女の陰影

女の魔性、狂気、愛と性。時代劇から純愛まで大人のための小説書庫。

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 十一話 憑き物

  明江と紀代美の関係の中で、明江にとってのSかM、紀代美にとってのSかM、そして女同士の性関係も、それらは行為ではなく心の置き所の問題だった。あるとき責めて心地よく、しかしあるとき責められて心地よく、あるとき同種の性器に安堵する。心のねじれのようなものを解消しようとする切ないまでの愚行。それは誰にでもあるもので良心の呵責と言ったりする。
  その夜の二人は互いにSとMを交差させるようにもがき合い、狂ったように求め合い、業火が去った後に残る灯火を抱き合って身を寄せ合った。これこそ愛だと確信できる。一つの女心を女二人で分け合う夜。互いにそう感じられるセックスだった。

 「なんだか、何かに取り憑かれてしまったみたい」

  ふと明江が言った言葉に、紀代美はとろりと溶けた眸を向けた。
 「何か気配でも感じるの?」
  明江もまた溶けた眸で紀代美を見つめた。
 「わからない。私のいったいどこにこれほどの情婦が潜んでいたのかしらって思うのよ。浅里に対しても佳衣子に対してもそうだけど貪欲なまでに求めてしまう。相手が紀代美なら、どうされてもいいと思うし」
  紀代美はちょっと笑って、たったいまとろけて乱れたはずの明江の性器へ指をやった。燃えるように熱く、ヌラヌラに濡れそぼり、ちょっと触れるだけで明江はふるふる震え出す。
 「どうしようもなく感じるの。おかしいよ私って、こんなことはなかったのに」
  ちょっと笑いながら明江は言って、差し込まれる紀代美の手を内腿に挟み付けてすがりつく。

  紀代美は言った。
 「それは淫魔というもので女がちょっと油断すると取り憑くものよ」
 「サキュバス?」
 「それもそうだけど、あらゆる憑き物がそうさせる。魑魅魍魎と言うけれど、妖怪、悪霊、付喪神(つくもがみ)、そのほかすべてのよからぬもの。よからぬものではあるけれど時として女を夢へと誘うもの」
 「紀代美にも憑いてる?」
 「もちろんよ、私はそれで生きている、女ですもの」
 「私だって女なのよ。私にも取り憑いてる?」
 「空狐様におすがりしたでしょ。そのことですべての邪悪な者たちが明江に気づいた。明江という女の存在に気づいたでしょうし虎視眈々と狙っている」
 「狙ってるって?」
 「憑依する対象としてね。だけど背後で空狐様が守ってくれてる」
 「守護神としてという意味で?」
 「というか隷属する好ましい者として。私もそうよ、空狐様に守られてる。明江がもし何か気配のようなものを感じるなら、それは空狐様を取り巻く魑魅(ちみ)たちだと思えばいい。魑魅とは山の怪(け)、魍魎(もうりょう)とは川の怪(け)。怪(け)は他にもあるけれど、それらを総称して物の怪(もののけ)と言うのよ。神や仏とは違って下等なものでも私にとっては神様のようなもの。それが呪術を行う者の定めと言えばいいのかしら、そうした物の怪におすがりしている」
 「お母さんはもっと凄いんでしょう?」
 「比べものにならないわ。母の守護神は山の怪、つまりある種の山神様で女性神なの。空狐様はすなわちキツネで山に棲み、山神様のしもべですから」
  不可思議な話だ。空想に迷い込んだようだと明江は思い、紀代美はやはり怖い人だと考えた。

 「ふふふ、それも面白いわね」

  と、ふいにつぶやく紀代美。明江は貌をうかがい見た。
 「何が? それも面白いってどういう意味?」
 「旦那さんよ、明江の。明江の本心はこうだわ。旦那ごときに隷属していたくない。いい人だし可愛いけれど私はあなたの従者じゃない。ありきたりな女の人生なんて嫌。性の自由は私のもの。だから別れるならそれでもいいと考える。妙な呪術師に出会ったばかりに、いざとなればどうにでもなるとタカをくくっているわけで」
  明江は性の雲海から現実に引き戻されて、ちょっとうつむく素振りをする。そう言われると逃げ場がない。
  紀代美は言った。
 「だけどよ」
 「うん?」
 「旦那さんが従者となるなら話は違う。まさに女王。それなら家庭は家庭、外は外と割り切れる。女にはそうした残酷がつきまとうものなのよ。それでいいならやってみる?」
 「彼を操ってみないかって?」
 「そういうこと。それは空狐様におすがりする話じゃない。また別の術がある」
 「そうなんだ? だけどちょっと・・」
  明江は夫の顔を思い浮かべた。愛してくれるやさしい夫。
  明江は言った。
 「ちょっと可哀想かな」
 「そうかしら? いつか捨てるのとどっちが可哀想なんだろうね」
 「彼にも君臨しろってこと?」
 「そうとも言えるけど、試してみたらってことじゃない。術はいつでも解けるものなんだし、ちょっとぐらい虐めてやっても面白いとは思わない?」
 「魔女みたいね私たちって」
  紀代美は眸を丸くした。あなたって、ほんと、わかってないわねと言いたげだ。
 「みたいじゃなく、女は魔女そのものなのよ」

  紀代美は白い裸身を晒してベッドを離れ、たまたまそこにあったメモ用紙とボールペンを手にして戻って来る。
 「こう書いて。『浮気の相手は涼子、あなたはそれを白状せずにはいられない』って」
 「それで問い詰めるってこと?」
 「もう離婚よって言ってやる。ふふふ」
 「う、うん、やってみる」
  言われたように書いた明江。浮気なんてことになれば、妙な術など使わなくてもあの人なら白状するだろうと妻は思った。
  書かれたメモ用紙を一枚ちぎり、それをハサミで蝶型に切って二つに折って置いた紀代美。白い紙のチョウチョである。
 「さあ、お行きなさい」
  そう言って、ふっと息で飛ばした一瞬、紙の蝶は鮮やかなアゲハチョウへと化身して、ふわりと宙に舞い上がり、壁をすり抜けて消えていく。明江は愕然。ふわりと舞い上がって跡形もなく消えた虚空を見たまま声も出せない。
  紀代美は言った。
 「式神と言ってね、旦那さんに取り憑いてニセの記憶を植え付ける」
  このとき明江は良心の呵責を感じてならなかった。なのに一方ではウズウズする高揚感さえ感じている。これで夫の本音が見えてくると考えて。

  四日後の夜のこと。明江は303号に逃げ込むように飛び込んで、紀代美を見るなり舌を出し、キツネにつままれたようだったと告げて笑っていた。
  ドアがノックされたのは、しばらく後になってから。紀代美は友人ということにしてあった。ドアがノックされて紀代美が出た。このときもちろん紀代美は下着をつけて部屋着を着ている。
 「はい?」
 「河原ですが、妻がこちらにお邪魔していませんか?」
  廊下は響く。静かな声。紀代美は明江を振り向き、ちょっと笑ってドアを開けた。

  明江の夫は孝行と言ってIT企業のエンジニア。背丈は男性としては普通、黒髪はショート、色白で細身であり、一見して真面目そうな男であった。いかにもいまふうな気弱なイメージ。世の中の妻たちが、いつか物足りなく感じだす典型的なタイプ。
  部屋に入れ、妻がいるリビングへ通す。明江はそっぽを向いて相手にしない。紀代美は間に立ってとりなすフリ。内心可笑しい。
  孝行は、紀代美に恥ずかしげな眸を向けて妻に言った。
 「な、帰ろう」
 「嫌よ、もういい、離婚です」
 「ごめん。どんなことをしても償うから、よそ様のところでは話もできないし、ご迷惑だろう」
 「紀代美は親友です、迷惑なんかじゃないわ。顔も見たくない、帰って」
  シナリオ通りの展開。そこで紀代美がクッション役をかってでる。
 「ねえ明江、気持ちはわかるけどご主人だって白状なさったんでしょ。シラを切り通すのが普通なんだから」
 「それはそうだけど許せないもん。まだ新婚なのよ私たち。なのにもうって感じだわ」
 「だからさ、気持ちはわかるけど、償うっておっしゃってることだし」

  突っ立ったままの夫に妻は厳しい眸を向けたまま、それもまたシナリオ通りの台詞を切り出す。
 「どんなことをしてもって言うなら、許せるまで奴隷になって。二度と裏切れないよう躾けていくけど、それでもいいの? 私は女王様よ、ついでにご迷惑をかけた紀代美だって女王様。女二人が許せると思うまであなたは奴隷、辛いわよ。それでもいいの?」
  式神はニセの記憶を植え付けただけであり人を操るわけではない。それからは夫の意思しだい。明江はそれで夫がどうするかで先々を見定めようと考えた。
 「私が妊娠しにくいことで落胆したんでしょ? 違うかしら?」
  孝行は懸命に違うと言い、まるで他人の紀代美の前で涙を溜めて謝っている。
  可愛い人だと紀代美は感じ、しかし妻の怒りの演技はおさまらない。
 「いいわ、わかった。私に対して本気なのなら裸になって土下座なさい! 紀代美がいようが、そんなことはどうでもいい。紀代美と二人の共有奴隷、素っ裸におなり!」
  そのとき、そしてそれからの一部始終を紀代美は静かに見定めていた。

  二週間ほどが過ぎた土日のこと。明江は浅里と佳衣子をともなった二日間。紀代美は家に取り残されていた孝行に声をかけてドライブに連れ出した。いいやドライブなどはどうでもよかった。熱海の海が流れていたが、ろくに話さずハンドルだけを握っている。
  ラブホテル。女王としての真紅のランジェリー。大きなベッドにふわりと沈み、服を着たまま突っ立つ奴隷を見据えている。孝行の眸が弱い。
 「いろいろ聞かされてるわよ。毎日責められて泣いてるそうね。脱いで体を見せなさい」
 「はい女王様」
  素直に脱いでいく奴隷。しかしその裸身からは生気が失せて、眸にも光が感じられない。
 「あらあら、ひどいわね」
  男の固い尻や背や、体中に乗馬鞭の青痣。ところどころが黄色くなって見るも無惨な裸身であった。
 「ここへ来て奴隷のポーズ」
 「はい女王様」
  膝で立って脚を開き、両手は頭。奴隷に堕とされた孝行は陰毛さえも処理されて、紀代美の赤い下着に欲情するのか、妙に白いペニスがむくむくと勃起をはじめている。
 「もう大きくしてるのね。私に対して欲情する?」
 「はい、申し訳ございません、女王様はお綺麗です」
  紀代美は微笑み、ラブホに備え付けのビニルスリッパで、上を向くペニスの先をペシと叩く。今日の紀代美は鞭などそのための道具を持ち込んではいなかった。
 「あぅ」
 「痛いわね?」
 「いいえ嬉しいです、ありがとうござます」
  明江から聞かされていた。あれから射精は一度もなし。オナニー禁止。こっぴどく鞭打って平伏させ、細いヒールで踏みにじり、トイレの後のアナルまでも舐めさせる。尿を飲ませるなんてあたりまえ。夫はよく耐えていると。
 「心から反省してる?」
 「はい。許していただけるまで、いいえ、生涯奴隷だと言われていますし、それでもいいと思っています」

 「捧げるってこと?」
 「はい」
 「私にも捧げてくれるわね?」
 「はい女王様、お誓いいたします」
 「そう。いいわ、おいで」
  紀代美は奴隷の手を引いて女王の白い腿に男の体を横たえて、そのとき眸についた背中のヒールの踏み跡を指先で撫でてやる。
 「おまえは」
 「はい?」
 「明江のことは別に、私をどう思ってる?」
 「それは、はい、お慕いしております」
 「そうじゃない。それは奴隷の言葉。女としてどう思うかと訊いてるの」
 「それは・・素敵なお方です」
 「認めてくれる? 女としての私を?」
 「はい、もちろん」
  腿に体をあずけたまま顔を上げて見つめる孝行。やさしい接し方が嬉しいのか奴隷はもう眸を潤ませている。
  可愛い人だと紀代美は思う。明江は本音のところでこの結婚は失敗だったと考えている。抗う力がないからしかたがないと考えていた。けれど反力を得たいま、夫が妻を想うのはあたりまえ。いい気になりすぎ。そしてその力を持たせてしまったのは私だと紀代美は思う。

  しかしそうしたことと、いま目の前にいる男の姿とは話が違う。涙を溜めてまっすぐ見つめてくれる男が可愛い。激情が衝き上げてくるのを止められない。 
 「いい子ね、さあおいで」
  そのまま手を引き、孝行をベッドに上げて、赤く艶めかしい下着姿で紀代美は四つん這い。尻を向ける。
 「よく耐えたご褒美です、パンティ脱がせてお尻の底までよく舐めて」
 「ぁ・・でも」
 「いいから脱がせて。心から奉仕して私を濡らしてちょうだいね」
 「いえ、それでは妻を裏切ることになってしまう」
 「だとしても大切なのは、いまだわ」
 「いま?」
 「いまこのとき私だけを見ていてほしい」
  真紅の布が張り詰める女王のヒップ。孝行は尻のカーブを滑らせて布を巻き取り、白い腿から膝まで降ろし、誇るように突きつけられる女性のすべてを見つめていた。陰毛のない女の性器。けれどそれは少女のような可憐さのない、熟れきった性の花。魔女的な淫ら花。すでにもうじぶじぶ蜜を滲ませて、閉じたリップをわずかに開いてやるだけで軟体動物そのままに蠢き出すようだった。
  孝行の勃起は頂点に達している。妙に白い男の茎に血が満たされて亀頭が青く、茎には幾筋もの血管が浮き立って、針で突けば破裂しそう。笠の張った亀頭の先から透き通った男液が垂れている。
  孝行は、腰を張って開かれる女王の性器とアナルを見つめ、ひくつくアナルにそっとキスをして舌先を這わせていく。

 「あぁぁ孝、いい、感じるわ」
 「女王様、嬉しいです、幸せです」
 「紀代美って呼んで。ねえ孝、私は紀代美、時として男の奴隷になりたくなる女なの。様もいらない、紀代美って呼んで」
 「はい。あぁ紀代美、よく濡れる綺麗な穴だ」
 「嫌ぁぁ見ないで。ねえ舐めて、もっと舐めて」
  突き上げられた尻の双丘を男の手が割り開き、引き攣って歪むアナルへ強い舌を刺していく。
 「あぁン孝ぁン、孝ちゃん可愛い」
 「紀代美」
 「はい、孝ちゃん。あぁぁご主人様、もっと舐めて」
  それが紀代美が持つ、また別の貌だったのだろう。激情が女心をMの側にシフトして、すがりついていられる男性として認識している。
  ラビアを舐められ、花を開かれ蜜が流れ、膣口に牙立つ柔らかな肉の突起が男の舌に屈服して穴をひろげる。紀代美は震えた。いまこのとき男が欲しい。女王から奴隷へ化身した白い女体は、毛穴という毛穴を開いて香しい汗を分泌。背を反らせ獣のよがりを吼えながら尻を振って男を誘う。
  パシパシっと双丘を男手ではたかれて、熱い亀頭が膣を狙って切っ先をあてがって、そのとき紀代美はカッと目を見開いた。

 「あぁぁーっ! あっあっ! 私を見てて、ずっと見てて。可愛い奴隷よ、孝ちゃんの可愛い奴隷なんだもん」
 「うむ、いい女だ」
 「はい、嬉しいわ。あっ、うぅっ! あぁーっイクぅーっ!」
  一途な男の心とペニスの先端に子宮が衝かれ、どうしたことか一瞬のうちにピークが襲う。吼える、吼える! もがく、もがく! こんな男を求めていたと紀代美は感じ、そのときかすかな敵意が蠢きだしていたのだった。
  これほどの人を愛せないあの女はどうかしている。馬鹿よ明江は。そうした思考が白くなって渦を巻き、熱い迸りが子宮口にまき散らされる実感で、紀代美は天空へと飛び立った。わなわな、がたがた、総身を震わせながら、眸を開けているにもかかわらず景色が歪んで消えていく。
  一度の射精で萎えないものが抜き去られ、そのとき紀代美は亀頭の笠の逆立ちを膣壁に感じて声を上げた。
 「舐めて孝! ダメ出ちゃう! おしっこ!」
 「はい女王様」
  性器に唇をかぶせて奔流を受け止めてくれ、飲んでくれる可愛い奴隷。主と奴隷を行き来できるしなやかな男心が嬉しかったし、女王と奴隷を行き来する女の気まぐれが可愛いと感じた孝行だった。

  明江、もうダメ、旦那さんはいただくわ。私は彼を愛してしまった。
  紀代美の中で何かが崩れ、何かが聳えて新たなカタチを成していく。

  尿の迸りがついえたとき、紀代美は素直な奴隷を振り返り、それでもまだ勃起したままだった男の凶器にむしゃぶりついた。
 「むぅぅ!」
 「ふふふ、感じる? 嬉しいの?」
 「はい女王様、ありがとうございます、お慕いします心から」
  紀代美はまじまじと貌を見た。
 「あぁ最高、孝ちゃん最高、あなたが好き!」
  この紀代美の激情がよからぬ者どもへの合図となった。

  まさにそのとき、シティホテルの一室で二人の奴隷を泣かせていた明江。いきなり後ろから、とても抗えない強い力に捉えられ、上下黒の下着が毟り取られていくのだった。
  目眩が襲う。景色が歪む。白い裸身が前に折られて尻を突き出し、とうてい人のモノではない太いものに貫かれる。
 「きゃぁぁーっ裂けるーっ、ああ裂けるぅーっ!」
  突然襲った異変に全裸の浅里と全裸の佳衣子が抱き合って、愕然として見つめていた。
  見えない手が女王の白い乳房を揉みしだき、開かれた股間から潮を噴き、内腿に桜色の破瓜の血を流し、明江はかぶりを振り乱してもがいている。
 「ああそんな、助けて紀代美、助けてぇーっ!」

 「ふふふ、おしまいよ明江、あなたはおしまい」
  心の言葉。にやりと笑って孝行のペニスを吸い立てる紀代美。二度目の射精を喉の奥で受け止めて、紀代美は孝行の腰にすがりついて果てていく・・。

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 十話 磨りガラスの夜

  妻にとっての夫との性。明江にとってのそれは不満があると言えるほど冷えた夜でもなかった。営みが減ったというのも、付き合って一年、結婚から二年を経た夫婦の落ち着きであり、穏やかに確かめ合う夜とでも言えばよかったのだろう。
  妻に対してまっすぐ愛を向けてくれる夫。抱かれていて妻は、この人を捨てていいものかと考える。夫婦としては無難に、もう一人の私として解放されるといった都合のいい関係が私にできるものなのか、と明江は思う。

 「できにくいみたいよ」

 「そうなのか?」
 「お医者が言ってた、子宮後屈ぎみらしいって」
  妊娠ではないとわかった後になって、あえて妊娠かも知れないと夫に告げ、ダメだったと報告する。もちろん嘘。どうしてそんなことをしてしまうのか、明江自身が理解に苦しむ。
 「まあ、しょうがないよ、気にするな」
  やさしい夫。捨てるなんてできそうにない。その夜も夫婦は溶け合った。しかしこのとき明江は避妊薬を飲んでいた。これでもう妊娠しない。そうした思いが裏目に出たのか、その夜の性は久びさ燃えるものだった。

  陽子に対して明江はS女になりきれず、ビアンとしてベタベタというほどでもなかった。陽子との間にも磨りガラスを挟んでいる。陽子は紀代美に委ねておきたい存在であり、私には君臨できる浅里や佳衣子がいる。こちらは狂おしいほど素通しの性。磨りガラスどころか隔てるものは何もなかった。
  隔てるもののない性は燃える。紀代美に対して明江は淫獣。しかし心のどこかに微妙な距離を感じている。そしてそんな明江の胸中を見過ごす紀代美ではなかった。あの子は夫を捨てられず、私に陽子をあてがったつもりでいて、私の前では隷属しようとポーズしている。私の背後に空狐がいるから・・と、計算ずく。

  さて、その空狐の力を得た明江が横倉浅里そして神白佳衣子という二人に対してどういう想いで接しているのか。空狐はすがるものであって利用するものではない。度を過ぎると空狐は怒る。その怖さをあの子は知らず、そうなったとき私の意思ですべてが決まる。紀代美は内心でそう思いながら、それを確かめておかなければならなかった。思いもしない力を得たとき人は豹変するからだ。
  そして翌々週の祭日のこと。K2はもちろん休み。けれど明江の夫は、祭日はほぼ仕事に出ていて、とりわけ今夜は泊まりになる。
  おあつらえ向きの休日。明江は紀代美とともに浅里と佳衣子、二人の奴隷をホテルへ呼んだ。ラブホではない。横浜の高層ホテルのスイートルーム。今夜は泊まるつもりでいる。

  奴隷二人が先に来ていて女王二人を出迎えた。性奴隷は戸口に立つところから素っ裸。浅里にも剃毛が命じてあって熟女二人が揃ってパイパン。それぞれ乳首とクリトリスにステンのピアスが光っていて、二人とも髪をまとめて垂らしている。
  明江は女王、鼻が高い。
 「こちらが紀代美女王様よ。私にとって大切なお方ですからそのつもりで接することね。恥をかかせたら拷問ですから覚悟なさい」
  黒い革のロングソファに二人の女王。今日の明江は黒のランジェリー、紀代美はめずらしく下着を着けて、こちらは純白のランジェリー。奴隷二人は横に並んで一度平伏し挨拶すると膝で立って両手を頭の奴隷のポーズ。二人とも肌は白く、突き出た乳房は形がよく、乳首にピアス。そして飾り毛を奪われた性の谷にもピアスが光って、赤みの強いクリトリスの頭が覗いていた。ピアスをされて敏感になっているのか、クリトリスはすでに充血して飛び出しているようだ。

  明江は言った。
 「ピアスはどう? まだ痛む?」
  浅里が応じた。
 「触れるとまだ少し痛みますけど大丈夫です。可愛い姿にしていただけ、ありがとうございます」
 「よろしい、いい子よ。あれから二人で愛し合ってる?」
  それには佳衣子が微笑んで応じた。横目に浅里を見ながら笑う。
 「はい女王様、お互いいっそういとおしく想えるようになり、それは濃密に」
 「おまえたちにとって、これでよかったということね?」
 「はい女王様」
  二人の声が重なった。
  ほっとできる奴隷の姿。同じ運命を背負った肉体がいとおしく思えるのは紀代美にも理解できることだった。明江はやさしい接し方をしているようだ。奴隷の肌に厳しい傷はなかったし、満たされていることは二人の面色を見てればわかる。
  紀代美は明江に言った。
 「ずいぶん可愛がってるみたいね? 二人ともいい貌してるし」
  明江は眉を上げて首を傾げ、微笑んだ。
 「もちろんです、ふたりともやさしい子たち。急ぐつもりもありませんし」

  女王と見定めた明江が敬う女王。奴隷二人は初対面の紀代美に対して激しい羞恥を感じながらも、それを濡れとして表現し、紀代美に対していきなり思慕の念が湧く想い。
  不思議に微笑ましい光景。紀代美は二人を通じて明江の本質を探っていた。
  紀代美が身を乗り出すようにして二人に言った。
 「嬉しそうで私も嬉しいわ。二人抱き合ってキスなさい」
 「はい紀代美女王様」
  声が重なり、それから二人は互いに微笑み合って見つめながらふわりと抱き合い、どちらもが眸を閉じて絡み合うキスをする。
 「浅里、好き」
 「私もよ、あぁ佳衣子」
  ささやき合う二人を女王明江は見守って、そんな様子を紀代美が見ている。こういうことなら空狐だって許すだろうと紀代美は思った。
  抱き合いながら互いに股間に手をやって慰め合う奴隷二人。明江は言った。
 「さあ二人とも奴隷の姿になりなさい。首輪それに二穴責め、ブラもして」
 「はい!」
  立ち上がった二人。二人の女王の目の前で青い首輪と青い革パンティの浅里の正装、ピンクの首輪とピンクの革パンティの佳衣子の正装。穴開きブラが張り詰めさせる乳房の先で乳首が飛び出すが、ピアスの施術から間がなくて乳首責めは許されていた。
  奴隷二人は青とピンクのスイッチボックスを手にして、ふたたび奴隷のポーズ。
  明江は命じた。
 「紀代美女王様にお渡しなさい。今日は紀代美女王様の思いのまま。わかったわね?」
 「はい!」

  手渡された二つのスイッチを手の中に紀代美は微笑み、それぞれ一段、スイッチオン。ブッブッブッと間欠する振動音が腹の中から漏れてくる。
 「ぅ、ンっ、感じます紀代美女王様、ありがとうございます」
  佳衣子が先に言い、同じことを浅里も言って、眸色がとろけ、小鼻をひくひくふくらませて二人は喘ぐ。明江はソファを立ちながら言った。
 「足先からご奉仕なさい」
  奴隷のポーズを解いて二人は這って、紀代美の左右の足先にキスをする。床に這って尻が上がると股間のベルトがディルドを食い込ませ、振動も強く感じることになる。
 「もっとお尻を上げなさい」
  乗馬鞭。明江は二人の尻肉を交互に強く一打ずつ。
 「あぁン」と、それもまた鼻にかかった甘い声が重なった。
  明江は笑って紀代美を見つめ、紀代美も笑って、足の指を舐めはじめた奴隷二人を見つめている。紀代美は言った。
 「じゃあもう一段あげましょうか、可哀想だけど。ふふふ」
  ビィィーン。とたんに音が強くなり、奴隷二人は腰を振って無我夢中で紀代美の足を舐め回す。
 「あン、あぁン、アソコが溶けそうです」
 「気持ちよくて?」
 「はい。あぁン、いい、イキそう」
 「ダメでしょ、まだまだ。甘えてんじゃないわよ」
  ピシーッ!
  明江の強い鞭が二人の尻を襲い、悲鳴を上げながら、さらにクイクイ腰を振ってよがる二人。カラーレザーに分断される白い裸身に見る間に汗が浮いてくる。

  おんおん感じてよがりながら紀代美の腿まで這い上がった二人の頬を紀代美は撫でて、甘責めに苦悶する貌を見つめて言うのだった。
 「幸せね?」
  二人は何度もうなずいて、ちょっと笑い、しかしそれはすぐに切なげに歪むイキ貌へと変化していく。
  紀代美は二人を押しのけるように立ち上がると、明江の手から乗馬鞭を取り上げて、奴隷二人に命じた。
 「脱がせてちょうだい、パンティもブラも。くまなく舐めるのよ」
  そう言いながら紀代美はフルスイングの鞭を二人の白い背中に浴びせていき、バイブのスイッチを無造作に最強にセットする。
 「わぅ! あぁぁーっ! イッてしまいます紀代美女王様、あぁーっ!」
 「明江に言われたばかりでしょう! イッたりしたら拷問よ、私は甘くないからね!」
  それは紀代美の豹変だった。
  もしや本物? この女がS女もどきではなく本物のサディストだったとしたら・・明江はなぜかいきなり濡れだした自分の性器が不思議だった。

  明江は思う。もしやそれが私の本質? 私はM? であるならそういう意味でも紀代美に従属することがこの関係を絆に変えていける秘訣なのかもしれない。暗く冴えない女だと思っていた紀代美の凄さを見せつけられたような気分。これで何度こういう気分にさせられるかと明江は思い、紀代美の怖さに震えるような、それでいてたまらない思慕の念を感じてしまう。女の激情は誰にでもあるものだが、紀代美のそれは底知れないと明江は思い知る。

  303号、紀代美の部屋。
  その夜は明江と紀代美、二人だけの夜となった。浅里と佳衣子を巻き込んだ調教シーンから十日ほどが過ぎていて、明江の夫がまたしても今日から三日間の出張。そんなシチュエーション。仕事を定時に終えて戻った七時前。紀代美は夕食を用意して待っていた。
  紀代美は独りのとき全裸で過ごす。キッチンではサロンエプロンだけの姿。対して明江は着衣のまま。しかし裸でいるのは女王のほうといった不思議なムードを感じさせる。
  部屋に着いて明江はシャワー。その夜の明江は裸身にバスタオルを巻いただけの姿で、キッチンに立つ紀代美の背へ歩み寄る。茶色のサロンエプロンが白い紀代美の裸身を適度に隠し、後ろから見る姿がエロチック。明江は歩み寄って後ろからそっと抱き、エプロンの内側から手を回して紀代美の二つの乳房を両手につつんだ。張りのある触感が紀代美の強さを物語るようだった。

  紀代美が言った。
 「あの二人とうまくいってる?」
 「いってるいってる。オフィスではそ知らぬ顔でも佳衣子も浅里もやさしくなった。みんなが驚くぐらいだわ。毎夜毎夜確かめ合っているらしい」
 「愛し合ってるのよ、あの二人」
 「前にも増してベタベタって感じよね。羨ましくなっちゃうくらい」
 「羨ましい?」
 「正直に言うけれど、私だけなのよ、微妙な計算って言えばいいのか、すっきりしない思いがしちゃって」
 「私に対してもそれはそうでしょ?」
 「ないとは言えない」
 「正直なのね」
 「だってそうなんだもん。ときどき怖くなる。陽子とのことにしたって紀代美が握ってるんだし、その気なら浅里や佳衣子、それにウチの旦那にしたって、紀代美次第でどうにでもなるでしょう。そんなことになったら私は寂しい。でもね紀代美」
 「うん?」
 「そのへんポジティブに考えようと思ってるんだ。私は紀代美にすがってるんだって」
 「利用するためじゃなくってこと?」
  明江は紀代美の乳房を揉みながら首筋にキスを這わせ、そして言った。
 「人間なんて本音を言えば利用し合って生きている。そこを一歩超えた関係と言えばいいのか、紀代美のことをまっすぐ見ていたいって思うのよ」

  紀代美は流しを向いたまま振り向きもせず、ちょっと笑って、そして言った。
 「さあできた、おなか空いたし、そっちが先だわ」
 「うん、ありがとう、あなたが好き」
 「わかったわかった、さあ座って」
  体よくあしらわれたムード。裸の女が二人でテーブルに着き、今夜はサンドイッチとスープ。食べながら紀代美は言った。
 「でも、そうよね、明江にとって私は空狐様そのものなんだから」
 「それも言えるし、もしも私がそうなら女としては苦しいだろうなって思うから情が湧いちゃう」
 「苦しさより恐怖が先よ」
 「自制できなくなっていく?」
  その問いかけに紀代美は応えず曖昧に笑っていた。他人の運命に影響する力の怖さに明江は気づきだしている。紀代美は言った。
 「最初に言ったはずよ、私はいいの、MでもSでもビアンでも、相手が男だろうが女だろうが気にするのはそこじゃない。私は受け身。見ていてくれればそれでいいし、利用したいならそれでもいい。他人への期待は失望に終わるから私は多くを望まない。ただただ見ていてほしいだけ」
 「わかる。私だってそうだもん。紀代美に対して私はM」
 「そうなの?」
 「卑怯なのよ私って」
 「旦那のことでしょ?」
  明江はうなずく。
 「私からは決められない。決めきれない。なのに一方、紀代美を優先したい気持ちがあって、旦那が邪魔だと思ったとき、それってやっぱり紀代美にすがることになると思ってしまう。はっきり言って利用しようってことだから自己嫌悪」
  紀代美は穏やかな面色で明江を見ていたが、そのうち眸色が醒めてくる。

  紀代美が言った。
 「逆もあるわよ」
 「逆って?」
  明江は眸を向けたのだったが紀代美は視線を合わせようとはせずに言う。
 「私は奴隷。お慕いする女王様のために身を粉にする。私からすればそっちのほうが気も楽というもので。相手はご主人様でもいいけれど、命じられて術を使う」
 「うん、そうね、それはそうかも」
  互いに責任から逃げていたい。いかにも女々しい女の発想だと互いに思っていながら話している。二人揃ってちょっと笑った。
  話す間に食事を終えて紀代美はテーブルを片付けながら、相変わらず明江を見ずに言い出した。
 「他にも訊いておきたいことがあるんじゃない?」
  明江はどきりとする。けれどいつまでもそれを避けていてはいけないと考えた。
 「空狐様の毛皮って私だけでも成立するもの?」
  紀代美の横顔がふっと笑う。やっぱりねと感じつつ本音を言ってくれたことが嬉しかった。
 「しないと言っておきましょう、明江のためにも」
 「わかった。こんなことを考えてしまう私が怖い。転がり出したら止められない気がするし、そう思えば思うほど紀代美に対してMでいたいと思ってしまう」
 「私は逆だわ、明江に対してMでいたい。愛への責任をかぶせておきたい」
 「本音よね女の」
  明江の声に背を向けて物言わず、紀代美は流しに立っていた。

 「本音だったのよ、それが私の」
 「私だってそれはそう。浅里に言われて何よって思いながらも従って、まるでご褒美のように抱いてくれると嬉しかった。私はMだわ、きっとそうだと思ってた」
  ちょうどその頃、浅里と佳衣子の二人は、東京を少し離れた沼津のホテルをとっていた。インターを降りてすぐのところにあったラブホテル。
  浅里が言った。
 「佳衣子にいろいろ言いながら私はずっと自己嫌悪。従うあなたを見ていて羨ましいって思ってた。明江様に出会えたことで私は変わった。うまく言えないけど肩の荷が下りたって言うのかしら。旦那とのこと、そのほかいろいろ、その中には佳衣子とのことだって含まれてる」
  佳衣子はうなずくだけで笑いもしない。ビアンの関係はピュアである分、裏切りへの恐怖を常に感じている。と、そう浅里は考えていたし、それは佳衣子のほうでもそうだった。どちらかを上にして自分を納得させていたのだが、しかしいつか忍耐を超えたとき、その関係が崩れてしまうと愛は終わる。
  浅里が言った。
 「奴隷同士の高さが心地いいの。すべては女王様のために私たちは互いを高めていけるでしょう」
  佳衣子が言った。
 「もっともっと感じて生きたい。それだってもはや私のためじゃない。支配される充足を知ってしまった」
 「それ言える。明江様をお慕いし、その明江様が慕う紀代美様もお慕いする。自分以外の誰かを慕っていられる私が好き。だから佳衣子のことも前よりずっと愛していられる。紀代美様は怖い人」

  話がなぜかそちらへ向いた。このとき二人は紀代美に特殊な力があるなどとはもちろん知らない。女の直感として紀代美に底知れない何かを感じ、だからこそ君臨されるシーンに満たされる。
  浅里も佳衣子も奴隷の正装。互いに互いのスイッチを持ち合って、揃って一気にマックスまで性器を嬲る。

lez520

九話 新たな土壌で

 その同じ金曜日。明江が佳衣子のマンションに乗り込んだ時刻のこと、福地紀代美はふらりとドライブに出ていた。今夜は明江がいなく陽子もまた旦那が家にいて動けない。このところマンション内で女同士の特異な関係ができていたが、それまでの紀代美は孤独を楽しむように生きていた。
  呪詛という恐ろしい力を持って人心の裏を知ってしまうと、孤独はむしろ解放される時間となるもの。思い立ってふらりと出る。そうやって自分を解き放ってきていた紀代美だった。

  中央高速。行き先は決めず、それほど遠出するつもりもない。相模湖インターあたりで降りて夜の湖を見て帰ってくる。お定まりのコースだったのだが飽きないドライブ。ところがその日、ちょっとした事件に巻き込まれてしまった紀代美。
  高速道路上ですでに異変はあった。中型トラックが暴走車に尻につかれてあおられている。相模湖インターの少し手前で暴走車はトラックの前へ出て進路を塞ぎ、ここで降りろと迫っているのだ。暴走車には男が二人乗っている。それほど改造された車体ではなかったが、あきらかに素性のよくない連中。中型トラックの運転手は五十年配の男で一見しておとなしい。紀代美は先を行く二台の後についてインターを降り、遠巻きに尾行した。

  相模湖のほとりの大きなパーキング。夜のこの時刻、駐車するクルマもまばらで人の気配はまるでない。今夜はところどころに雲が浮き月が隠れてしまっている。 トラックを追い詰めた二人は若く、それぞれに体も大きかった。トラックの男を運転席においたまま、トラックを蹴ったりして脅している。
  運転手に降りろとスゴむ。降り立った男の前後を囲み、前に立ちはだかった若い男がいきなり拳を振り上げた。走り方が気にくわないと因縁をつけられた。そんなところだろうと紀代美は思う。
  前に立つ男が殴りかかり、しかし五十年配の中背の男はボクシングスタイルで身構えると、若者のパンチをかわして逆に顔をぶんなぐる。ところが同時に背後から組み付いたもう一人に柔道技で転ばされ、二人に組み伏せられて殴られる。 紀代美はクルマを降りて駆け寄った。
 「やめなさい、あんたたち! 警察を呼ぶわよ!」
  突然飛び出した妙な女に男二人は顔を見合わせてせせら笑う。
 「てめえ馬鹿か、呼ぶなら呼んでみろ、マッポが来るまで待つわけねえだろう」
  そしてそのとき、男たちの下になって鼻血を出していたトラックの運転手が紀代美に言った。
 「いいからほっといてくれねえか。あんたが危ねえ、逃げろ!」
 「けっ逃がすか馬鹿女」
  男の一人が立ち上がって駆け寄ろうとしたときだった。
  このとき紀代美は部屋着にしているミディ丈のワインカラーのワンピース。裸に一枚着て出てきていた。

  とっさに紀代美は手の平を迫る男に向けて突きつけ、口の中で何やら呪文のような言葉を発した。聞いたこともない言葉。経のような抑揚のあるトーン。しかし若い男はかまわず、ずかずか距離を詰めていく。
  ところがその刹那。ずかずかと間を詰める男の体が、首根っこをつかまれた猫のように浮き上がり、手足をバタつかせ、闇の虚空へ見えない力で引き上げられていくのだった。
 「うわぁぁーっ! 助けてくれぇーっ!」
  さらに一人、運転手にのしかかった男のほうも同じように浮き上がり、闇の中空へ二十メートルほども引き上げられたと思った刹那、吊り上げる力が失せて男たちはコンクリートの地べたに叩きつけられ、悲鳴もないまま肉体を壊されて絶命した。
  トラックの運転手は尻をついて体を起こし、唖然として声もなかった。紀代美は闇の空に向けて、またしても呪文のような言葉を告げて、それからほっと力を抜いて歩み寄る。
 「大丈夫?」
 「え・・うむ、大丈夫だが、あんたいったい何をした?」
  紀代美は微笑んで男の手を取り立たせてやった。鼻血が灰色の作業服の胸元に流れている。
 「言っても信じないから夢だと思って。そのへんのホテルへ。手当てしないと」
  運転手は眸が丸く、見つめたまま視線をそらせない。
 「俺、三島って言うんだ」
 「紀代美です、運がよかったわ、私がいて」
 「まあ、その、そうだな、ありがと」
  男の怪訝な面色。
 「そんな眸で見ないで、魔女じゃあるまいし。私は呪術師、それだけのことよ」
 「呪術師? 陰陽師?」
 「それは映画の見過ぎ。さあ、行きましょう」

  相模湖の畔にはラブホが並ぶところがあり、金曜の夜とはいっても空いていた。 部屋に入って、三島は真っ先に顔を洗って血を流し、出てきたときには特にどうということもない。手当てするほどでもない傷だった。
  胸元に血のついた上着を脱ぐとモスグリーンのTシャツ。三島は特に長身ではなかったし、ハンサムとは言えない男。五十年配でもまだまだ若く、丸刈りが伸びたような素朴な姿が人柄を物語っているようだった。
 「ボクシングを?」
 「若い頃にちょっと。いまはもうダメさ」
  大きなベッドサイドのラブソファに座って紀代美はうなずき、座り直して隣りにスペースをつくって三島にすすめる。
  座りながら三島は言った。
 「助かりました、ありがとう」
 「いいえ。カッとしたのは私だわ、ああゆう輩は許せないもん」
  隣りに座った男が汗臭い。
 「仕事はこれから?」
 「というか往復だ。片道だけじゃ喰えないからね。諏訪湖へ行く途中だった」
 「そう。じゃあ急ぐ?」
 「いいや、そういうわけじゃない」
 「うん、わかった。もう訊かないから私のことも訊かないで。ちょっと汗臭い、どうにかして」
  微笑む紀代美。微笑んで立ち上がり、また男の手を取って立たせていた。
 「しばらく一緒にいよう、いいでしょ?」
 「ああ、俺はいいが。紀代美さんだっけ?」
 「そう紀代美」
 「ありがとうね、嬉しかった」
  実直な男なんだろうと紀代美は思い、手を引いてバスルーム。しかし三島は踏みとどまって動かない。
 「いいからシャワーにしましょうよ。あなたを気に入ったのは私。夢だと思ってもらっていいから」
  動かない三島をそのままに紀代美はワンピースをまくり上げて首から抜いた。下は全裸。三島は呆然としていたが、紀代美の眸を見てうなずいて、着ているものを脱ぎだした。

  シャワーヘッドの下に男と女。丸刈りの頭を洗おうとして両手で掻くと、シャンプーがぴんぴん跳ねて飛び散った。裸になった三島は引き締まって逞しい。紀代美はそんな三島をちょっと笑って見つめていて、手の中にソープを泡立てて三島の背後から筋肉の浮き立つ背中や腰を洗ってやった。
  ふいに三島が言った。
 「わかる気がする」
 「あら何が?」
 「もしも俺なら、そんな力を持ってしまうと苦しくなると思ってね」
 「そうね。その話はやめましょう」
  紀代美は三島の背に裸身を寄せて、背後から手を回し、胸板を洗い、その手をそっと下ろしていった。しかしそこで三島の手が紀代美の手を止め、くるりと振り向いた男は、女の足下に膝をついて紀代美のくびれをそっと抱き締め、下から二つの乳房越しに貌を見上げた。
 「綺麗だ」
 「ふふふ、ありがとう。素敵な抱き方してくれるのね」
  紀代美はこの角度で見下ろす男の眸が好きだった。無毛のデルタにすがるように尻を抱いて見上げてくれる。思慕の想いを表現されているようで男が可愛く思えてくる。
 「生まれつきなの」
 「あ?」
 「パイパン。恥ずかしいけどね」
  三島は微笑むだけで何も言わず、女のクレバスの谷口にちょっと触れるキスをして、それから頬をすり寄せて尻をそっと抱き締める。

  その一瞬、本気で見ていてくれるならそれでいい。向かう気持ちを感じると、こちらから向かっていきたくなる。
  大きなベッド。三島の性は五十代にしては力が漲り、女の手と唇と舌にまつわりつかれて切なげに脈動している。男の裸身に逆さにまたがり毛のない女性を舐めさせて、この瞬間の情を確かめ、それから紀代美は身を翻してまたがり直し、強く勃つ三島を手にくるむと、膣口に導いて、そのまま尻を沈めていった。
 「はぅ、うぅン、感じるわ」
  ぬむぬむと入り込み、子宮口を衝き上げる硬い三島と精液の奔流を楽しんで、紀代美は甘く啼いて果てていく。
  女はこの瞬間のために生きている。夫を見捨てたあのときから、度々こうしてゆきずりの性に溺れてきていた。予感に従う、ただそれだけ。霊や魑魅魍魎の世界を知ってしまうと、だからこそ生きている肉体が哀れに思える。せめていっとき夢を見たい。紀代美は夢の中で泣きそうだった。

  翌日の土曜日。明江が303号にやってきたのは夕刻を過ぎた時刻だった。明江の部屋には夫がいる。けれども明江は家には戻らず、紀代美の部屋にやってきた。
  明江は言った。
 「相模湖で猟奇的な事件があったんですってね?」
 「そうなの? 知らないけど」
 「ニュースでやってた。若い男が二人、湖畔のパーキングで殺されたって。まるでビルから飛び降りたように体が壊れていたそうよ。普通の殺しじゃないでしょう」
 「さあね、そのニュース知らないから何ともですけど、不思議なことってあるものよ。
ところでどうだった、そっちの二人は?」
 「うまくいったわ、今度一緒に調教しましょ。二人とも乳首とクリにピアスをしてやり生涯奴隷を誓わせた。写真もたっぷり。ブログでもやってやろうって思ってる」
 「可愛い人たちみたいね」
 「それはね可愛いよ。女王として君臨するだけで日常の二人を浸食するつもりはないから。ちょっとやりすぎかなって思ったけど、でも、それならそれで徹底しないと彼女らに失礼なんだし」

  紀代美は眉を上げて、それから言った。明江の気持ちもわかったし、そこまで徹底するなら女同士の情交というもので、空狐だって許すと思える。
 「旦那はいるんでしょ?」
 「いると思うけど、今夜はここで寝たい」
 「いいわよ。それでいいの?」
 「わからない、悩んでる。私ね紀代美」
 「うん?」
 「体がヘンなの。胸が張ってる気がするんだ」
 「来た?」
 「どうなんだろうね。欲しいって気持ちが錯覚させてるだけかもだし、だけどそうなると考えちゃう、別れられなくなりそうで」
 「それはそれ、これはこれよ。貌はいくつあってもいいし子供は可愛い」
 「そうなんだけど、あの二人も、陽子もそうだし、それ以上に紀代美と二人のときが幸せなんだと思うのよ」
 「私と結婚するつもり? ふふふ」
 「いいわよ、それでも。だけどそうなると子供が邪魔かな。避妊しておけばよかったって後悔してる」
 「産まれたらたまらないわよ、可愛くて」
 「そう思う。でもだから怖いんじゃない。自由がなくなる。どうしていいか、わからないんだ」

  女に自由を保証してくれるのは圧倒的な力。願っていても得られないから無難に夫婦をやっていくという夫婦は多いし、それで幸せになれる女は少ない。
  明江は言った。
 「空狐様は絶大よね。浅里に対して許すと言った。性的な奴隷としては許さないけどって言ってやったわ」
 「だったら空狐様はお帰りになられた」
 「そうでしょうね。いつまでも都合よくすがっていたくないから、そうだろうと思ってお帰り願った。人と人は最初の一瞬に魔力がいる。魔が差してブレーキが壊れると、そこからはなし崩し」
  紀代美はうなずいてちょっと笑い、そして言った。
 「怖いわね私たちって」
 「ほんとよ怖い。旦那に対してどうかなんて、いまは言えない。邪魔だって思いだけがふくらんできてるの。私はね紀代美」
 「うん?」
 「紀代美が好きよ。離れたくないって思うから」
  それが本心ならいいのだが、空狐にすがるためだけなら、いつか許せなくなるときが来る。
  明江は言った。
 「もしも私が裏切れば紀代美は怖い人になる。紀代美は私を許さない」
 「さあ、それはどうかな」
  明江は笑って紀代美の膝にすがりついた。
 「そしてそう思ったときに紀代美の気持ちがわかったの。愛や性に保証はない。いまこの一瞬が真剣なのならそれでいい。怖い私になりたくない。自分が怖くてたまらない。だから人を遠ざけるようになっていく。私なんて空狐様を動かす力がないからいいけれど、紀代美はさぞ辛いだろうなって」
 「それを共有する覚悟はある?」
 「ある。紀代美のことが好きだから。利用するみたいでごめんなさい」
  紀代美はしばし明江を見つめて微笑んで、ソファを離れながら言う。
 「コーヒーでも?」
 「うん、飲む」 と微笑みながら、明江はキッチンに向かう紀代美の背を追いかけて、背後から抱きすがり、首筋にキスをした。

  妊娠ではないとわかったのは翌週のこと。子供を願う気持ちがそうさせた。女の体は女心に支配されて生きるもの。明江はあらためて感じていた。
 「さては何かあったな?」
 「別にないよ。このあいだ三人で食事してきただけ」
  オフィスでのこと。
  明江にだけじゃなく小姑のように口うるさかった浅里の態度が変わっている。仕事からの帰り道、明江と沙菜はそんな話になっていた。
  明江は言った。
 「浅里って佳衣子が命なんだよね。旦那とも別れて一緒に暮らすって。嫉妬でしたごめんなさいって謝ってくれたもん」
 「ふーん、そうなんだ? 浅里さんは悪い人じゃないよ。よかったじゃん、これでうまくいきそうね」
 「あの二人を見てると気持ちわかるし、とにかく普通に接してくれればそれでいいから。女だらけの会社だもん、いろいろあるわよ」
  沙菜は微笑んでうなずいて、どことなく様子の違う明江を気にした。
 「残念だったね」
  妊娠ではなかったこと。
 「そうとも言えるし、ある意味ほっとしたって言うか」
 「ほっとした?」
 「旦那と微妙なのよ」
 「うまくいってないんだ?」
 「深刻ではないけどね。どうなんだろ、倦怠期って感じなのかも。とにかくマンネリで、ときめかないって言うのかさ」
 「エッチ減った?」
 「減ったね」

  そんなことを意識して言いながら、友だちに対して離婚の言い訳をはじめていると、明江は自覚していた。
  夫婦の性とはまるで異質な性の中に、それはちょうどタンポポの種が風で運ばれ育つように、明江らしい生き方が育ってきている。もといた土壌で種を飛ばした親タンポポは枯れてしまったと思うしかなかっただろう。

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