらい牝になれって。そうすれば恋なんてくだらないものは、そこらにいくらでも転がってるって言ってやったわ」
 視線に応えて「はい、お姉さま」と言いながら、留美は麻紗美へと横目を向けた。

 それにしても演劇部・・浅いアッシュ系に染めた髪といい、どことなく芸能チックな雰囲気のある留美の素性がそれでわかった。
「じゃあそれから?」 と麻紗美は留美に問うた。それから露出を・・ということだ。
 留美ははにかんで唇をちょっと噛み、かすかだが横に首を振ったのだった。
「ううん、もともとあたしって露出する服が好きだったし・・ボディコンとかも衣装でも着ましたし自前でも持ってるし・・」
 恥ずかしいのだろう、留美の声が先すぼまりに消えていく。

 美鈴が麻紗美に言った。
「そんなことで私ね、一度ドライブに連れ出したのよ。下着が見えちゃうスカート穿かせて・・それでそのとき・・」
 と小声で話しだしたとき、二組いた男性客が次々に帰って行く。
 美鈴の声が大きくなった。
「留美ちゃん、テーブルお願いね」
「はいママ」
「ちゃんとお尻張って見せなさいよ。ふっふっふ」
 留美は極端なマイクロミニ。その姿でテーブルの奥側を拭こうとすると、前屈みが過ぎてブルーのTバックが分断するヒップが覗く。
 若い娘の性を狙うような美鈴の視線を追いかけて麻紗美もまた留美を見た。
 いよいよ熟れはじめる白桃のような留美のヒップ。
「そうそう、いいわよ見えてる、私好みのお尻だわ、あははは」
「ぇぇー・・嫌だぁ・・もう意地悪なんだからぁ・・」
 腿を締めて身悶えするような留美。そして美鈴は、小声で目の前に座る麻紗美に言った。
「ごらんなさいよ、もうハァハァ・・でも・・なんて言いながら私たちってまだなのね」
 麻紗美はちょっと眉を上げて首を傾げた。
「まだって?」
「エッチはまだってことよ。もっと鍛えてからヒイヒイ言わせてやろうと思ってさ」
 ジョークとも受け取れる意味のあるウインク。ゾッとするほど前戯に満ちた美鈴の眸。近くで覗くとブルーがかったキャッツアイ。カウンターのブルグレーに反射した光線の具合なのだろうが、この眸で迫られたら逃げられないと麻紗美でさえがそう思う。

 麻紗美に向かって顔を寄せて囁くように美鈴は言った。
「教えてるのよ性愛を。ピュアな肉欲は素直な性表現に宿るもの。思うがままに解放なさいって」
 それから美鈴はハッとするように目を丸くして麻紗美を見つめた。子供っぽいびっくり笑顔に思え、それがまたエロスに満ちているようだった。
「あらら、初対面の方に言う台詞じゃなかったわね。ですけど麻紗美さんも私のエッセイがお好きならおわかりになるはずよ。女には肉体の理解者が必要なの。一切のガードをはずして溶け合える誰か・・相手が女だってかまわないし、むしろ同性の方が素直になれるときがある」
「それは・・ええ、わかります、そうだと思うから・・」
 そのとき留美がグラスやカップをトレイに載せて歩み寄り、カウンターにそっと置いた。
「ありがと。やさしいカラダが素敵よ、いいオンナだわ留美って」
 ちょっとうつむき、上目で笑う留美が可愛いと麻紗美は思う。
「はい。嬉しいな・・あたし、ここへ来ると自信が湧いてきて・・」

 そうだろうと麻紗美は感じた。女とはそういうもの。女にとって無条件に女の部分を認めてくれる相手がいれば性を誇って生きていられる。しかも相手は憧れのアラフォー美女。

「・・私自身が行き着いた境地なのよね」 
 と、ふいに夢見るように言う美鈴を二人で見つめた。
「夫がいて息子もいるわよ。だけど苦しい。仮面が苦しい。もう何年もそうだったし、そんな中で淫夢をエッセイに書きはじめた。私のセックスを文章にしたかった。苦しいもののすべてを剥ぎ取った私らしい牝として誰かに抱かれる・・抱かれたいし、いつだって見ていてほしい。濡れていたい。露出だって私もしたし留美にも勧めた。男たち女たちの視線のどちらもが賛否それぞれ私を見ていた。濡れたわよ恥ずかしいほど。疼いて疼いてオナニーした。そしてそのうち、ああ私は女だったと自覚できるようになっていた。不倫だろうがレズだろうが、誰がどう言おうが、私は私のカラダを幸せに導いてあげたいの」

 それから美鈴は留美を見つめた。二人の視線がまともに溶け合い、若い留美の眸の瞳孔が開き、性的に据わっていくようだった。小鼻がひくひく震えている。
「苦しかったこの子が解放されていく姿を見るのが嬉しいの。慕ってくれるし可愛くてたまらない・・もっと淫らに楽しめるオンナに育ててやりたくて。だからいまは刺激するだけ刺激して放置する」
「・・はい・・ンふ・・お姉さまぁ・・」
 留美の吐息は熱かった。とっくにカラダが潤っているだろうと麻紗美は思い、人生の中でそんな相手に出会えることがどれほどあるのかと考える。

「留美にも言うんだけど、女ってね、突き抜けて賢くなると馬鹿になれるものなのよ。賢い馬鹿は楽しいわよー」

 それが麻紗美にとって決定的な言葉となった。しかしこのときはまだ、それは美鈴と留美との秘め事であり、女同士の素敵な関係・・けれども自分の棲む世界ではないと思っていた。

 ずいぶん話し込んだようでも三十分ほどしか経っていない。学生らしい女の子の六人連れがなだれ込み、それを合図に二人で立った。エッセイストMISUZUは、若い子たちの間でも評判になっている。
 外へ出た。雲が覆って星はなく、闇に閉じ込められた熱気でいきなり汗が滲んでくる。並んで歩き、駅の雑踏を抜けて向こうへ出ると、広い通りに人はまばら。
 麻紗美が言った。
「彼女のこと好きなんでしょ?」
 留美は口許に手をやってクスっと子供っぽく笑う。
「それはどうだか・・よくわからないんです」
「わからないって? どういうこと?」
「あたし恋愛対象はもちろん男性ですし、それは美鈴さんだってそうなんですよ。レズだってエッセイでは書いているけど、ほんとなのかどうなのか。それは妄想でじつは男好き・・バイなのかも知れないし。でも・・」と言いかけたとき麻紗美の携帯がバッグの中で震えだす。化粧道具に触れていたのかビリビリとプラスチックの震える音がした。

「あ、うん・・会議? まだやってるんだ・・うんうん終電近く? わかった、気をつけてね」
 諦めムードのため息をつき、麻紗美は携帯をバッグにしまう。
「旦那よ、聞いたとおり。銀行員なんだけどいろいろあるみたい。仕事だって言ってるけど、さてどうだかって感じだわ」
「まさかですよね?」
 浮気ではない。仕事で遅くなっていると言い切れる自信が麻紗美にはある。
「大丈夫よ、浮気なんてできる人じゃないんだもん。まっすぐな人だから」
 留美は安心したように微笑んでうなずいた。麻紗美が言う。
「で? 何の話してたっけ?」
「美鈴さんのエッセイです。レズなんて妄想で・・とも思うんですが、ある言葉が刺さってしまって、それから感情がどんどん向いていくんです」
「ある言葉?」
「女が相手なら自分勝手に愛せばいい。男はそこが面倒で、愛させるよう仕向けていかなきゃならないわって。素直に同感て感じでしたね」
「なるほど・・ポーズも必要ってことだわね」
「ポーズって言うか邪念ですよね。言われてみれば確かにそうで、美鈴さんが相手だとよけいなことを考えなくていいかなって・・だんだん好きになってく感じなんです・・いつか抱かれてもいいかなって思ってるし」

「まるで女王様ね」
 と、麻紗美が笑うと、留美はカラカラ声を上げて笑った。
「それは違うからねって言われてます」
「違う? そんなところまで話してるんだ?」
 留美は嬉しそうにうなずいた。長い髪が風に流れた。
「性を教授してるのであって支配しようとは思っていないって」
「ドライブ誘われたんでしょ? そのときホテルとかには?」
「そのうちねって通りすぎておしまいでしたね。伊豆の海を見に行って」
「伊豆?」
「私がね、彼との思い出の場所があるって言ったら、じゃあそこへ行きましょうって。砂に降りて・・そしてそっと抱いてくれて・・悲しみの半分はもらうからって言ってくれて・・私は泣いて・・」
「それでキス?」
「ううん、ですからそういうことは一切なし。美鈴さんてヘンなんですよ。私ほどイヤラシイ女はいない・・エロの塊みたいな牝で、四六時中どろどろしてるって言うんです」
「エッセイにもそんなようなことが書いてあったね」
「ありましたね。オモチャを使ってオナニーするとか・・だけどあたし、そのとき美鈴さんの顔を見ていて思ったの、あたしと同種の淫欲にあふれた人なんだって。あの人は一切隠さない。あたしにもオナニーしろって言うんですよ・・それも真剣に言うんだもん」
「・・素敵な人みたいね?」
「素敵です。女王様でもいいかなって思えるほど、あたしそっくりの淫乱女。だんだん好きになっていく。ママ好みに躾けてほしいと思えるほど」

 麻紗美は素直に留美の想いに共感できた。悶々としたものを吐き出せずに苦しくなるのが女というもの。曝け出して許されるなら、許す相手を慕ってしまう。

 と、留美が足を止めた。小さなスーパーの前だった。
「ねえお姉さん、よければお部屋に来ませんか? 夕食あたしがしますから」
 そう言えばちゃんと食べていない。夫が遅くなるとわかっているとき麻紗美は食欲が退いてしまう。独りだと面倒になる。帰ってトーストでも焼けばいいと思っていた。独り暮らしの留美の部屋にも興味はあった。
「何にする?」
「うーん・・ゆっくりお話したいから、パスタとか? 茹でるだけだし」
「いいわね、私がしたげる、任せなさい」
 そのとき留美は、またしても上目使いの可愛い仕草。女が甘える眸を見せた。

 それがこの子の本質だろうと麻紗美は感じた。やさしくてしなやかな・・悪く言えばどうしようもない女々しさで・・だとしたら失恋の痛手は深いはず。
 美鈴が癒やしたのだろう。痛手を癒し、それどころか、女のいいところだけを引き出してやっている。なぜそう感じるのかなんて説明できなかったが、直感的に読み取れる留美の色香は素直だった。
「留美ちゃんて可愛い人ね」
 ふと思ったままを言った麻紗美。
「・・そんな・・嬉しいな・・あたしなんだか・・」
「うん?」
「お姉さんのこと好きになりそう・・」
「はいはい、わかったわかった。さあお買い物するんでしょ」・・と、なにげにミニスカートの尻を叩くと、留美は小さく「あっ」と言って尻を締める仕草を見せた。

「あ、あたしちょっと・・おトイレ・・」
「やだ、エッチなんだから」
「だって・・ンふ・・」
 スーパーに入ってすぐ右の化粧室へ駆け込む留美の、若くプリプリしたヒップを見つめる。
 カラダが女性反応・・心が女になっていると麻紗美は思い、同時にこの子をそう変えた美鈴の凄さを思わずにはいられなかった。

 女は性を守るもの。けれどガードを超えて突き進んで来てほしいと思う女心も備えている。ガードなんて意にも介さず迫る相手に、女は牝となって反応する。
 牝の淫欲を曝け出していいのなら女は気が楽なのだ。


一話~淫夢へ


 まぶたに焼きつく若い留美のセミヌード。
 それは錆の浮いた鉄のフェンスに生々しく映えていて、
 私の中に淫らが蠢く気配を感じた。
 いいえ、そのときはむしろムッとした。
 街中なのよ、あなたっておかしくない?
 こちらの窓に身を潜め、声も出せなかった私。
 この私をときめかせたことに腹が立っていたのです。

 その日の私は暗いうちに目が覚めた。新婚だったあの頃、
 甘い夜に溶け合って、二人とも裸のまま抱き合って眠っていた。
 ふと彼に触れたりすると、たまらなくなってそっと握り締めて
 あげたりしたわ。ところがいま、夫婦を隔てる薄い布を感じるだけ。
 愛していても激しい熱は去っている。そんな気がする。

 こちらの北側・・寝室のカーテンをわずかに開けた。
 夫は隣りで眠っている。静か。朝から雨になるはずでした。
 片側一車線の道路を挟んだ向こうの三階、南側のバルコニー。
 サッシが開け放たれていて、若い娘がフェンス際に
 置いた緑葉にお水をあげている。街は白みだしていたんです。
 
 住宅街のこの時刻は人が動き出すには早かった。
 それにしたって白いキャミは極端に丈がなく、
 ノーブラ・・そしてノースカート。
 艶めかしい白い腰に鮮やかな青のTスタイルパンティ。
 半裸。そんな姿でバルコニーに出ています。
 その部屋は空き部屋だったはずなのに、いつの間に・・。
 都会では他人の変化に気づかぬフリで生きているのが好都合。

 才賀(さいが)留美、二十二歳。私とは十歳違う。
 新宿のパソコンショップに勤めるフリーター。
 ちょっと前まで四ツ谷のアパートに住んでいて、失恋をきっかけに
 この街に越して来ていた。それがいまから一月ほど前。
 四年制の女子大時代は演劇部で、歌劇で男役が多かった。
 164センチ、ブラはC。エキゾチックな個性派美人。
 サラサラの長い髪を浅いグレーアッシュに染めている。
 
 だけどそのとき、もちろん名前なんて知りません。

 留美とまともに出会ったのは、その七日後の夜でした。
 新宿からの私鉄、調布駅。時刻は七時を回ったあたり。
 ラッシュのピークは落ち着いて、それでも電車は混んでいた。
 降りてホームに立ったとき、数人先をあの子が歩く。
 グレーアッシュのサラサラヘヤーで一目でわかった。
 階段に立てばとても隠せないタイトフィットのマイクロミニ。
 ふんっ・・フェロモン過剰のヘンな子だと思っていた。

 階段にさしかかり、惜しげもなく晒される脚線が
 男たちを惹き寄せた。まったく男ってしょうがない・・とは
 思いましたが、彼女も彼女で隠そうともしていない。
 Tバックで仰角だと下着が消えてヒップが覗いてしまうはず。
 露出狂だわ・・羞恥を楽しんでいるようです。
 だけどそのとき、私は説明できない性の乱れに胸が苦しい。

 かすかな羨望・・でもどうして?

 私はもう三十二歳、夫のある身。人目をはばかるスタイルが
 クローゼットの隅へ隅へと追いやられていくようで・・。
 若いって、いい。そんな嫉妬を重ねていたのかもしれません。

 朝夕、見かけるようになる。通勤時間が重なっていたからです。
 気になってならなくなった。痴漢の餌食になりそうなスタイルばかり。
 そしてそんなある日、職場のデスクでマウスの調子がおかしく
 なって買いに出たのね。新宿駅前のパソコンショップ。

 なるほどね、ごく普通なパンツスタイルのユニフォーム。
 あの子の方でも一目見て、ちょっと笑って会釈をくれたわ。
 同じ駅から同じ時刻、同じ街へと通っている。車内で見覚え。

 三森麻紗美、三十二歳、163センチでブラはB。それが私よ。
 結婚から二年ほどしてノーキッズ。どういうわけだか授かりません。
 実家は沼津、夫は小田原。夏の伊豆で知り合いました。
 夫は三つ上の銀行員。横浜に住んでいましたが夫の転勤で
 調布の街に越して来た。ちょうど半年前のことでした。
 2LDKの賃貸マンション。大きな物件は団地みたいで好きじゃない。
 五階建ての401号。新宿のデパートで、パートで商品管理の
 事務をしていた。それまでは横浜の商社で営業事務です。
 エクセルをいじらせたら負けませんし。

 ウチの裏の北西側、道路を越えて留美のいるアパート。
 向こうは四階建てで彼女は三階、305号で角部屋なんです。
 留美の南と私の北が見合うカタチ。バルコニーと私の寝室が。
 道路を挟むとはいえ、この距離ではノーブラの胸が透けるほど。
 あの子の方からだって、かすかに動くカーテンぐらいは察するはずよ。
 カマをかけてみようと思った。

 「あら?」と、眉を上げて笑ってみたのね。
 「あ、はい、電車でお見かけしますね。ウイング調布の・・?」
 それ、ウチのマンションの名前。やっぱりね、気づいてた?

 それが話しだした最初のシーン。そのとき私はパソコンショップの
 ユニフォームにくるんで隠した若いヌードを透視していたんです。
 そのときはそれだけ。なのに帰りの駅でもバッタリでした。
 フリーターだと聞かされた。どうりでね。パートの私と同じように、
 正社員とは通勤時間が少し違う。遅く出て早く戻る。
 行きに会うのは十時すぎだし、帰りは駅に着いて七時前後。

 八月半ば。調布はひどく蒸していました。
 タイトフィット、マイクロミニな白いワンピは下着のラインを透かしてる。
 夏の白は怖いもの。薄いし裏地さえも透けますからね。
 駅を出ても南へ南へ、歩く方角は一緒です。
「ねえ、セクシーなのは素敵ですけど痴漢されない?」
「されますね、たまにですけど・・」
 なにげに横に並ぶ彼女に言って、そのときの煌めく視線にドキリとした。
 牝の色香・・性的な臭気を放つ眸の色だった。
「危険だと思わない?」
「ええ・・でも見られるの好きですから。トキメクし震えるし・・」
「感じちゃう?」


 ゾクリとするほど妖艶な笑い顔で留美は言った。
「ふふふ・・はい。大学の頃・・あたし女子大だったんですけど・・あ、よければお茶しませんか? 駅向こうにいいお店を知ってるんです」
「そう? じゃあちょっとだけ。主人きっと遅いと思うし・・」
 感じるかと訊いて、はいと応じた若い娘に、三森麻紗美は女の素直な感情を読み取った。性的に奔放でも、いい子だろうと想像できた。
「私は麻紗美よ」
「はい、お姉さん。才賀留美です、二十二なんですよ」
 お姉さん・・不思議に心地よく、いまこのシーンの中ではふさわしい言葉だと麻紗美は思った。
「才賀・・ずいぶん古風ね?」
「先祖が甲賀の出らしくって、なんだか忍びだったらしいんです。実家は埼玉ですけどね。うふふ」
 うふふ・・と笑む。
 『笑う』ではなくオンナが笑むニュアンス。性を発散するような、けれど明るい笑い方。可愛く思えた麻紗美だった。

 麻紗美は、越して来たのが半年前。二月ほどが過ぎたとき、子供ができないことで夫と一緒に受診しようと考えた。そのとき書店に立ち寄って、不妊の本を見ていくうちに一冊の女性雑誌を手に取った。
 不妊に悩む人への記事と一緒に、キュンとするエッセイが載っていた。女のセックスをあっけらかんと、性欲に素直に、そしてちょっとレズっぽく書いてある。

 MISUZU=みすずというペンネーム。それから三月の間に三冊買って、四冊目がそろそろ出る頃だった。

 新宿からの私鉄~距離は遠くなく~近くに多摩川~暮らしの周囲を書いたくだりを読んでいて、このへんだろうと思っていた。
 『ベルカフェ』という名の小さな喫茶店をやっている。ネットの公募に出したエッセイがたまたま入選。それから雑誌に寄稿しだしたエッセイスト。

 留美と二人で引き返し、駅を抜け、北側へ出る。同じ駅でも生活圏が違う。こちら側には滅多に来ない。駅前から少し離れ、そしたらそこに白亜の大きなマンションが建っていて、一階部分に店舗が三つ並んでいた。
 ケーキの店、ランジェリーショップ、そして・・。

「ベルカフェ・・へええ、ここなんだ?」
 留美の笑顔が咲くようだった。
「ご存知なんですか? 私はここで下着を買うから来たんですけど、そのとき見つけて驚いちゃった。私もMISUZUさんのファンなんですよ」
 白一色の内外装、全面ガラスエリアの明るく小さな喫茶店。気取らず『ベルカフェ』とカタカナで書いてある。カウンターに五席、四人がけボックスが三席だけの店だった。

 滝本美鈴、四十二歳、154センチでもブラはC。黒いショートヘヤーで首から上はボーイッシュなイメージなのだが、ソフトシルエットのワンピースは純白でドレスのよう。上品な薄化粧の中にゾクとするセクシーアイ。
 もちろん既婚で息子もいたが仮面の家族。住まいは近くても実質の別居。美鈴は店のあるこのマンションの三階に1LDKの隠れ家を持っていた。

 そのときそんなこととは麻紗美は知らず、しかし一目で美鈴に惹かれた。赤裸々にセックスを綴るエッセイストにふさわしい性のイメージ。一見してアラフォー。スタイルのいい美女である。

「あら留美ちゃん、今日はお二人?」
 くるりと瞳の回る美鈴の笑顔に探りの意味がこめられる。
「そうなんですよー、あたしのお部屋の向かいのマンションの奥様なのね。今日はじめてお話できて、そしたら麻紗美さんも美鈴さんのエッセイを・・」
 濡れるように黒目が輝く美鈴。
「あらそ? それは嬉しい。やさしそうなお姉さまじゃなくて・・どうぞ、こちらへ」
 と、美鈴は初対面の麻紗美に妖艶な視線をなげてカウンターへと導いた。
 このとき店内には、カウンターに客はなく、ボックス席二つにそれぞれ二人ずつ男性客がついていた。

「今日もエッチだわ、パンティラインが透けちゃってる・・ふっふっふ」
 美鈴の意地悪な言葉で男性客の二人が留美を振り向く。カウンターの白い椅子は、座面と背もたれとの間に隙間があって、座って張るヒップが際立つ。
「ええー・・ママ嫌だぁ・・ンふ」
 甘い鼻声・・この子ってもしや・・?
 麻紗美は、美鈴と留美の性関係を想像した。美鈴はエッセイの中で私はレズだと公言している。
 二十二歳の弾むセクシー、そして四十二歳の息苦しいエロスを前に、三十二歳の人妻は胸騒ぎに揺れていた・・。


終話~雪のごとく如月夜叉


 この忍び屋敷は、周囲を男の身の丈よりも高い土塀にぐるりと囲まれ、その前庭は駆け回れるほど広くはなかった。その中で多勢に無勢。にもかかわらず嵐の剣さえ白き般若に届かない。
 お紋は白ずくめの忍び装束。対する夜叉は五人ともに足首まである寝間着の姿。脚が開かず着物がまつわりついて、どうしても後手に回る。手裏剣なども持ってはいなく、このままではいかにも危うい。

 白き般若は、鳥・・いいや、まさに天狗のごとく、夜叉の剣をあざ笑うように宙へと舞い、横へ後ろへ宙返り、その刹那、返す刃が襲ってくる。
 嵐の寝間着の袂が斬られ、五尺寸の長棒を持つ江角でさえも寝間着が浅く斬られている。嵐や江角でなければ死んでいた。はじめて相まみえる恐ろしい敵・・おしろい般若。

 嵐の太刀があしらわれ、狐のごとく、くの字に踏み込む白狐・・お菊の剣が跳ね上げられて、攻めのことごとくをかわされる。
 嵐は寝間着の帯を解き、脱ぎ去って白き夜叉と化していた。
 江角も全裸。体の大きな涼風・・お涼も全裸。白狐・・お菊もそうだし、女陰働きの女郎花・・お雪は、豊かな乳房を弾ませる姿となった。
 これで動ける!
 般若がくすりとほくそ笑む。
「どいつもこいつも殺るには惜しい体だよ。傷もない。それも口惜しい。どうしてもやると言うなら受けてやる・・覚悟せい!」

 般若が舞う。夜叉が追う。
 身の丈をはるかに超える般若の飛翔・・振り下ろされる鋭い太刀筋。
 雪のごとく白き五つの女の影が、女陰を晒して地べたに転がり、乳房を弾ませ、江角の棒が般若に向かって突き込まれたとき・・なんとお紋は、その細い棒の上へと蝶のように舞い降りて、棒に立つ。
 なんという身のこなし。それも大きな女であるはずが棒に重みを感じない。
 江角は、とても勝てないと見切っていた。
「まずはおまえからだ、首はもらう!」
 棒に立ったまま般若の金色の剣が横に振られ、江角の首を跳ねようとしたときだ・・。

 キラリと幻影を引きずるように、二本の打ち根(小さな槍状の手裏剣)が天から舞い降り、うち一本が般若の左肩に突き刺さり、一本は江角の足下の地べたへと突き刺さる。
 不意を突かれて般若がひるんだその隙に、江角は棒を捨てて横っ飛びに剣をかわした。間一髪!
 八角棒もろとも地べたに落ちた般若だったが、たちどころに構えをただし、傷は浅い。
 全裸の嵐は如月流の剣を振り、般若を飛ばせておいて、地べたに突き刺さった打ち根めがけてもんどり打って、打ち根を抜くと、そのとき上から般若の剣。 「死ねい!」
「なんの!」
 女の秘部をあからさまに晒すあられもない姿で嵐は横に転がって、般若の太刀筋から逃れながら、下から打ち根を放つ!
「うっ! うむむ!」
 蒼い星明かりにキラと糸を引く手裏剣が般若の右胸に突き立った。
 そしてそのとき、くの字に切れ込む白狐ならではの太刀筋が般若の左胴を切り裂いた。
「セェェーイ!」
 手裏剣を放って立ち上がりざま、猛然と挑みかかる如月の剣の切っ先が心の臓を貫いた。

 白き般若の装束が血に濡れて崩れていく・・しかし・・。

 倒したと思い、四人は剣を下ろし、江角が八角棒を拾い上げたとき・・崩れ去って屍となったはずのお紋が、恐ろしげな笑い声を上げるのだった。
「ふっふっふ、不覚をとったわ・・されど死なぬ・・もはや痛みすらも感じぬわ」
 全裸の夜叉五人が崩れて蠢く般若を囲み、ふたたび斬ろうとしたときに、般若は鳥のように飛び立って、二階・・いや三階ほども高い大屋根へと舞い上がる。
「おのれ妖怪! 降りてこい!」
 お涼が叫ぶも、装束を血に染めた白き般若は確かに笑った。
「今宵はここまで・・いずれ嬲り殺しにしてくれよう・・」
 そしてその女声が、低く響く男の声へと変わっていく。人の声とは思えない。
「お紋など、もはや逝った。いとしき女の体を借りて生きながらえるも、またよしか・・くくくっ・・さらばだ、そなたらの体、楽しませてもらうゆえ・・」

 白き般若・・お紋の姿を借りた『叡山の鬼天狗』が飛ぼうとしたとき、大屋根の背後から襲いかかる黒い影・・鉄錆色の忍び装束・・ざんばら髪、髭面の大きな男が躍り出た。
 彪牙だ!
「そういうことだったか。どおりで探れど見つからぬはず。俺が相手よ、覚悟せい鬼天狗!」
 全裸の夜叉五人が呆然と見上げていた。
 躍り出た男は強かった。さしもの天狗をたじろがせ、大屋根の上を駆け、天狗もろとも転がり飛んで、庭へと降りた。
 ふたたび構える五人の夜叉に手をかざし、おまえたちは退けと言う。

「セイヤァーッ!」
 すさまじい気合い! 鬼神のごとき彪牙の剣! 
 それを受けきり稲妻のごとく金色に糸を引く、天狗の剣!
 土塀を足がかりに真横に飛んだ天狗の剣が彪牙の装束を浅く裂き、そのとき振るった彪牙の剣が、般若の白装束を浅く裂く。
 両者の影がぶつかるように刃と刃が火花を散らし、一瞬後に、鳥のように、猿のように、二つの影は飛び交わし、駆けてはもつれ、地べたに転がり、ふたたび跳ねる。
 すさまじい戦い・・屋敷の中では、お真知、結、お燕の三人が声をなくして見つめている。まさしく男の死闘であった。
「なかなかやるな、ぐっふっふ!」
 天狗が地の底から湧くように笑い、その刹那、金色の剣を振りかざして挑みかかる。
「なんの、それしき!」
 彪牙の剣がギラギラ光り、金色の剣と交わったとき、彪牙の剣が中ほどで折れて飛んだ。
 忍びの剣をへし折った金色の剣が浅く彪牙の腕を斬り、彪牙が飛び退いて転がったとき、江角の八角棒が横から天狗に突き入れられた。
「ハァァーイ!」

 しかし天狗は、ひらりと身をかわしざまに舞い上がり、ふたたび大屋根の上へと飛んで見下ろした。
「これまでよ・・いずれ会う日を心待ちにするがよい・・ぐっふっふ」
 天狗・・いいや白き般若は、大屋根の向こうへと飛び退いて、どこか空のかなたへ飛び去るように姿を消した・・。

「ちっ・・逃がしたか・・」
 斬られた右腕を押さえながら彪牙が立ち上がったとき、全裸の江角がとりすがって傷を見た。
「かすり傷だ・・すまぬ」
 江角は女の眸色で彪牙を見つめた。背の高い彪牙を見上げるようになる。
「どうしてここに?」
「天狗を殺るのが役目・・ふふふ、抱きてえぜ江角・・」
 そのときになって江角は己が全裸であることに気づいたようだ。
 嵐も。お涼やお菊やお雪もまた、両手で自分を抱くように乳房を隠して恥じらった。彪牙は大きい。彪牙は強い。嵐はともかく、江角も皆も体が火照るようだった。
 江角が言った。
「手当する」
「いや、ほんのかすり傷。江角・・俺の子を成す女・・」
「・・嫌だ・・あっ!」
 恥じらう間もなく、彪牙の左腕一本で江角は裸身をしならせて抱かれ、唇をさらわれて、男の無骨な指先が下腹の翳りへ潜り込み女陰へと差し込まれる。
「はぁぁ! あぁーっ彪牙!」
 江角の裸身がぐにゃりと崩れて彪牙の胸へと抱かれていった・・。

「ああ濡れる・・だめ・・溶けそう・・ぅは・・」
「ったく・・『ぅは』って何だい・・この色狂い・・」
 全裸で抱かれる江角を見つめて、お雪がくにゃくにゃになっていた。
 色狂いと言っておきながら、お涼は濡れはじめる女陰に戸惑った。
「・・いい男」
 嵐の横でお菊が小声でつぶやいた・・。
「憎たらしい・・ふんっ・・」
 嵐は笑って、横抱きに全裸のお菊を抱いていた・・。

 尾張徳川家江戸屋敷は、この後、現在の防衛省のある場所に上屋敷が築かれることとなるのだが、江戸幕府が開かれたこの頃は、水戸、紀州の御三家と合わせ千代田城内(江戸城内)に造られていた。
 尾張から江戸詰めを命じられた藩の重臣の一人が、国元から囲い者(妾)を呼び寄せたのだが、藩邸が城内では滅多なことはできない。そこで、この忍び屋敷から二丁(およそ200m)離れたところにあった、ゆかりの寺に女を住まわせ、配下の者十数名に守られながら密会していた。
 警護の厳しい城を出たところを襲われて、妾ともども首を取られて殺されたということだった。
 その知らせは百合花を通じて二日後に聞かされた。しかし探索もそこまで。瀬田は打ち切りを命じられる。深みに行き着き、世が乱れるということだ。

 瀬田はその働きが認められ、後の江戸町奉行にあたる『江戸市中探索方』を率いるよう重い職が与えられた・・。


 それからの香風・・。
 その日は朝から雨だった。いよいよ入梅。梅雨のはじめは雨は冷え、裏庭の木の葉で跳ねて涼しい風を香風に流す。
 濃い紺の法衣をまとった庵主のそばに、二人ともに鮮やかな茄子紺の法衣を着せられて若い尼僧が座していた。お真知と結。結はお真知に髪を委ねて尼僧となった。

 とそこへ、お客だと言ってお燕がやってくる。今日のお燕は真新しい花柄の赤い着物に茶色の前掛け。娘らしい姿であった。
「庵主様、お客様です、男の人がお二人で」
「あら・・それはめずらしい。お通ししなさい」
「はい」
 お燕は去り際、若い二人の尼僧にこぼれるような笑顔を見せて背を向けた。

 通されて覗いたのは、若くても落ち着いた若旦那ふうの一人と、まだほんの小僧と思われる一人。一人は落ち着いた鼠色の着物、若い一人はよく着込まれた紺色の着物。二人ともに町人髷をきっちり結って、庵主の前へと現れた。
「どうぞお座りくださいませ」
「あ、はい、では・・」
 若旦那が座卓を隔てた庵主の正面。若い一人は一歩退いて後ろに座る。
「わたくしは両国の呉服問屋、橘屋の主で、仙吉と申します」
「・・ああ、はい」
 二本松に晒されたお梅という若妻の亭主・・庵主は、あのとき訪ねてきた憔悴しきった女の姿を思い出す。この仙吉の兄の妻。
「そして、こちらに控えますは、入って間もない丁稚の喜介と申し、歳は十六。わたくしは主とは言え、まだ二十三の身の上でして」
「ええ・・確かお兄様の奥様が」
「そうです、姉がこちらでお話をうかがって、おまえも一度覗いておいでと言われていまして、それで今日」

 仙吉という若旦那は顔色もよく、少しは心も癒えたようだ。
「それで庵主様」 と言いかけて、仙吉は、庵主の横に並んで座る二人の若い尼僧に目をやった。
「これは申し遅れましたわね。こちらの二人は、結と真知。僧の姿はしておりますが出家させてはおりません。ともにちょっと過ちを冒しましてね、御仏の教えを学びつつ、こうしてお客様の声を知ることで女としての修行をする身。どうぞお気づかいなくお話ください」
 そのとき、お燕が茶と菓子を持ってやってきて、客の前へ並べて立った。
 若い丁稚の喜介が、そんなお燕をぽーっとなって見つめている。庵主はすぐにそれに気づいた。
「あらあら喜介さんとやら」
「は、はいっ!」
 小僧、緊張してガチガチ。
「この子はお燕、歳は十七。どうやら気に入ったようですね」
「これ喜介!」 と、仙吉は慌てて制したが、喜介は真っ赤になってうつむいてしまっている。
 去ろうとしたお燕に庵主が言った。
「お燕はどう? ごらんなさい、そなたに一目惚れで真っ赤になって・・ふふふ」
「ぇ・・ぁ・・どうって、そんな・・嫌だぁ、恥ずかしい・・」
 顔を覆って走り去るお燕。庵主と仙吉が笑い合い、喜介はますます借りてきた赤い猫。固まってしまっている。

 庵主はそんな喜介に微笑みながら、仙吉に言う。
「それで今日はどのような?」
 仙吉はこくりとうなずいて言った。
「ひとつは姉がお世話になったことへのお礼・・姉さん、それでどれほど癒やされたことか・・それともうひとつ、聞いていただきたいこともあり・・」
 今度は仙吉が赤くなってうつむいた。心の綺麗な若者だと庵主は思う。
「それはどのような? どうぞお話くださいな」
「はい、あの・・お梅のことがあって、わたくしが川っぺりで泣いておりやすと・・その・・店のすぐ近くの・・米屋の娘で・・名はお咲と申しやすが・・あっしのことを親身になって慰めてくれやして・・あっしもこのまま尻尾を巻いて尾張に帰ぇればお梅は犬死だと思いやして、もう一度やり直してみようかと・・」
 言葉がどんどん素直な仙吉へ崩れていく。
「強いお方・・そうですね、その方がお梅さんは喜ぶでしょう」
「はい、姉さんもそれはそう言いやすし・・そいであの・・ですから・・うー」
 仙吉はしどろもどろ。喜介より赤くなって震えている。

「そんでま・・近所の者がお咲ちゃんとあっしの姿を見ておりやして・・お咲ちゃんは十八で・・いっそ一緒になっちまえって・・ですから・・えっえっえっ縁談が」
 汗だく仙吉。
 よかった・・庵主は涙が出そうだった。妻の死から間もないのに、そんなことになっていいものかということだ。
 庵主はちょっと考えると、黒髪を失ったばかりの結に言った。
「結はどう思いますか? お梅さんとは・・ほら二本松であったでしょう・・」
「・・はい」
 結もお真知も胸が裂けそう。泣いて平伏し、謝りたい。
 結もお真知も涙を浮かべ、結が言った。
「もしも私なら・・としか申せませんが、お咲さんは嬉しいと思いますよ。もう少し間を置いて・・ですけどお二人で手を取り合って・・お梅さんも安心して眠ることができるでしょうし・・」
 ぽろぽろ涙をこぼす二人の尼僧に、仙吉までが泣いてしまってうなずいている。
 仙吉が涙声で言った。
「へい・・これから二本松を見てまいりやす・・お梅の奴に手を合わせて・・ぅぅぅ」
 堰を切って泣き声があふれだす。

 大粒の涙をこぼし、手を合わせて震えている結と真知へ、庵主は静かな視線をなげながら、死よりも辛い償いだろうと考えていた。

 仙吉、喜介の二人が帰っていくとき、坂の途中で何度も喜介は振り向いて、竹垣の横からひょこっと顔を覗かせるお燕が手を振った。
 そんなお燕の両肩に源兵衛がそっと手を置いた。大きな手だった。
「ずいぶんと可愛らしい小僧じゃねえか。背格好もおめえにぴったりよ」
「嫌だ・・源さんまでそんな・・ンふふ、けど可愛い・・ンふふ・・」
 源兵衛、高笑い。その声は香風の中まで響いていた・・。


女忍 如月夜叉 『おしろい般若』 完

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