女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。

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月という母星(二十話)


  月面の地下に造られた農場とも言うべき食品プラントに、はじめての実りのときがやってきていた。水耕栽培によるホウレンソウやスプラウトなどの野菜類と、タンパク源としてのワーム、つまり食用ミミズやウジ虫、昆虫などの飼育。月面では人の排泄物はすべてがリサイクルされて生まれ変わる。尿は不純物を取り除いて水として再生され、便もまた乾燥過程で蒸散する水分を集めて水となり、乾燥された便そのものは廃棄される紙の下着などと混ぜ合わされて肥料となる。土の中にバクテリアさえが存在しない月面環境では、地球から持ち込んだ菌類を増殖させて分解させるしかないのである。
  そうして造られた肥料は動物性タンパク質を育てるときの飼料ともなる。かつて人の糞便を畑にまいた時代へ逆戻りするようなものだった。
  食料プラントは、人工太陽であるオレンジ色の電球がこうこうと灯る地下の温室と考えればよかっただろう。幾重にも並ぶ栽培ラックに人工肥料と月の土を混ぜた土壌のパレットが配置されて、月を母星として生まれた新しい生命が緑の葉をひろげていた。

 「いよいよ収穫ね。月に農場ができるなんて隔世の感だわよ。最初のあの頃、途方に暮れたものですけれど」
  女医である早苗は青々と葉の茂る広い空間を見渡した。地球のように平面上にひろがる畑地ではない、まさに食品工場。ワームなどもそうだが生命維持に必要なもののすべてを人工的につくらなければならなくなる。これまで食事は地球上でつくられたものをはるばる運んで食べていたし、それはレトルト食品がほとんどであって宇宙食の範疇だった。そうしたことさえ深刻なストレスにつながっていく。サラダ一品であっても人間らしい食が増えれば気持ちも楽になっていく。

  その食品プラントで働く中に、ターニャと言うロシア系カナダ人の女性がいた。長くすればウエーブがあって美しいはずのブロンドヘヤーを思い切りショートにしたアスリートのような髪型。背が高く、シルバーメタリックのスペーススーツが見事な肢体に張り付いている。
  ターニャは農業系の大学を出ていて、この食品プラントのために月に送られた一人であった。月で女性は素顔のまま。化粧品にいたるまでなくていいものは一切持ち込めない。そういう意味でも月面にこそ人類の原点があると言ってもよかっただろう。山賊が暮らす石器時代のような洞穴生活であっても、女たちは化粧ぐらいはできていた。月は人が生きる世界ではないのである。

 「食べてみます?」
  そう言ってターニャは穏やかに微笑むと、地球上で栽培されるホウレンソウより少し葉の小さな青々とした葉をむしって早苗に渡す。隔絶された地下空間は衛生管理が行き届き、洗わなくてもそのまま食べられる。
  鼻先で生命の匂いに触れ、そっと口に入れてみる。新鮮そのもの。
 「美味しいね。信じられない。外に出たら青空がひろがってる気がするわ」
 「そうですね、私もよく思います、地球上でもこうした施設はありますから錯覚しちゃうんですよ。大学でもプラント栽培は知ってますし」
 「頑張って。いつかあなたがたが五百万人を支えることになる。その頃にはチキンぐらいは食べられるようになってるでしょう」

  しかし早苗はそんな話をしに来たのではなかった。プラントのことなど、もののついで。広大とは言えない緑の園を見渡しながら、早苗はささやくように言うのだった。
 「考えたのよ。ターニャの気持ちは嬉しいなって。後でいらっしゃい、私の部屋でお話ししましょ」
  そのときターニャはキラキラ輝くブルーの目を、ちょっと眉をひそめるようにしてうなずいた。かすかな不安と期待の入り混じる面色で。
  ムーンシティ一号館、MC1-L18、早苗の部屋。区画の都合で割り振られた数字は離れていたが、そこはジョゼットのMC1-L1とは通路を隔ててほぼ向かい合う部屋だった。広さは同じ。対角線をものの数歩で歩ききれるスペースでしかない。そのとき早苗は跳ね上げ式のシングルベッドを降ろし、淡いピンクの紙の下着の上下の姿。夕食を終えて、いつもより早く部屋に戻った。
  弱いノック。
 「お入りなさい」
  L字のドアノブが音もなく傾いて、内開きのドアがそっと押し開けられ、シルバーメタリックのスペーススーツを着たターニャが入ってくる。白人の白い頬が火照って桜色。ブロンドのショートヘヤーもまだ少し濡れていた。シャワーをすませてきたようだ。

  下着姿でベッドに座る早苗。日本人の黒髪は切ったばかりで肩ほどまでのショートボブ。ストレートに梳き流し、いかにも女医という知性的なイメージがある。
  入ってきたターニャは恥ずかしそうな面色で早苗の前へと歩み寄り、立ったまま早苗を見つめた。
 「椅子を使って」
 「はいルナ様」
  早苗はちょっと苦笑する。クリニックにやってきたときターニャはすでにルナと呼んだ。月の女神ルナ。私はそんな女じゃありませんと、そのときも早苗は苦笑した。
  パイプ椅子を引いて、両腿をきっちり合わせて座るターニャ。椅子よりベッドが少し低く、同じように座っているのにターニャの目が少し高い。ターニャは長身で伸びやかな肢体をしていた。
  早苗は微笑んで見つめながら言った。
 「考えたのよずいぶん、あなたのことを。私への気持ちをもう一度聞かせてちょうだい。思うことを正直に」
 「はいルナ様」
 「ルナ様ね・・ふふふ、しょうがない子だわ」

  一途な視線が可愛いと早苗は感じた。ブルーの瞳が透けるようで美しい。
 「地球いるとき私はバイセクシャルでした。ビアンというほどでもない。ですけど月へ送られてルナ様をはじめて見たとき、この方だと心に決めて、以来ずっとお慕いしておりました」
 「五万人いて男は四万五千。優秀な人ばかり。それでも私なの?」
 「はいルナ様。毎夜毎夜、お姿を思い浮かべ、苦しくなってオナニーしてしまいます。私は女性に対してマゾ。それもどうしようもない想い。一歩出たら死。いつ死ぬか知れないと思うだけで、怖くて寂しくて。それはきっと皆が同じ。でしたら私はルナ様のおそばにいたいかなって」

  早苗は黙って聞いてうなずきもせず、ただちょっと、ふぅぅと息を細く吐く。
 「怖いのよターニャ。エスカレートしていくことが。男性に対してはほのかなMの心が動くけど、私は逆で女の子にはSっぽくなるところがある。ビアンの経験はないけれど、突き進んで来られると跳ね返せる自信がないの。地球でならともかくもここは違うわ。あなたの言う通り死とは隣り合わせ。何かにしがみついていないと怖くてならない。あなたの気持ちはわかるわよ、私だって女だもん。考えたわ、ターニャとのスタンスを。ダメよそんなことって思う反面、可愛いあなたを泣かせてみたいとも思う。私は私自身がわからない。怖いけどでも進んでみよう。あなたのためなんかじゃなく私のために」
 「はいルナ様、奴隷として心よりお仕えいたします」
 「ターニャを想って心ラプチャーか」
 「はい?」
 「心が張り裂けそうって意味よ、いいわ、脱いで私を気持ちよくして。シャワーしてないからアナルまで綺麗にね」
 「はい!」
  ちょうどそのとき月が揺れた。月震なのだが、突き上げる感じが少し違った。

 「アナルまでよ。シャワーしてないから丁寧に」
 「はいボス」
  板床にじかに仰向けに寝かせた牝豚の顔に留美はロングスカートをひろげてまたがった。パンティは最初から穿いていなかった。夕食を終えた早めの時刻、牝豚がつながれる部屋で、考えてみればはじめての二人きり。
  亮を殺した女。それよりもあのデトレフの兄を殺した女。二人きりになると加虐の心がざわめき立った。
  寝かせた牝豚の顔の上に逆さにまたがり、革の厚い房鞭を握っている。留美の下で牝豚はデルタに毛のない腿を割って脚をM字に立てている。
  パサと性器に鞭をかぶせてやると牝豚の裸身がぴくりと動き、奉仕する舌の動きが速くなる。懸命に尽くして少しでも打撃をやさしくされたい。きっとそうだと留美は思い、牝豚の気持ちもわかると考えた。
  括約筋をゆるめきり、むしろイキんでアナルを突出させておき、牝豚に舐めさせる。ゾクゾクとした性の痺れが骨盤の奥底に虫が這うような感覚をもたらした。

  パサ、パサ・・バシーッ!

 「おおぅ! いいです感じますぅーっ」
  したたかに性器を打たれ、牝豚は一瞬腿を内股ぎみにしたのだったが、すぐにまた、さらに腿をひろげきり、恥骨を上げて性器を突き出す。
  いい奴隷になってくれた。それは肌身に目立った傷がなくなったことでもうかがえる。皆の責めが愛撫の責めへと変化している。しかしやはり二人きりになると留美の心は怒りに支配されてしまうのだった。
 「あらそう感じるの? じゃあもっと欲しいわね」
  バシーッ!
 「きゃぅ! あぁぁ感じますボス、ありがとうございます」
  哀しい。何もかもが哀しい。
  牝豚の奉仕は少しずつ確実に留美の敵意を削いでいく。
 「ンぅ、はぁぁ感じるよ白豚、もっとよく舐めて」
 「はい、んぐぐ、むぐぐ」
  尖らせた舌先は弛めたアナルの内壁までにも入ってきて、甘い刺激を留美にもたらす。フルスイングの房鞭を浅く入れると、そこには剥き出しのクリトリス。
  バシーッ!
 「はぅ! あっ! あぁぁーっ!」
  恥骨を上げて腰を回すように暴れる白い下肢。毛のないデルタは見る間に真っ赤になってきて、黒い房鞭の革にヌラ濡れがからみついて光を放つ。牝豚は鞭でイケるようになっている。

 「もういい、四つん這いです」
  またいだ顔を離れた留美。ロングスカートを脱ぎ去って、上も脱いでピンクのブラだけ。鞭を乗馬鞭に持ち替えて、白い尻を上げて脚を開き腰を反らす牝豚の性器を覗き込む。ステンレスの首輪が冷たく光り、フックにつながれる太いチェーンがジャラジャラ音を響かせる。
 「肉ビラとクリトリス、覚悟なさい。尻を上げて」
 「はいボス」
  強打を恐れるのか白豚の白い尻肉がブルブル震え、それでも限界まで腰を反らせて性器を晒す。
 「いやらしい豚だわよ、ヌラヌラしてる。許せない」
  ピシーッ!
 「きゃぅーっ! あっあっ! ぎゃぅぅーっ!」
  クリトリス直撃。たまらず白豚は床に崩れ、股間を押さえてイモ虫のようにのたうった。
 「痛ければ舐めな。股ぐらに顔を突っ込んで」
 「はいボス」
  仁王立ちの留美の黒い陰毛の奥底へ、ボスの尻を抱いてすがりながら懸命に舌をのばす白豚。泣いてしまって涙が流れるその顔を留美は見下ろし、毛のないスキンヘッドに手をやって、もっと奥よと押しつけてやる。
 「ぅふ、あぁ濡れるわ、感じるわよ白豚、もっと舐めて」
 「はいボス」
  泣き声で応じる白豚。

 「いいわ、次は奴隷のポーズ。乳首打ちです」
 「はい、あぁぁボス、どうかお情けを」
  膝で立って脚を開き両手はスキンヘッドの後ろ。豊かな乳房の前でヒュンヒュン横に振られる鞭先が、乳房の先でツンと尖る二つの急所を捉えていく。
  ピシピシピシピシ!
  谷越えの打撃に両方の乳首をはたかれて、白豚はくぐもった悲鳴を上げて、それでも乳房を突き出し乳首を捧げる。
  泣きじゃくる白豚。見る間に乳首が腫れていき、声も断末魔の悲鳴のように獣の声へと変わっていった。
  ピシピシピシピシ!
  もうイヤもうイヤと言うように白豚はかぶりを振って涙を飛ばし、留美の腰にすがりつき、おんおん泣き声を上げながら女王の股間の奥へと舌をのばして舐め回す。
 「舐めさせてもらえて嬉しいだろ? おまえは人豚さ、それしか幸せがないんだもんね?」
 「はい嬉しいですボス、あぁぁ女王様、嬉しいです。痛みも生かされているからこそ。毎日犯されて幸せです」
  留美は何とも表現しがたい暗澹たる気分だったが、白豚の頭をちょっと抱いてやり、スキンヘッドにキスをして、驚くような面色で見上げた豚に言ってやる。
 「ミーアに私が言ったと言えばいい。眉だけは許してあげる」

  言い残して留美が出て、ほどなくしてミーアが覗く。飼育を任されたミーアにとって牝豚は可愛い。餌を与えて毎日散歩に連れ出して、町の者たちの目もずいぶんやさしくなってきた。
 「ボスが言ってたわよ、いい顔してるって。可愛がってもらったんだもね」
 「はいミーアさん、おでこにキスしていただけて」
 「うんうん、心は通じる、身に染みてわかったわね?」
  牝豚は泣き腫らした目で微笑んだ。

 「心は通じる。嬉しいのよクリフ、感じるわとっても」
 「はい女王様」
  そのときくしくも、フロアに寝かせた全裸のクリフの顔に逆さにまたがり、ジョゼットはわなわな震える性感に鳥肌を騒がせて酔っていた。そしてそのまま体を倒し、ビクンビクン頭を揺らす奴隷の怒張に口づけし、舌なめずりを一度して亀頭を舐めて、それから熱いクリフをほおばった。オナニー禁止を言い渡されて溜まりに溜まったものが暴発する。
  ジョゼットは口で受け取り、性臭を味わって、体をひねって向き直ると奴隷の口へと授けてやる。嚥下するクリフ。
 「もっとハードなほうが嬉しいんでしょうけど、可愛いのよクリフが。ベルトがお尻に爆ぜるとキュンとしちゃう。可哀想だし可愛いし」

  一度の射精で萎えるほど蓄積は少なくなかった。尻の後ろへ手をやって、それでも漲る力を感じると、ジョゼットは自ら手を添え、狙いを定め、濡れそぼる膣口へとあてがって、そっと腰を沈めていった。ぬむぬむと入り込む。
  よほど嬉しかったのだろう、クリフは涙ぐんで女王の中の熱を感じ、そっと抱かれて甘い声を漏らしていた。
  そんなとき、突き上げる感じがいつもとは違う月震が固いフロアに伝わった。
 「揺れたね」
 「そうですね、かなり強い。隕石の落下でしょう」
  かなり大きな隕石だとジョゼットは思ったが、いまはそれより体内で静かに動く男の熱感に喘いでしまう。

  地下空間に警報が響いたのはそんなとき。ジョゼットの甘く溶けた眸が輪郭を持って厳しくなった。枕元に置かれたインターフォンから声がした。
 「ジョゼットさん、いますぐムーンアイへ」
  相手は軍の若者らしい。クリフと肉体をつなげたままジョゼットは送話ボタンに手をやった。
 「何かの異変? いまの月震も?」
 「わかりかねます。ただ月面から何かが飛び立った」
 「えっ!」
 「そうとしか言えないんです。衝撃があって、その直後、レーダーが飛び去る飛行体を捉えたんです。おそらくは月の裏側から」

 「何だと月の裏? 確かなのか!」
 「間違いありません、いますぐムーンアイへ。飛翔体は・・あぁそんな!」
 「うん? おいどうした?」
 「消えました! 一瞬にしてレーダーから消えたんです!」
  月面に一隻しかない飛び立てる船、軍船は、デトレフを乗せて飛び立ったまま戻ってはいなかった。その間ムーンアイのあるモジュールが軍の居場所。電子施設が集中していて動きがあれば察知できる。
  ジョゼットへの通報とほぼ同じタイミングで海老沢の部屋にもコールが飛び込む。さらにまた女医のルームナンバーにも。そのとき海老沢は単身自室にこもっていて寝ようとしたところ。
  海老沢はベッドを幾度も拳で叩いた。この同じ月面にエイリアンはいた。人類の進出を知って息を潜めていたはずだ。
  そして月を見捨てて去って行った。もっと早く出会えていれば。海老沢は渾身の力でベッドを叩き、吼えるような声を上げた。
 「助けてくれ、頼むーっ!」
  これで終わったと海老沢は肩を落とした。

  ムーンカフェ。とっくにクローズしたカフェのカウンターに、海老沢、ジョゼット、そして早苗が居並んだ。静かな空気が沈滞している。明かりはカウンターを照らすライトだけ。
 「見捨てられたと思ったね」
  海老沢の声に力はなく、ジョゼットがそっと男の背中に手をやった。
 「彼らはずっと地球を見守り、人類の愚行を見ていたはずだ。救うべき生命種なのか。もしも彼らが知恵を授けたものであれば人類など失敗作」
 「そうかも知れない、見放したんだわ」
  早苗が言って、かすかなため息をついていた。
 「一瞬にしてレーダー波さえも振り切る宇宙船を持つ文明。我々とすればまさに神そのもの。光速を超えて飛ぶ船など人類には夢のまた夢。タイムリミットは確実に迫っている」

  いまごろデトレフはどうしているか。三人はそれを考えずにはおれなかった。  国連が押収した破滅的な量の核兵器は廃棄しない。そのためにデトレフは旅立った。しかしそれは最後の手段。宇宙の中で生存を許される生命種でありたい。けれどそれが水泡に帰したとき、人類の未来に幕を引く。
  天文学者のジョゼットは緻密な軌道を計算した。超大型廃棄船は太陽風を受けて飛ぶソーラーセイルを備えている。核兵器は宇宙ステーションに集められ、起爆装置を取り去って宇宙へ捨てられるはずだった。
  コントロールシステムの故障に見せかけ、海老沢がつくったプログラムに則って、核兵器は月をめがけて戻って来る。ソーラーセイルが壊れれば動力を失って太陽の引力に逆らえない。したがってその帰路は比較的容易なものとなるはずだ。そしてデトレフはその起爆装置を持って帰って来る。
  けれど問題はその先だった。人類を生かすのか、自滅の道を選ぶのか。
  いずれにしても終焉まで七十年。滅ぼすなら自滅の選択。ムーンシップで旅立つ前に決着をつけておきたい。

 「寝ようか」
  海老沢がつぶやいて三人揃って椅子を離れた。

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まばゆい月(十九話)


  デトレフに会えたというふわふわとした夢のような感覚が留美の中に残っていた。ルッツの兄。それよりずっと、月面にいるはずの彼が突然現れたことに不思議な感動さえも覚えてしまう。無線機を通して話す。相手が月にいると思うだけで導いてくれる神にも似た存在に思えてくる。実際に会えたデトレフは紳士であり、物腰が穏やかで、しかし恐ろしいほどの気迫に満ちた男だった。HIGHLYイコールひ弱という図式が成り立たない。そうしたギャップのどれもが女心を揺さぶるのだ。
  気もそぞろ。夕食を終えるときミーアは牝豚の餌を手にして立った。牝豚の餌は相変わらず残飯だったが、ミーアはそれらをうまく盛り付け、人の食事らしく仕立て直して運んでやる。そんな餌を見て意識が現実へと引き戻された留美。
  そのとき留美はともに立ち、牝豚の部屋を覗いてみようと考えた。留美は滅多に覗かない。どうしても情が生まれて甘くなる。野蛮な山賊のボスでいなければならないという思いが哀れな牝豚から遠ざける。
  ミーアがドアを開けると、ドアとはつまり監獄の扉。そのドアが開くことで苦痛と恥辱と幸せがやってくる。牝豚にとって生きるすべてがドア越しにやってくる。そんなものだったに違いない。

  壁を左右に分かつ柱に打ち込まれた鉄のフックにチェーンがかけられ、ボルト固定のステンレスの首輪につながれて、けれどもチェーンには長さがあってそれなりに動くこともできたし、ベッドに横たわることもできる。ミーアが先に入ったとき牝豚はベッドの傍らに脚を投げ出して座っていた。季節が熱を持ち込んで薄いロングTシャツのような服を着せてある。寒くはなかった。
  ミーアの顔を見た牝豚は一瞬ほっとしたような面色をしたのだったが、続いて留美が入り込むと正座に座り直して額を擦るほど平伏した。ボスは恐怖。一言で命を奪える女。牝豚にはそれしか思い浮かばない。留美はミーアから餌を載せたトレイを受け取ると、白いスキンヘッドを床に擦る奴隷の前に置いてやる。

 「いいわよ、お食べ」
 「はいボス、感謝いたします」
  それでも顔を上げようとはしない。
 「もういいから顔を見せてごらん」
 「はいボス」
  静かに顔が上がり、そのときロングTシャツのルーズな胸元から豊かな白い乳房の谷がくっきり覗いた。半袖のミニワンピースのような服から出るところに目立った傷はなくなった。牝豚らしい臭気もない。ミーアが面倒をみるようになり清潔に保たれているようだ。
  ブルーの瞳の奥底にかすかな怯えは残っていたが、見違えるように生気に満ちた眼差しを向けてくる。いい顔になったと留美は思う。

 「そろそろもう四か月。終身刑のおまえにすればはじまったばかりですけどね。牢獄より辛い奴隷の日々がまだまだ続く」
  留美は見据える。奴隷はまっすぐ見上げて「はい」とうなずく。
  留美は手をのばしてスキンヘッドを撫でてやり、頬をちょっと叩く素振り。
  そのとき牝豚はかすかに微笑み、それが囚人の哀れを物語るようでもあって、そしてまたそのときそばに立って見守るミーアの目が細くなって微笑んでいる。 マゾヒズムという境地はミーアにはよくわかり、ミーアに言わせるとこうした扱いは至上の喜びなのだと言う。留美はそうならいいがと願うだけ。
 「脱いで体を見せなさい」
 「はいボス」
  と、そのとき横からミーアが言った。
 「隠さず何もかもよ。体を見ていただけるなんて嬉しいよね」
 「はいミーアさん」
  牝豚が静かに笑った。ミーアさんと呼ぶ。様づけまで厳しくしていないことを物語る言いようだった。
  留美はそんな牝豚の笑顔とミーアの微笑みを交互に見て、わずかな混乱を覚えていた。君臨と服従、双方の幸せができあがっていると感じたからだ。

  前ボタンを上から外し、すとんと落とすと熟した全裸。鞭傷がいくつも残っていたがどれもが古いものばかり。あの頃の怠惰な暮らしで弛んでいたプロポーションも引き締まって本来のラインを描いている。そのことでもまた皆の扱いがうかがえる。
  ミーアが言った。
 「鞭打ちもやさしくなりました。毎日泣いて毎日イカされて、疲れ切って眠るんです。幸せよね?」
 「ふふふ、はいミーアさん」
  笑った。四十歳の牝豚。二十二歳のミーアと二十七歳になったばかりの留美。不思議な隔たりだと思わずにはいられない。
  留美は言った。
 「着ていいわよ、食べなさい」
 「はいボス、心していただきます、ありがとうございます」
  そのときミーアがふいに言った。
 「この子を見ていて思うんです。マダムのことは忘れようって」
  留美は思う。牝豚の存在がミーアの苦悩を消し去ったと。
  留美は言った。
 「すっかりペットね、可愛くてならないんでしょ? 食べさせたら散歩させてやりなさい。向こうの家へ連れていってみんなに遊ばせてやればいい」
  これにはミーアも牝豚も眸を向けた。
 「いいんですか連れ出して?」
 「いい子にしてるようだから。街中では服を着せて、ただしチェーンは外さない。犬だって散歩させないと可哀想なんだもん」
  留美はまた牝豚のスキンヘッドをちょっと撫で、背を向けて部屋を出た。

  そのときバートは町外れの家にいて男たち女たちとくつろいでいた。もう一軒の家のさらに横に真新しいもう一軒。宇宙人の化石が出たその上に建った家。今夜はそちらに集まっていたのである。
  チェーンのリードを手に四か月ぶりに牝豚を歩かせて、帰りはバートと二人になってルッツの店へと歩いて帰る。バートの丸太のような腕が腰にまわり、それだけでミーアは息が乱れていた。
 「決定的だな、これで町は安泰だぜ」
 「そうでしょうか?」
 「軍が来た。まったくタイミングの悪い連中だったがよ、正規軍が乗り込んで蹴散らした。そんなことがひろまってみろ、ここを襲おうなどとは思うまい」
  とは言え今夜も道筋に人の気配はなかった。暗くなると家にこもる。しかしそれも時間の問題で変わってくるとバートは思い、またその反面、胸くそ悪い。軍に守られる筋合いなどないのだから。
 「まあルッツの兄貴だ、それもいいってことにしておこう。ところでミーア」
  名を呼ばれて見つめられ、太い腕がからまって動けない感じがする。
  ミーアはドキドキしてしまい、すでに潤みはじめた女の深部に戸惑った。キスの距離では聞いた記憶のない野太い声でバートが言った。
 「おまえはマゾだな?」
 「はいバート様」
 「ゆえに牝豚をうまく躾けた。俺たちだけではうまくいかない。よくやったぜ」
 「そうですか? よくやった?」
  バートは応えず、ただガツンとミーアを横抱きにして、捕獲した女のようにともに歩む。目眩がしそう。はじめて出会う男の体。それも相手はこの町きっての化け物バート。

 「振り切れたかい、マダムとやらは?」
 「はい、やっと。振り切れたというのか、私の一ページとして胸の奥にしまっておこうと思います」
 「うむ、そうか」
  いつの間にかルッツの店先。表はシャッター。裏から入ったミーアは背を押されてバートの部屋へと連れ込まれる。ドンと閉ざされたドア。
 「ンぐ・・」
  恐怖と期待の交錯する思いにミーアは生唾を飲んでいた。
 「あの、あたし」
 「何だ?」
 「やさしくされると怖いんです」
 「ふんっ、知ったことか。俺はやさしい男だよ」
  ちゃかして言いながらベッドに座るバート。髭面の顎を手で支えるようにして上目に見据える野獣の眼差し。ミーアは部屋の真ん中で突っ立ったまま震えていた。
 「脱げ」
 「ぁ、ンふ・・」
  ミーアは膝を震えを止められない。
 「脱げと言ってる」
  静かな声だったがマゾヒズムを刺激するには充分すぎた。

  ミーアは背が高く細身で乳房も薄い。震える手でジーンズを脱ぎTシャツを脱ぎ、黒い肢体をかろうじてつつむピンクのブラとパンティを脱ぎ去った。黒い鹿を思わせる美しいプロポーション。
 「ここへ来て奴隷のポーズ」
 「はいバート様、はぁぁはぁぁ、んっ、ンぐ・・」
  震える喘ぎ。バートの目の前で、膝で立って膝を開き、両手を頭の後ろに組んで胸を張る。細切れとなる浅く速い呼吸に小鼻がひくひく動き、野獣の眼光を見つめたまま眸がそらせない。乳首がすぼまり勃って全身に鳥肌。
  バートの黒く大きな手が、頬を撫で、首筋へ降りて、胸の中央にそっと這い、乳房を撫でられ、太い指先で尖り勃つ乳首をはじかれて、手はさらに撫で下がり、陰毛のない黒いデルタを撫で回されて、指はついに奥底へと沈んでいく。
 「はぅ、うっうっ」
 「もう濡れてやがる、ふっふっふ」
 「はいバート様、感じます、とても。あぁぁ怖いんです」
  太い指が上向きに曲げられて無造作に突き刺さる。
 「むフぅ! あン! くぅぅ!」
 「いいか?」
 「はいバート様、ああ感じるぅ、いいです感じますバート様」
  屹立する黒い指は静止、ミーアが勝手に腰を振り立て擦りつけて、腰を沈めて奥へと導く。

  恐怖に竦む眸の色でバートの笑う眸を見つめ、ミーアは腰をクイクイ入れて快楽を求めていた。しかし指は抜き去られ、ベッドを立った巨木のような男を見上げた次の瞬間、切り株でも抜くような怪力で体が浮いて立たされて、衝突そのままの激しさで胸板に抱かれて唇を奪われる。
  ミーアはすがった。とても勝てない野獣の心にミーアはすがった。
  ひょいと持ち上げられて大きなベッドに投げ捨てられて、焦らすように脱いでいく男の姿を見上げている。大きなブリーフから鋼と化した黒いペニスがはじかれて勃ち上がる。
  怖い。とても正視できなくて向こう向きに横寝になると、恐ろしい力で肩をつかまれ、寝返りを強制されて、その刹那、匂い立つような野獣の男臭さが覆い被さってミーアを襲う。
  途切れ途切れの悲鳴は結果として喘ぎ声。舌を入れられる深いキスと、太い指の股間への陵辱が同時に襲い、ミーアの黒い肢体がのけぞった。
  二十二にもなって、いまさらながらのバージン。
  野獣の血流を集中させた肉の切っ先が膣口を捉え、そのときミーアはカッと眸を見開いて声にならない悲鳴を上げ、野獣の肩越しで目眩のように揺らぐ虚空を見ていた。

 「ああっ、きゃぁぁーっ!」

  愛液をあふれさせてまくれあがるラビアが膣の中へと押し込められる感覚。膣壁が怪力でひろげられ、ずぶずぶめり込む灼熱のバート。愛撫で開いた膣は空気を留め、ピストンヘッドの加圧が進むと子宮ごと内臓までが体の奥へと押しやられ、限界を超えたとき空気は出口を求めて逆流し、ブシュっと音を立てて膣液を噴射する。
  内臓ごと壊れそう。抜かれていくと、今度は逆に子宮ごと吸い出されてしまいそうな負圧がかかり、ミーアはかぶりを振り乱して涙をはじき飛ばして悲鳴を上げた。これが男。よりによって化け物バート。
  細く華奢なミーアの女体が化け物バートの巨体をジャッキアップするように反り返り、けれどそれは頭と足先をベッドに沈めるだけの虚しい反抗。
 「うあぁ、ああぁ死ぬぅ! ご主人様、ダメダメ、もう死ぬぅーっ!」
  錯乱する。眼球があらぬ方を向いてしまって焦点を結ばない。口が閉じない。パクパクさせて息を吸うが、吐けなくなってもがくもがく。
 「あぅわ、わむっ、はぅわっくっくっ!」
 「ふふふ、何を言ってやがる、可愛いヤツだぜ」
  眸は見開いているつもり。なのに景色が暗くなって消えていく。反り返った黒い女体が静かに崩れて力のすべてが消え失せた。

  ドウンドウン。 え? 何よこの音? 心音なの?
  気づいたときにはバートの恐ろしい胸板にセミが大木にとまるように抱かれていたミーア。生涯消えないはじめてのオトコの刻印。ミーアは眸を開け、こいつは誰? 正気に戻った意識の中で、私は誰に抱かれたのと懸命に考えていた。 どれほどの時間が過ぎたのか、バートは眠って動かない。滝となって子宮口にぶちまけられた精液の衝撃だけは覚えていた。
  体をからめとる太い腕。重い。かろうじて動かせる手をやって、眠って萎えたペニスをそっと手にくるむ。
 「大きいわ、すごい」

 「大きいのね、すごいすごい。おまえはすぐ大きくしちゃう」
  ジョゼットは、可愛いペットに成り下がったクリフを立たせ、後ろから抱いてやって手をまわし、男の小さな乳首をいじりながら脇越しに顔を覗かせて、ビクンビクン頭を振って律動する白いペニスを見つめていた。ペットは全裸、女王もまたフルヌード。
  オナニー禁止を言い渡されて溜まるものが一途に女王を想わせる。それが喜びであることは想像できたし、それはきっと会えない彼を心待ちにする女心にも似たものだろうと思うのだったが、それにしても、こうして焦らされるだけでとろとろと白い樹液を漏らしてしまう情けないクリフが可愛く思えてならなかった。
  両方の乳首に爪を立ててひねりつぶしてやったとき。
 「むぐぐ、うぎぎ」
 「ほら痛い、可哀想ねぇ、ほら痛い」
  クリフは暴発させてしまい、白い粘液の塊を二メートルほども飛ばしてしまう。

 「とまあ、そんな感じよ。どうしても女王にならなきゃダメみたい」
 「可愛いよね」
 「可愛い。たまらないわ。私のどこにSな私がいたのかしらって思っちゃう」
  ムーンカフェの閉店時刻。有料ではないから店ではない。クローズタイム。
  ジョゼットと早苗がカウンターに並んで座って話し込んでいたのだった。
  早苗が言った。
 「私のところにも報告に来るのよ」
 「それは、そうしなさいって命じてあるもん」
 「らしいね、それも聞いた。クリフったら嬉しそうに話すんだもん。もやもやしたものがなくなった。女王様といられるとき、このお方のためなら死ねるって思うんだって」
 「女冥利ね」
 「そう思う。あの子は優秀な技師よ。海老沢さんが太鼓判を捺すぐらいなんだもん。なのにマゾ。人っておかしなものだと思うわよ」
 「心理学とか勉強した?」
 「それはね医師ですから少しはしたわよ。性的倒錯。だけど倒錯なんて屁理屈に過ぎないわ。そこしか解放できる場がない。サディズムは愛情。マゾヒズムもまた愛情。ひん曲がっているけれど。ふふふ」
 「そうなのよ、曲がってるとは思うんだけど、あの子を見てると虐めてやりたくなってくる。焦らして焦らして舐めさせてやると泣いちゃうし。アナルまで舐めるんだから・・あはは」
 「すごい話ね、何てことを話してるのかしら。クリフのことがあってから女の子たちもカウンセリングに来るようになったんだ。レズかマゾがほとんどだけど、そんな中に私を見ている子がいてね」

  ジョゼットは眉を上げて微笑みながら早苗の横顔を見つめていた。やや眸を伏せて笑う早苗の中に、どうしようもない牝の性を見た気分。
  ジョゼットは言った。
 「ビアン?」
 「それとマゾの両方で。ジョゼットにクリフをあてがっておきながら私は逃げるのって思っちゃうんだ。相手は二十五歳よ」
 「若い」
 「うん若い。綺麗な子で体も素敵よ、ボンキュッボン。透き通るような心を持ってる女の子」
 「行くしかないでしょ?」
 「行くしかない。苦しいんです助けてって言われてる」
  ジョゼットはとっさにクリフを思い、とっさにデトレフの強さを考えた。デトレフのいない月面は寂しい。ジョゼットは夢見るように小声で言った。
 「便器にもする」
 「クリフ?」
 「そうそう。ときどきですけどね」
 「ま、月ではそれも同じこと。尿は処理されて飲料水になってるし、無菌ですから問題ない」
 「医者よね、そのへん。言うことが科学的だわ。最初にあの子が言い出したとき、まさかと思ったのよ。そんなひどいことはできないって思ったし、恥ずかしくて私の方が火を噴きそう」
 「でもしてやった?」
 「してやった。なんだか私が辱められているようで腹が立って、勢いで」
 「だけど感動したんでしょ? そこまで忠誠を誓ってくれるのかって?」
 「感動というのか、ただただ呆れて見てたけど、ますますたまらくなってきた。ご褒美に私が自ら体に迎えた。そしたらあの子、子供みたいに泣くんだもん」

 「ふんっ、ガキみたいに泣くんだね。ああ畜生っ、可愛いヤツだよ」
  町外れの家で責められて、男たちに寄ってたかって犯されて、新しくしかし浅い鞭痕に全身を真っ赤に染めて牝豚は泣きじゃくる。
  コネッサは、牝豚の両方の乳首を手荒くひねり上げておきながら、泣き顔を微笑んで見つめていた。
 「とっくに許してるんだよ! でもね、許せないんだよ、どうしても! わかるかこの気持ち! ええいクソっ、可愛いヤツめ」
  皆それぞれにうなずいている。もういい。古い心を抜き取って新しい心と入れ替えた。そんなことはわかりきってる。HIGHLYどもに命じられ、それがいつか君臨する錯覚となって暴挙が過ぎた。そんなことはわかっていた。
  コネッサは、泣きじゃくった白い同性の全裸の両肩に手を置いた。
 「答えろ。いっそ殺してやろうか?」
  牝豚はイヤイヤと首を振る。
 「うん、わかった、じゃあ生きよう」
  そしてコネッサは、眉さえない不気味な白豚を抱いてやる。
 「よく耐えたね、よく耐えて生きてきたさ」
 「はい、心からごめんなさい、ごめんなさい」
  消えそうな白豚の声。そのときその場にいた女たちは皆がちょっと視線をそらして涙をこらえた。もしもこの場に亮がいたら。亮なら許すと皆は思う。

  その同じ夜のこと。町外れに古くからある家。新しい家とは別棟とされていて、今夜は皆が新しい家に集まっている。
  そんな静かな家の一室にマルグリットとパナラットが一夜を明かす。ここはパナラットに与えられた部屋だったが、ほぼ毎夜マルグリットがともにいる。ここに連れて来られた当初はパナラットも共有される女だったのだが、マルグリットとのいい関係ができていくと男たちは遠慮した。マルグリットは美しい。男たちは一目置いて思うがままにさせている。
  パナラットは二十七歳。大柄ではなかったものの女らしい体をしていて、性格がやさしい。マルグリットもやさしい女。二人はなぜか溶け合って、そのせいでマルグリットもまた男からは距離を置く。
  ビアンとしてならネコ同士。むしろパナラットが快活だった。透けるように白いマルグリットを寝かせておいてパナラットが逆さにまたがり、よく濡れる性の花を見せつけながら乳白の股間に顔をうずめる。
  マルグリットは快楽の苦悶をごまかすようにパナラットの両腿にすがりつき、漏れだす甘い声をパナラットの膣口に埋め込むように性器を求めた。
 「うぅン、お姉様ぁ、震えちゃう」
 「私もよパナラット、あなたが大好き」
 「私も好き、あぁぁ舐めてもっと」

  マルグリットの脳裏に、あの化石の姿が浮き立っていた。同じことを人類はしようとしている。宇宙への旅。凍結精子による強制受胎という非道。そうしてまで生きようと願う生命体の本能。命は一度きり。ましてLOWER社会で生きなければならくなって、マルグリットは野生に生きようと決めていた。人がその時代の都合で生み出したモラルなどはどうでもいい。ミーアはマゾ、牝豚も性の錯乱に生きている。もしもあのとき人買いから売られていればどうなっていただろう。そう思うとこの世界は夢そのもの。
  あの化石。どうやって宇宙を超えてやってきたのか。宇宙船の中で生殖を重ね、新しい惑星を探していたとしたら? 地球へ降り立ち、役目を終えて死んでいったエイリアン。あれは女なのか、男だったのか、せつないまでに生きた命の証を見せられて、性の奥行きを思ったときに、私は淫婦、誇らしい生き方だと思えるのだった。

  パナラットの女体がしなり崩れて果てていく。うっすら眸を開け、同性のアクメに微笑んでマルグリットもまた果てていく。この瞬間が女の幸せ。あさましく濡れて膣穴までもぱっくり開くパナラットの性器を見つめ、私もそうだと素直に思える。
  クリトリスにそっと口づけ。ぴくり震えるパナラット。気怠そうに身をずらして乳房に甘えてくる可愛い子。パナラットはピークを過ぎて硬化のゆるんだマルグリットの乳首に吸いついて、ちょっと眸を上げ鼻筋にシワを寄せてくすっと笑う。
 「おかしくなっちゃいます私。セックスセックスなんだもん」
 「ほんとね、おかしくなっちゃう。向こうにいた私はもういない。化石の人と同じなのよ。ここは新しい世界だわ。生まれ育った地球じゃない」
 「そう思います。求められれば花は濡れる、それが女」

  もしも彼が求めてくれれば私は狂える。誇らしく胸を張って、ひぃひぃ喘いで果てていけると留美は思う。
  今夜はめずらしく独りのベッド。デトレフの姿が消えてくれず、留美は眠れず悶々としていた。
  ダメだわ眠れない。
  起き抜けた留美は窓際に立ってみる。
  半月よりも少しふくらむ月が浮く。あそこに行ったきり彼はもう戻らないと、なぜかしら考えてしまう自分がいることを否定できない。
  そのとき月の中で亮が笑った気がした留美。人格を否定されたレイプだったが彼がいてくれて幸せだった。熱い体の記憶があって、留美はネグリジェの上からブラをつけない乳房をそっと手につつみ、亮が笑ったまばゆい月を見上げていた。

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 ムーンロード(十八話)


  宇宙工学の権威である海老沢が設計を監修し、月面上で製作されたはじめての月面トラック、ムーンカーゴ。そのテストランを兼ねて、デトレフ、海老沢、そしてジョゼットの三人が乗り込んだ。
  月面都市では極点に近いところに原子力発電所が整備された都合上、東西よりもまずは北に延びてひろがりつつあった。原発の冷却システムに夜間マイナス170℃にもなる冷えを利用するため、発電所そのものをレールに載せて常に夜の側へと移動させなければならない。そのため移動距離が短くてすむ極点近くが都合がよく、そこからの送電であるために月面の横方向よりも極点を起点として縦につなげていったほうが効率がいいということだ。

  月の北極間際にある原発と月面都市を結ぶために同時に道が整備され、やがては月の裏側へとつなげようという計画。月の半周はおよそ五千五百キロ。これまでのような時速三十キロ程度しか出せない月面車ではおいそれと到達できる距離ではなかった。
  そこで考えられたのがムーンカーゴ。地球上の大型トラック程度のサイズがあるワンボックスカーと思えばいいが、道が整備されたこともあって時速四十キロほどまでスピードが上げられる。パワーユニットはソーラー発電による電力駆動であり、ボディが大きくなればその分ソーラーパネルの数が増やせて大型のバッテリーも搭載できる。月の昼の側にいる限りエンドレスに走り続けていられるものだし、夜の側に入っても二十四時間バッテリー駆動で動かせる。多くの資材の運搬ができれば都市の拡張もさらに進むことだろう。

  ムーンカーゴのコクピットは、ベンチシートで横に四人が乗れるように設計された。そのとき運転はデトレフ。間にジョゼットをはさんで海老沢が乗車した。整備された道筋はいま昼の側にあり、見渡す限りの土色の荒野がひろがる。道路ができたとは言え、月面都市から北へ向かう五分の一周分、およそ千数百キロにもおよぶ距離。地球上で言うなら砂利道に過ぎない道で行く。道を外れると岩石が転がって凹凸も激しく、やはり月面車に頼らなければならなくなる。
  しかしそれでも画期的な移動手段を手にできた。三人は嬉々としてフロントガラスに吸い込まれてくる月面の景色を見渡していたのだった。果てしなく続く死の世界がそこにはあった。
  デトレフが言う。
 「さっそく量産にかかりましょう。ドライブとまでは言えなくても、ないよりはずっといい。人員専用車でもあればバスツアーだ」
  もちろんジョーク。ジョークではあっても多少の解放にはなるだろうと海老沢もまた同感した。
  ジョゼットが言った。
 「見たって話が持ち込まれるわ。宇宙生命がいた。そのことに浮き立って錯覚を見てしまう。カフェに集まっては眸を輝かせて話してる」
  海老沢が応じた。
 「それもまた希望というものさ。皆がどれほど病んでいたかがよくわかる。精神力には限界があるからね。そういう意味でならムーンバスをつくってもいいかと思っているよ。道もさらに整備したいし、ともかくオフタイムが必要なんだ」

  小さな宇宙人の目撃証言。それは会ってみたいという思いが反射した幻覚。そんなものが実際にいるのなら監視カメラに写らないはずがないし、動くものが近づけばセンサーが感知する。いまのところそうした現実には出会えていない。
  ジョゼットは、昼間にもかかわらず黒い空に浮いている青い地球を見上げていた。球体の下半分が欠けた青い惑星。地球から見て月は動く。しかし月から見上げると地球は常に同じ位置に浮いていて、そういう意味でも変化がない。月が地球に対して同じ面を向けていて、地球を中心に公転しているからである。
 「いまでも同じ姿で存在するのか疑問だね。この百八十万年、人類は知性をもって進化した。同じ時間を彼らだって進化せずにはいられない。現存する生命なのか、それともすでに絶滅したのか。現存するなら会ってみたいものだよ」
  海老沢が言ったが、二人には声もなく、うなずきもしなかった。

  およそ百八十万年前のジャワ原人の時代。進化の空白として謎に満ちた時代を境に人類は知性をもって急速に進化した。ジャワ原人以前そして以後の化石は多く見つかり、なのになぜかその時代の化石だけが異常に少ない。エイリアンがやってきて知恵を授けたのがその時代だったとしたら。符合する何かがないとは言えなかったが、しかし・・。
 「地球に降り立ったエイリ・・」
  ジョゼットがエイリアンと言いかけたとき、運転席の無線のランプが青く点滅して着信を告げていた。
  軍船にいる部下からだった。
 「中佐、地球からです。周波数はかつてのルッツ氏のものですが、ルミという女性から急いでほしいと。いかがいたしましょう?」
  デトレフは留美という日本女性の存在を弟の意思を継ぐ女として二人に明かしていた。
 「わかった、つないでくれ」
 「了解しました、では」
  軍船で受けた無線をムーンカーゴに飛ばす。

 「お待たせしたね、デトレフです」
 「あ、はい。お仕事中ですか? いまお話しして大丈夫?」
 「かまわんよ、何があった?」
 「それが、どうにもわけがわからなくて」
 「うむ、それは?」
 「じつは今日、町外れにもう一軒ある私たちの仲間の家の奥側を開拓していて、不思議な化石を見つけたんです」
 「不思議な化石?」
  デトレフはとっさに二人へ視線を流した。
 「生き物の骨らしいんですが見たこともないものだから」
 「うんうん、それでどんな骨なんだね?」
 「身長で言うなら五十センチほど。全身骨格で小さな人間みたいな姿なんですが、手足の指というのか骨が二本ずつしかなくて体が細いの。頭蓋も骨盤も小さくて、そこからひょろりとした手足がのびていて。骨は黒くて石みたい」

  やはり出たと三人は思う。

 「それで皮膚などは? 着衣はどうなんだ?」
 「いいえ骨だけなの。ほぼ完全な姿で残ってる。目の穴が二つ、それに口みたいな小さな穴が縦に二つ並んでる。みんな宇宙人だって騒いでます。とにかく報告しておこうと思いまして。どうすればいいかもお訊きしたいし」
  デトレフは、目を見開いて聞いている二人にちょっとウインクしながら無線に向かった。
 「わかった、とりあえず内緒にしておいてくれないか。下手に言えばHIGHLYどもが押しかけてくるだろう。誰にも言わず厳重に保管しておいてくれたまえ。いずれ部下が訪ねて行くからそれまでは」
 「わかりました、じゃあそうします。お仕事中すみませんでした」
 「いやいや、かまわんよ。そちらはどう? 町は平和?」
 「ええ、それは。私たちがいるからか妙な動きはありませんね。相変わらずといったところでしょうか」
 「そうか、よかった。何かあればまた連絡してくれていいからね」
 「はい。お兄さんもお元気で」
  無線が切れ、デトレフは即座に軍船にいる部下へと無線を切り返す。

 「行くの?」
  相手が出るまでの間にジョゼットが問う言葉に、デトレフは黒い空に浮く地球をチラと見てうなずいた。
 「こちらデトレフ。帰還の件について宇宙ステーションをコールしてタイミングを質してくれないか」
 「では帰還するということですね?」
 「考えてみたがしかたがないだろう。我々の監視下で処理したい」
 「了解しました、ではさっそく」
  デトレフに一度地球に戻れないかという打診が来ていた。地球上の寒冷地に放置された累々たる死体の処理と、それよりも国連が没収した各国すべての核兵器の処理。死体のほうはともかくも核兵器についてはデトレフの部隊に専門家がいる。その打診をデトレフは行くまでもないだろうと断るつもりでいたのだったが、こうなると話は違う。
  ただそれは、いますぐ戻れということではなかった。海老沢が設計した超大型廃棄物運搬宇宙船がいままさに宇宙ステーションで建造中。帰還はそれからということであり、まだ三月ほど先のこととなる。月面の監視にあたらせる半数を残し、半数で帰還するということだ。

 「さて、せっかくのドライブだ。もう少し先まで行ってみよう」
  ハンドルを握って荒野を見渡すデトレフの横顔をうかがって、そうなればデトレフはそれきり戻らないのではないかとジョゼットは考えた。それは旅立っていく男に対して感じる共通した女心であっただろう。
 「やる気なんだね?」
  海老沢の観点はジョゼットとは違う。
 「かどうかはともかくとして、ただ捨ててしまうのはいかにも惜しい」
  核兵器を廃棄するための超大型宇宙船はもちろ無人でコンピュータによるフルオートコントロール。プログラムをいじってやれば行き先はどうにでもなるということで、それを密かに処理するためにはデトレフ自らが行かなければならなかった。

  LOWER社会の秩序はLOWER自らがつくる。もっともらしい理想だったが、留美はそれほど大それたことを考えてはいない。オーストラリア大陸の片隅で、しかもわずかな人数で、蠢いてみたところで何も変わらない。山賊というアイデンティティを貫き通す。ルッツのいた小さな町さえ平穏であればそれでよかった。
  治安維持部隊のヒューゴ。銃器それにガソリン、さまざまな情報と、ヒューゴのバックアップがなければ動きようがなく、山賊は山賊のままでいいと思っていた。
 「すでにルッツユニットと呼ぶ連中がいるそうだぜ」
  その日の午後、ルッツの店のカフェにヒューゴ。美しいマルグリットが気に入って、ちょくちょく顔を出しては油を売る。巡回中の時間つぶしといったところ。
  留美はちょっと苦笑した。
 「ルッツユニット(ルッツ部隊)ですか、笑っちゃうわよ」
  あのタイパンを葬った奴ら、それに人買いから女たちをかっさらう連中として口伝てにひろがっていたようだ。
 「私たちは山賊なのよ」
  苦笑しながら留美が言うと、ヒューゴは店に並んだカラフルな女物の服を見渡してほくそ笑む。
 「まっとうに働く山賊ねぇ・・ふふふ、まあいい、こんなちっぽけな町ひとつ平穏でもたいして変化はねえだろう。適当に暴れてくれたほうがHIGHLYとしては都合がいいからな」

  投獄された女たちがLOWER社会に堕とされて、しかしその先、人買いどもに下げ渡されていることなどHIGHLY社会では一切報じられてはいなかった。むしろそうした女たちが山賊どもにさらわれる。そっちを吹聴した方がLOWER社会を野蛮なものとしておけるということで。
 「今日のところは引き上げるぜ。おまえたちの働きで人買いどももよそへ行ってここらは平和だ」
 「治安維持部隊のお手柄ってわけ?」
 「まあそう嫌味を言うなって。治安維持など表向き。俺たちは暇なほうがいいってことよ」
  ヒューゴは美しいマルグリットに視線を流してちょっと笑う。マルグリットもちょっと微笑み、それだけのコミュニケーションでヒューゴは店を出て行った。
  そのとき時刻は夕刻前。春になって陽は長く、とりわけ今日は初夏のような陽気であった。
  治安維持部隊の迷彩ジープが店の前から消えて三十分ほどしたときだった。
  明らかに様子のよくない男が五人。どかどかとなだれ込んでくる。男たちは皆が黒人で、それぞれがバートにも並ぶ巨体。腰には拳銃を差していた。
  そのとき店にいたのは、キャリーとパナラット、カウンターの中に留美がいて、たまたま若いマットが裏から覗いた、そんなとき。
  男たちは一斉に拳銃を手にし、居合わせた皆に動くなと凄んでいる。

 「ルッツユニットもいいけどよ、それで困る奴らもいるってことよ。ボスは女だそうだが、どいつだ?」
  人買いども、それでもなければ盗賊どもに雇われた。そんなところだろうと留美は察した。
 「私だけど何の用?」
 「ほほう、黄色ちゃんの小娘かい? 笑えるぜ」
  ボス格の男が言って皆が嘲笑。男たちが銃を構えた。
 「なんなら嬲り殺してやってもいいんだぜ。治安維持部隊がお友だちのようだがよ、あんな連中にゃぁ何もできん。てめえらふざけるなよ、何様のつもりなんだ、山賊らしくしてりゃぁいいものを」
  まずい。バートそのほか男たちは、町外れの家の横に新しい家を建てている。
 銃声がすれば届く距離だが、走って戻っても間に合わない。
  屈強な男たちはにやりと笑った。
 「まあストリップで許してやらぁ。おいボス、てめえからだ、脱げ」
  マットが隙を見て動こうとしたのだが、拳銃の銃口が向けられる。
 「動くなと言ったはずだぜ。女どもがハチの巣にされてもいいのかい」
  暖かな店内にいた今日の留美はジーンズにレモンイエローのTシャツ姿。
 「わかったわ。その代わり手籠めにするなら私だけ」
 「ふんっ、上等な口をききやがる、ご立派なボスさんよ」
  留美はカウンターを出ながらTシャツに手をかけた。まくれ上がるシャツ。ピンクの花柄のブラが一際目立った。
  逆らえばさらにひどいことになる。マットはカウンターの裏に置かれたサブマシンガンを見ていたがどうすることもできないでいる。

  Tシャツを抜き取って、ブルージーンズのベルトに手をかけたときだった。

  オレンジ色のすさまじい閃光がガラス越しに店内に飛び込んで、男たちを次々に、絶叫さえさぜずに倒していく。
  はじめて見る、まさに光の弾丸。国連軍の最新装備であるプラズマガンの攻撃だった。プラズマとはつまり落雷。透き通ったガラスは光を通し、ガラスを割らずに中の標的だけを倒すことができるもの。倒れた男たちは感電して卒倒し一滴の血も流さない。
  愕然として、半裸のブラを両手に覆う留美。オートドアがするすると開いて、治安維持部隊とは明らかに装備の違う兵士たち四名が入ってくる。皆がそれぞれ茶色と灰色の迷彩バトルスーツを着込んでいる。
  兵士たちは皆が白人で逞しく、その先頭に五十歳前かと思われる長身で凜々しい軍人が立っていた。あの無線から三月半が過ぎていた。

 「間に合ってよかった。おいジョエル」
 「はい中佐?」
 「クズどもを引きずり出して処刑しろ」
 「はっ!」
  機敏に動く兵士たち。

  留美は、その男の精悍さに目を奪われた。背が高い。髭の剃り跡も男らしい。そしてルッツに似たやさしい面影。
 「デトレフです、留美ちゃんはいるのかな?」
 「はい私です、そんな、嘘みたい・・お兄さんなの?」
  デトレフは微笑んでうなずいた。
  若いマットも呆然としてしまい声もない。HIGHLY軍の装備の凄さを思い知る。古くさい銃器ではとても太刀打ちできないだろう。
  そしてルッツの店の前に横付けされた茶灰色の迷彩、飛行機を思わせる流線型の装甲車を見た男たちが、バートを先頭に何事かと駆け寄ってくるのだった。 国連正規軍などはじめて見る皆である。

  デトレフは、上半身半裸の留美に対してまっすぐ歩み寄り、恐ろしいほどの胸板にそっとくるむように抱き締めた。目眩がする。これがルッツのお兄さん?
  留美は言った。
 「みんなを集めて。ルッツのお兄さんよ、味方です」
  飛び込んで来たバート。ぞろぞろと男たち。皆が泥だらけ。正規軍の姿にバートでさえがのまれていた。デトレフチームはその中でも精鋭部隊。とてもおよばない兵士たち。
  そうしている間にも軍の処理は迅速で、賊の処刑を見届けた部下の一人が入って来る。
 「ジョエル君、こっちへ」
 「はっ」
  呼ばれた男がデトレフの横にまで踏み出して、その男もまた凜々しく若い。二十代の後半かと思われた。
  デトレフが言う。
 「ブリスベンに置く部下だよ、ジョエルと言って階級は少尉、フランス系だがイギリス人だった男でね、これから何かあれば彼に言いたまえ」
  留美はうなずく。あやうく涙になりそうだった。
 「それでお兄さん、今日はゆっくりできるのかしら?」
  デトレフは微笑んで首を横に振るのだった。
 「いや、せっかく会えたのにすまんが時間がないんだ。月に戻らなければならないのでね。そういう意味でもジョエルを頼ってほしい、私の右腕だ。さっそくで悪いんだが」
 「あ、はい、裏のガレージに」

  ガレージ。かつてそこには牝豚がつながれていたのだったが、いまでは片づけられてすっきりしている。太いH鋼の裏側に木箱が置かれ、留美が案内すると部下たちがしゃがみ込んで蓋を開ける。
  箱の中に毛布を織ってベッドをつくり、小さな化石は眠っていた。デトレフは一目見ると、ふぅぅとため息をついて言う。
 「間違いない。これと似たようなものが月面でも出たんだよ」
  皆が顔を見合わせて目を見開いた。デトレフが言う。
 「エイリアンだ、間違いない」
  おおっと男たちから声が上がり、女たちは手を取り合ってうなずき合った。
 「月のそれは解剖の最中ぼろぼろ崩れて砂になった。恐ろしく古いと思われる。おそらくは百八十万年以前のもの」
  皆は絶句。たいへんなものを見つけてしまった。
  コネッサが言った。
 「それからあたりを探しましたが、出たのはそれだけ」
 「うんうん、これだけで充分だよ、大変な発見だ。月へ運んで詳しく調べる」
  そしてそのとき、元は国連下部組織にいたマルグリットが口を開いた。
 「月面都市は順調なのですか?」
  デトレフは、場違いなイメージのある美しいマルグリットをチラと見て微笑んだ。
 「すでに数十万人が移住できる地下空間ができている。しかしまだはじまったばかりでね。スタッフ総勢およ五万、懸命にやってるよ。スペースができても付帯設備が追いつかないからね」
  この女は知っているとデトレフは察したのだが、突きつめようとはしなかった。
 「まあ何が起ころうと我々の世代には無関係なことだよ」
  七十年後の運命は事実であると言ったも同然。
  デトレフは部下に命じて木箱ごと化石を運び出し、裏にある弟の墓、それと最後に弟と話した地下の無線機をじっと見つめて去って行った。

  月への道は片道切符。この人は二度と地球には戻らない。直感として留美はそう感じていたのだった。

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