2017年11月24日

本格時代劇 白き剣(十六話)

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十六話 年の瀬


  また三日、焦れるような日々が続く。鷺羽鶴羽鷹羽の三人はいまだ戻らず、それは敵の奥深さを物語るようなもの。くノ一たった三人でできることは知れていたし、疑いを持っても確証をつかむには頃合いというものがある、敵が動く気配がなければやみくもに探っても感づかれるだけ。いつの間にか師走となって年の瀬が迫ってきていた。とりわけ今日は朝から牡丹雪が舞っている。

  そのときは女将の美神が座を離れた大きな火鉢の前で、お光が炭を加えて火を整えていたのだった。なにげに部屋を通りがかった紅羽。
 「冷えるね、寒い寒い」
 「あ、はい姉様、そう思って火をちょっとふくらまそうかと」
  お光の様子がおかしいと感じた。昨日あたりから、それまでのお光とはどこかが違う。元気がないというのか、眸を合わせてもお光のほうでそらせてしまう。
  紅羽は、そばにしゃがんでお光の顔を覗き込むが、お光はちょっと笑ってやっぱり眸をそむけてしまう。紅羽にはだいたいの見当がついていた。
 「どうしたんだい、元気ないね?」
 「えっえっ? そうですか? そんなことはないけれど」
  なんだか哀しそうだと紅羽は感じ、ちょっとおいでと己の部屋へ連れていく。黒羽と二人の部屋であったが、黒羽は宗志郎と出かけていた。

 「ちょいとお座り」
 「はい」
  ちょっとため息をつくように、お光はそっと正座をする。紅羽は艶辰でもっとも歳上の格であり、お光もちょっと意識している。紅羽という女、妹の黒羽より物腰がしなやかな分、さばけたところに少し欠ける。まさに女。美神を除いて女らしさの頂点にいる女。見目形は双子のようでも紅羽は心根がやさしく、そのぶん剣では黒羽が上か。
 「隠さず言ってごらん、どうかしたかい?」
  お光は黙ってちょっとうつむいていたが、意を決したように顔を上げた。
 「お栗が来て・・」
  やっぱりそうか。朝の稽古で薄々感じていたことだった。
  お光は言う。
 「あの子はできる。まだほんの数日なのに、あたしとはスジが違う。棒を振っても鋭いし動きも速い。あたしじゃできない」
 「そんなこと気にしてたのかい馬鹿だね」
 「けど、あたし・・」
 「ほらほら、また黙る、聞く耳はあるんだから言えばいい」
  お光はちょっとうなずいた。
 「あたし、ここの人たちに助けられた。姉様たちには別な役目があると知って、ならあたしもそうなりたいって思ったんです。悪者をこらしめる。姉様たちのお役に立ちたい。そう思って稽古をしても、お栗ほどの才がない」

  紅羽はちょっと笑ったが、お光はますますしょんぼりする。人には分というものがあるのだが、お光の気持ちはもちろんわかるし、こういうときにうわべの慰めではダメ。紅羽は言った。
 「あたしら姉妹は早くに女将さんと出会ってね、艶辰の最初からここにいる」
 「はい」
 「あたしも黒も、剣こそできても三味線はだめ踊りはだめ。それで剣の舞を思いつき、二人で稽古してお座敷芸にしたんだよ。いまでこそ三味線も弾けるし踊れるけどね、その頃はまるでだめ。芸者なんてとてもとても、身のほど知らずだって思ったんだ」
 「はい」
 「確かに剣ではお栗が上かも知れないね。持って生まれた才がある。だったらお光は、お栗にできないことをすればいい。おまえだけの何かを探す」
 「あたしだけの何か?」
 「鷹羽は伊賀者で毒の名手だ」
 「毒?」
  光は眸を丸くする。
 「そうさ毒だよ。おまえはお艶さんとなってもいいし」
  お艶さん・・身を売るってことなのかとお光は思い、そのときはがっかりしたのだったが、紅羽がそんなことを勧めるはずもない。

 「色仕掛けで取り入って毒を盛る。くノ一では女陰働き(ほとばたらき)と言われていて、くノ一仲間からも一目置かれる役回り。くノ一の誉れなんだよ」
  お光は呆然として声をなくした。
 「剣では斬れない敵に対しておまえは戦う。いまいるお艶さんの三人のようにね」
 「え・・」
 「鷹羽がつくった毒を持って敵に近づき、殺すまでいかずともこらしめることができるじゃないか」
  お光は言った。
 「じゃあ、お艶さんの三人は・・?」
  紅羽が微笑んでうなずいた。
 「美介と彩介はそれをした。恋介はまだだけど。虎もそれをしたんだよ」
 「えぇぇ、虎介の姉様も?」
 「幼い男の子をたぶらかしては手籠めにする奴がいてね。虎はそいつに抱かれて毒を盛った。泡を噴いて死んだそうだよ」
 「そうなんだ、あたしはまた・・」
 「ただの色売り芸者だと思ったかい? ところが違う。女将さんはあたしらみんなにそんなことをさせて苦しませるから、いつもああして仏に祈る。だから庵主様と呼ばれてる。何かがあれば身を開いて吸い取ってくださるだろう?」
 「はい。あたし、知らなかった」

  剣の稽古をほとんどしないあの五人は、じつはそうだったのかと思ったとき、艶辰では剣を使える者が上だし、あの五人は格下だと考えた自分が浅はかだったと、お光は思う。
  とそこへ美神が戻り、何やら話し込む紅羽を見て眉を上げた。お光の悩みを紅羽が告げると美神は笑い飛ばし、紅羽が座を離れ、代わって美神が座ったのだった。
 「そんなことだろうと思ったよ、妙に元気がなかったもんね」
  お光は唇を噛んでちょっと笑う。
 「でもね、お栗はちょっと暗い。愛想がない。あれでは芸者には向かないね。まだ十五でもあるし色気づくには早いんだけど、それにしても男っぽすぎるんだ。おまえはやさしい。それぞれ働く場があるんだから、おまえらしいことをすればいいのさ」
 「はい女将さん」
  美神はちょっと叱るような強い目を向けたのだったが、すぐまた笑った。
 「あたしは城中にいた女。大奥だよ」
  呆然として見つめるお光。
  大奥といえば、それは娘らにとっては女の夢を集めたようなところ。思い描くだけの憧れの存在だった。

 「上様のお手がつくならまだしもいいが、よりにもよって嫌な男に言い寄られた。それで願い出てお城を下がり、逃げたってことなんだ。あたしは薙刀でね」
 「薙刀?」
 「剣も少しは使うけど薙刀、それから槍ではそこそこで、警護の者どもに教えていた。けど薙刀なんて町中で使うものじゃないだろう」
 「はい」
 「それぞれにそれを使う場というものがあるんだよ。若いおまえにとってあたしらは憧れなのかも知れないけれど、所詮は殺し屋。どう繕っても殺し屋であることに違いはない」
  お光はそうじゃないと言うように首を振って言った。
 「それは人を生かすため。あたしもお役に立ちたくて」
  お光やお栗にそんなことをさせるつもりもなかった美神だったのだが。
 「まあ心根はわかったよ。おまえらしく気張ることだね。お栗は厨のことがまるでだめ。細かなことに気がきかない。そうなると女中はできない。おまえはできる。敵に潜り込んで耳を使うのがくノ一というものさ。おまえらしい役目があるじゃないか」
 「はい!」
  眸の色がいつものお光に戻っている。十七らしい若さだと美神は思う。
  そしてまたそんなとき、お栗が前掛けをした姿で現れた。

 「姉様、ちょっと」
 「あ、うんっ、いま行く」
  昼餉の支度にかかったまではよかったが、頼りのお光が戻って来ない。美神は、ほらねと言うように眉を上げて微笑んだ。
  厨に入って前掛けをしたお光。お栗と並ぶとまるで姉妹のようだった。お栗はお栗で、艶辰へやってきて数日のうちに次々に流れ込んでくる新しいものをさばききれない。とりわけお栗だけが男を知らない生娘。お光に対してだって肩身の狭い思いをしていた。
  お栗は包丁の使い方からしてお光を横目に習っている。久鬼と二人、喰えればよかった田舎料理と、江戸にいて料亭に出入りする者たちが食べるものとは質が違う。
  厨に二人。若い芸者衆は踊りや三味線の稽古に出ていて、戻ってすぐ昼餉。段取りよくしないと間に合わない。お光が手際よく支度にかかると、お栗はそれを横から見ていた。
 「ねえ姉様」
  まな板に向かいながら横を看ると、お栗が妙に沈んでいる。
 「うん? 何だい何だい、どうしたって?」
 「虎と情の姉様とさ」
  なるほど。一つ部屋で眠っているお栗。

  お栗が言った。
 「風呂もそうなんだけど、あたしどんどんヘンになってく」
 「ヘンて?」
 「姉様たちが抱いて寝てくれ、やさしくされて、あたしよりずっと女じゃないかと思ったとき、男を知らないのはあたしだけだって」
 「十五だからね、これからだよ」
 「それはそうだけど、姉様たちは男だろ。やさしくされると震えるし、そうされてもいいと思うのにしてくれないしさ」
 「それはね、姉様たちは置屋の姉様なんだからしかたがないよ」
 「わかってるよ。けど姉様を見てても思うんだ」
 「あたしを?」
 「そうだよもちろん。あたしが手で、その、してやると、そしたら姉様たちが甘い声で出すじゃないか。それが腹に入れば子ができると言う。そんなことさえ知らなかったあたしって何だったんだろって思うんだ。あたしならいいんだよって言っても、そこまではしてくれない」
  それが美神が与えた、女へと化身していく階段だった。お光は言う。
 「はじめは痛いもんなんだ」
 「痛い?」
 「狭いんだよ。太いアレが入るとひろがって、そんとき血が出たりする。だからちっともよくないんだ」
 「はぁ、そういうもんなんだ?」
  何だ、お栗はお栗で悩んでいた。そう思うと力が湧いてくるお光であった。

  お光が言う。
 「あたしは悪い奴らに犯された。代わる代わるに犯されて、けどそのうち男が可愛く思えてきた。だんだん良くなって達していけるようにもなっていく」
 「う、うん。達するって心地よくてか?」
 「そうだよ。ふわふわ雲に浮いてるようで、あぁんあぁんて声をあげて男の体にしがみつくんだ」
 「うん。はぁぁぁ、そうなんだ? 虎の姉様も情の姉様も、あぁんて言って、可愛いって思ってると出すだろ」
  お栗の息づかいがおかしくなっている。
 「ふふふ、そうだね、あの二人は心が女なんだよ。男に生まれたことが間違ってる。あたしにもそうだった。哀れなあたしのことを抱いてやりたい。やさしくしてくれ、舐めてくれて、あたしは達した。舐めてくれたかい?」
 「え・・うん、舐めてくれた。恥ずかしくて、けど心地よくなってきて、はぁぁぁ」
 「あっはっは、そればっか考えてるんだ?」
 「考えてる。入れていいよって思うんだ。あたしちっとも女じゃなかった。知ってみたい。風呂も一緒だし、男の体を見てるとね、あたしがやさしくしてやると、よっぽど嬉しいんだろなって思うしさ。アレのところが大きくなって」

  可笑しい。お光は剣のことで落ち込んでいた自分が可笑しくなった。
 「あたしいまお艶さんの姉様方と一緒だろ」
 「うん?」
 「毎夜だよ、それが。舐めてくれるし、あたしだって舐めてやるし」
 「そうなんだ女同士で?」
 「人と人。女将さんがいつも言うこと。虎と情の姉様なんて、女将さんに叱られて尻を叩かれると勃てるんだって。それがまた赤ベコみたいなんだって」
 「へぇぇ、えへへへ」
  思い浮かべて笑うお栗。
 「悪かったって思ってるんだろうねって睨みつけて、ナニの先を叩いてやると出しちゃうんだよって女将さん笑ってた。何かがあってしょげてると、よしよしって口でしてやる」
 「口で! 舐めるのアレを!」
 「あ、馬鹿、声がデカい」
  ちょっと首をすくめるお栗。
 「そうそう。そしたら二人とも、いっぺんに元気になるんだって。飲んでやると嬉しくて泣くんだって。すごく可愛いって言ってたんだよ」
 「飲むんだソレを。はぁぁぁ、だめだ、気がおかしくなってきた」
  声を上げて笑い、尻をひっぱたいてやるお光。そういう意味で知りはじめた新しいことがお栗には別の世界そのもので。
  あたしはあたし。お光はきっぱり己を見定めることができていた。

  しかしちょうどその頃。水戸屋敷にもほど近い小川町のあるところで。
  黒砂利を敷き詰めた枯山水の庭。明かり障子を閉め切って冷気を遮り、明るさだけを採り入れる板の間の部屋。囲炉裏がパチパチ爆ぜて熱を配る。
  女が言った。
 「爺の念が失せた」
 「ほう? さては去りましたかな?」
  と男が応じ、女が言った。
 「いや、おそらくは逝ったのだ。生きておるなら残り火ぐらいは感ずるはず。百十余年を生きるとは、なんたる化け物」
  おかっぱ頭の禿を連れた、まだ若い女と、女が二人。そして商家の主らしき五十年配の男。
  男が言う。
 「じきに正月。宿下がりの下女を狙えということで。商家ばかりを狙ってまいり探索の手はそちらへ向かう。次はまさか城中でとは思いますまい。御前様も早うせいと焦れておいでです」
 「わかった。いよいよ世が騒ぐ。じつに愉快」
 「柳(やな)様におかれましても、いよいよもって風魔の再興」
 「ふんっ、そのようなことは考えておらぬわ。徳川にひと泡吹かせてやればそれでよいし、女どもの狂う様も見物というもの。そなたらの目論見が愉快ゆえ力を貸したまでのこと」
 「ではわたくしはこれにて」
  男が腰を低く部屋を出て、柳は障子を開けよと娘の葛に言う。少し明けると牡丹雪が舞っている。
 「美しきかな。されど冷える。ふふふ」
  江戸城に仕える下女、大奥もそのうちだが、盆や正月に休みをもらって城を出ることが許される。これを宿下がりと言う。

  それからしばらくの刻を置いて、宗志郎の小さな家に鷹羽が戻り、追って鶴羽鷺羽の二人が戻ってくる。皆がありきたりの町女の姿。顔を合わせて鷹羽鷺羽は言うことなしと言うように首を振ったが、鶴羽はあることをつかんでいた。
  三人は火鉢に顔を寄せ合った。鶴羽が言う。
 「いまのところは聞き込んだ話だが、品川にある船冨士(ふなふじ)という船問屋に、武尊(ぶそん)なる武器商人が出入りしている。冨士屋はもともと駿府が商人なのだが、ここのところ羽振りがよく、と言って商いがそう盛んというわけでもないらしい。どこぞから動く金があるということ。方々の刀・・」
  と言いかけたとき、戸口に気配。鷺羽が仕込み杖を手にして立つと、宗志郎と黒羽。

 「・・というわけで、刀鍛冶やら鉄砲鍛冶より武器を買い付けているそうですが、どこに隠してあるのかまではいまのところ皆目。妙な武家の出入りもありませんしね。されど商人どもの間では、よほどの金づるをつかんだのではと評判になっており」
  鷹羽が応じた。
 「匂うね。三人で張り付くか」
  宗志郎が応じた。
 「我らも刀の店を覗いて回ったが、方々に古鉄を用いた刀が出回っている。訊けばそれらは西国から仕入れたものらしい。船問屋ならあり得る話だし、刀の出所が西国の何者なのかも確かめておきたいところ。ご苦労だがもうしばらく」
  くノ一の三人はうなずいて、黒羽が封を切らない二十五両の包みを鷺羽に手渡した。
  黒羽が言う。
 「お栗はよくやってるよ。皆も元旦ぐらいは戻っておいで」
  三人はうなずいて微笑むと、「では、あたしらは」と言って鷹羽が黒羽の肩にそっと手を置き、家を出た。
  鷹羽が最初、間を置いて一人また一人と出て行って、一度散ってどこかで落ち合う手筈だろう。

  はらはらと雪は舞い続け、江戸が白くなっていく。


白き剣 第二部。続いて三部へ。

2017年11月21日

本格時代劇 白き剣(十五話)

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十五話 力ない眸


  そのお栗がお光に連れられて女将の寝所へやって来たのは、その夜、さて寝ようとしたところ。美神はすでに夜具に身を横たえて、けれどまだ火鉢には火があって、油を燃やす小さな明かりも灯っていた。
 「女将さん、よろしいでしょうか、お光です」
 「いいよ、お入り」
  ここへ来て間がないというのにお光は女らしく、また大人の女の言葉を言えるようになったと思う。下働きでもよくやっている。芸者として躾けていっていいのではと、このとき美神は考えた。
  そっと襖が開くと、そこにお光が片膝で据わり、少し後ろにお栗が正座をして座っている。二人ともに、まだ寝間着に着替えてはいなかった。お栗は紅羽に髪を結ってもらい見違えるような娘となっている。幼な顔の残るお栗だったが、こうして見ると愛らしい。

 「どうしたんだい二人揃って?」
  お光は、まるで実の姉となったようにやさしい目でお栗を見つめて言うのだった。
 「お栗がちょっとお訊きしたいことがあるからって」
  ちょうどいい。美神としても邪視という不可思議な力のことを尋ねてみたいと思っていたし、そのことで言っておきたいこともある。
 「かまわないよ、いいからお入り」
 「はい」 と言って、お光はお栗の背をそっと押し、お栗一人を押しやって己は下がって行ったのだった。
  二人きりとなり、すでに寝間着の美神は、布団の上に座り直して綿入れを肩に羽織った。
 「寝間着になっちまったから、このままでいいだろ?」
 「はい、女将さん」
  お栗は布団の際で正座をしている。両手を膝に置いているのだが、どうにも身が定まらないといった様子。綺麗な着物を着せられて髪もちゃんと結ってもらうという暮らしに戸惑っているようだった。
 「何を訊きたいんだい?」
 「女って何だろ?」

 「え?」
 「この艶辰って、どういうところ? それから、あたしが棲んでいいのかって?」
  それきり黙り込んでしまったお栗を見つめ、美神は、この子なりに懸命に考えていると感じていた。
 「どうしてそう思ったんだい?」
 「朝の湯で、虎介の姉様と情介の姉様と湯に入り、けど二人は姉様じゃない。心は女だって言った。あたしより女っぽい。じゃああたしは何なのって思ってしまった。紅羽黒羽の姉様は恐ろしく強いのに、でもやさしくて。お艶さんて呼ばれてる三人もそうだし虎介情介の姉様だって、裸で芸もすれば、その・・抱かれたりもすると言う」
 「それで何が何だかわからなくなっちまったって?」
  お栗はちょっとうなずいて、なおも言った。
 「それもあるし、そんなみんなには役目もあるだろ。鷺羽鶴羽鷹羽の姉様はくノ一なんだし、ここはどういうところって思ってしまった。あたしなんて山猿なのにいていいのかって思ったし、それに・・」

  言いたいことはそこからだと美神は感じた。
 「思うことを吐き出しちまいな、言えばいいから」
 「はい。あたしは黒いし」
 「え? 黒いとは?」
 「ジ様に言われた。おまえの中には恨みの念が燃えているって。それは黒い焔(ほむら)のごとくで恐ろしいことだぞって」
 「うむ、そうだね、そう思うよ」
 「それであたし剣を習った。懸命にやれば強くなれる。けどそうなったときのあたしが怖い。悪人を許せなくなり平気で人を斬るようになるだろう。そのときあたしはきっと鬼。なのにまた女に戻れるものだろうかって」
  案じていたことをお栗自身がわかっている。宗志郎の言葉が思い出される。やがて気づくときが来る。美神はちょっとほっとした。
 「それにあたし・・」
 「まだあるのかい?」
 「あたしの目も怖いんだ。ジ様に言われた。おまえの中にも陰童子が眠っている。陰童子が黒い心を持つと化け物だって。怖くてならない。宗志郎様にも言われた」
 「宗さん、何て?」
 「黒に向かえば己の白に気づくだろうって」
  目をそむけず己を見つめよということだ。
  いきなり棲む世界が違ってしまい、奔流となって流れ込むすべてのものをさばききれない。

  お栗は顔を上げて美神をまっすぐ見つめて言った。
 「けどそれは、あたしが己を律していくこと。わかってるけど自信がない。だからあたし、このままここにいていいのかと思ってしまった。朝の風呂で・・」
  そしてまたうつむくお栗。心が激しく揺れていると美神は思う。
 「朝の風呂でどうしたって?」
 「あの二人は男。知らずに脱いだあたしを囲んで抱いてくれ、あったかくて、あたし震えた。お光の姉様は平気で抱かれ、その・・男のモノを可愛がってやっている。そしたらそれは大きくなって、なのにそれでもお光の姉様は笑ってる。あたしはまだ男を知らない。もう何が何だかわからなくなってしまった。あたしもいつか男を知るのか? そのときあたしは女になれるのかって? あたしの中には妖怪がいるんだよ。それでも女でいられるのかって。片方で人を斬り、なのにもう片方で女でいられるものかって思うんだ」
  うつむくお栗の二つの目が涙で揺れて美神を見つめた。

  美神は言った。
 「あたしがもし、おまえの親を殺した者どもに出会ったとする」
 「はい?」
 「鬼となって八つ裂きにするだろう。返り血を浴びて地獄の鬼のごとき姿となるが、振り向いて、鬼はおまえを抱いてやる。刹那、母のやさしさをもってだよ」
 「はい」
 「けどそれはおまえの恨みを晴らすというより、二度とおまえのような娘を出さないため。だってそうだろ、あたしは母ではないのだから、おまえにとっては慰めに過ぎないもの」
 「はい」
 「けど母の心を向けてやりたい。苦しみを吸い取ってやりたい。おまえの中にいるという妖怪の頭までも撫でてやりたい。おまえのままのおまえを守ってやりたいとそう思う」

 「はい」 と応えたその声が涙に揺れた。
 「男芸者はそんな心を客に向け、お艶さんはそんな心を客に向ける。そしてさまざま何かを背負って戻ってくる。いいことよりも口惜しいこと腹の立つことのほうが多いだろう」
 「はい、それはきっと。そう思います」
 「うむ。そしてそれをお光は吸い取ってやっている。それが嬉しくて男は勃てるし、勃ててくれて嬉しいからお光はそれを可愛がる。あたしもそうだよ。この身を投げだし、どうか癒えてほしいと抱いてやる。心と心が響き合うのに男女の別などありはしない」
 「はい、それもそう思います」
 「ならばお栗」
 「はい?」
 「おまえの中の妖怪を、なぜおまえは抱いてやらない? 怖がって遠ざけようとするから妖怪は哀しくなって暴れだす。人が人を抱くとき、じつは己を抱いているんだと思えばいい。川は一筋の流れからはじまって、流れ込む濁流に削られて、やがてゆったり流れる大河となる。削られれば川だって痛いはず。だけど川は逃げたりしない。流れを包み込んでじっと耐える。それが人。ゆえに人は他人の痛みがよくわかる」
 「はい」
 「おまえはいていいのかと言ったけど、皆はいてほしいと思うだろうし、けどあたしはそこがちょっと皆とは違う」
 「違う?」
 「ここにいろと叱ってやりたい。『俺』などと言おうものなら頬を叩いて叱ってやりたい。剣のできないおまえの尻を黒羽がどういう思いで叩いて叱るか、そこをよく考えてみることだね」

  お栗は涙の伝う顔を上げて美神を見つめた。
 「じゃあ、あたし・・」
 「あたしのそばにいてちょうだい。剣で黒羽に勝てるまで」
  うぅぅっ・・襖の向こうでお光の嗚咽。
 「ほらね、お光はね、おまえのことが大好きなんだ。そんなお光を捨て去って、おまえは出て行くって言うのかい?」
 「はい、嬉しいです、はい!」
  美神はお栗の肩越しに襖に言った。
 「お光、入っておいで」
 「はい、すみません、盗み聞きしてしまいました」
  襖を開けたお光。お栗よりずっと泣いてしまっている。

 「やれやれ、あたしまで泣けてくるよ」
  と笑って言うと、美神は二人の目の前で寝間着を脱ぎ去り、白い裸身となって両手をひろげた。
 「おいで二人とも、今宵はあたしを抱いて寝ておくれ」
  涙を溜めたお光に促され、涙を溜めたお栗も脱いで、娘二人が母のような美神の乳房に甘えていった。
  二人の娘を乳房に抱いて美神は言った。
 「明日からお光はお艶さんの部屋へ行く。芸者修行をはじめるよ」
 「はい」 と言ってお光は美神の左の乳房に頬を寄せた。
 「お栗は虎と情の部屋へ行く。思うままに過ごすがいい」
 「はい」 と言ってお栗は右の乳房に頬を寄せ、泣き濡れる目を閉じた。

  そしてその意味をお栗が悟るのは翌朝の剣の稽古の後だった。朝湯。芸者修行をはじめたお光の風呂はお艶さんの三人娘と一緒。お栗だけが虎介情介の二人と一緒。お光のいない場で女が一人。男二人の目のある中で裸になってお栗は赤くなっている。
  情介が言う。
 「お栗は未通女(おぼこ)なんだってね」
 「あ、はい」
  虎介が言う。
 「女らしい綺麗な体、羨ましいよ」
 「はい」
  どんどん声が小さくなってうつむくと、右と左に大きくなった男のそこのところが目に入る。
  かーっと燃えるような女の想いに戸惑うお栗。生唾をごまかして笑おうとするのだが、稽古で痣だらけにされた尻を撫でられ、背を撫でられて抱かれると、女の奥底が疼くような妙な感じに震えがくる。
 「あたしらで遊べばいいさ」 と虎に言われ、お栗はちょっと左右に首を振る。

 「嬉しいんです、あたし。夢のようだし。夕べだって女将さんが裸で抱いてくださって」
  情介が言う。
 「うんうん、よかったね。あたしらもそうなのさ、女将さんが抱いてくれ」
  その後を虎介が言う。
 「嬉しくて勃ててしまうと、そっと握って可愛がってくれるんだよ」
 「えぇー、そうなの?」
  虎が言う。
 「心地よくてあたしは喘ぎ」
  その後を情介が言う。
 「あたしも喘ぐ。女将さんは女陰を晒し、そしたらとろりと濡れていて」
  その後を虎介が言う。
 「あたしらで舐めて舐めて」
 「えぇー」 え? という言葉の言葉尻がのびていき息の声に変わっていく。信じられないというように、お栗は左右の姉様の顔を交互に見た。
  情介が言う。
 「お乳にも甘えてね、女将さんの体が震えてしなって達していくと、あたしらは嬉しくなって出してしまう」

  耳を塞ぎたい言葉。よくも言えたものだと思いながら、言葉だけで濡れはじめる己を感じてたまらない。
  虎介が言う。
 「ここへ来たとき、あたしらは役立たずにもほどがあり、女将さんに叱られて物差しでお尻をぶたれ、でもそうするうちにたまらなくなって勃ててしまう」
  その後を情介が言う。
 「勃ったものを笑われて、手でパシパシぶたれるとビクンビクン、それだけで出してしまうんだ。嬉しくて嬉しくて、このお方のためなら何でもできると思うようになっていき」
  その後を虎介が言う。
 「心がどんどん童に戻っていくんだよ。赤子に戻って、それでも小さくなっていくと人は女陰の中へと戻るだろ」
 「う、うん」
  息が乱れる。はっきり己で感ずるほどに濡れてくる。お栗はそっと左右で勃つものへと手をのばし、そっと触れてみて、握ってみる。
 「熱い。硬い。あたしといて嬉しいから?」
 「そうさ嬉しいから。お栗のこと大好きだよ」
 「うん。はぁぁ、ん、はぁぁ」
  女はこうなるものなのか。吐息が燃えるようだし生唾が湧いてきてたまらない。胸がドキドキ。寒気のような波に襲われ裸身が震える。女将さんはひどいと思った。こんなことが続いていくと、あたしはどんどん女になる。

  虎介が言う。
 「お光の女陰を可愛がってやるだろう」
 「は、はい?」
  情介が言う。
 「お光は濡れて愛らしい女となって」
 「はい、んっ、はぁぁ」
  虎介が言う。
 「お光が手でしてくれて、あたしらだって濡れてくる。心がさ」
 「はい、あぁん嫌ぁ、あたしヘン」
  虎が言う。
 「濡れたかい?」
 「う、うん。はぁぁ、泣きそう」
  笑われて抱かれながら、お栗は二人の勃つものを両手に握って嬉しかった。
  お栗の中に女としての小さな自信が生まれていたのかもしれなかった。

  その手を二人に取られて動かすことを教えてもらう。そうするものか。ドキドキしながらしごいていると、二人の息が熱くなり、虎介も情介もうっとり目を閉じ甘い声を漏らしだす。
 「はぁぁ、お栗」
 「いいよぉ、お栗」
 「あたしは女? ねえそうなの?」
 「いい女さ」
 「ほんとよ、お栗はやさしい女」
 「うん」 と小声で言いながら、熱い息を吐く姉様二人を交互に見る。
  虎介が少し早く、遅れて情介が、
 「あぅ!」
 「むぅ!」
  勃つものの先から白い粘りを弾かせた。お栗は目を丸くする。
 「これが出るってこと? 心地よくて出すってこと?」
  虎介が言った。
 「そうだよ、ああ嬉しい。これが女の中に入ると子ができるのさ」
 「えぇぇ、そうなの? 子ができるの?」
  何も知らない生娘。男女の意味をはじめて知って、あたしがそこへ導いてやれたことが嬉しくなる。お栗は十五。生娘のまま嫁にいくのがあたりまえの時代のこと。

  朝湯を終えて出て来たお栗を一目見て、宗志郎は、見違えるほど女らしい目をしていると感じていた。
 「おまえら、何かしたか?」
  二人揃って居並ぶ、まさしく女の虎介情介に耳打ちした宗志郎。
 「んふふ、それは内緒ぉ、んふふ」 と、しんねり色目の虎介。

  ゾワとする。訊くんじゃなかった宗志郎。

2017年11月20日

本格時代劇 白き剣(十四話)

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十四話 惑う小娘


  久鬼の亡骸を運び出し、くノ一の三人が去ってほどなくして、宗志郎と黒羽の二人は火鉢の燃え炭に灰をかけて消し、小さな家を出ようとした。
  玄関先に忍び寄る気配を感じたのはそんなとき。そのときたまたま戸口のきわにいた黒羽が気づく。黒羽はとっさに「静かに」と言うように指を立てて唇を閉ざしながら宗志郎へと目配せし、宗志郎は刀を手に息を潜めた。
 「開けろ。いるのはわかっている」
  小声。若い女の声だった。若いどころかまだ幼いと思えるような娘の声。黒羽は宗志郎を振り向いて小首を傾げながら板戸を開けた。そしたらそこに、ひどく粗末な長綿入れを着込んだ小柄な娘が立っている。一見して十五、六か。丸い目をした愛らしい顔立ちだったが、ひどく暗く、黒羽と宗志郎を睨みつけている。黒髪は結っていたがほつれ毛が目立ち、なおのこと娘を貧相に見せていた。

 「ジ様は死んだのか?」
  ぼそとした無遠慮な物言い。人を呪うような響きがある。黒羽はまた宗志郎を振り向いて、宗志郎が言う。
 「まあ入れ、寒いだろうに」
  小娘はそっと戸口に一歩入り、長綿入れの前に手を入れて、白木の握りの匕首を手にすると、鞘から抜いて右逆手に構えて身構えた。敵意に満ちた眸の色だ。
  黒羽は一歩二歩と静かに後ずさり、代わって宗志郎が一歩出た。

 「応えろ。ジ様は死んだのか?」
  宗志郎はうなずいて言う。
 「たったいま寺へ運び出したところ」
 「知っている。見届けて戻ってきた。応えろ、おまえたちが殺したのか?」
 「違う。昨夜遅くに訪ねて来て、そのときここにいた我らの一人に、あることを告げてそのまま眠った。朝になって冷たくなっていたそうだ」
 「それに違いないな? きっとだな?」
  宗志郎はうなずいて、物騒なものをしまえと言った。
  小娘の目から殺気が失せて、がっくりと肩を落とすように、匕首を鞘におさめて胸元にしまう。
 「わかった。すまなかった」
  力なくそれだけを言い残し小娘は家を出ようとする。宗志郎が言った。
 「おい待て。ご老体とおまえのつながりは?」
 「一緒に暮らした」
 「どういうことだ?」
 「八王子の山ん中。去年のいまごろ峠で山賊に襲われた。おっ父もおっ母も殺された。俺は山向こうの百姓だった。そんときジ様が助けてくれた」
  娘なのに俺と言う。
 「それから一緒に暮らしたと? 八王子の山の中で?」
 「そうだ。けどもうジ様はいない。帰る」
 「どこへ?」
 「山へ」
 「おいおい、いいから待て、いま何刻だと思ってる」
 「それでもいい、帰る」

  ぶっきらぼうな言い方をする娘。ひどく暗いと二人は感じた。
  宗志郎が言う。
 「帰るのはかまわんが、いっぺん上がれ。少し話を訊かせてほしい」
 「何だ? 言えば応える」
 「ジ様は何ゆえ山を出て、おまえはそれをどうやって知った? ジ様がここにいることを?」
 「わかるんだ。ジ様は夕べ、あの目を使った。そんとき俺は家にいたが、わかったんだ。それで出て後を追った」
 「じゃ何か、夕べ老爺がここにいるのをおまえはわかったと言うのか? 八王子の山にいて?」
 「そうだ。俺にはわかる」
  夕べ遅くにそれを知って、それから家を出て歩いて来たというのだろうか。八王子といっても山の奥からでは恐ろしく遠い。
  そしてまた夕べのうちに老爺は死んだ。なのにどうしてこの家だとわかったのか。それを問うと小娘は言う。
 「死んだってしばらくは念が残る」

  黒羽は呆然として宗志郎を見つめ、それから「一晩歩いてきたって言うのかい」と娘に訪ね、娘はそうだと目でうなずいた。
  宗志郎は言う。
 「わかった。まあともかく上がれ。茶でも飲んであったまれ」
 「いいのか?」
 「かまわん。おまえ寝てもいないだろう」
  小娘は唇をむっと噛んで黙りこくり、部屋へと上がった。ワラで編んだ深い履き物を履いている。宗志郎は黒羽に風呂の支度をさせながら、無造作に座り込む小娘のそばに座った。

 「ご老体とは二人で暮らしたか?」
 「そうだ」
 「では帰るとことてなかろうに? 金はあるのか? 食い物はどうする?」
 「俺はもう山猿。どうしたって生きてやる」
 「そうか。俺は宗志郎、それから黒羽。おまえの名は?」
 「栗」
 「うん? くり?」
 「山になる栗だ、イガイガの」
 「ああ、なるほど、お栗か。歳はいくつだ?」
 「明けて十六」
  いまは数えで十五。お光より二つも下の娘である。
 「さっきの問いが先だが、いいのか?」
 「何?」
 「ジ様は、ときどき感じる念に恐ろしいことが起こると言った。わしが止めねばえらいことになると言って家を出た」
  なるほど確かにそっちの問いが先だったと宗志郎は考えた。栗は賢い娘のようだったが、それよりも、この娘もまた念を感じる不思議な力を備えている。

 「お栗は、柳と葛を知っているか?」
 「知っているが知らん。話に聞くだけで見たこともない。どうせこうも訊くだろうから言っておく。ジ様は柳の念を感じると言うが、俺が感じるのはジ様の念だけ。一緒にいるうちにわかるようになったんだ。ジ様は言った。人を想えば通じるものだと」
  この栗にも同じ力が備わっているのだろうが、栗はその使い方を知らない。生まれ持った力も修練を積まなければ、その力は弱いのかもしれない。
  そのとき黒羽が戻ってきてそばに座った。
 「じきに沸くよ風呂」
  栗は無言でちょっと頭を下げる素振りをする。小娘を相手におかしな言葉だが、木訥(ぼくとつ)とした娘と言えばよかっただろうか。
 「なら俺も訊いていいか?」・・と、栗は二人を順に見た。
 「いいぞ、何だ?」
 「ジ様はなぜここに来た? 誰に何を言いに来た?」
  宗志郎はちょっと笑うと、隠さず言った。

 「夕べはここに鷹羽という女がいてな。この黒羽もそうだが、さっきおまえが尾けた荷車の三人ともが芸者でな」
 「嘘だ。あの者らはくノ一」
  宗志郎はそれにもうなずく。
 「そうだがしかし芸者なのさ。江戸で惨い事件が起きている。柳の念が娘らを狂わせる。それでご老体は止めようとしてここへ来た。我らとしてもそれを探っていたところ。娘らを地獄に堕とす者どもが許せない。しかし手がかりがまるでなかった。日頃は芸者の鷹羽と申すくノ一がこのあたりを探っていて、久鬼殿はそうと知って鷹羽に柳と葛のことを伝えに来た。疲れたと言って横になり、そのまま死んでしまったんだ」
  黙って聞いていた栗だったが、その言葉の真意を探るように黒羽へと目をやって、黒羽が深くうなずくと、栗が言った。
 「ではジ様が役に立ったんだな?」
  宗志郎は強くうなずき、そして言った。
 「お栗にもしも似たような力があるのなら我らに貸してはくれまいか? そのような力を持たぬ我らでは探りようがないからな。こうしている間にも次の事件が起こるやも知れぬ。そうなればまた若い娘が泣くことになる。おまえと同じような若い娘がだ。柳はきっと俺が斬る」

  栗は、まっすぐに宗志郎を見つめて言った。
 「わかった。ジ様もきっと喜ぶだろうし」
  黒羽が言った。
 「さ、湯へ行っといで。温まってくるんだよ」
 「うん」
  そして立ったまではよかったが、この家には脱衣がない。栗が戸惑う。
 「どこで脱ぐ?」
  黒羽はハッとし、声を上げて笑った。
 「ほら、だから言ったじゃないのさ、棟梁に言っとけって」
 「うむ、忘れてた」
  黒羽に背中をひっぱたかれる二人の姿に、栗ははじめてちょっと笑い、臆することなくさっさと脱いだ。山の暮らしで着物から出るところは日焼けしていたのだが、白く乳房もふくらんで女らしい体をしている。
  栗が風呂場へ消えると宗志郎が言う。
 「黒羽、先に艶辰へ。お栗は俺が連れていく」
  黒羽は先に家を出た。艶辰には紅羽と美神がいたのだったが、それにしても手薄。栗が風呂を出るのを待って、宗志郎は栗の背を押して外に出た。

  そのときそこそこいい刻限。艶辰では今宵、男芸者の二人がいないだけで女たちは皆顔を揃えていた。鷺羽鶴羽鷹羽の三人を除いて。
  お栗のことは一足先に戻った黒羽が伝え、美神は待ち構えていた。
 「ここはね、艶辰と言って芸者衆の置屋だよ。あたしが女将で美神と言う」
  お栗は目を見開いて美神を見つめる。なんと美しい女将だろうと。
  若いお艶さんの三人衆、それにお光は目をキラキラさせている。
  美神は言った。
 「おまえは最初からここのことを知って来た。出たって行き場がないのなら、あたしらと暮らせばいい。そこの宗さんと、ほかに二人、妙な男がいるけれど、そのほかみんな女なんだ」
  そうは言われてもいきなりではお栗は面食らう。
 「けど俺」
  美神は眉を上げて皆を見渡し、笑った。
 「俺と言うか? ふっふっふ、気に入った、娘のくせに俺とは傑作だ。けどね、お栗」
 「うん?」

 「うんじゃない、はいって応える!」

 「あ、はい?」
  キツく言われて驚くような丸い目が愛らしい。美神は笑って小首を傾げ、それからまたお栗に言った。
 「まあ、今日のところはいいけどね。これからはあたしって言うように。皆のことは姉様だよ、わかったね。おまえはいちばん歳下なんだ」
 「はい」・・とおそるおそる応えるお栗。
  黒羽が思いついたように言った。
 「あ、ところでおまえ夕餉は?」
  食べていないと首を振る。
 「喰ってないだって? そりゃいけない、お光!」
 「はい! いますぐ!」
  同じような年頃、同じような境遇の娘が来てくれてお光は嬉しくてならない。すっとんで厨に走り、残り物でどうにかして持ってくるだろう。

  美神が立って奥へと歩むと、後を追うように黒羽も立って、美神の背に歩み寄る。
 「すみません女将さん、勝手なことをしてしまって」
  そこで美神はちょっと笑い、そして言った。
 「艶辰を変える娘が増えただけ、いろんな意味でね」
  片手で黒羽をそっと抱き、頬にちょっと口づけをして、美神は奥へと去って行った。

  腹を空かした山猿が喰うように、お栗は握り飯と焼いたメザシに喰らいつく。そのときには皆が散り、火鉢の前にお光とお栗。お光はガツガツ喰らうお栗を見ていて、あの頃の自分を思い出す。
 「あたしスリだったんだ」
  握り飯を喰いながら、お栗は目だけでお光を見つめた。急に何を言い出すかと。
 「宗志郎様に救われたんだ。あのときはね」・・と夢見るように言うお光。
 「裸にされた? そりゃ見物だ、あっはっは」
  お栗は笑い方も図太かった。しかし、ひとしきり笑った後でお栗はちょっと哀しげな顔をする。
 「ジ様が死んだ。俺は独りになっちまった」
 「独りじゃないよ、ここのみんながいるじゃないか」
 「いていいのか、ほんとに?」
 「いいに決まってる。みんなも嬉しい。みんないろいろあった人たちばっかりなんだし、あたしだってそうだった。盗人なんだよあたし。それでもみんなが守ってくれる」
 「でもよ、俺にはちょいとって感じかな。女っぽいのってだめなんだ俺」
 「ふふふ、いまにわかる。明日になればわかるから。黒羽の姉様なんて、そこらのサンピンじゃ勝てないよ」
 「剣か?」
 「あたしいま教わってる」
  とそう言って、お光は着物をまくって尻を見せた。青痣だらけ。
  そしてそれを見たお栗が、あたしもやってみたいと眸の色を変えて言う。二親を山賊に殺された恨みを忘れない。強くなってたたき斬ってやりたい。

 「わかった。よろしくな、お光の姉様」
  黒目の底光るギラギラとした眼差しに、恐ろしいほど強い生気があふれているとお光は感じた。
  まずは食べ、それからお栗は、風呂上がりで結いを解いて流した髪をお光にちゃんと梳いてもらい、寝間着を与えられて横になる。男芸者の虎介情介の部屋を出て、はじめてもらった二人の部屋。夜具をのべ、横になったお栗に付き添うように、お光は己の布団に座って見つめていた。
 「眠い」
 「寝てないのかい?」
 「ジ様を探してな」
 「うん、いいから寝な」
 「おまえは・・じゃない、姉様は寝ないのか?」
 「あたしはまだ早い。やることあるし」
 「そうか」
  そして目を閉じたお栗だったが、その刹那寝息に変わって、動かなくなっている。妹ができたようなもの。髪を梳いて寝間着に着替えさせると歳なりの愛らしさ。
 「ぐっすり寝るんだよ、あたしと生きていこうね」
  そうささやいて、頬にちょっと手を当てて、お光はそっと部屋を出た。

  翌朝のお栗は、なにやら硬い木がぶつかり合う音で目を覚ます。そう言えばお光が剣を習っていると言っていた。見てみたい。飛び起きたお栗は寝間着を着替えようとしたのだったが、枕元にはきっちりたたまれた柿色の着物が置いてある。赤を少し渋くした若い娘が好む色。
  おそるおそる着てみるお栗。お光の着物だろうと思うのだが、己に似合うか気になった。これほど綺麗な着物を着たことがない。長い髪をまとめて縛り、ともかく庭を覗いてみようとしたときに、裏口あたりに男芸者の虎介情介の二人がいて女たちの洗い物を干していた。桜色の湯文字や襦袢。
 「おはよう」
  声をかけたのは虎介だったが、お栗は二人をまだ知らないし、まさか男だとも思っていない。ちょっと頭を下げただけで通り過ぎたお栗。着物が違うことで何となくだが恥ずかしい気がしてならない。
  そして外を覗いてみると空が青い。何もかもが輝いているとお栗は思った。

 「トォォーッ!」
  カンカーン!
  今朝の相手は黒羽。黒羽は木刀、お光は五尺棒。中腰に身を沈め、中段に構えた棒で突き込んで、払う敵の剣の力を受け流して棒を回し、踏み込みながら打ち込むお光。しかし黒羽の剣の敵ではなく、交わされて横へ回られ、またしても尻をバシンと打たれる。
 「ぎゃう! うむむ!」
  尻を押さえて転がって、のたうち回り、それでも立って棒を構える。お栗は目を丸くした。お光は強いと思えたからだ。
 「おぅ、お栗、眠れたか?」
 「はい、よく寝た」
 「うむ、よかった」
  宗志郎の声で黒羽もお光もお栗に気づき、黒羽がそれまでと言ってお光を止めた。
 「おまえ、剣をやってみたいとか?

 「え、あ、はい!」
  黒羽のあまりの強さに膝が震えるような感じがする。黒羽はお光に言いつけてお栗を着替えさせ、木綿生成りの忍び装束の姿となったお栗に、お光が持った五尺棒を持たせたのだ。黒羽は剣を持っていない。まずは構え方から。
  棒の中ほどを体の軸に合わせ、その前後に両手を分けて握り、中段に、ほぼ水平に構えるのが基本。棒先をやや上げて敵の胸を狙う感じ。
 「胸や腹が的が大きい。そこを狙って突き込むことだ」
  こうだよと言うように黒羽が構えを見せてやり、その棒をお栗に持たせて構えさせる。
 「足は斜め前と斜め後ろ。開きすぎず、膝を閉めて内股になる感じ」
 「はい」
 「もっと腰を落とすんだ。棒はやわらかく握り、当たるときに握り込む」
 「はい」
 「よし突け。敵がいると思って本気で突け」
 「はい!」

  そのときだった。何を思ったのか宗志郎が木刀を持ってお栗の前に立ちはだかった。
 「俺が敵だ、しくじると斬られると思ってかかってこい」
 「はい!」
  トォォーッ!
 「浅い! もっと深く突き込むんだ!」
 「はい!」
  トォォーッ!
 「続けて二度突く!」
 「はい!」
  トオォォーッ! トオォォーッ!

  徐々に気合いがのってくる。お栗の踏み込みに合わせて宗志郎は棒先を木刀で払いながら二歩引いて、一度元に押し戻し、ふたたび二度続けての突き。そのとき宗志郎は中段に構えた木刀で、二度目の突きを叩き落とす。
  セイヤァァーッ!
  宗志郎の気合い。カーンと鋭い音が響き、お栗の棒先が地べたを打つが、そのときガラ空きになった上体にこれではいけないと思ったのか、お栗は棒を握ったまま横にふっ飛んで転がって、立ちざまに宗志郎の胸をめがけて棒を構え、打ち込みの頃合いをはかるように棒先を細かく振るのだった。

  これには黒羽も紅羽も驚いた。天性の勘。動きも速く、なにより体が力んでいない。猫が転がり背を丸くして身構えるようなもの。宗志郎は「それまで」と言って木刀を降ろし、黒羽と横目を合わせて眉を上げた。
 「まさに猫よ、参ったぜ、はっはっは」
  たったいま棒の構えを習ったばかり。しかるにもう危うさを察して身を守る動きができている。野生の本能と言うしかないだろう。
  そのとき家の中の廊下に立って美神もまた目を細めて見つめていた。いい目をしている。ただしかし野獣の目だと美神は思う。憎しみのこもる二つの目。親を殺された恨みの炎が揺らいでいる。

 「恨みだ。しかしいまはそれでいい」
 「それでいい?」
 「それでいい。強くなろうと苦しみもがき、いつか虚しさに気づくだろう。恨みの剣の脆さを知って、ゆえに人は強くなる」
  お栗を黒羽に委ねて家へと上がり、宗志郎は美神の肩にそっと手を置き、奥へと消えた。
  トォォーッ!
 「何の! ハァァーイ!」
  突けど突けどかすりもしない。数度に一度は木刀で尻を打たれ、悲鳴を上げて転がるものの、その度、目つきが変わってくる。黒光りする深い眼差し。それは黒い炎が揺らめいているようで。
  すさまじい恨みだと黒羽も思う。
 「くそぉーっ! トォォーッ! トォォーッ!」
  泣きながらかかってくるお栗に、黒羽は末恐ろしいものを感じていた。お栗は強くなる。ゆえに黒羽は手加減しない。
 「交わされたときにガラ空きなんだ。交わされたと思ったら、そのまま前へ一歩飛べ。剣が届かぬ間合いを取って、それから振り向き構え直す」
 「はい!」
 「よし、そこまで」
 「はい! ありがとうございました!」

  お光は嬉しい。いつかあたしより強くなる。そう思えるから嬉しくてならないのだ。稽古がすんで肩を抱き、お光とお栗は並んで歩く。強くなるという決意ができたからか、お栗はすでに夕べのお栗ではなかった。
  稽古の後は汗を流す。冬であっても激しい稽古で汗びっしょり。艶辰の風呂場は広く、女四人が一緒に入れる。しかし紅羽黒羽の順序が先。今朝は鷺羽鶴羽鷹羽がいない。二人を先に、続いてお艶さんの三人娘、それから四人が一緒に入る。これから朝餉。下働きにはのんびりしている暇はない。
  虎介情介、それにお光とお栗なのだが、そのときになってお栗は目を丸くした。
 「驚いたかい。あたしら男なんだよ」
  そうとは知らずさっさと脱いでしまったお栗は恥ずかしい。なのにお光は平気でいて、それどころか裸同士で抱かれて笑っているのである。
 「さ、お栗もおいで、一緒に入ろ」
 「あ、え・・」 と声さえなくし、どうしていいかわからないお栗を見て三人が一緒になって笑っている。虎介情介の二人がそっと歩み寄り、耳許で言う。
 「体は男、けど心は女。女のお客さんでも男のお客さんでも、あたしらは女のまま。さ、おいで」
  そう言って前と後ろから抱かれたお栗。頬を赤くしてうつむいてしまっている。
 「あたし、あの・・」 と思わず言って、お栗は『俺』とは言えなくなっている己を感じた。

 「綺麗な乳だね」
 「綺麗な尻なのに痣だらけ」

  妙な二人に撫で回されて、お光がくすくす笑っていて、お栗はなぜか涙が溜まってしかたがなかった。
 「どうして泣く?」
 「ほんとよ、どうして?」
  前と後ろから抱き締められて、お栗は力が抜けて膝が震えた。お栗は男を知らない娘であった。

  男を知らない体でも人の心はよくわかる。抱かれるぬくもりにお栗は震えた。