2017年10月19日

流れ才蔵(十四話)


十四話 舞い込んだ縁談


 女がふたり、お香とお泉。童がふたり、十吾とお花。四人で揃って
買い出しに出て行って、ひとり残った才蔵は、中の廃物がすっかりな
くなった納屋にいて、新しい材でこしらえた棚板を手にしながら薄暗
い納屋の中を見回していた。
 細工があるとすれば地下。藁葺きの屋根は隠し幕をはずしてからの
作業であって、だいたいが納屋に天井などはなく、古い材の太い梁が
組まれてあるだけ。馬の居場所も定まっていて、そこには手が入って
いない。
 そしてまた、こうしてひとりでこもってみると、意味の解せない妖
気のようなものさえ漂う気がしてならない。才蔵でさえも身震いする
不思議な空気に満ちている。
 馬の居場所は縦板柵で囲われていて、手綱をつなぐ横丸太が残り、
それだけで納屋の中のほぼ半分を占めている。残る半分はいまは土間。
おそらくここに昔は板の間が造られてあり、からくりがあって地下に
入れるようにされていた。そう考えるのが自然だったし、暴こうとす
るならば掘り返してみるしかない。
 隠された秘密は、はたしてそれを望むのか。暴かれたがっているの
か拒むのか、ふとそう思ってしまうのだった。

『それを知って何とする?』

 竜星和尚の声が聞こえる気がする。才蔵は数枚の棚板を棚枠に配っ
ていきながら、さて困ったとため息をついていた。
 棚板を並べ終えて外に出る。中とは明らかにちがう白い風。納屋の
中には黒い空気が淀んでいた。
 狭いながらも静かな境内。地べたのあちこちに残っていた血の跡も、
土をかぶせ、雨に打たれて消えている。草源寺。草花の源となる大地
に建つ寺。そういった銘々だろうと考えるほど、ここで二度と斬り合
いなどあってはならないと思うのだった。孤児たちの里。仏に守られ
る童たちの家なのだから。

「まあ待つか」
 独り言をつぶやいて、才蔵は本堂への踏み段に腰を降ろし、穏やか
に晴れて風のない境内を見渡した。桜の木から赤茶けた葉が一枚、は
らはらと舞い落ちた。
 いますぐ暴くわけにはいかない。柵を造って生け垣とする。役人ど
ももやってくれば、その人足どもの中に忍びが紛れていないとも限ら
ないからだ。

 丸太を二本立てただけの門の下から、お花の明るい声がやってくる。
背丈のあるお泉、次にお香、それから小さなふたりの姿が覗く。
 お香がいつもの笑顔で明るい。竹で編んだカゴを抱えて才蔵の元へ
と小走りにやってくる。
「ほらぁ見て、美味そうだろ」
「おぅ、茸かい?」
「シメジ。お泉さんが美味いよって言うからさ。たくさんでも安かっ
たし」
 お泉が横で笑って言った。
「焼いてもいいし汁でも美味いし」
 お泉の里は若狭の山里。食べつけているのだろうと才蔵は思う。
 カゴの中に山盛りにして茸のシメジが詰まっている。軸の太いいい
茸だ。お香は、ふたり一緒にカゴを覗く十吾とお花を右と左に裏口か
ら厨へと入って行き、お泉はそのまま才蔵の座る踏み段の一段下へと
腰掛けた。

 お泉が言う。
「童のときのことを思い出しちまう。あたしだって・・ふふふ、いい
や、思い出したって仕方ないしね、そんな家が嫌で飛び出しちまった
あたしだし」
「似たもの同士か」
「さあ、それはどうだか。けど、あたし」
「何だ?」
「ここへ来てよかったよ。うまく言えないけどね」
「そうか、ならばよかった。やさしい顔してら」
「あたしがかい?」
 と、ふらりと顔が横を向く。細面で鼻筋の通る、女にしては冷たく
感じる顔立ちかも知れなかった。
 才蔵は言う。
「無論そうさ、はじめは目が尖っていたが・・ふふふ」
 そっと手が伸びて肩に置かれる。これまでなら男の手など払いのけ
ていたところ。お泉は心してそっぽを向きつつも、ほんのわずか肩を
寄せてなすがまま。
「柵造りがはじまるだろうぜ」
「そうだね。しばらくは手をつけない?」
「そういうこった。納屋の中に妖気が漂う、そんな気がしてならねえ
のさ」

 お泉は、今度ははっきり横顔を向けて、ほくそ笑みつつ言うのだっ
た。
「ふふん、それが怖いお人でもないだろうに」
 それは、くノ一を定めとして生きてきたお泉が、男に向けたはじめ
ての女らしい横顔だった。
「怖いさ、俺は妖怪じゃねえんだぜ」
「妖怪って言うのなら女にとって男は妖怪」
「おろ? だとすりゃ、俺にとっちゃ女は般若よ、ふっふっふ」
 お泉は唇の角をちょっと噛んで、ぷいとそっぽを向き、才蔵に隠れ
て微笑んでいた。

 気の抜ける寺での暮らし。お泉は日に日にトゲが抜けてしなやかに
なっていく。それはお香もそうだった。才蔵に対してもそうだったが、
四六時中やってくる仁吉に対してはどんどん女の艶が増していく。
 一日また一日。気がつけば十日、また気がつけば十日。季節は移ろ
い、神無月(十月)も終わりにさしかかる。
 新しい杭を打ち、新しい縄で囲った柵ができ、冬でも葉のある木を
配して門のあたりは生け垣。そして門前に『寺社奉行支配 草源寺』
の立て札が立てられた。

 そんなときだ、仁吉が大工の親方に連れられてやってきた。親方と
いう男、歳の頃なら五十年配、仁吉に比べるまでもなく体が大きく、
図太くしかし穏やかといった風体。本堂に通されて、お香が茶を支度
して歩み寄る。
 そのときもちろん、童ふたりも才蔵もそばにいて、お泉だけが、ち
ょっと出てくると言っていなかった。
 茶を出された親方が、お香に向かって座れと言う。意味が解せず、
それでもお香は前掛けを外して正座で座った。
 仁吉と連れだってやってきた。親方の言うことなど知れていた。才
蔵は幼いふたりを左右に座らせ、にやりと笑って仁吉の横顔を見てい
る。
 親方が言った。
「じつはな、お香ちゃん」
「はい?」
「仁の野郎からしつこく聞かされてましてな、お香ちゃんほどやさし
い娘はいねえって、毎日毎日うるさくて」
「ぁ、はい・・」
 お香の頬がかーっと熱を持って赤くなる。
 親方は微笑んで、なおも言いかけたのだが、慌てるように仁吉が割
って入った。
「いやな、お香さん、親方にはおいらから言ったんだ、どうしても一
緒に来てくれって」
 お香は声もなくうなずいて、上目がちに仁吉を見つめている。ふた
りとも大工の姿。木の匂いがぷんぷんする。仕事中に駆けつけたのは
明らかだった。

「おめえが言うか?」
「へい親方」
「おおぅ、言ってみろや、はっはっは」
 仁吉が震えている。才蔵はこらえきれずに十吾の肩をつっついた。
十吾が「くくく」と笑う。十吾でさえ何しに来たかはわかっている。
 仁吉が言う。
「お香さん」
「・・」
「おいらずっとお香さんと暮らしてえ。おいらの嫁さんになってほし
いんだ」
 親方が眉を上げて、にたにた笑う十吾と、目を丸くするだけのお花
に目をやって、それから言った。
「心からだぜ。こいつぁな、お香ちゃん。そこのチビふたりもひっく
るめて面倒みてえって言ってやがる。心底おめえさんに惚れてるのよ」

「おい、ちょいと出るか、あほらしくてやっとれん」
 才蔵は笑って十吾とお花を外に引っ張り出していく。
 歩きながら才蔵は、両脇に従える童ふたりに交互に言った。
「よかったな十吾、お花もな。姉ちゃんいよいよお嫁さんだ」
「よかったぁ! お嫁さんお嫁さん、きゃきゃきゃ」
 お花がはしゃぎ、しかし十吾は戸惑った。
「おらたち邪魔だろ? いないほうがいいんだろ?」
 才蔵は、そうじゃないと首を振ったが、この歳で姉を気づかう気持
ちが嬉しく、十吾の頭を手荒く撫でた。
「そりゃ違うぜ、仁吉はおめえらだって可愛いのよ。何もかもを飲み
込んで、そんで今日はやってきた。なあに父親だと思うことはねえん
だよ、兄ちゃんのままでいい。仁吉はおめえらの生き様にうたれたの
よ。思いやる心を持った十吾のことを誇りに思い、可愛いお花も誇ら
しく、だから今日やってきた」
「うん、わかった」
 涙ぐむ十吾。よくわけもわからずに、そんな十吾を見つめるお花の
小さな目。

「どうでぃ、お香ちゃん、こいつの気持ちをくんでやってはくれねえ
かい? ここで暮らすと言ってるんだぜ、みんな一緒によ」
 お香は泣いてうなずいた。何度も何度もうなずいた。
「ぅっ・・あぅ」
「てめえが泣くなっ、ったくもう! 今日のところは仕事に戻るぞっ、
コキ使ってやっからなっ! がっはっは!」
 親方に肩を叩かれて仁吉は涙をこぼして笑っている。本堂に響き渡
る大きな声が才蔵の耳にも届いていた。

 ほどなくしてお泉が戻り、才蔵に耳打ちした。ここからそう遠くな
い同じような寺に潜んだ坊主どもが消え去った。
「ときに何かあったのかい? お香の目が真っ赤だよ?」
「めでたく嫁さん」
「へええ、仁吉と? 言いに来た?」
 才蔵は苦笑い。
「けっ。親方に連れられてよ、たったいま帰ったばかりさ。あの野郎、
ひとりじゃ言えねえもんだから。ったく、勢いだけで生きてやがる。
ふっふっふ」
「そうかい、よかったねぇ・・あったかい寺だよここは」
 お泉は、厨にこもって夕餉の支度をはじめていたお香のそばへと歩
み寄り、そっと肩を抱いてやる。
 お香が小声で言った。
「ふたつも上なのにね」
 仁吉は歳下だ。
 お泉が小声で応じた。
「ふたつも下なのにね。けど頼れるだろ?」
 お香はこくりとうなずいた。
「あたしあのとき・・」
 才蔵を五人の敵が囲んだとき、板戸のつっかえ棒を握り締めて飛び
出して行ったときのこと。
「この馬鹿って思いながらも男だなぁって・・守ってくれてるって」
「はいはい、わかったわかった、あほらしくてやってられないね」
 パァン!
「あ痛ぁっ! ああん、もうっ、恥ずかしいぃ!」
 お香の尻っぺたをひっぱたいて、お泉はそのまま横に立って支度を
手伝う。

 庫裏から本堂は遠いようでも近い。同じ屋台組みの中にあって声が
響く。
「ちぇっ」
 才蔵は小指の爪先で耳の裏を掻き、斜陽に染まりだした境内を横目
に見ていた。風呂から出た十吾とお花が、まるで小さな夫婦のように
寄り添って桜の木を見上げている。
「そっちもかい・・お花め、お嫁さんの真似してるってか・・」
 坊主どもは消えた。しかしそれは散っただけ。才蔵の眼光は涼しか
った。

 その夜は丸い月が浮いていて星々もきらびやかに瞬いた。夕餉を終
える頃になって仁吉はやってきて、皆に囲まれてやいやいうるさい。
 才蔵はひとり本堂を抜け出して、寺のすぐ裏からはじまる林を抜け、
ほどんどが丸い石を置いただけの墓のある草原に歩み出た。墓石らし
いものもないではなかったが、点在する墓はどれもがここらの貧しい
者たちの墓所であった。和尚が死んで墓石が消え、穴の開いたままに
された墓もある。仏を別の寺の墓所へと移したからだ。
 そんな中、才蔵は、できたばかりの新しい墓の前に立つ。やはり丸
い石を置いただけ。しかしそこには、お香が花をたむけていた。才蔵
の剣に倒れた坊主どもの墓である。
 才蔵はもの言わず、手を合わせるわけでもなく、ただ石を見つめて
佇んだ。

「何者か・・」

 木陰に気配。しかし殺気は感じられず、才蔵の声も穏やかだった。
 少し離れた木の陰から小柄な黒い影が歩み出て、片膝を折って座り、
才蔵を黙って見つめ、何を言うでもなくそのまま闇へと失せていく。
柿茶色の忍び装束。身の丈そして身のこなしから、くノ一だろうと思
われた。礼を尽くして去ったところから敵ではない。

「心せよということか・・何者なのやら・・」

 才蔵は月を見上げてつぶやいた。城中の何者か、おそらく大奥の何
者か、その手の者だと考えた。気配りしておるゆえ心せよ・・そうい
うことであったろう。
 そのとき背後にはっきりとした気配。
「やってられないね」
「だろ?」
「けど、いい若衆だよ」
 お泉。藤色小花を少し散らせた赤茶の着物。風呂上がりで結い髪を
降ろしていて、髪を上に丸めてまとめた、くだけた姿だ。
 才蔵は、たったいま見張られていたことを告げなかった。

「お泉よ」
「うん?」
「そろそろ俺たちが邪魔となろう」
「カタをつけるかい?」
「そろそろな。流れ者がつっかかってはしかたがねえや」
「ふふふ、まったくね」
 才蔵は月を見上げて言う。
「・・ともに行くか」

 そのときお泉は一歩退いて立っていた。まさかそんなことを言われ
ようとは思っていない。くノ一は影。それが定め。
 お泉は斜め後ろの才蔵の背にちらと目をやり、わずかだが逆向きに
身をそらす素振りをした。言葉にはならなかった。
「今宵は庫裏でおまえと俺。お香は揃って広間だろうぜ」
 お泉は、才蔵の目の届かぬところで、今度こそしっかりと才蔵の横
顔を見つめ、ちょっとうつむいて微笑んでいた。
「忍びを抜けろ」

 どうしたことか、お泉の立ち姿が流れるように才蔵の背へと溶けて
いく。

2017年10月18日

流れ才蔵(十三話)


十三話 黒い謎


 お泉は今夜のところは帰していた。お泉が夜をどうすごすか才蔵は
知らない。それも忍び。忍びは人知れず存在するものでなければなら
ない。仁吉は留まってお香ら三人と広い本堂で眠っている。才蔵は狭
い庫裏。古くなると多少なりと手の入れられる本堂とは違い、庫裏は
一際狭くてかび臭い。畳にすれば八畳はあるのだが箪笥なども置かれ
てあって足場という意味で狭いのだった。

 この寺の住職だった竜星という和尚は、いつ頃からこの庫裏に暮ら
したのだろうと考える。死んでいった老僧は忠長の名を惜しむように
「乱心などされておらぬ」と言い残した。かつての駿河大納言、徳川
忠長にゆかりの者、そしておそらく由井正雪の倒幕の企てにも荷担し
た者ども。そういった輩が欲しがる秘密とは何だろうと、その一点が
胸のつかえとなっていた。
 先代将軍、家光の実弟である徳川忠長は世継ぎ争いに敗れ、駿河大
納言という地位を与えられるが、それは結局、江戸からの追放だった。
後に乱心を理由に自刃に追い込まれて生涯を閉じている。
 それがもし、あの老僧の言うとおり仕組まれたものであったとした
ら・・配下の者どもがほしがるものにはふたつあると思えてくる。

 ひとつは江戸表に一泡吹かせる何か。もうひとつは亡き主君の汚名
を晴らす何か。才蔵はそのどちらもを満たせるものだろうと考えてい
た。倒幕の企てはつい昨年脆くも崩れた。ふたたび動きがあるとして
も、それに足る力を蓄えてからでないと動けまい。
 とすれば残るは主君の無念を晴らそうとする動き。林景寺の面々は
そのために寺を捨てて江戸に潜んだ。最前の老僧は、この寺の住職だ
った男に歳が近い。その頃はまだしも穏やかだった林景寺にいた同門
の僧に、竜星はあるときこの寺の秘密を漏らしてしまったのではない
か。そのときはよくても後になって老僧は敵となったということだ。
 やがて由井正雪が立ち、倒幕の企てが密かに進む中で、それに乗じ
ていまの江戸表をつぶそうと企んで、竜星から聞いていたある物がど
うしても欲しくなる。
 そうやって話を組み上げていくと辻褄が合うのである。
 斬り殺した五人は無頼の輩ではない。忠義を貫く武士ばかり。そん
な者どもを斬ったからには、隠されたものが何なのかを確かめないま
ま手を引くわけにはいかなった。事実を知り、その上で死んでいった
者どもを供養してやりたい。才蔵もまた武士。関わりなきことではす
まされないと考えていたのである。 

 だが、そうしたこととは別に、ここを家として育てられた童らは守
らなければならない。仁吉もいる。襲った者どもが、はたしてまた来
るのだろうか。敵が多ければ守り切れない。ここはやはり皆を逃がし
ておきたいとは思うのだったが、下手に勘ぐられてそっちを追われて
はひとたまりもなく殺られてしまう。
 先々のためにも是が非にもカタをつけておかなければならないだろ
う。

 その朝、しとしとと小雨が舞い落ちて境内の土は水を含んで黒かっ
た。旅姿の女がふらふら歩みやってきたのは昼少し前の刻限だ。
「急に腹がさしこみまして」
 まあ、それはお泉の一芝居。まんまと寺に取り込んで、皆で笑った
までのこと。このときお泉は白木の仕込み杖だけを手にしていて、弓
矢も忍び装束も携えてはいなった。
 昼が迫り空は急に明るくなって陽射しが注ぐ。寺社奉行の役人ふた
りがやって来たのはそんなとき。才蔵はふと、あることを思いついて
申し出た。

「ほう、囲いを造りたいと申すか?」
「ずいぶん前に賊に入られましてな、本尊さえも盗まれる始末でして」
「ふむ、それは物騒だ」
「とは言え、土塀などでは物々しい。周囲を杭で囲み、縄を張って柵
をつくる。その上できますれば、この寺が寺社奉行支配であることを
示す立て札などをと思っておるのですが。柵はこちらでいたすとして
も立て札だけはどうにもならず。なにぶん女子供の所帯ゆえ、そうで
もしないと心細いこともあり」
「うむ、なるほどのう。よしわかった、その旨を話してみよう、しば
し待て」
 公儀支配を堂々と晒してしまえば手が出しにくくなる。それと大石
の下の秘密を掘り返そうにも、目隠しがないと、三方を囲む浅い谷の
向こうに並ぶ武家屋敷から素通しになってしまうこともある。柵をこ
しらえ、門の周りだけでも木を植えて生け垣とするということだ。

 そして役人どもは、才蔵のはるか後ろでお香らと昼餉の支度をする
見たことのない女に視線を投げた。
「なにやら見ぬ顔が増えておるが?」
 才蔵は笑って言った。
「ここはそういうところでござるよ。旅の途中で病になり、すがって
参った女です。しばらくは養生ということで」
 役人ふたりは顔を見合わせ、そして言った。
「左様か、いやいや、ますます感心するのみ。孤児の世話と言い、よ
くやってくれておる。先の話わかったぞ、柵ともどもこちらでやって
やりたいもの。杭とは言え銭のかかることゆえな」
 人の好い役人だ。才蔵は内心ほくそ笑んで帰って行くふたりを見送
った。

「柵に生け垣? そんなもんでよきゃぁ、あっしがやりますものを」
 話を聞いた仁吉が言った。
 お泉がそれに苦笑して応じた。
「お役人の手を借りてこそなのさ」
「へ?」
「そのとき人足と一緒にお役人に出張ってもらえば目立つだろ。それ
だけ手が出しにくくなるって寸法さ」
 ぽかんとする仁吉の背中を『わからんのか馬鹿』と言うように幼い
十吾がバシンとひっぱたき、皆で声を上げて笑い合う。

 昼餉の支度の途中で、広間でふと才蔵とふたりになったお泉。
「気が抜けちまう、こういう暮らしもあるんだなって。夢のようだね」
 才蔵はちょっとうなずき、そして言った。
「おめえも心得違いをするんじゃねえぞ。手下だなんて思っちゃいね
えし、くノ一だとも思っちゃいねえ。物好きな俺のために苦労をかけ
る、すまぬな」
 肩にちょっと手を置かれ、お泉は声も出せずに才蔵の目を見つめ、
さっと背を向けて厨へと歩み去る。いまにも涙になりそうだった。

 皆が揃って昼餉を終えて、そろそろお香が買い出しに出るという刻
限となり、仁吉が一足先に帰って行った。仁吉は明日からまた普請場
で仕事があり、早めに飯場に帰っておきたい。
 そしてそのとき寺の門前まで送りに出たのが、お香。才蔵はたまた
まそのとき大石のそばに立っていた。桜の木は葉を散らすにはまだ早
く、赤茶けた葉をつけている。
 仁吉を見送って振り向いたお香に、才蔵は言う。
「明日から普請場なんだろ?」
「はい。けど、すぐまた来るからって」
 しかし話の腰を折る、お泉とお花の声がした。
「ほれほれっ」
「きゃぁぁ! あははは! ぁきゃぁーっ!」
 地べたに虫でもいたのだろう。お泉がつまみ上げてお花に突きつけ、
お花が逃げ回っている。
「ったく、何をやっとるか」
 才蔵の言葉が可笑しくてお香は笑い、しかし真顔になって、うつむ
きがちに言うのだった。

「才蔵さん、あの・・」
「おぅ? どした?」
「納屋のこと」
「納屋?」
「あたし知ってるんです。その頃はまだ馬小屋だった納屋は板屋根だ
ったんだけど、そこの石のすぐそばにあったんです。あたしがまだ十
だか十一だかの頃に和尚さんが人手を頼んで動かした。藁葺き屋根に
変えて納屋にしたの」
「そうか、その頃なんだな、いまの所に動かしたのは?」
 お香はここらへんだと大石の境内側に立つのだった。
「石はずっとそこにあったんだな?」
「そう、石は動かせないって」
 才蔵が思う場所とはかなり違った。
「それでそのとき和尚さんは、いろいろ役立ってもらわねえとって」
「いろいろ役立ってと、そう言ったのか?」
「あたしも童だったから、はっきりとは覚えてないけど、確かにその
ように」
「それまでは、ただの馬小屋だった?」
「馬が死んだんです。ここらも拓けてきていて、それでもう馬はいい
ってことになり」
「なるほどな。そんで庫裏に近くして納屋にしようってことか?」
「そうなんです。あの、才蔵さん」
「うむ?」
「黙っててすみませんでした。才蔵さんのこと、あたし・・信じ切れ
ていなかった」
「ふふふ、そりゃそうだ、刀を持った得体の知れねえ流れ者。大金も
置いてあるしな」

 微笑んで肩に手を置く才蔵。お香は唇を噛んでうつむいてしまう。
賊に入られ、次には襲われ、血だらけの惨劇を見てしまった。怖さを
思い知って打ち明ける気になったのだろう。
 そのとき本堂のそばから十吾とお花がはしゃぎながら駆け寄ってき
て、お泉が追って小走りにやってくる。才蔵はお泉に目配せで『向こ
うへ連れてけ』と合図をし、様子を察したお泉は目でうなずいて、童
ふたりを引き戻して去って行く。
「それでそんときのことは覚えてるか? どうやって動かしたとか、
どんなことをやっていたとか?」
「少し覚えてます。板屋根を外して、戸とかも外してしまって、地べ
たに丸太をたくさん並べてよいしょよいしょと動かして、丸太を順繰
りに送っていくんです」
 それがコロ。余分なところを外して軽くしておき押していくという
ことだ。新材で新しい納屋を造ってしまえば、とってつけたようで目
立つから、あえて古く汚い小屋を動かしたと考えられる。

 お香は遠目に納屋に目をなげながら言う。
「それでいまの所に据えたんだけど、そのときあたし、ちょっと不思
議に思ったのは、置き場を決めてから晒しの幕で四方を覆ってしまっ
て」
「幕だと?」
「何て言うのか、芝居の幕みたいな」
 陣幕だろう。戦で本陣を囲う幕のようなものではないか。
「幕で覆って中で何やらトンカチやっていた?」
「そうなんです。何ができるかわくわくしたのを覚えてますから」
 見られてはまずい何かを細工していた。納屋を造るだけなら隠す意
味もないはずだ。
「しばらくして幕が外されて、それから藁葺き屋根がのったんです」
「屋根はそれからなんだな? 幕が外されたときに屋根はなかった?」
「だと思います、屋根は後から造ったような・・」
 才蔵は、お香の肩に両手を置いて目を見つめた。
「納屋の中のことは?」
 お香は首を振るだけでそれ以上を知らなかった。よくできたからく
りならば童に見つけられるはずもない。
「わかった、よく言ってくれたな。やっとどうにかなりそうだぜ。俺
もそこそこ馬鹿だからよ、考えることにゃぁ向いてねえもんな。はっ
はっは」
 お香は役に立てたことが嬉しくて、ちょっと笑った。

 大石の周囲に目を凝らしても地下に細工がありそうには思えない。
たとえば地下に空洞のようなものがあるのなら、こんな大石を置けば
つぶされてしまうだろう。頭を抱えていたところだった。
 しかし納屋にからくりのようなものはない。その頃あったからくり
を和尚は壊してしまったのだろう。
 才蔵はお香の背を押しながら皆の元へと歩み寄り、お香を童ふたり
のほうにそっと押しやりながら、お泉に向かって『来い』と目配せす
る。お香が童に溶け合って、お泉が離れ、本堂へと入っていく才蔵を
追いかけた。
「やはり納屋?」
「うむ、据えてから幕で覆って中で何やらやってたそうだ」
「わかった、すぐにでも調べてみる」
「いや後でいい」
「え?」
「おめえはお香らと買い出しに行きゃぁいい。童らと茶菓子でも喰っ
て来い。お香の奴が俺にそれを言えなかったことを気にしてら。信じ
切れなかったって、しょげちまってる。お香を頼む」
「・・わかった、じゃあそうする」

 呆れる。この人はどこまでやさしい人なのだろう。侍と言えば肩を
怒らせ、そうでなければ、ただ単に弱いだけ。
 お泉は心が震える思いがした。この役目を負わされたときタカをく
くっていたのだったが、付き従うことが誇らしくさえ思えてくる。そ
んな男をお泉はこれまで知らなかった。